創立79年目 学び成長し続ける富勢中
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校長雑感ブログ
3月31日(月)約束しなくても会える最後の日
〇富勢中に勤務する最後の日になりました。私の年齢(昭和38年生まれ)から公務員の定年延長がはじまり、従来ですと昨年の今日、定年退職でしたが、一年延長で本日定年退職となりました。
〇よくドラマでも主人公が定年延長を迎える場面がありますが、今朝もいつもと変わらず、いつも通りに出勤し校長室の整理整頓をしています。また午後に次の校長と2回目の引継ぎを行い、夕方帰宅する予定で、いつもと変わったことはありません。
〇明日からは「再任用職員」として、柏市立土中学校に赴任します。くしくも土中は富勢中同じくと今年創立79周年目になります。昭和22年創立で柏市内ではその他に田中中と手賀中があり、この4校が戦後新しい学校制度になったので、市内では一番歴史のある学校です。
〇昨年から生徒会役員の生徒たちと創立80周年に向けてのプロジェクトの構想を話し合っていましたので、土中でも早速生徒会と同じような対話をしていくつもりです。新しい出会いが楽しみです。
〇春休み中も部活動に来ている生徒たちと話す機会がありました。中には「校長先生、本当に行ってしまうんですね」とか「次の学校でも頑張ってください」などの嬉しい言葉をもらいました。感謝です。
〇若い頃に卒業するクラスの生徒には、「普段は学校に登校すればいつでも会えたけど、卒業式の日は『お互いに約束しなくても会える最後の日』だよと語りかけてきました。同様に今日が私にとって富勢中にアポなしで来られる最後の日になります。
〇後任は柏中学校から赴任する伊藤嘉章校長です。彼は過去に富勢中に教諭として2回勤務し、さらに富勢小教頭、富勢西小校長を経験しておりますので、この地区の様子は熟知しています。安心して後を任せていきます。
〇「校長雑感ブログ」も、本日で終了します。3年前にあらかじめ校長視点の「雑感(雑多な感想)」とことわってスタートましたが、その日の思いや気づいたこと、自分のこれまでの経験を一方的に連ねるようなまとまりのない文章になってしまいました。お詫びいたします。
〇在任中の数々のご支援とご指導にあらためて感謝申し上げます。土中から富勢中のさらなる発展を祈念しております。ありがとうございました。
須藤昌英
3月25日(火)お詫びと訂正
〇本日から4月6日までは、一般的には春休みと言いますが、正式には3月31日までが学年末休業日、4月1日から4日までが学年始め休業日となっています。暖かくて春を感じる穏やかな日が続きますが、交通事故等には十分に気をつけて過ごしてください。
〇17日のブログ「三学期制から二期制への移行について」の中で、一部訂正をさせていただきます。「柏市立小学校及び中学校管理規則第19条」では、「学校教育法施行令第29条第1項の規定による学期は、第1学期(4月1日から7月31日まで)、第2学期(8月1日から12月31日まで)、 第3学期(1月1日から3月31日まで)とする」とあります。
〇もちろん本校は柏市の学校ですので、上記の原則で運営しており、「三学期制」を「二期制」に変更するというのは、法律を変えて行うということではありません。あくまでも一年間の区切りを便宜上「前期と後期」としただけであり、それにより各教科の成績を算定する時期や学校行事等が従来と異なってくるということです。まぎらわしい表現となったことをお詫びします。
〇具体的には昨日、シグフィーにて「令和7年度年間予定表」を送付しましたので、ご確認ください。ただし今後これらの予定を変更する場合には、あらためてご連絡しますのでご了承ください。
須藤昌英
3月24日(月)令和6年度修了式
〇本日は令和6年度修了式を行います。今年度の登校日数は1学年が196日、2学年が199日でした。
〇私の話の中では、先日の卒業式で卒業生に送った言葉を引用します。
世の中は常に便利さを追求し、コンビニでは何時でも欲しいものがすぐに手に入り、わからないことは手元のスマホで検索すれば、それなりの情報が得られます。もっと言えば、我々が「当たり前」と感じているこれらの「便利さ」は、「何かにすぐにパッと飛びつく習性を嫌でも身に付けてしまうこと」に直結しています。ただし、生きていて迷ったり悩んだりした末に、自分で考えることをしなければ、それらは決して解決の方向に向かいません。
