創立78周年目 学び成長し続ける富勢中
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校長雑感ブログ
11月21日(木)2学期期末テスト(1・2学年)
〇今日と明日は、1学年及び2学年の期末テストが行われます。すべての学習の基本と目的は、「まず覚えられる範囲で基礎的な事項を覚えつつ、次に理解できた事項を確実にいつでも使える知識にする」ことです。
〇ホームページのトップに、各学年の出題範囲表を掲載していますが、生徒は授業の中で、各教科担任から出題範囲に関するもっと細かい説明を聞いていると思います。そして各自、教科書やノート、ワークや問題集などを使い、これまで準備を行ってきています。
〇脳の海馬については以前にも書きましたが、テスト準備の期間中もしっかりと睡眠を確保し、海馬の活躍に期待するのが鉄則です。昔から「一夜漬け」つまり直前に詰め込むやり方の是非が議論されてきましたが、「一夜漬け」のようなものを「集中学習」と呼ぶに対し、逆に毎日コツコツ勉強することを「分散学習」といいます。ただし「分散」とは注意力が散漫で集中していないという意味ではなく、時間を区切って少しずつ行うことです。
〇また学習とは、「ものごとの関連性を習得すること」でもあり、今まで独立していた事実が頭の中でつながることです。簡単な例では、「GO」と「行く」のように、英語と日本語の意味の結び付けを行うことがあげられます。このつながりを強固にするには、繰り返し「学び続ける」しかありません。
〇「上手に覚える」ような成功を導き出すためには、それだけ多くの失敗が必要で、記憶とは「失敗」と「繰り返し」で形成・強化されます。何度も失敗すると、それでやる気がなくなっていきそうになりますが、その解決策の一つが、「得意な面を活かして学習する」ことです。苦手な教科は誰にでもあるもので、その苦手分野でクヨクヨせず、逆に得意を素直に活かすと、全体として成績が上昇することが知られており、教育心理学では「特恵効果」といいます。
〇これはテスト当日にもあてはまります。テストを受けている際中、自分の得意な問題から手を付け、そこから自信がつくと、やる気や集中力が高まります。よく食事で、「美味しいものを最後に食べる」「美味しいものは最初に食べる」のような話がありますが、学習については圧倒的に後者が有利で、「得意なものは最初にとりかかる」です。
〇テストは通常、採点する側の便宜を図ることから、すべて100点を満点として作成していますが、当然生徒一人ひとりの学びの現状は異なります。であるならば満点を取ることが大切ではなく、各教科の理解度を自分で把握することが本来のテストの意義です。もっと言えば「テストはゴールではなく、スタート」です。
〇先日のリフレーミングで言うと、例えば結果として65点だった教科に対し、「あれだけ準備したのに、満点まであと35点も足りないもういいや・・」ではなく、「とりあえず6割強は理解できているので、まだ完全に理解できていない内容のどこから手をつけようか・・」のように思えることが重要ではないでしょうか。
〇3年生は同じ日程で実力テスト(基本的に詳細な出題範囲表はなく1・2年生の内容も含んだ総合的な問題)を行っています。生徒たちの健闘を校長室で祈っています。
須藤昌英
11月20日(水)「言葉の職人」のご逝去
〇現代を代表する詩人の谷川俊太郎さんが、今月92歳でお亡くなりました。谷川氏は1931年に東京で生まれ、高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビューしました。鋭いけれども誰もがもっている感性を大切にし、テンポのよいことばを連ねるなど、半世紀以上にわたり数多くの作品を発表し続けてきました。
〇私は若い頃から谷川氏の詩を、林間学校のキャンプファイヤーや3年生を送る会などで生徒に朗読させていました。とても平易な言葉ばかりですので、読んでいるうちに生徒たちはその独特の世界に引き込まれ、普段は見せない表情をしていたことをよく覚えています。
〇代表作の「生きる」の全文を紹介します。*下線は私がつけました。
生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
〇以前より自分の解釈ですが、この詩のテーマは、「普段の生活(日常)にこそ生きていくことのすべて(意義)がある。そのことを再確認することが幸せを身近に感じる唯一の方法である」ではないかと感じていました。よく言われますが、十代の若者がこの詩に共鳴する部分ともっと年を重ねた大人が共鳴する部分は異なり、それが詩の素晴らしさではないかと思います。
〇谷川氏は十数年前のインタビューで、「詩というか言語というものは、われわれの世界を記述するのに、非常に不完全なもの。作品がうまくできれば満足だけど、それが真理を示しているとか、そんな気はまったくなくて、きれいで人が楽しんでくれればいい。芸術家というよりも言葉の職人っていうのかな。自分としては『職人』と言いたいんですよ」と答えています。
〇長年多くの詩によって勇気づけられたことに感謝しつつ、谷川俊太郎氏のご冥福を心よりお祈りいたします。
須藤昌英
11月19日(火)ネットの偏りとディープフェイク(騙し技)
〇先日の兵庫県知事選挙で、議会から不信任決議を受け失職した前知事が再選されたニュースがありました。選挙戦の終盤にSNS上での前知事への支持の呼びかけに応じた人たちが急速に増えて投票したことが勝因の一つと言われています。
〇私たちは毎日インターネットで公開されている情報を得ることが容易となり、ありとあらゆる分野のさまざまな内容の情報が「洪水」のようにあふれています。それは現代病ともいえる「ゆっくりと集中できない心理状態」を生み出し、いつも情報に追いかけられている感覚もあります。
〇前述の選挙に関しても、一昔前ならば他の県の知事選などはほとんど関心も情報もなく終わっていました。しかし失職する前からの報道や選挙中の前知事の街頭演説の動画が拡散し、別に詳しく知りたいとは思わなくても知り得る状況です。またそうしたことからSNSに慣れている若年層の関心を招き、支持を集めたようです。もちろん投票率が上がるのは好ましいことですが、SNSの情報の中には、真偽の判断が難しいものも含まれていたと、選挙戦後にあらためて指摘されています。
