R7_富勢中日記

校長雑感ブログ

3月31日(月)約束しなくても会える最後の日

〇富勢中に勤務する最後の日になりました。私の年齢(昭和38年生まれ)から公務員の定年延長がはじまり、従来ですと昨年の今日、定年退職でしたが、一年延長で本日定年退職となりました。

〇よくドラマでも主人公が定年延長を迎える場面がありますが、今朝もいつもと変わらず、いつも通りに出勤し校長室の整理整頓をしています。また午後に次の校長と2回目の引継ぎを行い、夕方帰宅する予定で、いつもと変わったことはありません。

〇明日からは「再任用職員」として、柏市立土中学校に赴任します。くしくも土中は富勢中同じくと今年創立79周年目になります。昭和22年創立で柏市内ではその他に田中中と手賀中があり、この4校が戦後新しい学校制度になったので、市内では一番歴史のある学校です。

〇昨年から生徒会役員の生徒たちと創立80周年に向けてのプロジェクトの構想を話し合っていましたので、土中でも早速生徒会と同じような対話をしていくつもりです。新しい出会いが楽しみです。

〇春休み中も部活動に来ている生徒たちと話す機会がありました。中には「校長先生、本当に行ってしまうんですね」とか「次の学校でも頑張ってください」などの嬉しい言葉をもらいました。感謝です。

〇若い頃に卒業するクラスの生徒には、「普段は学校に登校すればいつでも会えたけど、卒業式の日は『お互いに約束しなくても会える最後の日』だよと語りかけてきました。同様に今日が私にとって富勢中にアポなしで来られる最後の日になります。

〇後任は柏中学校から赴任する伊藤嘉章校長です。彼は過去に富勢中に教諭として2回勤務し、さらに富勢小教頭、富勢西小校長を経験しておりますので、この地区の様子は熟知しています。安心して後を任せていきます。

〇「校長雑感ブログ」も、本日で終了します。3年前にあらかじめ校長視点の「雑感(雑多な感想)」とことわってスタートましたが、その日の思いや気づいたこと、自分のこれまでの経験を一方的に連ねるようなまとまりのない文章になってしまいました。お詫びいたします。

〇在任中の数々のご支援とご指導にあらためて感謝申し上げます。土中から富勢中のさらなる発展を祈念しております。ありがとうございました。

須藤昌英

3月25日(火)お詫びと訂正

〇本日から4月6日までは、一般的には春休みと言いますが、正式には3月31日までが学年末休業日、4月1日から4日までが学年始め休業日となっています。暖かくて春を感じる穏やかな日が続きますが、交通事故等には十分に気をつけて過ごしてください。

〇17日のブログ「三学期制から二期制への移行について」の中で、一部訂正をさせていただきます。「柏市立小学校及び中学校管理規則第19条」では、「学校教育法施行令第29条第1項の規定による学期は、第1学期(4月1日から7月31日まで)、第2学期(8月1日から12月31日まで)、 第3学期(1月1日から3月31日まで)とする」とあります。

〇もちろん本校は柏市の学校ですので、上記の原則で運営しており、「三学期制」を「二期制」に変更するというのは、法律を変えて行うということではありません。あくまでも一年間の区切りを便宜上「前期と後期」としただけであり、それにより各教科の成績を算定する時期や学校行事等が従来と異なってくるということです。まぎらわしい表現となったことをお詫びします。

〇具体的には昨日、シグフィーにて「令和7年度年間予定表」を送付しましたので、ご確認ください。ただし今後これらの予定を変更する場合には、あらためてご連絡しますのでご了承ください。

須藤昌英

 

3月24日(月)令和6年度修了式

〇本日は令和6年度修了式を行います。今年度の登校日数は1学年が196日、2学年が199日でした。

〇私の話の中では、先日の卒業式で卒業生に送った言葉を引用します。

世の中は常に便利さを追求し、コンビニでは何時でも欲しいものがすぐに手に入り、わからないことは手元のスマホで検索すれば、それなりの情報が得られます。もっと言えば、我々が「当たり前」と感じているこれらの「便利さ」は、「何かにすぐにパッと飛びつく習性を嫌でも身に付けてしまうこと」に直結しています。ただし、生きていて迷ったり悩んだりした末に、自分で考えることをしなければ、それらは決して解決の方向に向かいません。

私が一番危惧して訴えたいことは、ズバリ『面倒くさいと言わない』と『窮屈さを楽しめ』ということです。皆さん日常生活の中で普段から「面倒くさい」が口癖になっていたり、人との人間関係が「窮屈でしかない」と思っていたりしないかを振り返ってみてください。学校に行くこと、学ぶこと、人とつきあうこと、つまり生きていくことは基本的には「面倒くさくて窮屈なこと」なのです。

ただ「便利さ」に慣れ、自分で考えもせず、他にすぐに答えを求めようとし、それが得られないと条件や他人のせいにしていては、「いざ」というときに逃げてしまうしかありません。逆にある程度の「不便さや窮屈さ」があるから、それを克服しようと自分の能力が引き出され、成長できるということを再認識していく必要があります。

そもそも「人は何故生きるのか」等の大きな課題は、簡単に答えを得ることはできません。自分で悩み考える中に、今の自分を見つめ他の人の考えを参考にし、右往左往しながら生きていけばよいのです。

脳科学者である茂木健一郎氏は、一般的な特徴として、「現代人は身体性を忘れた志向性のゲームをしている」と指摘しています。要するに、自分は何もせず、人や機械に指示するだけで済まそうとする、これは効率が良いというよりは、ただ楽したいだけです。

茂木氏はまた「何度も考えて口に出すだけでなく、実際にやってみるとその大変さがわかり、人工知能AIは言語ゲームのみで生身の人間と比べると身体性がないなど、私たちの誤解を教えてくれています。アメリカメジャーリーグで超人的な活躍をしている大谷翔平選手は、決して言語ゲームではなく、何かを身体を使ってやっているので、その発する言葉にはリアリティーがあります。」と続けています。

私も六十年以上生きてきて一番実感しているのは、『失敗を成功で上書きする』ことが人生の醍醐味だということです。少し大袈裟かもしれませんが、失敗を失敗のまま終わりにせず、それを小さな成功つなげていけば最終的に『私は失敗しません。なぜなら失敗をそのままにせずに次にいかすから』と堂々と人前で言い切ることができます。

〇修了書を各学年代表2名の生徒に授与します。そこには「本校〇学年の課程を修了したことを証します」とあります。1年生の代表生徒には「入学してあっという間に1年がたち成長しましたね」と、2年生の代表生徒には、「4月からいよいよ最上級生ですね、頑張って」と声をかけるつもりです。