私が一番危惧して訴えたいことは、ズバリ『面倒くさいと言わない』と『窮屈さを楽しめ』ということです。皆さん日常生活の中で普段から「面倒くさい」が口癖になっていたり、人との人間関係が「窮屈でしかない」と思っていたりしないかを振り返ってみてください。学校に行くこと、学ぶこと、人とつきあうこと、つまり生きていくことは基本的には「面倒くさくて窮屈なこと」なのです。
ただ「便利さ」に慣れ、自分で考えもせず、他にすぐに答えを求めようとし、それが得られないと条件や他人のせいにしていては、「いざ」というときに逃げてしまうしかありません。逆にある程度の「不便さや窮屈さ」があるから、それを克服しようと自分の能力が引き出され、成長できるということを再認識していく必要があります。
そもそも「人は何故生きるのか」等の大きな課題は、簡単に答えを得ることはできません。自分で悩み考える中に、今の自分を見つめ他の人の考えを参考にし、右往左往しながら生きていけばよいのです。
脳科学者である茂木健一郎氏は、一般的な特徴として、「現代人は身体性を忘れた志向性のゲームをしている」と指摘しています。要するに、自分は何もせず、人や機械に指示するだけで済まそうとする、これは効率が良いというよりは、ただ楽したいだけです。
茂木氏はまた「何度も考えて口に出すだけでなく、実際にやってみるとその大変さがわかり、人工知能AIは言語ゲームのみで生身の人間と比べると身体性がないなど、私たちの誤解を教えてくれています。アメリカメジャーリーグで超人的な活躍をしている大谷翔平選手は、決して言語ゲームではなく、何かを身体を使ってやっているので、その発する言葉にはリアリティーがあります。」と続けています。
私も六十年以上生きてきて一番実感しているのは、『失敗を成功で上書きする』ことが人生の醍醐味だということです。少し大袈裟かもしれませんが、失敗を失敗のまま終わりにせず、それを小さな成功つなげていけば最終的に『私は失敗しません。なぜなら失敗をそのままにせずに次にいかすから』と堂々と人前で言い切ることができます。
〇修了書を各学年代表2名の生徒に授与します。そこには「本校〇学年の課程を修了したことを証します」とあります。1年生の代表生徒には「入学してあっという間に1年がたち成長しましたね」と、2年生の代表生徒には、「4月からいよいよ最上級生ですね、頑張って」と声をかけるつもりです。
〇その後、令和6年度末で転退職する教職員8名のお別れのあいさつを行います。氏名のみシグフィーでお知らせしていますが、まだ新聞発表前ですので、異動先の学校はつたえられません。私も「生徒達への最後のあいさつをどうしようか・・・?」と朝から迷っています。
〇結局、言葉でのあいさつはやめて、あすなろ学級の生徒と約束をしていた歌を1曲歌って終わりにしました。「何にしようか・・・?」と悩みましたが、3学期の始業式でその歌詞の意味を使って話をした「どんなときも(作詞作曲:槇原敬之)」にしました。
〇この歌は今から30年以上前の歌ですが、当時担任していたクラスの生徒たちとよく歌っていたので、覚えています。壇上でマイクを持つと手元の伴奏よりもはやいテンポで歌ってしまい、生徒たちも苦笑していました。でも彼らの手拍子に合わせて最後まで歌うことができました。
須藤昌英
3月21日(金)新年度のクラス編成について
〇先日の学年末保護者会にて説明しましたが、4月より新2年生は4クラスを5クラスとしますので、現在新しいクラスを編成しています。また新3年生の学級数は5のままですが、新たなクラスを編成し、卒業に向けて最後の一年間を再スタートしてもらいます。
〇3年進級時に新しいクラス編成をすることは、富勢中においてはおそらく過去にはなかったと思います。これまでは慣例として「2年次と3年次は同じクラスで・・」を踏襲してきましたが、すでに他の中学校では3年進級時のクラス編成は行われており、それをするかしないかは各校に任されています。
