校長雑感ブログ

2023年2月の記事一覧

2月27日(月)富学協の全体会議

〇25日の土曜日に、今年度最後(年4回)の「富勢中学校区学校運営協議会(富学協)」が、「こども未来支援 みらいのボクら かしわ教室(柏市布施1190-2)」をお借りして行われました。私も初めて入らせていただきましたが、会議の冒頭に所長さんから、施設についての説明をしていただきました。「生きる力を育てる」を基本理念に児童発達支援事業を通し、子どもたちが将来、自分らしく個性が輝いて生きていけるように、社会性を育てつつ、未来について考え、夢に向かっていきていけるように支援をしているそうです。先日の市立柏病院もそうでしたが、地域にこのような施設があることは素晴らしいと思いました。

〇1日10名を定員としており、各専門家(ソーシャルスキルトレーナー、児童行動心理士、保育士、遊び発達インストラクター、介護福祉士、看護師、言語聴覚士、公認心理士、理学療法士、作業療法士など)から、一人ひとりに寄り添った支援が受けられます。これだけの専門の方々がチームとなって、ロールプレイゲームや体験的活動、将来ビジョントレーニングなどをしているそうです。特に気になったのが、「外活動では、静と動の時間を大切にし、座って話を聞く、見る、話すなどの五感を使う」ことを行っていることで、やはり人間(特に乳幼児から小学生)は、自分の身体と自分の意識が適切につながっていることが重要だと確認できました。

〇富学協の主な議題として、1、令和4年度学校評価について 2、授業参観の感想について 3、令和5年度の委員継続について 4、令和5年度の組織体制について 5、富勢学区あいさつ運動について 6、令和5年度入学式の出席について などがありました。

〇私からは、今年度の生徒の様子や学校評価の分析、1月の授業参観の報告、10日の卒業式(新体育館で開催)の予定を説明しました。本来ならば学校の応援団として出席していただきたいところですが、残念ながら卒業式は来賓等をお招きはしないことを説明し、了承していただきました。

〇富学協の今年度の最後の具体的活動として、「4校合同の朝のあいさつ運動」を実施することになりました。日時は、3月7日(火)~9日(木)の3日間 午前7:40~8:00で、各校の正門付近で、児童生徒と委員、地域住民に協力を得て実施します。また4月の入学式には、富学協が学校を校外から運営する側として位置づけられていることを広く伝えるためにも、従来の来賓としてではなく、学校のサポーターとして委員が入学式に参列したいことも了承されました。

〇涌井会長は常々、「この富学協は、座布団のように地域の子どもたちをやさしく下から支えつつ、風呂敷のようにやさしく包み込むことを目指しています。」と言ってくれています。金曜日に「社会に開かれた教育課程」について書きましたが、身近な社会であるこの富勢地域の方々が学校をやさしく見守ってくださることに感謝しています。

須藤昌英

2月24日(金)社会に開かれた教育課程

〇「社会に開かれた教育課程」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?保護者や地域の方々、ましてや生徒のみなさんはあまり耳なじみがないと思います。現行の学習指導要領の基盤となる考え方で、もちろん我々教員は知ってはいますが、実際にはどことなくお題目的になっている面もあり、定期的にその意味や真意を学びなおす必要があると感じています。

〇これは、学校の教育課程を通じて、生徒たちが社会や世界とつながり、よりよい社会と幸福な人生を自ら創り出していける力を積極的に育もうとするものです。教育の目的として「人格の完成」などを基軸に据え、次代を担う子供たちが人間や社会の望ましい在り方を主体的、創造的に描き出し、それを実現できる資質・能力を育むことを目指そうとしています。

〇ではなぜ、今「社会に開かれた教育課程」の実現が求められるのでしょうか?世界のグローバル化の進展や人工知能(AI)の急速な進化など、社会の様々な領域で激しい変化が加速度的に進んでおり、将来を予測することは誰にも難しくなっています。生徒たちを含め我々は変化する社会の中に生きており、その社会の変化は我々に大きな影響を及ぼしていることは実感できます。しかしその一方で、これまでになかった豊かさや便利さなどを享受する反面、多くの困難な問題に直面しています。例えば、対立や紛争、環境の変動、資源やエネルギーと持続可能な発展、少子・高齢化、貧富の差の拡大といった問題は、私たちの生活や生き方に影響を及ぼし、人類の未来にも関わっています。

