校長雑感ブログ

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5月18日(木)熱中症に注意&2学年国語「説明文(日本の花火の楽しみ)」

〇5月にもかかわらず、今日も気温が30度を超えるとの予報から、熱中症にかかる危険性があります。実際に午前中から体調の悪い生徒が多く、一日をとおして全職員で注意深く見守りしています。

〇最近は特に、「暑さ指数(WBGT(湿球黒球温度):Wet Bulb Globe Temperature)」に注目が集まっていて、判断の目安にしています。暑さ指数(WBGT)は従来の気温だけではなく、人体と外気との熱のやりとり(熱収支)に着目した指標で、人体の熱収支に与える影響の大きい ①湿度、 ②日射・輻射(ふくしゃ)など周辺の熱環境、 ③気温の3つを取り入れた指標です。

〇今日の正午の時点では、「21~25(積極的に水分補給)」でした。ご家庭でも気温にあわせた服装やマスクの着脱、水筒の持参について、再度確認してください。

 

須藤昌英

5月12日(金)部活動保護者会

〇本日の部活動保護者会の中で、私からは日本の部活動のこれまでの経緯を、その背景となる21年前からの学校週休2日制開始や6年前の柏市部活動ガイドライン施行も含めてお話ししました。続いて担当からは、部活動地域移行や本校の活動方針などの説明を行い、その後、各部活動ごとに分かれて顧問から細かい説明や意見交換などを行いました。

〇部活動は、生徒に生涯にわたってスポーツや文化に親しむ能力・態度を育み、体力の向上や健康の増進、技能・技術の向上を図ることのできる教育活動です。またそれ以上に、自主性や協調性・責任感・連帯感などを育成するとともに、部員同士が同じ目標に向かって取り組むことで、豊かな人間関係を築くなど心身ともに健全な育成を図ることができる有意義な教育活動です。地域移行の流れはありますが、以前の勝利主義に戻ることなく、上記のねらいに向けて、取り組んでいきたいと思います。

須藤昌英

5月11日(木)学ぶ意欲と習慣を身に付ける

〇「学校で習ったことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。」とは、誰が残した言葉かご存じですか?大分昔、私はこの言葉を初めて知ったとき、その意味について深く考えたことを今でもはっきりと覚えています。

〇答えは、20世紀の天才理論物理学者のアルベルト・アインシュタインです。学校では教科書を中心に授業を行っていますが、それは生徒が学ぶために、効率よく配列・整理されているので、ついつい一般の知識なども順番立てて学べるものだと思いこんでいます。しかし、社会に出ればいつどこに、何らかを学べる材料があるのかはわかりません。そのため生徒が学校を卒業してからも困らないように、教育の本質とは、教わった内容だけではなく、それを自分なりに解釈したり統合・分析したりすることができる資質・能力だろうと思っています。

〇またそもそも学校で学習したことをすべて覚えている人はほとんどいません。もし、内容を忘れてしまったとしても、その調べ方を覚えていけば、疑問の答えにたどりつくことができます。調べ方を覚えているとは、過去の体験が経験となり、感覚として身体が覚えている状態だと言えます。あらためてまたアインシュタインの言葉をかみしめています。

〇柏市も「第2次柏市教育振興計画」の中で、この変化の激しい時代を生きていく生徒に、最低限身に付けて欲しい力を設定しています。それを4つの力(コンセプト、チャレンジ、コミュニケーション、コントロール)を「4つのC」と銘打っています。先ほどのアインシュタインの言葉のような教育の実現が、「4C」に込められています。そして2学期に行う「柏市学力・学習状況調査(生徒アンケート)」を分析し、生徒一人ひとりの強みと弱みをはじめ、学級・学年・学校・学区全体、そして柏市全体の強みと弱みを,同じ尺度で測れるようにしています。

〇昨年もこのブログで、「柏市学力・学習状況調査(生徒アンケート)」における本校生徒の分析結果について書きましたが、今年度も本校では、上記のように一番左の「見通す力」の育成を最優先していきます。校長としては、目の前の出来事や将来のことについて、焦らずじっくりと考えていく力を身に付けてほしいと思っています。

須藤昌英

5月10日(水)全国学力・学習状況調査(英語・話すこと)

〇昨日、中学校3年対象で、英語の「話すこと」テストがあり、生徒が音声で回答をするなど、初めてオンラインで実施されました。生徒は個人に貸与されているタブレットを使い、文部科学省の特設のWebシステムへ個人IDとパスワードでアクセスします。そして映し出された画面のイラストを見ながら、ヘッドセットから聞こえる問題に対し、制限時間内で、各自マイクへ向かって口述による解答をします(その音声は録音されます)。

〇ただし、1つの教室内で全員が調査を受けるには、音声が混ざってしまうなどの困難がありますので、クラスを三分割して実施しました。個別の調査ですので、周囲には何を問われているのかはわかりません。終わった生徒に聞いてみると、「周りからぼんやりだけど、英語で答えている友達の声が少し聞こえて来た」や「一人一人がバラバラ答えるから面白かったけど、答えがあってるかどうか分かりません」と答えていました。いつもとの違いに、少し緊張気味な生徒もいたようです。

〇英語で身に付けたい4つの力(4技能)に、「聞く(リスニング)」「話す(スピーキング)」「読む(リーディング)」「書く(ライティング)」があります。これまでも日本の英語教育の現状として、日常生活に関わる基本的な単語の発音や相手の話しかけ(質問)に対し、状況に即して定型表現を用いて適切に英語で応答する能力は、良好であるものの、自分の考えや気持ちなどが聞き手に伝わるように話す力に課題があると指摘されています。そのため定型としての対話練習ばかりでなく、意味を考え、正確に伝える練習が日ごろから大切です。

〇この4技能は、大きく2つに分けられます。「聞く・読む」が受信(インプット)技能と、「書く・話す」が発信(アウトプット)技能で、最近よく紹介していますが、「インプットとアウトプットのバランスの理想は、3:7」と言われますので、前者の「聞く・読む」をベースにしながら、どんどん後者の「書く・話す」に挑戦していった方がよいと思います。

〇乳幼児(あかちゃん)が言葉を覚える際も、親が話している言葉や、「それは◯◯だよ」といった周りの人たちの会話を聞いて、まだ言葉を話せない段階でも、徐々に脳を日本語に適応させています。そしてその言葉を、口真似で何度もつぶやくことを繰り返しているうちに、自然と言えるようになってきます。

〇注目すべきことは、乳幼児が決して無理して覚えているのではなく、楽しみながら覚えていることです。周囲の大人が話している言葉を自分もアウトプットすることで、大人は褒めてくれるし、もしかしたら何よりも自分も同じことができるようになったという自己有用感を感じているのかもしれません。

〇今回は「英語を話す」という調査であり、生徒はどうしても出来栄えや評価を気にしてしまいます。それは仕方のないことだとしても、授業の中では会話する方法を工夫して、乳幼児と同じようなモチベーションをもたせてあげたいと英語科の教員と話をしています。

須藤昌英

 

5月9日(火)対話活動の大切さ(学びはわからないことから始まる)

〇先月から行っている教職員との面接の中で、生徒の授業中の様子を聞き取っています。特に気になるのが、答えがわかっていても発言を避けたり自分の考えを表現することが苦手だったりする生徒がどのクラスにもいることです。生徒の心理面からすると、自分の考えに自信がないことで、発表や質問をしたがらない傾向がありますので、授業の中で意図的に、2人組のペア学習・それ以上の複数人のグループ学習などの小集団交流を取り入れることで、生徒が自分の考えを表現しやすくしたり他者の考えを取り入れたりすることを行っています。

〇指導者側からすると、生徒にペアやグループでの学習による深め合いのよさを実感させることが一番難しく、もしそれが理解できれば、生徒は自ら進んで対話活動をすると思います。学習指導要領が唄う「主体的・対話的で深い学び」を実現するためには、自分の考えを表現し、考えを深め合うことが欠かせません。

〇都立の特別支援学校の主任教諭である川上康則氏は、その著書「教室マルトリートメント」の中で、ペアでの活動等のメリットを次の5つで示しています。

①インプットしたことをアウトプットして記憶に残す

②理解レベルや活動の進捗状況をそろえる

③他の人のフィルターを通して学ぶ

④集中を続けるために、いったんガス抜きする

⑤考えを整理させたり、発表に自信をもたせる

〇教職員には授業を進める中で、次のようなことを意識してほしいとお願いしています。

・意見の交流をためらいなくできるクラスの雰囲気(生徒同士の人間関係を含む)を構築しつつ、各自の発言を共有し、「分からない」や「間違い」から学びが始まることや意見や質問し合うことが深め合うことにつながることを理解させていく。

・生徒自身の気付きや考えから、授業を構成する視点をもち、冒頭の学習問題を工夫して提示し、既習事項との違いに気付かせ、生徒自身に今日のめあてを設定させる。聞く、読む、書く、話すなどの言語環境を整備し、自分の考えをもたせ、自分なりの納得解(まとめ)へと導く。

〇私達教職員の間では、昔から「授業は生もの」といわれ、その時間のゴールは設定しますが、生徒の反応によってどっちに転ぶかわからない面もあります。それが面白いところでもあります。

須藤昌英

5月8日(月)楽しく学ぶ土台は「アハ体験」

〇連休の最後の日と今朝は、風雨が強くあいにくの天気でしたが、また通常の学校生活が再開しました。昨晩からのお子様の様子はいかかでしたでしょうか?火曜日のブログに、人間の脳は、「ボーッ」としている方が、何かを考えているときよりも多くのエネルギーを使っていて、そのデフォルト・モード・ネットワークが働いているときは、あらかじめ蓄えられた情報がそれぞれ結びつきやすくなり、新しいアイデアや発想が生まれやすくなる、つまり「創造性」に富む可能性があると書きました。私もこの連休で、いつもと違う生活パターンで逆に疲れたこともありましたが、「そうだ!次は~をやってみよう」などの思い付きがいくつかありました。脳の働きは、まだまだ神秘的で、未解明なことが多いそうです。

〇同じく脳の不思議な能力として、昔一時期、テレビなどで話題になりましたが、「アハ体験(a-ha experience)」があります。簡単に言うと、「あ、そうか、わかったぞ!」という心のつぶやきや体験を表す言葉で、やはり「ひらめき」や「創造性」に関する脳のはたらきのことです。よく使われる例として、古典物理学者のニュートンが、木から落ちるリンゴをみて万有引力の法則を発見したことがありますが、あれも日頃から常に一つのことを考え続けた末、フッとした瞬間に知識どうしが結び付く一つのアハ体験だと言えます。

〇少し調べてみると、人間はアハ!体験の最中に、0.1秒ほどの短い時間に、脳の神経細胞がいっせいに活動して、世界の見え方が一瞬で変わってしまうそうです。大げさに言うと、それまでわからないで悩んでいる時の不安感や焦燥感が、ひらめいた時の「ああ、そうか!」で一気に消え去り、と同時に大きな喜びや解放感を感じることによって、今までとは違った自分になってしまうということです。そのような感覚を体験することで、関係する脳の回路を強化され、その後は、わからないことが出てきてもじっくりと考え、ひらめきを育むことの大切さを、楽しみながら学ぶことができるようになります。

〇ただし、アハ体験は、いつ起こるかなど予測は不能で、コントロールもできないという面があります。またそれに近い体験を実際にしても、いつのまにか見過ごしていることもあります。やはり今の自分が何を感じているのかを、常に意識しておく必要がある気がします。生徒達には、毎日の授業の中で、何か一つでいいので、小さなアハ体験をしてもらいたい・・と思っています。「この漢字はこういうときに使うのか!」とか「この数学の公式は確かにこの場合には便利だ!」など、自分で感じたことを書いたり、人に話したりするアウトプットを積み重ねると、普段の学習への意識が高まります。

〇脳科学者の茂木健一郎氏は、インタビューで次のように語ります。

「生きていくのは何が起こるか分からないこと。学校では答えの決まっていることは教えてくれますけど、人生をいかに生きるべきかという教科はありません。何が起こるか分からない人生をどう生きるかという時に、感情がフル回転するんです。脳にはうれしいことが起こった時に放出される『ドーパミン』と呼ばれるものがあります。何か行動してドーパミンが出ると、その回路が強化される。これを強化学習と呼びます。ですから、頭を良くしようと思ったら、何かを学んで喜ばなくてはいけないんです。アハ体験は気付くことに喜んでドーパミンを出してほしいというもの。気付くということに対して、トレーニングする機会はないんです。答えが決まっていることを素早くやることも大事ですけど、それだけでは今の世の中はやっていけない。何か新しいことに気付くことがすごく大切なんです。脳はオープンエンド、一生学び続けるものですから」

〇今日からまた、生徒達にとって学びの日々が再開しています。

須藤昌英

5月2日(火)デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)

〇今日は柏市内一斉に教員の研修会があるため、生徒は3時間授業で下校となります。しかも明日からゴールデンウイークも後半で、5連休に入ります。時間をもてあまし、「何もしないで一日ボーッと過ごすことが多い」という生徒も多いかもしれません。保護者会でも話しましたが、効率(コスパ・タイパ・スぺパ)を優先する傾向のある現代では、これを「時間の無駄」と切り捨てる風潮があります。しかしその一方で、生涯にわたって学び続ける上には、この「無駄」と思われることが、案外意味があるということがわかってきています。

〇それが脳科学の分野で研究が進んでいる「デフォルト・モード・ネットワーク(Default Mode Network)」という状態で、端的にいうと、ぼんやりした状態の脳が行なっている神経活動のことです。ある一つのことに集中したり注意が払われたりするのではなく、ただぼんやりとしてあれやこれやと雑念している時や睡眠中の脳が示す神経活動のパターンのようです。

〇これはよく車のイメージに例えられ、デフォルト・モード・ネットワークは、車のエンジンのスイッチはONですが実際には走行していない時の「アイドリング状態」です。日常生活の中で、何も考えずにボーッと散歩しているとき、一息つくために好きな飲み物を飲んでいるとき、身体がリラックスした状態で入浴をしているときなどに、デフォルト・モード・ネットワークは活発化しています。

〇脳神経外科医の奥村歩氏によると、脳は以下のプロセスで情報を処理しているのだそうです。

1 入力(インプット):五感を通して情報を収集する

2 整理:(DMN)入力した情報を取捨選択する

3 出力(アウトプット):言葉や行動として表す

デフォルト・モード・ネットワークが重要になるのは、2番目の「整理」段階で、この状態で自分の過去の経験や記憶を整理・統合したり、これから起きる出来事にどう対応したりするかを想定しています。

〇逆にデフォルト・モード・ネットワークの働きが弱いと、脳内で情報が整理されず、物が散乱した机上のような「脳過労」状態になり、インプットした情報が脳に定着しづらくなったり、脳の活動自体が低下してスムーズなアウトプットにつながらなかったりするといった恐れがあるそうです。脳内にたまった情報をスッキリと片づけ、脳疲労を防ぐためにも、DMNをオンにすることは重要です。

〇一番注目したいのは、デフォルト・モード・ネットワークの働きは「創造性」と関係しているらしいことです。これが活発になるとあらかじめ蓄えられた情報がそれぞれ結びつきやすくなり、新しいアイデアや発想が生まれやすくなります。私も先ほどのように散歩などをしてリラックスして過ごす時間に、フッと「そうだ!あれをやってみよう」などの思い付きがあります。これを実行に移すアウトプットは、どこか楽しくたとえ予想通りの結果が得られなくても、次のチャレンジの意欲につながっていることが多いです。

〇ただデフォルト・モード・ネットワークが活発化していると、脳内では通常時よりも数倍以上のエネルギーを必要としているそうです。つまり「ボーッ」としている方が、何かを考えているときよりもエネルギーを使っていることは意外な感じがしますが、それほど重要だともいえます。

〇少し時間があると、大人も子どもスマホとにらめっこして、ボーッとする時間が少ないようです。もしお子様がボーッとしていても、脳はその子に新しいアイデアを用意してくれているかもしれません。ぜひ「何か思いついた?」のような声掛けをしてあげてください。

須藤昌英

5月1日(月)自立とタンポポ

〇今日と明日は、連休の間ということもあり、今朝登校する生徒の表情も様々でした。ある生徒は「明後日からまた休みだから、今週は今日と明日だけ頑張ればいい」と言うかと思えば、別の生徒は「今日と明日も休みなら、もっとゆっくりできたのに・・」と本音をつぶやきます。これだけみても、人の見方や考え方は時として両極端があるなと思います。

〇5月に入ってもまだまだタンポポの花をよく見かけます。もともとタンポポはキク科の多年草で、一年でその生を終えるのではなく、深く土の中に根を張り、冬の寒さにもじっと耐えて咲きます。東京大学名誉教授で国際政治学者の猪口孝氏は、その著書「タンポポな生き方」の冒頭で次のように書いています。引用します。

「『生き方』を考える時、私がいつも思い浮かべるのはあの黄色い花、タンポポです。春に家の近くを歩いていると、塀と道路の狭い隙間や、ヒビの入ったアスファルトの割れ目などから、ヒョロリと首を持ち上げて咲くタンポポを見ることができます。その姿は明るく健気で、『頑張っているね』と思わず声をかけたくなります。(途中略)

踏みつけられても立派に花を咲かせ、次世代につなげるタンポポのような生き方は、青春を生きる人たちにはピッタリだと思います。青春を生きる人とは、年齢が若い人ばかりではありません。よりよい人生の意味を考える人すべてです。先生も親も、教育関連の人も含めた多くの人を指すのです。」

〇中学生には、「自ら主体性をもつ」ようにしてほしいと願っています。そのためには、まずは私も含めて大人である教職員が「ただの自立からその先の自律」へと意識を変えていくことが大切であり、「自立」は、「他人に頼らず、自分で独立した状態」ですが、「自律」は、「自分で考え、行動の主体となった状態」です。どちらも先ほどのタンポポの姿がオーバーラップしてきます。

〇さらに猪口先生は続けます。

「『あなたは自分の性格で好きなところはどんなところですか?』これなら答えられるかもしれません。では、『あなたの欠点と思われるところは?』について考えてみてください。こんなふうに少しずつ自分を分解して考えていくと、自分の輪郭がはっきりしてきます。なぜ自分のことを知る必要があるのかというと、誰でもいつかは自分の力で生きていかなければならないからです。そのときに、自分のことがわからなければ『自立』できません。(途中略)

他人にいわれなくても、自分がどんな人間かを自分で知るためには、まず何かをやってみることです。自分で何かをやろうとしたら、うまくいかなかった、次に方向を変えたらうまくいった、というように行動を重ねることで、だんだん自分の傾向がわかってきます。その傾向が個性と呼ばれる核となるものなのです」

〇生徒が「失敗したくないから・・」と尻込みする気持ちはわかります。でもそれは、「失敗は悪いこと、効率が悪いこと、恥ずかしいこと」という固定観念があるからです。そして生徒の固定観念は、そのほとんどが大人や社会の影響によるものです。以前から学校でも生徒たちに、「効率よく学ばせる」ことを最優先してきた経緯があります。生徒はある意味でその「犠牲者」になっていましたが、これからはそういう状況からはやく脱却しなければなりません。たとえ失敗してもその原因を探しているうちに、修正して再チャレンジしたくなるのが生徒の本性だと私は思います。

〇冒頭に書いた生徒の様子を、明日はもう少し別の視点から分析したいと思います。

須藤昌英

4月28日(金)アウトプットを前提としたインプットと自問自答

〇先日、精神科医の樺沢紫苑氏が著書(アウトプット大全)の中で、「心理学」「脳科学」の見地から、人間が学ぶ際には、「インプット時間の2倍近くをアウトプットに費やすようにする、つまりインプットとアウトプットの黄金比は3:7」と指摘していることを紹介しました。

〇その樺沢先生が、姉妹本である「インプット大全(サンクチュアリ出版)」において、学び方の本質にかかわる内容を書いています。引用させてもらいます。

「ロンドン大学の興味深い研究があります。あるものを暗記してもらう実験で、最初のグループには、『これが終わったらあとにテストをしますので、暗記してください』といいます。もうひとつのグループには、『これが終わったあとに他の人に教えてもらいますので、ちゃんと記憶してください』といいます。同じ時間をかけて暗記してもらい、両方のグループに同じテストをしました。結局、『教える』ことはしませんでしたが、『教えてもらいます』と伝えたグループのほうが高い得点をとったのです。『テストする』も『人に教える』も両方ともアウトプットですが、『教える』ほうが圧倒的に心理的プレッシャーの大きいアウトプットです。心理的プレッシャーのかかるアウトプットを前提にするだけで、実際にはそれをやらなかったとしても、脳は活性化し、より記憶力はアップし、学びの効果が上がるのです。」

〇いかかでしょうか?私も本を読むときに、ただ漠然と読むよりも、例えば「これは雑感ブログに内容を紹介したい」と思ったときの方が、頭に内容がスムーズに入ってきます。学校の授業でもこの心理を利用し、生徒に自分の考えを友達に説明(アウトプット)する機会を多くしています。生徒は相手に説明する際、自分は何がわかっていて、何が不明なのかを瞬時に判断し、説明を聞く相手の心情までを想像しています。

〇もう一つ、日頃から私も考えていることを、樺沢先生が後押ししてくれている箇所があります。引用します。

「『質問』は、自分の興味・関心をキャッチするアンテナを立てるための最も簡単な方法といえます。たとえば、『自分の短所は何か?』と自分で自分に質問します。『コミュニケーションが下手』と答えたならば、『コミュニケーションを上達させる方法』はないのか?とアンテナがたちます。脳は『質問』されると、その『答え』を探そうとするのです。」

〇これはいわゆる「自問自答」にあたります。わからないことを先生などに質問する前に、まずはこの「自分で自分に質問する」ことがその質問を焦点化します。私の経験からもよく考えている生徒は、「自問=素直に疑問を持つ力」と「自答=自分なりに仮説をたてる力」の2つを無意識レベルで繰り返しています。そしてこの力が、どの教科学習においても必要不可欠な力です。

〇この人間の心理をうまく活用しているのが、NHKの「チコちゃんに叱られる!」というクイズ番組です。日常に潜む素朴な疑問をテーマにしており、その質問は「人と別れるときに手を振るのはなぜ?」など、あらためて考えてみるとよくわからない問題ばかりです。でもチコちゃんに問われると、だれでもすぐに考え始めてしまいます。「自問自答」は、それを絶え間なく自分の中でやっているイメージです。逆にいえば私も含め大人の多くは、根本的な問題を「そんなこと考えても無駄」と切り捨て、自問自答する時間を避けている気がします。チコちゃんに「ボーっと生きている」と叱られないようにしないといけません。

須藤昌英

4月27日(木)教職員と面接を行っています

〇本校には私を含めて46名の職員がいて、それぞれの役割や仕事を担うことにより、生徒の健やかな成長・学びに資するように努めています。毎日、職員と職員室などでお互いに顔を合わせた時は、予定の確認や連絡事項などの会話をしていますが、なかなか座ってじっくりと意見交換をすることはこれまで出来ていません。そこで昨日から再来週にかけて、私と職員一人ひとりと年度当初の面接を行っています。

〇生徒にも個性があるように、もちろん職員にも一人ひとりいろいろな持ち味が違います。しかし共通していることも多く、その一部を書いてみます。まず明るく誠実さをもって、生徒の考えや意見をしっかりと受け止めようとする「人間性」、次に教育公務員として自覚と情熱をもち、生徒の興味関心や発言を引き出すための工夫をする「資質・情熱」、さらに教員としての識見を一定以上に備え、授業のねらいを明確にして、生徒の発達段階と場に応じた指導をする「指導力」などです。

〇ただしこれらはすべて最初から身に付けているわけではなく、私もそうでしたが、日々目の前の生徒と接している中で、嬉しいことやうまくいかずに悩んだことなどを自ら内省し、それを次にいかしていこうとする努力によって、段々と自然に仕込まれていくものです。

〇校長にとって、職員との面接の機会はとても貴重な時間です。まずは次のような学校経営の理念を理解してもらうことを目的にしています。

①   生徒の学びを引き出すファシリテーターの教職員

基礎・基本となる知識・技能の定着を図り、それを応用する力、活用する力を育む学習指導を行い、「確かな学力」を身につけさせる。

②   生徒の生活に寄り添うアドバイザーの教職員

生徒一人ひとりの個性や能力を生かした集団づくりに努め、個と集団の成長を促す生活指導を推進し、豊かな心と健やかな体を育む。

③   教職員組織の一員(調整・連携)

校務に関する業務内容と意義を理解し、計画的に取り組み、情報と課題を共有し、的確に業務を遂行する。

〇そしてそれ以上に、職員が先ほどのような自分の良さを気づいていない場合にはそれを伝えつつ、可能な限り本音の部分を傾聴していくようにします。職員の個性やもっている力を把握し、さらに伸ばしてもらい生き生きと働いてもらうことが、必ず最後はそれが生徒への教育にも還元されていくと思います。

〇最後は学校を企業に例えると、「主力商品は授業」でありますので、授業を担当する職員から、「単元のねらいや生徒に身につけさせたい資質能力」、「生徒が困難と感じる点やその克服のための指導上の工夫」などを聞き、私がその授業を来月からこのホームページで紹介していくための日程を調整しています。

〇ただの「人材」ではなく、「人財」である教職員と、今後も年数回の面接の設定をしていきます。

 須藤昌英

4月26日(水)五月を迎える前に・・・

〇今朝は明け方から小雨が降り、気温も低めでしたが、段々と本降りになってきています。そのせいもあってか、1号館と4号館の間にある中庭の木からは、雨宿りをしている鳥が、いつもより大きな声で鳴くのが聞こえてきます。まるで教室で授業を受ける生徒たちに、「頑張れ!」と応援しているかのようです。

〇毎年このゴールデンウィーク時期になるとよく聞く言葉に「五月病」があります。主な症状としては、無気力・不安感・焦燥感などがあげられ、病名でいうと「適応障害」と診断されるそうです。似ている症状に「うつ状態」がありますが、「うつ状態(病)」が、原因不明のストレス要因によって発症することがあるのに対して、適応障害は、生活・職場環境などの外的なストレス要因で発症します。

〇昨年もこの「雑感ブログ」で、次のように書いています。

「新年度が始まりまもなく1か月ですが、コロナ禍で迎える3年目のこの春、職場や大学ではリモートでの業務や授業を対面に切り替えるところも多く、日常が少しずつ戻ってきました。新たな出会いや刺激への期待に胸を躍らせるこの季節。ただSNSをのぞいてみると…『対面しんどい』『視線と話し声が気になる』との意見も多い状況です。なぜこうした声が上がっているのか?4月なのにどうやらもう“五月病”が現れているようです。」

〇また具体的な若者の症状として、「4月は月曜日から金曜日まで毎日大学に通って、友人たちと肩を並べて授業を受け、サークル活動にも精を出しました。ただ、『週末は、朝からなにもやる気が出なくなってしまった』『土曜日は午前中から勉強をしようと思っても、手が付きませんでした。気分転換をしようと散歩にも行ったのですが、効果がありませんでした。日曜日も気分が晴れず、食べて、寝ることしかできなかったんです』『みんな同じ場所で授業を受けている間は無意識に気を遣っている』との本音も聞こえてきます。この内容は主に大学生についてでしたが、同様な状況が中学生にもあるのでは・・と少し心配になっています。

〇一方で適応障害にとどまらず、日常的なストレスをはるかに超える心的外傷(トラウマ)を受けた場合には、人は3つの行動(戦う・逃げる・凍りつく)をとることが一般的に知られています。人に攻撃的になったり、その場から逃走しようとしたり、最後にはじっと耐え、脅威が去るのを待つ状態に陥ります。

〇特に我々大人は、不安状況にある人間は、交感神経が活発に働き、心臓が全身に血液を送り、動悸、発汗、めまい、呼吸困難、喉のつまり、手の震え、胸の違和感などを引き起こすことを知っておくことが重要です。このような身体の反応は、自然な防衛反応であり、身を守るための身体の機能ともいえますが、強いストレスが継続すると、身体は疲弊し、精神的な問題まで発展する恐れがあります。

〇週末からゴールデンウイークに入りますが、ご家庭でもお子様の様子を観察してください。

須藤昌英

4月25日(火)各教科で身に付けたい見方・考え方について2

〇有名な解剖学者の養老猛司氏は、「本来の教育は、身体を使って表現することであった。もともとインプットの学習とアウトプットの表現は一緒だったのが、近代教育ではそれを分離してしまった。昔の『文武両道』は、その2つ(学習と表現)がもとは1つであることを示しており、それがサイクルを描いて回っていないといけない」と色々な講演会でおっしゃっています。

〇さらに、「本来的には、学習のプロセスというのはインプットとアウトプットをまわすこと。インプットは外からの刺激、アウトプットは自分の体を動かすということ。なので、子どもはどんどん動いて、出してゆくことが大事。するとサイクルがぐるぐる回って、勝手に学んで行く。動き回ってサイクルを回すのが大事な存在を、机とイスにしばりつけて、余計なことをたくさん教えて、インプットだけ増やすような教育では、うまくゆくわけがない。」と続けています。

〇私はここから、高等学校の入試科目にある5教科(国・数・英・社・理)がある一方、音楽・美術・保健体育・技術・家庭などの教科を、身体的技能や芸術表現をする教科と位置づけ、特にアウトプットに力をいれるべきだと感じています。

〇まさに別表の各5教科は、それぞれのねらいをもって、生徒たちの感性を豊かにするために、日々の授業を行っています。生徒も他の人と比較するのではなく、自分なりの作品制作や表現活動を行っているので、表情が豊かに見えます。

〇精神科医の樺沢紫苑氏は、その著書「アウトプット大全」の中で、「ほとんどの人がインプット過剰またはアウトプット不足に陥っており、それこそが勉強しているのに成長しない最大の原因といえます」と指摘しています。さらに、「インプットとアウトプットの黄金比は3:7、インプット時間の2倍近くをアウトプットに費やすようにしましょう」と書いています。

〇私としては、見る・聞く・嗅ぐ・味わう・さわる(五感)などの「入力(インプット)」は、今までの自分の経験に基づく認識の外側にあることから学ぶことであり、書いたり話したり手や足を使ったりする運動で、「出力(アウトプット)」することで、次のインプットの質があがってくるのだと感じています。

須藤昌英

4月24日(月)地域部活動への移行について

〇これまで行われてきた学校の部活動は、スポーツや音楽などに興味・関心のある同好の生徒が参加し、教師等の指導の下、学校教育の一環として行われ、我が国のスポーツや音楽の振興を大きく支えてきました。また体力や技能の向上を図る目的以外にも、異年齢との交流の中で、生徒同士や生徒と教師等との好ましい人間関係の構築を図りつつ、学習意欲の向上や自己肯定感、責任感、連帯感の涵養に資するなど、生徒の多様な学びの場・活躍の場として、教育的意義を有しています。

〇私も教員1年目から野球部の顧問として、朝の練習では7時から1時間、放課後の練習では完全下校時刻までの2~3時間、生徒につきっきりで指導していました。休養日などはほとんど設けず、土・日曜日は自校や他校へ出向いての練習試合を組んでいました。当然のことながら、授業準備などは平日は夜の9~10時、休日も練習試合が終わってから夕方6~7時くらいまで行わざるを得ませんでした。

〇しかしながら、今日においては、社会・経済の変化等により、教育等に関わる課題が複雑化・多様化し、学校や教師だけでは解決することができない課題が増えています。とりわけ、少子化が進展する中、部活動においては、従前と同様の運営体制では維持は難しくなってきており、学校や地域によっては存続の危機にあります。

〇今月12日、教育委員会からの文書で、地域移行後の部活動の運用について、8月に体験会を実施し、9月から開始する予定であること、移行対象の部活動については、9月以降は平日のみの活動となり、土日祝日の活動は原則実施しないことなどをお知らせしました。ただし、地域クラブへの参加は任意となりますので,部活動加入者に対し,参加が強制されることはありません。

〇また先週の金曜日には、柏市の中学校1年生から中学校2年生の全生徒を対象とした「部活動の地域移行に関するアンケート調査」を配付しました。これは柏市における地域クラブの運用団体である一般社団法人柏スポーツ文化推進協会(KSCA)と柏市教育委員会が協同で参加希望生徒数等の一次調査を実施し,活動場所の確保と参加登録手続きが円滑に行われるよう準備することを目的としたものです。

