創立79周年目 学び成長し続ける富勢中
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校長雑感ブログ
3月31日(月)約束しなくても会える最後の日
〇富勢中に勤務する最後の日になりました。私の年齢(昭和38年生まれ)から公務員の定年延長がはじまり、従来ですと昨年の今日、定年退職でしたが、一年延長で本日定年退職となりました。
〇よくドラマでも主人公が定年延長を迎える場面がありますが、今朝もいつもと変わらず、いつも通りに出勤し校長室の整理整頓をしています。また午後に次の校長と2回目の引継ぎを行い、夕方帰宅する予定で、いつもと変わったことはありません。
〇明日からは「再任用職員」として、柏市立土中学校に赴任します。くしくも土中は富勢中同じくと今年創立79周年目になります。昭和22年創立で柏市内ではその他に田中中と手賀中があり、この4校が戦後新しい学校制度になったので、市内では一番歴史のある学校です。
〇昨年から生徒会役員の生徒たちと創立80周年に向けてのプロジェクトの構想を話し合っていましたので、土中でも早速生徒会と同じような対話をしていくつもりです。新しい出会いが楽しみです。
〇春休み中も部活動に来ている生徒たちと話す機会がありました。中には「校長先生、本当に行ってしまうんですね」とか「次の学校でも頑張ってください」などの嬉しい言葉をもらいました。感謝です。
〇若い頃に卒業するクラスの生徒には、「普段は学校に登校すればいつでも会えたけど、卒業式の日は『お互いに約束しなくても会える最後の日』だよと語りかけてきました。同様に今日が私にとって富勢中にアポなしで来られる最後の日になります。
〇後任は柏中学校から赴任する伊藤嘉章校長です。彼は過去に富勢中に教諭として2回勤務し、さらに富勢小教頭、富勢西小校長を経験しておりますので、この地区の様子は熟知しています。安心して後を任せていきます。
〇「校長雑感ブログ」も、本日で終了します。3年前にあらかじめ校長視点の「雑感(雑多な感想)」とことわってスタートましたが、その日の思いや気づいたこと、自分のこれまでの経験を一方的に連ねるようなまとまりのない文章になってしまいました。お詫びいたします。
〇在任中の数々のご支援とご指導にあらためて感謝申し上げます。土中から富勢中のさらなる発展を祈念しております。ありがとうございました。
須藤昌英
3月25日(火)お詫びと訂正
〇本日から4月6日までは、一般的には春休みと言いますが、正式には3月31日までが学年末休業日、4月1日から4日までが学年始め休業日となっています。暖かくて春を感じる穏やかな日が続きますが、交通事故等には十分に気をつけて過ごしてください。
〇17日のブログ「三学期制から二期制への移行について」の中で、一部訂正をさせていただきます。「柏市立小学校及び中学校管理規則第19条」では、「学校教育法施行令第29条第1項の規定による学期は、第1学期(4月1日から7月31日まで)、第2学期(8月1日から12月31日まで)、 第3学期(1月1日から3月31日まで)とする」とあります。
〇もちろん本校は柏市の学校ですので、上記の原則で運営しており、「三学期制」を「二期制」に変更するというのは、法律を変えて行うということではありません。あくまでも一年間の区切りを便宜上「前期と後期」としただけであり、それにより各教科の成績を算定する時期や学校行事等が従来と異なってくるということです。まぎらわしい表現となったことをお詫びします。
〇具体的には昨日、シグフィーにて「令和7年度年間予定表」を送付しましたので、ご確認ください。ただし今後これらの予定を変更する場合には、あらためてご連絡しますのでご了承ください。
須藤昌英
3月24日(月)令和6年度修了式
〇本日は令和6年度修了式を行います。今年度の登校日数は1学年が196日、2学年が199日でした。
〇私の話の中では、先日の卒業式で卒業生に送った言葉を引用します。
世の中は常に便利さを追求し、コンビニでは何時でも欲しいものがすぐに手に入り、わからないことは手元のスマホで検索すれば、それなりの情報が得られます。もっと言えば、我々が「当たり前」と感じているこれらの「便利さ」は、「何かにすぐにパッと飛びつく習性を嫌でも身に付けてしまうこと」に直結しています。ただし、生きていて迷ったり悩んだりした末に、自分で考えることをしなければ、それらは決して解決の方向に向かいません。
