校長雑感ブログ

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3月25日(火)お詫びと訂正

〇本日から4月6日までは、一般的には春休みと言いますが、正式には3月31日までが学年末休業日、4月1日から4日までが学年始め休業日となっています。暖かくて春を感じる穏やかな日が続きますが、交通事故等には十分に気をつけて過ごしてください。

〇17日のブログ「三学期制から二期制への移行について」の中で、一部訂正をさせていただきます。「柏市立小学校及び中学校管理規則第19条」では、「学校教育法施行令第29条第1項の規定による学期は、第1学期(4月1日から7月31日まで)、第2学期(8月1日から12月31日まで)、 第3学期(1月1日から3月31日まで)とする」とあります。

〇もちろん本校は柏市の学校ですので、上記の原則で運営しており、「三学期制」を「二期制」に変更するというのは、法律を変えて行うということではありません。あくまでも一年間の区切りを便宜上「前期と後期」としただけであり、それにより各教科の成績を算定する時期や学校行事等が従来と異なってくるということです。まぎらわしい表現となったことをお詫びします。

〇具体的には昨日、シグフィーにて「令和7年度年間予定表」を送付しましたので、ご確認ください。ただし今後これらの予定を変更する場合には、あらためてご連絡しますのでご了承ください。

須藤昌英

 

3月24日(月)令和6年度修了式

〇本日は令和6年度修了式を行います。今年度の登校日数は1学年が196日、2学年が199日でした。

〇私の話の中では、先日の卒業式で卒業生に送った言葉を引用します。

世の中は常に便利さを追求し、コンビニでは何時でも欲しいものがすぐに手に入り、わからないことは手元のスマホで検索すれば、それなりの情報が得られます。もっと言えば、我々が「当たり前」と感じているこれらの「便利さ」は、「何かにすぐにパッと飛びつく習性を嫌でも身に付けてしまうこと」に直結しています。ただし、生きていて迷ったり悩んだりした末に、自分で考えることをしなければ、それらは決して解決の方向に向かいません。

私が一番危惧して訴えたいことは、ズバリ『面倒くさいと言わない』と『窮屈さを楽しめ』ということです。皆さん日常生活の中で普段から「面倒くさい」が口癖になっていたり、人との人間関係が「窮屈でしかない」と思っていたりしないかを振り返ってみてください。学校に行くこと、学ぶこと、人とつきあうこと、つまり生きていくことは基本的には「面倒くさくて窮屈なこと」なのです。

ただ「便利さ」に慣れ、自分で考えもせず、他にすぐに答えを求めようとし、それが得られないと条件や他人のせいにしていては、「いざ」というときに逃げてしまうしかありません。逆にある程度の「不便さや窮屈さ」があるから、それを克服しようと自分の能力が引き出され、成長できるということを再認識していく必要があります。

そもそも「人は何故生きるのか」等の大きな課題は、簡単に答えを得ることはできません。自分で悩み考える中に、今の自分を見つめ他の人の考えを参考にし、右往左往しながら生きていけばよいのです。

脳科学者である茂木健一郎氏は、一般的な特徴として、「現代人は身体性を忘れた志向性のゲームをしている」と指摘しています。要するに、自分は何もせず、人や機械に指示するだけで済まそうとする、これは効率が良いというよりは、ただ楽したいだけです。

茂木氏はまた「何度も考えて口に出すだけでなく、実際にやってみるとその大変さがわかり、人工知能AIは言語ゲームのみで生身の人間と比べると身体性がないなど、私たちの誤解を教えてくれています。アメリカメジャーリーグで超人的な活躍をしている大谷翔平選手は、決して言語ゲームではなく、何かを身体を使ってやっているので、その発する言葉にはリアリティーがあります。」と続けています。

私も六十年以上生きてきて一番実感しているのは、『失敗を成功で上書きする』ことが人生の醍醐味だということです。少し大袈裟かもしれませんが、失敗を失敗のまま終わりにせず、それを小さな成功つなげていけば最終的に『私は失敗しません。なぜなら失敗をそのままにせずに次にいかすから』と堂々と人前で言い切ることができます。