【一般社団法人柏スポーツ文化推進協会(KSCA)のHPより】

<柏スポーツ文化推進協会 設立趣旨>

生徒たちは日々の部活動でスポーツや文化活動に情熱を注ぎ、柏市内の部活においても県内だけでなく、全国でも屈指の成果をあげ、部活動が生徒の中学校生活の重要な一部となっています。しかし今、中学校での部活動の在り方が全国各地で問われています。運動部・文化部を問わず教員の「超過勤務」や生徒の「バランスの悪い休養日の設定」、顧問の未経験の種目を担当することによる「不適切な指導やけがの発生」など、山積する課題の中で望ましい部活動の在り方、教員の働き方を整備する必要が課題となっています。

一方、今学校では、変化の激しく予測不可能な未来社会を生きる子どもたちに「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業改善が求められており、先生方は教材研究や学習評価の改善・充実が求められています。

本来、先生方の本務は授業であり質の高い授業力が求められ、そのためには授業の準備等に十分な時間が必要です。そのような中で、柏市内の学校教職員は部活動の運営や指導にも熱心に取り組んでいただいております。

このような状況の中、教員・保護者・地域にとって「誇れる学校」になるには、どうすればよいのか。これを実現するために私たちにできること、それは「地域と学校の協働活動」だと考えます。平成29年3月社会教育法の改正により、地域全体で未来を担う子供たちの成長を支える活動である「地域学校協働活動」が法律に位置付けられました。

私たちは今後、この地域のもつ様々な力を有効活用し、学校と地域が一体となり未来を担う子供たちの成長を支えていきたいと考え、一般社団法人 柏スポーツ文化推進協会(以下、KSCAと表記します)の設立をいたします。

<KSCAの活動>

1「文武両道」の学校である柏市内中学校の文化スポーツの推進に協力する。

2本クラブを中心とした文化スポーツ活動の充実に協力する。

3指導経験豊かな指導者によるクラブ活動(教室)や保護者・地域ボランティアによるクラブ活動を本クラブとして運営する。

4地域の方々・企業等と本クラブの相互理解・協力のもと本クラブサポートと共に地域貢献活動を推進する。

〇一次調査の集約後,KSCA ホームページにてクラブ運営の詳細をお伝えするそうです。また保護者からの問い合わせに関しては,KSCA にメールにて直接御連絡いただくことになっています。本校といたしましても市の方針を受け、まだまだ多くの調整を必要とする懸案はありますが、教育委員会と連携して対応してまいります。

須藤昌英

 

4月21日(金)ネットモラル授業(1学年)

〇世の中は便利さを追求し、コンビニでは何時でも欲しいものがすぐに手に入り、わからないことは手元のスマホで検索すれば、何でもそれなりの情報が得られるようになっています。

〇中学生たちは生まれながらに今の状態が「当たり前」であるからこそ、そういう環境の中で、気をつけなければならないことや周囲への配慮などを教えていかなければなりません。

〇昨日、柏市少年補導センターから講師を招いて、新入生にネットモラル授業を行いました。その中から特に、「インターネットの特性・特徴」について、抜粋しました。まずはプラス面とマイナス面を理解しておくことが、トラブル回避の基本だと思います。

容易性

①書き込みが容易→誰でも簡単に書き込みやメッセージの発信ができる。

②画像や動画の撮影、加工が容易→デジタルデータは複製や加工・合成が簡単にできる。送受信や配信も簡単にできる。

③サービス利用時の登録が容易→各種サービスを利用する際の個人情報の登録やアカウント設定が簡単にできる。

匿名性信憑性 

①匿名で情報発信できる→SNSや掲示板は、匿名(偽名・ハンドルネームなど)で利用できる。

②情報の真偽が不確か→意図的に悪質な情報や根拠のない情報が流布されることがある。

③匿名であっても特定できる→IPアドレスやログから発信者の特定ができる。

※完全な匿名はあり得ない。※特定に時間がかかる場合には、被害者の精神的負担が大きい。

公開性拡散性

①世界中に公開され、誰でも閲覧できる(される)→発信した情報(文字・画像・動画)は誰からでも見られる可能性がある。閉ざされた環境(非公開設定など)でも複製・転載され、公開される可能性がある。

②短期間で状況が変化する→大量情報(文字・画像・動画)が短期間に拡散され、状況が変化する。

記録性 

①削除依頼への対応可否→情報発信者やサイト管理者が特定できない場合や削除依頼に応じない場合には、被害回復が困難となる。

②半永久的な記録として残る→削除されない情報は、半永久的に掲載され続け、被害回復が困難となる。デジタルデータは複製が可能なので、一度削除されたものが、再度転載される可能性がある。

流出性 

①ウィルス感染や個人情報流出→インターネットに接続しただけで、端末に侵入されることや情報を抜き取られてしまうことがある。ウィルスに感染すると被害が拡大する可能性がある。

依存性

①オンラインゲームではお金と時間をかけるとゲーム内のキャラクターが着実に強化される。

②チームでプレイし、途中での離脱が難しい(社会人は、仕事を終えてからゲームに参加する)。

③アバターで別の自分(人格、なりたい自分)になることができ、チーム内で重要な地位が与えられ、ステージをクリアすると英雄扱いされ、達成感を得られる。

④ ゲームに終わりがない(次のステージが用意されている)。

〇大人が「子どもにスマホを持たせることは、ナイフを持たせることと同じ」という認識をもつことが大切です。ナイフは料理をする際、野菜や肉を切るなどとても重宝な道具です。またナイフでなくても、ハサミなどは学校生活の中で常用しています。しかし便利な反面、その取り扱いには細心の注意が必要なことは言うまでもありません。

〇スマホも現代人にとって便利さにおいては、上に書いたように右に出るものがないくらいです。しかしこれも使い方によっては、メッセージアプリなどで人を傷つける言葉を相手の心情など考えずに送り付けたり、極端な例ですが、強盗殺人事件の指示役が、外国からSNSで遠隔操作をしていたりと、悪用することも可能です。もちろん今生徒たちがそのような使い方をしていないことは信じていますが、大人のケースも含め最悪の事態をあえて知らせておくことは、一定の意義があると思います。

〇ご家庭でも継続的に話し合っていただきたいと思います。

須藤昌英

4月20日(木)各教科で身に付けたい見方・考え方について

〇昨日から正規日課の授業が始まり、各教科とも教科書を使った授業が始まっています。ただ教科書を使うと聞くと、教科書の最初から最後までを生徒に「教え込む」というイメージをもつ人も多いと思います。しかしそれは生徒を受動的な存在として見ているのであり、本来生徒は、能動的学習者です。生徒(というよりも人間)は、もともと何かを知ろうとし、分かろうとし、できるようになろうとしています。一言で言えば常に学ぼうとしている存在です。

〇ですから、各教科では、教える内容を通して、身に付けさせたい見方や考え力を設定して、授業を行っています。5教科について、私見も入っていますが、その一部を紹介します。

〇国語科は新学期は各学年とも、ぞれぞれ「詩」の学習から入っています。1年は、金子みすゞ、2年は吉野弘、3年は谷川俊太郎などの著名な作品ばかりです。詩を読み慣れることで、国語に必要不可欠な力が養われます。その力は、「映像化力」と呼ばれ、目の前に詩の情景をイメージしていく力です。詩を難しいと感じる人が多いのは、少しの言葉で表された世界を、十分につかみとれないのが一つの原因で、生徒たちは暗唱することを繰り返したり、自分なりのイメージづくりをしたりして、作者が何に感動してその詩をつくったかを想像しています。

〇数学科では全学年が、「数と式」の領域から始めています。これは「数」と「式」が、「図形」や「関数」などの数学全体の下支えをしているからです。算数や数学では学年が進むほど「新しい数」を定義し、その世界をひろげていきます(例えば、小数、分数、正負の数、平方根など)。数学に苦手意識をもっている生徒はどの学年にも一定数いますが、原因の一つが、「数学の独特の世界に違和感がある」からです。でもその違和感は当然とも言えますので、私はその昔生徒には、「数学という国へ旅行したつもりで、その数学の文化や風習に徐々に慣れ、楽しむくらいに思っていればいいよ」と話していました。

〇英語科の目標は、「簡単な情報や考えなどを理解したり表現したり伝えあったりするコミュニケーションを図る資質・能力を育成すること」です。コミュニケーション能力で最も大切なことは、相手への伝達だけでなく、相手からの情報をいかに上手に受け取るかという観点も持っていなければなりません。世間では、高機能でコンパクトな翻訳機があり、困ることはない時代になっていますが、一つ言えるのは、コミュニケーションのツールとして、英語は日本語よりもある面は適していると思います。

〇理科を学ぶ過程は、仮説や予想を立て、自分の問いを追求し、それをみんなに説明したいために、実験・観察をすることがあります。この力は生徒が大人になって社会に出てからもよく使われるもので、成功しても失敗してもその原因を考え、そこからまた新しいアイデア(仮説)を立てていく・・この繰り返しが大切です。ただし、実験・観察などには多くの器具を使用しますので。安全性の確保が欠かせません。年間を通して理科室での授業は、理科支援員さんのバックアップを受けて、安全面に最大の配慮をしていきます。

〇社会科は、「地理」「歴史」「公民」の分野があり、前の2つは1~2学年に、並行して学び進めます。地理は世の中で起こっている現象について様々な角度から体系的に学習し、歴史は今ある政治体制や文化を正しく理解するために、まずは過去にさかのぼって背景を知る学習し、公民は「法律」「政治」「経済」などの現代社会のしくみや在り方について学びます。分野は違いますが、これらに共通するのは、「すべて人の生活や営みから派生している」のであり、最後は自分の生活にどのように活用していくかだと思います。

須藤昌英

 

4月19日(水)朝の10分間読書活動&正規日課開始

〇朝の10分間、生徒は静かに自分で選んだ本と向き合い読書を行っています。これは2つのソウゾウ力(想像力・創造力)を養っています。想像力(イマジネーション)により、実際に見聞していないことについて考えを巡らすことで、創造力(クリエーション)につながり、独自の方法で新しい何かを創り出せる大人になっていきます。

〇日本人はかつて世界有数の「本を読む国民」でした。しかし昨今、若者を中心に「読書離れ」が広がってきています。確かに電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れは、大きく変容しようとしています。しかし、その使い手が人間であるかぎり、人間性を育てるのに、「本」が重要な役割を果たすことはかわりありません。暮らしのスタイルに、人生設計のなかに、新しい感覚で「本とのつきあい方」を考えていく絶好の機会です。

 〇昨日までは臨時日課でしたが、今日より正規日課となりました。生徒たちは、6時間目の終了時刻(午後3時25分)まで、自分の学びを深めようと取り組んでいました。特に1年生は、50分授業6コマを受けることには不慣れで、しばらくは大変かもしれません。まだ中学生の体力はないので、睡眠時間の確保や栄養補給などに気を配ってあげてください。

【21 世紀の社会が求める学力を身につけるために】

・生徒は体験(経験)から学びますので、授業中もできるだけチャレンジするチャンスを増やしてあげたいです。各教科のいろいろなテーマについて、自分で考えをもち、友達の考えもきいてみる。その際に「どっちがいいんだろうか」のような話し合いをすることが一つの体験になります。またその中で、「そこのところがわからない」や「もう一度言ってほしい」などと言い合いながら、お互いの表現を引き出していくようなコミュニケーションを通し、「みんなで考えたら、最初はあまりわからなかったけれど、最後はなんとなくわかってきた」という実感を、一人ひとりの生徒に持ってもらいたいと思います。また伝え合いの内容も「ぼくはこういう風に言うのがいいと思う」とか「わたしだったらこう言うなあ」というように、一人ひとりの理解が自分の言葉になっていくことで、クラス全体の学習レベルも上がっていきます。

・人間は元来、「他人と自分の違いを活かして他人から学ぶ」「自分の考えていることを他人に説明してみて自分の考えを変えていく」、そういう力を持っています。人がもともと持っている学びの力とはどんな環境によって引き出されるのか、それを考えるのが「学習科学」と呼ばれる分野です。そこでは特に人間は基本的に、自身の体験したことをまとめて自分なりのものの見方や経験則をつくり,そこに他人に教わったことなども取り込みながらさらにその経験則をしっかりさせて、色んな問題を解けるようになっていく、つまり自分なりのわかり方の質を上げるというかたちで賢くなっていくと言われます。

・自分の経験則と教科書などに書いてある原理原則をつなぐために、お互いが自分の考えを外に出して確認しながら、一人ひとりが学び、考えを見直し、より良くしていく。グループでも学習しますが、グループ全体で答えを出せればいいのではなくて、最後は一人ひとりが学んでいく。そういう学習のことを、総称として「協調学習」と言いますが、従来の「講義型学習」の限界を突破するには、これしかないと私は考えています。

須藤昌英

 

 

4月18日(火)令和5年度全国学力・学習状況調査

〇毎年の4月、全国の中学校3年生を対象に行っていますが、本日午前中に、3教科のテスト(英語は4年ぶり)と学習や生活に関するアンケート調査を行いました。ただし、今年度は中学校の英語のうち、「話すこと」に関する調査の実施にかかる特例的な措置として、今日ではなく、5月に端末を活用したオンライン方式により実施します。

〇英語「話すこと」に関する調査は、ICT端末を活用し、文部科学省CBTシステム(MEXCBT:メクビット)を用いたオンラインの音声録音方式で実施するもので、クラスを1グループ10名程度に分割して、グループごとに順番に実施することを基本とします。所要時間は、1グループ当たり15分程度(準備や教室出入時間等10分程度を含む)を予定しています。

〇この調査の活用については、夏以降に結果を分析し、それを踏まえ、各生徒の全般的な学習状況の改善等に努めるとともに、自らの教育指導等の改善に向けて、教職員の校内研修で検討するなどして、計画的に取り組みます。

須藤昌英

 

4月17日(月)新入生歓迎会(生徒会行事)

〇新入生に富勢中の諸活動を紹介し、富勢中の一員としての生活を知った上で、今週から本格的にスタートできるように、2学年と3学年生徒が準備をしてくれました。3・4校時に全校生徒が初めて体育館に集まりました。換気を十分に行ったり、事前に作成したビデオを投影する形も取り入れました。

〇校長の話では、自治が基本である生徒会活動について、富勢中三大伝統もからめながら、話しをしました。特に「素直」の小学生と中学生の違いについて話しました。要約しますと、前者の「素直」は、親や先生から言われたことをその通りにやってみることで、後者の「素直」は、教えてもらったことをベースにそれをさらに自分で考えてからやってみようとすることです。

〇親や先生は、子どもが失敗しないように手取り足取り、丁寧に教えてくれることが多いので、前者の「素直」はその通りにやればあまり失敗はしません。しかし後者の「素直」は、自分で考えてやってみたけれど、失敗してしまうことの方がむしろ多いです。でもこれからは、中学生として失敗を恐れずにチャレンジしていってほしいです。失敗しても自分を責めずに、失敗から学ぶようにしてほしいと思います。

須藤昌英

 

 

4月14日(金)黄砂の影響&個人写真撮影&年度始保護者会

〇昨日は2年ぶりに黄砂が観測されたニュースが流れていました。調べると、黄砂はユーラシア大陸内陸部の乾燥地域で強風によって数千メートルの高度にまで巻き上げられた土壌・鉱物粒子が偏西風に乗って飛来し、大気中に浮遊あるいは降下する現象です。これまでは自然現象であるとされてきましたが、急速に広がりつつある過放牧や農地転換による土地の劣化等との関連も指摘もあるようです。

〇私もてっきり黄砂は、隣国の中国から来ていると思い込んでいましたが、もっと西方に原因があるようで、中国も困っているようです。しっかりと事実を知っていないと、誤解によって自分勝手なイメージを持たないようにしなければ・・と思いました。ただ、黄砂によって、呼吸器疾患や循環器疾患等、人への健康に影響があることが報告されおり、花粉症に加えて辛い思いをしている生徒もいます。

〇専用のマスクや眼鏡も有効だと思いますが、先日も紹介したように、細目に水筒の水でうがいしたり水道水で顔を洗ったりすると、楽になることもあるそうです。眼、鼻、皮膚などのアレルギーをもつ生徒へのフォローをご家庭でお願いします。

「黄砂ってなに?」(環境省のHPより)

〇身分証明書などに利用する目的で、図書室で生徒一人ひとりの「上半身」を、専門業者に依頼して撮影しました。1年生は神妙な顔つきでしたが、さすがに上級生は慣れた様子でした。

 

 〇本日、保護者会にご参加くださいました皆様、お忙しい中ありがとうございました。全体会後、1・3学年はクラスにて懇談会、2学年は体育館で林間学校の説明・懇談会をさせていただきます。

須藤昌英

4月13日(木)水筒持参のお願い&第1回避難訓練

〇今年は4月の半ばからすでに、「夏日(最高気温が25℃以上の日)」となる日があります。本格的な暑さはまだ先だとは思いますが、今年はその暑さが例年よりもはやくやってくる気がします。

〇昨年もこの時期からお願いしていますが、自宅から水筒を持ってくるようにしてください。なかみは冷水、スポーツドリンクや麦茶などでかまいませんが、スポーツドリンクは糖分が多いので、かえって喉が渇くこともあります(水で薄める方法もあります)。また運動をする場合にはミネラル分を含んだものが良いと言われています。

〇水分補給の仕方ですが、「のどが渇いた」と感じた場合には、すでに脱水症状が始まっている可能性があります。のどの渇きを感じる前に細目に飲むのが良いようです。暑い時期に限らず、また汗をかいていなくても自主的に水分補給することが重要です。学校でも指導しますが、ご家庭でも話題にしてください。

「健康のため水を飲もう」推進運動(厚生労働省のHPより)

 

〇2学年と3学年は、それぞれ6月に実施する林間学校(長野県八ヶ峰方面)と修学旅行(京都・奈良方面)に向けて、クラスごとのスローガン決めや部会(班長生活・コース部会・食事美化部会・保健入浴部会)ごとの話し合いを行いました。

 

 

 〇1学年は体育館で、発育測定を実施しました。これは学校保健安全法施行規則第六条に、健康診断における検査の項目は、次のように定められているためです。

一 身長、体重

二 栄養状態

三 脊柱及び胸郭の疾病及び異常の有無

四 視力及び聴力

五 眼の疾病及び異常の有無

六 耳鼻咽頭疾患及び皮膚疾患の有無

七 歯及び口腔の疾病及び異常の有無

八 結核の有無

九 心臓の疾病及び異常の有無

十 尿

十一 寄生虫卵の有無

十二 その他の疾病及び異常の有無

 

〇5時間目に本年度最初の避難訓練を「防災の意識をより強くもち、避難経路・安全な避難方法・点呼方法を確認する」という目的で行いました。想定として「首都直下型地震により、千葉県は震度6強の強い地震が発生した」こととし、緊急地震速報および担任の指示により、まず第一次避難(各自の机の下に避難)しました。その際、教室の扉と窓を開け、カーテンを閉めることを原則とします。その後校内放送および担任の指示により、校庭に第二次避難を行い、整列・点呼を行いました。

〇生徒には、「お⇒おさない、は⇒はしらない、し⇒しゃべらない も⇒もどらない」の合言葉を徹底して事前に指導しました。実際には担任の指示に従って、上履きのまま、校庭へ避難し、学年委員は先頭で整列指示していました。静かに点呼終了まで待機できました。

〇終わったあとの講評では、まず本年度富勢中にきた2名の職員(中村教諭、小柳教諭)に話をしてもらいました。中村教諭からは、「地震からいのちを守るためには、地震が起きる前はいろいろな備えをしておくこと、地震が起きてからは上からの落下物がないか床や壁が崩れていないかを注意深くして避難することが大切です」、小柳教諭からは、「地震への備えについて、学校では今日のような避難訓練をしっかりと行うこと、家庭では非常食や懐中電灯を常備しておくことが必要です」とありました。

〇最後に私からは、「古代インド人は、地球の下に大きな蛇やカメ、象が住んでいると考えていました。昔はそんなことは迷信だくらいにしか思っていませんでしたが、よく考えると地球も一つの生き物(内部にマグマがいたるところで流れている)とも言えます。すると地震は地球にとっては、ただのくしゃみや咳にすぎないかもしれません。そうであれば、いつ地震が来てもおかしくないことも確かなことです。人間は地球の上に住んでいるのではなく、住まわせてもらっているのです。であれば、地震が起こらないようにするのは不可能ですし、もし起こった場合には、いのちを落とすなどの最悪の状態を避けることが宿命なのかもしれません」と話しました。

須藤昌英

 

4月12日(水)3学年がそろいました

〇1年生は、朝の会から新しいクラスで、最初は少し緊張した様子でしたが、教科書に記名したり、学年集会を行ったりしました。段々と明るい表情も出てきました。

〇2・3年生は、教室や体育館で発育測定(視力検査・聴力検査・身長・体重)を行いました。

 

〇1年生は、初めての中学校の給食でした。まずは給食当番が白衣を着るところから勝手の違いに苦労していました。さらに配膳や「いただきます」の挨拶もクラスごとに少しずつ違っています。当番以外は読書をして待ちます。

〇メニューは「牛乳、ポークカレーライス、わかめサラダ、手作りグレープゼリー、大豆小魚」でした。ご飯をどのくらいよそうかなども手探り状態で、食べ始めるまでにけっこうな時間がかかりました。明日からは少しずつペースアップしていくことでしょう。生徒が帰りましら、ご家庭で感想を尋ねてみてください。

須藤昌英

 

 

 

4月11日(火)第77回入学式で新入生のご入学を寿ぐ

〇本校の入学式に際しては、朝の正門で、学区内の小学校3校の先生方(中谷光男校長、宮本健寿校長、斎藤真紀子教頭)が、新入生を出迎え、言葉をかけていただきました。ありがとうございました。本校も含めた富勢中学区の4校は、学区共通の目標として、「自ら学び、心豊かに、たくましく生きる、富勢の子の育成」を掲げ、教育課程の違いを超えて、連携していきます。

〇本日10時より、第77回入学式を無事に挙行できました。新入生は新しい制服が少し窮屈そうでしたが、緊張した様子で参加していました。担任から自分の名前を呼名され、その場に立って、「はい」とはっきりとした返事をしている姿をみて、中学生としての自覚が芽生えつつあると感じました。明日から全学年がそろっての生活になります。

【校長式辞:要約】

・百六十ニ名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。そしてようこそ富勢中学校へ。皆さんの入学を在校生及び教職員一同、心より歓迎します。

・今の初心を忘れないでください。明日からは、先輩である2年生や3年生との一緒の生活が始まります。でも彼らもそれぞれ1年前や2年前は、皆さんとまったく同じ気持ちでこの場にいたのです。

・人間にとって「経験する」ことが最も大切です。今の不安は、優しい先輩や親身になって指導してくれる先生方によって、すぐに安心感に変わります。しかしそれは、先輩や先生方も皆さんと同じような経験を過去にしてきたからこそ、皆さんの不安が、手に取るようにわかるからです。

・本校の最大の特徴を一言で言うならば、この後に斉唱します校歌の2番の歌詞に「瞳かがやき集う われら若人」とあるとおりです。富勢中の生徒はみんな明るく、主体的に学校生活を送っています。新入生の皆さんもまず、「一番自分の目を輝かすことができること」を探してみましょう。

・入学にあたり、中学生としての心構えを3つお話しします。中学校生活は、皆さんのこれからの人生にとって、重要な意義を持った三年間です。したがって、その時その時に、どうやって過ごしていくかを真剣に考えることが大切です。

・まず学習では、算数が数学、図工が美術、体育が保健体育、家庭科が技術・家庭科になります。また英語も本格的に始まります。世の中はあらゆる分野で飛躍的に進歩しており、それに対応するには、「何を知っているか」だけではなく、「何ができるのか」が問われてきます。つまり、単に知っているだけでなく、その知識はどんな背景をもち、どこで使われるのかまでをイメージできてこそ、はじめて「生きて働く知識」となります。

・一例を挙げます。皆さんは、小学校5年生で、三角形の面積を求める式を学習しましたね。そう、【底辺】×【高さ】÷2 です。

では、その公式はどうやって導き出されたのでしょうか?

・まったく同じ三角形をもう一つ、逆さにしてくっつけると、2つ合わせて平行四辺形になります。平行四辺形の面積は、【底辺】×【高さ】ですから、そのちょうど半分が、三角形1つ分の面積になるのでしたね。公式はあくまでも結果であり、それが導き出される過程(プロセス)が重要です。

・中学校の学習では、その公式を覚えていることより、どうしてその公式が成り立つのかを、自分の言葉で説明できることの方が重要で、そういう力こそ、皆さんに身に付けてほしいと考えています。

・さらに授業では、先生の話や友達の考えを聞いた上で、自分ではどう考えるかを発表したり、書いたりすることを大切にしています。それを3年間積み上げていくと、学力の中で一番大切な「学び続ける力」が身についてきます。授業に積極的に参加することを期待しています。

・よく世間では、先ほどのように学んだ結果を「学力」といったりしますが、本来「学力」とは「学」と「力」のあいだに「び続ける」という字が入って、「学び続ける力」のことなのです。

次に、中学校には様々な活動が用意されています。総合的な学習、体育祭・合唱コンクール・校外学習・部活動などです。このような活動を通して、自分の力を大いに伸ばしてください。一心不乱に取り組んでいる姿は輝いて見え、やりきることで自分に自信が持てます。

・最後に、このような学習やその他の活動を充実させるには、お互いに相手を認め合い、支え合う関係を築くことが必要です。「気持ちのよい挨拶をされた」「不安な時に励ましてもらった」「自分の悩みを聞いてもらえた」など、友達や仲間に勇気づけられ、次の一歩を踏み出せるのが人間です。

・保護者の皆様、本日は、お子様のご入学誠におめでとうございます。今日より大切なお子様をお預かりいたします。今後三年間、皆様のご期待に応えるべく私ども教職員一同、誠心誠意全力を尽くす所存です。特に、気になる点や相談等がございましたら、遠慮なく申し出てください。

・終わりにあたり、学校運営協議会(富学協)の皆様、公私とも、ご多用の中ご臨席を賜りありがとうございます。今後も「地域の中の富勢中」として、本校をあたたかく見守っていただき、ご支援・ご協力を賜りますようお願いし、式辞といたします。

令和五年四月十一日                          柏市立富勢中学校長  須 藤 昌 英

(1学年所属教職員)

4月10日(月)教科担当と授業の持ち物、給食開始、入学式準備

〇各クラスの教科担当教員の一覧表です。中学校の授業時数は、一年間で1015時間です。その一つひとつの授業を通し、各教科の内容を通して、生徒に身に付けてもらいたい見方・考え方を一緒に追求していきます。

〇今週から各学年順次、学年内日課の中で最初の授業がありますが、その際に準備する学用品をまとめました。教科書はすでに配付していますが、ノートなどは教科によって異なりますので、確認してください。

 〇今日から給食が始まりました。特に今年度から本校でもストローレスに取り組みます。私も牛乳パックの畳み方を復習してやってみました。毎日やれば覚えられることでしょう。

 

〇明日の入学式に向けて、午後は在校生を中心に、メイン会場の体育館と各教室の飾りつけを行いました。さすが在校生ともなると、準備をスムーズにしかも嫌々ではなく楽しそうに、力をあわせて行っていました。後輩を迎えるのがうれいしい生徒が大勢いるようです。

〇明日は、在校生は出席しませんが、教職員一同、心を込めて新入生をお迎えしたいと思います。

 

〇数ある美しい日本語の一つに、「寿ぐ」があります。読み方は「ことほぐ」で、別に「言祝ぐ」と書くこともあります。意味は字のごとき「言葉で祝う」「お祝いを述べる」「喜びを言う」などです。特に、「ほぐ」は、よい結果が得られるように、祝福のことばを唱えるという意味です。たとえば「新年を寿ぐ」といった場合に使われています。

〇私は初めてこの言葉を知った時、字から受けるイメージもそうですが、その読み方から「春の陽気によって人の心が和らぐ」と似た感覚があるなと思いました。少し調べますと、この「ことほぐ」は、古くから使われていた語で、『古事記』などにも用例が見られるそうです。日本の言霊(ことだま:ことばにあるとされていた霊力)思想を反映した語であろうといわれており、ことばには発せられたことばの内容どおりの状態を実現する力があるというものだそうです。

〇今、明日の入学式に向けて、入学を寿ぐ「校長式辞」を作成しています。先月の卒業式の式辞は、卒業生への思い入れが強くなってしまい、15分間と長めでした。入学式では、新入生も緊張しているでしょうから、あまり時間をかけず、私の登壇・降壇も含めて、10分以内で終わるように考えています。

須藤昌英

 

4月7日(金)学年内臨時日課が始まりました(~18日)

〇今日から別紙のように、学年ごとの臨時日課で生活・学習します。主に、学級活動(自己紹介、教科書・ワーク配付、学級目標決め、班・係決め、学級掲示物作成など)、学年集会(学年所属職員紹介、生活の約束など)、学年レク(学級写真撮影を含む)、入学式準備、発育測定、避難訓練、新入生歓迎会、全国学習状況調査(3年)、林間学校(2年)・修学旅行(3年)準備などなど・・、年度初めは生徒も教職員も大忙しです。

〇ご家庭でも毎朝、「今日は何があるの?」と予定の確認をしてあげてください。

須藤昌英

 (2学年・3学年学年内日課)

 

 

 

4月6日(木)令和5年度着任式・第1学期始業式

〇昨年度末に多くの職員を見送ってからさびしい気持ちでしたが、今年度から着任された教職員に着任式で、自己紹介をしてもらい、「いよいよスタートしたな」という実感がわいてきました。

〇生徒会長の原心渚さんから、着任された教職員に向けて、あたたかい歓迎の言葉を述べてもらいました。

 

 

 

 

【着任式で生徒に紹介した職員】

 

〇始業式では、創立77周年目の伝統「挨拶・清掃・歌声」について話をしました。私から「伝統とは何だと思いますか?」「伝統を引き継ぐことは必要だと思いますか?」などの問いかけをしてみましたが、果たして伝わったかどうか。

〇私の願いとしては、新年度にあたり、「挨拶・清掃・歌声」のどれか一つを自分で選んで、「自分は~していきたい」とイメージしてから、新生活を始めてもらいたかったのです。

【始業式での校長の話】

〇3つの伝統のうち、早速校歌を歌いました。「人間の身体は、楽器でもある」と話したのですが、自分の身体の内部の空間に、歌を響かせるように歌ってくれたように感じました。

〇生徒指導主任の中居教諭からは、「新3年生、新2年生とも先輩になるという自覚をもつようにしましょう」との投げかけがありました。新しく着任した教職員からは、「みんな真剣に話を聞いて、素直なせいとばかりですね」との感想がありました。

〇新3年生はすぐに新しい教室へ移動し、新2年生は新クラス発表後に、荷物などを運びました。学級開きの自己紹介などは、明日の学級活動で行います。

須藤昌英

 

 

4月5日(水)第1学期始業式の前日

〇校舎裏のソメイヨシノはまだ頑張って咲いていますが、そろそろ終わりに近づいています。その一方で、少し遅咲きの八重桜の花が急に勢いを増し、ソメイヨシノに代わって主役になりつつあります。

〇調べますと、「八重桜」という呼称は、一つのサクラの品種ではなく、八重咲きに花を付けるサクラの総称だそうです。ソメイヨシノに代表される一般的な桜の花弁は5枚で、この咲き方を「一重咲」と呼称するのに対し、桜の場合は6枚以上の花弁を付けるものを「八重咲の八重桜」として区分しています。

〇サクラも複数の品種が交配してできた変種や観賞用に開発された改良品種を合わせると600種類を超えるといわれています。日本に分布している桜のうち80%以上がソメイヨシノだそうですが、実は他にも個性溢れる品種が多く存在しています。花弁の数も影響してか、本校の八重桜はピンクも濃く、花全体がモコモコしています。

〇サクラと同じく生徒もすべての面で、多様性に富んでいます。人にはサクラと同じくそれぞれの良さがあり、比べることは無意味です。ソメイヨシノにはソメイヨシノの良さ、八重桜には八重桜の良さがあり、そうだからこそそれぞれの特性が際立って、観る我々は楽しいのでしょう。比べるとは、ある基準をつくって、その物差しである基準を超えるか下回るかを判断するもので、工業製品を製造する過程にしかその有用性はありません。

