サーバー室のとなりから

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中学校の情報モラル授業開始

   ITアドバイザーによる中学校2年生全学級での情報モラル授業が17日の酒井根中学校から始まった。昨年から始まったこの巡回授業、今年も市内全中学校の2年生全学級で展開される。内容は昨年のものをベースに少し改訂されている。

  今年度は授業を保護者にも公開しており、酒i井根中でも何名かの参観者があった。この授業だけを参観に来校されるということは、それだけ保護者の関心も高いといえよう。

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高等小学読本巻3第14課 望遠鏡と顕微鏡

   明治44年発行、巻3から第14課「望遠鏡と顕微鏡」をとりあげる。望遠鏡で千分の1の近さから見たのと同じになること、300年前に発明され、ガリレオが改良して太陽の斑点や月に山があることを明らかにし、その後も改良され続け、新天体の発見も続いていると簡潔に書かれている。

   顕微鏡は望遠鏡の発明後間もなく発明され、蚊の口や蝶の鱗粉の拡大結果がどう見えるかが述べられ、粘土1立方cmの中に150億の動物の遺体のあることも興味ある内容である。顕微鏡を使い病原体のバクテリヤが明らかになった。これを受けて15課は「バクテリヤ」である。詳細なイラストも載っている。

      

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授業前半と後半の相違は?

   小学校の授業時間は45分である。その授業を前半か後半のどちらかしか参観できなかった場合、丸ごと1時間見た場合と比べどれ位違うのだろうか。いや前半と後半で授業はどんな相違があるのだろうか。

   そんな疑問を指導主事からいただいて、昨年、26年度のフランダース授業分析結果を見直してみた。初任者8名の小学校算数授業の前後半比較である。いつものように教師発言率と生徒活動率に注目し、8名の結果を棒グラフのペアで示した。グラフは左から右へ、1時間分の教師発言率の低→高へ並べてある。

   教師発言率では後半増加が3人、減少が5人、平均増加率12.5%、減少率11.3%で後半減少する傾向がわかる。生徒活動率では後半増加が4人、減少が3人、同じ1人、平均増加率14.0%、減少率12.0%で後半増加する傾向がみられた。これだけの結果から一般的なことは言えないが、授業の定量分析は興味深い。

   

   算数以外の教科ではどうなのだろうか、疑問は尽きない。

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高等小学読本巻2第13課 廃物利用

   明治39年発行の文部省著作『高等小学読本2』、定価は7銭5厘と表示。この「第13課 廃物利用」を取り上げてみる。おはなの家に屑屋が来て、紙屑やぼろ、がらすを買っていった。おはなは母に、屑屋は買って何にするのかと聞く、という導入である。「がらす」はカタカナではなくひらがなで書かれている。

   母は屑問屋に売られ、製紙場やがらす製造場に運ばれ、紙や「らんぷのほや」のなるとおはなに話す。再利用されるので屑籠などに集めることを教える。この他に何があるのかとおはなは問う。くさった酒は酢に、貝殻は焼いて石灰にすることなどを答える。リサイクルというと今風だが、100年以上も前の教科書に載っていたことに驚きを感じる。

   全20課の目録は、秋の野山、種子の散布、イチョー、阿倍仲麻呂、助船、海ノ話、浦島子、紫式部、税処敦子、名古屋城、わが陸軍、聯隊旗、廃物利用、製紙、源為朝、一谷の戦(1)、一谷の戦(2)、アイヌ、二人の旅人と熊、笠置落

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明治43年の高等小学読本巻1

  30年程前に教育研究所に寄贈された古い教科書について昨年紹介した。その中で興味がわいた「読本」から一冊とりあげた。明治43年発行の『高等小学読本巻1』である。

明治36年に教科書が国定化され、明治40年には義務教育が4年から6年に延長された後の教科書である。尋常小学校6年を終えて進学する高等小学校、現在の中学校用に相当する教科書である。

