校長雑感ブログ

2月15日(水)新聞の役割と有効性

〇学校の玄関に毎朝届く新聞(全国紙:朝日新聞、地方紙:千葉の2紙)は、丁寧にビニールがかかっており、毎回そのビニールを破る際に、早朝にここに届くまでに、どれだけの人の手間と苦労があるのだろうと想像します。

〇私の若い頃の教え子で、その後記者となった生徒から、裏話を聞いたことがかつてありました。24時間を問わず事件や事故の現場に行き、人の話を聞いたり取材をしたりする(時にはそれが朝から晩まで続く)ことから始まり、その後その取材内容を記事にするための下書きをします。これがまた身体の苦労以上の気苦労があるようです。そして書いた記事に内容や誤字脱字などのミスがないかを責任者のチェックを受けるのだそうです。私などもこのブログで短い文章を書いていますが、多くの方が読むと思うと、言葉や内容に結構気を使いますので、そのプレッシャーは何となくわかります。OKになった記事と写真を見やすいようにレイアウトし、真夜中に印刷工場がフル回転で印刷したものが、各家庭に配達されます。

〇ただこの時代に新聞を家庭でとっている割合は、聞くところによると5割を大きく下回っているそうです。その主な理由としては、「ニュースはネットやテレビで見るから、新聞なんていらない」です。確かに今は、いろいろなポータルサイトにも、気になるニュースがランキング形式で随時更新されていたり、私などもスマホにニュースをまとめて読める便利なアプリを入れたりしており、「知らなくて困る」ということはありません。むしろスピード感があり、それで満足している気がします。しかしそれだけで、「新聞は不要」ということにはなりません。

〇少し調べますと一例として、日本よりもアメリカではいちはやく「新聞離れ」が起きたようです(アメリカでは全国紙より地方紙がメインとなっている)が、地方紙が経営難に陥り、廃刊が相次いだようです。原因の一つは、広告費がネットに流れてしまったこと。すると思いもよらない事態に発展しました。地元の選挙を報道する新聞がなくなったため、その影響で立候補者などの情報が有権者に伝わらなくなり、誰に投票していいのかわからなくなり、選挙の投票率が激減したようです。さらに地域のニュースが報じられないため、地元の政治への関心も失われ、最後は不正を監視し伝える記者がいないことで、不正が報道されることもなくなり、不正や汚職が横行したということです。

〇日本でも同じことが起こるかどうかはわかりませんが、社会の動きをいち早く伝え、事実の核心に迫るため、先ほどのように記者の方々は日々、取材に駆け回っています。常に目を凝らし小さな変化を見逃すまいとしています。記者がいることで、人々は政治などについての情報を得ることができ、権力者の不正に歯止めがかかっています。「ペンは剣よりも強し」ということわざの通り、新聞は民主主義を下支えしていると言えます。

〇一方で教育に新聞を活用することも行われています。NIE(Newspaper in Education)とは、学校などで新聞を教材として活用する活動です。アメリカで始まり、日本でも40年前くらいから取り組まれています。今では教育界と新聞界が協力し、社会性豊かな青少年の育成や活字文化と民主主義社会の発展などを目的に掲げて、全国で展開しています。

〇新聞の強みは、事件・事故はもちろん、政治、経済から文化、スポーツまであらゆる分野の情報が網羅され、その一つ一つの記事が複数の目による厳しいチェックを経て世に出ている、「信頼性の高いメディアである」ことです。新聞を学校や家庭での学習に活用することで、社会への関心を高め、自分ごととして考えを深めることにつながります。ネットニュースの長所ではありますが、ニュースをはやく知ることだけを重要視してしまうと、深くその背景や今後の影響について考える機会を失います。本校でも生徒の学びに、新聞をどのように生かしていこうかと思索しています。

須藤昌英