〇明日より生徒を迎えるにあたり、教員は下駄箱やロッカー、机・椅子のシールを貼ったり、教室や廊下などの環境を整えたりしています。生徒のいない教室は、ガラ~ンとしていて、窓から差し込む光が床を照らしています。「はやく生徒が登校してこないかな」と待ち遠しく思っている教員も多いです。

(ソメイヨシノから八重桜へ主役交代) (静まり返った生徒下駄箱と作成中の机上表示)

 

 

〇昨日も家庭教育の役割について書きましたが、家庭教育には3つのポイントがあります。

①   見渡す

子どもの居場所として、家庭が本人にとってどこよりも安心できる環境となるように配慮することが、「見渡す」ことにあたります。要するにそれは、子どもの観察を通して子どもにとって必要な基本的な生活習慣や物事に対する価値観を学ぶための機会を適宜提供してあげることです。

②   見守る

子どもは、当然のこと親に「見守られている」と安心します。親から大切にされているという感覚は、子どもの自己肯定感や自己有用感を育む大きな要素であり、それらが高ければ、子どもは自ら挑戦し、たとえ失敗してもそこから学んだことを次にいかし、苦難を乗り越えられる人間へと成長できます。

③   見届ける

子どもは常に「これで大丈夫だろうか?」などの不安を抱えています。日頃より子どもから相談されやすい距離感を保ち、もし相談されたら、「あなたはどうしたいの?」「私(親)にサポートしてもらいたいことは何?」などの投げかけをすると、子どもは自立(自律)へ歩み出します。

〇明日からの新学期ですが、具体的には、毎朝同じ時間に起き、1日3回バランスのとれた食事、体をしっかり動かし、夜は決まった時間に寝るなどの正しい生活リズムは体の調子を整えるだけでなく、抵抗力を高める効果もあります。集中力も高まるといわれているため、子どもがさまざまな知識を身につけやすくなります。

 須藤昌英

4月4日(火)新年度に向けての会議や準備

〇正門前の通りは、桜の花が散り始め、新緑の若い葉が勢いを増しています。校内に入ると、グラウンドやテニスコート、武道場や体育館では、各部活動が来週からの大会に備えた練習に余念がありません。自分の好きなことを精一杯やっている若者の姿に、頼もしさを感じます。学年初め休業も明日までですので、そろそろ規則正しい生活に戻す意識をもっていることでしょう。

〇今年度からは、教育委員会事務局が「柏市小中学校管理規則」という柏市の条例を改正し、昨年度は4月5日だった1学期始業式を1日ずらして4月6日にしてくれましたので、準備の日程に少し余裕があります。ただ実質は3日間しかありませんので、職員は会議や新年度の準備に取り組んでいますが、昼休み以外はゆっくりとしいる職員はいません。

〇教員には、授業担当や学級担任などの役割に加え、学校全体を運営する係り分担(校務分掌と呼んでいます)を割り当てています。このことは「学校全体を支えている」という意識を醸成し、一つの組織として仕事をしていくことにつながります。下記が一例です。

 ・教務部(年間計画、月計画、週計画、学校行事、教科経営、日課表など)

 ・研究部(校内授業研修計画、各年代に必要な研修の推進など)

 ・生徒指導部(生徒の生活のきまり、一日の生活の流れ、生徒へ寄り添った支援など)

 ・管理部(施設管理、環境美化、備品管理など)

 ・庶務部(教科書管理、学籍管理、各種会計、各種証明など)

(会議やパソコンを使った準備の様子)

〇脳神経解剖学の世界的権威であり、第16代京都大学総長を務められた平澤興教授(明治33年新潟県生まれ、平成元年京都市で没)は、いろいろな名言を残しています。例えば、「人間には無限の可能性がある」や「人間には140億個の神経細胞があるが、それを全部使い切ったものは一人もいない」などは、医学者としての見地からの言葉でしょう。また「人生はニコニコ顔の命がけ」や「生きるとは燃ゆる事なり いざやいざ 進まん この道 我が燃ゆる道」などは「生きる」ことに関しても、深い洞察を与えてくれます。

〇この平澤氏が、教育(家庭教育を含む)についても次のような見解を示しています。

【家庭教育の基本】

どんなに立派なことを言っても、その生活の中に、何の夢もなく、だらしのない生活の中では、とても子どもには勉強しようなどという気持ちは起こらないでしょう。

【教育とは火をつけることだ】

教育とは、火をつけて燃やすことだ。教えを受けるとは、燃やされることであり、火をつけられることです。

〇私自身も家庭では3人の子育てをしてきましたが、次の5か条の最初の2つは、「果たして自分はどこまで出来ていただろうか?」と今でも時々振り返っています。

【人生信条】

1 親は、まず、暮らしを誠実に

2 子どもには、楽しい勉強を

3 勉強は、習慣づくり

4 習慣づくりは、人づくり

5 人づくりは、人生づくり

須藤昌英

 

 

 

 

 

4月3日(月)本年度21名の職員が着任しました

〇先月の24日に、21名の職員を送り出してから10日余り、本日から以下の職員を迎え、令和5年度の「チーム富勢」をスタートします。まず校長室で一人ひとりに千葉県教委委員会からの「辞令」交付しました。校長にとって、職員は「人材」ではなく、「人財」です。職員の力を最大限に引き出すことが、生徒の学びを支援することにつながります。

〇次に職員室で職員への紹介をした後、早速最初の職員会議を行い、今年度の目指す方向性を確認しました。会議の方法は授業と同じく、提案者からの提案後、質問や意見交換をして理解を広げたり深めたりしています。「学び続ける富勢中」は、まず職員の学ぶ力の育成からだと確信しています。

(着任職員・辞令交付・自己紹介・職員会議)

〇昨年度に続き本日から、校長からみた富勢中の様子を、発信していきます。「雑感」の名の通り、雑多な感想もあり、まとまりのない文章となりますが、ご容赦ください。

〇「ブログ」という用語は、「Web log」(ホームページの履歴の意味)から派生した言葉ですが、「毎日の様子を書くという意識」をもって学校内にいますと、「これは保護者や地域の方々にお知らせした方がよいだろう」などの気づきがよくあります。

〇外からみたのではわからない学校内のいわゆる「裏事情」なども、伝えられる範囲で書いていきます。「こんなことをホームページに書いてあるけど、実際にはどうなの?」等、お子様との会話のきっかけにしてください。

〇アフリカのケニアにあるサバンナで、水を求めて大移動するシマウマの集団をテレビ番組などで観るときがあります。そのシマウマの子どもは、大移動する前に、必ず母親と一緒に走る練習をします。人間の「鬼ごっこ」のように、母親と追いかけっこしながら、周囲を遊びながら走ります。

〇「遊び」として「訓練」をしておかないで、集団移動で川を渡るときに自分勝手に行動したのでは、ワニに襲われて命を落としてしまう可能性があります。大切なのは、脳の深い部分に危険からの逃避や仲間との集団行動に関する重要性が刷り込まれることだそうです。

〇学校での学習や生活で考えると、理性とか意識などの表層の部分で理解するだけですと、刷り込みの度合いが弱いままです。シマウマの子どものように、「遊びとしての走る練習」をしていない生徒は、学校での生活(特に人間関係)を窮屈に感じた際、そこで踏ん張ろうとする意欲が出てきません。

〇シマウマの子どもの「遊びとしての走る練習」に該当するのが、家庭での生活です。家族との連帯感やつながりを感じたり、疲れたら十分に癒されたり、特に中学生として大切なのが家庭内での自分の役割を果たしているかどうかです。6日の始業式まであと3日、お子様のエネルギーが蓄積されているか、ご家庭で様子を見て適宜お声掛けをお願いします。

須藤昌英

 

 

3月24日(金)1年間ありがとうございました

〇本日は令和4年度修了式を行います。校長の話のスライドです。

 

〇その後令和4年度末で転退職する教職員を送る会を行います。

 

〇昨年の4月1日から続けてきた「校長雑感ブログ」も、今年度は本日で終了します。あらかじめ「雑感(雑多な感想)」とことわって始めましたが、その日の思いや気づいたこと、自分のこれまでの経験を一方的に連ねるようなまとまりのない文章になってしまいました。お詫びいたします。それでもお読みいただきましたことを感謝いたします。ありがとうございました。新年度もよろしくお願いいたします。

須藤昌英

3月23日(木)むちゃなことができる時期

〇「むちゃ(無茶)」の意味を調べてみると、まず「無茶」があて字だということを初めて知りました。ワープロに打ち込むとすぐに「無茶」と変換するので、これまで疑いもなくきました。やはりこれに限らず語源などもしっかりと調べなおす必要があると思いました。同様に「むちゃくちゃ(無茶苦茶)」や「めちゃくちゃ(滅茶苦茶)」も日常で使っていますが、本来はひらがな標記のようです。「むちゃ」の意味は、

1 筋道が立たず、道理に合わないこと。また、そのさま。

2 程度がはなはだしいこと。度を越していること。また、そのさま。

3 知識がないこと。また、そのさま。

いずれにせよマイナスのイメージがありますが、人生の一時期は、「よくあんなにむちゃができたな」と思うことがだれでもあるのではないでしょうか?

〇日本で一番ノーベル文学賞に近いと言われている村上春樹さんの作品は、本校の図書室にも多く蔵書しています。彼の作品を読んでいると、なんとも言えない不思議な空気感に包まれます。ただ長編作品も多いので、中学生には短編小説から入って、その世界観を楽しんでもらいたいと思っています。

〇その村上さんが、自伝エッセイで次のようなことを書かれていました。後半に中学生の頃の思い出が出てきます。

「小説を一つ書き上げ、原稿を編集者に渡すと校正係がそれをチェックする。そこで指摘されるのはだいたい言葉遣いの間違いと事実的な間違いだが、その校正が入ったゲラ刷りを見ていると、自分がいかに世界の事象について無知であったか、いかにいい加減で不正確な知識をもって生きてきたかをつくづくと思い知らされる。 (略) でもまあしょうがないよね、世の中の知識や情報をいちいち律儀に頭に詰め込んでいたら、それだけで忙しくて、大事なことは何もできなくなってしまう。そう思って開き直っている。とはいえ、僕だって昔はそうじゃなかった。中学生の頃、少しでもたくさんの世界の知識を身に付けたくて、百科事典を最初から最後まで読破したことがある。よくまあそんな無謀なことをしたよなと思うけど、当時は知識欲にあふれた素直な少年だったのだろう。で、百科事典を読破してそれが何かの役に立ったかというと、とくに立ってないみたいだ。そのときに頭に入れたことは、みんなどこか遠い場所に吸い込まれて消えてしまったから。きっと人にとって一番大事なのは、知識そのものではなく、知識を得ようとする気持ちと意欲なのでしょうね。そういうものがある限り、僕らはなんとか自分で自分の背中を押すように、前に進んでいくことができる」

〇これは村上さんのことであり、別に中学生に「百科事典を読破しなさい」と言いたいのではありません(今は百科事典レベルの一般的な知識は、手元のディバイスですぐに調べられますので)。そうではなくて、むしろそんな無謀(むちゃ)なことをあえてやってみるということは中学生時代しかできないのではないかと思います。

〇人によって内容は様々ですが、もっと色んなことに挑戦したい、どこまで出来るか自分の限界を試してみたいなどのように、向上心をもってものごとに取り組むことで、自分の可能性が広がることを生徒達にも感じてほしいと思います。

〇明日の修了式には、日本が野球のWBCで優勝した話(MVPの大谷翔平選手が主役)は、昨日からテレビのどのチャンネルでもそればかり放送されていますので、あえて村上さんの話をしてみようと思います。

須藤昌英

 

3月22日(水)来年度からストローは使わずに牛乳パックのたたみ方も変更します

〇20日は本年度最後の給食でした。生徒も美味しそうに食べていました。午後には校長室に、給食調理を委託している業者の方々が今年度終了の挨拶に来てくださいました。私からは「おかげさまで、安全で美味しい給食を提供していただき、本当にありがとうございました」とお礼を申し上げました。新年度は4月10日が給食のスタートになりますので、約3週間は給食はありません。

〇令和5年度からは、ストローの使用を止めるのと牛乳パックの片づけ方法を変更します。まず牛乳パックは、写真のようにたたみますが、給食委員の説明に従ってやってみても、最初はなかなか難しいようでした。ある生徒は出来上がった後で、「まるでメンコのようだ」と言っていました。なるほどしっかりとたたむと、コンパクトで思ったよりも固くなります。

〇一方で私もこの半年はストローを使わないでいましたが、私一人だけでも、次のように溜まっています。ストローを使わず、パックの上部を手で開き、飲み口から直接飲めようにします。

〇「プラスチック問題」は世界でも注目されています。プラスチックは、加工のしやすさや高い耐久性などの特性から、生活のさまざまな部分で使われています。しかしプラスチックが燃やされるときに温室効果ガスが発生し、地球温暖化の原因のひとつになっています。またプラスチックの原料は、石油でその資源の枯渇につながることになります。さらに大量のプラスチックが海に流れ出て、海を汚染しているそうです。

〇それに対し、世界中で取り組まれているのがSDGs(持続可能な開発目標)で、17のゴールとゴールを達成するための169のターゲットで構成されています。世界的に有名な企業(マクドナルドやスターバックスなど)でも、プラスチック製ストローの廃止を発表したり、紙ストローに切り替わっています。

〇環境に関して問題意識を持たせることは、未来を生きる生徒たちにとって、当事者意識を促し、「自分ならどうするか?」の行動につなげられます。

須藤昌英

3月20日(月)学年末保護者会

〇先週の金曜日は、お忙しい中、学年末保護者会へのご参加ありがとうございました。保護者の皆様には、新しくなった体育館をご覧いただけて良かったと思っています。

【校長挨拶】

・お忙しい中、ご参加いただき、また日頃から本校教育活動にご理解とご支援をいただき、重ねて御礼申し上げます。先日は東京の桜が全国にさきがけて開花したというニュースもありましたが、本日は富勢中の桜も初めて咲き始めたのを発見しました。

・また今朝の5時には、自宅前の林から、名前はわかりませんが、鳥たちの鳴き声がこれまで以上に大きく響いてきました。今日は少し肌寒いですが、春も本番だなと感じます。

・朝や帰りに校長室前の道路を通る生徒の話し声も、鳥と同じで、今まで以上に楽しそうに聞こえてきます。人間はやはり自然の中で生きていると感じます。本校は樹木も多く、中庭にはたくさんの鳥たちが集っています。以前本で読みましたが、鳥たちは警戒心が強く安全性が最優先なので、木が多いからといって、それだけで集まってくるわけではないそうです。一番はその場の雰囲気を察知して、「ここにいて大丈夫?」と判断をしているそうです。そうなると、富勢中は、鳥たちも安心していられる空間であり、生徒が学ぶ場としては整っているのではないかと思います。

・お子様のこの一年間の成長はいかがでしたでしょうか?きっと良い面でも悪い面でも目覚ましかったと思います。成長は「変化」ですが、親として「好ましい変化と好ましくない変化」があると思います。中学生になると急に無口になったり、要件しか言わなくなったり、なんでもかんでも反抗的になったり。親としてはイラっときたりいつまでもこのままだろうかと心配になると思いますが、大丈夫です。反抗期は必ず終わります。

・本日の午前中に、1学年を対象に「いのちの授業」千葉県助産師会から講師を招いて行いました。次のアンケート結果をみてください。順調な成長をしていると思います。いつまでも親の言うことをそのまま行っているようですと、むしろその方が心配です。イライラするのは、自分でやってみようとすることが増え、そのすべてが思い通りにいかないのは当然であり、そこから湧き出る自然な感情です。

・特に面白いのは男女別の違い(次のベスト3)です。共通なのは、「人の気持ちを考えて行動するようになった」ですが、これも良い捉え方だけではありません。例えば自分の行動によってそれに対する親や教員の反応が予想されるので、本当はやってみたかったことをあえて止めてしまう場合もあります。いずれにせよすべて思春期特有の悩みです。私たちも大人もそういう時期があったのですが、今は忘れているだけです。

・私はよく、生涯学び続けていくためには、「素直(今の自分を大切にし、将来の自分に期待する心情をもっている)」であることが欠かせないと話します。こえは要するに周囲にどう思われようが、自分との対話ができるようになることです。しかしそれは外(親や教師)からは決して見えない部分です。

・いろいろと思春期の子をもつ親としての心配は当然ですが、少し距離ととりつつ、本人の表情が暗くなったり投げやりなつぶやきなどに気づいたら、「何か心配事があるなら相談してね」と声をかけてください。中学生くらいですと、自分でも何に困っているのかはっきりと認識しないでいることも多く、自分の言葉で自分の気持ちを相手に話したときに、初めて「ああ、自分は~で悩んでいるのだ」とそこで初めてわかる場合があります。相談されたら「なるほど、あなたは~で悩んでいるんだね。ではあなたは一体これからどうしたい?」と尋ねてください。絶対にしないでほしいのは、子どもの話を途中で遮ったり、聞いてすぐに助言することです。相談された方としては、はやくその子の悩みを解決してあげたいと思いますが、話した時点で大抵は自分で答えをもっていると思います。もしその自分なりの答えが言えたら、「わかりました。それではまずそうしてみて、また困ったら相談してね」とそっと返してほしいです。

・お手元のしおりにあるように、卒業生166名が1週間前の卒業式で巣立っていきましたので、来月の11日の入学式までは、1・2学年のみとなります。4月の保護者会でお話ししましたが、この一年間、生徒の将来にわたって「学び続ける力」を育成してきました。これは学校内だけで完結するわけではなく、コロナやウクライナ紛争などの社会的現象をどのように見ていくかなど、一方的な押しつけや教え込みではなく、生徒と一緒に考え、彼らが課題にしたり悩んだりしていることに対し、教育のプロとして伴走していくことを目指しました。

・来年度の年間行事予定表はまだ不確定な部分もありますが、1学期の中では、2年生林間学校は6/1(木)~3(土)、3年生修学旅行は6/19(月)~20(水)があります。これから詳細をお知らせしてまいりますが、ご承知おきください。

・最後になりますが、3/24(金)の修了式をもって、令和4年度の1年間が終わります。これまでのご協力とご支援ありがとうございました。来年度もよろしくお願いいたします。 

須藤昌英 

 

3月17日(金)小学校の卒業式おめでとうございます

〇本校の卒業式を行ってから1週間、今日は柏市内の小学校の卒業式が行われます。学区内の富勢小第123回、富勢東小第44回、富勢西小第40回の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。コロナ禍前ですと、中学校の校長も学区内の小学校へ出向き、直接お祝いをしていましたが、この3年間はできていません。

〇小学校の卒業式は、卒業証書を受け取ったあとの壇上で、卒業生一人ひとりの「決意・夢の発表」のような場面があります。それを見ていると「自分もあんなに純粋な気持ちの時があったな」と思い出すことがよくありました。一方で中学生になると進路選択を迫られる機会が増えるので、「夢をもちましょう」といっても、小学生の頃の夢とはかなり変わってきます。本来、夢はぼんやりとした方がよく、「〇〇学校へ行きたい」のように具体的になると、手段に近いものになります。

〇「夢」と一口にいっても、様々なとらえ方があり、例えば、スポーツ選手が、子どもたちに夢の話をする場合、努力すれば願いは叶うものなどを知ってもらうことが多いです。一方で、「夢」は狭い意味で「将来就きたい職業」を指すこともあります。「あなたの夢?」と聞かれて、「医師」「弁護士」「サラリーマン」・・・などと出てきます。しかし実際の世の中では、夢といえばこちらの方をイメージすることが多いと思います。

〇しかし中学生といえども、まだ具体的な職業上の夢を持たない生徒もいます。何かと急かして決めさせようとはせず、まずは「今の自分にももしかしたらできるかもしれない」という期待感を持たせていく方が自然だと思います。それが1つと限らず、優柔不断のようですが、「あれもこれも」と複数あった方が、学校での学習の興味も広がります。自分自身に希望を持つ生徒は、やがて将来の目標を見つけ、さらには実現させるための手段もたくましく見つけていくと思います。

〇そんなことを考えながら、事前に本日の卒業式に向けて、小学校へお祝いのメッセージをお届けしました。

須藤昌英

 

3月16日(木)学び続けるための夢や努力

〇今月に入り、野球のWBCが盛り上がっており、今晩も準々決勝があります。注目選手の筆頭はなんといっても大谷翔平選手(28歳)ですが、彼は私の長男と同じ年齢で、長男も幼いころから野球をしてきましたので、自分勝手にいつも大谷選手も自分の息子のような感覚で観戦しています。

〇彼が先日のインタービューで、「トップを目指すために必要なことは何ですか?」の質問に次のように答えていました。「何よりもやり続けること、やり続けるためには楽しむことしかありません」短い言葉ですが、まさにその通りだと思いました。よく彼のことを「野球をしている姿はまるで少年のようだ」と言う人がいますが、大好きな野球を心から楽しんでいるということだと思います。

〇また最近、なんのCMかは忘れましたが、大谷選手がこれまで失敗した具体的な回数を別々の人が言いながらつなげているものが放映されています。最初に見たときは、やたらと数字が出てくるので、何を訴えたいのか?わかりませんでしたが、彼が三振した回数や打たれたヒット数、怪我で試合に出場できなかった日数など、失敗というよりはここまでマイナス面があっても挫折してこなかったのは、これまで誰もやらなかった「二刀流をやるという夢があったからだ」とのメッセージなのだろうと思いました。そしてこれは先日の卒業式の式辞のなかで卒業生にも語りましたが、このコマーシャルを見た人は、「失敗の数だけ僕たちは成長できる」という最後のフレーズに、きっと苦労を乗り越える勇気をもらえる人も多いだろうと思います。

〇大谷選手というと以前から、彼が自分の目標達成をするために、「マンダラチャート」を作成していたことは有名です。これは目標達成するための具体的な項目を見える化した図の一種(フレームワーク)で、実際に高校時代の野球部監督の指導で高校1年時に、正方形の枠のど真ん中に、将来の夢「プロ野球の8球団からのドラフト1位指名」を書き、その周囲9×9の合計81マスに、細分化した目標(スキル、フィジカル、メンタル、人間性など)を配置しています。その実物の写真は良くネットで閲覧できます。高1とは思えないしっかりとした字で、内容も大人顔負けのものです。

〇夢といえば、北海道にある植松電機の社長さんは、「夢はどんどん変わるので、決して一つにすることはない。夢は一つではなく、多い方が互いにからまって実現する可能性が高くなる。夢をあきらめない秘訣は、自分の夢を外にどんどん語り続け、そうすると同じことをやったことがある人が自然に寄ってくる。やりたいことはやったことがある人とだけとは語りあえるので、『ぼくはこうやったよ』『それをやっている人は他にもいるよ』とだんだんとその和が広がっていく。世界には必ずそういう仲間がいるので、あきらめるのはもったいない」と言っています。

〇また「夢は見るものではなく、叶えるもの」という言葉もよく聞きますが、これはどちらかというと結果を残すという面に重点が置かれており、大谷選手のような誰もが認める成果を全員が達成できるわけではありません。むしろ昨日の「努力(ゆめ)」のように、コツコツコツと取り組んでいく過程に、今までに自分になかった考え方や能力が身についてくるのだと思います。そしてそのことが次の夢に向かっていくときに本当に役に立っていきます。

〇本校のテーマである「学び続ける富勢中」につなぐために、私も生徒に話をする際には、具体的な人の名前を紹介するように心がけています。そして日頃から本や新聞を読み、自分とは違う考えを持った人や素晴らしい実績を残している人から、その苦労や失敗談から学ぶこともその一つです。

須藤昌英

3月15日(水)努力努力(ゆめゆめ)

〇ここまで60年近く生きていて、初めて知ることもまだまだあります。先日もあるyoutube 動画を観ていて、「努力努力」と書いて「ゆめゆめ」と読むことを知り、久しぶりに「目から鱗が落ちる」とはこういうことかと感じました。

〇これまでも古い言い回しとして、「ゆめゆめ怠ることなかれ(決して怠ってはいけない)」などと、後ろに禁止の言葉をつなげて、「決して~するな」の意味で使われているのは知っていました。ただまさか「ゆめゆめ」を「努力努力」と書くとは思いませんでした。

〇「努力」とは、目の前のことを心を込めて行うことですが、この言葉から私の受ける印象は、どちらかというと親や先生から「努力しなさい」と言われてきたこともあり、とても窮屈で強制されるイメージです。昨日の「厳しくするか甘やかすか」の中では、外的コントロール(ほかから押し付けられた)に近いような気がします。同様の意味で私などは「精進」という言葉の方が「自ら(内的コントロール)」のイメージがもてるので好んで使います。こちらはもともとは仏教に由来していますが、日本語には仏教から影響を受けた言葉が多く、例えば「挨拶」「玄関」「経営」など普段から生活の中で使用されています。

〇まさに学校は生徒たちが「努力(精進)するための場」であり、失敗をしてもその原因を明らかにしながら、次の成長へつなげていくところですので、生徒にはチャレンジする気持ちをもってもらいたいと常々思っています。

〇「努力」と聞くと、まずアメリカの発明家(蓄音機や白熱電球など)の「トーマス・エジソン」の言葉が有名です。昔伝記を読みましたが、彼は大変な努力家で、新聞を売りながら自分でコツコツと貯金し、自分の実験室を作ったそうです。そのエジソンが「努力」について、「天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である」という言葉を残しています。

〇また相対性理論でノーベル賞を受賞した理論物理学者の「アルベルト・アインシュタイン」にも多くの格言がありますが、その中に「天才とは努力する凡才のことである」というものがあります。天才のように思われがちなアインシュタインですが、実際は努力によって多くのアイデアや真理を見出した人でした。

〇実は冒頭のyoutubeは、テレビなどのメディアにも過去に出演したことがありしかもアーティストでもあるお坊さんが、自分のお寺から毎朝発信していることを知って興味をもち、たまたま観たときに話をされていた内容です。平安時代初期の僧だった空海(真言宗の開祖:別名弘法大師)は、当時の日本におけるケタはずれの天才であり、書の達人、土木技術のエキスパートなどの複数の実績があります。空海が若い頃に遣唐使として中国に渡り密教について学び、帰国する際に、中国人の師匠から、「早く日本に帰って密教を伝えなさい・・・努力努力(ゆめ ゆめ)つとめよ」と言われたそうです。その後日本中で活躍されたことは有名であり、学区にある布施弁天東海寺にもその伝説があります。

〇「努力する」という考え方は、日本人の精神性に深く浸透しているもの、今の生徒には「努力しなさい」というよりも「自分の好きなことを究めなさい」と言った方がよいと感じます。好きなことはやっていれば楽しいし、楽しいから「夢中」になれるし、好きだからそれに熱中できて「努力」が継続できるからです。それが本来の「ゆめゆめ」の真意だと感じました。

須藤昌英

3月14日(火)厳しくするか?甘やかすか?

〇先日、富勢中ではありませんがある知り合いの保護者からお子さんに関する相談を受けました。「家庭内で中学生ともなると、親に言われことにはすぐに反発します。自分の部屋の片づけや家事の手伝いをすることなども注意するだけでなく、できるだけ本人の意思を尊重しようといろいろ手を変え品を変えやってみるのですが、なかなかうまくいきません。どうしたらよいでしょうか?」

〇おそらくその方の「うまくいきません」の本意は、「うまくコントロールできません」だと聞いたときに思いました。さらにコントロールするために、日頃から躾(しつけ)が大切で、その躾の対極が甘やかしなので、「甘やかしをすることなく、躾としての子どもの自主性を引き出す加減が難しい」という相談だった気がします。私もその気持ちはよく理解できます。「我が家でもそういうことがあったな」と昔を思い出しました。ただ同時に「躾によって中学生をコントロールすることは本当に出来るのでしょうか?」とも疑問に思いました。

〇躾(規律のコントロール)に関しては、20年前くらいに読んでいた本(アメリカのトマス・ゴードン博士著の「自立心を育てるしつけ:小学館」)が参考になるので、引用します。

「コントロールも実は分ける必要がある。一つは外的コントロールで、『ほかから押し付けられた』ものである。もう一つは内的コントロールで、自ら自分に課すものだ。他人がコントロールしてしつけるか、自分がコントロール(自己統制)して規律をもつ(自己規律)かの違いである。 (略) 自己規律のある青少年は必ず、かなりの自由を与えられている。なぜなのだろうか。それは彼らが自分で選び決定する機会をずっと与えられてきたからだ。大人に邪魔になる行動を子どもがコントロールして制限することを学ぶ、そうなるのは、大人が子どもに対して、同じ配慮をした場合だけだ。子どもが自己規律によってルールに従う、そうなるのは、自分にかかわるルールを決めるとき、子どもも一緒に参加する機会が与えられた場合である。子どもを一方的にしつけようとしても、規律を守る子どもになるわけでない」

〇また「コントロールせずに、子どもが行動を変えていくため」という章には、「子どもの行動を受容できず、大人が何を感じているか。そのことを非難がましくないメッセージで、子どもに話しかける、これが『わたしメッセージ』だ。」とあります。例えば『(あなたが)テレビの音をそんなに大きくするのをやめなさい』と注意するところを、『テレビの音がそんなにうるさいと、(わたしは)家族と話が続けられないわ』と変えて言ってみます。前者は子どもを批判する目的で、その行動をしている主語は「あなた(子ども)」ですが、後者はその行動で困っている「わたし(親)」を主語にして、非難(善悪の判断、価値判断、強制)するわけではなく、気持ちをストレートに伝えています。

〇さらに引用すると、「わたしメッセージを使うと、子どもは他人のことを考えずにしていた自分の行動を、変えたくなりやすい。子どもは自分の行動を抑えつけられたり非難されたりしない。そんなとき子どもは、自分の行動によって誰かが問題を抱えていると聞くと、より積極的に手助けし、自分の行動を修正しようとするものだ」「ふつうの会話はあなたメッセージに満ちている。これに気づくと、多くの大人はまずショックを受ける。自分は心にあることを、正直に話していたと思っているからだ。『私がいつも臨んでいたのは、自分の子どもに罪深いと感じさせることだった』」

〇私も担任だったとき、クラスの生徒を注意する際に、「生徒自身が間違っていることを深く反省させたい」と心の奥で望んでいたことを思い出しました。でもそれでは、当の本人は「何だか先生は怒っているみたいだけど、まあ言わせておけばいいか」程度しか感じていなかったことだと今は思います。冒頭の相談に対しても、そのような昔の私の失敗談をお話ししました。答えは、厳しくするのでも甘やかすのでもなく、こちらの気持ちを包み隠さず話すことかもしれません。そして子どもの自主性を信じていくには、こちらに心の余裕が必要だと感じます。

須藤昌英

3月13日(月)卒業式を振り返って

〇先週金曜日の第76回卒業式は、保護者の皆様にご来校いただき、滞りなく行うことができました。ありがとうございました。暖かったので式が終わり、校庭で楽しそうに写真を撮っている様子を見て、微笑ましく感じました。学校行事で最大かつ最重要な卒業式を終え、その日の夕方はホッとしましたが、もう一度週末に一人で振り返ってみると、いろいろな気持ちがわいてきました。

〇まずこの一年間を通して、卒業生が最上級生として一生懸命取り組んできた姿を間近で見てきましたし、全校のリーダーとして、在校生の手本となるように、様々な活動で努力し顕著な実績を残してきたことがとても印象に残っています。卒業生は、新型コロナウィルス感染症のパンデミック(世界的流行)による緊急事態宣言下で、入学前の2カ月間、自宅での待機を余儀なくされ、入学式も午前と午後に分けるなど、大きな制約の中で行われました。さらに誰もが経験したことがなかったとはいえ、コロナ感染防止に関することが手探りで様々に行われ、今思うと世の中全体が「混乱状態」であったと思います。そのような中で、卒業生は中学校生活を始めざるをえませんでした。またその後も自宅学習やオンライン学習を行ったり、学校行事や部活動等も大きな影響を受けました。この状況は、成長段階にある卒業生の心理にも窮屈さや閉塞感などの影を落としたと想像しています。人生経験のある大人であれば、当時の状況を論理的に理解しようとすればできたかもしれませんが、思春期の生徒たちはそういうわけにはいかなかったと思います。「何を信じればいいのか、どれが本当のことなのか?」と逡巡したに違いありません。