〇ネットの情報が、既存の大手メディアである新聞やテレビによる情報よりも影響が大きくなる時代です。それは新聞やテレビは基本的に「公平性」を重視しますので、いろいろな視点から報道しますが、一方でSNSは一度閲覧すると同じような情報が自動的にアップされ、読者はどうしても偏った情報になりやすい面も忘れてはなりません。そういう状況は「フィルターバブル(多様な情報がブロックされて一つの情報に偏る)」と呼ぶそうです。
〇またSNSが手軽で便利なツールとなったことで、「自分に注目してほしい(承認欲求)」と思う大人や子どもが増えています。これが強すぎると承認欲求モンスターとなり、過激な写真や動画、嘘情報を何の疑いもなく投稿してしまうことまで発展する可能性があります。
〇これまでの偽画像や偽情報は、関係ない画像の無断使用、画像の一部を切り抜く、事実と異なる内容をあたかも真実のように書くという程度がほとんどでしたが、最近はAIによる画像の生成や「ディープフェィク(深いウソ)」が増えているそうです。
〇具体的には複数の異なる動画や画像、音声を人工的に合成して作られるもので、例えば顔を入れ替える、音声に合わせて写真や動画の口を動かすなどです。これらが簡単に出来るのと出来たものは本物との見分けが難しいと聞くので、どうしたものか?と感じます。悪意をもって別な人との顔と合成し、事実と異なる言葉を喋らすことも可能で、それが流行するとなると、個人の人権だけでなく国家レベルの問題にもなりかねません。
〇実際にその現地に行き、ある現象を観察・実験・体験、さらには資料収集等をすることを「フィールドワーク」と言います。本やインターネットで見たり知ったりした知識は、実際と異なる場合も多々あり、自分の目や耳、その他の感覚をフル稼働して体験したことこそ正しいことに近づけます。学校ではSNSの有効性は認めつつ、最後は自分の目で確かめる力を生徒たちに身に付けさせていきます。
〇冒頭の知事選でも若い世代は、「新聞やテレビは信用できない」「多くのネットの情報を比較して選ぶ」という感覚が強いそうです。現在兵庫県芦屋市に在住している中学校時代の野球部の旧友が、来月柏に里帰りするので当時の数人の仲間と忘年会をしようと約束しました。その際には、兵庫県民は実際にどのような感想をもったり反応したりしていることを聴いたみたいと思います。これも一つのフィールドワークだといえるでしょう。
須藤昌英
11月18日(月)「人生、遅すぎることはない」
〇9月から始めた3年生との校長面接が先週一通り終わりました。一人ひとりの話を聞いて、先日のゲームの話とも共通していますが、自分が主役となり、「主体性」をもってやりたいことに挑戦していくために、志望した上級学校で学ぶということは、とても大切であり応援していきたいと感じています。
〇ただ時々「自分自身に自信をなくしているのでは・・」と感じる生徒がいます。面接時間は一人10分間ですので、その原因を詳しく聞いたり、アドバイスをしたりすることはなかなか難しいのですが、そんなときいつも私の頭の中をよぎるのが「人生、遅すぎることはない」という言葉です。
〇この言葉は、野球漫画で有名な水島新司(1939年~2022年)作「あぶさん:84巻第3話」の題名です。この「あぶさん」もプロ野球を題材にした超大作の漫画で、41年間で全107巻、今から12年前の平成24年に幕を下ろしました。
〇私も全て読破したわけではなく、たまに見かけると読んだくらいですが、プロ野球選手の主人公が野球だけでなく、身近な人達との人情的なやりとりがクローズアップされた作品で、読むと深くその物語に入り込んでしまいます。
〇この「人生、遅すぎることはない」との出会いもひょんなことからです。まだ私が三十歳代後半で仕事で何かの壁にぶつかって悩んでいた時、たまたま家族と行っていた入浴施設のソファー横の本棚にあったコミック雑誌をパラパラとめくっていました。するとその中に、主人公が成績不振にあえぎながらもある人の言葉からまた立ち上がろうとする物語が目にとまり、その場で何度か読み返したのを今でもはっきりと覚えています。
〇帰り際には、「やってもみないことをくよくよ悩んでも仕方ない、とりあえずやってみて、もしうまくいかなかったら、またそこで考えよう」と思え、明るい気持ちで自宅に着きました。私はそれまでは「漫画やアニメは・・」と勝手に遠ざけていましたが、それをきっかけに、メッセージ性やストーリーが優れているものがけっこうあることを再発見し、注目するようになりました。
〇前振りが長くなりましたが、話をもとに戻します。冒頭の生徒達には、次のような言葉がけをしてあげたいと思っています。
今まで何度かやろうとしたけれど出来なかったこと、今の自分では到底出来そうもないとあきらめてきたことなどは、誰にでも1つや2つはあります。しかしそれらは多くの場合、『本気』で取り組もうとする前に、尻込みしてしまったことがほとんどではありませんか?「あの人だからあんなことが出来るんだ」とか「自分には到底そんな能力はない」と思い込んでいませんか?生きているかぎり、何でも「手遅れ」ということはありません。周りからは簡単そうにやっているようにみえることでも、その人は他人が見ていないところで必ず努力しています。その表面だけの姿で判断せず、まずは自分の出来ることから始めてみること。そしてそれを工夫しながら続けてみること。そのきっかけが一番重要であり、まさに今、新たなチャレンジをする勇気をもってほしい。
〇「人生、遅すぎることはない」、これは本校のテーマである「学び成長し続ける富勢中」ともリンクしています。
須藤昌英
11月17日(日)避難所開設運営訓練
〇昨日の午後は、富勢地区として初めて本校体育館を避難所とした開設・運営訓練を行いました。富勢地区(小学校3校、中学校1校、高等学校1校)は、布施近隣センター長が災害本部長となり、柏市職員25名が割り当てられています。そこへ各地区の防災担当者の方が加わり、受付、駐車場設定、パーテンション設営、臨時トイレ設置、ペット受け入れなどの役割分担で行ないました。