〇その後、令和6年度末で転退職する教職員8名のお別れのあいさつを行います。氏名のみシグフィーでお知らせしていますが、まだ新聞発表前ですので、異動先の学校はつたえられません。私も「生徒達への最後のあいさつをどうしようか・・・?」と朝から迷っています。

〇結局、言葉でのあいさつはやめて、あすなろ学級の生徒と約束をしていた歌を1曲歌って終わりにしました。「何にしようか・・・?」と悩みましたが、3学期の始業式でその歌詞の意味を使って話をした「どんなときも(作詞作曲:槇原敬之)」にしました。

〇この歌は今から30年以上前の歌ですが、当時担任していたクラスの生徒たちとよく歌っていたので、覚えています。壇上でマイクを持つと手元の伴奏よりもはやいテンポで歌ってしまい、生徒たちも苦笑していました。でも彼らの手拍子に合わせて最後まで歌うことができました。

須藤昌英

 

3月21日(金)新年度のクラス編成について

〇先日の学年末保護者会にて説明しましたが、4月より新2年生は4クラスを5クラスとしますので、現在新しいクラスを編成しています。また新3年生の学級数は5のままですが、新たなクラスを編成し、卒業に向けて最後の一年間を再スタートしてもらいます。

〇3年進級時に新しいクラス編成をすることは、富勢中においてはおそらく過去にはなかったと思います。これまでは慣例として「2年次と3年次は同じクラスで・・」を踏襲してきましたが、すでに他の中学校では3年進級時のクラス編成は行われており、それをするかしないかは各校に任されています。

〇その幾つかの理由を説明しましたが、一番の要因は、「集団に働く『バイアス(bias):偏りや偏見や先入観』です。身近な例で言うと、世間一般では「例えば血液型がAB型の人は、変わった性格の持ち主が多い」とか「赤ランドセルは女の子用で、黒ランドセルは男の子用」など、明らかな根拠はなくあくまでも一説に過ぎないとわかっていても、多くの人がそれに異を唱えることはなく受け入れています。

〇これは日本という世界からみると限られた集団社会で、長い間に自然と培われてきた偏見や先入観です。ただし、その偏見や先入観が悪いというわけではなく、一方では個人がその集団に適合していくためにはある面では必要なことだとも言えます。

〇これをもっと狭い学校における学級集団で考えてみると、「アンコンシャスバイアス:直訳『無意識の偏見』」が顕著になってきます。具体的には同じ環境で同じ集団の中で一定期間生活していると、知らず知らずの間に各個人の意識に刷り込まれる「価値観の偏り」が発生します。

〇例えば、「〇〇さんはいつも~のような行動をしている」とか「〇〇くんは~が好きなようだけど~は苦手なようだ」のように、その人の個性や特徴を言葉にして表します。これも決して悪気があるわけではなく無意識なのですが、これが少し危険です。

〇この「アンコンシャスバイアス」はコミュニケーションの価値を損なったり、人々の信頼関係をお互いに低下させ、正しい関係の構築を妨げたりするおそれがあります。特に思春期の中学生は、よほど注意しておかねばなりません。

〇このように集団におけるその人の価値観は大なり小なり、その置かれた環境や他者からの影響を受けて培われます。それは、かけがえのない個性や集団の可能性を生み出す一方で、人間関係上の摩擦を生み出すきっかけとなります。

〇4月から入学する新入生は、複数校から入学してきますので、否応なしに新しいクラスになります。つまりお互いにあまり知らない新しいメンバーと中学校生活をスタートさせます。在校生も持ち上がりクラスの良さもこれまでは確かにありましたが、前述の理由から同じく新メンバーで新学期を再スタートしてもらいたいと思います。

須藤昌英

 

3月19日(水)学年末保護者会&最後の給食

〇今朝は春雷とあられのような雨が降り、寒く感じます。ただ確実に春が近づいていることだということでしょう。明日は春分の日で祝日ですが、天気は回復する予報が出ており、そろそろお花見の話も出てきそうです。

〇昨日は、今年度最後の保護者会を行いました。ご参加していただき、ありがとうございました。冒頭の私の話の中で、来年度へ向けての方向性と変更点を説明しました。詳細については4月の保護者会で説明します。

〇また今日は今年度最後の給食です。明後日は、3時間授業(弁当なし)となりますので、ご承知おきください。

〇今日のメニューは「牛乳、スパゲティトマトソース、ひじきのマリネ、手作りカレーパイ、ブラットオレンジ」でした。正午に校長室で検食しました。結果は、

①   異物混入、異味、異臭 ⇒すべて「無」

②   調理温度(加熱・冷却)、一食分量、色・形態・香り、味付け ⇒すべて「良」

〇校長の所見「今年度最後の給食も美味しかったです。最後ですので個人的な感想も含めて書きます。トマト系のパスタが好きで、いつもひじきや野菜が多いので健康にも良いと感じます。パイは今まで甘い印象でしたが、カレーのパイも意外に相性がよいと思います。あまり食べたことないオレンジも濃い味でした。一年間、ありがとうございました。」

須藤昌英

【給食メニュー】

 

3月18日(火)価値がつけられないほどの・・・

〇昨日の午前中、先週の卒業式にインフルエンザ感染したことで列席できなかった卒業生一人の「卒業証書授与式」を教室で行ないました。同じ学級の生徒も大勢参列し、私から卒業証書を手渡しました。

〇最初に「校歌」、最後に「旅たちの日に…」を歌いましたが、狭い教室に彼らの歌声が響き渡っていました。もう一度卒業式当日の合唱が聴けるとは思っていなかったので、再び感激しました。

〇仲間のために集まり、心を込めた式にしようとする優しい卒業生たちも、いよいよ来月から自分で選んだ進路先での再スタートをします。元気で活躍してほしいです。

〇昔あるカード会社のコマーシャルに「プライスレスな経験を!」というキャッチフレーズがあり、その時に初めて「PRICELESS(プライスレス)」という言葉を知ったのを覚えています。そのコマーシャルはいくつかのシリーズがあり、しばらく放送されていました。

〇その一つが確か、「子連れの夫婦がみやげを買って実家に向かい『父に気に入りの地酒、七千円。母にカシミヤのショール、二万円』とナレーションが流れます。孫を笑顔で迎える父と母の映像とともに『いちばんのみやげ、プライスレス』と続き、最後に「お金で買えない価値がある。買えるものは○○カードで」だったと思います。