〇その幾つかの理由を説明しましたが、一番の要因は、「集団に働く『バイアス(bias):偏りや偏見や先入観』です。身近な例で言うと、世間一般では「例えば血液型がAB型の人は、変わった性格の持ち主が多い」とか「赤ランドセルは女の子用で、黒ランドセルは男の子用」など、明らかな根拠はなくあくまでも一説に過ぎないとわかっていても、多くの人がそれに異を唱えることはなく受け入れています。
〇これは日本という世界からみると限られた集団社会で、長い間に自然と培われてきた偏見や先入観です。ただし、その偏見や先入観が悪いというわけではなく、一方では個人がその集団に適合していくためにはある面では必要なことだとも言えます。
〇これをもっと狭い学校における学級集団で考えてみると、「アンコンシャスバイアス:直訳『無意識の偏見』」が顕著になってきます。具体的には同じ環境で同じ集団の中で一定期間生活していると、知らず知らずの間に各個人の意識に刷り込まれる「価値観の偏り」が発生します。
〇例えば、「〇〇さんはいつも~のような行動をしている」とか「〇〇くんは~が好きなようだけど~は苦手なようだ」のように、その人の個性や特徴を言葉にして表します。これも決して悪気があるわけではなく無意識なのですが、これが少し危険です。
〇この「アンコンシャスバイアス」はコミュニケーションの価値を損なったり、人々の信頼関係をお互いに低下させ、正しい関係の構築を妨げたりするおそれがあります。特に思春期の中学生は、よほど注意しておかねばなりません。
〇このように集団におけるその人の価値観は大なり小なり、その置かれた環境や他者からの影響を受けて培われます。それは、かけがえのない個性や集団の可能性を生み出す一方で、人間関係上の摩擦を生み出すきっかけとなります。
〇4月から入学する新入生は、複数校から入学してきますので、否応なしに新しいクラスになります。つまりお互いにあまり知らない新しいメンバーと中学校生活をスタートさせます。在校生も持ち上がりクラスの良さもこれまでは確かにありましたが、前述の理由から同じく新メンバーで新学期を再スタートしてもらいたいと思います。
須藤昌英
3月19日(水)学年末保護者会&最後の給食
〇今朝は春雷とあられのような雨が降り、寒く感じます。ただ確実に春が近づいていることだということでしょう。明日は春分の日で祝日ですが、天気は回復する予報が出ており、そろそろお花見の話も出てきそうです。
〇昨日は、今年度最後の保護者会を行いました。ご参加していただき、ありがとうございました。冒頭の私の話の中で、来年度へ向けての方向性と変更点を説明しました。詳細については4月の保護者会で説明します。
〇また今日は今年度最後の給食です。明後日は、3時間授業(弁当なし)となりますので、ご承知おきください。
〇今日のメニューは「牛乳、スパゲティトマトソース、ひじきのマリネ、手作りカレーパイ、ブラットオレンジ」でした。正午に校長室で検食しました。結果は、
① 異物混入、異味、異臭 ⇒すべて「無」
② 調理温度(加熱・冷却)、一食分量、色・形態・香り、味付け ⇒すべて「良」
〇校長の所見「今年度最後の給食も美味しかったです。最後ですので個人的な感想も含めて書きます。トマト系のパスタが好きで、いつもひじきや野菜が多いので健康にも良いと感じます。パイは今まで甘い印象でしたが、カレーのパイも意外に相性がよいと思います。あまり食べたことないオレンジも濃い味でした。一年間、ありがとうございました。」
須藤昌英
【給食メニュー】
3月18日(火)価値がつけられないほどの・・・
〇昨日の午前中、先週の卒業式にインフルエンザ感染したことで列席できなかった卒業生一人の「卒業証書授与式」を教室で行ないました。同じ学級の生徒も大勢参列し、私から卒業証書を手渡しました。
〇最初に「校歌」、最後に「旅たちの日に…」を歌いましたが、狭い教室に彼らの歌声が響き渡っていました。もう一度卒業式当日の合唱が聴けるとは思っていなかったので、再び感激しました。
〇仲間のために集まり、心を込めた式にしようとする優しい卒業生たちも、いよいよ来月から自分で選んだ進路先での再スタートをします。元気で活躍してほしいです。