〇振り返ってのワークショップは、私がファシリテーターとなり、
① 実施する意義や成果点
② 実施した課題・改善点
③ 次回へのアイデア
について話し合いました。今回は本校で行ないましたが、次は各校でも実施したいとの意見が出ました。
〇市役所職員、ふるさと協議会会長、富学協会長、本校職員、本校生徒6名で宿泊体験しました。夕食後、体育館の大スクリーンで「すずめの戸締り」という映画を鑑賞しました。日本各地の廃墟を舞台に、ミミズという大地震を起こす怪物を止めるために、主人公のすずめが旅をしながら成長していくストーリーでした。
〇日本では大昔から大地が揺れるのは、ナマズなどが暴れるということが信じられてきましたが、今は科学的日本列島は「地震の巣」であることが判明しています。少しでも避難所が地域の方々の安心できる場所になってほしいと願っています。
〇中学生は来週の期末試験に向けて、体育館で勉強もしました。たださほど寒くなく助かりましたが、広い体育館で寝るのは、慣れないと難しいと感じました。
須藤昌英
11月16日(土)花鉢配付ボランティア活動&避難所開設体験
〇本日、富勢地域ふるさと協議会及び各町会・自治会の皆さまとボランティア生徒70名が一緒に、これまで育ててきたビオラの花鉢をお手紙と一緒にご高齢の方のお宅に伺って、配付してきました。
〇受け取っていただいたご高齢の方々からは、中学生が届けてくれたことに、感謝の言葉がありました。中には、「孫が富勢中にお世話になっています。」と話がありました。同じ地域に住んでいるからこその「こぼれ話」です。
〇生徒は大人になるにつれて徐々に人間関係を広げていきますが、彼らにとって親や教師は「縦の関係」、兄弟姉妹や雄人は「横の関係」なのに対し、地域の方等は「斜めの関係」だとよく言われます。「縦でも横でもない斜め」であることで、気軽にしかもあたたかく見守ってくれる存在であることが、彼らの心理状態を安定させます。
〇さらに「有難う」「頑張ってね」と声をかけてもらうことで、「自分も役にたっている」「良いことをすると気持ちいいな」と、自分の存在を見つめなおしたり自己の有用感を高めたりできます。
〇11月としては暖かく小春日和で、参加した生徒たちも「最初は緊張しましたが、あたたかく迎えていただき、良い経験ができました」と感想を言っていました。これからこの地域を支えてくれる生徒たちに、地域への愛着心が芽生えてくれると、このボランティア活動の目的にも沿ったことになります。
須藤昌英
11月15日(金)秋の収穫
〇一昨日は、柏市制施行70周年を記念して、市内小中学校及び公立保育園にて柏市産の食材を使用した特別給食でした。メンチカツやかぶのすり流し汁、ヒジキと彩野菜の和え物は、どれも美味しく、まだまだ柏市は農業が盛んだということを実感しました。
〇昨日は、校内の畑で栽培しているカブとサツマイモの収穫をあすなろ学級の1年生が行いました。特に9月に畑を耕し、種をまいてもう収穫できるのですから、かぶの成長はすごいものです。
〇かぶは、一般的には肥大した根の部分を食用としますが、葉にも栄養素が多く含まれています。また、春の七草の「すずな」はかぶのことです。かぶの原産地は、アフガニスタンあたりか地中海沿岸の南ヨーロッパを加えた地域とされています。ヨーロッパでは紀元前から栽培され、日本には弥生時代に大陸から伝わったと言われています。初めて知りました。
〇サツマイモの原産地は中央アメリカで,15世紀末頃スペイン・ポルトガルに伝わり,さらに東南アジア,中国,琉球へと伝わったと推定されています。 日本への伝来ルートの主流は沖縄(琉球)からと考えられているそうです。サツマは薩摩(鹿児島県地方)のことですので、こちらは何となく知っていた気がします。
〇昨晩は獲れたてのかぶ(白い実と緑の葉)の味噌汁を自宅で食べました。意外なことに実よりも葉のほうがシャキシャキして美味しかったです。
〇また本校の中庭には、ゆずの木があります。こちらは果実ですので、木から上手に用務員さんが収穫してくれました。ゆずは独特の香りと、果皮の黄色が鮮やかです。数個いただきましたが、それだけで帰りの車内は良い香りにつつまれました。この特徴を生かして、昔からお吸い物などに広く利用されています。
〇ゆずの故郷は、中国の揚子江上流が原産といわれています。日本には唐の時代に北京地方から朝鮮半島を経て渡来したようで、日本にも古くから山口・徳島県に野生のゆずがあります。奈良時代にはすでに、薬用や食酢としての利用を目的として、栽培されていたことが記録に残っています。
〇特筆すべき点は、ゆずは種子をまいてから結実するまで、長期間を要するため、俗に「桃栗3年、柿8年、柚は9年で成りかかり、梨の大馬鹿18年」といわれています。9年間は人間でいえば丁度小中学校合わせての義務教育期間と同じですので、3年生で希望者する生徒には受験勉強の励み(香りを楽しんで気分転換)になるように、特別に分けてあげようかと思いました。
須藤昌英
11月14日(木)「リフレーミング」の訓練
〇リフレーミングという言葉は、「認識の枠(フレーム:frame)を改める(re)」ことを意味します。リフレーミングとは、物事を別の角度から解釈し直すことで、簡単に言えば、一つの視点ではなく、いろいろな角度からの見方をすることにより、嫌なことや苦手なことをポジティブ変換する「思考テクニック」です。
〇よく使われる例えとして、目の前に水の半分入ったコップがあったとして、これを「な~んだ半分しかない ⤵」と思うか、それとも「よしまだ半分もある ⤴」と思うか。水の量という事実を変えることはできなくても、その事実をどう解釈するかで、感じ方は大きく変わります。これはだれもが日常生活で経験すみだと思います。
〇リフレーミングには、いくつかの効果が期待できます。モチベーションアップや自分に自信がつく、ものごとへの苦手意識が弱まったり人間関係が良くなったりすることが心理学の面から報告されています。3年生の校長面接では何人かの生徒に、「確かに苦手なことに取り組むのは気がひけますが、『何でも初めから完璧にできる人はいない!』『自分の可能性をのばす絶好のチャンスかも!』ととらえると、『まずはやってみよう!』となりますね。」とアドバイスしました。