〇「プライスレス」は「プライス(価値)」と「レス(否定の意)」が組み合わさって出来た言葉のため、意味を本来の意味とは真逆の「価値がない」「貴重ではない」という直接的な連想から間違った解釈で使ってしまうことがあるので少し注意が必要です。

〇「プライスレス」は値段が付けられない、つまりお金では買えない、値段がつけられないほど貴重でかけがえのないものという意味です。形あるものではなく、思い出や体験、愛情や笑顔、優しさや温かさ、忘れられない言葉など、値段がつけられないもの全てはプライスレスというわけです。

〇価値観は人それぞれ異なりますので、「命」や「健康」、「愛情」や「きずな」など、どれも「大切なもの」です。「プライスレス」とは誰かが決めるものではなく、“自分にとってのプライスレス”があります。他人にとっては価値のないものでも、自分には「プライスレス」ということもあるでしょう

〇家族や友人たちと過ごす時間や貴重な体験、そこにある笑顔や温かさ、かけがえのない愛情、人生を変えるような出来事や転機となった言葉…いずれもその価値には値段がつけられないので「プライスレス」です。             ○冒頭の「一人だけのための卒業式」もまさしく生徒たちにとっては、「PRICELESS」な時間だったことでしょう。

須藤昌英

 

3月17日(月)三学期制から二期制への移行について

〇4月からの令和7年度の年間計画もほぼ固まりつつあります。その中で先月も少し書きましたが、従来からの一番の変更点が、「二期制(前期・後期)」への移行です。簡単に言えば、これまで1年間を一・二・三学期の3区分としてきたものを、2区分にするということです。

〇具体的には7月の一学期終業式がなくなり、夏季休業の前日まで授業を行い、授業時数を確保します。そして10月の初旬までを前期とし、前期の終業式を行います。その週末は祝日も含めた3連休になります。翌週からは後期となりますが、同様に12月の二学期終業式がなくなり、冬季休業の前日まで授業を行い、3月は年度の修了式で一年間をしめくくります。

〇そのことから定期テストの時期が変更され、通知表も年二回となります。もちろんこのことは生徒にはあらかじめ周知します。また各教科では今まで以上に単元テストや小テストを細かく実施し、生徒の学びの定着を測ることを検討しています。またその他学校行事も少しずつ時期がずれたりします。

〇授業時間の確保の観点から柏市の中学校でもこの二期制が増えており、本校でもこの数年間、検討を重ねてきました。その上で2年後の創立80周年を見据え、この4月から変更することとしました。

〇今から40年くらい昔の昭和時代は、土曜日に3~4時間授業があるのが一般的でした。私も20歳代の頃は、土曜日の午前中は授業を行い、弁当を食べた後の午後は部活動の指導をしていました。

〇その後社会全体の週休2日の流れを受けて、公立の小中学校にも徐々に土曜日休みが浸透してきました。2002年度から完全週休2日制になった結果、年間の総授業時間数が40日間ほど減少し、それにともなって授業数の不足や学校行事の大幅な取りやめなど、さまざまな課題が表面化しました。

〇それを受けて、2003年に中央教育審議会が教育課程の適切な実施と課題を解決するために提唱したのが二学期制の導入です。そうした経緯によって、授業時間を確保するために二学期制を導入する学校が増加しました。

〇二学期制にすると、先ほどのような変化がありますが、特に「総合的な学習」は継続的な学習が必要とされており、その授業時間を確保しやすくなります。また三学期制の場合は三学期が他の学期よりも短く、継続した学習が難しいことが課題でした。二学期制にすることで問題解決型の継続した学習がおこないやすくなります。

〇ただ特に来年に高校受験を控えた中学3年生は、これまでと違うスケジュールとなりますので、夏休み中の三者面談等で困ったことがないか確認したり、学習へのモチベーションが下がらないように指導したりしていきます。

 須藤昌英

3月14日(金)マルハラと世代間ギャップ

〇今日は小学校の卒業式があります。私も午前中、富勢小で参列してきます。4月からの新入生の晴れの姿が楽しみです。

〇今では「ハラスメント(Harassment)」という言葉は、すっかり定着しています。嫌がらせのように、「相手を不快にさせたり不利益を与えたりするなど、肉体的・精神的な苦痛を与え、人間としての尊厳を侵害する行為の総称」(ウィキペディアより)のことです。

〇具体的には「パワハラ(地位や人間関係などの優位性をもとに、精神的・身体的苦痛を与える)」「セクハラ(相手の意に反する性的言動で、働く上で不利益を被ったり、就業環境が妨げられたりすること)」「モラハラ(モラルを根拠とする嫌がらせ)」など何種類もあるそうです。

〇昨年新しく「マルハラ」という言葉を知りました。主にLINEやチャットなどのSNSの文面において、句点(。)を使用することで、相手に威圧感を与えさせてしまうことを表す造語のようです。

〇私は最初は正直、何を指しているのか理解できませんでした。例えば「わかりました。」や「連絡ください。」という一見、何の変哲もない表現が若者たちにとっては淡々としすぎていて、怒っているように感じられるというのです。

〇若者たちにとっては「。」が怖く、新しいハラスメントになっていると聞いても、自分の感覚ではまだ実感できません。23歳の娘に聞いてみましたが、「人にもよるけど、友達の中には怒っているというか冷たいや冷めてるとマイナスイメージをもっている人も多い。マル(。)の代わりにビックリマーク(!)はよく使っている」と教えてくれました。

〇確かに私も含めた世代は長文になりがちだとは思います。昭和から平成に育った人々が主に使用していたコミュニケーションツールは手紙やメールです。メールは、挨拶から本題まで一度に書くため、長文になります。長文を書くときは、途中に句読点を挟まなければ当然読みにくい文章となるため、癖でLINEやチャットでも句読点を付けてしまうのです。

〇確かに若者の感覚は時代の最先端であり、決して否定するつもりはありませんが、ことさらにとりあげて『ハラスメント』というネガティブなニュアンスを持つラベルを貼るのは・・・?とも感じます。

〇逆に我々の年代になると、絵文字を使って送られてくる文にためらいを感じるほどですから、年代のギャップも否めません。時代は変化しつつも、美しく正しい日本語も残って欲しいと思います。

〇予防策としては、日頃から適切なコミュニケーションをとることでしょうか?ただコミュニケーションとは、単に会話するだけではなく、問題や課題を抱えている場合には、適切な現状把握と要因分析を行ってからコミュニケーションをすることが必要です。

〇コミュニケーションも大きく分けると2通りで、何気ない世間話をしたりするリラックスな場合と目の前の問題解決に一緒に向き合う場合があります。本校職員の半分以上は、私の子どもと同世代ですので、日頃からSNSを使わずに直接相手の話に耳を傾けることを心がけています。