〇そもそも学校では、校長が責任者となって全教職員が協力して教育課程の編成を行います。その際、校長と教職員が「社会や世界の状況を幅広く視野に入れ、よりよい学校教育を通じて社会を創る」ことについて考えていくことが大切であるのは言うまでもありません。そして生徒たちに、社会とのつながりを意識し、現実社会の問題に向き合い、自分の問題として解決に向けて考え取り組むことを求めるのであれば、まず教職員がそのような意識に立つことが必要です。教職員がこうした意識を共有して教育課程を編成・実施しその様子を社会に発信することが、目指す教育の理念を社会と共有することにつながります。

〇「社会に開かれた教育課程」のポイントとして、「これからの社会を創り出していく生徒たちが、社会や世界に向き合い関わり合い、自らの人生を切り拓いていくために求められる資質・能力とは何かを、教育課程において明確化し育んでいくこと」が指摘されています。また学校の教育目標の設定に当たり、教える側の視点だけではなく、生徒の視点に立って「何ができるようになるのか」を明らかにする必要があります。それらの意味をこめて一言で表したのが「学び続ける富勢中」です。

〇この雑感ブログに関しても、「校長先生、ご自身の私的なことも含めていろいろ書いていますね」と感想をいただくことがあります。私も校長としてだけでなく、一市民としてこの社会で生きていますので、本校の様子(閉じたせまい学校)だけをお伝えするのではなく、学校と社会のつながりを意識して書いています。ですので「雑感」としていますが、ただ漠然としてではなく、そのつながりを強調しているつもりです。

〇社会のつながりの中で学ぶことで、生徒たちは、自分の力で人生や社会をよりよくできるという実感を持つことができます。このことは、変化の激しい社会において、生徒たちが困難を乗り越え、未来に向けて進む希望や力になります。そのため、本校は一番身近な社会である富勢地域と連携・協働した教育活動を充実させることを目指してきました。これからもよりよい学校教育を通じて、よりよい社会を創るという目標を学校と地域とで共有していきます。

須藤昌英

2月22日(水)学年末テスト(1・2学年)

〇昨日と今日、3年生の千葉県公立高校入学者選抜に合わせて、1・2年生は今年度最後の定期テストを受けています。朝の登校時間にも参考書などを手に抱えている生徒も多く、意気込みが感じられます。一生の中で一番、知識や技能を脳に蓄えたり身につけたりすることの出来る時期ですので、今の自分を考えるとうらやましい気がします。

〇一学期にも書きましたが、そもそも勉強は「復習」に主眼をおくべきで、覚えられる範囲をストレスなく覚えること、これが記憶の性質に適した学習方法です。比でいうと、『予習:学習:復習=0.5:1:4』が理想的だそうです。脳の海馬という部位に入ってきた情報が溜まっている期間は、情報の種類によって異なりますが、短いと1か月程度です。海馬は情報を1か月かけて整理整頓し、『何が本当に必要な情報なのか』を選定しています。もし入ってきた情報を際限なく記憶していくと、脳のキャパシティーはいっぱいになり、パンクしてしまうということでしょう。

〇心理学者ビネーは、「脳はインプット(入力)よりもアウトプット(出力)を重要視している」と指摘しており、復習の中で手で書いたり口で話したりすること(アウトプット)で、海馬に「この情報はこれほど使用する機会が多いのか、ならば覚えねば・・」と判断させ、「短期記憶」から「長期記憶」に格上げさせることが有効な方法のようです。つまり「詰込み型(ガツガツと一方的に覚える)」よりも「知識活用型(余裕をもって双方的に身体を使ってみる)」の方が効率的だということです。そのようなことから教科書や参考書を何度も見直すよりも、問題集などを何度も解く復習法の方が良いと言われています。