〇卒業生が生まれた十五年前の二00七年・二00八年には、昨年亡くなった安倍元首相が任期途中で突然辞任したり、アメリカが発端となった世界金融危機(リーマンショック)が日本にも大きな影響を及ぼしたりしました。その後も地球的規模で様々な問題が発生し、現在も世界のあちこちで対立や紛争が勃発し、地震や津波などの天変地異が絶え間なく起きています。グローバル化の進展や技術革新の加速によって、私たちは、社会、経済、環境など様々な分野において、前例のない変化に直面しています。昨年ロシアが隣国のウクライナへ侵攻したことも、遠い国の出来事ではなく、世界における日本の役割の見直しが求められたり、国内の物価が高騰したりするなど、私たちの生活に直接の影響があります。

〇しかしこのような状況だからこそ、卒業生は今まで「当たり前」であったすべてのことを一から見直したり、「これは何のためにやるのか」を意識するようになったりと、アフターコロナの時代で生きていくための資質や能力を身につけたと思います。実際に卒業生をみていると、できるのが当たり前ではなく、できることに喜びと感謝の心を持ち、さらに周囲の人に明るく接している様子が多く見られました。さきほどのように、心理的には大変なことも多かったはずですが、その分頼もしさを増していると私は見ています。

〇卒業証書授与では、一人ひとりに「よく頑張りました」「立派になりましたね」「体に気をつけて」「活躍を期待します」「高校生活を楽しんで」などと声をかけ、手渡しできました。受け取る表情は様々でしたが、心中は晴れやかだったと思います。また校長式辞の中で、「主体性をもつとはどういうことか」をメインテーマとして、話をさせてもらいました。今後の卒業生のさらなる成長を祈ります。

須藤昌英

 

3月9日(木)卒業式予行練習と3年生最後の給食

〇昨日の午前中、保護者席となるスペースに在校生(1・2年生)に座ってもらい、卒業式予行練習を行いました。今年は特に、証書授与の場面で、ステージに向かって左の壁に「クラス別の卒業生名簿」、右の壁に「卒業生の正面からの表情」をそれぞれプロジェクターで映写します。卒業生にはそれをあえて事前に伝えていませんでしたので、少し緊張感をもって真剣に取り組んでいました。

〇当日保護者の皆様には、正面のステージ上に立つお子様、左の「生徒名簿」、右の「胸上の表情」を交互に見ていただきたいと思います。

〇1、2年生も一昨日の3年生を送る会の時とは違って、フォーマルな式の雰囲気を感じ、厳粛な顔つきで卒業生の一挙手一投足を見つめていました。本日の午後に、在校生を中心に体育館の会場準備を行います。

〇3年生は中学校最後の給食でした。通常の高等学校や大学等には食堂があることはありますが、給食施設はありませんので、もしかしたら「人生最後の給食」になる可能性も高いです。私からは「もしまた給食を食べたければ、将来教員になってね」と何人かの生徒には話しました。

〇鹿野栄養士の話では、「海老フライは1600本揚げましたが、1回にフライヤーで45本弱しか上げられないので、調理員さんは朝から大変でした」と聞きました。海老フライも1本10㎝を超えてしかも太さもあったので、私などは3本を美味しくいただきましたが、午後に少し胸やけを覚えたくらいです。でも中には一人で5~6本食べた生徒もいました。みんな満足そうな顔をして食べていました。

須藤昌英

3月8日(水)富勢地区あいさつウィークと3年生を送る会

〇昨日から明日までの3日間、「富勢地区あいさつウィーク」として朝の挨拶運動を正門にて実施(7:40~8:05)しています。朝の通勤時間帯ですので、富勢小のお子さんをはじめ多くの車や自転車が行き来しています。「頑張れ富勢中」ののぼり旗を見て、「何ごとか?」と見ていく方も大勢います。生徒会役員のみなさんが、腕章を巻いて、明るい声で「おはようございます!」と呼び掛けています。

〇富勢中学校区4校合同(富勢中、富勢小、富勢東小、富勢西小)で行いますので、登校中の児童生徒を見かけたら、挨拶やお声がけをお願いいたします。先日書きました学校への不審者侵入防止も地域の見守りによって抑止力になります。実際に定期的にパトロールやあいさつ等の声掛け運動をしている町内会には、犯罪をさせない・しにくい環境ができており、不審者もそれを察知して避けることが知られています。やはり人の目が一番の防犯対策だと思います。

〇10日は中学校、17日は小学校の卒業式です。卒業生も在校生も残り少ない登校となります。保護者の方を含め、地域の方々に見守られ、これまで無事に登校できましたことに感謝いたします。ありがとうございました。児童生徒も感謝の気持ちをこめて挨拶をしますので、どうぞご協力の程よろしくお願いいたします。

〇昨日の午後、改修された体育館で、「こけら落とし」もかねて、3年生を送る会を生徒会主催で行いました。全校で集まるのは、昨年11月の柏市民文化会館で行った合唱コンクール以来4カ月ぶりです。理由などなく「学校っていいな!」と感じた2時間でした。

プログラム

1 3年生入場

2 生徒会からのあいさつ

3 生徒会発表1(思い出ムービー:先生方から)

4 1学年発表

5 生徒会発表2(部活動からのメッセージ)

6 2学年発表

7 記念品贈呈(印鑑)

8 3学年発表(ベートンベン第九:ドイツ語)

9 生徒会長の話

10 校長先生の話

11 終わりの言葉

12 3年生退場

〇校長の話の中で私からはいくつかの話をしました。「今日の会のテーマは感謝ですが、感謝というのは人間にとって最もハイレベルな精神活動で、お世話になった方に喜んでもらいたい、楽しんでもらいたいと行動に移すことが尊いです」「3年生はこの数カ月、自分の進路を決めるというチャレンジをしてきましたので、その経験が今日の佇まいに表れていて成長した姿を見せてくれています」「3年生を送る会を別名を予餞会(よせんかい)といいます。卒業式を前にあらかじめ下級生が3年生をお祝いするという意味ですが、今日までを3年生と呼びましたが、この会が終わった明日からは卒業生と呼ぶことになります」「富勢中は素晴らしい学校でそれをつくっている君たちは素敵だと思いました」「明日の卒業式予行練習には在校生は保護者席に座ります。来年、再来年は自分たちの番だとイメージしながら参加してください」

 須藤昌英

3月7日(火)花粉の飛散と3年生を送る会の準備

〇この時期になると、浮かない表情の生徒をよく見かけます。その原因は、年々増えてきている子どもの花粉症だと感じます。コロナのマスク常用で最近はあまり目立たなくなりましたが、飛散時期には花粉対象のマスクをしたりメガネでガードしていたりする生徒を見るのも珍しくなくなりました。外に出て体を動かすのがおっくうになったり、室内にいても学習や諸活動に集中できなかったりすることが、本人が一番つらいだろうと思います。

〇スギ花粉飛散のピークは、東京では3月上旬から下旬で、特に今年は大量飛散が見込まれるところが多いため、ピークの時期も長くなる可能性があるとのことです。スギ花粉のピークが終わる頃になると、次のヒノキ花粉のピークが始まるところが多くなります。東京では4月上旬から下旬にかけてヒノキ花粉の飛散のピークを迎えるらしいです。私の住む我孫子もまだ小さいですが杉林が点在しており、車のボンネットに花粉が積もって黄色く見えるほどです。家族などはそれを見るだけで「ゾッとする」と言っています。

〇せっかくの春の陽気も楽しむどころか、暖かい日ほど花粉症の人にとっては、むずむず、くしゅくしゅ、じゅるじゅる、涙ぽろぽろという状況であった方も多いようです。少し調べましたら、簡単な花粉症対策として、外出から戻ったら顔を洗う方法があるそうです。目の周りや鼻の周りには花粉がついていて、それを洗い流すと吸入する花粉の量が減るのでけっこう楽になるそうです。私は幸いまだ花粉症ではありませんが、顔を洗うとすっきりと頭がさえるので、一日に何度か水で洗うことがありますが、先日、つらそうな顔をしている男子生徒に教えてあげました。ただ女子生徒はなかなかそういうわけにはいかないと思いますが・・・。

〇昨日の放課後に、本日の「3年生を送る会(3送会)」の会場設置とリハーサルを生徒会役員が中心となって行いました。心のこもったあたたかい会になることでしょう。

須藤昌英

3月6日(月)学校への侵入を防ぐ

〇先週の水曜日、埼玉県戸田市の中学校の教室に侵入し、教員を切り付けたとして高校生の少年が逮捕された事件がありました。学校はちょうど定期試験の最中で、幸い生徒にけがはないようでしたが、高校生に対応した男性教員が生徒らを避難させた直後に複数回刃物で切りつけられていたとのことで、怪我をされた教員のはやい回復を祈るばかりです。

〇警察によりますと、少年は調べに対し「誰でもいいから人を殺したいと思った」と供述しているということです。また少年は先月、近隣の公園などで猫の死骸が相次いで見つかった事件についても関与をほのめかしているということで、関連について調べています。

〇学校には多くの方々が、様々な用事で訪れます。しかし、その中には非常に希ですが、正当な理由がなく校地や校舎に立ち入ろうとする不審者がいます。対策の一つとして、校長室には防犯カメラの画像がありますが、生徒の通る通路など数か所の限られた場所のみで、またもちろん常に画像を見ているわけにはいきませんので、それをもとに緊急対応できることは困難な状況です。再度対策の検討が必要です。

〇千葉大学の藤川教授は、先日の千葉日報で今回の事件の分析を次のように語っています。参考になるので、引用します。

「2001年の大阪教育大学付属池田小の児童殺傷事件以降、文部科学省は学校の安全対策を進めてきた。池田小の事件を繰り返さないことが学校現場の目標だった。しかし今回の事件で、少年は3階教室まで入り込んだ。学校の入口は通常、生徒が使う昇降口と職員と来校者用の玄関があるが、どちらを使っても目立つ。どこからどうやって入り、なぜ3階までいけたのか。検証し対策が必要。一方、教員が怪我をしたことは残念だが、生徒を守れたことは大きい。(略)危機管理は何かを起きたときに被害を最小限に防ぐことが重要。試験を止めても生徒を守るという判断や教員同士の連携ができていた。」

〇藤川教授が指摘するように、生徒を犯罪被害から守るため、必要な体制等を整備し、不審者かどうかを確実にチェックする必要があります。また凶器などを持ち暴力行為を働いた場合や働く恐れがある場合には、警察へ通報も含めて迅速に対応しなければなりません。具体的には、まず不審者かどうかを見分けるポイントとして、受付を通り来校者用の名札等をしているか、受付を無視したり、不審な言動をしていないかがあります。また不審者と思われる人を見たら、声をかけて用件をたずねて用件が答えられるかまたそれが正当なものか。保護者と名乗るなら、生徒の学年・組・氏名が答えられるか。教職員に用事がある場合は、氏名、学年・教科等の担当が答えられるか。さらに通常の順路を外れていたり、不自然な場所に立ち入っていないか。凶器などの不審な物を持っていないか。不自然な行動や暴力的な態度はみられないか。

〇正当な理由のない者には、丁寧に校地・校舎内及び周辺からの退去を求めます。素直に応じた場合でも、再び侵入する恐れがないかを見届ける必要があります。私も過去に勤務した学校で、そのような経験があります。さらに退去しない場合、再び侵入しそうになった場合には、速やかに、持ち物や暴力的な言動の有無を確かめるなど次のチェックに移ります。退去を求めても応じない場合には、生徒に危害を加える恐れがないかどうか速やかに判断する必要があります。

〇ハード面(防犯カメラや人の配置など)は限界があり、万全な体制は難しいです。しかしソフト面(校門を閉める、校舎内を巡回するなど)では、まだできることはあります。安全な学校に向けて、教職員と努力していきます。

須藤昌英

(校長室の防犯カメラ映像)

3月3日(金)桃の節句と最後のレク(3学年)

〇今日はひな祭りですが、この時期に学区の富勢小、富勢東小、富勢西小にお邪魔すると、それぞれ玄関に七段飾りがあり、その華麗さに魅了されしばらく見入ってしまいます。ひな祭りの別名は、「桃の節句」です。確かに我が家のひな飾りには、もちろん造花ですが桃の花があります。ただ残念ながら本校には桃の木はありません、その代わりに各色の梅の花が満開です。

〇少し調べますと、桃の花が飾られるのは、中国においては、桃の木が邪気をはらったり、子孫繁栄をもたらしたり、その実が不老長寿をもたらす仙木と考えられていたからということです。また昔は日本でも子どもが生まれると人形をつくって保管し、3~4歳ごろになってから川へ流すという時代もあったようですが、時を経て人形がだんだんと豪華になっていくにつれ、流さずに飾って毎回仕舞うようになったそうです。

〇日本には5つの節句(これを「五節句」)があり、季節の変わり目でその邪気を払い、無病息災を願う伝統的な年間行事です。 五節句は、1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日、(1月7日を除いて同じ奇数が重なる日)です。 1月1日の元旦は別格とされ、1月7日が節句に取り入れられています。

〇日本でも明治時代には、生後1年未満の子どもの死亡率は10~20%だったというデータがあるそうで、そうなるともっと以前は子どもが3歳まで生きられる確率はかなり低かったと推測されます。そのため本来の厄払いの行事が、いつしか子どもの健康と成長を祈る行事になったのも自然な流れなのだと思います。

(我が家のひな飾り)

(富勢中の梅の木)

〇本日は3年生の給食はないので、昨日のうちに「金目鯛の白焼き・ちらし寿司」のメニューで、全校生徒全員の健やかな成長をお祝いしました。特に菜の花のすまし汁のナルトには「寿」の文字が入っていました。

〇3年生は昨日の1・2校時に、学年レクを校庭(ドッジボール)・体育館(長縄跳び)で行いました。今のクラスと2年前の1年時のクラス(同窓会)の両方で楽しんでいました。運動を久しぶりにする生徒も多く、怪我をしないか心配してみていました。実際に過去に勤務した学校で、この時期に怪我をして卒業式に松葉杖で出席した生徒もいました。

〇本日は公立高等学校入学者選抜の発表があります。朝から希望どおりの結果が出るように祈っています。

須藤昌英

3月2日(木)いのちの授業(3学年)

〇昨日の3・4校時、千葉県助産師会から上級思春期相談員の足立千賀子先生をお招きし、体育館で3生生に「いのちの授業」を行いました。卒業式を来週に控え、「いのちや性」について深く学ぶ機会を通し、生徒の将来に役立つ講話をしていただきました。

〇冒頭の講師紹介の中で、私からこの授業の意義を伝えました。「君たちはみんな15歳で、私の4分の1しか生きていませんが、今日はその15歳の君たちにこそ聞いてもらいたい話を講師の先生にお願いしています。ところで人生を季節になぞって、4つに分けて表現することを聞いたことがありますか?君たちはまさに「青春(せいしゅん)」の真っただ中ですが、この青春は普段からよく使われていますね。青春の次は「朱夏(しゅか)」で、だいたい25歳から社会で活躍する50歳すぎまでの期間です。その後私のように60歳前後になると「白秋(はくしゅう)」と呼び、さらに高齢になると「玄冬(げんとう)」となります。つまり色でいうと若い順に「青」→「朱(赤)」→「白」→「玄(黒)」と変わっていきます。今日の話の中で、「思春期」という言葉が多くでてきますが、まさしく青いイメージですね。先週末に中学校の同じクラスでしかも同じ野球部だった親友の告別式に参列しました。その友は私と同じ6月生まれですが、その時強く思ったのは、『人生のスタートはほぼ同じでも、人生の終わり(ゴール)はバラバラなのだ』ということです。今日の講師の足立先生は、いつも命が生まれる現場に立ち会っていますので、今日はそのご経験も踏まえて、君たちへ大切なメッセージを届けてくれます。しっかりと聞いてください。」

〇親や教員が伝えにくいことについても、足立助産師さんはプロならではの説明をしていただきました。講演会後に生徒は「わかりやすい説明で、自分や周りの人たちのからだが、とても大切であることを再度確認できました。」と感想を述べていました。

須藤昌英

 

 

3月1日(水)卒業式の練習(3学年)

〇今週から3学年は特別日課を組んでいます。その中で次のような各クラスの実行委員さんを中心に、10日の卒業式練習が始まっています。クラスでの基本練習と学年全体で改装された体育館での学年練習を並行して行っています。

(運営・企画) 学年委員

1組江村さん、西本さん 

2組和田さん、重信さん 

3組神木さん、久寶さん 

4組伊藤さん、吉岡さん 

5組飯島さん、勝田さん

(記念品贈呈・答辞)生徒会本部

4組長谷川さん 1組藤田さん 2組高橋さん

〇最初の練習の冒頭に、学年主任の柳教諭から3年生に対し、「マスクの着用について、本番当日は『自分は~する』と今から考えてほしい。周囲の人を見て判断をするのではなく、自分なりの根拠をもって決めてほしい」との呼びかけがありました。確かにマスクの着脱の件一つでも、政府が個人の判断に任せると明言しているのに、中には「自分で判断するなんて政府は無責任だ」と考えている大人もいます。しかし本当にそうでしょうか?その人は、少し大げさに言えば自分で考えることを放棄し、何か人から指摘されたときに、「国が決めたことだから・・・」と言い訳ができるようにしているだけかもしれません。

〇少なくとも3年生には、学校や先生、保護者などから言われたからその通りにするのではなく、いろいろな人の視点に立って(想像力)、自分はどうすべきかを考えること(創造力)はとても重要であり、そういう経験を通して、「自立・自律」した大人に成長してほしいと思います。

〇また卒業式は学校行事で最も重要で、フォーマルな場ですので、最初は礼法や作法の確認を行います。これもあくまでも基本を教えますが、あとは自分なりのその基本動作を応用し、堂々と参加してもらいたいです。生徒に指導した主な点として、

1 座る姿勢(頭をむやみに動かさない)

男子:足を自然に開き、拳は軽く握って膝と股関節の間に置く

女子:足を閉じ、手は重ねて膝と股関節の間に置く

2 座る→立つの動作 (「卒業生、起立」の号令)

背筋を伸ばす(立つ準備)をして、スッと立つ。

3 立つ姿勢(手は体側に)

踵をつけて、つま先は拳1つ分程度開き、視線はまっすぐ遠く。

4 座礼と立礼(若者らしく)

腰を基準にして、1・2・3で45°程度曲げる

5 歩き方(手は自然に振る)

「パタパタ」と音をたてるのはNG、まっすぐ遠くを見る。

〇「ずいぶんと細かい所まで教えるなあ」と感じるかもしれませんが、卒業式は彼らにとっても3年ぶりのことであり、知らないことや忘れていることも多いものです。最初は各所作の意味や社会人の常識みたいなものまで含めて説明し、だから「~しなさい」ではなく、教わったことを生徒自身が自分でかみ砕いて考えることが最も重要です。

〇一番生徒が緊張していたのが、卒業証書授与の場面です。初めてステージにあがると、ぎこちない動きでしたが、みんな一生懸命取り組んでいて、みていて清々しい気持ちになりました。予行練習では、保護者席に在校生を座わらせて、本番の緊張感で最後の確認をしていきます。

須藤昌英

2月28日(火)学校欠席連絡等システムの導入に係る費用の補助

〇2月も今日で終わり、明日からは3月に入ります。春本番のような陽気が梅の花の満開をもたらし、それによってくる鳥の数も格段に増えています。年度の終わりの月は、卒業式や修了式があり、生徒たちの成長した姿を確認できる場があります。人の成長の凄さをその身をもって私たちに示してくれる中学生は、まさに「未来からの留学生」であり、彼らの無限の可能性はこの国の希望です。

〇今年度は昨年4月からLINEを利用して欠席等を連絡する「つながる連絡」を試験的に導入し、9月からご家庭に月50円の費用負担をお願いしたかたちで、本格的な運用をさせていただきました。これにより、保護者側と学校側の両方の負担も大幅に軽減でき、今後もよりよい運用をしたいと考えています。

〇先日、今後このシステムを使用することにつきましては、これまでの保護者による受益者負担等ではなく、保護者に費用等において負担はかけず、柏市がその分を補助するという見通しになりました。しかし補助はとりあえず令和5年度内で、令和6年度以降については現時点未定ですが、市としてシステムの一括導入を行うことを検討しているそうです。もちろんその際も費用負担はないようです。

〇このシステムは欠席・遅刻・早退連絡やアンケート機能等だけでなく、学校から保護者に対して連絡・お便り配信ができるものであることで、保護者側はお子様がプリント等を渡し忘れたりしても閲覧可能だったり、学校としても印刷の費用(紙代、インク代など)を抑えられたりするなど、メリットがあります。

〇このシステムは安全性が確保されているクラウドサービスを利用しており、これが「柏市教育情報セキュリティ対策基準」に即していることや第三者認証(ISO/IEC27017,ISO/IEC27018,他これに準じる認証)を取得していることで、市も補助を考えたとのことです。

〇富勢中学区では、中学校が「つながる連絡」、小学校が「スクリレ」を利用していますが、特に後者の「スクリレ」はこれまで、お便り配付は無料でしたが、欠席連絡などは有料オプションでしたので、中学校の「つながる連絡」と同じことができるようになります。ただし先ほどのように令和6年度は柏市で統一したシステムになるようです。

〇4月より本校に入学される新1年生につきましては、「つながる連絡」の利用をお願いいたします。新年度に入ってあらためてご案内・ご説明いたします。

須藤昌英

 

2月27日(月)富学協の全体会議

〇25日の土曜日に、今年度最後(年4回)の「富勢中学校区学校運営協議会(富学協)」が、「こども未来支援 みらいのボクら かしわ教室(柏市布施1190-2)」をお借りして行われました。私も初めて入らせていただきましたが、会議の冒頭に所長さんから、施設についての説明をしていただきました。「生きる力を育てる」を基本理念に児童発達支援事業を通し、子どもたちが将来、自分らしく個性が輝いて生きていけるように、社会性を育てつつ、未来について考え、夢に向かっていきていけるように支援をしているそうです。先日の市立柏病院もそうでしたが、地域にこのような施設があることは素晴らしいと思いました。

〇1日10名を定員としており、各専門家(ソーシャルスキルトレーナー、児童行動心理士、保育士、遊び発達インストラクター、介護福祉士、看護師、言語聴覚士、公認心理士、理学療法士、作業療法士など)から、一人ひとりに寄り添った支援が受けられます。これだけの専門の方々がチームとなって、ロールプレイゲームや体験的活動、将来ビジョントレーニングなどをしているそうです。特に気になったのが、「外活動では、静と動の時間を大切にし、座って話を聞く、見る、話すなどの五感を使う」ことを行っていることで、やはり人間(特に乳幼児から小学生)は、自分の身体と自分の意識が適切につながっていることが重要だと確認できました。

〇富学協の主な議題として、1、令和4年度学校評価について 2、授業参観の感想について 3、令和5年度の委員継続について 4、令和5年度の組織体制について 5、富勢学区あいさつ運動について 6、令和5年度入学式の出席について などがありました。

〇私からは、今年度の生徒の様子や学校評価の分析、1月の授業参観の報告、10日の卒業式(新体育館で開催)の予定を説明しました。本来ならば学校の応援団として出席していただきたいところですが、残念ながら卒業式は来賓等をお招きはしないことを説明し、了承していただきました。

〇富学協の今年度の最後の具体的活動として、「4校合同の朝のあいさつ運動」を実施することになりました。日時は、3月7日(火)~9日(木)の3日間 午前7:40~8:00で、各校の正門付近で、児童生徒と委員、地域住民に協力を得て実施します。また4月の入学式には、富学協が学校を校外から運営する側として位置づけられていることを広く伝えるためにも、従来の来賓としてではなく、学校のサポーターとして委員が入学式に参列したいことも了承されました。

〇涌井会長は常々、「この富学協は、座布団のように地域の子どもたちをやさしく下から支えつつ、風呂敷のようにやさしく包み込むことを目指しています。」と言ってくれています。金曜日に「社会に開かれた教育課程」について書きましたが、身近な社会であるこの富勢地域の方々が学校をやさしく見守ってくださることに感謝しています。

須藤昌英

2月24日(金)社会に開かれた教育課程

〇「社会に開かれた教育課程」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?保護者や地域の方々、ましてや生徒のみなさんはあまり耳なじみがないと思います。現行の学習指導要領の基盤となる考え方で、もちろん我々教員は知ってはいますが、実際にはどことなくお題目的になっている面もあり、定期的にその意味や真意を学びなおす必要があると感じています。

〇これは、学校の教育課程を通じて、生徒たちが社会や世界とつながり、よりよい社会と幸福な人生を自ら創り出していける力を積極的に育もうとするものです。教育の目的として「人格の完成」などを基軸に据え、次代を担う子供たちが人間や社会の望ましい在り方を主体的、創造的に描き出し、それを実現できる資質・能力を育むことを目指そうとしています。

〇ではなぜ、今「社会に開かれた教育課程」の実現が求められるのでしょうか?世界のグローバル化の進展や人工知能(AI)の急速な進化など、社会の様々な領域で激しい変化が加速度的に進んでおり、将来を予測することは誰にも難しくなっています。生徒たちを含め我々は変化する社会の中に生きており、その社会の変化は我々に大きな影響を及ぼしていることは実感できます。しかしその一方で、これまでになかった豊かさや便利さなどを享受する反面、多くの困難な問題に直面しています。例えば、対立や紛争、環境の変動、資源やエネルギーと持続可能な発展、少子・高齢化、貧富の差の拡大といった問題は、私たちの生活や生き方に影響を及ぼし、人類の未来にも関わっています。

〇そもそも学校では、校長が責任者となって全教職員が協力して教育課程の編成を行います。その際、校長と教職員が「社会や世界の状況を幅広く視野に入れ、よりよい学校教育を通じて社会を創る」ことについて考えていくことが大切であるのは言うまでもありません。そして生徒たちに、社会とのつながりを意識し、現実社会の問題に向き合い、自分の問題として解決に向けて考え取り組むことを求めるのであれば、まず教職員がそのような意識に立つことが必要です。教職員がこうした意識を共有して教育課程を編成・実施しその様子を社会に発信することが、目指す教育の理念を社会と共有することにつながります。

〇「社会に開かれた教育課程」のポイントとして、「これからの社会を創り出していく生徒たちが、社会や世界に向き合い関わり合い、自らの人生を切り拓いていくために求められる資質・能力とは何かを、教育課程において明確化し育んでいくこと」が指摘されています。また学校の教育目標の設定に当たり、教える側の視点だけではなく、生徒の視点に立って「何ができるようになるのか」を明らかにする必要があります。それらの意味をこめて一言で表したのが「学び続ける富勢中」です。

〇この雑感ブログに関しても、「校長先生、ご自身の私的なことも含めていろいろ書いていますね」と感想をいただくことがあります。私も校長としてだけでなく、一市民としてこの社会で生きていますので、本校の様子(閉じたせまい学校)だけをお伝えするのではなく、学校と社会のつながりを意識して書いています。ですので「雑感」としていますが、ただ漠然としてではなく、そのつながりを強調しているつもりです。

〇社会のつながりの中で学ぶことで、生徒たちは、自分の力で人生や社会をよりよくできるという実感を持つことができます。このことは、変化の激しい社会において、生徒たちが困難を乗り越え、未来に向けて進む希望や力になります。そのため、本校は一番身近な社会である富勢地域と連携・協働した教育活動を充実させることを目指してきました。これからもよりよい学校教育を通じて、よりよい社会を創るという目標を学校と地域とで共有していきます。

須藤昌英

2月22日(水)学年末テスト(1・2学年)

〇昨日と今日、3年生の千葉県公立高校入学者選抜に合わせて、1・2年生は今年度最後の定期テストを受けています。朝の登校時間にも参考書などを手に抱えている生徒も多く、意気込みが感じられます。一生の中で一番、知識や技能を脳に蓄えたり身につけたりすることの出来る時期ですので、今の自分を考えるとうらやましい気がします。

〇一学期にも書きましたが、そもそも勉強は「復習」に主眼をおくべきで、覚えられる範囲をストレスなく覚えること、これが記憶の性質に適した学習方法です。比でいうと、『予習:学習:復習=0.5:1:4』が理想的だそうです。脳の海馬という部位に入ってきた情報が溜まっている期間は、情報の種類によって異なりますが、短いと1か月程度です。海馬は情報を1か月かけて整理整頓し、『何が本当に必要な情報なのか』を選定しています。もし入ってきた情報を際限なく記憶していくと、脳のキャパシティーはいっぱいになり、パンクしてしまうということでしょう。

〇心理学者ビネーは、「脳はインプット(入力)よりもアウトプット(出力)を重要視している」と指摘しており、復習の中で手で書いたり口で話したりすること(アウトプット)で、海馬に「この情報はこれほど使用する機会が多いのか、ならば覚えねば・・」と判断させ、「短期記憶」から「長期記憶」に格上げさせることが有効な方法のようです。つまり「詰込み型(ガツガツと一方的に覚える)」よりも「知識活用型(余裕をもって双方的に身体を使ってみる)」の方が効率的だということです。そのようなことから教科書や参考書を何度も見直すよりも、問題集などを何度も解く復習法の方が良いと言われています。

〇つまり毎回の定期テストも「1つのアウトプットの機会」と考えられます。テストへ向けて準備をしてきたことを一気に押し出すように解答用紙に吐き出すイメージでしょうか。ただし私もそうでしたが、学習したことを正確にアウトプットするのも結構大変で、「失敗(不正解)」することも多々あります。しかしまたその失敗が脳に強い刺激を与え、「あのとき失敗したからこそ今ではそのことをきちんと覚え理解できている」ということもあります。生徒たちの奮闘を期待します。

須藤昌英

 

2月21日(火)千葉県公立高等学校入学者選抜

〇本日と明日、千葉県立及び柏市立高等学校の学力検査が行われます。昨日の給食は「味噌カツ丼」で、勝負事の前の「験担(げんかつぎ)」として縁起のよいメニューを全校生徒で食べ、3年生の合格祈願をしました。その後5校時、各教室にて事前指導を行いました。さすがに前日ということもあり、みんな少し緊張している表情もありましたが、無事に自分の力を出し切れるように祈っています。

〇事前指導では、確認事項(時間、持ち物や身だしなみなど)に加え、「トラブル対応」も指導しました。

【受検票を忘れた】

・あわてずに受付に申し出る(学校名、氏名、受検番号)

・受検票は合格発表の際も必要なので、大切に保管する

【電車やバスを乗り間違えた】

・できるだけ公共交通機関を利用する(感染症対策で車の場合は保護者判断)

・もし間に合いそうになかったら、直接志望校に連絡する

【体調不良(感染の疑い)】

・前日までに判明した場合には、富勢中に連絡する

・当日の場合には、直接志望校に連絡し、その後富勢中にも連絡する

(味噌カツ丼を食べる3年生)

(事前指導を真剣に聞く3年生)

〇千葉県の入学者選抜の歴史をさかのぼると、今から37年前までは、一部の専門学科を除きすべての普通科では、1回のみ(2日間で行う学力検査等)でした。その後当時の文部省の通知で「受験機会については、同じ高等学校においても定員の一部を留保して、入学者選抜を2回にわたって実施するなど、受験生に複数の機会を与える工夫をすることが望ましい」とあったのを受けて、昭和61年度から平成14年度までは、「推薦」と「一般」に分かれ、徐々に募集定員に対する推薦枠を拡大(普通科で最大40%)していきました。

〇さらに平成15年度から22年度は、「推薦」に変わり「特色ある入学選抜」が導入され、生徒の多様な能力・適性等を多元的に評価するようになりました。そしてその理念を継承しつつ、3年前までは、「前期選抜(2月中旬)」と「後期選抜(2月下旬)」の2回行っていました。確かに受検生にとっては2回受けられるという精神的な安堵感や受験パターンを戦略的に構築できるなどのメリットはありました。

〇上記のような入学者選抜の推移をみると、単純に言えば今の制度は40年前に戻っているということですが、中学校の校長としては、いつまでこのような選抜を行うのか・・、志願者はすべて入学させるような制度はいつになったら構築されるのか・・、少なくともそうなるための選抜方法の議論を不断に継続してほしい・・などの疑問や要望があります。

〇学力検査(国語・社会・数学・理科・英語)以外の検査については、各高等学校が決めて実施しています、いくつかを紹介します。

・面接(複数の面接官と受検生の個人面接や集団討論など)

・適性検査(作文・小論文を書く、運動・音楽の技能の検査など)

・自己表現(当日にパフォーマンスや実技等を行うなど)

・思考力を問う問題(論理的思考力や表現力などを問う内容)

