サーバー室のとなりから

福寿院(高柳)の筆子碑

   前回の高柳・善龍寺から数100mの所にある福寿院である。隣の幼稚園から園児の声がにぎやかに聞こえてくる。本堂は茅葺で趣があり、その右手に堂々と筆子碑は建っていた。

  善龍寺の筆子碑は300年以上も前の元禄期だったが、福寿院の碑は明治10年(1877年)なので台座に刻まれた多数の筆子名もはっきり読める。補教試補渡来高盛、補教試補とはどんな役だったのだろうか。

  台座の筆子名は高柳村が多いものの、塚崎村や土村の文字もある。学校ができる前、近くの村からも学びに来ていた様子がわかる。筆子たちの学習意欲は今以上に高かったのかもしれない。