〇つまり毎回の定期テストも「1つのアウトプットの機会」と考えられます。テストへ向けて準備をしてきたことを一気に押し出すように解答用紙に吐き出すイメージでしょうか。ただし私もそうでしたが、学習したことを正確にアウトプットするのも結構大変で、「失敗(不正解)」することも多々あります。しかしまたその失敗が脳に強い刺激を与え、「あのとき失敗したからこそ今ではそのことをきちんと覚え理解できている」ということもあります。生徒たちの奮闘を期待します。

須藤昌英

 

2月21日(火)千葉県公立高等学校入学者選抜

〇本日と明日、千葉県立及び柏市立高等学校の学力検査が行われます。昨日の給食は「味噌カツ丼」で、勝負事の前の「験担(げんかつぎ)」として縁起のよいメニューを全校生徒で食べ、3年生の合格祈願をしました。その後5校時、各教室にて事前指導を行いました。さすがに前日ということもあり、みんな少し緊張している表情もありましたが、無事に自分の力を出し切れるように祈っています。

〇事前指導では、確認事項(時間、持ち物や身だしなみなど)に加え、「トラブル対応」も指導しました。

【受検票を忘れた】

・あわてずに受付に申し出る(学校名、氏名、受検番号)

・受検票は合格発表の際も必要なので、大切に保管する

【電車やバスを乗り間違えた】

・できるだけ公共交通機関を利用する(感染症対策で車の場合は保護者判断)

・もし間に合いそうになかったら、直接志望校に連絡する

【体調不良(感染の疑い)】

・前日までに判明した場合には、富勢中に連絡する

・当日の場合には、直接志望校に連絡し、その後富勢中にも連絡する

(味噌カツ丼を食べる3年生)

(事前指導を真剣に聞く3年生)

〇千葉県の入学者選抜の歴史をさかのぼると、今から37年前までは、一部の専門学科を除きすべての普通科では、1回のみ(2日間で行う学力検査等)でした。その後当時の文部省の通知で「受験機会については、同じ高等学校においても定員の一部を留保して、入学者選抜を2回にわたって実施するなど、受験生に複数の機会を与える工夫をすることが望ましい」とあったのを受けて、昭和61年度から平成14年度までは、「推薦」と「一般」に分かれ、徐々に募集定員に対する推薦枠を拡大(普通科で最大40%)していきました。

〇さらに平成15年度から22年度は、「推薦」に変わり「特色ある入学選抜」が導入され、生徒の多様な能力・適性等を多元的に評価するようになりました。そしてその理念を継承しつつ、3年前までは、「前期選抜(2月中旬)」と「後期選抜(2月下旬)」の2回行っていました。確かに受検生にとっては2回受けられるという精神的な安堵感や受験パターンを戦略的に構築できるなどのメリットはありました。

〇上記のような入学者選抜の推移をみると、単純に言えば今の制度は40年前に戻っているということですが、中学校の校長としては、いつまでこのような選抜を行うのか・・、志願者はすべて入学させるような制度はいつになったら構築されるのか・・、少なくともそうなるための選抜方法の議論を不断に継続してほしい・・などの疑問や要望があります。

〇学力検査(国語・社会・数学・理科・英語)以外の検査については、各高等学校が決めて実施しています、いくつかを紹介します。

・面接(複数の面接官と受検生の個人面接や集団討論など)

・適性検査(作文・小論文を書く、運動・音楽の技能の検査など)

・自己表現(当日にパフォーマンスや実技等を行うなど)

・思考力を問う問題(論理的思考力や表現力などを問う内容)

〇過去には2月は雪の影響などで、受検会場に行くことを心配したことがありましたが、今日と明日はそれはないので、寒さ対策をしっかりして、全力を出してほしいです。

須藤昌英

(昨日の下校の様子「頑張っておいで~」)

 

2月20日(月)富勢地域の医療拠点

〇先週、年1回の人間ドックを受診してきました。10年以上前から学区内の柏市立柏病院で行っていますので、朝出勤し、自転車で向かいました。コロナは少し落ち着いたとはいえ、待合室には大勢の方が診療を待っていました。病院には、今年度も数回、生徒が校内外で怪我をした際、緊急で受け入れてもらうなどお世話になっています。

