創立78周年目 学び成長し続ける富勢中
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校長雑感ブログ
11月5日(火)ちょっと良い話と想像力について
〇この三連休は、土曜日は秋雨前線で雨でしたが、文化の日と振替休日は秋晴れで気持ちの良い日でした。運動しようと自転車に数時間乗っても大汗をかくこともなく、ベンチで本を読んでいても紅葉しかけの木々や鳥の声で心が安らぎます。
〇ようやく暑さから逃れ、このような気候が長く続けばよい・・といつも思いますが、なかなかそういうわけにはいきません。気温や湿度が下がると、ウイルスの活動が活発化し、感染症の心配が出てきます。警戒を始めていきます。
〇先日学区にお住いの方から、うれしい連絡が入りました。道路で落とし物(財布)をして気付いて警察に連絡すると、近隣の交番に届いていたそうで、届けた人を尋ねるとどうやら富勢中の生徒であるとのことでした。
〇その生徒は交番へ名前や連絡先を知らせなかった?のでしょうか。結局直接お礼を言うことが出来なかったので、学校に連絡してくださったようです。職員の打ち合わせで周知し、クラスで伝えたいと思います。
〇こういう話を聞くと、最近よく報道されている通称「闇バイト」にかかわってしまった若者たちと比べてしまいます。もちろん一概には比べられませんが、手元のスマートフォンですべて(金銭欲しさも含め)を解決しようと、ネットサーフィンして見つけたサイトへアクセスし、短時間で高収入という「効率」に目がくらんでしまったのかもしれません。
〇そもそもこの犯罪を「闇バイト」などと呼んでしまうこと、これこそが今の世の中の負の部分だと思います。スマートフォンの情報は間違ったものや法律に触れることなどが多く含まれていること、実行役や見張り役などの細かい役割分担があるので、もし捕まっても一人の犯罪よりは罪は軽いだろう?などの思い込み・・。
〇一番の問題は「想像力」の欠如です。先ほどの落とし物を交番に届けた本校生徒は、「落とした人はどれだけ困っているだろうか?」とその人の気持ちを想像したからこそ行動できたのだと思います。一方で、犯罪に手を貸してしまった若者たちは、「自分さえよければ・・」と被害者の気持ちなどを考えることもなく、短絡的であると言わざるを得ません。
〇逮捕された若者たちばかりを責めるのではなく、我々大人がつくってきたこの世界には、多くの矛盾や誤魔化しがはびこっており、その陰で苦しんでいる人がいることを再認識する必要があると思います。いくら経済的に豊かになっても、弱い立場にある人たちを切り捨てて成り立っている社会に、本当の安らぎはありません。天高い秋の空をみんなが楽しめるような世の中にならなければならないと感じます。
須藤昌英
11月1日(金)令和6年度合唱コンクール
〇本日の午前中、本年度の合唱コンクールが、柏市民文化会館大ホールで行われます。生徒たちは現地に9時までに集合します。途中経過を少しずつお知らせしていきます。
10月31日(木)合唱コンクール前日
〇明日の合唱コンクールに向けて、今日は最後の練習を各クラスで行います。発表も頑張ってほしいですが、特に生徒たちは柏市民文化会館へ朝、直接徒歩で集合し、終了次第現地で解散ですので、行き帰りの交通安全にも気をつけてほしいです。職員も途中のポイント地点で安全指導を行います。
〇柏市民文化会館の最寄りの駅は北柏駅ですので、そこまで電車やバスを利用することは許可しています。また自転車通学の生徒は、学校に自転車を置いてから徒歩で行くように指導しています。
〇終了時刻が12:15ですので、例年の様子をみていると、行きよりも帰りの方が一斉に帰りはじめお腹もすいているので、小さなトラブルが生じています。
〇とにかく外部の施設を借用しての行事ですので、生徒たちにとっては校内で行うよりも普段と勝手が違うことから臨機応変に行動することや一般的なマナーなどを守るなどの意識をもつ機会になります。
〇地域や保護者の方々には学年毎に入れ替えで鑑賞していただきますが、外部施設とあって職員も校内で行う場合よりもあちこちに役割に応じて配置してありますので、ゆっくりとご案内したりお話ししたりする余裕がありません。ご了承いただき、鑑賞席ではお互いに譲り合ってお楽しみください。
〇私は以前から生徒たちに、「人の身体は最高の楽器」ということを言っています。楽器というとピアノやギターなどを連想しますが、最も原始的だけれども誰でももっているのが、声を出す役割を担っている声帯で、そこから発する音を身体全体で大きく響かせたのが合唱です。
〇1年生は初めてのステージで緊張しますが、スポットライトを浴びて歌えることを楽しんでほしいと思います。2・3年生はこれまでの経験をいかし、堂々と歌い上げてくれることでしょう。もちろん受賞するかしないかは気になるでしょうが、それよりもやり切った充実感を味わってほしいです。
須藤昌英
10月30日(水)「中学校教育に望むこと」
〇全日本中学校会が定期発行する冊子に、前WBC日本代表監督で、メジャーリーグに行く前の大谷翔平選手を育てた栗山秀樹氏にインタビューした記事がありました。一部を紹介します。
〇質問
今、日本の中学生は、他国の若者に比べて、「自己有用感」「自己肯定感」が低いと言われていますが、監督の目には今の中学生の姿がどのように映っているのでしょうか?