〇過去には2月は雪の影響などで、受検会場に行くことを心配したことがありましたが、今日と明日はそれはないので、寒さ対策をしっかりして、全力を出してほしいです。

須藤昌英

(昨日の下校の様子「頑張っておいで~」)

 

2月20日(月)富勢地域の医療拠点

〇先週、年1回の人間ドックを受診してきました。10年以上前から学区内の柏市立柏病院で行っていますので、朝出勤し、自転車で向かいました。コロナは少し落ち着いたとはいえ、待合室には大勢の方が診療を待っていました。病院には、今年度も数回、生徒が校内外で怪我をした際、緊急で受け入れてもらうなどお世話になっています。

〇生徒たちの前にたつ教職員には、学校保健法第十五条で、「職員の健康診断」として、「学校の設置者(柏市)は、毎学年定期に、学校の職員の健康診断を行わなければならない」と定められています。未来ある生徒たちに、万が一でも影響がある病気を保持していないようにチェックし、さらにはエネルギーに満ち溢れている生徒たちに寄り添うための健康を保つことが必要です。

〇私が教育委員会事務局でコロナ対応をする中で、「子どもの学びを止めない」ことを目的として、市内の教職員に、優先的にワクチン接種をすることを企画しました。実際にどうやっていくかと思案した結果、柏市立柏病院長の野坂先生にお願いし、複数の医師と看護師を派遣していただいたことは、今でも大変有難かったと思っています。

〇ドックを受診中に、病院の広報誌「かし和」が廊下にあったので、何気なく手にとると、冒頭に「やっかいないこと」と題して野坂病院長の話がありました。同地域で、一つの施設・学校を預からせていただいている身として、自分の考えと似ていて共感したり大変参考になったりしましたので、一部を引用させてもらいます。

「昨年9月ころからコロナの規制が徐々に解除され、比較的自由な雰囲気を味わえる新年でした。昨年はコロナの流行に加え、ロシアのウクライナ侵攻で気の重い年になりました。私が子どものころ、アメリカ・ソ連の冷戦で核戦争の懸念はありましたが、まさか人類全体が破滅するような馬鹿なことは起きないだろうと、楽観的な雰囲気でした。そしてこのまま科学が進み21世紀になれば、戦争や飢餓はなくなり、世界全体が平和で豊かになるのではと無邪気に考えていました。(略)しかしその後も戦争や紛争がなくならないことを見ると、争いごとは人間社会から容易に消えない厄介なことのようです。平和への絶え間ない努力で、戦争の発生や拡大が何とか抑えられるかどうかというものなのでしょう。さらに社会の中には、混乱や紛争を利用する人たちもいます。私たち個人個人にできることは限られていますが、単純明快で心地よい発言者には十分な注意が必要です。」と現状を分析しています。

〇さらに専門の医療に関しても、

「感染症に関しても、科学が発達したら薬で治るだろう、怖い感染症は世界からなくなるのだろうと子どものころは思っていました。その後さまざまな薬が作られましたが、感染症は依然人類の大きな脅威です。季節性インフルエンザだって馬鹿にできません。新型コロナ流行前、日本でも年間数千人以上が季節性インフルエンザで亡くなっていました。子供も感染で亡くなるのは、インフルエンザの怖い点です。今後新型インフルエンザが出現すると、だれも免疫を持っていないため、今回のコロナと同様世界的なパンデミックを引き起こす可能性があります。戦争も感染症もいつでもどこでも起きるのだと肝に銘じ、不断の警戒が大切です。」と書かれていました。

〇以前から病院を建て替える計画がありましたが、前市長が一旦計画を白紙に戻してから、その後は大きな進展はありません。地元としては「現地建て替え」を強く要望しており、今後の推移を見守るしかありませんが、富勢地域の大切な医療拠点であることは確かです。

〇人間ドックの結果は加齢による身体機能の低下以外に、大きな欠陥はなく、ホッとしました。人間の身体も体育館の長寿命化工事のように部品を新しくできればいいのですが、そういうわけにもいかないので、今の身体を大切にしていくしかありません。

須藤昌英

2月17日(金)まもなく体育館長寿命化工事が終了

〇昨年の夏季休業から約7カ月続いた体育館の改修工事が来週には完了する見通しです。暑かった1学期の終業式で、全校が集まったのが最後で、今思うとけっこう長い工事期間だと感じます。

〇この改修工事の正式名称は、「柏市学校施設長寿命化改良工事」といいます。柏市は昭和40年代後半~50年代に児童生徒数が急増し、小中学校が次々と開校しました。同時期に開校するということは、一斉に老朽化しますので、建築後30年を経過するものが柏市の学校施設全体の約8割を占めます。「長寿命化改良事業」とは、文部科学省における公立学校整備事業の1つで、その趣旨として、建物の耐久性を高めるとともに、省エネルギー化及び多様な学習内容,学習形態に応じた学習環境の提供など,現代の社会的要請に応じた施設へ改修することです。

〇では建て替え工事ではなく、長寿命化改良工事にしたときのメリットはというと、3つあります。1つ目は、コスト削減(建て替え工事による莫大なコストを抑えられる)、2つ目は、工期短縮(学校教育活動の影響を最小限にしなければならない)、3つ目は、環境配慮(工事による廃棄物量や二酸化炭素の排出量を減らすことができる)です。もし建て替えとなると、すべて壊してからの再建築となりますので、工事期間は1年以上かかるそうです。

〇今回は、鉄骨などの躯体の老朽化対策やライフラインの更新、さらに耐久性に優れた材料への取替などを行いました。またトイレをはじめ生徒たちが使用しやすいように、細かい部分も改良もしてくれています。教育委員会立ち合いのもと、建築業者からの完成引き渡しを受け、今校舎の方に一時的に避難していた教材・教具や椅子・長机などを入れる作業に入ります。こけら落とし(新築または改築した劇場などで行われる初めての興行)は、来月の「3年生を送る会」となる予定です。

〇この長寿命化工事にも、多額の市民の税金が使われています。生徒は外から見た工事の進捗状況はもちろん知っていますが、そこで働いている人の苦労やそもそもこの建て替えは誰が何のため企画し、その資金はどうなっているのか?までは、想像できていないと思います。そのことを含め、使いはじめにあたって感謝の心をもつことや税金がないと社会が成り立たずに、不便なことになること、将来は君たちも「納税者」となって社会を支えていくことなどを話したいと思います。

須藤昌英(やっと梅が咲き始めました。梅も青空が背景でうれしそうです)

 

2月16日(木)新聞の活用(読むと作る)

〇昨日に続いて新聞について書きます。林間学校や修学旅行などの校外学習では、事前学習や活動のまとめとして、個別や班別に新聞を作成しています。昨日の新聞記者と同じような経験をしたり友達の記事を読んで参考にしたりと、人に情報を伝えることの楽しさと難しさを学びます。しかし昨日も書きましたが、家庭での新聞購読率が低かったり、普段からじっくりと新聞を読んだことがないため、事前に新聞を書くための基本的な指導はしますが、どうしても見出しのインパクトがなかったり、伝えたい内容が絞り切れていなかったりする場合も散見されます。

〇現学習指導要領では、「新聞活用」が明記され、学校では教科などでもできるだけ新聞を使った授業に努めています。ただ全国学力テスト(中学校3年生対象)の結果では、「新聞をほとんどまたは全く読まない」という回答が中学3年生で約8割近くに及んでいます。そもそも新聞を読むという習慣は、ある意味「自分から必要な情報をとりにいく」という積極的行動であり、次のような「受け身の姿勢」とは異なるものです。

〇日本新聞博物館の尾高泉館長は、ある教育雑誌の中で、「ニュースや広告の方から自分を探して届けてくれる今の社会では、若い層はとっくに自分の関心のある情報が快適に届くようにスマホを最適化し、その傾向は生活全般者に広がりつつある」と指摘しています。確かにいつの間にか「レコメンド(表示)機能」と呼ばれるものがあり、最初は違和感がありましたが、日常化してしまうと「当たり前」となります。例えば通販サイトからは、「この商品を買った人はこんな商品も買っています。」みたいな通知がやたらときたり、ニュースについても見出し的な内容が示され「詳しくはこちらから」みたいなある意味「お節介」とも感じるサービス?があったります。

〇この機能は、ウェブサイトへのアクセス履歴などの膨大な情報を取集し、利用者と類似した商品やカテゴリに関心を持っている他の利用者を関連づけ、グループ化し、類似した利用者がよく見ているが、利用者がまだ見ていない商品を表示させる仕組みであり、データ活用という面では画期的だとは思います。

〇尾高館長はさらに、「各自が関心のある情報だけに接していけば、決して異論に出会うことはなく、対話や協働はバラバラになる。こうした問題は『エコーチャンバー(自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくる【反響室】のような狭いコミュニティで、同じような意見を見聞きし続けることによって、自分の意見が増幅・強化されること』や『アテンションエコノミー(人々の関心や注目の度合いが経済的価値を持ち、まるで貨幣のように交換材として機能する状況で、日本語では【関心経済】と訳される』と呼ばれ、社会の分断化、民主主義の劣化の要因ともなっている。研究者らは、『ニュースダイエット』を呼びかけ、「選択的ニュース回避」と呼ばれる人々のニュース疲れの傾向は、各国共通だと指摘する」と書かれています。

〇今のSNS社会の中で私たちは、新型コロナ感染症蔓延になってあらわになったように、真偽があやふやな大量の情報が一気に拡散し、それによって多くの人たちがその情報に振り回され、時にはいがみあったり傷つけあったりしたことを身近に経験してきました。昨日も書いた便利なネットニュースの情報源は、聞いたところによると、各新聞社とポータルサイト側が契約してWEB向けに文字数やタイトルを再編集したニュースの提供を受けているようですので、まだ信頼性はありますが、その他の個人サイトで書かれている情報が「本当に正しいのか」については、疑いの目をもっていくことも重要です。

〇冒頭の話に戻ります。生徒が新聞を書くということは、自分を当事者として自分が経験したことや考えたことをまとめるということから、これからの時代には欠かせない資質を養うことにつながります。そしてさらにそのことを通して、読んでいる記事の情報源や信ぴょう性を想像する力にもなると思います。

〇最後に三度、尾高館長の言葉です。「哲学者の三浦雅士氏が、『考える身体』で言うように、身体と思考はつながっていて、新聞を読む(つくる)習慣づくりが身体の発達と不可分である」参考にしていきたいと思います。

須藤昌英

 

2月15日(水)新聞の役割と有効性

〇学校の玄関に毎朝届く新聞(全国紙:朝日新聞、地方紙:千葉の2紙)は、丁寧にビニールがかかっており、毎回そのビニールを破る際に、早朝にここに届くまでに、どれだけの人の手間と苦労があるのだろうと想像します。

〇私の若い頃の教え子で、その後記者となった生徒から、裏話を聞いたことがかつてありました。24時間を問わず事件や事故の現場に行き、人の話を聞いたり取材をしたりする(時にはそれが朝から晩まで続く)ことから始まり、その後その取材内容を記事にするための下書きをします。これがまた身体の苦労以上の気苦労があるようです。そして書いた記事に内容や誤字脱字などのミスがないかを責任者のチェックを受けるのだそうです。私などもこのブログで短い文章を書いていますが、多くの方が読むと思うと、言葉や内容に結構気を使いますので、そのプレッシャーは何となくわかります。OKになった記事と写真を見やすいようにレイアウトし、真夜中に印刷工場がフル回転で印刷したものが、各家庭に配達されます。

〇ただこの時代に新聞を家庭でとっている割合は、聞くところによると5割を大きく下回っているそうです。その主な理由としては、「ニュースはネットやテレビで見るから、新聞なんていらない」です。確かに今は、いろいろなポータルサイトにも、気になるニュースがランキング形式で随時更新されていたり、私などもスマホにニュースをまとめて読める便利なアプリを入れたりしており、「知らなくて困る」ということはありません。むしろスピード感があり、それで満足している気がします。しかしそれだけで、「新聞は不要」ということにはなりません。

〇少し調べますと一例として、日本よりもアメリカではいちはやく「新聞離れ」が起きたようです(アメリカでは全国紙より地方紙がメインとなっている)が、地方紙が経営難に陥り、廃刊が相次いだようです。原因の一つは、広告費がネットに流れてしまったこと。すると思いもよらない事態に発展しました。地元の選挙を報道する新聞がなくなったため、その影響で立候補者などの情報が有権者に伝わらなくなり、誰に投票していいのかわからなくなり、選挙の投票率が激減したようです。さらに地域のニュースが報じられないため、地元の政治への関心も失われ、最後は不正を監視し伝える記者がいないことで、不正が報道されることもなくなり、不正や汚職が横行したということです。

〇日本でも同じことが起こるかどうかはわかりませんが、社会の動きをいち早く伝え、事実の核心に迫るため、先ほどのように記者の方々は日々、取材に駆け回っています。常に目を凝らし小さな変化を見逃すまいとしています。記者がいることで、人々は政治などについての情報を得ることができ、権力者の不正に歯止めがかかっています。「ペンは剣よりも強し」ということわざの通り、新聞は民主主義を下支えしていると言えます。

〇一方で教育に新聞を活用することも行われています。NIE(Newspaper in Education)とは、学校などで新聞を教材として活用する活動です。アメリカで始まり、日本でも40年前くらいから取り組まれています。今では教育界と新聞界が協力し、社会性豊かな青少年の育成や活字文化と民主主義社会の発展などを目的に掲げて、全国で展開しています。

〇新聞の強みは、事件・事故はもちろん、政治、経済から文化、スポーツまであらゆる分野の情報が網羅され、その一つ一つの記事が複数の目による厳しいチェックを経て世に出ている、「信頼性の高いメディアである」ことです。新聞を学校や家庭での学習に活用することで、社会への関心を高め、自分ごととして考えを深めることにつながります。ネットニュースの長所ではありますが、ニュースをはやく知ることだけを重要視してしまうと、深くその背景や今後の影響について考える機会を失います。本校でも生徒の学びに、新聞をどのように生かしていこうかと思索しています。

須藤昌英

2月14日(火)社会とのつながり(小さな貢献)

〇12日の日曜日、柏駅近くの献血センターで400mlの献血をしてきました。1回で400mlをすると、最低でも12週以上は間隔をあけないと次の献血はできませんので、多くても年間3回が限度です。終わってから次の予約は5月7日としました。

〇私は20歳くらいから不定期(気が向いたら程度)に献血をしていましたが、それが定期的にするようになったのは、今から15年くらい前、勤務していた小学校の児童がある病気で緊急で多くの献血が必要となり、職員や保護者に協力依頼があったのがきっかけです。私は残念ながら血の条件が合わなかったので、その時は献血できませんでしたが、世の中には血を必要としている人が身近にいることを再認識したわけです。

〇日本赤十字社のHP をみてみると、「国内には、輸血を必要とする人が年間約100万人いると言われ、集められた血液の80%以上は、がんや白血病、再生不良性貧血などの病気と闘う人のために使われています。血液は人間の生命を維持するために必要な成分であり、体から一定量が失われると命に関わります。また、血液の持つ機能が正常に働かなくなると病気になったりします。このような患者さんを救うために輸血が必要となるのです。しかし、科学が進歩した現代でも血液は人工的に造ることができません。また、血液は生きた細胞であるため、長期間保存することができませ。患者さんに安定的に血液を届けるために、健康な皆さんの献血へのご協力が毎日たくさん必要なのです。病気やけがで輸血が必要となってしまうことは、皆さんが思っている以上に身近におこることです。輸血によって命をつなぐ人がいます・・・輸血によって笑顔を取り戻す人がいます・・・このような病気やけがと闘う人たちを救えるのは、献血ができる健康な皆さんだけなのです。」とあります。

〇特に、「科学が進歩した現代でも血液は人工的に造ることができません。」というところがいつも心に残っています。ここまで科学が発達すると「人間はなんでもできるというような錯覚」に陥りがちですが、これを読むたびにとんでもない間違いだと感じます。

〇200ml献血は、男女ともに満16歳以上からできますので、中学校3年生も今年から可能になります。最初は少し怖いかもしれませんが、チャンスがあったらチャレンジしてもらいたいです。しかし今、新型コロナの影響で10代~20代前半の献血ご協力者が激減しているそうです。具体的には、東京都内の昨年の9月中だけで、必要な献血人数に対し、献血協力者が2300人も下回り、緊急事態になっているのだそうです。

〇ではその解消の手立てとして、「善意などの社会規範に頼るのではなく、献血者に何らかの報酬を支払うことはできないのか」という議論もかつてはあったと聞きます。確かにそうなると協力者は増えるかもしれませんが、「血を売る」のようなマイナスのイメージが広がったり、それで生計をたてたりする人が出てくる可能性も否めません。難しい判断です。

〇現在は献血者には、一般企業(飲料物、製菓、製紙、洗剤、医療、電機などの会社)からの寄付による品物が献血後に配付されています。私も待合室で好きな飲み物や菓子を無料で飲食させてもらったり、帰る時にはこれまでですと、ティッシュペーパー、ウエットティッシュ、マスク、消毒液、食器用洗剤などの実用品が多かったですが、最近では回数がある程度になると、モバイルバッテリーやらワイヤレスイヤホンなどもいただくこともあったりました。もちろんそれを目当てにはしていませんが、もらえるのはありがたいですし、それを社会貢献として各企業がバックアップしてくれていることも実感しています。

〇献血の年齢制限は69歳までとなっています。個人的な社会貢献として、年間3回としてもあと10年で30回しかできません。そのためにも健康を維持していこうと思います。

須藤昌英

2月13日(月)梅の開花が待ち遠しい

〇金曜日の雪とはうって変わり、一昨日と昨日は、過ごしやすい暖かい日でした。自宅近くを散歩していても、その姿よりも先に淡くて良い匂いが漂っているので周囲を見渡すと、あちこちの梅の花(赤、白、黄)が咲き誇るっているのを発見します。「春が足音もたてずに近づいている」と思います。

〇本校にも中庭に数本の梅の木がありますが、こちらは花のつぼみはパンパンに膨らんでいますが、残念ながらまだ1輪も開花していません。2月に入って毎日観察していますが、環境として午前中に日差しがあたりにくく、気温もやや低めなのかもしれません。

〇梅は桜とよく比べられますが、梅の方が開花時期がはやく、「寒さを耐え忍んで咲く」というイメージがあります。厳しい状況でも美しく咲くので、つつましくても昔から人々の思いが寄せられてきたのだと思います。事実、平安時代には梅に関する多くの和歌が詠まれました。

〇特に有名なのが、学問の神様と言われる菅原道真(845年~903年:平安時代の公卿・漢学者・文人)が詠んだ

「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)」です。この和歌は、菅原道真がいいがかりともいえる罪をきせられ、九州の太宰府へ左遷される際、大事にしていた梅の木を前にして心をよせるように詠んだ作品だと、中学校の国語の時間で習い、当時に暗唱して覚えたので、今でも強く印象に残っています。

〇おおよその意訳としては、「春風が吹いたら、お前の匂いを(京から太宰府まで)送っておくれよ、かわいい梅の花。私(主人の菅原道真)がいないからといって、春を忘れてはならないぞ」くらいでしょうか?「東風(こち)」がなぜ春風のことであるのかは、少し調べましたら中国の自然哲学「五行説」からきているそうです。春という季節は、東の方角と関係が深く、同様に「東南西北」が「春夏秋冬」にあたるそうです。

〇菅原道真は天才的な学問の大家で人柄もやさしく、多くの人々から尊敬されていましたが、当時の政権幹部からその名声を疎まれ、あらぬ罪で左遷されました。本人には政治的な意図はなかったとされますが、京の都で学問を究めるという本懐を果たせず、さぞ悔しい思いをしたことでしょう。その大宰府での生活は大変きびしくみじめで、気候や風土が変わったためもあり、最後は体調をこわし、都に残した妻子にも会えず、一説によると西暦903年2月に59才で亡くなったそうです。今から1120年前の2月です。その後、京都では雷が落ちて火災がしきりに起こったり、伝染病がはやったり、よくないことがつづいたので、人々は菅原道真の霊がこのようなたたりをしているのではないかといっておそれたという話も有名です。

〇昨年の修学旅行でも、何クラスかは3日目に、京都の北野天満宮(菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社)に受験祈願供養で参拝しています。個人の参拝ですとお守りが多いですが、団体での参拝でしたので、学業成就の札をいただいてきました。私も現在、菅原道真公が亡くなった年齢と同じで、もちろん比べることはおこがましいですが、生徒の「学び続ける姿」をかげながら応援しています。特に金曜日に志願倍率も発表された来週の公立高校受検には、3年生全員が自分の力を出し切れるようにと願っています。

〇合格することをよく「桜咲く」と言いますが、梅は可憐な花が咲いてその香りに特徴がありますので、「梅香る」がぴったりだと思っています。そういうことで、今年の梅の花はいっそう待ち遠しいのかもしれません。

須藤昌英

2月10日(金)英語の交流授業

〇昨日の5時間目に、富勢東小6年生と本校1年3組とをオンラインで結び、交流授業(英語)を行いました。小学生1名と中学生2名がグループになり、まず小学生が各自作成した「小学校の思い出のスライド(英語で作成)」を聞いて、その内容について中学生が質問をしました。それぞれ立派な説明態度で、準備はさぞ大変だったろうと思いました。

〇次に小学生から中学生に、中学校生活についての質問があり、中学生が「本音」も含めた答えを返していました。1年前は同じような小学生だった彼らが、中学校生活を経験し、後輩のみなさんに話ができるところまで成長したのだと感じました。

〇小学生の主な感想としては、

「中学生と話すのは最初緊張しましたが、相手の2人の中学生は優しく話を聞いたり、質問に面白く答えたりしてくれたので、うれしかったです」

「私は英語はあまり得意ではありませんが、私の発表を中学生がよく聞いてくれたので、自分としてはよくできました」

「ほとんど中学生と話をすることはありませんが、今日の授業を終えて、自分もはやく中学生になりたいと思いました。部活動は●●を希望しています」

〇中学生の感想の振り返りでは、

「小学生が作成したスライドやそれを英語で説明することにびっくりしました。私たちももっと英語を話せるようにならないといけないと思いました」

「小学生の言葉遣いも丁寧で、自分たちの日常生活でも気をつけていきたいと思いました」

〇4月からは同じ学校で学ぶことになります。この交流を通して、「先輩になるという自覚」をもつことを期待します。

須藤昌英

2月9日(木)鳩の巣作り

〇今週の月曜日、校長室脇の生徒玄関の入口のひさしに、小型の鳩のつがいが一生懸命巣をつくっているのを発見しました。きっかけはやたらに下に小枝が落ちているので、見上げてよく観察すると、2羽の鳩が入れ替わりたちかわりに枝を運んでは、一か所に集めている姿をみたことからでした。これまで燕の巣などは見たことがありましたが、鳩は初めてです。

〇私の中では、鳩は古くから平和の象徴とされてきたという知識が先立ちます。例えば広島や長崎の平和記念式典では、平和を祈っての鳩の放鳩(ほうきゅう)が行われる場面をよくみます。また手品師がハンカチから鳩を出すマジックを昔はよく見ましたが、私も結構好きで見入ったものです。手品も平和の象徴の一つともいえます。ただ一説によると今は動物虐待になるので行わないようです。

〇調べてみると、鳩は雨風のあたらない高所で、かつ狭いところに巣を作る傾向にあるそうです。このような場所は天敵が来づらく身も隠せるため、よく巣を作るのでしょう。ただし鳩はいきなり巣を作るわけではなく、最初は安全そうな場所を慎重に見つけ、しばらくして慣れてくるとエサや仲間を待つ待機場所として使うようになり、最終的にはねぐらとして利用するようになります。なお本来の鳩は、木や岩陰などに巣を作っていましたが、街中にすむ鳩は建物を代わりにして巣を作っているということです。

〇ただ良いことばかりはないようで、鳩が巣作りをした後の対策は厄介なことがあると書かれていることも多いです。鳩には「強い帰巣本能があること」と「鳩が鳥獣保護法によって保護されていること」の2点が原因のようです。最近はあまり見ませんが、個人で自分の庭に「鳩小屋」を作っている人もいます。そして伝書鳩のレースに出場することを目指している人もいました。それはこの強い帰巣本能を人間が利用しているからです。ですから一旦、巣を作ると鳩を追い出そうが、巣を撤去しようが、伝書鳩と同じように戻ってくるそうです。

〇また鳩は鳥獣保護法によって保護されているので、許可なく捕まえたり、傷つけたりするのは違法となります。鳩は春先に巣を作ることが多く、基本的に鳩は年中繁殖できる高い繁殖力を持っていますが、暖かくエサも豊富な、子育てしやすいこの時期に巣を作りひなを育てようとしているのでしょうか?

〇平和というと、いまだにウクライナ紛争も終わりが見えませんが、自然災害の大地震でトルコやシリアですでに1万人以上の死者が出ているようです。人が歩いているすぐそばのビルが目のまえで崩壊していく映像をみると、もし数メートル先のそのビルの中にいたら・・と思うと、人の命があるか失われるかなどは、ほんの少しの違いなのだと感じます。富勢中に巣をつくっている鳩が、「平和の使者」であるように・・と思います。

須藤昌英

 

2月8日(水)千葉県公立高等学校入学者選抜にかかる出願

〇今日から3日間(10日は午前中のみ)、千葉県立及び柏市立高等学校の出願手続きがあります。基本的に公立高等学校へ出願できる条件は、「県の内外を問わず、他の公立高等学校を出願していないこと」ですので、入学願書にはそのことを校長が証明する欄があり、私がすべて捺印しています。出願方法は一部のWeb出願を除いては、郵送か直接持参になりますが、本校では生徒本人が受検する高等学校に出向くことにしています。出願をしない3年生については、2時間授業の後、下校となります。

〇出願する高等学校の所在地は、柏市9校、我孫子市2校、鎌ヶ谷市1校、流山市4校、野田市2校、松戸市6校、千葉市2校と広域になります。朝いったん登校し、担任などから出願書類を受け取って、志願先の高等学校へ徒歩や公共交通機関等を使って行きます。学力検査等の当日の下見を兼ねるねらいもありますので、身なりを整えて礼儀ある態度で行くように、学年職員で指導しています。

〇出願期間が終わる10日の金曜日に、志願倍率が発表されます。その倍率を参考にし、1回に限り、志願の変更の手続きをすることができます(2月15日、16日)。ただしこれは無暗に行うと返って生徒本人に心の動揺(変えることにはチャンスとリスクの両方がある)が残ることもありますので、慎重に行わなければなりません。

〇この2つの手続きが終わったら、あとは21日と22日の学力検査等の当日になります。生徒のみなさんには、「最後は自分のやってきたことを信じて」と言ってあげたい気持ちです。不安を感じない人など一人もいませんので、自分だけが不安だと思わないでほしいのと、私の経験からは、他の学校から出願した人はみな「自分よりも出来そう」などに見えるので、たまたま同じ学校を受検した人は、ライバルというよりは「同志」だと思って、「お互い頑張ろう」くらいの気持ちでいる方が、気が楽になると思います。

〇本番直前にあえてこれまでの生活スタイルを変えるのは好ましいことではありません。気持ちはわかりますが、最後の追い込みとして深夜まで勉強をしようとする生徒が時々いますが、そのことが自分にあっているのか否かと思いあぐんだり、寝不足になったりと精神的・身体的負担がかかります。新しいことを取り入れようとする気持ちをあえて抑えて、今までの生活リズムを貫いていった方が良いと思います。

〇伝統的に中学校の教員には、『十五(歳)の春は泣かせない』いう言葉が伝わってきています。義務教育9年間を終え、新たな進路先を自分で選ぼうとしている3年生。合否の結果は我々にはどうすることもできませんが、本人が努力してきた力を精一杯出し切れるように祈るしかありません。

須藤昌英

 

 

2月7日(火)SNSの悪用の背景

〇インターネットは多方面で私たちの生活を豊かにしてくれていますが、世の中はますますその便利さを追求し、何時でも欲しいものがあれば注文して自宅まで届けてくれたり、わからないことは手元のスマホで検索すれば、それなりの情報(情報元の信用性は別にして)が得られるようになったりしています。

〇連日報道されている「広域強盗殺人事件」の指示役が、外国からSNSで遠隔操作をして、日本全国で白昼堂々の強盗が金品だけでなく、人の命も奪う悲惨な事件に心が痛みます。自分の手は汚さずに、インターネットで「裏バイト」などと称して若者を募集する手口は、ひと昔前では考えられなかった事件です。犯罪に優劣はありませんが、やむにやまれぬ事情から犯してしまったものと、このようにギャンブル的に社会への影響を深く考えもせずに行ったものでは、同じ犯罪でも質の違いを感じます。

〇また若者による飲食店での悪質ないたずら(いたずらの領域を超えた威力営業妨害)をアップしている動画も10年以上前くらいから途絶えません。学校でも過去の同様の事件がいかに社会全体にわたって迷惑をかけ、何より自分自身が後の人生を台無しにすることを繰り返し「情報モラル授業」の中で教えています。しかし彼らもそれらが違法と「知識」としてはわかっていても、その場の雰囲気や安易な楽しさを求める気質によってのみ行動をしてしまい、少し時間が経過してから反省をするのでしょう。しかし今回は被害を受けた大手回転すしチェーンは、本人たちの謝罪を一切受け付けず、刑事告訴をするようです。「ダメなものはダメ」ですから彼らを可哀そうと思う気はありませんが、どうしたら事前に自分にブレーキをかけられるような教育ができるのだろう?と考えてしまいます。

〇最後はもっと身近な市内中学校でも実際に様々なトラブルが多い現状です。一例として、女子生徒へ「裸の画像を送ってほしい」とLINEを送った男子生徒は、もともと友人にそそのかされてやったことでしたが、送られた女子生徒がその内容を周囲の生徒たちに暴露したところ、送った男子生徒はそのことがきかっけで、今学校に行けなくなっている事案があります。またこちらは警察が入った案件ですが、友達のTwitterを乗っ取り、持ち主になりすましてクラスの女子生徒にわいせつ画像を送り付けた事案が報告されています。これはいたずらを超えた犯罪行為です。どちらの案件も、要求されたり送られたりした相手の気持ちなど微塵も考えずに、面白がって「相手の反応をみたい」という短絡な動機が共通点です。

〇冒頭に書いた便利さでいうと、我々がもはや「当たり前」と感じているスマホなどの便利なツールは、知らないうちに「何かにすぐにパッと飛びつく習性を嫌でも身に付けてしまうこと」に直結しています。そして便利さの裏返しとして、自分はその場から動かずにスマホやパソコンで「何でもできてしまう」という錯覚に陥りやすいのでしょう。そうなるとその先を想像してから行うことがなく、気づいたら取り返しのつかないことになってしまうのだと思います。生徒たちに、「便利さ」の影の部分をどう伝えていくか・・。日々考えています。

須藤昌英

2月6日(月)物価高騰の影響

〇学校は教育活動を円滑にするために、常に様々な出入りする業者と綿密に連絡を取り合い、教材や備品の購入や施設管理に関する依頼などを行っています。先日、旅行業者の担当の方と今年の6月に実施する予定の林間学校(2学年:長野県方面)と修学旅行(3学年:奈良・京都方面)についての見通しを話し合いました。

〇コロナの感染については、5月以降に季節性インフルエンザと同等の扱いになる予定なので、少し明るい兆しですが、一方で一番懸念されるのが、物価高騰の様々な影響です。先日は電気料金の値上げの影響について書きましたが、もっと幅広い影響があります。

〇まず交通費では修学旅行で使用する東海道新幹線は、団体料金で決まっていますので、しばらくはそのままだろうと思います。一方で大型バスの使用料金ですが、これは国の規定で使用する日数や行先の距離によって決まっています。林間学校は2泊3日、修学旅行は3日目に京都市内を半日、その後東京駅に着いてから学校までの間(約1時間)に使う予定です。担当者から聞くところによると、バス業界も燃料費や人件費があがっている現状から、今後国に値上げの申請をしていく可能性もあるということです。しかし申請してもすぐには認められないので、今年中には直接の影響はないという見通しですが、その先は不透明だそうです。

〇宿舎(ホテル・旅館)については、すでに昨年度中に一定の条件のもとで契約を交わし予約済ですので、料金は変わらないと思いますが、もしかしてそのサービスの内容に影響があるかもしれません。私から業者を通じて、宿舎側には食事やその他に質の低下がないように、申し入れていきますが、そのような心配をしなければならない状況です。