写真で目次の一部を示したが、内容が実に幅広い、この巻1には第1~30課ある。例えば、

第3課の「真の知己」は走れメロスのような話であり、道徳の教材に使えそうである。

第5課の「布哇通信」はハワイからの便りで当時の島の様子がよくわかっておもしろい。

第7課の「頼山陽」ではその一生がコンパクトにまとまり、人となりがよくわかる伝記である。

第9課の「武器の変遷」は弓、刀、槍、鉄砲、機関銃、飛行機と武器を通して歴史が概観できる。

所々にリアルな挿絵もあり、読んでいて飽きない楽しい教科書である。全教科領域を網羅した、総合的な学習の明治版といえよう。ただ、読めない漢字も出てくるのが難点である。当時の生徒は読めたのだろうか。

巻2も読みたくなった。

12課以降は、ペートル大帝、風、太田道灌、都会と田舎、水遊び、資本、盲啞学校、言語、熱帯地方の果樹、象狩、伝染病、馬の忠義、万里の長城、共進会の模様を報ずる手紙、四季の月、盗人を誡む、害虫と益虫、スパルタ武士、母の愛

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情報教育担当者連絡会

   年2回開催される情報教育担当者連絡会の1回目が13日青少年センターで開かれ、市内各校の担当者が出席した。前半は教育研究所の指導主事からICTの活用実態、研修講座等の報告や実践事例の紹介、今年度の機器等のリプレイスについて報告された。後半はITアドバイザーからの連絡が細かになされ、ネットワークトラブルへの対応をウチダエスコの中野さんが話された。さらにポプラディアネット活用についてポプラ社のプレゼンがあった。

最後に9地区に分かれて、小中高で情報交換し連携の糸口作りを図った。情報モラルと授業でのICT活用に関して情報交換がなされ、各代表の報告で締めくくられた。初めて担当になった先生にも頑張ってほしい。

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教育の情報化推進委員会開催

  今年度第1回目の「教育の情報化推進委員会」が12日沼南庁舎で開かれた。委員会では今年度リプレイスされる学校のPC等の基本仕様や研修内容等が検討された。文科省の「学校における教育の情報化に関する調査結果」では市内小中学校とも活用が前年度より進んだことが紹介された。また、次年度以降、各学校のHP作りを円滑にすすめるためのコンテンツマネジメントシステム(CMS)についても時間をかけて協議した。

  この委員会の始まりは昭和までさかのぼる。平成1年1月、この委員会が調査したアンケート(柏市内小学校33校、中学校14校)の結果は、パソコンを活用していると答えた学校は小学校23校(69.7%)中学校12校(85.7%)、活用教職員数は小学校1051人中231人(22。0%)、中学校574人中174人(30.3%)である。

当時、パソコンを何に使っていたのだろうか。各学校に導入されたパソコン1~2台、活用ソフトはワープロ(オアシス)、表計算(マルチプラン)が大半で、これに成績処理や健康管理ソフトが少し使われていた。先生方は台数増や研修の充実を切望し、パソコン通信をしたいという要望も若干見受けられた。いわゆる校務処理が主であり、i日常の授業で活用することなど夢の時代であった。

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円福寺「岩本石見守」の石碑

   前回は「千葉県神社」碑にふれたが、この碑の右(写真の右端)に小金牧にかかわる石碑がもう一つある。この碑は江戸時代、小金牧を管理した「岩本石見守」を讃えるものである。当時、柏を含めた広大な小金牧には軍馬等として育てられたは野馬がいて、時に田畑との境の野間土手を乗り越えて馬が入り込んで村人を困らせた。

寛政5年(1793)に幕府の命を受け、野馬増産などの改革を小金牧で行った岩本石見守は村人に牧内の木で炭焼きを奨励するなど善政をしいた。石見守を讃える碑は流山や野田にもある、いつか訪ねてみたい。


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「千葉県神社」碑近くに筆子碑も

   昨年度、沼南庁舎にある郷土資料室で柏市制60周年記念の企画展「小金牧」が開かれ、そこに「千葉県神社」碑が紹介されていた。千葉県が神様としてまつられた?興味がわいた。小金牧を開拓したものの,何度訴えても土地が自分たちの手に入らなかったのを県が仲介し、開拓者76人に1人に2反ずつ分けてもらえたことへの感謝碑である。12月大青田の円福寺にあるというので見に出かけた。明治14年8月建立の本物に接し身が引き締まった。