〇リフレーミングは主に2種類あり、一つは「今の自分の状況・事実」をリフレーミングしてみること。例えば、病気でしばらく休んでいなければならない時、最初は「あれもやらないと、これも遅れてしまう」ばかり思っていまがちですが、「休んでいる間、自分自身や仕事についてゆっくり考えられる」と気持ちが変わると、「休んでいる間にできることをやろう」と思いなおせます。
〇また「自分の性格や行動の傾向」をリフレーミングすることも多いです。例えば、いつもいろいろなことに「心配性な人」も、「想像力があり慎重にものごとをすすめることができる」と切り換えると、また違ってきます。ただこれは、なかなか自分では気が付きにくく、他人からのアドバイスが大きなポイントをしめると思います。
〇ネットなどで調べると、「リフレーミング辞典」というものがあり、私も時々参考になるので、眺めています。冒頭に書きましたが、これは思考テクニックですので、ある意味訓練する必要があります。最初は「こんな言い換えは不自然で違和感がある」と思いがちですが、そういう感情を抑えて、無理やりでも受け入れてしまうことが大切です。
〇先日の3年生は、「自分の短所は『面倒くさがり』のところです」と言っていたので、私からは「それはおおらかなことまたは細かいことにこだわらないという良い面とも言えますね」と返しました。私も「少し強引すぎたかな?」と思いましたし、本人はキョトンとしていました。ただこちらも訓練して何とか相手に前向きなってほしいとの気持ちがありますし、本人も後から少しでもその言葉が頭に残って、「そういう見方もあるかな?」のように受けて止めくれるといいのですが・・・と願っています。
須藤昌英
【リフレーミング辞典の一部】
11月13日(水)自分の身体と向き合うこと
〇2年前の11月に自宅で発熱、その晩にコロナの陽性が発覚、次の日から7日間自宅で療養するという経験をしました。当初は家族の中で最初に、同居している母が喉の痛みを訴え、咳をし始めたので、家の中で生活する動線をわけるなどの警戒をしていました。
〇ところがその母はその後発熱はせず、回復に向かいました。それと入れ替わるように、私も含めた家族が喉に違和感を覚え、咳が始まったのちに発熱しました。その夜は発熱外来は受け付けしてもらえず、薬局で抗原検査キッドを購入して、すぐに「陽性」が判明しました。
〇コロナそのものに対する薬は手に入りませんでしたので、喉、咳、鼻水への処方箋を服用しつつ、ひたすら自宅に引きこもりました。幸い食欲はありましたので、お粥を中心とした食事をとり、徐々に身体に力がみなぎってくる感覚を今でも覚えています。
〇この夏あたりから少しずつ中学生にもマイコプラズマ感染症が流行しているという話を聞いています。少し調べると、風邪のような咳・鼻汁から始まり、咳や発熱が長く続くのが特徴で、特にマイコプラズマによる肺炎になると、頑固な咳をともない、一部の人は重症化したりするようです。また、一度かかっても何度でもかかりうる感染症のようです。
〇専門家は「命を奪うほどの肺炎ではないので、過度に恐れる必要はないが、子どもがごはんを食べず、ぐったりしている状況は普通ではないので、病院を受診して水分を補給したり、栄養をとったりすることが必要になってくる」と話しています。
〇またその上で、感染対策について、「コロナ禍のころを思い出してもらい、飛まつ感染を予防するためには、マスクを着けることやこまめに手を洗うことがいい方法だと思う」とアドバイスがあります。
〇肺炎となると呼吸がしにくくなるのはよく聞きますが、私の場合に2年前のコロナ感染で、呼吸の困難さを感じました。健康な時には気づきにくいですが、生きる上でいかに「呼吸」が大切かということを考えさせられました。
〇高熱や咳が出ているときも、無意識に呼吸はしていますが、そういうときこそ少し呼吸に意識を向けて、まずはゆっくりと身体中の息を吐き出しますと、その反動で新しい空気が自然と入ってきます。呼吸が深くなると精神的な不安も少し和らぎます。
〇よく病院の診察時などでも、まずは「吸って」、次に「吐いて」の順で医師から指示されますが、本当は順番が逆で、しっかりと「吐く」と、自然と「吸える」のか?と思いました。咳止めなどの処方箋も確かに有効ですが、局所的ではなく、身体全体をケアし、本来もっている「自然治癒力」を最大限に引き出すには、呼吸を整えることが一番簡単にできることだ!と感じました。
〇コロナの時には、若者が後遺症に悩んでいるという話をよく聞きました。一定の期間が過ぎても、嗅覚・味覚障害や強い倦怠感が多く、中には発熱や呼吸困難など日常生活に支障をきたしているという相談事例も多かったようです。今回のマイコプラズマ感染症に関しての後遺症も心配になります。
〇風邪やインフルエンザ等に感染した際には、発熱や咳などの症状が出ますが、それらはしっかりと体を守ろうとしている「身体からのサイン」だそうです。発熱などの原因のほとんどは、身体が病原体と戦い、体を守るための生体防御反応なのです。そのサインに素直に耳を傾け、休養することが何よりも大切であり、たとえ受験生と言えども決して無理をしないようにしてほしいです。
須藤昌英
11月12日(火)「ゲーム」との付き合い方
〇校長面接などで、3年生に「受験勉強をしている時の気分転換の方法は?」と尋ねると、8~9割の生徒が「好きなゲームをしています」と答えます。そこでさらに「気分転換のつもりが、そのままハマってしまうことは?」と続けると、大抵の生徒が苦笑いし、「それが悩みです・・」のように打ち明けてくれます。
〇過去に担任していた生徒から、同じようなゲームに関する質問を投げかけられたことがあります。「どうしたらゲームをやめられますか?」と。私は答えました。「方法はただ一つしかないよ。それはそのゲームの攻略法を徹底的に友達から教わってからやってごらん。わかると思うけど、そんなのはつまらなくてすぐに止めてしまうでしょ」。