私が一番危惧して訴えたいことは、ズバリ『面倒くさいと言わない』と『窮屈さを楽しめ』ということです。皆さん日常生活の中で普段から「面倒くさい」が口癖になっていたり、人との人間関係が「窮屈でしかない」と思っていたりしないかを振り返ってみてください。学校に行くこと、学ぶこと、人とつきあうこと、つまり生きていくことは基本的には「面倒くさくて窮屈なこと」なのです。
ただ「便利さ」に慣れ、自分で考えもせず、他にすぐに答えを求めようとし、それが得られないと条件や他人のせいにしていては、「いざ」というときに逃げてしまうしかありません。逆にある程度の「不便さや窮屈さ」があるから、それを克服しようと自分の能力が引き出され、成長できるということを再認識していく必要があります。
そもそも「人は何故生きるのか」等の大きな課題は、簡単に答えを得ることはできません。自分で悩み考える中に、今の自分を見つめ他の人の考えを参考にし、右往左往しながら生きていけばよいのです。
脳科学者である茂木健一郎氏は、一般的な特徴として、「現代人は身体性を忘れた志向性のゲームをしている」と指摘しています。要するに、自分は何もせず、人や機械に指示するだけで済まそうとする、これは効率が良いというよりは、ただ楽したいだけです。
茂木氏はまた「何度も考えて口に出すだけでなく、実際にやってみるとその大変さがわかり、人工知能AIは言語ゲームのみで生身の人間と比べると身体性がないなど、私たちの誤解を教えてくれています。アメリカメジャーリーグで超人的な活躍をしている大谷翔平選手は、決して言語ゲームではなく、何かを身体を使ってやっているので、その発する言葉にはリアリティーがあります。」と続けています。
私も六十年以上生きてきて一番実感しているのは、『失敗を成功で上書きする』ことが人生の醍醐味だということです。少し大袈裟かもしれませんが、失敗を失敗のまま終わりにせず、それを小さな成功つなげていけば最終的に『私は失敗しません。なぜなら失敗をそのままにせずに次にいかすから』と堂々と人前で言い切ることができます。
〇修了書を各学年代表2名の生徒に授与します。そこには「本校〇学年の課程を修了したことを証します」とあります。1年生の代表生徒には「入学してあっという間に1年がたち成長しましたね」と、2年生の代表生徒には、「4月からいよいよ最上級生ですね、頑張って」と声をかけるつもりです。
〇その後、令和6年度末で転退職する教職員8名のお別れのあいさつを行います。氏名のみシグフィーでお知らせしていますが、まだ新聞発表前ですので、異動先の学校はつたえられません。私も「生徒達への最後のあいさつをどうしようか・・・?」と朝から迷っています。
〇結局、言葉でのあいさつはやめて、あすなろ学級の生徒と約束をしていた歌を1曲歌って終わりにしました。「何にしようか・・・?」と悩みましたが、3学期の始業式でその歌詞の意味を使って話をした「どんなときも(作詞作曲:槇原敬之)」にしました。
〇この歌は今から30年以上前の歌ですが、当時担任していたクラスの生徒たちとよく歌っていたので、覚えています。壇上でマイクを持つと手元の伴奏よりもはやいテンポで歌ってしまい、生徒たちも苦笑していました。でも彼らの手拍子に合わせて最後まで歌うことができました。
須藤昌英
3月21日(金)新年度のクラス編成について
〇先日の学年末保護者会にて説明しましたが、4月より新2年生は4クラスを5クラスとしますので、現在新しいクラスを編成しています。また新3年生の学級数は5のままですが、新たなクラスを編成し、卒業に向けて最後の一年間を再スタートしてもらいます。
〇3年進級時に新しいクラス編成をすることは、富勢中においてはおそらく過去にはなかったと思います。これまでは慣例として「2年次と3年次は同じクラスで・・」を踏襲してきましたが、すでに他の中学校では3年進級時のクラス編成は行われており、それをするかしないかは各校に任されています。