〇修了書を各学年代表2名の生徒に授与します。そこには「本校〇学年の課程を修了したことを証します」とあります。1年生の代表生徒には「入学してあっという間に1年がたち成長しましたね」と、2年生の代表生徒には、「4月からいよいよ最上級生ですね、頑張って」と声をかけるつもりです。

〇その後、令和6年度末で転退職する教職員8名のお別れのあいさつを行います。氏名のみシグフィーでお知らせしていますが、まだ新聞発表前ですので、異動先の学校はつたえられません。私も「生徒達への最後のあいさつをどうしようか・・・?」と朝から迷っています。

〇結局、言葉でのあいさつはやめて、あすなろ学級の生徒と約束をしていた歌を1曲歌って終わりにしました。「何にしようか・・・?」と悩みましたが、3学期の始業式でその歌詞の意味を使って話をした「どんなときも(作詞作曲:槇原敬之)」にしました。

〇この歌は今から30年以上前の歌ですが、当時担任していたクラスの生徒たちとよく歌っていたので、覚えています。壇上でマイクを持つと手元の伴奏よりもはやいテンポで歌ってしまい、生徒たちも苦笑していました。でも彼らの手拍子に合わせて最後まで歌うことができました。

須藤昌英

 

3月21日(金)新年度のクラス編成について

〇先日の学年末保護者会にて説明しましたが、4月より新2年生は4クラスを5クラスとしますので、現在新しいクラスを編成しています。また新3年生の学級数は5のままですが、新たなクラスを編成し、卒業に向けて最後の一年間を再スタートしてもらいます。

〇3年進級時に新しいクラス編成をすることは、富勢中においてはおそらく過去にはなかったと思います。これまでは慣例として「2年次と3年次は同じクラスで・・」を踏襲してきましたが、すでに他の中学校では3年進級時のクラス編成は行われており、それをするかしないかは各校に任されています。

〇その幾つかの理由を説明しましたが、一番の要因は、「集団に働く『バイアス(bias):偏りや偏見や先入観』です。身近な例で言うと、世間一般では「例えば血液型がAB型の人は、変わった性格の持ち主が多い」とか「赤ランドセルは女の子用で、黒ランドセルは男の子用」など、明らかな根拠はなくあくまでも一説に過ぎないとわかっていても、多くの人がそれに異を唱えることはなく受け入れています。

〇これは日本という世界からみると限られた集団社会で、長い間に自然と培われてきた偏見や先入観です。ただし、その偏見や先入観が悪いというわけではなく、一方では個人がその集団に適合していくためにはある面では必要なことだとも言えます。

〇これをもっと狭い学校における学級集団で考えてみると、「アンコンシャスバイアス:直訳『無意識の偏見』」が顕著になってきます。具体的には同じ環境で同じ集団の中で一定期間生活していると、知らず知らずの間に各個人の意識に刷り込まれる「価値観の偏り」が発生します。

〇例えば、「〇〇さんはいつも~のような行動をしている」とか「〇〇くんは~が好きなようだけど~は苦手なようだ」のように、その人の個性や特徴を言葉にして表します。これも決して悪気があるわけではなく無意識なのですが、これが少し危険です。

〇この「アンコンシャスバイアス」はコミュニケーションの価値を損なったり、人々の信頼関係をお互いに低下させ、正しい関係の構築を妨げたりするおそれがあります。特に思春期の中学生は、よほど注意しておかねばなりません。

〇このように集団におけるその人の価値観は大なり小なり、その置かれた環境や他者からの影響を受けて培われます。それは、かけがえのない個性や集団の可能性を生み出す一方で、人間関係上の摩擦を生み出すきっかけとなります。

〇4月から入学する新入生は、複数校から入学してきますので、否応なしに新しいクラスになります。つまりお互いにあまり知らない新しいメンバーと中学校生活をスタートさせます。在校生も持ち上がりクラスの良さもこれまでは確かにありましたが、前述の理由から同じく新メンバーで新学期を再スタートしてもらいたいと思います。