〇その他では林間学校では利用しませんが、修学旅行では事前に学校から宿舎へ、また宿舎から自宅に各自の荷物を送ったりするので、宅配業者に依頼します。これも先日大手の宅配業者が値上げを発表していましたので、その影響を注視し、必要に応じて対処していきます。

〇いずにせよ5クラス160名前後の生徒を学校外で、2泊3日の体験をさせるには、それなりの費用と配慮が欠かせません。旅行業者の担当者も、「コロナになってもう学校の教育旅行(旅行業界ではこう呼んでいます)はなくなってしまうかもしれないと思っていました」と正直に話していましたが、昨年から元にもどりつつあります。旅行業者は旅行のプロですので、任せるところは任せつつ、今後もよく連絡をとりあって、生徒たちの思い出づくりの準備をしていきます。

須藤昌英

2月3日(金)節分と心に住む鬼

〇明日の立春の前日である今日は「節分」です。他にも立夏、立秋 立冬の前の日はすべて「節分」の日ですので本来「節分」は年4回あります。その中でも春は新年の始まりでもあることや希望をもつという意味合いから、一説によると室町時代以降、特に春の節分が重視されるようになり、一般的に「節分」というと立春の前日を指すようになったそうです。

〇「節分」とは「季節を分ける」という意味ですので、明日からは「新年(初春)」となりますので、今日は通常のカレンダーにおける大晦日と同じと言えます。中国では「春節」としてお祝いを盛大にするのをニュースで見かけます。

〇新年を迎えるにあたり、鬼を退治するために豆が使用されますが、一説によると、「魔(ま)を滅(めっ)する」という語呂合わせから「まめ」をまくようになったようです。また日常でも「まめによく動く」などで使われるように、「まめ」という言葉には「体が丈夫で気が利く」という意味もあり、節分に使われる豆は「福豆」と呼ばれ縁起が良いものとされています。千葉県などは特産の殻付きの落花生を使うところもあると聞いたことがあります。あすなろ学級では、昨日豆まきの練習をしていました。

〇ではその鬼とは何を象徴しているのでしょうか?よく言われるのが、自分の心の汚い部分や弱い部分です。自分だけが得をしようとしたり、相手を貶めたり意地悪をしたりする人は、あらためることも必要でしょう。ただそれに気が付いていない場合も多いので、少なくとも人に指摘されたら、「素直」に自分を振り返ってみることだと思います。これは子どもたちへの戒めとしてではなく、私たち大人の心に棲みつく鬼とどう向き合うかだと思います。

〇また先日も「心の弱さ」については、それと誠実に勇気をもって向き合い、気づいたことをためらわずに、これからの生き方に活かす「素直さ」について書きましたが、自分の行動面で、普段からだらだら過ごしたり、なまけ心に勝てなかったりすることなどが鬼と捉えられるかもしれません。いずれにせよ自分を制御(コントロール)できるか否か、生涯の課題とも言えます。

〇豆まきの時には一般的に、「鬼は外、福は内」と言いながら豆を投げますが、これは鬼(厄や邪気)は家の外へ、福(幸運や福の神)は家の中へどうぞ、という意味が込められています。私も子どもの頃は単純な構図でわかりやすかったですが、中学生くらいになると、「そんなに都合よく悪いものは遠ざけ、良いものだけ近くにもってくるなんて、横着でしかない」などの考えも出てきたり、さらに大人になると、ありのままの自分を受けとめて「ぼちぼち生きていこう」と思えるようになり年齢によって変化があるものです。今は自分の内面を観察した結果、ありのままの気持ちから「福は内!鬼も内!」の方がしっくりくるようになりました。

〇今日の給食には節分にちなんで、イワシと豆がメニューにあります。昔は家庭でも鰯の頭を焼いて柊の枝で刺した「柊鰯(ひいらぎいわし)」を家の玄関などに飾る風習があった記憶があります。鬼が家に入ろうとした時に、鰯を焼いた強烈な臭いで驚かせ、柊の棘で鬼を刺し追い払うための魔除けの儀式だと親から教わりました。また年齢の数だけ豆を食べることも、大豆は良質なたんぱく質ですから身体に良いとわかっていても、さすがに私は60個は食べられないです。

〇近年?は恵方巻(節分の日にその年の神様がいるとされている方角「恵方」を向いて食べる太巻き寿司)が主流になりました。我が家でも子どもたちが小さいときは、豆まきよりも恵方巻を食べて喜んでいました。時代は変わりますが、ともかく明るく立春を迎えたいものです。

須藤昌英

2月2日(木)給食と音楽

〇今週に入り、インフルエンザの流行の兆しが見えます。先週までは隣の学区で流行しているとの情報がありましたが、いよいよ来たかという感じです。日曜日まで感染拡大防止のため、部活動を原則中止とします。ただし週末に大会が予定されている部活動は、個別に連絡しますが、対外試合ですので、十分に配慮して行います。

〇本校の給食の時間は、12:40~13:10です。その時には放送員会による昼の放送があります。最初に今日の献立を読み上げ、「残さず食べましょう!」と呼び掛けています。また時には、「○○委員会からお知らせ」などがあり、配膳が終わりちょうど食べ始めたころに、生徒からのリクエスト曲を流しています。

〇ジャンルとしては、映画音楽、J-POP、K-POP、洋楽、アニメソング、TV.CM、季節の音楽、卒業特集などですが、曲の年代は昭和から令和まで幅広いです。当然のこと最近の曲はあまり聞いたことのないものも多いですが、この10ケ月間でびっくりしたのは、天地真理やピンクレディー、島倉千代子など、私が子どもの頃に流行った歌謡曲や演歌などもあり、我々の年代は懐かしい思いがしますが、「果たして中学生はどんな気持ちで聞いているのだろう?」と思います。

〇ただ最近は、若い人たちの中で「昭和」を見直す機運がたかまっているようです。実際に大学3年生の娘(平成14年生まれ)も先日、自分のスマホで彼女が生まれるはるか前の歌を聞いていたので、「そんな古い歌をよく知っているね」と尋ねましたら、「友達とカラオケに行くと昭和の歌を歌う人が多いよ」「私も昭和の時代を生きてみたかった」とつぶやいていました。「昭和もそれなりに大変なこともいっぱいあったんだよ・・」とこちらは思いますが、面白い現象です。

〇気になるのは「食事にふさわしい音楽とはどういうものか?」ですが、私なども聞いている音楽のリズムとテンポによって、食べるはやさ(勢い)が変わってくる気がします。アップテンポなロックミュージックだと無意識にはやく食べたり、レストランなどの飲食店では、クラシックやジャズなどのBGMが流れていることも多く、ゆったりとした気持ちで食べられます。少し調べてみると、食事を味わう時、私たちは五感のうちの「味覚」だけを使っているわけではないらしいです。例えば、盛り付けが美しい料理を見て美味しそうと思ったり、シャキシャキという噛む音が心地よく食欲が増したり、視覚や聴覚あるいは気温や食べ物の温度といったさまざまな要素が関係しているそうです。

〇過去に日本家政学会が発表した『食事環境におけるBGMが食欲に与える影響について』という研究結果を見ると、「騒がしい洋楽」「穏やかな洋楽」「クラシック」「学生食堂の録音」「BGMを使用しない」という5つの音環境中、特に食欲が減退したのは「騒がしい洋楽」だったようです。やはり給食中もあまり好ましくないのでしょう。

〇一方で、食欲増加につながる「脳安静度」が高かったのは、「学生食堂の録音」と「クラシック」だったそうです。ただ前者に関しては、今黙食のため会話はほぼなく室内には食器の音しかしませんので、残念ながら当てはまりません。となると後者しかありませんので、たまには「クラシック」を私からリクエストしようかと思います。

〇音楽は人の気持ちに大きく影響を与え、明るい音楽なら明るい気持ちに、暗い音楽なら暗い気持ちになりやすいことを考えると、給食の美味しさを感じて心が和むことなどに、何かしらの影響を及ぼすと言えるのではないでしょうか。

須藤昌英

2月1日(水)防寒着あれこれと社会的マナー

〇2月に入りました。先日も書きましたが、我々学校関係者の間では、3学期を「行く一月、逃げる二月、去る三月」とよく言います。3学期は気持ち的に多忙で、「あっという間に」4月の新年度を迎えるという気がします。そして2月という声を聴くと、まさに来月の卒業式や年度を終える修了式が目の前に迫っているのだと落ち着かない気がしてきます。

〇今日は暖かくなるようですが、いつも朝の正門に立っていると、いろいろな防寒着を着た生徒が登校してきます。マフラー、手袋、ネックウォーマーももちろんですが、この時期はマスクも一つの防寒着になっているようです。外着としては、部活用のウィンドブレーカー、市販のダウンウエアー、足もとまでのグランドコードなど、様々です。ただ個人のロッカーが大きくないので、教室内での保管ができるものに限られています。

〇手にもった携帯用の使い捨てカイロも有効です。手がかじかんでいると、身体全体まで寒い気がしますので、もっと使ってもいいと思います。ただ生徒には、使用が終わって不要になったら、自宅へ持ち帰って捨てるように指導していますので、もしかしたらそれが面倒?なのかもしれません。以前に勤めた学校では、その使い捨てカイロが教室のゴミ箱に大量に捨てられ、処分に困った経験もありますので、致し方ないこともご理解ください。

〇またマナー面では、自宅に帰る以外は、「防寒着等は玄関で脱いで手にもって建物に入る」のが社会人の常識ですので、現在はそれを生徒に強いてはいませんが、知識として覚えておいても損はないと思います。「大人になって初めて聞いた」ではなく、知っておいて必要な場面(将来の会社訪問や就職面接など)になったら実行すればいいと思います。

〇防寒対策には重ね着が必須であると言われており、調べてみると今は、重ね着をレイヤリングとも言うそうで、「ベース、ミドル、アウター」と分かれており、それぞれ「〇〇レイヤー」ということを初めて知りました。ベースとは要するに、肌に密着する1番下に着る防寒インナー(アンダーウェア)のことで、最近は汗や水蒸気を熱に変えて発熱するものが主流になっていますね。

〇また寒さ対策には、暖かい空気をうまく体の近くでためることも重要で、その状態を羽毛を使った衣類(ダウンのコートやジャケット)が有効のようです。私も以前はジャケットや背広の下にベストを着用していましたが、近年は「インナーダウン」として、薄手のダウンを着始めましたら、暖かいので脱げなくなりました。そのようにアウターの中に着る防寒服のことを、ミドルと呼び、これにより防寒効果はぐーんと上昇し、暖かさを持続することができます。

〇生徒は制服やジャージの下に、カーディガンやセーターを着用しています。ただし色は、白、黒、グレー、ネイビーなどを基調としたものとしています。休日に私用で外へ出かけるのであれば、特別に規制はなくてもいいと思いますが、生徒にとって学校は、一応「公用的な場所」ですので、使い分けをすることも学びだと思います。

〇最後のアウターレイヤーは、保温性もそうですが、防水や防風に優れたものが理想ですね。ぴったりフィットするサイズ感よりも、少し余裕があり、空気をたくさん含めるサイズを選ぶことで、より保温力がアップします。

〇よく「フォーマル」と「インフォーマル」と区別しますが、それぞれの場面で服装を適切に切り替えることが、気持ちを切り替える一助にもなります。生徒には昨日の「素直」ではありませんが、「決まりだから守る」ではなく、「どうして使い分けるのか?」を、自分事として考えてもらいたいです。

須藤昌英

1月31日(火)素直と成長(自主性があると未来が開ける)

〇昔から「素直な子はのびる」と言われますが、「素直」とは誰からみたものかによっても変わってきます。広辞苑で「素直」を調べてみると、「①飾り気なくありのままなこと。曲がったり癖があったりしないさま。質朴。淳朴。②心の正しいこと。正直。③おだやかで人にさからわないこと。従順。柔和。「忠告を―に聞く」④物事がすんなりゆくこと。とどこおりないさま。⑤技芸などで、癖がなく、すっきりしていること。「―な字」」とあります。

〇まず親や教員からの視点で素直とは、「きちんと言われたことをやり、たとえ間違いを指摘されても反意を示さずになおそうとする」が一番強いイメージだと思います。乳幼児期は初めて挑戦することばかりで成功と失敗を繰り返しながら、コミュニケーションやその他のスキルを身につけていきます。その際は「~したらいいよ」と大人の意見をまずはそのまま受け入れる子がほとんどだと思います。しかし中学生になって、乳幼児と同じ質の「素直」であったならば、それはそれで心配になります。

〇逆に「素直さが欠けている」となると、「自分の非を認められない、人の話を聞こうとしない、わからないことをそのままにしておく、自分のやり方に固執する、人に感謝ができない」など、大人からみると「厄介な子」となるのでしょう。私なども小学校高学年から中学生の頃は、「これではいけない」と思っていても、指摘された内容よりも、「~しなさい」に対して理由もなく反感を抱いていました。しかしだれもが成長過程で一時期にそうであったのではないでしょうか。素直になれない原因は、他人と自分の違いを意識したり、自分は自分で考えてやってみたいと思ったりすることが多くなったわけですので、ある意味「順調な成長」とも受け止められます。

〇では中学生以上の青年期の「素直」とはどんなことでしょうか?私は何より、だれもがもっている自分の「弱さ」と向きあえるかどうかだと思います。私たちは不完全な存在ですから、至らないことも間違うことも、すぐにはできないこともたくさんあります。それでも生きていく中で、小さな気づきとか発見をすることがあります。そこでそれがたとえささやかな気づきであっても、「あーなるほどそうだったのか」「これまで自分は間違っていたなぁ」と気づくことができます。

〇そしてその弱さや不完全さに誠実に向き合い、気づいたことをためらわずに、これからの生き方に反映できる、それが「素直」であり、そういう自分も大人でありながら「そうありたい」と常々思っています。ただしそのためには、自分の中に自己を認め肯定する気持ちが絶対に必要です。私もクラス担任として生徒に注意をするときに、やっていることは間違っているけれど、それをやっている生徒本人を否定すること(こちらがそう思っていなくても相手がそう思うことも含めて)が極力ないようにしてきました。

〇北海道にある植松電機という会社は、解体やリサイクルを主事業としつつ宇宙開発(ロケット制作)にも実績があります。その植松社長さんは、幼いころから宇宙への憧れをもっていましたが、親や先生に「どうせ無理だよ」という言葉を浴びせられながら、最後は自分の信念を貫いた人です。そこから会社に児童生徒を招待してロケットを見せたり、「思うは招く」というメッセージを送ったりしています。一度Youtubeですが講演会を視聴したら、「若い時に苦しくなったときは、自分で自分自身に『ただいま成長中!』と言えばいいんです。』との言葉が印象に残っています。

〇今の日本には様々な課題はありますが、少なくともだれもが「自分の人生に対して、自分で決めていける」環境は用意されています。自分で決めることで、何かうまくいかないことにぶつかっても、人のせいや条件のせいにして逃げることを踏みとどまることができます。

「素直」・・今の自分を大切にし(自己肯定感)、将来の自分に期待する(自己有用感)生徒 を育てていくことが、学校の使命だと思います。

須藤昌英

1月30日(月)柏っ子造形展

〇柏市教育委員会の主催で、市内の小中学校の児童生徒の作品を展示する3つの展示会があります。9月に理科の作品(科学展)、11月に技術・家庭科の作品(技術・家庭科作品展)、そして先週末は美術科の作品(柏っ子造形展)がさわやかちば県民プラザの回廊ギャラリーでありました。

〇学年ごとに出品した作品が異なっています。どの作品も個性が豊かで、創作した生徒の気持ちがよく表現されていると思いました。

【3学年】描画アプリで作るエコバック

     和にふれて(水墨画・篆刻・印箱)

【2学年】季節の平面構成

     軽量粘土 風鈴

     プラバン 木の葉のストラップ

【1学年】陶芸 家族で使う器

     水彩画 アジサイ

【美術部】風景画

須藤昌英

1月27日(金)校内授業研究会と授業参観

〇本日は今年度最後の授業参観を行います。寒い中ですがご来校いただきたいと思います。廊下は寒いので、教室内に入って参観ください。できるだけ廊下での会話はお控えください。

金1   9:05~9:50 

金2 10:00~10:45 

金3 10:55~11:40

金4 11:50~12:35 

金5 13:35~14:20

〇一昨日は5つの教科・領域で、7つの研究授業を行いました。教員としての研修内容は多方面にわたりますが、その中で「一丁目一番地」は、授業の進め方&生徒の学びの支援です。著名な教育者の斉藤喜博氏の「授業は真剣勝負である」や「教員は授業で勝負する」というフレーズは、教員であれば一度は聞いたことがあり、それを毎日実感している教員も多いと思います。

〇伝統的に日本の教員は、より良い授業を目指し、各学校やグループ、地域などでの自主的な授業研究の取組を続けてきています。私も日々の教材研究(授業内容をどの視点でどのアプローチで生徒に学ばせるか)する時間は、若い頃から楽しい時間でした。何よりも教える教員がその教科の楽しさや有用性をわかっていることが、たとえ思い通りに授業が進まなくても、生徒達には伝わるもの(この先生は本当にこの教科が好きなんだ)が多かった気がします。過去の国の中央教育審議会答申でも、「日本の教員の自己研鑽の意欲は高いものがあり、日本の授業研究の伝統は諸外国からも注目され、こうした自主的な資質能力向上の取組がこれまで日本の教育の発展を支えてきた」と評価されています。

〇特にその授業のねらいである「学習問題(課題)」は、生徒の学びのゴールを言葉であらわしたものであり、先日の授業研究会でもその大切さを学んでいます。本日の授業参観の感想アンケートにもそのあたりの率直な意見をお寄せください。

須藤昌英

1月26日(木)校長の「サラメシ」

〇NHKの「サラメシ」というドキュメンタリー?は、昔から好きな番組です。番組の副題に「ランチをのぞけば 人生が見えてくる 働くオトナの昼ごはん それが『サラメシ』」とあり、私は食事の内容よりも、登場する働いている人の姿やその仕事なりの苦労ややりがいなどを想像しながら毎回観てしまいます。特に興味深いのは、私と同じくらいの年齢の方々が何を好んで食べているのかをチェックしたり、若い新入社員などが仕事の緊張を昼食でほぐすのをみたりできることです。「人間ってみんな同じだな」とホッとする時が多いです。

〇私たち教職員の「サラメシ」は、生徒と一緒に食べる給食です。確か数年前の「サラメシ」で、東京都の小学校の校長を取り上げた時がありました。以前にも書きましたが、校長の仕事の一つに「検食」があります。「検食」は「学校給食法」に明記されていて、生徒が給食を食べる30分前までに、学校の責任者が事前に喫食し、人体に有害となる異物の混入がないか、調理過程において加熱等が適切に行われているか、食品の異味・異臭等の異常がないか、一食分として量が適当か、味付け・香り・色彩等が適切かを検査するものです。そして検食を行った時間、検食者の意見等検食の結果を記録しなければなりません。私も気づいたことなど一言コメントを書いて栄養教諭に戻しています。書く内容は、大抵は「ごはんとこの主菜、副菜の組み合わせがいいです。」といったことで、たまに味付けについての感想も書きますが、調理の素人ですから自分の好みが前面に出ないように気をつけています。ここまで衛生管理の面ではほとんど問題はありませんので、安心しています。直接言う機会がないので、調理員の皆さんへの感謝の気持ちもこめています。

〇私以外の職員の多くも給食を楽しみにしており、先ほどのように食べることで緊張がほぐれ、また午後の授業を頑張ろうと思うようです。もちろん我々も給食費を支払っていますが、先日の「サラメシ」で紹介されたある会社の社食でもワンコイン(番組内ではDJを務める俳優の中井貴一さんもその安さを絶賛していました)でしたので、1食330円は破格と言えます。何よりも暖かい給食を食べられることが有難いと感じます。

〇私が昭和の終わりに初任の教員としてスタートしてから数年間は、柏市の中学校で給食はまだ始まっておらず、職員も弁当持参でした。私が自分の弁当が食べ終わるのを見ると、生徒が寄ってきて「先生、これ食べる?」と自分の弁当を分けてくれることもありました。それをきっかけにその弁当を作ってくれた家族の話を聞いたり、その生徒とお互いの食の好みについてよく話したものでした。まだ20代の若さでしたので、当時はいくらでも食べられる頃でしたが、時には食べ過ぎて午後の授業がきつかったこともありました。今思うと、懐かしい思い出です。

〇今日は木曜日ですので、帰宅してから、ちょうど夕食の時間に観ようと思います。

須藤昌英

 

1月25日(水)十年に一度の寒波と電気料金の値上げ

〇気象庁の発表では、昨日から関東地方にもこの冬一番の非常に強い寒気が流れ込み、太平洋側の平地でも雪となるおそれがあるとの予報がありましたが、一夜が明けて強風ではありましたが、そこまでにならずにホッとしています。

〇発表通りに10年に一度程度の低い気温になっており、手賀沼の近くに住んでいますので、今朝の車の外気温計は-4℃でした。以前は年に数回、手賀沼にも氷が張っていましたが、最近は少なくなりました。今日あたりは端っこは凍っているかもしれません。ただ路面や水道管の凍結による被害が出るおそれもあるそうで、特に生徒の今朝の登校も、マンホールやグレーチングの上,タイル状の歩道は特に滑りやすかったり、見かけ上はわからなくても,道路がごく薄く凍結していることがあり,油断して通行すると転倒の危険があったりするので、心配です。

〇本校には各教室や廊下・階段、生徒玄関などに多くの照明器具や水道蛇口が設置されており、普段は不自由さを感じることもなく、生徒も職員も「当たり前」のような感覚で使用しています。しかし昨年度のデータを調べると、平均すると1カ月に水道と電気を合わせて100万円弱、年間で約1000万円強(電気360万円、水道650万円)の料金が発生しています。初めて聞いた人は、相当な金額だなと感じるでしょう。

〇そのうち水道については、柏市は補正予算で2月と3月の水道基本料金を免除すると先日の広報誌にありましたが、もちろん公費での負担となりますので、無駄遣いはしないことが求められます。内訳は、トイレや給食室(調理や後片付け)での使用が大半です。

〇一方で電気料金は、原油価格高騰やウクライナ情勢などの様々な要因を受けて、値上がりが続いています。私も朝7時前に出勤し、校長室で仕事を始めても、照明はつけますが暖房はしばらく使用せず、ダウンなどのアウターを着たまま過ごしています。しかしさすがにお客様が見えたり、会議で使用したりする場合も多いので、その際は直前に暖房を入れて面会や会議に集中できるようにしています。

〇また授業中に校内を巡回し、使用していない教室以外の場所の照明は落とすようにしています。ただし古い(歴史のある)校舎ですので、昼までも薄暗い階段や廊下が数か所あり、そこは消すと生徒たちの気持ちも良くないだろうと、つけっぱなしにしています。この努力で少しでも節電していかねば・・と思います。

〇調べてみると、製品のスペックにもよりますが、電気料金がかかる家電の順として、エアコン、洗濯機、食洗器、冷蔵庫がトップ4で、照明器具はエアコンの3分の1だそうです。さすがに真冬に教室のエアコンの使用を制限するわけにはいきませんので、生徒にも少しインナーなどで厚着をしてもらい、少しでも節電に意識をもってもらいたいです。

須藤昌英

1月24日(火)コロナの位置づけ5類へ

〇先週の金曜日、新型コロナウィルスの感染症法のランクをこの春に、今の「2類」から季節性インフルエンザと同等の「5類」に引き下げる方向で専門家に検討を依頼すると首相が表明しました。初の国内感染が確認されて丸3年、今思うと長いようで短い3年間ですが、確実にすべてが新しい時代に入った気がします。一方でそもそも無症状の人が一定数いると言われるコロナ感染症ですので、これを完全にシャットアウトするのは難しいとわかってきており、今後も可能な限りの対策を徹底・継続するしかありません。

〇また感染症対策、医療体制の支援や公費負担か患者負担かのすみ分けなどは、段階的に移行するようです。まさにコロナ対策の大きな転換点だと思います。もし5類となれば、発熱した場合の検査や診察は、一般の医療機関となり、感染者7日、濃厚接触者5日の待機期間はなくなる見通しとありました。

〇問題はマスク着用です。これまでも屋外での着用は不要と言われてきましたが、屋内でも症状のある人を除き、原則不要とする見通しです。これを学校現場で指導するとなるといろいろな面で厳しいことが予想されます。コロナやインフルエンザに加え、もうすでに花粉症の症状が出てくる時期です。従来の対策を踏襲するのが基本路線かと思いつつ、換気を徹底した結果として屋内に侵入した花粉の対策は・・という問題については、教室には空気清浄機等はありませんので、頭がいたい問題です。しばらくはマスクがとれない状況が続くと思います。

〇学校外では現在コロナのワクチンの接種には自己負担がなく、無料での接種が可能です。これは当初から「まん延予防上緊急の必要がある」として、予防接種法の「特例臨時接種」と位置づけられているためです。しかしワクチン接種は予防接種法に基づき3月までは無料で実施することは決まっていますが、その後はどうするか・・。

〇3月10日の卒業証書授与式は、基本的は来賓にはご遠慮いただき、保護者は2名までの人数制限で執り行う方向です。本来ならば在校生も参列し、先輩の卒業を一緒にお祝いすることも検討しましたが、そうなると改修した新しい体育館ですが広さは変わっていませんので、椅子を目いっぱい詰めて座らなければならず、隣との間隔が密になってしまいます。

〇コロナになって一番よく使われたのが「3密(密閉・密集・密接)」という言葉でした。毎日どのニュースをみてもこの言葉が連呼され、当初は相当強いインパクトを与えました。造語と言われるこの語源を少し調べてみると、3年前の3月の国の専門家会議で、国民向けに三つの条件を満たす場所や場面を避けるよう要請したのがきっかけのようです。ただしこのときは、「換気の悪い密閉空間」「多くの人が密集」「近距離(互いに手を伸ばしたら届く距離)での会話や発声」の三つを挙げ、「密」の言葉はなかったのですが、この考え方の説明を聞いた官邸スタッフの一人が「三つ目は『密接』で良いのではないか」と提案し、「三つの密」が誕生したそうです。

〇今はあまり聞かれませんが、言葉は強さをもっているので、生徒たちにも浸透していると思います。ただ私は3年前からこの「3密」の大切さは理解しつつも、違和感がいまだにあります。特に学校はもともと「密」な空間であり、「親密になる」とか「連絡を密にとりあう」など、プラスのイメージで「密」を使ってきました。アフターコロナの時代に「3密」という言葉が残っていくのか、良い意味での「密」は死後となってしまうのか。生徒たちが大人になったときにその答えが出るのかもしれません。

須藤昌英

1月23日(月)令和五年度入学新入生保護者説明会について

〇3年前(コロナ禍前)までですと、この時期に、4月から入学する予定の新入生の保護者の皆様に来校していただき、入学に関しての説明会を行っていました。ただ一昨年度や昨年度は「資料配布」だけで、直接説明する機会は設けられませんでした。今年度は当初、コロナ禍前に戻すことも検討しましたが、現在の感染状況を鑑み、1月末に小学校3校を通しての保護者への「資料配付」、2月1日から「Youtubeにて説明画像配信」することにしました。

〇そのための事前撮影を先週行いました。それを編集し、来月からホームページで視聴できるように準備します。ただし、自転車通学の許可範囲にお住まいで、自転車通学を希望される場合には、2月14日(火)15時に来校していただき、詳細の説明と手続きをする予定です。

〇説明動画の中で私から、「校長挨拶」として、次のようなスライドの内容を話す予定です。

 

〇配付資料にも掲載しましたが、家庭教育の視点として、次の3点をお願いいたします。

①  心とからだの健全な発達を

 中学生の時期は、心の葛藤の強い時期です。保護者への反発も目立ちますが、まだ保護者の援助なしでは自立できない状況にあります。身体の発達に比べ、心の発達が追いつかないことが多く、情緒が不安定になりがちで、性に対する関心も高まってきます。お子様を注意深く見守りながら健全な方向へ導くとともに、親子の絆を確かめ合い、思春期の行動を信頼して見守る態度を持ちましょう。

② 望ましい友人関係を

 お子様にとって友達は、大きな支えです。悩みや心配ごとも第一の相談相手は友達であり、保護者に話せないことを友達に話して、安心したり勇気づけられたりしています。親子で友達のことを話し合う場や機会をできるだけもち、保護者同士がよく連絡し合い、我が子がどんな友達とつながっているかをよく知るようにしてください。

③ 基本的な生活習慣を

 基本的な生活習慣は、その大部分は家庭生活の中で保護者の生活を見ながら、お子様が自主的に身につけていくものです。定刻に起き、定刻に寝る、三食きちんと摂るなど、生活のリズムを保つことです。リズムある生活習慣を身につけさせるようお願いいたします。

須藤昌英

1月20日(金)大寒

〇日本の二十四節気は、立春、立夏、立秋、立冬など4つの季節を表す言葉の他、春分、夏至、秋分、冬至などが良く知られています。1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたので、4×6の「節気(せっき)」があるようです。先日は「還暦」に数学的な規則性を知った話をしましたが、今回も同様に身近な数学を感じる例だと思います。

〇今日はその二十四節気の一つである「大寒」で、一年でいちばん寒さが厳しくなるころとされます。私は普段は飲酒の習慣はありませんが、さすがにお正月はお客様などと一緒にお酒をいただくことが多かったです。特に日本酒に詳しい方から、日本酒は「寒仕込み」のものが美味しいということをよく聞きます。「寒造り」とも呼び、冬場の寒い時期に仕込むのが、日本酒伝統の製法らしいのです。なぜ、冬場に仕込むのか? 少し調べてみると、まずは原料である新米が秋に収穫されることや寒い時期だと雑菌が繁殖しにくいことがあげられるそうです。また日本酒の仕込みは、温度管理がとても重要で、低温だと余計な雑菌の繁殖を抑え、お酒をつくる微生物が、よい働きをしてくれる(もろみをゆっくりと時間をかけて発酵させる)ことを初めて知りました。そういう知識があると、今度飲むときには、違った味わいになるかもしれません。

〇また「大寒」前後には、武道では「寒稽古」、神事では「寒中水泳」などをして自分の心身を鍛えることは昔からの風習のようです。あえて厳しい条件で自分を磨くことは、自分の可能性を伸ばすことになるということでしょう。「鍛える」と言えば、有名な徳川家康の遺訓の一部があります。

「人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし。心に望み起こらば困窮したる時を思ひ出すべし。(略)」

読めばわかりますが、おおよそ「人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。」という意味です。不自由なことや苦しかったことが逆境になると味方してくてるという教訓だと思います。

〇3年くらい前(コロナ禍前)までは、多くの中学校で「冬季合同トレーニング」を実施していました。日没がはやい冬季は、各部活動の放課後の活動時間が短く、練習量の確保が難しいのですが、部活動の枠を超えて、希望者が部活動終了時間からグラウンドに集まり、夕闇のなかを走ったり筋力トレーニングをしたりして、基礎体力を養っていました。各競技の基盤となる足腰を鍛えることで、春からグンとスキルを伸ばした生徒を私も過去には多く見てきました。よく観察していると、体力もそうですが苦しいことに自ら向き合うことで個人が精神的にも成長します。またある意味走ったり筋トレしたりすることは単純作業なので、一人ではなかなか継続しにくいものです。そこで仲間同士で励ましあい、目標達成する連帯感が生まれ、それが夏の総合体育大会でもそのチームの絆として発揮されていました。

〇今の状況では前のように、合同でトレーニングをすることは難しいですが、お酒もこの時期に仕込むと同様に、人間もこの時期に「自分磨き」をするとよい・・かなと感じています。

須藤昌英

1月19日(木)自分を認めることば「これで大丈夫、これでいいんだ」

〇教員となって36年間、実に多くのそして多彩な児童生徒との出会いがありました。「教えることは教わること」と気づき始めたのは、教員生活をスタートして数年が経過したころでした。「今の教え方で本当にいいのだろうか?」と壁にぶつかった時、目の前の生徒が「学ぼうとする姿」をつぶさに観察することで、自分の一方的な思いでは何も伝わらないことや、その生徒の姿が新たな手法を私に教えてくれていることを実感しました。

〇ちょうどその頃の教え子(自分のクラスでしかも担当していた野球部の副キャプテンだった生徒)の結婚式に、コロナ禍になる直前でしたので、招待されました。式の始まる前の控え室で彼が、突如「自分で『これで大丈夫、これでいいんだ』と思えるようになったのはつい最近なんです。中学校の時は自分を否定ばかりして、今思うと『苦しかったな』くらいしか覚えていません」と話しました。さらに「今の中学生は僕らのころよりももっと繊細だから、先生も大変ですね」と励ましてくれました。