〇生徒たちの前にたつ教職員には、学校保健法第十五条で、「職員の健康診断」として、「学校の設置者(柏市)は、毎学年定期に、学校の職員の健康診断を行わなければならない」と定められています。未来ある生徒たちに、万が一でも影響がある病気を保持していないようにチェックし、さらにはエネルギーに満ち溢れている生徒たちに寄り添うための健康を保つことが必要です。

〇私が教育委員会事務局でコロナ対応をする中で、「子どもの学びを止めない」ことを目的として、市内の教職員に、優先的にワクチン接種をすることを企画しました。実際にどうやっていくかと思案した結果、柏市立柏病院長の野坂先生にお願いし、複数の医師と看護師を派遣していただいたことは、今でも大変有難かったと思っています。

〇ドックを受診中に、病院の広報誌「かし和」が廊下にあったので、何気なく手にとると、冒頭に「やっかいないこと」と題して野坂病院長の話がありました。同地域で、一つの施設・学校を預からせていただいている身として、自分の考えと似ていて共感したり大変参考になったりしましたので、一部を引用させてもらいます。

「昨年9月ころからコロナの規制が徐々に解除され、比較的自由な雰囲気を味わえる新年でした。昨年はコロナの流行に加え、ロシアのウクライナ侵攻で気の重い年になりました。私が子どものころ、アメリカ・ソ連の冷戦で核戦争の懸念はありましたが、まさか人類全体が破滅するような馬鹿なことは起きないだろうと、楽観的な雰囲気でした。そしてこのまま科学が進み21世紀になれば、戦争や飢餓はなくなり、世界全体が平和で豊かになるのではと無邪気に考えていました。(略)しかしその後も戦争や紛争がなくならないことを見ると、争いごとは人間社会から容易に消えない厄介なことのようです。平和への絶え間ない努力で、戦争の発生や拡大が何とか抑えられるかどうかというものなのでしょう。さらに社会の中には、混乱や紛争を利用する人たちもいます。私たち個人個人にできることは限られていますが、単純明快で心地よい発言者には十分な注意が必要です。」と現状を分析しています。

〇さらに専門の医療に関しても、

「感染症に関しても、科学が発達したら薬で治るだろう、怖い感染症は世界からなくなるのだろうと子どものころは思っていました。その後さまざまな薬が作られましたが、感染症は依然人類の大きな脅威です。季節性インフルエンザだって馬鹿にできません。新型コロナ流行前、日本でも年間数千人以上が季節性インフルエンザで亡くなっていました。子供も感染で亡くなるのは、インフルエンザの怖い点です。今後新型インフルエンザが出現すると、だれも免疫を持っていないため、今回のコロナと同様世界的なパンデミックを引き起こす可能性があります。戦争も感染症もいつでもどこでも起きるのだと肝に銘じ、不断の警戒が大切です。」と書かれていました。

〇以前から病院を建て替える計画がありましたが、前市長が一旦計画を白紙に戻してから、その後は大きな進展はありません。地元としては「現地建て替え」を強く要望しており、今後の推移を見守るしかありませんが、富勢地域の大切な医療拠点であることは確かです。

〇人間ドックの結果は加齢による身体機能の低下以外に、大きな欠陥はなく、ホッとしました。人間の身体も体育館の長寿命化工事のように部品を新しくできればいいのですが、そういうわけにもいかないので、今の身体を大切にしていくしかありません。

須藤昌英

2月17日(金)まもなく体育館長寿命化工事が終了

〇昨年の夏季休業から約7カ月続いた体育館の改修工事が来週には完了する見通しです。暑かった1学期の終業式で、全校が集まったのが最後で、今思うとけっこう長い工事期間だと感じます。

〇この改修工事の正式名称は、「柏市学校施設長寿命化改良工事」といいます。柏市は昭和40年代後半~50年代に児童生徒数が急増し、小中学校が次々と開校しました。同時期に開校するということは、一斉に老朽化しますので、建築後30年を経過するものが柏市の学校施設全体の約8割を占めます。「長寿命化改良事業」とは、文部科学省における公立学校整備事業の1つで、その趣旨として、建物の耐久性を高めるとともに、省エネルギー化及び多様な学習内容,学習形態に応じた学習環境の提供など,現代の社会的要請に応じた施設へ改修することです。