〇昔あるカード会社のコマーシャルに「プライスレスな経験を!」というキャッチフレーズがあり、その時に初めて「PRICELESS(プライスレス)」という言葉を知ったのを覚えています。そのコマーシャルはいくつかのシリーズがあり、しばらく放送されていました。
〇その一つが確か、「子連れの夫婦がみやげを買って実家に向かい『父に気に入りの地酒、七千円。母にカシミヤのショール、二万円』とナレーションが流れます。孫を笑顔で迎える父と母の映像とともに『いちばんのみやげ、プライスレス』と続き、最後に「お金で買えない価値がある。買えるものは○○カードで」だったと思います。
〇「プライスレス」は「プライス(価値)」と「レス(否定の意)」が組み合わさって出来た言葉のため、意味を本来の意味とは真逆の「価値がない」「貴重ではない」という直接的な連想から間違った解釈で使ってしまうことがあるので少し注意が必要です。
〇「プライスレス」は値段が付けられない、つまりお金では買えない、値段がつけられないほど貴重でかけがえのないものという意味です。形あるものではなく、思い出や体験、愛情や笑顔、優しさや温かさ、忘れられない言葉など、値段がつけられないもの全てはプライスレスというわけです。
〇価値観は人それぞれ異なりますので、「命」や「健康」、「愛情」や「きずな」など、どれも「大切なもの」です。「プライスレス」とは誰かが決めるものではなく、“自分にとってのプライスレス”があります。他人にとっては価値のないものでも、自分には「プライスレス」ということもあるでしょう
〇家族や友人たちと過ごす時間や貴重な体験、そこにある笑顔や温かさ、かけがえのない愛情、人生を変えるような出来事や転機となった言葉…いずれもその価値には値段がつけられないので「プライスレス」です。 ○冒頭の「一人だけのための卒業式」もまさしく生徒たちにとっては、「PRICELESS」な時間だったことでしょう。
須藤昌英
3月17日(月)三学期制から二期制への移行について
〇4月からの令和7年度の年間計画もほぼ固まりつつあります。その中で先月も少し書きましたが、従来からの一番の変更点が、「二期制(前期・後期)」への移行です。簡単に言えば、これまで1年間を一・二・三学期の3区分としてきたものを、2区分にするということです。
〇具体的には7月の一学期終業式がなくなり、夏季休業の前日まで授業を行い、授業時数を確保します。そして10月の初旬までを前期とし、前期の終業式を行います。その週末は祝日も含めた3連休になります。翌週からは後期となりますが、同様に12月の二学期終業式がなくなり、冬季休業の前日まで授業を行い、3月は年度の修了式で一年間をしめくくります。
〇そのことから定期テストの時期が変更され、通知表も年二回となります。もちろんこのことは生徒にはあらかじめ周知します。また各教科では今まで以上に単元テストや小テストを細かく実施し、生徒の学びの定着を測ることを検討しています。またその他学校行事も少しずつ時期がずれたりします。
〇授業時間の確保の観点から柏市の中学校でもこの二期制が増えており、本校でもこの数年間、検討を重ねてきました。その上で2年後の創立80周年を見据え、この4月から変更することとしました。
〇今から40年くらい昔の昭和時代は、土曜日に3~4時間授業があるのが一般的でした。私も20歳代の頃は、土曜日の午前中は授業を行い、弁当を食べた後の午後は部活動の指導をしていました。
〇その後社会全体の週休2日の流れを受けて、公立の小中学校にも徐々に土曜日休みが浸透してきました。2002年度から完全週休2日制になった結果、年間の総授業時間数が40日間ほど減少し、それにともなって授業数の不足や学校行事の大幅な取りやめなど、さまざまな課題が表面化しました。
〇それを受けて、2003年に中央教育審議会が教育課程の適切な実施と課題を解決するために提唱したのが二学期制の導入です。そうした経緯によって、授業時間を確保するために二学期制を導入する学校が増加しました。
〇二学期制にすると、先ほどのような変化がありますが、特に「総合的な学習」は継続的な学習が必要とされており、その授業時間を確保しやすくなります。また三学期制の場合は三学期が他の学期よりも短く、継続した学習が難しいことが課題でした。二学期制にすることで問題解決型の継続した学習がおこないやすくなります。