〇少し逆説的な言い方ですが、そのように何もかも教えてしまっては、人はまったく面白みを感じないのです。どうしてかと言うと、ゲームの中で「自分で選択する機会」が前もって奪われ、冒険心や挑戦心などのやる気のもとがなくなってしまうのです。
〇私が「ゲーム」と聞けば、今から40年前以上に流行したインベーダーゲームを思い出します。当時はまだ自宅で行うゲーム(ファミコンなど)は販売されていませんでしたので、高校生だった私はゲームセンターで夢中になりかけていました。ただ段々とゲーム以外のことが忙しくなりゲームセンターに行くのも億劫になったので、お小遣いを使い果たすようなところまではいきませんでした。
〇しかし今は自宅でゲームが当たり前ですので、生徒たちが自らの制御力でゲームをする時間をコントロールしなければならない状況です。自宅でできる便利さはありますが、逆にゲームとの程よい距離を保つことが難しくなっています。先ほども書きましたが、生徒がゲームの中で自分が主役となり、「主体性」をもって課題に挑戦していくことは、人間の本質にあったゲームのプラス面であり、否定されるべきではありません。
〇ただ先日、You-tubeの対談で、東大名誉教授の姜尚中(カン・サンジュン)氏が指摘していたことも気になります。姜氏は「人生(実社会)はゲームではない」とし、「(要約)現代は政治、経済、人間関係などのすべてが、ゲーム理論に基づいて処理されている。ありとあらゆる領域から集めた情報をアナリストが分析したりそこからシュミレーションしたりして、現場の様子はモニターでみるだけ。そこに強烈な違和感をもつ。しかし実際に目の間で起きていることはもっと複雑で、ゲーム理論だけでは到底説明しきれない」と鋭く述べています。
〇これを見ながら深く考えさせられました。ゲームの良さは認めつつ、そこから実際の生活にいかに戻ってくるか。冒頭の受験生の悩みは、決して子どもの問題ではなく、我々大人も直面している問題だと思います。
須藤昌英
11月11日(月)富勢地区文化展&三学年期末テスト
〇先週末の土・日曜日は、富勢地区ふるさと協議会主催の文化祭の中の展覧会が、布施近隣センターで行われ、本校の美術部員が書いた「富勢中の風景画」を出品しました。
〇ここには、富勢小、富勢東小、富勢西小、県立柏高校からの作品もあり、児童生徒の感性の豊かさを感じ取ることができました。絵の構図や色使いは、大人では描けない自由さがあり、素晴らしいと思いました。
〇私もそうでしたが、中学生くらいになると、「見たままを忠実に描くことを基本にした絵画(写実絵画)」を描きたくなるようです。 ただその作風は生徒個人によってさまざまであり、だからこそ同じような情景を描いても、表現されたものはそれぞれ全く違うものになります。
〇先日も放課後の校庭で、一人の女子生徒が本校の正面玄関あたりを描いていましたので、「出来栄えはどうですか?」と声をかけたところ、うれしそうに「まあまあです」と答えていました。
〇どの生徒も何度も何度もスケッチして彩色するという作業を繰り返していました。彼らの描く絵には、集中して一つの作品に取り組んだ「時間の痕跡」が感じられます。この時間の積み重ねこそ大切であり、描かれるものにはその瞬間しかない美しさと儚さがあり、その経験が作者にとって次の作品のベースになるのだとかんじます。
〇今日と明日は、三年生のみ2学期の期末テストを行います。今日は、社会、国語、英語の3教科、明日は数学と理科の2教科です。
〇「なぜ3学期の期末テスト三学年だけはやく行うのか?」は2つの理由があります。一つ目は、高校入試の際に中学校が高等学校へ提出する「調査書(生徒の3年間の生活及び学習の記録)」を作成するために、3学年の学習評定を確定することが必要になります。一及び二学年の学習評定はすでに確定していますが、三学年は1学期及び2学期の学習の様子を総合的に勘案します。そしてまず、そのもとになる「保護者連絡票」を作成し、本人及び保護者に内容を確認してもらった上で、正式な「調査書」を年開けまでに作成します。
〇もう一つの理由は、特に私立高校の場合、その学校独自の「推薦制度(第一志望または第二志望以下もある)」があり、その推薦制度の条件に志望した生徒の成績が見合っているかを、来月から中学校の教員が高等学校へ出向き、「入試相談」を行います。この際に、先ほどと同様に、一及び二学年の成績に加え、三学年の1学期及び2学期の評定が必要になってきます。もしこの「入試相談」」で、高等学校側がその生徒が基準を満たしていることを認めれば、その生徒は願書などを出す時に、「〇〇推薦」を利用した出願が認められます。一番早い出願は、12月から「茨城県私立高等学校」となり、その後、「千葉県」「東京都」「埼玉県」と続きます。
〇三年生の皆さんには、これまで努力した成果があらわれることを願っています。
須藤昌英
11月8日(金)「個性は可能性」について
〇3年生との校長面接では入試本番を想定し、生徒は制服を着て校長室に入室してきます。彼らは入学してからはフォーマルな服装として、制服を着ることに慣れていますので、よく似合っています。生徒たちとは着ている制服の話をする時間はほとんどありませんが、ふと思い出したことがありました。
〇今から20数年年前くらいに学級担任をしていたころ、生徒たちと当時の学校の制服について、何度か話し合いしたことがありました。生徒たちは、「決められた制服や頭髪の基準、またそれらの身だしなみなどの約束があるのは窮屈な気がする」と言っていました。
〇もちろん私自身が中学生の頃も同じでしたが、その時の柏中は全校生徒が二千人いて、「中学校の時だけの決まりだし、みんな同じだから・・」と感じるくらいで、当時の生徒のように「自由がない、窮屈」とまでは思いませんでした。
〇そこで当時、あるインタビュー記事で映画監督の大林宣彦さんが、「制服」について学生に語っている文を見つけ、学級通信に掲載しました。引用します。「確かに制服はみんな同じで変わらないかもしれないけれど、その人が読んだ本、聴いた音楽などによって、まずその人の目の輝きや語る言葉が変わってきます。そうするとその同じ制服を着ていても、『個性』が出てくるんです。制服はファッションではなく、【心のあらわれ】です。同じものを着て窮屈で嫌と感じるとすれば、君の言葉を磨きなさい。君の目の輝きを磨きなさい。そうすると君の着ている制服は、君だけに似合う『個性』になるよ、と言いたいですね」