〇では建て替え工事ではなく、長寿命化改良工事にしたときのメリットはというと、3つあります。1つ目は、コスト削減(建て替え工事による莫大なコストを抑えられる)、2つ目は、工期短縮(学校教育活動の影響を最小限にしなければならない)、3つ目は、環境配慮(工事による廃棄物量や二酸化炭素の排出量を減らすことができる)です。もし建て替えとなると、すべて壊してからの再建築となりますので、工事期間は1年以上かかるそうです。

〇今回は、鉄骨などの躯体の老朽化対策やライフラインの更新、さらに耐久性に優れた材料への取替などを行いました。またトイレをはじめ生徒たちが使用しやすいように、細かい部分も改良もしてくれています。教育委員会立ち合いのもと、建築業者からの完成引き渡しを受け、今校舎の方に一時的に避難していた教材・教具や椅子・長机などを入れる作業に入ります。こけら落とし(新築または改築した劇場などで行われる初めての興行)は、来月の「3年生を送る会」となる予定です。

〇この長寿命化工事にも、多額の市民の税金が使われています。生徒は外から見た工事の進捗状況はもちろん知っていますが、そこで働いている人の苦労やそもそもこの建て替えは誰が何のため企画し、その資金はどうなっているのか?までは、想像できていないと思います。そのことを含め、使いはじめにあたって感謝の心をもつことや税金がないと社会が成り立たずに、不便なことになること、将来は君たちも「納税者」となって社会を支えていくことなどを話したいと思います。

須藤昌英(やっと梅が咲き始めました。梅も青空が背景でうれしそうです)

 

2月16日(木)新聞の活用(読むと作る)

〇昨日に続いて新聞について書きます。林間学校や修学旅行などの校外学習では、事前学習や活動のまとめとして、個別や班別に新聞を作成しています。昨日の新聞記者と同じような経験をしたり友達の記事を読んで参考にしたりと、人に情報を伝えることの楽しさと難しさを学びます。しかし昨日も書きましたが、家庭での新聞購読率が低かったり、普段からじっくりと新聞を読んだことがないため、事前に新聞を書くための基本的な指導はしますが、どうしても見出しのインパクトがなかったり、伝えたい内容が絞り切れていなかったりする場合も散見されます。

〇現学習指導要領では、「新聞活用」が明記され、学校では教科などでもできるだけ新聞を使った授業に努めています。ただ全国学力テスト(中学校3年生対象)の結果では、「新聞をほとんどまたは全く読まない」という回答が中学3年生で約8割近くに及んでいます。そもそも新聞を読むという習慣は、ある意味「自分から必要な情報をとりにいく」という積極的行動であり、次のような「受け身の姿勢」とは異なるものです。

〇日本新聞博物館の尾高泉館長は、ある教育雑誌の中で、「ニュースや広告の方から自分を探して届けてくれる今の社会では、若い層はとっくに自分の関心のある情報が快適に届くようにスマホを最適化し、その傾向は生活全般者に広がりつつある」と指摘しています。確かにいつの間にか「レコメンド(表示)機能」と呼ばれるものがあり、最初は違和感がありましたが、日常化してしまうと「当たり前」となります。例えば通販サイトからは、「この商品を買った人はこんな商品も買っています。」みたいな通知がやたらときたり、ニュースについても見出し的な内容が示され「詳しくはこちらから」みたいなある意味「お節介」とも感じるサービス?があったります。

〇この機能は、ウェブサイトへのアクセス履歴などの膨大な情報を取集し、利用者と類似した商品やカテゴリに関心を持っている他の利用者を関連づけ、グループ化し、類似した利用者がよく見ているが、利用者がまだ見ていない商品を表示させる仕組みであり、データ活用という面では画期的だとは思います。

〇尾高館長はさらに、「各自が関心のある情報だけに接していけば、決して異論に出会うことはなく、対話や協働はバラバラになる。こうした問題は『エコーチャンバー(自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくる【反響室】のような狭いコミュニティで、同じような意見を見聞きし続けることによって、自分の意見が増幅・強化されること』や『アテンションエコノミー(人々の関心や注目の度合いが経済的価値を持ち、まるで貨幣のように交換材として機能する状況で、日本語では【関心経済】と訳される』と呼ばれ、社会の分断化、民主主義の劣化の要因ともなっている。研究者らは、『ニュースダイエット』を呼びかけ、「選択的ニュース回避」と呼ばれる人々のニュース疲れの傾向は、各国共通だと指摘する」と書かれています。