〇その幾つかの理由を説明しましたが、一番の要因は、「集団に働く『バイアス(bias):偏りや偏見や先入観』です。身近な例で言うと、世間一般では「例えば血液型がAB型の人は、変わった性格の持ち主が多い」とか「赤ランドセルは女の子用で、黒ランドセルは男の子用」など、明らかな根拠はなくあくまでも一説に過ぎないとわかっていても、多くの人がそれに異を唱えることはなく受け入れています。
〇これは日本という世界からみると限られた集団社会で、長い間に自然と培われてきた偏見や先入観です。ただし、その偏見や先入観が悪いというわけではなく、一方では個人がその集団に適合していくためにはある面では必要なことだとも言えます。
〇これをもっと狭い学校における学級集団で考えてみると、「アンコンシャスバイアス:直訳『無意識の偏見』」が顕著になってきます。具体的には同じ環境で同じ集団の中で一定期間生活していると、知らず知らずの間に各個人の意識に刷り込まれる「価値観の偏り」が発生します。
〇例えば、「〇〇さんはいつも~のような行動をしている」とか「〇〇くんは~が好きなようだけど~は苦手なようだ」のように、その人の個性や特徴を言葉にして表します。これも決して悪気があるわけではなく無意識なのですが、これが少し危険です。
〇この「アンコンシャスバイアス」はコミュニケーションの価値を損なったり、人々の信頼関係をお互いに低下させ、正しい関係の構築を妨げたりするおそれがあります。特に思春期の中学生は、よほど注意しておかねばなりません。
〇このように集団におけるその人の価値観は大なり小なり、その置かれた環境や他者からの影響を受けて培われます。それは、かけがえのない個性や集団の可能性を生み出す一方で、人間関係上の摩擦を生み出すきっかけとなります。
〇4月から入学する新入生は、複数校から入学してきますので、否応なしに新しいクラスになります。つまりお互いにあまり知らない新しいメンバーと中学校生活をスタートさせます。在校生も持ち上がりクラスの良さもこれまでは確かにありましたが、前述の理由から同じく新メンバーで新学期を再スタートしてもらいたいと思います。
須藤昌英
3月19日(水)学年末保護者会&最後の給食
〇今朝は春雷とあられのような雨が降り、寒く感じます。ただ確実に春が近づいていることだということでしょう。明日は春分の日で祝日ですが、天気は回復する予報が出ており、そろそろお花見の話も出てきそうです。
〇昨日は、今年度最後の保護者会を行いました。ご参加していただき、ありがとうございました。冒頭の私の話の中で、来年度へ向けての方向性と変更点を説明しました。詳細については4月の保護者会で説明します。
〇また今日は今年度最後の給食です。明後日は、3時間授業(弁当なし)となりますので、ご承知おきください。
〇今日のメニューは「牛乳、スパゲティトマトソース、ひじきのマリネ、手作りカレーパイ、ブラットオレンジ」でした。正午に校長室で検食しました。結果は、
① 異物混入、異味、異臭 ⇒すべて「無」
② 調理温度(加熱・冷却)、一食分量、色・形態・香り、味付け ⇒すべて「良」
〇校長の所見「今年度最後の給食も美味しかったです。最後ですので個人的な感想も含めて書きます。トマト系のパスタが好きで、いつもひじきや野菜が多いので健康にも良いと感じます。パイは今まで甘い印象でしたが、カレーのパイも意外に相性がよいと思います。あまり食べたことないオレンジも濃い味でした。一年間、ありがとうございました。」
須藤昌英
【給食メニュー】
3月18日(火)価値がつけられないほどの・・・
〇昨日の午前中、先週の卒業式にインフルエンザ感染したことで列席できなかった卒業生一人の「卒業証書授与式」を教室で行ないました。同じ学級の生徒も大勢参列し、私から卒業証書を手渡しました。
〇最初に「校歌」、最後に「旅たちの日に…」を歌いましたが、狭い教室に彼らの歌声が響き渡っていました。もう一度卒業式当日の合唱が聴けるとは思っていなかったので、再び感激しました。
〇仲間のために集まり、心を込めた式にしようとする優しい卒業生たちも、いよいよ来月から自分で選んだ進路先での再スタートをします。元気で活躍してほしいです。
〇昔あるカード会社のコマーシャルに「プライスレスな経験を!」というキャッチフレーズがあり、その時に初めて「PRICELESS(プライスレス)」という言葉を知ったのを覚えています。そのコマーシャルはいくつかのシリーズがあり、しばらく放送されていました。
