サーバー室のとなりから

宝寿院(布瀬)の筆子碑

   旧沼南町の筆子碑を訪ねる旅も最終、手賀沼を見下ろせる台地に宝寿院がある。川﨑さんの本には4基あると記されているが3基しか見つからなかった。古い順に写真を左から並べる。

   左端は「法印明秀」宝暦8年(1758)、中央は「法印宥賢」文化13年(1816)。右端は「鈴木先生」大正3年(1914)である。最も新しい碑でも100年前、左端は250年以上前の石である。今の教育と比べるのは無茶だが、250年以上も残る記念碑を建ててもらえる教育ができているだろうか。