須藤昌英

 

3月13日(木)「文学(小説)は役に立たないというのは本当?」

〇24日の令和6年度修了式まで、登校日は今日も含めて7日となりました。今日は初夏のような陽気になるとの予報ですので、サクラの開花のニュースもそろそろ聞こえてきそうです。

〇この10年間ほどに文部科学省が大学教育の改革として、「付加価値の高い理工系人材の育成」をその重点としています。それにより多くの大学ではいわゆる文系学部(文学部、経済学部、歴史学部、心理学部など)の定員が減らされているのを報道で知りました。少し違和感を覚えます。

〇確かに以前から理工系学部の人気が高く、就職先もバラエティーに富んでいました。しかし大学は専門学校ではなく昔から「知の最高学府」と言われていますので、理工系だけでなくいろいろな文系の学部もあったほうが、「その国は本当に豊かだといえる」と私は感じています。

〇表題は特に文学部の学生の肩身がせまいということに疑問を感じている人がいるということを表しています。作家で文芸評論家、さらに大学でも教壇に立っていた高橋源一郎氏の次の言葉はとても参考になります。一部を引用させてもらいます。

「『大学で文学を学ぶのは、就職に不利なのではないか。』中高生の中には、そう感じている人もいるでしょう。『文学って何の役に立つの?』と疑問を抱く人もいるかもしれません。私はもしその答えを『すぐに知りたい』と思うのであれば、その考えは間違っていると断言します。(略)正しい答えはないが、あえて言うなら、自ら問いを立て、自ら答えること、さらに問い続けることを考えさせる何かだと、僕は思っています。」

「人は無意識のうちに社会の常識や因習に縛られている。文学は、自分を縛る鎖の存在に気付かせ、断ち切ってくれる、自分を自由にしてくれる武器でもある。」

「文学が役に立つか立たないかという設定をまず疑うべきで、文学は問い続けること、答えのないものを見つけても、また新たな問いが生まれ・・・。その循環が止まらないことが文学という現象だと思います。」

〇本校でも朝の10分間読書を継続して取り組んでいます。生徒も多くは自分の選んだ文学や小説を集中して読んでいます。朝の読書推進協議会の大塚理事長さんは、次のように語っています。

「『朝の読書』のねらいとすることは、読書本来の楽しみや喜びを感じ、自由や解放感を味わい、精神の散策や心の癒し、探究心や感性等を、生徒と教師が一緒に読書することで、かけがえのない人生のこの時を、共に生き、共に学び、共に育み、共に歩んでいきましょうということです」

〇「うちどく(家読)」という活動も生まれています。その名の通り、本をきっかけとしたコミュニケーションを家族の間にも広げていこうとするものです。読書は語彙を増やします。語彙が増えると気持ちを伝えやすくなります。登場人物と自分を重ね、考える力を育みます。自然と相手の胸の内を思いやることができるようになり、知識や話題も豊富になって、コミュニケーション能力も高まります。

〇社会で生き延びていく術を身に付けることも、文学を学ぶ意義かもしれません。

須藤昌英

 

3月12日(水)2つの「旅立ちの日に」

〇雨のしっとりした朝で、出勤するとどことなく昨日の余韻が学校の中に残っているのを感じました。校庭の梅もまだ咲いていたり職員玄関には式の壇上にあった大きな花を移していたりと良い香りが漂っています。

〇昨日の令和6年度第78回卒業証書授与式は、予定通り2時間で実施されました。天候にも恵まれ、式と学級でのお別れ終了後も、昼過ぎまで校庭などで友人と別れを惜しむ姿がありました。

〇職員反省会では3学年主任から「在校生が何人も泣いてくれて、それを見て卒業生はさらに涙腺が緩んでいました。後輩に泣いてもらえる卒業生になったことを嬉しく思います。」との報告がありました。

〇卒業証書授与の際には、私から一人ひとりに声をかけました。それぞれ三年間の一場面が想起され、嬉しそうに笑う生徒、恥ずかしそうに伏目がちな生徒など様々でした。あまりお見せするものでもありませんが、私の手元には、事前に自分で作成しておいた「声掛け一覧」を置いておきました。

〇今年の歌は、君が代と校歌の他に、2つの「旅立ちの日に」を生徒が合唱しました。同じ曲名ですが、別物です。毎年候補曲の中から、生徒たちの意見によって選びますが、それがたまたま同じ曲名になったのです。

〇1曲目の『旅立ちの日に』は、1991年に埼玉県の中学校の教員によって作られた合唱曲です。当時の校長が荒れていた中学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やしつつ、音楽科教諭と共に粘り強く取り組んで結果、歌う楽しさによって中学校の雰囲気は明るくなったことのエピソードは有名です。今では伝統的な卒業ソングです。

〇2曲目の『旅立ちの日に』は、シンガーソングライターの川嶋あいさんが作詞・作曲し、2006年にリリースされました。比較的新しい曲ですが、現在では定番の卒業ソングとなっています。学校の風景を詳しく描写した詩やハートフルな旋律が優しいハーモニーでつながれたところが、いつまでも続いていく友情をイメージさせますので、中学生にはピッタリです。

〇共通点はどちらもしっとりとしたバラード(語り物的な歌)で、成長した卒業生の声によって、素晴らしい合唱でした。女子生徒ももちろんですが、特に男子生徒の重低音が体育館に響き渡っていました。2年生も感動したようです。

〇昨日の夕方、すべての後片づけが終わった後に、校長室で卒業式を撮影したビデオを視聴していましたが、2つの「旅立ちの日に」を聞いている時間がとても幸せでした。卒業生の今後の活躍を祈念します。

須藤昌英

 

3月11日(火)令和6年度第78回卒業証書授与式

〇卒業式の朝を迎えました。雨も何とか降らずにすみそうなので安心しています。卒業生は3年前の入学式からその成長ぶりを目の当たりにしてきましたので、昨晩はいろいろと思い出がよみがえり、寝つきが悪く、今朝も3時に目が覚めてしまいました。

〇私でさえそうですから、担任や学年職員はもっと高揚した気持ちで朝を迎えただろうと思います。私も過去に丁度10回、担任として卒業生を送り出してきたので、その時の気持ちは忘れることはありません。昨日の準備をさらに確認し、開式の時間を迎えます。

〇式次第中での校長の役割は、「証書授与」「式辞」「記念品贈呈」「答辞」とありますが、特に「式辞」は昨年末から何度も書いては修正してきました。最終原稿となり、冒頭では3年前の入学式の式辞の一部を引用しました。