〇それを聞いて私は意外な気持ちがしばらくぬけませんでした。彼のクラスや部活におけるリーダー的な発言や行動しか記憶に残っていませんでしたので、本当は心中では大変だったのだと初めて知りました。私はおそらく当時、彼の力を最大限にのばしてやりたいという気持ちから彼を叱咤激励だけしていて、彼の「ありのままの姿を認めてあげる」ことがなかったのかもしれないと反省しました。

〇よく考えると私も中学生のころは、クヨクヨ悩む、いつも自分にダメ出しをしてしまう、どうしても自信が持てないことはありました。発達段階ではそういう時期なのかもしれません。昔から有名な漫画「天才バカボン」は、内容はハチャメチャなところもあったのであまり覚えていませんが、なぜかバカボンのパパの言い癖「これでいいのだ!」が耳に残っていました。大人になって知りましたが、作者の赤塚不二夫さんは、あまりにも世間を気にしすぎている人が多く、自分で自分を認めていく大切さを「(わたしは)これでいいのだ」というセリフに込めたようです。

〇私も含め人は日々、後悔と不安に苛まれています。後悔は「あのときこうすればよかった」と過去に、不安は「このさきどうなるのだろう」と未来に自分の意識があります。英語の Present には「現在」と「贈り物」という二つの意味があるそうです。今生きていることが最高のプレゼントでもあり、そのときに自然と「(ぼくは、わたしは)これで大丈夫、これでいいんだ」という自己を認める気持ちが出てくるのでしょう。そんなことを今でも教え子から教わっています。

須藤昌英

1月18日(水)私有地への立ち入り

〇年に数回程度ですが、学校に学区にお住いの方から、「中学生が私有地を横切っていく。学校では何を指導しているのか?」とのお叱りの電話があります。多くの場合に生徒の氏名は不明で、その特徴だけを教えてもらうので、場所をお聞きし、現場の様子を確認しに行きます。大抵は民家の敷地や駐車場です。そしてもしその可能性のある生徒がわかった場合には個別に事情を聞いたり注意を促したり、必要であれば学校全体で指導をしたりしています。

〇私が小・中学生のころはまだ柏の市街地のあちこちに「空地」が点在し、ボール遊びや缶蹴りなどをして楽しんでいました。もちろんゴミなどを散らかせばその場で叱られたりしますが、それ以外は「入ってはいけない」などの制限はあまりされなかった記憶があります。よくドラえもんなどのアニメにも大きなコンクリートの土管が置かれた空き地で遊ぶシーンがありますが、それと同じく決して管理された公園ではなく、ただの空き地でした。おそらく地主の方が好意的に地元へ開放してくださっていたのでしょう。

〇一番印象に残っているのは、今はもう宅地造成されてありませんが、江戸時代からあった「野間土手(徳川幕府が野生の馬を育てることを奨励していた反面で、その馬が田畑を荒らさないように農民などがつくった土手)」が残っている林が数か所ありました。その中で数人の友人たちと枝や葉を集めたり、使わなくなった板切れなどを自宅から持ち込んだりして、「秘密基地」をつくって休日の一日を過ごしていました。スマホやゲームがなくても十分に楽しかった思い出です。

〇決して「昔は良かった」という気はありません。その背景として今のような複雑なトラブルは無かった時代であり、すべてを法律等によって明確な基準で動いている現代とは違うのは十分承知しています。ただその頃の遊びは、今ならば「不法侵入」にあたるでしょう。おそらく今の生徒にそんな遊びをしていたと話しても想像できないことでしょう。

〇最近の傾向として、設置してある防犯カメラの画像を侵入した証拠として提示される方もいます。確かに常識として「私有地は立ち入り禁止」ということをきちんと生徒には理解させることは大切ですし、そういう画像もあることを場合によっては知らせる必要はあると思います。そしてますますこれからの時代は身近に防犯カメラは増えていくのだろうと感じます。

〇ただ生徒に、「防犯カメラがあるからあの場所は気をつけて通りなさい」などの主旨から注意を促すのは「どうかな?」と思います。法律や社会モラルの面から良くないことを考えさせるのはかまいませんが、犯罪の抑止力や証拠を残す目的で設置してあるカメラを意識させることを前面に出して話すことは、生徒本人を信じていないメッセージにもなりかねません。

〇逆に近年の防犯カメラは性能がよくなっていて、高画質映像の録画が可能になり、必要以上の情報が映り込む可能性があり、問題化していることは時々話を聞きます。防犯カメラに録画された映像で特定の個人が識別できるのであれば、その映像も「個人情報」に該当するようです。そして防犯カメラを設置・運用する人は、個人情報保護法で規定されている「個人情報を取り扱う個人情報取扱事業者」になるため、意識して手続きや対策を取らなければなりません。

〇生徒たちも将来大人になって、自分で防犯カメラを設置する立場になることもあるので、そういうことも教えてあげなければならない時代です。

須藤昌英

1月17日(火)朝の定点観測と個別最適な学び

〇毎朝数人の教員で、生徒が登校する時間に正門に立って交通安全指導とあいさつがけを行っています。朝の8時前後には、本校生徒や富勢小児童、地域の方々が頻繁に使用するため、目の前の押しボタン式信号機は定期的に横断者に向けて「青」になります。短い時間で横断歩道いっぱいに広がってやっと渡れることも多く、正門の前の信号機はとてもありがたいです。

〇毎日同じ時間に同じ場所で、生徒の顔をみているとその変化がすぐにわかります。これを私は勝手に自分で「定点観測」と呼んでいます。本来の定点観測は、天文学の中で「同じ場所で同じ方向を観測し続け、動いた天体の軌跡を追うこと」ですが、そこから派生して「人間社会の観測を通して、人々の生活や環境、感情などがどのように変化していくかを調べ、社会の動向や情勢によってどのように遷移するかを知る」ことの意味にも使われます。つまり同じ生徒でも「今日は昨日と違って顔をあげて登校しているな」とか「何となく今日は足取りが重そうだな、何かあったかな」という変化がわかりやすいのです。同じようなことはご家庭ならば、毎朝の起きた顔で、お子様の気持ちがだいたいわかるのではないでしょうか?

〇この9カ月、「おはようございます」の声かけをして気になることがあります。特に数人で一緒に登校してくる生徒たちに、一言「おはよう」と声をかけても、その数人は何もなかったかのように通り過ぎる場合があります。むしろ一人ひとりにあいさつした場合には、ほとんどはあいさつを返してくれます。私も最初は「えっ」と思うこともありましたが、「私の声掛けが悪いのだろうか?」「コロナ禍で声を出してのあいさつが減ったからか?」とその原因をよく考えてみました。

〇すると段々わかってきたことは、グループ全体にこちらがあいさつしても、「校長先生は私にあいさつしているわけじゃない」と受け止めているのではないか?ということです。試しに例えば5人いたらその一人一人に目をあわせて「おはよう」を5回言ってみました。すると先ほどの無反応ではなく、それぞれあいさつが返ってきます。それからは、できるだけ「あなたにおはようを言っているよ」と意識して声をかけるようにしています。

〇これまでも学校では、授業を含むすべての教育活動で、「指導の個別化」と「学習の個性化」を目指してきましたが、今はそれを学習者視点から整理し「個別最適な学び」というキーワードが重要視されています。具体的には、ある学習課題に対し、個々の生徒に応じて異なる方法等で学習を進めたり、その中で生徒自身が自らの特徴やどのように学習を進めることが効果的であるかを学んでいったりすることを目指しています。その一つのツールが、タブレットなどのICT機器であり、様々な情報やデータを自分で収集・整理し、自分なりの考えをもつようにしています。昨日も書いていた「生徒の当事者意識を引き出す」ことにもつながります。

〇そのように一人ひとりを大切にしていく時代の流れがありますので、冒頭の「おはよう」のあいさつも、「十把一絡げ(じっぱひとからげ)」的にグループ全体にするのではなく、「個別対応」的にしていかなければ・・と考えています。

須藤昌英

1月16日(月)「君ならどうする?」

〇今年のNHK大河ドラマは「どうする家康?」で、昨日2回目が放映されました。人気アイドルグループ嵐の松本潤さんが主役を務めているので、注目を集めているようです。私は内容も面白そうですが、それ以上にまずそのタイトルに興味を持ちました。

〇2学期の保護者会の中でも話しましたが、学校での授業内容が、「いつでも使える知識」となるためには、知っているや分かっているだけでなく、「では自分ならその場合にどうするか?」と当事者意識をもつことが最大のポイントです。「江戸に幕府を開いたのは誰で、いつ?」から「家康が江戸に幕府を開いたのはなぜ?」へ、さらに「君が家康だとしたらどこに幕府を開くか?」へとその問いが段々と深くなっていくことで、生徒の当事者意識を引き出していく授業が理想です。

〇中学校3年間は、発達心理学からみると思春期前期にあたり、「自分はどういう人間か」と「周囲から自分はどのように見られているのか」の間で葛藤し、それを乗り越えて「アイデンデティー(自我同一性)」を獲得する大切な時間です。でもそのためには授業の中で、常に「自分はこう考えたが、友達はそう考えるのか」を繰り返し経験することが近道になります。ただ「教科書にそう書いてあるし、先生も同じことを言っているから・・」と受け身になっているのはもったいないと思います。

〇さらにこのドラマでは、最初は気弱で何も決断できなかった家康が、周囲の助けを受けながら少しずつ成長していく姿を描くようです。没後に「東照大権現」と神としてあがめられている家康ですので、さぞトップダウン型で家来たちをリードしていたかのようなイメージを持ちますが、ドラマでは優秀な家来からの進言を大切にし、結果として二百六十年も続いた幕府をつくったことを描くようです。このように適切に周囲に「ヘルプ」を出せることが、リーダーにとどまらずこれから「自立・自律」をする生徒には欠かすことのできない資質とも思います。

〇よく昔からそれぞれの人柄をたとえ話で、織田信長「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」、豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようほととぎす」、家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」は有名ですので、3人の中では一番我慢強いイメージはありますが、晩年の“狸親父(たぬきおやじ)”も強いイメージとしてあるので、“気弱なプリンス”像とのギャップを楽しみ?ながら観ていきたいと思います。

〇今の本校にはいませんが、昭和の終わりから平成にかけて、教員の指導などまったくきかず、授業エスケープなど勝手な振る舞いをする生徒も各校には数人ずつくらいいました。私も自分のクラスや生徒指導担当として他のクラスにいるそのような生徒と向き合ってきましたが、こちらから「~しなさい」と言ってもまったく耳をかしません。その時に必ず使った魔法の言葉があります。それが「君はいったいどうしたいの?」です。中学生ですから当然今やっていることは間違っていていることを生徒本人は心の片隅で自覚しています。しかし実際にはその反面、自分ではどうしようもない心の葛藤を抱えています。そのとき、自分の本心を言葉で発することで、自然と落ち着きを取り戻します。そしてその生徒が「実は~したい」と言うことをまずはこちらが受け止め、「では次は~したらどうかな?」と話を続けていくと、噓のようにその後はこちらの話も聞くようになったものでした。

〇ご家庭でも生徒本人に判断を任せるよう機会をみつけ、「〇〇ならどうする?」と問いかけてみてください。すぐに答えなくてもあまりせかさずに見守ってください。その問いかけをされると、「自分は信頼されているから尋ねられているのだ!」とわかる時が来ます。

須藤昌英

1月13日(金)乾燥注意(雨がほしい・・・)

〇朝から快晴なのは気分が良いのですが、その反面毎日空気がカラカラで、東京近郊は3週間以上連続で降水なしの状況です。こうなると空気が潤うのはいつになるのか・・と不安になります。例年日本は冬型の気圧配置となり、太平洋側は晴れている所が多く、空気が乾燥していますが、特に関東や東海で湿度が低く、最小湿度は10パーセント台になる所も複数あり、少し異常なレベルです。

〇現在関東から九州にかけては所々に乾燥注意報が発表されています。そのため火災の発生が多くなっているようです。先日は風も強く、もしこの状況で火災が発生したら、あっという間に広がってしまう気象条件となっています。火の取り扱いにいっそう注意が必要です。

〇また教室のエアコン暖房により、さらに空気が乾燥してしまいます。少し調べてみると、冬に暖房器具を使うと多くの場合に空気が乾燥しますが、空気中の水分量が減少するわけではないようです。部屋の温度が上がることで、相対湿度が低くなり「部屋が乾燥している」と感じるようになるのだそうです。そして湿度が低いと体感温度も低くなるのが理論的には正しいようです。

〇暖房使用時にはタオルを濡らして室内にかけるなど乾燥対策をすることで、少し改善することができますが、8m×8mの広さで天井も高い教室で、その効果を期待するには、タオルが何十枚も必要となります。また私も校長室でやってみましたが、半日もたたないうちにタオルはすぐに乾いてしまいます。

〇もっと心配なのは、口呼吸による口やのどの乾燥です。のどや口、鼻などの空気が通るところは水分を含む粘膜でおおわれており、平常時は常に潤っています。しかし、上記のような要因があるとのどが乾燥しやすい状態となり、ウィルスへの対応が弱くなってしまいます。また最近はマスク着用が当たり前になったことにより、日中も息のしづらさから口呼吸になったり、寝ている間も無意識に口で息を吸ったりすることで乾燥します。また今後は花粉症などによる鼻づまりの影響で口呼吸になる人もいるようです。

〇夏ではなく冬でも乾燥からか、喉が渇くことが多いです。登校時に数人は水筒を持参しているのをみかけますが、できるだけ水筒で水分補給をしたり、水道でうがいだけでもした方がよいと思います。3年生は受験もあり精神的な面と身体的な面の双方に気を使って、大変なことと思います。もちろん1・2年生も日常生活の中で対策をしていることと思いますが、引き続き工夫をお願いします。週末は少し雨が降る予報がでていますので、期待しています。

須藤昌英

 

1月12日(木)「交通安全誓いの碑」

〇昨日の午後、正門から入ってすぐ左の縁石に、タクシーが衝突する事故がありました。幸い付近に生徒はおらず、怪我等はありませんでしたが、私は市内で行われた校長会議で不在であり、会議後教頭より電話で報告を受けました。運転手はすぐに通報し、警察も現場検証していますが、どうやらタクシーはUターンをしようとして、敷地内に入ったようです。タクシー会社には今後二度と同じことがないように、厳重に注意しますが、「もしものことがあったら・・」と思うとゾッとしました。

〇その現場の丁度反対側(正門に入ってすぐ右)に、「交通安全誓いの碑」と書かれた石碑があります。これは昭和61年5月に当時の本校女子生徒2名が、部活動の練習試合の帰りに、歩道を自転車で走行中、そこへ猛スピードの車が突っ込んできて、残念なことに命を落としたという大きな事故があり、「そのような交通事故がないように」と願いを込めて造られたものです。

〇私も当時は大学4年生で、柏市内で悲惨な事故があったことは大きく報道されましたので、記憶にはっきりと残っています。その翌年4月に柏市の教員となりましたので、教員として生徒の命を預かる重い責任を実感し始めるとともに、当時その事故現場を車で通るたびに、心の中でご冥福を祈っていました。その女子生徒さんたちもご存命であれば、今50歳台前半になっています。

〇昨年4月に本校に着任した際も、その38年前の事故については前校長や前PTA会長さんからも引継ぎとして説明を受けています。500名以上の生徒の命を預かっている今、同じような事故が起きないように日々努めていかなければならないと、亡くなられた方への誓いとしてあらためて肝に銘じました。

須藤昌英

交通安全誓いの碑 交通違反をしない、させない、ゆるさない

この日は昭和61年度に在校する生徒職員及びPTAが交通安全を誓い合い建立したものです 昭和62年3月吉日」

1月11日(水)関東大震災から100年

〇今から100年前の1923年(大正12年)9月1日正午頃、神奈川県西部を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生しました。これにより、東京、千葉、埼玉、神奈川、山梨で震度7を観測しました。この地震では、発生がちょうど昼食の時間と重なった事から、多くの火災が起きて被害が拡大しました。

〇私も小さい頃、亡くなった祖母から発生当時の様子は直接聞いています。当時東京の下町の荒川に住んでいた祖父母は、大きな揺れと火災から何とか逃げられましたが、多くの知り合いが亡くなったと言っていました。また沿岸部では津波被害、山間部では土砂災害なども発生し、死者・行方不明者は合計10万5千人余にのぼり、この地震によって生じた災害はその後「関東大震災」と呼ばれています。

〇さらにその際に日本人による理不尽な「外国人への重大な人権侵害」にあたる行為が、あちこちで起きたとも祖母から聞きました。人権侵害の具体的な内容は、言葉にあらわせないほどだったのでしょう、さすがに子どもには話せなかったのか、多くを語りませんでした。ただ今になって自分でいろいろと調べると、集団虐殺などのむごい事実があったようです。非常時における人間の集団心理は、通常時とは異なり、自分たちの安全が脅かされる不安から、デモなどの正確な情報でなくても信じてしまうことは少しは想像できますが、決してあってはならないことだと思います。

〇歴史的には関東地方には周期的に大きな地震が発生しており、江戸時代の記録にもきちんと残っているようです。その周期が100年前後となれば、明日にでも首都直下地震を含む地震が起きる可能性はあると専門家は指摘します。私も含めみなさん「その為の出来る限りの準備を・・」といつも考えてもなかなか実感が伴わないのも本音であり、十分とは言えないと思います。現時点では大きな地震の発生を回避させたり予測したりすることは不可能ですので、ただ先ほどのような人権侵害や差別行為は、第二次災害的でありそれを防ぐには「教育の力」しかないと思います。

〇3年前のコロナ感染症初期には、私は教育委員会勤務でしたので、突然の全国一斉臨時休校やその後の分散登校での学校再開、学校内での感染拡大防止に加え、子どもたちの中でコロナに感染した友達への「差別的な発言や行為」がないように、各学校に注意深く見守ることをお願いしていました。幸いそのような報告は学校からはありませんでした。しかしむしろ大人の中で感染者の心情を考えない行動が、毎日のようにテレビなどから報道され、「大人が子どもに見本となる姿を見せなければならないのに・・」と歯がゆく思っていました。

〇昨日の絵本「レッド」からは、日頃の多様な人間関係をスムーズにするためには、お互いの良さを認め合っていくことが学べますが、災害などの非常時にもその学んだことを生かし、相手が嫌がることを想像し、助け合う関係を創造していけるか・・・。「大きな地震は必ず起こる」という前提で、特別な授業などを設定するなどして、職員や生徒たちと考えていきたいと思います。

〇最後に柏市では、もし生徒が昼間学校にいる間に震度5強以上の地震が発生した場合には、生徒を下校させず学校に待機させ、保護者のお迎え(引き渡し)をお願いすることになっています。その際、今多くの保護者の方に利用していただいているLINEを利用した「つながる連絡」に新年度からは通常の欠席連絡に加え、「何時ごろに学校へ引き受けに行ける」などの連絡ができるようにすることを計画しています。ただこれは小学校とも連携しなければなりませんので、また詳細が決まりましたらお知らせいたします。

須藤昌英

1月10日(火)第3学期始業式

〇本日から3学期が始まります。生徒が登校するのは約半月ぶりですが、今朝は少し風が強いものの登校には支障がないので安心しています。昨日は3月のような気候で暖かく、この冬季休業は全体的に穏やかでありました。

〇今日の始業式の校長の話では、生徒たちにオンラインで読み聞かせ(絵本の「RED」)をしようと思います。先月も書きましたが、私は以前、3年間だけ小学校に勤務したことがありますが、地域や保護者のボランティアの方に読んでもらうのとは別に、自ら児童の前で絵本などを読んでいました。最初は「ただ読むだけだから・・」とあまり練習もしませんでしたが、やり始めるとやはりうまく読めずに、途中でつっかえてしまいます。すると児童はせっかくその物語の世界に入りかけたのに、私のせいで台無しにしてしまうことが数回ありました。「これではいけない」とそれ以後は、必ず練習をしました。その中で作者の意図を考え、読むスピードや強弱を調節して行うと、児童は以前にもまして真剣に聴いてくれました。久しぶりであり今日もうまくできるか不安ですが、約6分間の読み聞かせなので、何とか頑張りたいと思います。後で実際の様子をアップしますが、あらすじだけ紹介します。

〇主人公はレッドが本来は青いクレヨンなのに赤のラベルをまとっているために、いろいろな困難に出会うことからはじまります。レッドの他に、ブルー、パープル、イエロー、グレーやシルバー等24色のクレヨンの仲間、家族そして文房具たちが登場します。レッドは赤いイチゴを描こうとします。でも何個書いても上手にできません。友達や家族はどうしたらレッドが上手くできるのか、知恵を出し合ったり励ましたりします。そこへある日、新しい友達が 海を描いて欲しいと頼みます。レッドは「自分は赤だからできないよ」と言いますが。描き始めると「なんと、なんと」というお話です。

〇2学期の終わりに、学校図書館指導員の岩瀬先生に本の紹介をお願いしましたら、中学生でもふさわしい数冊の絵本を教えてくれました。その中で「今の富勢中の生徒達には、これしかない」と決めたのですが、自分でも何度か読んでいるうちに「絵本だから・・中学生はあきてしまうかな」ではなく、深い内容に感激しました。多様性やインクルーシブ等、現代社会にぴったりの内容であり生徒や大人にそれぞれの心に響く絵本と思います。機会があればぜひ手に取ってみてください。

〇冒頭に次のように話しました。「みなさん、新年おめでとうございます。昨日までの少し長い冬季休業はいかかでしたか?寒さは仕方ないとしても穏やかなお正月でしたが、3年生はそれどころではないと思います。でも一年の始まりにいろいろな決意や願い事をしただろうと思います。今日から3学期ですが、そのはじめに、あまり面白くもない私の話よりも、君たちに【読み聞かせ】をしようと思い、学校図書館指導員の岩瀬先生に2学期の終業式の日にお願いしたら、数冊の絵本を一瞬で紹介してくれました。ここにありますが、冬休みにすべて読んで、この本にしました。少し練習はしましたが、聴きとりにくいかもしれませんが、我慢して聴いてください。」

〇読み終わって少し話をしました。「レッドの仲間もそうだったように、みなさんのクラスもいろいろな考えの人がいますね。世間の常識を大切に考える人、自分の体験を重視する人、人の良いところを見る人、逆に人のあら捜しばかりする人。またそれを言える人もいれば言えないで黙っている人もいます。1つのクラスでさえそれだけ多様な人がいますので、社会に出たらそれこそもっと多様で複雑な人間関係があります。またそれは先生方や両親、兄弟、祖父母なども同じです。みんなそれぞれ自分の見方や考え方をもっています。」

〇「レッドは新しい友達から促されて、本当の自分を知ることができましたが、みなさんも進級や進学で新しい友達ができることもあると思います。その新しい人間関係が今までとまったく違う自分を発見するチャンスになることも多いですね。特に3年生は4月からバラバラに自分の選んだ学校へ進みます。そこでの新しい出会いを楽しみにしてもいいと思います。1・2年生も同じ学校にいても今まであまり話をしなかった人と友達になってみるのも自分の幅を広げることになります。」

〇「レッドが海をかいて『うん!かんたんだったよ』と言っていることから、『自分にもできるんだ!』という自信がうかがえます。最初は気乗りがしなかったこともやってみると意外に「面白かったりもっとやってみたいと思ったり」する経験があると思います。またここでレッドがスッと海をかけたのは、それまで赤いものをかこうとしてすべて青色になってしまっても、いろいろな人に助けられながらも素直にチャレンジしてきた経験(これは常識的には「失敗」ともいえなくはありませんが・・)が、あったからこそだと思います。人生には『無駄なことはない』という作者のメッセージとも受け取れるのではないでしょうか。」

〇「私が一番考えたのは、あとから友達の一人が『レッドが青なんて、よく考えてみれば、わかったはずだよ。』と発言しているところです。2学期の終業式で原生徒会長と新倉副会長が「いじめといじりの境目」の授業を行ってくれた中にもありましたが、偏ったものの見方やその場の雰囲気に流されて自分でよく考えずに行動してしまうことが、人を傷つけてしまうこともあります。その友達のように、「よく考えてみれば・・」となっていないか?まずは「自分はどう思うのか」「自分ならどうしたいのか」を優先しているか?を新年にもう一度考えてもらいたいです。」

〇「最後に今の話のように、『思い違いや思い込み』についても、私の経験から考えても、他人から自分への『思い違いや思い込み』よりも、自分が自分へしている『思い違いや思い込み』の方が強くて厄介です。『自分には到底できない』『どうせやってみるだけ無駄』ではなく、『今の自分にできることは何か』を探してみてください。しかし3年生はもうすでに受験に向けて十分に努力していますので、これ以上『頑張れ』とは言いません。ただ自分の限界は自分しかわかりませんので、もしまだ少し余裕があるのならば、受験の当日まで頑張ってみてください。」としめくくりました。

〇その後私の下手な読み聞かせだけで終わってしまっては申し訳ないので、若い英語科の川越教諭がこちらは有名な「百万回生きたねこ」を英語で朗読しました。当たり前ですが同じ読み聞かせでも日本語と英語ではまったく雰囲気が異なります。生徒たちはどれだけ聞き取れたでしょうか?同じ読み聞かせご家庭でも話題にしてください。

須藤昌英

 

1月6日(金)第3学期の展望について

〇よく我々教員の中では、来週からの3学期の3カ月間をたとえて、「行く一月、逃げる二月、去る三月」と言います。つまり3学期は気持ち的に多忙で、「あっという間に」4月の新年度を迎えるという実感があります。

〇今月は9日から私立高等学校の入試が早速始まります。これは都道府県によって日程がほぼ決まっており、茨城県から始まり、千葉県、東京都、埼玉県と続きます。私立高等学校はその学校独自の入試を行いますので、大別すると「一般入試」「推薦入試(単願・併願)」ですが、その他日程も「A日程」「B日程」などと、入試の機会をAとBに分けることで受ける回数を増やしている学校もあります。また私立高等学校は公立高等学校と違い、発表している「募集定員」よりも多くの「合格者」を出します。理由としてはやはり学校を経営するという面がありますので、もしその後に入試のある公立高等学校へ多くの生徒が流れてしまうと、募集定員を下回る可能性があり、それを避けるためです。

〇千葉県公立高等学校は2月8日~10日の「出願」、2月15日~16日の「志願(希望)変更」、2月21日~22日の「学力検査等」、3月3日の「結果発表」と続きます。ただし私立高等学校と違うのは、先ほど書いたように「1回しか受けられない」「募集定員数通りしか合格者を出さない」ことです。その為1回に限り、まず出願確定した後にネットや翌朝の新聞に掲載される「志願倍率」を見て、最初に志望した高等学校への願書を引き下げ、新たな高等学校へ出願することができます。ただしこれは無暗に行うと返って生徒本人に心の動揺が残ることもありますので、慎重に行わなければなりません。

〇上記の4つ「出願」「変更」「学検」「発表」とも基本的には、生徒自身が志望校に行くことになりますので、担任からは必ず事前に行き方を調べたり、実際に足を運ぶように指導しています。ただ2月ですので、過去には入試日に雪が降り、交通手段がストップしたり開始時間が遅れたりしたこともありました。最悪の状態も想定し、どうやって入試会場までいくかは複数の案をもっていた方が良いと思います。現在3年生は体調管理と試験準備の両方に気を使っていますので、学校としては無事に終わるようにサポートしていきます。

〇入試関係の詳細は、メニューの「進路指導(保護者会資料)」をご覧ください。

〇2月末には体育館の改修工事も終わり、体育の授業や部活動でも使用可能になります。また全校生徒が集まっての学校行事もできますので、目的に応じてコロナ禍で当たり前になったオンラインでの実施と併用していきます。新体育館のこけら落としは生徒会主催の「3年生を送る会」になりますので、プログラムなどについて生徒会役員の生徒と具体的な検討に入ります。3月10日の「第76回卒業証書授与式」についても、実施方法の最終の詰めの段階です。体育館の広さに余裕はありませんので、コロナ対策を意識しながらの実施になると思います。

〇最後に、この3学期は4月からの令和5年度の教育計画を決定する時期でもあります。今年度の成果と反省をもとにして、創立77周年目がよい一年間となるように計画を練り上げていきます。

須藤昌英

(昨年の卒業式当日)

令和5年1月5日(木)新年おめでとうございます

〇明けましておめでとうございます。令和五年「癸(みずのと)卯(う)」が幕をあけ、穏やかなお正月でした。昔から「正月は己(おのれ)を正(ただ)す月」と言われますが、これから始まる一年間をどのように過ごしていきたいか!?を考える時期だと思います。1日に家族と布施弁天に初詣に行きましたが、青空で寒風もなく大勢の方が参拝していました。平和な日本であることに感謝です。

〇年末にも書きましたが、私は昭和38年生まれのウサギ年で、今年還暦を迎えます。それだからではありませんが、正月三が日で布施弁天の他に、4か所の神社仏閣に参拝し、本校生徒の成長を祈願してきました。その内容は生徒たちにもっと「ああなってほしい」とか「こうあってほしい」ではなく、「生徒たちが自分自身の可能性を信じ、失敗を恐れずにチャレンジしてほしい」ということです。たとえ失敗したとしても、「失敗はこれまでのやり方ではダメだと教えてくれるメッセージ」と受け止めれば、次への意欲となります。

〇これも年末に書きましたが、教科書の内容は「長年の人類の英知、世界の仕組みのエッセンス」ですので、「困ったときに戻って確かめる」のが本来の役割です。よく「教科書さえ学んでいれば大丈夫」と言われますが、それが「生きて働く知識」になるためには、実際の生活の中でその知識がどのように活用されているかを生徒自身が実感しなければなりません。

〇一例として、私が昔小学校算数の「最小公倍数」を習った直後、教科書以外の本で、干支(えと)は、十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と 十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)の組み合わせからできていて、その10と12の最小公倍数が60だから、元の暦に還る(還暦)は60年に一度なのだと読んだことを覚えています。そのように身近に習ったばかりの算数の知識が使われていることを知ると、その後は絶対に忘れずに今日まできましたし、「最小公倍数」と聞くと必ず「干支」のイメージが頭に浮かんできました。つまり強い印象・記憶になっています。

〇また当時は私は、古来の中国から日本に伝わってきた「干支」に、とても数学的な印象をもち、「人生にも規則性みたいなものがあるのか?」と思いました。振り返ると同様な積み重ねもあって、私の場合は数学の教員を目指すきっかけになったのでした。もちろん生徒は一人ひとりみんな違いますから、何がきっかけでその生徒の一生の興味や特技となるかは千差万別で、誰にもわかりません。もしかしたら自分でもまだ気が付いていない場合も多いかもしれません。ですから自らその可能性を信じ、「私はこれから~がやりたい」「~をもっと深く学んでいきたい」というものが一つでもいいので見つかってほしいと思います。その手助けをするのが学校の役割です。

〇今年も生徒の2つの「ジリツ」を育成していきます。1つ目の「自立」は「他人に頼らず、自分で独立した状態」、2つ目の「自律」は「自分で考え、行動の主体となった状態」です。富勢中の生徒が「ジリツ」するために、2学期終業式後の職員会議で私から教職員には、「新しい年を迎えたら、生徒全員が『自分だけの看板(長所)』を堂々と言えるようにしてほしい」とお願いしました。

〇どうぞご家庭でも同様に、「こんなことくらい中学生だから出来て当たり前だ」ではなく、「以前は出来なかったこともいつの間にか出来るようになっているね」や「あなたは~が好きなようだから得意になるくらいまでとことんやってみたら」などと声をかけていただきたいと思います。

〇本年もよろしくお願いいたします。

須藤昌英

 

12月27日(火)良いお年をお迎えください

〇土曜日から始まっている冬季休業(~1月9日)ですが、お子様はどのように家庭で過ごしているでしょうか?日本海側は大きな寒波で大変な状況ですが、関東地方は寒さはあるものの毎日快晴に恵まれており、穏やかな年末のような気がします。

〇今月には、政府が防衛力の抜本的な強化に向けて、防衛費の増額を行うための財源の検討に入ったとの報道がありました。その防衛費の増額に対し、「賛成」「反対」の意見があります。報道されていない部分もあると思いますが、私の印象としては「何となく薄っぺらい議論になっているのでは?」と思います。