〇ただ特に来年に高校受験を控えた中学3年生は、これまでと違うスケジュールとなりますので、夏休み中の三者面談等で困ったことがないか確認したり、学習へのモチベーションが下がらないように指導したりしていきます。
須藤昌英
3月14日(金)マルハラと世代間ギャップ
〇今日は小学校の卒業式があります。私も午前中、富勢小で参列してきます。4月からの新入生の晴れの姿が楽しみです。
〇今では「ハラスメント(Harassment)」という言葉は、すっかり定着しています。嫌がらせのように、「相手を不快にさせたり不利益を与えたりするなど、肉体的・精神的な苦痛を与え、人間としての尊厳を侵害する行為の総称」(ウィキペディアより)のことです。
〇具体的には「パワハラ(地位や人間関係などの優位性をもとに、精神的・身体的苦痛を与える)」「セクハラ(相手の意に反する性的言動で、働く上で不利益を被ったり、就業環境が妨げられたりすること)」「モラハラ(モラルを根拠とする嫌がらせ)」など何種類もあるそうです。
〇昨年新しく「マルハラ」という言葉を知りました。主にLINEやチャットなどのSNSの文面において、句点(。)を使用することで、相手に威圧感を与えさせてしまうことを表す造語のようです。
〇私は最初は正直、何を指しているのか理解できませんでした。例えば「わかりました。」や「連絡ください。」という一見、何の変哲もない表現が若者たちにとっては淡々としすぎていて、怒っているように感じられるというのです。
〇若者たちにとっては「。」が怖く、新しいハラスメントになっていると聞いても、自分の感覚ではまだ実感できません。23歳の娘に聞いてみましたが、「人にもよるけど、友達の中には怒っているというか冷たいや冷めてるとマイナスイメージをもっている人も多い。マル(。)の代わりにビックリマーク(!)はよく使っている」と教えてくれました。
〇確かに私も含めた世代は長文になりがちだとは思います。昭和から平成に育った人々が主に使用していたコミュニケーションツールは手紙やメールです。メールは、挨拶から本題まで一度に書くため、長文になります。長文を書くときは、途中に句読点を挟まなければ当然読みにくい文章となるため、癖でLINEやチャットでも句読点を付けてしまうのです。
〇確かに若者の感覚は時代の最先端であり、決して否定するつもりはありませんが、ことさらにとりあげて『ハラスメント』というネガティブなニュアンスを持つラベルを貼るのは・・・?とも感じます。
〇逆に我々の年代になると、絵文字を使って送られてくる文にためらいを感じるほどですから、年代のギャップも否めません。時代は変化しつつも、美しく正しい日本語も残って欲しいと思います。
〇予防策としては、日頃から適切なコミュニケーションをとることでしょうか?ただコミュニケーションとは、単に会話するだけではなく、問題や課題を抱えている場合には、適切な現状把握と要因分析を行ってからコミュニケーションをすることが必要です。
〇コミュニケーションも大きく分けると2通りで、何気ない世間話をしたりするリラックスな場合と目の前の問題解決に一緒に向き合う場合があります。本校職員の半分以上は、私の子どもと同世代ですので、日頃からSNSを使わずに直接相手の話に耳を傾けることを心がけています。
須藤昌英
3月13日(木)「文学(小説)は役に立たないというのは本当?」
〇24日の令和6年度修了式まで、登校日は今日も含めて7日となりました。今日は初夏のような陽気になるとの予報ですので、サクラの開花のニュースもそろそろ聞こえてきそうです。
〇この10年間ほどに文部科学省が大学教育の改革として、「付加価値の高い理工系人材の育成」をその重点としています。それにより多くの大学ではいわゆる文系学部(文学部、経済学部、歴史学部、心理学部など)の定員が減らされているのを報道で知りました。少し違和感を覚えます。
〇確かに以前から理工系学部の人気が高く、就職先もバラエティーに富んでいました。しかし大学は専門学校ではなく昔から「知の最高学府」と言われていますので、理工系だけでなくいろいろな文系の学部もあったほうが、「その国は本当に豊かだといえる」と私は感じています。