   その境内で筆子碑に出会った。25年近く前、この寺で3基のうち2基見つけたが、一つ見つけられなかったものである。「眞光法師」と刻まれた石の台座にたくさんの筆子名、正面と右側だけで25名、左側は隣の墓石に接していてわからない。1790年、寛政2年の碑である。逆に25年前見つけた2基は整理されたのか、発見できなかった。庁舎からは遠い円福寺だが・・載せる。

    
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ITA・新年度多忙のスタート

   学校への訪問はまだ始まらないが、この時期のITA(アドバイザー)は市内小中学校全児童生徒の進級処理を行なっている。学校でパソコンを使うための欠かせない準備だ。作業は単調でも3万人の更新は大変である。中には難しい漢字の児童生徒もいたり、転出入も多く苦戦している。

   来年度からは各学校のHPづくりも改善されてITAの関わりは軽くなる方向だが、今年は例年通り、各校の要請に基づき更新作業が進められている。学校に顔は出さなくてもITAは庁舎4階で奮闘している。

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宝寿院(布瀬)の筆子碑

   旧沼南町の筆子碑を訪ねる旅も最終、手賀沼を見下ろせる台地に宝寿院がある。川﨑さんの本には4基あると記されているが3基しか見つからなかった。古い順に写真を左から並べる。

   左端は「法印明秀」宝暦8年(1758)、中央は「法印宥賢」文化13年(1816)。右端は「鈴木先生」大正3年(1914)である。最も新しい碑でも100年前、左端は250年以上前の石である。今の教育と比べるのは無茶だが、250年以上も残る記念碑を建ててもらえる教育ができているだろうか。

         

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地蔵堂(布瀬)の筆子碑

   沼南庁舎からは車で15分、布瀬にある地蔵堂墓地の筆子碑を訪ねた。墓地の掃除をしているおじさんに会った。「筆子中」という墓石を探す姿にけげんな顔をされた。天保2年(1831)の筆子碑(右写真)がある墓地は代々続く地区で一番古い家だそうだ。戒名は「円鏡浄心清信士」と刻まれている。もう1基(下写真中央)は、先の碑より一回り大きく、同じく台座に筆子中とある。「孝順法師」と正面に大きく彫られ弘化2年(1845)の建立である。

   この碑を見る前に手賀にある興福院の住職墓地と旧手賀教会前にあるはずの筆子碑を探したが発見できなかった。墓が整理された時の消失したのかもしれない。


 

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福寿院(高柳)の筆子碑

   前回の高柳・善龍寺から数100mの所にある福寿院である。隣の幼稚園から園児の声がにぎやかに聞こえてくる。本堂は茅葺で趣があり、その右手に堂々と筆子碑は建っていた。

  善龍寺の筆子碑は300年以上も前の元禄期だったが、福寿院の碑は明治10年(1877年)なので台座に刻まれた多数の筆子名もはっきり読める。補教試補渡来高盛、補教試補とはどんな役だったのだろうか。

  台座の筆子名は高柳村が多いものの、塚崎村や土村の文字もある。学校ができる前、近くの村からも学びに来ていた様子がわかる。筆子たちの学習意欲は今以上に高かったのかもしれない。

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久しぶりの筆子碑(善龍寺・高柳)

   小中学校は今日が修了式、26年度の三学期が終わります。

少し前、半年ぶりに庁舎近くの筆子碑を探しに出かけた。庁舎の南西、高柳の善龍寺である。本堂前の五葉松で有名だが、筆子碑は隣接の住職墓地にあった。墓石は整理されて新しい立派な墓石が並ぶ。筆子碑はその奥にひっそりと建っていた。元禄10年(1697年)とあるので市内でも最も古いものといえよう。
古さゆえ刻まれた文字が読みにくい、川﨑さんの本の記録と照らし合わせて納得するかたちとなった。 