須藤昌英

 

3月19日(水)学年末保護者会&最後の給食

〇今朝は春雷とあられのような雨が降り、寒く感じます。ただ確実に春が近づいていることだということでしょう。明日は春分の日で祝日ですが、天気は回復する予報が出ており、そろそろお花見の話も出てきそうです。

〇昨日は、今年度最後の保護者会を行いました。ご参加していただき、ありがとうございました。冒頭の私の話の中で、来年度へ向けての方向性と変更点を説明しました。詳細については4月の保護者会で説明します。

〇また今日は今年度最後の給食です。明後日は、3時間授業(弁当なし)となりますので、ご承知おきください。

〇今日のメニューは「牛乳、スパゲティトマトソース、ひじきのマリネ、手作りカレーパイ、ブラットオレンジ」でした。正午に校長室で検食しました。結果は、

①   異物混入、異味、異臭 ⇒すべて「無」

②   調理温度(加熱・冷却)、一食分量、色・形態・香り、味付け ⇒すべて「良」

〇校長の所見「今年度最後の給食も美味しかったです。最後ですので個人的な感想も含めて書きます。トマト系のパスタが好きで、いつもひじきや野菜が多いので健康にも良いと感じます。パイは今まで甘い印象でしたが、カレーのパイも意外に相性がよいと思います。あまり食べたことないオレンジも濃い味でした。一年間、ありがとうございました。」

須藤昌英

【給食メニュー】

 

3月18日(火)価値がつけられないほどの・・・

〇昨日の午前中、先週の卒業式にインフルエンザ感染したことで列席できなかった卒業生一人の「卒業証書授与式」を教室で行ないました。同じ学級の生徒も大勢参列し、私から卒業証書を手渡しました。

〇最初に「校歌」、最後に「旅たちの日に…」を歌いましたが、狭い教室に彼らの歌声が響き渡っていました。もう一度卒業式当日の合唱が聴けるとは思っていなかったので、再び感激しました。

〇仲間のために集まり、心を込めた式にしようとする優しい卒業生たちも、いよいよ来月から自分で選んだ進路先での再スタートをします。元気で活躍してほしいです。

〇昔あるカード会社のコマーシャルに「プライスレスな経験を!」というキャッチフレーズがあり、その時に初めて「PRICELESS(プライスレス)」という言葉を知ったのを覚えています。そのコマーシャルはいくつかのシリーズがあり、しばらく放送されていました。

〇その一つが確か、「子連れの夫婦がみやげを買って実家に向かい『父に気に入りの地酒、七千円。母にカシミヤのショール、二万円』とナレーションが流れます。孫を笑顔で迎える父と母の映像とともに『いちばんのみやげ、プライスレス』と続き、最後に「お金で買えない価値がある。買えるものは○○カードで」だったと思います。

〇「プライスレス」は「プライス(価値)」と「レス(否定の意)」が組み合わさって出来た言葉のため、意味を本来の意味とは真逆の「価値がない」「貴重ではない」という直接的な連想から間違った解釈で使ってしまうことがあるので少し注意が必要です。

〇「プライスレス」は値段が付けられない、つまりお金では買えない、値段がつけられないほど貴重でかけがえのないものという意味です。形あるものではなく、思い出や体験、愛情や笑顔、優しさや温かさ、忘れられない言葉など、値段がつけられないもの全てはプライスレスというわけです。

〇価値観は人それぞれ異なりますので、「命」や「健康」、「愛情」や「きずな」など、どれも「大切なもの」です。「プライスレス」とは誰かが決めるものではなく、“自分にとってのプライスレス”があります。他人にとっては価値のないものでも、自分には「プライスレス」ということもあるでしょう

〇家族や友人たちと過ごす時間や貴重な体験、そこにある笑顔や温かさ、かけがえのない愛情、人生を変えるような出来事や転機となった言葉…いずれもその価値には値段がつけられないので「プライスレス」です。             ○冒頭の「一人だけのための卒業式」もまさしく生徒たちにとっては、「PRICELESS」な時間だったことでしょう。

須藤昌英