〇その一つが確か、「子連れの夫婦がみやげを買って実家に向かい『父に気に入りの地酒、七千円。母にカシミヤのショール、二万円』とナレーションが流れます。孫を笑顔で迎える父と母の映像とともに『いちばんのみやげ、プライスレス』と続き、最後に「お金で買えない価値がある。買えるものは○○カードで」だったと思います。
〇「プライスレス」は「プライス(価値)」と「レス(否定の意)」が組み合わさって出来た言葉のため、意味を本来の意味とは真逆の「価値がない」「貴重ではない」という直接的な連想から間違った解釈で使ってしまうことがあるので少し注意が必要です。
〇「プライスレス」は値段が付けられない、つまりお金では買えない、値段がつけられないほど貴重でかけがえのないものという意味です。形あるものではなく、思い出や体験、愛情や笑顔、優しさや温かさ、忘れられない言葉など、値段がつけられないもの全てはプライスレスというわけです。
〇価値観は人それぞれ異なりますので、「命」や「健康」、「愛情」や「きずな」など、どれも「大切なもの」です。「プライスレス」とは誰かが決めるものではなく、“自分にとってのプライスレス”があります。他人にとっては価値のないものでも、自分には「プライスレス」ということもあるでしょう
〇家族や友人たちと過ごす時間や貴重な体験、そこにある笑顔や温かさ、かけがえのない愛情、人生を変えるような出来事や転機となった言葉…いずれもその価値には値段がつけられないので「プライスレス」です。 ○冒頭の「一人だけのための卒業式」もまさしく生徒たちにとっては、「PRICELESS」な時間だったことでしょう。
須藤昌英
3月17日(月)三学期制から二期制への移行について
〇4月からの令和7年度の年間計画もほぼ固まりつつあります。その中で先月も少し書きましたが、従来からの一番の変更点が、「二期制(前期・後期)」への移行です。簡単に言えば、これまで1年間を一・二・三学期の3区分としてきたものを、2区分にするということです。
〇具体的には7月の一学期終業式がなくなり、夏季休業の前日まで授業を行い、授業時数を確保します。そして10月の初旬までを前期とし、前期の終業式を行います。その週末は祝日も含めた3連休になります。翌週からは後期となりますが、同様に12月の二学期終業式がなくなり、冬季休業の前日まで授業を行い、3月は年度の修了式で一年間をしめくくります。
〇そのことから定期テストの時期が変更され、通知表も年二回となります。もちろんこのことは生徒にはあらかじめ周知します。また各教科では今まで以上に単元テストや小テストを細かく実施し、生徒の学びの定着を測ることを検討しています。またその他学校行事も少しずつ時期がずれたりします。
〇授業時間の確保の観点から柏市の中学校でもこの二期制が増えており、本校でもこの数年間、検討を重ねてきました。その上で2年後の創立80周年を見据え、この4月から変更することとしました。
〇今から40年くらい昔の昭和時代は、土曜日に3~4時間授業があるのが一般的でした。私も20歳代の頃は、土曜日の午前中は授業を行い、弁当を食べた後の午後は部活動の指導をしていました。
〇その後社会全体の週休2日の流れを受けて、公立の小中学校にも徐々に土曜日休みが浸透してきました。2002年度から完全週休2日制になった結果、年間の総授業時間数が40日間ほど減少し、それにともなって授業数の不足や学校行事の大幅な取りやめなど、さまざまな課題が表面化しました。
〇それを受けて、2003年に中央教育審議会が教育課程の適切な実施と課題を解決するために提唱したのが二学期制の導入です。そうした経緯によって、授業時間を確保するために二学期制を導入する学校が増加しました。
〇二学期制にすると、先ほどのような変化がありますが、特に「総合的な学習」は継続的な学習が必要とされており、その授業時間を確保しやすくなります。また三学期制の場合は三学期が他の学期よりも短く、継続した学習が難しいことが課題でした。二学期制にすることで問題解決型の継続した学習がおこないやすくなります。
〇ただ特に来年に高校受験を控えた中学3年生は、これまでと違うスケジュールとなりますので、夏休み中の三者面談等で困ったことがないか確認したり、学習へのモチベーションが下がらないように指導したりしていきます。
須藤昌英
3月14日(金)マルハラと世代間ギャップ