〇丁度3年前は、ロシアのウクライナ侵攻が始まったばかりでしたので、中学校1年生には少し難しいかなとも懸念しました。しかし生徒たちには世界へも目を向けてほしいとの願いから、あえて盛り込んだのでした。紹介します。

「今、毎日のように、ウクライナへのロシアによる軍事侵攻のニュースが流れ、平和な暮らしが一瞬して奪われたり、多くの人がお亡くなりになったりしています。確かに遠い国のことなのであり、実感としてその悲惨さはわかりにくいですが、過去にはもともと同じ国であり、しかも今は隣合わせの国が争っている状況を、決して私たちは『傍観者』でいてはいけないと思います。

私も含めた大人の多くも、この戦争の歴史的背景や現状について、分からないことが多いのです。『どうしてこうなってしまうのだろう』と毎日頭を抱えるほどです。ただ、大切なことは、この現実から目をそらさずに、情報を整理し、『自分ならどうするか?』といつも考え続けることだと思います。でもそれは『正解』ではありません。他の人は『異なる考え』をもっています。だから、お互いに話し合い、相手を理解し、一緒に何ができるかを模索していきましょう。ともかく同じ人間として、一日でもはやく紛争がおさまり、亡くなった人を弔い、生きている人が希望をもてるよう祈らずにはいられません。

毎日学校で友達と会えること、好きな学習やスポーツができること、おいしい給食が食べられること等なんでも『当たり前』ではなく、現在平和が保たれている日本という国に生まれたからなのです。そういう視点で物事を見て、できることに感謝して日々を過ごしていると、やがて『自分たちだけが幸せであればいい』ではなく、『世界の平和に自分として何ができるのか』を考えられる人になれます。」

〇年に二回(卒業式と入学式)しか着ない、モーニングコートにこれから着替えようと思います。

須藤昌英

 

3月10日(月)卒業式予行練習と前日準備

〇金曜日の午前中、卒業式当日に参列する2学年生徒と保護者席となるスペースに1学年生徒に座ってもらい、卒業式予行練習を行いました。全校生徒が一同にそろうのはこれが最後です。本来ですと1学年生徒も参列し、卒業生の晴れの姿をお祝いしたいのですが、体育館のスペースの問題があります。

〇コロナ禍以前のように、通路をなくし席をつめつめにすれば700名くらいの収容は何とか可能ではありますが、コロナを経験していますので、席の配置も余裕をもたせるのがスタンダードになっています。

〇1、2年生も一昨日の3年生を送る会の時とは違って、フォーマルな式の雰囲気を感じ、厳粛な顔つきで卒業生の一挙手一投足を見つめていました。先日の3年生を送る会もよい雰囲気でしたが、卒業式はまた一段高い行事であることを生徒たちは知っていますので、素晴らしいです。

〇式の中で一番時間の長い「卒業証書授与」の場面では、ステージに向かって左の壁にPTAから寄贈していただいたサブスクリーンに、「クラス別の卒業生名簿」をプロジェクターで映写します。予行練習ではあえて行いませんでしたが、当日は堂々と証書を受け取ってもらいたいです。

  〇本日午後に、在校生と体育館と教室の会場準備を行いました。

〇会場は整いました。後は明日の天候がくずれないように願っています。

須藤昌英

3月7日(金)「薬物乱用防止&情報モラル教室」出前授業

〇昨日の4時間目、柏市少年補導センターから麻生指導主事をお招きし、「薬物乱用防止&情報モラル教室」を行いました。実施の主な目的としては、薬物やSNSを通じたトラブルや犯罪行為が急増化していることを受け、身体の健全や情報モラルについて考える機会とし、適切な対処方法を身につけることです。

〇講師で来校した麻生指導主事は本校の卒業生であり、冒頭で私からそのことを紹介しました。そのこともあり生徒たちは、先輩の話を熱心に聞いていました。特に来週に卒業式を控え、来月から高校生になる3年生には、危険が潜んでいることを理解してもらいました。

須藤昌英

 

3月6日(木)孤独のグルメ&教員のサラメシ&3年生最後の給食

〇「孤独のグルメ」という漫画がまずテレビ番組となり、この1月それが映画となって公開されました。私は映画は観ていませんが、テレビでは「食べるだけの演技も面白いな」と思って観ていました。

〇物語の設定は、輸入雑貨商を営む主人公・井之頭五郎(いのがしらごろう)が、各地の食堂などで一人で食事をする様子を淡々と描くものです。

〇登場する店は「グルメ」という言葉から一般的にイメージされる高級店や流行りの店ではなく、街に溶け込むように年月を重ねた大衆食堂や個人店がほとんどです。主人公が独りで食事を楽しむ様子が自身の独白と共に描かれるスタイルは、それまでのグルメ漫画には見られない内容で以後、多くのフォロワーを生んだようです。

〇実際に私の娘は、テレビと映画で演じている俳優が好きで、映画も観にいったようです。初老の男性が心でいろいろとつぶやきながら食事をするシーンばかりですが、その表情で演技するところなどは「さすが俳優だな・・・」と思います。

〇私も毎日、生徒の食べる30分前に、校長室で検食をしてその記録を検食簿に書いていますが、ある時「これも孤独なグルメかな・・」と思ったことがありました。

〇一人ですのでおしゃべりもせず、よくかんで味わって食べていると、自然と心の中で「これは美味しいな」とか「こういう味付けも面白いな」とかつぶやいています。

〇またNHKの木曜日の夜に放送されている「サラメシ」というドキュメンタリー番組は、昔から好きでよく観ています。番組の副題に「ランチをのぞけば 人生が見えてくる 働くオトナの昼ごはん それが『サラメシ』」とあり、私は食事の内容よりも、登場する働く人の姿やその仕事の苦労ややりがいなどを想像するのが楽しみです。

〇特に私と同じくらいの年齢の方々が何を好んで食べているのかをチェックしたり、若い新入社員などが仕事の緊張を昼食でほぐすのをみたりすると、「人間ってみんな同じだな」とホッとする時が多いです。

〇私たち教職員の「サラメシ」は、生徒と一緒に食べる給食です。ただし給食指導の一環ですので、サラリーマンの昼休みとは少し違います。配膳がスムーズかどうか目配りしたり食べ方によって生徒の心身の体調をチェックしたりしています。

〇確か数年前の「サラメシ」で、東京都の小学校の校長を取り上げた回がありました。先ほどの校長の仕事の検食は、「学校給食法」に明記されていて、生徒が給食を食べる前までに、学校の責任者が事前に喫食し、人体に有害となる異物の混入がないか、調理過程において加熱等が適切に行われているか、食品の異味・異臭等の異常がないか、一食分として量が適当か、味付け・香り・色彩等が適切かを検査するものです。