〇今のSNS社会の中で私たちは、新型コロナ感染症蔓延になってあらわになったように、真偽があやふやな大量の情報が一気に拡散し、それによって多くの人たちがその情報に振り回され、時にはいがみあったり傷つけあったりしたことを身近に経験してきました。昨日も書いた便利なネットニュースの情報源は、聞いたところによると、各新聞社とポータルサイト側が契約してWEB向けに文字数やタイトルを再編集したニュースの提供を受けているようですので、まだ信頼性はありますが、その他の個人サイトで書かれている情報が「本当に正しいのか」については、疑いの目をもっていくことも重要です。

〇冒頭の話に戻ります。生徒が新聞を書くということは、自分を当事者として自分が経験したことや考えたことをまとめるということから、これからの時代には欠かせない資質を養うことにつながります。そしてさらにそのことを通して、読んでいる記事の情報源や信ぴょう性を想像する力にもなると思います。

〇最後に三度、尾高館長の言葉です。「哲学者の三浦雅士氏が、『考える身体』で言うように、身体と思考はつながっていて、新聞を読む(つくる)習慣づくりが身体の発達と不可分である」参考にしていきたいと思います。

須藤昌英

 

2月15日(水)新聞の役割と有効性

〇学校の玄関に毎朝届く新聞(全国紙:朝日新聞、地方紙:千葉の2紙)は、丁寧にビニールがかかっており、毎回そのビニールを破る際に、早朝にここに届くまでに、どれだけの人の手間と苦労があるのだろうと想像します。

〇私の若い頃の教え子で、その後記者となった生徒から、裏話を聞いたことがかつてありました。24時間を問わず事件や事故の現場に行き、人の話を聞いたり取材をしたりする(時にはそれが朝から晩まで続く)ことから始まり、その後その取材内容を記事にするための下書きをします。これがまた身体の苦労以上の気苦労があるようです。そして書いた記事に内容や誤字脱字などのミスがないかを責任者のチェックを受けるのだそうです。私などもこのブログで短い文章を書いていますが、多くの方が読むと思うと、言葉や内容に結構気を使いますので、そのプレッシャーは何となくわかります。OKになった記事と写真を見やすいようにレイアウトし、真夜中に印刷工場がフル回転で印刷したものが、各家庭に配達されます。

〇ただこの時代に新聞を家庭でとっている割合は、聞くところによると5割を大きく下回っているそうです。その主な理由としては、「ニュースはネットやテレビで見るから、新聞なんていらない」です。確かに今は、いろいろなポータルサイトにも、気になるニュースがランキング形式で随時更新されていたり、私などもスマホにニュースをまとめて読める便利なアプリを入れたりしており、「知らなくて困る」ということはありません。むしろスピード感があり、それで満足している気がします。しかしそれだけで、「新聞は不要」ということにはなりません。

〇少し調べますと一例として、日本よりもアメリカではいちはやく「新聞離れ」が起きたようです(アメリカでは全国紙より地方紙がメインとなっている)が、地方紙が経営難に陥り、廃刊が相次いだようです。原因の一つは、広告費がネットに流れてしまったこと。すると思いもよらない事態に発展しました。地元の選挙を報道する新聞がなくなったため、その影響で立候補者などの情報が有権者に伝わらなくなり、誰に投票していいのかわからなくなり、選挙の投票率が激減したようです。さらに地域のニュースが報じられないため、地元の政治への関心も失われ、最後は不正を監視し伝える記者がいないことで、不正が報道されることもなくなり、不正や汚職が横行したということです。

〇日本でも同じことが起こるかどうかはわかりませんが、社会の動きをいち早く伝え、事実の核心に迫るため、先ほどのように記者の方々は日々、取材に駆け回っています。常に目を凝らし小さな変化を見逃すまいとしています。記者がいることで、人々は政治などについての情報を得ることができ、権力者の不正に歯止めがかかっています。「ペンは剣よりも強し」ということわざの通り、新聞は民主主義を下支えしていると言えます。