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小中学校HPアクセス数、月10万回

   今年度も残りわずかとなったが、市内小中学校のホームページアクセス数は昨年よりやや減ったものの平均月10万回である。カウンターを設けていない学校が3校あるので小中59校の合計数である。

   月別の変化はグラフの通りだが、8月の夏季休業中にぐっと少なくなるのは毎年同じ傾向である。長期休業中は記事がほとんど更新されないことが原因であろう。「更新すれば見てくれる、記事が古いままだと見てくれない」ということを如実に証明している。3月は16日までの数である。
          

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タブレットPC研究は続く

    今年度で中原小での一人一台タブレットPC研究は終了したが、大津一小は次年度も引き続き研究を継続する。去る4日。その大津一小で5年生社会科「自然災害を防ぐ」の授業公開があった。今まで調べたことをタブレットPCで整理し、これを大型ディスプレイ上に各自が転送し、この画面を取り出し、拡大しながら学級で情報を共有するという流れの授業である。3~4人の班員が班で選んだ災害テーマに沿って対策を発表した。まだ機器やソフトで扱いにくい点もあったが児童はうまく操作していた。

授業後の研究協議では武蔵大・中橋教授の講演があり、定まった答を追う授業の協同学習、定まった答えのない授業での協調学習、という視点が心に残った。今日の授業は後者である。

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ICT夢コンテストでITアドバイザー受賞

   平成26年度JAPET&CEC成果発表会「教育の情報化」推進フォーラム、ICT夢コンテスト2014、において教育研究所ITアドバイザーが応募した「全ての子どもに情報活用能力を身につける巡回授業プロジェクト」が審査委員長特別賞を受賞した。その表彰式と発表が6日、国立オリンピック記念青少年センターで行われITA5名全員が出席し、田中ITAが発表を行なった。

昨年度まで小学校1年生「はじめてのパソコン」と3年生「初めてのローマ字入力」は、ほぼ市内全小学校で授業を行ってきたが、今年度は5年生「プレゼンテーション」、6年生「情報モラル(スマホ)」さらに中学校2年生「情報モラル(SNS)」の授業を全校全学級で展開した。この柏市での取り組みを紹介、応募した結果が認められ今回の受賞となった。この事業の実施において学校の協力を欠くことはできない、改めて感謝するとともに次年度以降、一層連携を深め取り組みたいと考えている。

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手賀の丘(片山)の筆子碑

   秋の彼岸も過ぎた9月の終わりに教育研究所の何名かと手賀の丘公園に出かけた。そこにある「深山平左衛門勝正」の筆子碑を訪ねるためである。この碑は明治14年に建てられたもので台座には48人の筆子たちの名が刻まれている。高さは2メートルを超える。

   碑文に詳しく平左衛門勝正のことが記されている。師は岩井村の勝矢家から片山村深山家の養子にきた人らしい。前回取り上げた龍光院(岩井)筆子碑、勝矢義八郎の祖先が勝正なのだろうか。

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龍光院(岩井)の筆子碑

  今回は将門神社で知られている岩井の龍光院である。この寺は将門神社と隣接している。この東側にあるこんもりと樹木におおわれたなかに勝矢家の墓地があり、そこに1基筆子碑がある。墓石側面に俗名、勝矢義八郎という名がはっきり刻まれている。台座には筆子中と大きく書かれ、一目でわかるのはありがたい。
                        

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教師発言率に対する先生方の思い込み

先日、小中学校の先生方15名が参加した研修会でこんな質問をする機会があった。

「小学校の授業271回を分析した結果、授業中の教師発言率の最大値は何%、最小値は何%あったと思いますか」予想は10%きざみで回答していただいた。その結果、最大値は90%、最小値10%がそれぞれ約半数で多数となった。教師は授業中そんなにしゃべっているのだろうか。
実際の分析結果は最大値が62.5%、最小値0%だったことを話すと一様に驚きの声が上がった。先生方は自分は授業中しゃべり過ぎていると思い込んでいる。実際の教師発言率を知ることは授業改善において欠かせないことがわかるだろう。なお、平均値は27%である。「実態をつかんでスタートを」そんな願いを短冊に書きたい。

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