〇検食を行った時間、検食者の意見等検食の結果を記録しますが、先ほどのようにその日気づいたことなどを一言コメントで書いて栄養教諭に戻しています。

〇書く内容は、大抵は「ごはんとこの主菜、副菜の組み合わせがいいです。」といったようなことで、たまに味付けについての感想も書きますが、調理の素人ですから自分の好みが前面に出ないように気をつけています。

〇ここまで給食の委託業者の努力で、衛生管理の面では問題はありませんので、安心しています。調理員さんになかなか直接お礼を言う機会がないので、感謝の気持ちもこめています。

〇私以外の職員の多くも給食を楽しみにしており、先ほどのように食べることで緊張がほぐれ、また午後の授業を頑張ろうと思うようです。何よりも暖かい給食を食べられることが有難いと感じます。

〇私が教員となった昭和の終わりから数年間は、柏市の中学校で給食はまだ始まっておらず、職員も弁当持参でした。私が自分の弁当が食べ終わるのを見ると、生徒が寄ってきて「先生、これ食べる?」と自分の弁当を分けてくれることもありました。

〇それをきっかけにその弁当を作ってくれた家族の話を聞いたり、その生徒とお互いの食の好みについてよく話したりしたものでした。まだ20歳代の若さでしたので、当時はいくらでも食べられる頃でした。ただ時には食べ過ぎて午後の授業がきつかったこともありました。今思うと、懐かしい思い出です。

〇今日は3年生は中学校最後の給食です。楽しく食べてほしいです。また木曜日ですので、帰宅してから、ちょうど夕食の時間に「サラメシ」を観ようと思います。

須藤昌英

【卒業お祝いメニューと今日の検食簿】

3月5日(水)努力努力(ゆめゆめ)

〇昨日は、千葉県公立高等学校入学者選抜の結果発表がありました。入試には各校ごとの募集定員がありますので、嬉しい結果と残念な結果の生徒が出るのは致し方ありません。ただ言えることは、それぞれ「精一杯取り組み、努力した」という経験は今後、必ず本人にとってプラスにはたらきます。

〇この時期になると思い出す言葉があります。「努力努力」と書いて「ゆめゆめ」と読みます。何となくきれいな読み仮名です。そのことを初めて知った時から、強く印象に残っている漢字です。

〇古い言い回しとして、「ゆめゆめ怠ることなかれ(決して怠ってはいけない)」などは知っていました。後ろに禁止の言葉をつなげて、「決して~するな」の意味で使われていることもあります。しかし「努力努力」という字をあてるとは思っていませんでした。

〇「努力」とは「目の前のことを心を込めて行う」ことですが、この言葉から私の受ける印象は、どちらかというと親や先生から「努力しなさい」と言われてきたこともあり、とても窮屈で強制されるイメージです。教育論でよくテーマとなる「厳しくするか甘やかすか」の中では、大人が子どもを外的にコントロールするにイメージ近いです。

〇同様の意味で私などは「精進」という言葉の方が「自ら(内的コントロール)」のイメージがもてるので前から好んで使ってきました。「精」の字は、「こころ。たましい。気力」の意味がありますので、「1つの事柄に精神を集中する」という「努力」と似た意味と捉えています。

〇こちらは仏教に由来していますが、日本語には仏教から影響を受けた言葉が多く、例えば「挨拶」「玄関」「経営」など普段から生活の中でよく使用されているものは、すべて仏典からきています。

〇まさに学校は生徒たちが「努力(精進)するための場」であり、失敗をしてもその原因を明らかにしながら、次の成長へつなげていくところですので、生徒にはチャレンジする気持ちをもってもらいたいと常々思っています。

〇「努力」の言葉から、アメリカの発明家(蓄音機や白熱電球など)の「トーマス・エジソン」を連想します。幼い頃に伝記を読みましたが、彼は大変な努力家で、新聞を売りながら自分でコツコツと貯金し、自分の実験室を作ったそうです。そのエジソンが「努力」について、「天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である」という言葉を残しています。

〇また相対性理論でノーベル賞を受賞した理論物理学者の「アルベルト・アインシュタイン」にも多くの格言がありますが、その中に「天才とは努力する凡才のことである」というものがあります。天才のように思われがちなアインシュタインですが、実際は努力によって多くのアイデアや真理を見出した人でした。

〇平安時代初期の僧だった空海(真言宗の開祖:別名弘法大師)は、当時の日本におけるケタはずれの天才であり、書の達人、土木技術のエキスパートなどの複数の実績があります。

〇空海についての本を読むと、彼が若い頃に遣唐使として中国に渡り密教について学び、帰国する際に中国人の師匠から、「早く日本に帰って密教を伝えなさい・・・努力努力(ゆめ ゆめ)つとめよ」と言われたそうです。その後日本中で活躍されたことは有名であり、学区にある布施弁天東海寺にもその伝説があります。

〇今の生徒には前のように「努力しなさい」というよりも「自分の好きなことを究めなさい」と言った方がよいと最近は感じるようになりました。

〇好きなことはやっていれば楽しいし、楽しいから夢中になれるし、好きだからそれに熱中できて「努力」が継続できると思うからです。それが本来の「ゆめゆめ」の真意だと感じています。

須藤昌英

  

3月4日(火)生徒の可能性を最大限に引き出す方法

〇本日の9時に、千葉県公立高等学校入学者選抜の結果が発表されます。ここまで目標に向かって精一杯準備してきた彼らの姿を身近に感じてきたので、「どうか全員に・・・良い結果」と今朝は職員一同で祈っています。

〇グロースマインドセット(成長志向)という概念が、最近注目されています。もともとは企業などで人材を育成していくことを目的としていますが、要するに中学生も同様に、人間の成長を促進する思考パターンのことであり、自分の成長可能性を信じていれば、難しい問題や課題に積極的に取り組んでいけるという考え方です。

〇グロースマインドセットを提唱したキャロル・ドゥエック氏は、社会心理学、発達心理学を専門とするスタンフォード大学の心理学教授です。マインドセットとは、経験・教育・先入観から形成される、心理状態や思考パターンのことを言います。例えば、思い込みや価値観・信念がこれに該当します。思い込みのことを「パラダイム」とも言い、新たな情報や経験によって自身の思い込みに気づき、思い込みが変化することを「パラダイムシフト」と言います。