〇今日は小学校の卒業式があります。私も午前中、富勢小で参列してきます。4月からの新入生の晴れの姿が楽しみです。
〇今では「ハラスメント(Harassment)」という言葉は、すっかり定着しています。嫌がらせのように、「相手を不快にさせたり不利益を与えたりするなど、肉体的・精神的な苦痛を与え、人間としての尊厳を侵害する行為の総称」(ウィキペディアより)のことです。
〇具体的には「パワハラ(地位や人間関係などの優位性をもとに、精神的・身体的苦痛を与える)」「セクハラ(相手の意に反する性的言動で、働く上で不利益を被ったり、就業環境が妨げられたりすること)」「モラハラ(モラルを根拠とする嫌がらせ)」など何種類もあるそうです。
〇昨年新しく「マルハラ」という言葉を知りました。主にLINEやチャットなどのSNSの文面において、句点(。)を使用することで、相手に威圧感を与えさせてしまうことを表す造語のようです。
〇私は最初は正直、何を指しているのか理解できませんでした。例えば「わかりました。」や「連絡ください。」という一見、何の変哲もない表現が若者たちにとっては淡々としすぎていて、怒っているように感じられるというのです。
〇若者たちにとっては「。」が怖く、新しいハラスメントになっていると聞いても、自分の感覚ではまだ実感できません。23歳の娘に聞いてみましたが、「人にもよるけど、友達の中には怒っているというか冷たいや冷めてるとマイナスイメージをもっている人も多い。マル(。)の代わりにビックリマーク(!)はよく使っている」と教えてくれました。
〇確かに私も含めた世代は長文になりがちだとは思います。昭和から平成に育った人々が主に使用していたコミュニケーションツールは手紙やメールです。メールは、挨拶から本題まで一度に書くため、長文になります。長文を書くときは、途中に句読点を挟まなければ当然読みにくい文章となるため、癖でLINEやチャットでも句読点を付けてしまうのです。
〇確かに若者の感覚は時代の最先端であり、決して否定するつもりはありませんが、ことさらにとりあげて『ハラスメント』というネガティブなニュアンスを持つラベルを貼るのは・・・?とも感じます。
〇逆に我々の年代になると、絵文字を使って送られてくる文にためらいを感じるほどですから、年代のギャップも否めません。時代は変化しつつも、美しく正しい日本語も残って欲しいと思います。
〇予防策としては、日頃から適切なコミュニケーションをとることでしょうか?ただコミュニケーションとは、単に会話するだけではなく、問題や課題を抱えている場合には、適切な現状把握と要因分析を行ってからコミュニケーションをすることが必要です。
〇コミュニケーションも大きく分けると2通りで、何気ない世間話をしたりするリラックスな場合と目の前の問題解決に一緒に向き合う場合があります。本校職員の半分以上は、私の子どもと同世代ですので、日頃からSNSを使わずに直接相手の話に耳を傾けることを心がけています。
須藤昌英
3月13日(木)「文学(小説)は役に立たないというのは本当?」
〇24日の令和6年度修了式まで、登校日は今日も含めて7日となりました。今日は初夏のような陽気になるとの予報ですので、サクラの開花のニュースもそろそろ聞こえてきそうです。
〇この10年間ほどに文部科学省が大学教育の改革として、「付加価値の高い理工系人材の育成」をその重点としています。それにより多くの大学ではいわゆる文系学部(文学部、経済学部、歴史学部、心理学部など)の定員が減らされているのを報道で知りました。少し違和感を覚えます。
〇確かに以前から理工系学部の人気が高く、就職先もバラエティーに富んでいました。しかし大学は専門学校ではなく昔から「知の最高学府」と言われていますので、理工系だけでなくいろいろな文系の学部もあったほうが、「その国は本当に豊かだといえる」と私は感じています。
〇表題は特に文学部の学生の肩身がせまいということに疑問を感じている人がいるということを表しています。作家で文芸評論家、さらに大学でも教壇に立っていた高橋源一郎氏の次の言葉はとても参考になります。一部を引用させてもらいます。