〇栗山監督
どこに生まれるかというのは自分で選べるわけではありません。例えば人に生まれるかもしれないし、虫に生まれるかもしれないことも含めて、神様が決めているという中で、ほかの民族がどうのこうのというのは一切関係なくて、そこに対しては中学生だけでなくて日本全体が言われていますよね。
日本人が優秀だと言われた時代があったものが、今これだけ経済的にも政治的にも遅れをとっている。ただ、先人の皆さんの功績とかやってきたことを見ると、僕はこの国に生まれて本当に良かったと思っています。そのことをWBCで表現したかったというのは正直あります。
日本が世界一になるという意味は、「さあ行くぞ、俺は世界をとってやる」と子ども心に感じてもらうためではないかと思っていましたし、そういう意味では、自己肯定感が低いという中学生たちの感じをみていて、ただ単純に「ぜいたく病なんだろうな」と思っているだけです。
昔は食べるのも大変だった。何もしなければ食べられないわけですよ。ところが今は、大人になっても守ってくれる人たちがいっぱいいるので、それはなかなか難しいだろうなと思っているところがある。変な言い方ですけど、それがダメとかそういうことではなくて、絶対能力はあるし頑張ったらできるところもある。スポーツの世界にいて何が人の分岐点なのかというと、能力じゃないですね。「できないよな」と思った瞬間にできないんです、すべてが。そうではなくて、これをやると決めてやり切った人がそこにいくというだけの話です。それは時間がかかるかもしれないですけど、そういうことなんだと十年間の監督生活で思ったんです。これは体験です。
(途中略)
要するにの能力じゃない、本当に自分がこうするんだという確固たる志、意思というんですかね、それが何らかのタイミングで得られれば、今の中学生たちも勝手に能力が伸びていくということなのかなと、そこは信じています。
そういう子どもたちが、今はそうみえるけれども、必ずそういうものをもっている。そこにどうやって火をつけるか、どうやって灯をともしてあげたらいいのか。僕は良く、「やる気の志には我々は火をつけられない」と言っています。本人しか火をつけられることはできないので、我々はそのお手伝いしかできないと思うんですよね。今その自己肯定感や自己有用感が育たない何かの要因があるというだけなのかなという感じで僕は捉えています。
〇栗山氏は国立の教員養成大学の出身で、教員免許ももっていた方なので、親近感があります。プロ野球選手という大人を育てる仕事ですが、基本的な考えは我々教員と同じだと感じました。
須藤昌英
10月29日(火)長文を諦める(新聞を読むことで身につく力)
〇昨日の朝刊は、衆議院選挙の記事が大きく取り上げられていました。テレビでも同様に報道されていましたが、細かい情報などはテレビの方が詳細をつかめるので良いですが、全体の結果を大まかに把握したい時には、新聞の方がテレビなどよりも圧倒的にわかりやすいと感じます。
〇やはりそれは記者やデスクなどにより、限られた時数でいかに事実を伝えるかの視点で校正が繰り返されているからでしょう。繰り返しますが、新聞の最大の利点は各面の見出しをサッと見渡すだけでも、社会で起こっていることが大まかにつかめるという点です。
〇毎年行われる文科省の全国学力テストの分析から、本校を含む全国の生徒の国語の長文読解の正解率は低下しており、長い文をみるとすぐに「諦める生徒」も多いことがわかっています。これはSNSの影響が大きく、短文や絵文字でのやりとりが広がり、生徒が日ごろから活字と向き合う環境を整える必要があると結論づけています。
〇3年生との校長面接をしていても、国語に苦手意識をもつ生徒のほぼ9割が、問題文が長文であることでそれを読み切れていない(読みはじめても途中でやめてしまう)ことがわかります。長文といってもさすがに問題として掲載するので、400~600字(原稿用紙1枚半程度)が多いので、ゆっくり読んでも2分あれば読み切れます。
〇現行の学習指導要領でも、「新聞を活用した学習」が明記され、国語の授業の一部では、新聞の記事を使った教材も使用しています。本校では全国紙(朝日新聞)と地方紙(千葉日報)の朝刊に加え、中高生新聞(読売新聞&小学館)を定期購読しています。全国紙と中高生新聞は、図書室でいつでも生徒は閲覧できます。
〇特に中高生新聞は、週に一度の発行ではありますが、今の社会問題を写真や図を入れたり、難しい用語をできるだけ使わずに説明したりと、大人の私が読んでも「なるほど」を思うときがあります。例えば先週の中高生新聞の第一~三面は、「ノーモア・ヒバクシャ 次世代へ」と銘打ち、ノーベル平和賞に日本被団協が選ばれたことを特集しています。これを読むと、「我々大人でもわかっているつもりで知らないことが多いなあ」とつくづく感じます。
〇また新聞は読めば読むほど、世の中や人間は複雑で簡単には理解できないことに気づきます。しかしそのモヤモヤした気持ちが重要ではないでしょうか?新聞を読むという一見非効率に見える時間も、少しずつ自分の引き出しを増やしじっくりと深く考えてみる機会になると思います。
〇このように「新聞を読む力」を育てることは、単に長文に馴染むだけではなく、社会の出来事に感心を持ち、生徒の情操や課題解決力を伸ばしつつ、最後は「自分ならどうするか?」という主体的な生徒に導くことにもなります。
〇「長文を諦める」生徒への対策として、授業中だけでなくあらゆる場面で、書かれていることを理解するために、注目する内容を決めて要約する練習を積みかねていきます。
須藤昌英
【10月20日付 朝日中高生新聞】