〇映画監督は一つのテーマをいかに表現するかをいつも考えてそれを仕事としており、その「表現のプロ」が言っているので、言葉に重みがありました。私は学級通信に、自分の解釈として「つまり表面ばかりに目を奪われて本質を磨くことを忘れてはいけないということを教えてくれていると思います」と添えました。もちろん生徒達はすぐに納得していたわけではありませんが、生徒達の疑問に寄り添いつつで、教員として一緒に学んでいたことは忘れることはありません。
〇また大林さんはこうも言っていました。「制服というのは対話の手段なんです。人間どうしは対話をすることでお互いを理解しようとします。対話とはお互いの違いを知る作業で、君と僕はこれだけ考え方が違うんだね。だからお互いに価値がある。これが共存共栄の意味だと知るわけです。違いを知るためには、一つの同じ土壌にいなければダメなんです。そのルールが制服だと思えば、制服を着せられたからみんな同じだと思うのではなく、同じ制服を着ているけれど、僕はこういう言葉を語るし、君はこういう言葉を語る、そうするとその制服が違って見えるということからも、個性を鍛えることができると思いますね」
〇後半の言葉は、当時大人であった私も深くうなずくものでした。同じ制服を着て面接をしていても、それぞれの生徒の個性はよくわかります。最近の私の結論は、「個性=可能性」ですので、逆に制服だけで個性(可能性)が無くなるなどは、空論に過ぎないと感じています。
〇来年度からは柏市標準服(ブレザータイプ)も本格的に導入されます。生徒や保護者にとっては、現行の制服か新しい制服かの選択肢が増えます。毎朝本校正門前を通学する幾人からの富勢小の6年生に、「制服は決まりましたか?」と尋ねると、大半が新制服と答えていましたが、中にはあえて今の制服(学ラン、セーラー服)を考えている児童もいました。
〇今の中学生は、制服についてどう思っているのか。何かの機会で、聞いてみたい気がしました。
須藤昌英
【柏市標準服:上着ブレザー&スラックス、スカート】
11月7日(木)「いじめ防止サミットKashiwa」
〇昨日、柏市内の中学校21校の代表生徒が2名ずつ集まり、「R6いじめ防止サミットKashiwa」がオンラインで開かれました。テーマは「SNSといじめ」で、NPO法人企業教育研究会代表の市野敬介さんがファシリテーターとなって、参加者がグループで話し合う形式の学習でした。
〇本校からは、生徒会役員の中村雅さん(2年3組)と佐藤莉杏さん(2年5組)さんが、富勢中を代表して参加しました。二人とも積極的に自分の意見を発表したり、他の中学校の生徒の話を真剣に聞いたりしていました。
〇サミットでは、二つの課題について話し合いました。一つ目は、アメリカのフロリダ州などでは、子どもがSNS上でネットいじめなどのやりたい放題が問題になり、その後子どもがSNSを利用することを規制する法律ができましたが、「もし柏市の条例で中学生以下のSNS使用禁止が決まった場合に、あなたは賛成しますか?反対しますか?」でした。
〇参加生徒は4人グループに分かれて、それぞれ自分の意見を根拠を交えて発表しあいました。いろいろな意見が出ましたが、「この時代に情報収集するのにSNSは欠かせない」「いじめ防止の意識を繰り返し高めていく必要がある」などの本質をついた理由がありました。
〇次に「このような禁止や制限を必要としないためには、学校でどんな取り組みが出来ますか?」の課題で、これもいじめ防止のポスターや呼びかけの便りを作成する、いじめについてだれでも相談できる場所をつくるなどの建設的な意見がありました。
〇大人の私でも考えさせられる内容でした。普段から仲が良いからといっても、一つのメールなどで相手を傷つけ、人間関係がこじれてしまうことはよくあります。むしろ正式にネットモラルの教育を受けていない我々大人の方が、生徒達よりもよほど気をつけていかなければならないと感じます。
〇このサミットを教材として、12月23日の終業式に、中村さんと佐藤さんには、全校生徒に向けて「いじめやSNSの使い方」について考える授業をしてもらうことを計画しています。事前に生徒や保護者にもアンケートをとるなどして、本校の実態に即した内容にリメイクします。ご期待ください。
須藤昌英
【積極的に参加し、メモを取りながら全校生徒向けの授業について考える中村さんと佐藤さん】
11月6日(水)「交通安全誓いの碑」
〇正門から入ってすぐ右脇に、「交通安全誓いの碑:交通違反をしない、させない、許さない」と書かれた石碑があります。これは今から38年前の昭和61年5月の日曜日、集団で部活動の練習試合の帰り(歩道を自転車で走行中)、猛スピードの車がその列に突っ込み、当時の本校女子生徒2名が命を落としたという大きな事故があり、「そのような交通事故が二度とないように」と願いを込めて当時の生徒・教職員・PTAが建立したものです。2年前に八街市で下校途中の小学生の列に、飲酒運転のトラックが突っ込み、2名の死傷者と3名の負傷者が出たことは記憶に新しいです。
〇私は当時大学4年生で、間もなく教員採用試験を受けようとしていました。住んでいる柏市内でそのような悲惨な事故があったことはテレビなどでも大きく報道されましたので、今でも記憶にはっきりと残っています。
〇その翌年4月に柏市の中学校教員となり、その事故現場がちょうど通勤途中だったので、行き帰りにその場所を通るたび、心の中でご冥福を祈りつつ、教員として生徒の命を預かる重い責任を実感していました。
〇その女子生徒さんたちもご存命であれば、今50歳台前半になっています。一昨年4月に本校に着任した際も、その38年前の事故については前校長や前PTA会長さんからも引継ぎとして説明を受けています。
〇500名以上の生徒の命を預かっている今、同じような事故が起きないように日々努めていかなければならないと、亡くなられた方への誓いとしてあらためて肝に銘じました。
〇先日は、柏市教育委員会を通じてから千葉県交通安全対策推進委員会より「自転車乗車用ヘルメット着用率向上に向けた取組について(通知)」が届きました。内容は以下の通りです。