〇内容はそんなに新しいことではありませんが、わかっていても継続してできないのが現実でしょう。

1.褒め言葉を使って自尊心を高める。

2.失敗をポジティブに捉えるよう促す。

3.継続的な努力が必要であることを理解させる。

4.努力が成功につながることを示すため、適切なフィードバックを提供する。

〇教員となって38年間(小学校3年、中学校35年)、実に多くのそして多彩な児童生徒との出会いがありました。「教えることは教わること」と気づき始めたのは、教員生活をスタートして数年が経過したころでした。

〇「今の教え方で本当にいいのだろうか?」と壁にぶつかった時、目の前の児童生徒が「学ぼうとする姿」をつぶさに観察しました。すると自分の一方的な思いでは何も伝わらないことや、その生徒の姿が新たな手法を私に教えてくれていることを実感しました。

〇3年生はこの3年間を見守ってきましたので、その成長ぶりは常に実感していますが、昨日の3年生を送る会では特に1・2年生の成長ぶりに驚きを超え感動を覚えました。これからの学校はこれまで以上に「成長志向」がキーワードになっていくと思います。

須藤昌英

【昨日の3年生を送る会】

3月3日(月)3年生を送る会の準備とネタバレ?

〇久しぶりの雨の朝です。満開の梅の花もしっとりしています。花粉症の生徒には少し楽かもしれません。ただ午後は気温が下がり、雪もちらつくかもしれないとの予報です。気温の変化による体調変化が心配です。

〇1・2年生は先週までに、本日の午後に行う「3年生を送る会(3送会)」に向けて、それぞれの発表の練習を体育館や武道場で懸命に行ってきました。きっと心のこもったあたたかい会になると今朝から期待しています。

〇今年の3送会の3年生への招待状は、一人ひとりではなくクラスへ1枚ずつでした。ジグソーパズルのようにピースを組合せ、表面がメッセージ、裏面が3年の各担任の笑顔になっています。それに映っている担任のそれぞれの笑顔がとても印象的です。

〇少し細かいことを言えば、卒業式は学校主催行事であり、すべて校長の責任のもとに執り行います。それに対し3送会は生徒会主催行事で、企画から準備、本番まで生徒会が主体となって実施します。前者が例年ほぼ同様なプログラムなのに対して、後者は年によってバラエティーに富んでいます。

〇昔は「3年生を送る会」のことを「予餞会(よせんかい)」と言っていました。「予餞」とは「あらかじめに送る会」という意味で、何に対してあらかじめかというと、「卒業証書授与式」のことです。

〇卒業生にとっては、3年生を送る会で後輩の1・2年生とお別れをし、卒業式では保護者の方々にここまで育ててくれたことに感謝の心をもって参加する意義があります。

〇ここで、3送会で各学年が行う発表内容を紹介したいところですが、「ネタバレ」はしないでおきます。ダンスや劇、合唱などの心のこもった卒業生が喜んでくれること請け合いの発表とだけお伝えしておきます。

〇3.4校時に下級生が3年生を送る会の最終リハーサルと準備を行ないました。今日の給食はひな祭りをお祝いして、「ちらし寿司、ぶりの照り焼き、もやしのポン酢和え、菜の花のすまし汁、黒糖大豆、牛乳」でした。外は雨ですが、体育館は今月から新しくし使用できるようになった空調設備が稼働して、暖かくなっています。午後が楽しみです。

〇給食中から雨から大粒の雪に変わり、神秘的な風景となる中、5・6校時に3年生を送る会を行いました。卒業をお祝いする在校生、それに感謝する卒業生。学校はやっぱり素晴らしい場所です。

 

〇明日は9時から、千葉県公立高等学校入試の合格があります。どうか全員が希望が叶うように、職員全員で祈っています。

 須藤昌英

2月28日(金)これからの人生でためになる授業(3学年性教育)

〇この3日間は春本番の陽気となり、寒さに対してはだいぶ楽になりましたが、その一方で花粉症などのアレルギーを持っている生徒は大変なようです。近年のコロナ禍によるマスク常用の影響であまり目立たなくなったこともありますが、この時期には花粉対象のマスクをしたりメガネでガードしていたりする生徒を以前はもっといた気がします。

〇屋外に出て体を動かすのがおっくうになったり、室内にいても学習や諸活動に集中できなかったりすることが、本人が一番つらいだろうと思います。少し調べたら、簡単な花粉症対策として、外出から戻ったら顔を洗う方法があるそうです。目の周りや鼻の周りには花粉がついていて、それを洗い流すと吸入する花粉の量が減るのでけっこう楽になるようです。

〇昨日の5校時、日本医科大学付属病院の産婦人科医師である小川淳先生をお招きし、体育館で3生生に性教育を行いました。冒頭に小川先生から「勤務している病院が最近のテレビドラマ『まどか26歳、研修医やっています』の撮影に使われています」と話があると、生徒たちがざわついていました。

〇卒業式を来週に控え、「いのちや性」について深く学ぶ機会を通し、生徒の将来に役立つ講話をしていただきました。主な内容は次の5点でした。

1 男女の身体の変化

2 望む妊娠と望まない妊娠

3 性感染症

4 子宮頸がんとHPVワクチン

5 LGBTQ+と性別違和

〇特に産婦人科医として強調されていたのは、4の内容です。子宮頸がんは「唯一予防のできるがん」であり、以前には副作用の関係で避けられていたHPVワクチンの接種が、小6~高1の女子に国が公費を出して受けられること、海外では男子も受けていることなどを紹介していました。私もこのワクチンが男子も対象であることを初めてしりました。

〇また5の内容に関しては、人を好きになる性(性的指向)は人様々で、どの性別が恋愛対象になるのかは多様であることから入り、性は生物学的な性別だけでなく、様々な要素の組み合わせで成り立っていることに触れていました。自分の性別をどのように感じるのかなど、最近はこころの性(性自認)とからだの性(生物学的な性) がバラバラであることはよくあることと認知されつつあります。

〇親や教員が伝えにくいことについても、現場の医師というプロならではの説明していただき、生徒は真剣に聞き入っていました。やはり専門家の言葉は自らの経験をもとにしていますので、彼らにとっても重みがあるのでしょう。講演会後に校長室で、日本の少子化で産婦人科も危機を感じていることや教員と同じく医師の働き方改革がすすんでいることなどを伺いました。

〇帰り際に小川医師は、「私の話の中で何か一つでも生徒さんたちの心に残ればありがたいです」とおっしゃっていました。思春期は心も身体も揺れ動くので、ちょっとしたことでも専門医に相談することで、安心感が得られることが大切だと感じました。

須藤昌英

 

2月27日(木)卒業式の練習(3学年)