〇これも生徒にとっては、「良い教材(自分たちの生きている社会を見つめ、自分たちの生活に直接結び付く)」ではないかと思っています。単なる二項対立では、その理由として、「賛成:自分の国は自分で守るべき。防衛力の抜本的な強化が抑止力などを高めるために必要」と「反対:増額しても防ぎきれるものではない。防衛予算を大幅に増やすことは軍事大国化を目指すものであり危険な主張と考える」で終わってしまいます。

〇まず前提として、「戦争は回避すべき」をまず確認し、「財源はどうするのか」の視点もいれながら話し合い、その上で、方法の賛否レベルで終始するのではなく、「『戦争回避』という目的を達成するためには、どうするか」と議論をすることは、あきらかに前述とは違った次元の話で、深い思考になっていくと思うのです。

〇時々「生徒は教科書の内容さえをしっかり理解し、身につければよい」という意見も耳にしますが、それは生徒のもっている力を過小評価していると感じます。「そんな防衛費に関する議論のような難しいことを生徒がわかるはずがない」と思っている大人も多いでしょうが、実は生徒は「答えのない問いを考える力」をすでにもっています。もっと言えばこれからの未来を背負っていくのは彼らであり、彼らの意見ももっと尊重し、一緒に考えていくべきです。

〇ただそれを考える時間の確保が、学校の今の教育課程(授業時数)では難しいのが現実です。教科書はもちろん大切ですし、その内容はある意味「人類の英知、世の中の仕組みのエッセンス」ですので、「困ったときに戻って確かめる」のが本来の役割です。先ほどのように「教科書さえ学んでいれば・・」では、「生きて働く知識」にはならないと思います。

〇少なくとも我々大人が、広くて深い思考をし、子どもたちの見本となっていくことや、現実には大人でもわからないことが多いので、子どもたちと一緒に考えていく姿勢を持ち続けることが大切だと思います。

〇体育館の改修工事は外装が終わり、先日足場が外されました。2月の終わりには工事完了になる予定です。これまで体育の授業や部活動で生徒たちには大変不便な思いをさせてきましたが、もう少し我慢してもらい、3月の卒業式は真新しい体育館で、3年生の卒業をお祝いしたいと思います。

〇4月1日から始めたこの「校長雑感ブログ」も、今年は本日で終了させていただきます。保護者アンケートの中にも、「校長先生のブログで、学校の様子がわかり親としてはとてもうれしかったです」などのご意見もいただきましたので、励みになります。校内での出来事はすべて校長まで報告がありますが、もちろんすべての情報をブログに書くことはできません。ただできるだけ「これは学校内だけで留めるのではなく、保護者や地域の方々にも知ってもらった方が良いだろう」の視点で書いてきました。

〇来る令和5年は「卯年(うどし)」ですが、私も12年に1回、ウサギのように明るく跳びはねていく年にしたいと思っています。もちろん48歳ではありませんので、生まれた年をいれると6回目の年男になります。どうぞよいお年をお迎えください。

須藤昌英

(外装がきれいになった体育館)

12月26日(月)布施弁天東海寺と富勢中学校

(今朝7時の布施弁天東海寺)

〇富勢中学区内の最も有名な場所として、布施弁天様をあげることには誰も異論はないと思います。正式名称は、「紅龍山布施弁天東海寺」で、千二百年の歴史がある由緒正しい寺院です。

〇学区としてははずれにありますが、本校からはちょうど北東の位置にあり、よく「京都の町の中心(御所)から比叡山延暦寺は北東方向にあり、昔から『鬼門』として京都を守っている」という話を聞いていましたので、私としては勝手に布施弁天が本校を守ってくれていると思っています。

〇先週で2学期も終了しましたので、今朝の出勤前にお礼もかねて参拝してきました。冬の寒さと年末ということもあり、静かで厳粛な空気が流れていました。すでに楼門にはお正月の準備として、門松や五色幕などが飾られていました。早朝にもかかわらず、何人かの方がご参拝していました。

〇布施弁天と隣のあけぼの山は以前から柏市のシンボルでしたから、幼い時からよく行っていました。ただあけぼの山農業公園は平成7年に開園されましたので、当時はまだなく、利根川の土手と畑が一面に広がっているだけでした。

〇小学生以前は弁当をもち家族5人で柏駅から布施弁天行のバスに乗り、ピクニックのようなことをしていました。今はありませんが当時は、柏市のレンタサイクルがあり、大人の自転車を借りて土手の上をフラフラと走ったのを覚えています。小学生になると今度は自分の自転車で友達と「ミニツーリング」気分で訪れて楽しみました。中学生の時は、柏駅近くの柏中学校から歩いて、それこそ富勢中の前を通り、あけぼの山までの遠足がありました。また高校は茨城県取手市にありましたが、毎年寒中長距離走の折り返し地点があけぼの山でした。寒風の中を往復10㎞以上を走っていました。今では懐かしい思い出です。

〇今は我孫子市民ですが、平成元年から11年間、布施新町に住んでいましたので、当時はまだ幼かった長男や次男を連れ、歩いてよく散歩していました。出来たばかりのあけぼの山農業公園のアスレチックスでもよく遊ばせてもらいました。これまでの人生でいろいろと思い出が多い場所です。

〇迎える令和5年のお正月の初詣で、また布施弁天東海寺に伺いたいと思っています。

須藤昌英

 

12月23日(金)第2学期終業式&いじめ防止授業

〇2学期のスタートの9月1日は、最高気温32°Cで、半袖でも暑さを感じましたが、今日の予想最高気温は7°Cで、通勤時にはダウンのアウターを着て寒さをしのぎました。この気温差が示すように、それだけの月日が流れたことになります。

〇2学期の授業日数は、77日間でした。いつも思いますが、先ほどのように、夏のおわりの残暑厳しさと冬のはじめの寒さの季節の違いもありますが、加えてこの時期はまた年末が近づいていることもあり、2学期終業式は独特の雰囲気があります。

〇1学期の終わりにも書きましたが、この2学期も特に、生徒たちが「自ら主体性をもつ」ようにしてほしいと願いながら教育活動をしてきましたが、まずは私も含めて大人である教職員がこの間、「自立から自律」へと意識を変えていくことができたかを今振り返っています。

〇12月に教職員に行ったアンケート結果をみると、「生徒とともに学び続けようとしたか」の項目に、大半の職員が「Yes」と回答していました。このことに関し、私もそばで職員の勤務状況を観察している者として、「実際の状況と数字は一致している」と感じています。もちろん学業を教えるのは我々の仕事ですが、「教える」ことは同時に「生徒から教わる」ことでもあり、この2方向の関係で学校の教育活動は成り立っています。

〇今日の終業式は、2学期の表彰式に続き、生徒会主催の「いじめ防止授業-いじめといじり-」を行います。これは先月に柏市教育委員会主催の「いじめ防止サミットKashiwa」に参加した原会長と新倉副会長が、そこで学んだ内容をさらに本校の生徒アンケートの結果も含めてアレンジしたものです。昨日、校長室からリハーサルを行いましたが、全校生徒が話し合いをしやすいような工夫が満載されていました。今からとても楽しみです。

須藤昌英

(昨日は冬至のゆず湯でした)

 

〇原さんと新倉さんには、使う動画(3分)だけは決めておき、あとの授業の流れはすべてお任せしました。先日の保護者会で話した授業における「起承転結(問題提起・自分で考える・話し合う・まとめる)」と「言語活動(聞く・話す・読む・書く)」がすべて網羅されており、職員室にいた職員もその内容のすばらしさを讃嘆していました。

〇おかげで終業式の「校長の話」は、その授業の感想だけを言わせてもらいました。保護者や地域の方々にもぜひご覧になっていただきたかったと後から思いました。2学期もありがとうございました。

12月22日(木)年末の大掃除

〇日本では年末に大掃除を行い、「心機一転して新年を迎える」という「しきたり」のようなものがあり、これに異を唱える人をあまり聞いたことがありません。確かに普段は見逃している(見えないふりも含む)場所もきれいにしますと、新しい発見があったり何より気分が明るくなったりします。本校でも今日の3時間目、全校生徒で大掃除を行います。

〇「仕来り(しきたり)」を辞書で調べますと、「昔からの習慣、ならわし、慣例」とあり、用法としては「~を守る」「~に縛られる」とあります。人として「~を守る」と「~に縛られる」では180度違う姿勢になります。

〇「~守る」は、正しいと信じていることを今まで通りにやることですが、さらに自主・自律的に自らやろうとする意志のもと、「どうせやるなら楽しく」なるように、創意工夫をしていくまでになると、たとえ誰かに「もうそんなことやめたほうがいいよ」と言われたとしても、全く意に介せず、続けていくことができると思います。

〇その一方で「~に縛られる」の方は、自分の気持ちに関係なく仕方なくやることになり、創造性・想像性は生まれません。むしろやる意義や意味、それをやることによる効果などを考えていないので、具体的に「こうしよう」などとは思わず、とにかく「はやく終わればいい」しかないと思います。

〇サッカーワールドカップでは、日本人サポーターが客席のゴミ拾いを自主的にしたり、選手ロッカーが最後きれいに片づけられたりした写真がアップされ、世界から賞賛されていることが話題になりましたが、使用させてもらった場所に感謝していることを行動に示したとも言えます。ただ一部には、「清掃をする人の仕事を奪っている」との見方や、もっと厳しい意見は「単なる売名行為?にすぎない」まであるようです。私などもさすがにそれには頭の中で疑問符がいっぱいになりましたが、しかし日本人的見方を超えた世界レベルではそういうこともあることは知っておくべきでしょう。

〇学校の清掃も多くの国では、雇われた清掃人が仕事として行っており、生徒自身が清掃をするのは稀だそうです。先ほどのワールドカップの話でも、我々は学校で清掃活動をしてきたので、違和感はありませんが、成長過程でボランティアベースの清掃を経験してこなかったならば、理解できなくても当然なのかもしれません。しかしその日本型教育が注目され、アフリカでは生徒による清掃を取り入れた国もあるそうです。さて、「今日の大掃除をどんな気持ちでやっていますか?」「大掃除って必要だと思いますか?」などと、見かけた何人かの生徒に尋ねてみようかなと思います。

須藤昌英

 (日本代表のロッカールームが綺麗すぎると話題。「全チームの模範」とFIFA関係者も話す)

 〇部屋の窓は開けっぱなし、しかも水道の水は冷たい状況でも、自分たちの分担をキレイにしようと、黙々と身体を動かす生徒たち。この経験により少なくとも、意図的にゴミを落としたり汚れている場所をさらに汚したりすることのない大人に成長してくれると信じています。

 

12月21日(水)給食最終日

〇今日は2学期最後の給食となります。先日、生徒アンケートの中で、「あなたはこれからも黙食を続けたほうが良いと思いますか」と尋ねたところ、以下のように、①そう思う31%、②大体そう思う28%、③あまりそう思わない21%、④思わない15%、⑤わからない5%という結果になりました。

 

〇「わからない」の5%を除くと、「継続した方が良い」が59%、「継続は必要ない」が36%ですので、生徒の中では、まだ続けた方が良いと思う人が思わない人の約1.6倍であり、3学期もしばらくは継続していくことにしたいと思います。ただ、今回のアンケートはそれぞれの理由までは集計できていませんので、例えば「●●という条件が守られれば、黙食を解除したい」とか「2つから1つを選ぶので、仕方なく黙食を続けるにした」などの生徒もいるのではないかと思います。

〇この3年間のコロナ禍で、生徒たちもいろいろな経験をし、「自分は~したらよい」と思うと考えてきたと思います。ただ当然のことながら、同じような経験をしても人によって考えは異なります。つまり一見すると意見が対立し、白か黒の2つに一つしかないように見えます。しかしこの時こそ、「広くて深い思考」が必要で、そのためまずお互いに目的が一致していることを確認し、次に対話する姿勢(相手の真意を理解しようとする)を持ち続けることしかありません。

〇給食に関して言えば、「感染しやすいといわれる会食を可能な限り安全にしかも楽しく食べる」ことが目指す目的となり、「そのためにはどうしたらよいか?」という大人でも難しい課題に、本校の生徒は真正面から取り組む力をすでにもっています。その対話(学び)の場を設定してあげるのが学校の役割です。今日で2学期の給食は終わりますが、引き続き3学期も生徒たちと一緒に考えつづけていきます。

須藤昌英

*今日の給食は「クリスマスメニュー」として、給食室手作りの「チョコマフィン」がありました。バターをたっぷりと使い、かわいいイラストのカップで焼いて、雪のような砂糖をかけてあります。ご馳走さまでした。

 

12月20日(火)恩返しと恩送り

〇民話の「鶴の恩返し」やそれを題材にした木下順二の「夕鶴」は多くの人が知っている話ですが、人間に助けてもらった鶴が機を織って恩を返すお話です。「のぞかないで」と言われたのに部屋をのぞいてしまい、最後は鶴が空へ帰ってしまう結末となっています。私は幼いころからこの話を聞くたびにこの結末があまり好きではなく、雪空に鶴が飛び去っていく淋しい情景を思い浮かべていました。

〇「恩返し」という言葉は、お世話になった人に直接何かをしてあげることですが、50歳になった頃に、「恩送り」という言葉を初めて知り、その後段々と年齢があがるにつれてその意味を深く考えるようになりました。これまでの人生の中で、多くの人にお世話をしていただきましたが、実際にその方々すべてに「恩返し」をすることは難しいのではないでしょうか?両親や兄弟はまだしも、友達や恩師、同僚や住んでいる地域の方々・・・、私もその方々すべてと今でもつながっていたりきちんと感謝を伝えたりできていないことがほとんどです。

〇であるならば、「恩返し」ではなく「恩送り」をしていくしかないと思ったのです。例えば私であれば、小・中・高・大学と16年間で多くの授業や諸活動の中で、多くの先生や友達から様々なことを教わりました。その後教員となり、今度は多くの児童生徒や同僚に対して、自分としてできるだけのことをしてきたつもりです。しかしそれはまた別の見方をすると、それまでしてもらったことに感謝しつつ、直接その方々に恩は返すことはできませんでしたが、その分あらたに出会った方々に「恩を送っている」とも考えられるようになりました。

〇世の中のほとんどがお互いの「恩送り」で成り立っているなかで、逆に「恩返し」をできることは稀なことなので、私の中では次の図のようなイメージになります。まもなく今年も終わります。今年中にいただいた恩はできるだけ今年中に返していくようにしたいものです。

須藤昌英

12月19日(月)忘れられない質問

〇今から30年以上前、まだ若い頃に担任をしていたクラスの生徒の一人から、その具体的な場面は忘れましたが、突然「先生、『生きる意味』って何ですかね?」と質問されたことがありました。唐突な質問であり、私もまだ20代でしたので経験も浅く、ただその場の勢いで、「そんなこと考えている時間は自分にはなかったなあ」とだけ答えた記憶があります。しかし本当は当時はまだ、そんな直球的な質問を大人として正面から受け止めて、自分の言葉で答える自信がなかったというのが本心でした。以来、その他の生徒にも「もし同じ質問をされたらどう答えようか?」が私の長年の課題意識になってきました。

〇そういう私が2年前くらいに読んだ本に、「人は生きることの意味はあるのか」に関して、考えさせられるエピソードがありました。ある哲学者の実体験です。要約して紹介します。

「その学者にはその道を志すきっかけになった100年前くらいの故人の大哲学者がいたそうです。とにかく若いころから憧れており、『将来どんな学者になりたいか?』と人から尋ねられれば、必ずその方の名前を答えていたそうです。ある日京都で学会があり、その晩にホテル近くの行きつけの小さなバーでいつものように一人で飲んでいました。すると後からその店に感じのよい紳士が来て隣に座り、お互いにボツボツ話を交わすうちに、相手が医大の先生であることがわかってきました。そしてその学者が『自分は哲学者です』と自己紹介すると、その紳士が『それは奇縁ですね。私の祖父も哲学者でした』と言います。学者は『そうですか、お名前を聞いていいですか?』と言ったその相手の答えに、その学者は思わず自席から立ち上ってしばらく直立不動となり、その紳士に深く頭を下げ、握手を求めた」という話です。

〇その学者は、「人は時として、存在するだけで他者に恩恵を与えることがある。その紳士も私を元気づけようとわざわざ京都まで来たわけではない。何気なく店に入ってきて、たまたま私の隣に座っただけ。ただ私の方は、尊敬する方のお孫さんに思いもかけずお会いでき、至極の喜びを感じた。そのお孫さんの紳士を通して、尊敬する方を身近に感じることができた」さらに「人はいつも、生きる意味を求めてあれこれ悩むが、『自分が存在するだけで、誰かを助けている』と思えるなら、それは素敵な生きる意味ではないか。」と結んでいました。

〇私はこれを読んだ時、他人事ながら感動し、「人生において目には見えない縁があるのかもしれない」「人の強い思いは会いたい人を引き付けるのではないか」と思いました。30年前に戻ることができたなら、あの生徒にも話をわけてあげたいです。

須藤昌英

12月16日(金)思考のアウトプット「書くこと」

〇一昨日の保護者会の中で、学校の授業では、学びを広げて深めるために、4つの言語活動(聞く、話す、読む、書く)を大切にしていることをお話ししました。そのうち「書く」ことが一番負担が大きく、前の3つ(聞く、話す、読む)を十分に行っていないと、「自分の考えを書く」や「今日の感想を書く」などは出来ない、つまり生徒にとっても一番ハードルが高いことを説明しました。

〇「書く」ことでいうと、生徒たちは毎日、その日の予定やあったことを記録するノートをつけています。1・3年生は「タイムくん」、2年生は「忘れないぞう」というかわいい名前のノートです。担任はそれを読んで、コメントなどを書いたり心配なときは直接声をかけています。やはりこれも「継続は力なり」で、書き慣れている生徒は苦も無く自分の思いをスラスラ書けています。それに比例するように、授業ノートなども効率よくまとめているようです。

〇私も毎日2種類の記録をつけています。一つは仕事に関することで「執務記録」です。その日に学校内であった報告事項や今後の方向性などを記録しています。これは見開き2ページで1週間分ですので、前の記録を見るときには、さかのぼる必要があります。特に最近は自分の記憶力に自信がなくなってきているので、1カ月前の記録を見ると「そういえば、こんなことがあった」と思い出せるので、定期的に確認しています。

〇もう一つは、私的な「日記」で、こちらは市販の「十年日記」を使用しています。例えば10年分の「12月16日」が1ページに縦に並んでいますので、書く時にはページをめくらなくても、昨年や一昨年の同じ日に何があったかを見ることができて便利です。またそれによって、「次は~をしておいた方がいいかな」などを考えるきっかけになります。ただ書くスペースは小さいので、あったことや感じたことを3行程度にまとめて書いています。

〇生徒が「書く」活動をするのは、上述のような記録を残すためよりも、頭の中にある自分の考えをアウトプットすることで、それを整理したり他の知識とのつながりを考えたりすることが目的です。ただノートをきれいに書くことが目的ではありませんので、最終的には自分だけがわかるような字体でかまわないのですが、書いたものを提出する場合には、読む人が見やすく書くのも大切でしょう。実際に私も「執務記録」や「日記」は字体を整えることはせず、殴り書きがほとんどです。

〇今度お子様のノートを見たときには、そのような視点で話をしてみてください。

須藤昌英

 

12月15日(木)2学期保護者会

〇昨日、2学期の保護者会を行いました。1学期末の7月には実施しなかったので、4月の当初保護者会から8カ月ぶりとなります。全体会で私からこの8カ月間の本校における学びの説明とその後教務主任から保護者アンケートの結果報告を行い、その後各クラスの懇談会となりました。

〇保護者会資料中の冒頭のあいさつでも書きましたが、今の世の中では、目の前にいない、表情が見えない相手がどんな気持ちでいるのかと思いをめぐらす力こそが必要であると感じます。普段はLINEやHPなどでのこちらからの一方的な情報発信が多いですが、年に数回でも顔を見ながらお互いに話をすることが大切であると思います。お越しいただき、ありがとうございました。

〇私がお話しさせていただいたスライドを掲載します。

須藤昌英

12月14日(水)「聴く読書」は新しくて古い

〇小学校では以前より、「読み聞かせ」という活動を行っています。私も今から15年前頃、3年間だけ小学校に勤務したことがありますので、図書室や教室に地域や保護者のボランティアの方に来ていただき、児童の前で絵本などを読んでもらった経験があります。私は読んでもらっている際中、その本を見るよりもそれを聴いている児童の顔を見ている方が面白くて、「ああ、この子はこういう表情もするのか」とか「おお、この子は完全に物語の世界に入っているな」などと観察していました。その子たちも今は立派な社会人となっている年齢です。

〇文部科学省の調査によると、小学校入学以前に家庭で読み聞かせをしてもらっていた子どもは読んでもらわなかった子どもよりも「学校の授業を楽しんでいる」という子の割合が多いことが明らかになっています。さらに小学校・中学校の学習状況においては読み聞かせをしてもらっていた子どもの国語や算数、数学の平均正答率が高いという結果も発表されています。

〇本校では「読み聞かせ」は行っていませんが、今度機会があったら中学校でもやってみてもいいかなと思いました。自分で本を読める年齢ですが、たまには耳からの読書もイメージをふくらます力になるかもしれません。「読み聞かせ」の効果として、聴きながら自分の想像力をフル稼働させ、それから波及して言語力や文章理解力、話を最後まで聞く力といったさまざまな能力が培われると考えられるでしょう。

〇そこで今、大人でも家事や子育てをしながらや、勤務の合間でも文庫本に触れようと名作や長編を耳で聴く機会をつくり、多数の文庫本の作品を“オーディオブック”を利用している人が増えているようです。耳で聴く人気作品は、新作にとどまらず 名作や長編があるそうです。私も経験がありますが、ロシア文学はやたら長く、例えばドストエフスキー著作の『罪と罰』(岩波文庫)音声の朗読収録時間は上下で30時間以上(ただし、朗読の音声は、最速で4倍速まで好みの速度で再生ができる)らしいです。

〇また、人生で一度は読でんみようと決心ししたものの、紙媒体では“読破”するのを断念した本を、再度耳で聴いてみようと挑戦するニーズが高いそうで、これは「学びなおし」「学び続ける」などの生涯学習につながると思います。冒頭の小学校の例もあり、共感できる部分も多いです。そしてYouTubeと比べると映像がありませんので、逆に観る必要がなく、片手間でも聴けるのが良いのかもしれません。

〇私も若いころの一時期は、ラジオを聴く方が、テレビを観るよるりも楽しかったことがあったことを思い出しました。今度私も自宅のタブレットで、“オーディオブック”を試してみようと思いました。

須藤昌英

12月13日(火)新着本展示会・味見読書

〇全クラスの国語の時間を使って、図書委員会の司会進行により、新着本を並べての「味見読書(いろいろな新着本を手に取る)」を行っています。最初に図書委員から説明があり、1テーブル5分ずつ6テーブルを班ごとにローテーションします。一つの本をじっくりと読むのではなく、料理を味見するように、気になる本をチェックしていく活動です。

〇生徒の感想の一部から抜粋します。

・味見読書はすごく楽しみにしていて、今日も読めてうれししいです。自分から手にとらない本でも、味見読書だと読むことができるので、より本が好きになりました。

・まだ読んだことのない本など、たくさんの本を読んで、どの本もとても読みやすくて、ワクワクして面白かったで

す。

・久しぶりに自分が本当に読んでみたいという本を見つけられたのが良かったです。味見読書なので、短い時間でしたが、新しい発見がありました。

・こんど本屋で本を選ぶとき、いつも見ないジャンルの棚もみてみようと思いました。

・受験もあり朝読書以外に本を読めませんでしたが、この機会を通し読むことができてよかったです。

・有名な本はだいたい知っていますが、あまり聞いたことのない本もとても面白そうで、読んでみようかなと思いました。

・毎回恒例の味見読書ですが、今年も新しい本を読むことができ、とても良い時間でした。

・新着本の中で、何冊も読みたい本があった。

・自分で今まで読んできた本とは違うジャンルも読みたくなりました。同じジャンルに限らず、もっと色々読もうと思いました。

・本それぞれに良い点があったり面白さがあったり、読んでいて苦ではなかったです。

・気になるような表紙とか挿絵を選ぶことが多いですが、本の出版社にとっても大事な視点かなと思いました。

・自分はあまり図書室に来たことがなかったけれど、本を読みたい気持ちはあったので、冬休み前に本を借りたいです。

・普段から読むような本とそうでない本まで、色々な本を手に取る機会になりました。すごく楽しかったです。

〇先日前もってお知らせした「柏市こどもの学び応援事業『図書カード』の配付」を周知する柏市からの文書を、紙媒体で配付しました。味見読書で見つけた本を、新年になって購入してみることもよいのではないでしょうか?

須藤昌英

12月12日(月)師走の日曜日に思ったこと

〇昨日、あるソロアーティストのライブが東京ドームであり、事前にチケットを購入しておいたので、行ってきました。土曜日と日曜日の二日間で、十一万人強の人を集めてのコンサートですので、開場から演奏開始まで、二時間半をかけて密にならないようにし、基本的な感染対策も色々と施されていました。もちろん演奏中もマスクは外さず、繰り返し「大声での声援は控え、拍手をお願いします」のアナウンスが流れていました。                  

〇この三年間はコロナの影響で、音楽をはじめとしたエンターテイメントの業界は、壊滅的な打撃を受けています。私はこのアーティストなども、「自分が歌いたい」と言う気持ちよりも、これ以上イベントの自粛を続けると、関わっている会社や実際に働いている人達が困窮してしまうと考えているのではないかと想像しています。実際にコロナ前と比べて感染対策もあり、やたら多くのスタッフがあちこちに配置されていました。                  

〇あの中国もこれまでの「ゼロコロナ政策を見直し」とのニュースが伝えられていますが、その発端は、各地で行った市民レベルのデモのようです。かの中国共産党もこれ以上の抗議運動の拡散を恐れたとの専門家の見解です。感染拡大を防ぐことと、経済を回すことはこれまでは真逆のロジックで語られてきましたが、新たな段階に入ったとも言えます。        

〇全28曲のうち、「平和の街」という曲がありました。その曲の歌詞から私が受け止めたメッセージは、「現実の生活はもがくことは色々あるけど、一人一人はかけがえのない存在、ともに平和の街で生きよう」でした。世界では紛争によって命の危険や厳しい寒さで凍えている人も多いことや、この平和な日本でも医療関係者などはこの年末年始をいかに乗り越えるか頭を悩ませています。

〇12月の東京ドームで、あと3週間、本校生徒が何事もなく新年を迎えられるように考えていました。

須藤昌英

(東京ドーム入口の入場チェック体制の様子)

12月9日(金)「いいね!」の功罪

〇この「校長雑感ブログ」にも「いいね」の機能がついています。私としては「なくてもいいかな?」と思いつつ、4月からホームページのフォーマットを初期設定からそのままにしています。ただ実際に「いいね」があると、全く気にしないというわけにはいかないのが人情です。私たちは誰しも、「誰かに認められたい、受け入れられたい」と思う気持ちを生まれつき持っていますので、その心理が働くのだと思います。

〇ただその「いいね」という機能について、功罪(または長所と短所)があるとも感じます。昨日もとりあげましたが、生徒たちも様々なSNSを使った情報発信をする中で、一喜一憂しているとも聞いています。功(長所)の面からは、まずに、「人との共感性の見える化」が挙げられます。自分の意見や価値観に共感してくれた人数がわかれば、確かに悪い気はしません。しかも、その相手が目の前にいなくてもいつでも「いいね」がもらえ、満足感などを得ることができるのが「いいね」だとも言えます。

〇また前述しましたが、「承認欲求の充足」が挙げられます。特に中学生など思春期の若者は、自分の意見や価値観に自信がなかったり他人との比較を重要視することが多かったりします。そこで、「いいね」は自分の考えを肯定してくれ、社会から認められているという感覚を与えてくれます。さらに、「所属感の獲得」が挙げられます。「いいね」は不特定多数の他人からの賞賛の声や同意の証として機能します。この「いいね」をもらえる機会が増えると、それだけ社会集団の一員として帰属意識が芽生えます。要するに、自分にとっての居場所が確保できたと受け止めやすい状況が作れるのです 。

〇一方で、今度はSNSの「いいね」が現代の人間心理に与えた罪(短所)については、段々と「もっと認めてほしい」などの依存性(中毒性)が出てくることだと思います。これは心理学では「強化」と呼ばれています。厄介なのは、もっともらえるよう発信の回数が増えたり、内容も「受け」を狙うようになりやすかったりします。つまり、心の中が「いいね」に支配されてしまい、「いいね」がないと不安になったり焦ったりします。さらにSNSを確認する回数や時間が増えると、画面を注視したり、姿勢が崩れたりして心身への影響が免れません。時には心身の不調を訴え、精神衛生上良くない方向に影響が出ることもあります。  

〇また「喪失感や空虚感を抱きやすい」面もあり、現実の賞賛や承認より抽象度が高く、統一性があるため実感が湧きにくいという特徴があります。最初が「いいね」が貰えて喜んでいたのに、次第にその嬉しさや楽しさが減り、虚しさや悲しさを感じやすくなります。これは「いいね」を追い求めた反動・リスクとしてのネガティブな感情の生起で、注意が必要です。

〇この記事をかきながら、「大人の私も同じようなところは少なからずあるなあ~」と感じました。

須藤昌英

12月8日(木)「情報・ネットモラル授業」出前授業

〇昨日も書きましたが、学校内でのいじめではなく、ネットワーク上でのいじめは、なかなか我々職員も把握しづらい面があります。またコロナ禍という時代背景もあり、ここ2~3年は、SNSなどを使ったいじめが増加しています。対面ではなく、仮想空間で相手の気持ちを考えることなく、傷つく投稿をしてしまうことが想像されます。

〇昨日の4時間目、柏市少年補導センターから小島指導主事をお招きし、校長室から「情報・ネットモラル授業」出前授業を行ってもらいました。実施の主な目的としては、SNSを通じたトラブルや犯罪行為が急増化する冬休み(年末)に入る前に、情報モラルについて考える機会としSNSの危険性を知り、適切な使用方法を身につけることです。

〇大きな内容は次の3つでした。「なぜ今我々にはICTが必要なのか、SNSの間違った使用は命の危険までつながる、ICTは人に対して優しく使うことが大切」。日本は世界的にみると、ICTを学習・仕事よりも日頃のコミュニケーション(ネット上のゲームも含む)に重きを置いています。だからこそ「きちんとしたモラル」を身に着けていないと、様々なトラブルが起きるということになります。

〇実例として「インフルエンサー(世間に対してSNSを発信して大きな影響を与える人)」をフォロー(好きなユーザーの発信を継続して読むために登録すること)しただけでも、そのインフルエンサーが悪いことを考えた場合(個人情報を盗まれる、お金や写真を要求されるなど)、そのトラブルの中に巻き込まれたことも紹介されていました。

〇またオンラインゲームやインターネットを通して友達になった人に会いに行き、誘拐や薬物を打たれるなどまで発展するなど最悪の場合もあります。そのような場合は、相手は架空の人物になりすまし、最初は優しくあなたに寄り添うように対応してくれ、それを信じて安心感を抱いた瞬間に、相手の態度が急変し、脅迫されるようになることが多いです。

〇よく使うLineなどのメッセージアプリも、文字だけではお互いの本当の気持ちは伝わりにくく、誤字などでむしろ誤解につながることも認識しておくべきことや、すぐに返事がこなくても相手には相手の都合があること、つまり自分の基準を相手に押し付けないことも「マナー・モラル」の一つだと思います。

〇感心したのはこの授業を行う前に、生徒に行った事前アンケートの中で、次のような意見があったことです。

「ネットと現実は急速につながってきたのに、一部のメディアでは『ネットの世界と現実の世界は別物』のような間違った情報が流し、結果として、実際にその境目がわからなくなった人たちを、さらし者にするようなことも行われている。このようなことを自分はいけないと思う」

「人類の生活が快適になるためにSNSは発達してきたのに、インターネットに執着した結果の『SNS疲れ』などは、本末転倒な気がする」

「子どもも大人もマナーを守り、犯罪やトラブルに巻き込まれない環境をつくることが大切だと思う」

〇さすが中学生だと思いました。この年末年始が楽しく過ごせるように、職員一同願っています。

須藤昌英