1 自転車乗車用ヘルメットの着用について
令和5年4月より、自転車乗車用ヘルメットの着用は努力義務となりました。通学時の自転車利用に限らず、日常利用でもヘルメットの着用に努めていただきますよう御協力をお願いします。
【道路交通法第63条の11第1項】
自転車の運転者は,乗車用ヘルメットをかぶるよう努めなければならない。
2 通学時の安全運転について
自転車で通学の際に転倒し負傷する事案が発生しています。また、ヘルメットを着用して頭部は保護できたものの他の部位を負傷する事案も発生しており、安全運転についてより一層注意いただきますようお願いします。
〇この3年間正門脇で、ふるさと協議会と連携して16日に地域の御年輩の方々に配付する「ビオラ花鉢」を育成中です。その花鉢を生徒たちが「交通安全誓いの碑」の近くで育てているのも、何らかの供養になれば・・と感じています。
須藤昌英
11月5日(火)ちょっと良い話と想像力について
〇この三連休は、土曜日は秋雨前線で雨でしたが、文化の日と振替休日は秋晴れで気持ちの良い日でした。運動しようと自転車に数時間乗っても大汗をかくこともなく、ベンチで本を読んでいても紅葉しかけの木々や鳥の声で心が安らぎます。
〇ようやく暑さから逃れ、このような気候が長く続けばよい・・といつも思いますが、なかなかそういうわけにはいきません。気温や湿度が下がると、ウイルスの活動が活発化し、感染症の心配が出てきます。警戒を始めていきます。
〇先日学区にお住いの方から、うれしい連絡が入りました。道路で落とし物(財布)をして気付いて警察に連絡すると、近隣の交番に届いていたそうで、届けた人を尋ねるとどうやら富勢中の生徒であるとのことでした。
〇その生徒は交番へ名前や連絡先を知らせなかった?のでしょうか。結局直接お礼を言うことが出来なかったので、学校に連絡してくださったようです。職員の打ち合わせで周知し、クラスで伝えたいと思います。
〇こういう話を聞くと、最近よく報道されている通称「闇バイト」にかかわってしまった若者たちと比べてしまいます。もちろん一概には比べられませんが、手元のスマートフォンですべて(金銭欲しさも含め)を解決しようと、ネットサーフィンして見つけたサイトへアクセスし、短時間で高収入という「効率」に目がくらんでしまったのかもしれません。
〇そもそもこの犯罪を「闇バイト」などと呼んでしまうこと、これこそが今の世の中の負の部分だと思います。スマートフォンの情報は間違ったものや法律に触れることなどが多く含まれていること、実行役や見張り役などの細かい役割分担があるので、もし捕まっても一人の犯罪よりは罪は軽いだろう?などの思い込み・・。
〇一番の問題は「想像力」の欠如です。先ほどの落とし物を交番に届けた本校生徒は、「落とした人はどれだけ困っているだろうか?」とその人の気持ちを想像したからこそ行動できたのだと思います。一方で、犯罪に手を貸してしまった若者たちは、「自分さえよければ・・」と被害者の気持ちなどを考えることもなく、短絡的であると言わざるを得ません。
〇逮捕された若者たちばかりを責めるのではなく、我々大人がつくってきたこの世界には、多くの矛盾や誤魔化しがはびこっており、その陰で苦しんでいる人がいることを再認識する必要があると思います。いくら経済的に豊かになっても、弱い立場にある人たちを切り捨てて成り立っている社会に、本当の安らぎはありません。天高い秋の空をみんなが楽しめるような世の中にならなければならないと感じます。
須藤昌英
11月1日(金)令和6年度合唱コンクール
〇本日の午前中、本年度の合唱コンクールが、柏市民文化会館大ホールで行われます。生徒たちは現地に9時までに集合します。途中経過を少しずつお知らせしていきます。
10月31日(木)合唱コンクール前日
〇明日の合唱コンクールに向けて、今日は最後の練習を各クラスで行います。発表も頑張ってほしいですが、特に生徒たちは柏市民文化会館へ朝、直接徒歩で集合し、終了次第現地で解散ですので、行き帰りの交通安全にも気をつけてほしいです。職員も途中のポイント地点で安全指導を行います。
〇柏市民文化会館の最寄りの駅は北柏駅ですので、そこまで電車やバスを利用することは許可しています。また自転車通学の生徒は、学校に自転車を置いてから徒歩で行くように指導しています。
〇終了時刻が12:15ですので、例年の様子をみていると、行きよりも帰りの方が一斉に帰りはじめお腹もすいているので、小さなトラブルが生じています。
〇とにかく外部の施設を借用しての行事ですので、生徒たちにとっては校内で行うよりも普段と勝手が違うことから臨機応変に行動することや一般的なマナーなどを守るなどの意識をもつ機会になります。
〇地域や保護者の方々には学年毎に入れ替えで鑑賞していただきますが、外部施設とあって職員も校内で行う場合よりもあちこちに役割に応じて配置してありますので、ゆっくりとご案内したりお話ししたりする余裕がありません。ご了承いただき、鑑賞席ではお互いに譲り合ってお楽しみください。
〇私は以前から生徒たちに、「人の身体は最高の楽器」ということを言っています。楽器というとピアノやギターなどを連想しますが、最も原始的だけれども誰でももっているのが、声を出す役割を担っている声帯で、そこから発する音を身体全体で大きく響かせたのが合唱です。
〇1年生は初めてのステージで緊張しますが、スポットライトを浴びて歌えることを楽しんでほしいと思います。2・3年生はこれまでの経験をいかし、堂々と歌い上げてくれることでしょう。もちろん受賞するかしないかは気になるでしょうが、それよりもやり切った充実感を味わってほしいです。
須藤昌英
10月30日(水)「中学校教育に望むこと」
〇全日本中学校会が定期発行する冊子に、前WBC日本代表監督で、メジャーリーグに行く前の大谷翔平選手を育てた栗山秀樹氏にインタビューした記事がありました。一部を紹介します。
〇質問
今、日本の中学生は、他国の若者に比べて、「自己有用感」「自己肯定感」が低いと言われていますが、監督の目には今の中学生の姿がどのように映っているのでしょうか?