〇一方で教育に新聞を活用することも行われています。NIE(Newspaper in Education)とは、学校などで新聞を教材として活用する活動です。アメリカで始まり、日本でも40年前くらいから取り組まれています。今では教育界と新聞界が協力し、社会性豊かな青少年の育成や活字文化と民主主義社会の発展などを目的に掲げて、全国で展開しています。

〇新聞の強みは、事件・事故はもちろん、政治、経済から文化、スポーツまであらゆる分野の情報が網羅され、その一つ一つの記事が複数の目による厳しいチェックを経て世に出ている、「信頼性の高いメディアである」ことです。新聞を学校や家庭での学習に活用することで、社会への関心を高め、自分ごととして考えを深めることにつながります。ネットニュースの長所ではありますが、ニュースをはやく知ることだけを重要視してしまうと、深くその背景や今後の影響について考える機会を失います。本校でも生徒の学びに、新聞をどのように生かしていこうかと思索しています。

須藤昌英

2月14日(火)社会とのつながり(小さな貢献)

〇12日の日曜日、柏駅近くの献血センターで400mlの献血をしてきました。1回で400mlをすると、最低でも12週以上は間隔をあけないと次の献血はできませんので、多くても年間3回が限度です。終わってから次の予約は5月7日としました。

〇私は20歳くらいから不定期(気が向いたら程度)に献血をしていましたが、それが定期的にするようになったのは、今から15年くらい前、勤務していた小学校の児童がある病気で緊急で多くの献血が必要となり、職員や保護者に協力依頼があったのがきっかけです。私は残念ながら血の条件が合わなかったので、その時は献血できませんでしたが、世の中には血を必要としている人が身近にいることを再認識したわけです。

〇日本赤十字社のHP をみてみると、「国内には、輸血を必要とする人が年間約100万人いると言われ、集められた血液の80%以上は、がんや白血病、再生不良性貧血などの病気と闘う人のために使われています。血液は人間の生命を維持するために必要な成分であり、体から一定量が失われると命に関わります。また、血液の持つ機能が正常に働かなくなると病気になったりします。このような患者さんを救うために輸血が必要となるのです。しかし、科学が進歩した現代でも血液は人工的に造ることができません。また、血液は生きた細胞であるため、長期間保存することができませ。患者さんに安定的に血液を届けるために、健康な皆さんの献血へのご協力が毎日たくさん必要なのです。病気やけがで輸血が必要となってしまうことは、皆さんが思っている以上に身近におこることです。輸血によって命をつなぐ人がいます・・・輸血によって笑顔を取り戻す人がいます・・・このような病気やけがと闘う人たちを救えるのは、献血ができる健康な皆さんだけなのです。」とあります。

〇特に、「科学が進歩した現代でも血液は人工的に造ることができません。」というところがいつも心に残っています。ここまで科学が発達すると「人間はなんでもできるというような錯覚」に陥りがちですが、これを読むたびにとんでもない間違いだと感じます。

〇200ml献血は、男女ともに満16歳以上からできますので、中学校3年生も今年から可能になります。最初は少し怖いかもしれませんが、チャンスがあったらチャレンジしてもらいたいです。しかし今、新型コロナの影響で10代~20代前半の献血ご協力者が激減しているそうです。具体的には、東京都内の昨年の9月中だけで、必要な献血人数に対し、献血協力者が2300人も下回り、緊急事態になっているのだそうです。

〇ではその解消の手立てとして、「善意などの社会規範に頼るのではなく、献血者に何らかの報酬を支払うことはできないのか」という議論もかつてはあったと聞きます。確かにそうなると協力者は増えるかもしれませんが、「血を売る」のようなマイナスのイメージが広がったり、それで生計をたてたりする人が出てくる可能性も否めません。難しい判断です。