〇今週から3学年は特別日課に入り、その中で次のような各クラスの実行委員を中心に、11日に行う卒業式練習が始まっています。クラスでの基本練習と学年全体で体育館での学年練習を並行して行っています。

(運営・企画) 学年委員

1組石黒さん、村越さん  2組伊藤さん、宮前さん 

3組天瀬さん、中村さん  4組新野さん、松本さん 

5組石塚さん、黒川さん

〇私はこれまでも義務教育9年間の最終年にあたる中学3年生には、「保護者や先生などから言われたからその通りにする」のではなく、いろいろな人の視点に立って(想像力)、自分はどうすべきかを考えること(創造力)を育んでもらいたいと願ってきました。練習を後ろからそっと見ていると、そういう力が一人ひとりに備わってきているなと感じました。

〇卒業式は学校行事の中で最大でかつ最重要であり、フォーマルな場です。そこで最初は礼法や作法の確認を行います。これもあくまでも基本を教えますが、あとは自分なりのその基本動作を応用し、堂々と参加してもらいたいです。生徒に指導した主な点として、

1 座る姿勢(頭をむやみに動かさない)

男子:足を自然に開き、拳は軽く握って膝と股関節の間に置く

女子:足を閉じ、手は重ねて膝と股関節の間に置く

2 座る→立つの動作 (「卒業生、起立」の号令)

背筋を伸ばす(立つ準備)をして、スッと立つ。

3 立つ姿勢(手は体側に)

踵をつけて、つま先は拳1つ分程度開き、視線はまっすぐ遠く。

4 座礼と立礼(若者らしく)

腰を基準にして、1・2・3で45°程度曲げる

5 歩き方(手は自然に振る)

「パタパタ」と音をたてるのはNG、まっすぐ遠くを見る。

〇「ずいぶんと細かい所まで教えるなあ~」と感じる方もいるかもしれませんが、卒業式は彼らにとっても小学校以来3年ぶりのことであり、知らないことや忘れていることも多いものです。最初は各所作の意味や社会人の常識みたいなものまで含めて説明し、だから「~しなさい」ではなく、教わったことを生徒自身が自分でかみ砕いて考えることが最も大切だと考えています。

〇当日に一番生徒が緊張するのが、卒業証書授与の場面です。最初ステージにあがると、ぎこちない動きでしたが、みんな一生懸命取り組んでいて、みていて清々しい気持ちになりました。来週の予行練習では、保護者席に在校生を座わらせて、本番の緊張感で最後の確認をしていく予定です。

 須藤昌英

2月26日(水)楽しく学ぶ土台は「アハ体験」

〇昨日は1学年の3クラスにおいて、3学期期末テストの答案用紙返却を各担任と一緒に行いました。今回の出題範囲は、空間図形と資料の活用が主でしたので、生徒の図形認識の違いなどで好き嫌いやが出やすい内容でもありました。

〇半年前から柏市の中学校でも、定期試験の自動採点システムを導入しましたので、各教科担任は生徒の答案用紙をスキャンし、第一次採点をコンピュータで行います。その後それを確認するために、教員が目で2回目の採点を行います。

〇昨日の3クラスでは、一人のみ採点の修正を行いました。記号で答える問題でしたが、よく見ないといわゆる「くせ字」なので、コンピュータと人間のダブルチェックも認識できなかったようです。本人に私から事情を尋ねたところ、「自分は〇のつもりで書きました」と答えがあったので、誤答から正答に変更しました。

〇ところで今回の久しぶりの生徒たちとの直接的な授業のやりとりで、いつもと違う生活パターンで少し疲れます。しかしその一方で自宅に帰って食事後に「ボーッ」としたり入浴したりしている時に、「そうだ!明日は~をやってみよう」などの思い付きがあります。そういう時はワクワクするものですし、脳の働きはますます神秘的だなと思います。

〇同じく脳の不思議な能力として、昔一時期、テレビなどで話題になりましたが、「アハ体験(a-ha experience)」があります。簡単に言うと、「あ、そうか、わかったぞ」という心のつぶやきや体験を表す言葉で、やはり「ひらめき」や「創造性」に関する脳のはたらきのことです。

〇よく使われる例として、古典物理学者のニュートンが、木から落ちるリンゴをみて万有引力の法則を発見したことがありますが、もちろんあれも常に一つのことを考え続けた末、フッとした瞬間に知識どうしが結び付く一つの「アハ体験」だと言えます。

〇少し調べてみると、人間は「アハ体験」の最中の0.1秒ほどの短い時間に、脳の神経細胞がいっせいに活動して、世界の見え方が一瞬で変わってしまうそうです。

〇大げさに言うと、それまでわからないで悩んでいる時の不安感や焦燥感が、ひらめいた時の「ああ、そうか!」一気に消え去り、と同時に大きな喜びや解放感を感じることによって、今までとは違った自分になってしまうということです。

〇そのような感覚を体験することで、関係する脳の回路を強化され、その後は、わからないことが出てきてもじっくりと考え、ひらめきを育むことの大切さを、楽しみながら学ぶことができるでしょう。

〇ただし、アハ体験は、いつ起こるかなど予測は不能で、コントロールもできないという面があります。またそれに近い体験を実際にしても、いつのまにか見過ごしていることもあります。やはり今の自分が何を感じているのかを、常に意識しておく必要がある気がします。

〇生徒たちには、私とのやりとりの中で、何か一つでいいので、小さな「アハ体験をしてもらいたい・・」と思っています。「この計算はこういうときに使うのか!」とか「この数学の公式は確かにこの場合には便利だ!」など、自分で感じたことを書いたり、人に話したりするアウトプットを積み重ねると、普段の学習への意識が高まります。

〇脳科学者の茂木健一郎氏は、インタビューで次のように語ります。

「生きていくのは何が起こるか分からないこと。学校では答えの決まっていることは教えてくれますけど、人生をいかに生きるべきかという教科はありません。何が起こるか分からない人生をどう生きるかという時に、感情がフル回転するんです。脳にはうれしいことが起こった時に放出される『ドーパミン』と呼ばれるものがあります。何か行動してドーパミンが出ると、その回路が強化される。これを強化学習と呼びます。ですから、頭を良くしようと思ったら、何かを学んで喜ばなくてはいけないんです。アハ体験は気付くことに喜んでドーパミンを出してほしいというもの。気付くということに対して、トレーニングする機会はないんです。答えが決まっていることを素早くやることも大事ですけど、それだけでは今の世の中はやっていけない。何か新しいことに気付くことがすごく大切なんです。脳はオープンエンド、一生学び続けるものですから」

〇今日の授業も、生徒の「アハ体験」をどうのように引き出せるか?楽しみです。

須藤昌英