〇栗山監督
どこに生まれるかというのは自分で選べるわけではありません。例えば人に生まれるかもしれないし、虫に生まれるかもしれないことも含めて、神様が決めているという中で、ほかの民族がどうのこうのというのは一切関係なくて、そこに対しては中学生だけでなくて日本全体が言われていますよね。
日本人が優秀だと言われた時代があったものが、今これだけ経済的にも政治的にも遅れをとっている。ただ、先人の皆さんの功績とかやってきたことを見ると、僕はこの国に生まれて本当に良かったと思っています。そのことをWBCで表現したかったというのは正直あります。
日本が世界一になるという意味は、「さあ行くぞ、俺は世界をとってやる」と子ども心に感じてもらうためではないかと思っていましたし、そういう意味では、自己肯定感が低いという中学生たちの感じをみていて、ただ単純に「ぜいたく病なんだろうな」と思っているだけです。
昔は食べるのも大変だった。何もしなければ食べられないわけですよ。ところが今は、大人になっても守ってくれる人たちがいっぱいいるので、それはなかなか難しいだろうなと思っているところがある。変な言い方ですけど、それがダメとかそういうことではなくて、絶対能力はあるし頑張ったらできるところもある。スポーツの世界にいて何が人の分岐点なのかというと、能力じゃないですね。「できないよな」と思った瞬間にできないんです、すべてが。そうではなくて、これをやると決めてやり切った人がそこにいくというだけの話です。それは時間がかかるかもしれないですけど、そういうことなんだと十年間の監督生活で思ったんです。これは体験です。
(途中略)
要するにの能力じゃない、本当に自分がこうするんだという確固たる志、意思というんですかね、それが何らかのタイミングで得られれば、今の中学生たちも勝手に能力が伸びていくということなのかなと、そこは信じています。
そういう子どもたちが、今はそうみえるけれども、必ずそういうものをもっている。そこにどうやって火をつけるか、どうやって灯をともしてあげたらいいのか。僕は良く、「やる気の志には我々は火をつけられない」と言っています。本人しか火をつけられることはできないので、我々はそのお手伝いしかできないと思うんですよね。今その自己肯定感や自己有用感が育たない何かの要因があるというだけなのかなという感じで僕は捉えています。
〇栗山氏は国立の教員養成大学の出身で、教員免許ももっていた方なので、親近感があります。プロ野球選手という大人を育てる仕事ですが、基本的な考えは我々教員と同じだと感じました。
須藤昌英
10月29日(火)長文を諦める(新聞を読むことで身につく力)
〇昨日の朝刊は、衆議院選挙の記事が大きく取り上げられていました。テレビでも同様に報道されていましたが、細かい情報などはテレビの方が詳細をつかめるので良いですが、全体の結果を大まかに把握したい時には、新聞の方がテレビなどよりも圧倒的にわかりやすいと感じます。
〇やはりそれは記者やデスクなどにより、限られた時数でいかに事実を伝えるかの視点で校正が繰り返されているからでしょう。繰り返しますが、新聞の最大の利点は各面の見出しをサッと見渡すだけでも、社会で起こっていることが大まかにつかめるという点です。
〇毎年行われる文科省の全国学力テストの分析から、本校を含む全国の生徒の国語の長文読解の正解率は低下しており、長い文をみるとすぐに「諦める生徒」も多いことがわかっています。これはSNSの影響が大きく、短文や絵文字でのやりとりが広がり、生徒が日ごろから活字と向き合う環境を整える必要があると結論づけています。
〇3年生との校長面接をしていても、国語に苦手意識をもつ生徒のほぼ9割が、問題文が長文であることでそれを読み切れていない(読みはじめても途中でやめてしまう)ことがわかります。長文といってもさすがに問題として掲載するので、400~600字(原稿用紙1枚半程度)が多いので、ゆっくり読んでも2分あれば読み切れます。
〇現行の学習指導要領でも、「新聞を活用した学習」が明記され、国語の授業の一部では、新聞の記事を使った教材も使用しています。本校では全国紙(朝日新聞)と地方紙(千葉日報)の朝刊に加え、中高生新聞(読売新聞&小学館)を定期購読しています。全国紙と中高生新聞は、図書室でいつでも生徒は閲覧できます。
〇特に中高生新聞は、週に一度の発行ではありますが、今の社会問題を写真や図を入れたり、難しい用語をできるだけ使わずに説明したりと、大人の私が読んでも「なるほど」を思うときがあります。例えば先週の中高生新聞の第一~三面は、「ノーモア・ヒバクシャ 次世代へ」と銘打ち、ノーベル平和賞に日本被団協が選ばれたことを特集しています。これを読むと、「我々大人でもわかっているつもりで知らないことが多いなあ」とつくづく感じます。
〇また新聞は読めば読むほど、世の中や人間は複雑で簡単には理解できないことに気づきます。しかしそのモヤモヤした気持ちが重要ではないでしょうか?新聞を読むという一見非効率に見える時間も、少しずつ自分の引き出しを増やしじっくりと深く考えてみる機会になると思います。
〇このように「新聞を読む力」を育てることは、単に長文に馴染むだけではなく、社会の出来事に感心を持ち、生徒の情操や課題解決力を伸ばしつつ、最後は「自分ならどうするか?」という主体的な生徒に導くことにもなります。
〇「長文を諦める」生徒への対策として、授業中だけでなくあらゆる場面で、書かれていることを理解するために、注目する内容を決めて要約する練習を積みかねていきます。
須藤昌英
【10月20日付 朝日中高生新聞】
10月28日(月)柏市技術・家庭科作品展&音楽発表会
〇技術科と家庭科の授業で作成した中で、優秀な作品を出品しました。週末のさわやかちば県民プラザの回廊ギャラリーには、他校の素晴らしい作品も展示されていました。
〇本校の出品者です。
技術科作品
1年 コーナーラック 椎橋美月
棚付き本立て 塩川隼人 廣瀬有里桜 宮原結菜
キッチンペーパーホルダ 東 健斗
3年 ウッディラジオ 壁下翔志郎 松本小暖
家庭科作品
1年 緑のコーヒー(刺し子) 松本悠希
刺し子 近村 蓮 村上収都
2年 ハーフパンツ 中村 雅
Mabon 千葉翔平
3年 いつもの 石黒音羽
これ、なぁに? 井野流楓
ねずみちゃんとえのぐさんたち 栗林瑞綺
これ な~んだ? 向井晴香
なんでないてるの? 平塚美笑
〇26日(土)には、富勢ふるさと協議会主催の音楽発表会が富勢小体育館で行われ、本校の吹奏楽部がトップバッターで出演しました。
〇次の富勢小の児童による演奏も、日頃の練習の成果を発揮し、堂々とした演奏でした。来年に入学してくる児童もいますので、4月からは一緒に演奏できることでしょう。
〇最後は、市内で活躍するチアリーダーチームの「PRIDE DANCE CITY」によるダンスとその間に、児童生徒と一緒に踊るダンス教室がありました。身体を動かして、楽しそうでした。
〇地域の行事で、児童生徒の活躍をみてもらうことは、大きな意義があると思います。
須藤昌英