〇現在は献血者には、一般企業(飲料物、製菓、製紙、洗剤、医療、電機などの会社)からの寄付による品物が献血後に配付されています。私も待合室で好きな飲み物や菓子を無料で飲食させてもらったり、帰る時にはこれまでですと、ティッシュペーパー、ウエットティッシュ、マスク、消毒液、食器用洗剤などの実用品が多かったですが、最近では回数がある程度になると、モバイルバッテリーやらワイヤレスイヤホンなどもいただくこともあったりました。もちろんそれを目当てにはしていませんが、もらえるのはありがたいですし、それを社会貢献として各企業がバックアップしてくれていることも実感しています。

〇献血の年齢制限は69歳までとなっています。個人的な社会貢献として、年間3回としてもあと10年で30回しかできません。そのためにも健康を維持していこうと思います。

須藤昌英

2月13日(月)梅の開花が待ち遠しい

〇金曜日の雪とはうって変わり、一昨日と昨日は、過ごしやすい暖かい日でした。自宅近くを散歩していても、その姿よりも先に淡くて良い匂いが漂っているので周囲を見渡すと、あちこちの梅の花(赤、白、黄)が咲き誇るっているのを発見します。「春が足音もたてずに近づいている」と思います。

〇本校にも中庭に数本の梅の木がありますが、こちらは花のつぼみはパンパンに膨らんでいますが、残念ながらまだ1輪も開花していません。2月に入って毎日観察していますが、環境として午前中に日差しがあたりにくく、気温もやや低めなのかもしれません。

〇梅は桜とよく比べられますが、梅の方が開花時期がはやく、「寒さを耐え忍んで咲く」というイメージがあります。厳しい状況でも美しく咲くので、つつましくても昔から人々の思いが寄せられてきたのだと思います。事実、平安時代には梅に関する多くの和歌が詠まれました。

〇特に有名なのが、学問の神様と言われる菅原道真(845年~903年:平安時代の公卿・漢学者・文人)が詠んだ

「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)」です。この和歌は、菅原道真がいいがかりともいえる罪をきせられ、九州の太宰府へ左遷される際、大事にしていた梅の木を前にして心をよせるように詠んだ作品だと、中学校の国語の時間で習い、当時に暗唱して覚えたので、今でも強く印象に残っています。

〇おおよその意訳としては、「春風が吹いたら、お前の匂いを(京から太宰府まで)送っておくれよ、かわいい梅の花。私(主人の菅原道真)がいないからといって、春を忘れてはならないぞ」くらいでしょうか?「東風(こち)」がなぜ春風のことであるのかは、少し調べましたら中国の自然哲学「五行説」からきているそうです。春という季節は、東の方角と関係が深く、同様に「東南西北」が「春夏秋冬」にあたるそうです。

〇菅原道真は天才的な学問の大家で人柄もやさしく、多くの人々から尊敬されていましたが、当時の政権幹部からその名声を疎まれ、あらぬ罪で左遷されました。本人には政治的な意図はなかったとされますが、京の都で学問を究めるという本懐を果たせず、さぞ悔しい思いをしたことでしょう。その大宰府での生活は大変きびしくみじめで、気候や風土が変わったためもあり、最後は体調をこわし、都に残した妻子にも会えず、一説によると西暦903年2月に59才で亡くなったそうです。今から1120年前の2月です。その後、京都では雷が落ちて火災がしきりに起こったり、伝染病がはやったり、よくないことがつづいたので、人々は菅原道真の霊がこのようなたたりをしているのではないかといっておそれたという話も有名です。

〇昨年の修学旅行でも、何クラスかは3日目に、京都の北野天満宮(菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社)に受験祈願供養で参拝しています。個人の参拝ですとお守りが多いですが、団体での参拝でしたので、学業成就の札をいただいてきました。私も現在、菅原道真公が亡くなった年齢と同じで、もちろん比べることはおこがましいですが、生徒の「学び続ける姿」をかげながら応援しています。特に金曜日に志願倍率も発表された来週の公立高校受検には、3年生全員が自分の力を出し切れるようにと願っています。

〇合格することをよく「桜咲く」と言いますが、梅は可憐な花が咲いてその香りに特徴がありますので、「梅香る」がぴったりだと思っています。そういうことで、今年の梅の花はいっそう待ち遠しいのかもしれません。

須藤昌英