「『大学で文学を学ぶのは、就職に不利なのではないか。』中高生の中には、そう感じている人もいるでしょう。『文学って何の役に立つの?』と疑問を抱く人もいるかもしれません。私はもしその答えを『すぐに知りたい』と思うのであれば、その考えは間違っていると断言します。(略)正しい答えはないが、あえて言うなら、自ら問いを立て、自ら答えること、さらに問い続けることを考えさせる何かだと、僕は思っています。」
「人は無意識のうちに社会の常識や因習に縛られている。文学は、自分を縛る鎖の存在に気付かせ、断ち切ってくれる、自分を自由にしてくれる武器でもある。」
「文学が役に立つか立たないかという設定をまず疑うべきで、文学は問い続けること、答えのないものを見つけても、また新たな問いが生まれ・・・。その循環が止まらないことが文学という現象だと思います。」
〇本校でも朝の10分間読書を継続して取り組んでいます。生徒も多くは自分の選んだ文学や小説を集中して読んでいます。朝の読書推進協議会の大塚理事長さんは、次のように語っています。
「『朝の読書』のねらいとすることは、読書本来の楽しみや喜びを感じ、自由や解放感を味わい、精神の散策や心の癒し、探究心や感性等を、生徒と教師が一緒に読書することで、かけがえのない人生のこの時を、共に生き、共に学び、共に育み、共に歩んでいきましょうということです」
〇「うちどく(家読)」という活動も生まれています。その名の通り、本をきっかけとしたコミュニケーションを家族の間にも広げていこうとするものです。読書は語彙を増やします。語彙が増えると気持ちを伝えやすくなります。登場人物と自分を重ね、考える力を育みます。自然と相手の胸の内を思いやることができるようになり、知識や話題も豊富になって、コミュニケーション能力も高まります。
〇社会で生き延びていく術を身に付けることも、文学を学ぶ意義かもしれません。
須藤昌英
3月12日(水)2つの「旅立ちの日に」
〇雨のしっとりした朝で、出勤するとどことなく昨日の余韻が学校の中に残っているのを感じました。校庭の梅もまだ咲いていたり職員玄関には式の壇上にあった大きな花を移していたりと良い香りが漂っています。
〇昨日の令和6年度第78回卒業証書授与式は、予定通り2時間で実施されました。天候にも恵まれ、式と学級でのお別れ終了後も、昼過ぎまで校庭などで友人と別れを惜しむ姿がありました。
〇職員反省会では3学年主任から「在校生が何人も泣いてくれて、それを見て卒業生はさらに涙腺が緩んでいました。後輩に泣いてもらえる卒業生になったことを嬉しく思います。」との報告がありました。
〇卒業証書授与の際には、私から一人ひとりに声をかけました。それぞれ三年間の一場面が想起され、嬉しそうに笑う生徒、恥ずかしそうに伏目がちな生徒など様々でした。あまりお見せするものでもありませんが、私の手元には、事前に自分で作成しておいた「声掛け一覧」を置いておきました。
〇今年の歌は、君が代と校歌の他に、2つの「旅立ちの日に」を生徒が合唱しました。同じ曲名ですが、別物です。毎年候補曲の中から、生徒たちの意見によって選びますが、それがたまたま同じ曲名になったのです。
〇1曲目の『旅立ちの日に』は、1991年に埼玉県の中学校の教員によって作られた合唱曲です。当時の校長が荒れていた中学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やしつつ、音楽科教諭と共に粘り強く取り組んで結果、歌う楽しさによって中学校の雰囲気は明るくなったことのエピソードは有名です。今では伝統的な卒業ソングです。
〇2曲目の『旅立ちの日に』は、シンガーソングライターの川嶋あいさんが作詞・作曲し、2006年にリリースされました。比較的新しい曲ですが、現在では定番の卒業ソングとなっています。学校の風景を詳しく描写した詩やハートフルな旋律が優しいハーモニーでつながれたところが、いつまでも続いていく友情をイメージさせますので、中学生にはピッタリです。
〇共通点はどちらもしっとりとしたバラード(語り物的な歌)で、成長した卒業生の声によって、素晴らしい合唱でした。女子生徒ももちろんですが、特に男子生徒の重低音が体育館に響き渡っていました。2年生も感動したようです。
〇昨日の夕方、すべての後片づけが終わった後に、校長室で卒業式を撮影したビデオを視聴していましたが、2つの「旅立ちの日に」を聞いている時間がとても幸せでした。卒業生の今後の活躍を祈念します。
須藤昌英