〇表題は特に文学部の学生の肩身がせまいということに疑問を感じている人がいるということを表しています。作家で文芸評論家、さらに大学でも教壇に立っていた高橋源一郎氏の次の言葉はとても参考になります。一部を引用させてもらいます。
「『大学で文学を学ぶのは、就職に不利なのではないか。』中高生の中には、そう感じている人もいるでしょう。『文学って何の役に立つの?』と疑問を抱く人もいるかもしれません。私はもしその答えを『すぐに知りたい』と思うのであれば、その考えは間違っていると断言します。(略)正しい答えはないが、あえて言うなら、自ら問いを立て、自ら答えること、さらに問い続けることを考えさせる何かだと、僕は思っています。」
「人は無意識のうちに社会の常識や因習に縛られている。文学は、自分を縛る鎖の存在に気付かせ、断ち切ってくれる、自分を自由にしてくれる武器でもある。」
「文学が役に立つか立たないかという設定をまず疑うべきで、文学は問い続けること、答えのないものを見つけても、また新たな問いが生まれ・・・。その循環が止まらないことが文学という現象だと思います。」
〇本校でも朝の10分間読書を継続して取り組んでいます。生徒も多くは自分の選んだ文学や小説を集中して読んでいます。朝の読書推進協議会の大塚理事長さんは、次のように語っています。
「『朝の読書』のねらいとすることは、読書本来の楽しみや喜びを感じ、自由や解放感を味わい、精神の散策や心の癒し、探究心や感性等を、生徒と教師が一緒に読書することで、かけがえのない人生のこの時を、共に生き、共に学び、共に育み、共に歩んでいきましょうということです」
〇「うちどく(家読)」という活動も生まれています。その名の通り、本をきっかけとしたコミュニケーションを家族の間にも広げていこうとするものです。読書は語彙を増やします。語彙が増えると気持ちを伝えやすくなります。登場人物と自分を重ね、考える力を育みます。自然と相手の胸の内を思いやることができるようになり、知識や話題も豊富になって、コミュニケーション能力も高まります。
〇社会で生き延びていく術を身に付けることも、文学を学ぶ意義かもしれません。
須藤昌英
3月12日(水)2つの「旅立ちの日に」
〇雨のしっとりした朝で、出勤するとどことなく昨日の余韻が学校の中に残っているのを感じました。校庭の梅もまだ咲いていたり職員玄関には式の壇上にあった大きな花を移していたりと良い香りが漂っています。
〇昨日の令和6年度第78回卒業証書授与式は、予定通り2時間で実施されました。天候にも恵まれ、式と学級でのお別れ終了後も、昼過ぎまで校庭などで友人と別れを惜しむ姿がありました。
〇職員反省会では3学年主任から「在校生が何人も泣いてくれて、それを見て卒業生はさらに涙腺が緩んでいました。後輩に泣いてもらえる卒業生になったことを嬉しく思います。」との報告がありました。
〇卒業証書授与の際には、私から一人ひとりに声をかけました。それぞれ三年間の一場面が想起され、嬉しそうに笑う生徒、恥ずかしそうに伏目がちな生徒など様々でした。あまりお見せするものでもありませんが、私の手元には、事前に自分で作成しておいた「声掛け一覧」を置いておきました。
〇今年の歌は、君が代と校歌の他に、2つの「旅立ちの日に」を生徒が合唱しました。同じ曲名ですが、別物です。毎年候補曲の中から、生徒たちの意見によって選びますが、それがたまたま同じ曲名になったのです。
〇1曲目の『旅立ちの日に』は、1991年に埼玉県の中学校の教員によって作られた合唱曲です。当時の校長が荒れていた中学校を矯正するため「歌声の響く学校」にすることを目指し、合唱の機会を増やしつつ、音楽科教諭と共に粘り強く取り組んで結果、歌う楽しさによって中学校の雰囲気は明るくなったことのエピソードは有名です。今では伝統的な卒業ソングです。
〇2曲目の『旅立ちの日に』は、シンガーソングライターの川嶋あいさんが作詞・作曲し、2006年にリリースされました。比較的新しい曲ですが、現在では定番の卒業ソングとなっています。学校の風景を詳しく描写した詩やハートフルな旋律が優しいハーモニーでつながれたところが、いつまでも続いていく友情をイメージさせますので、中学生にはピッタリです。
〇共通点はどちらもしっとりとしたバラード(語り物的な歌)で、成長した卒業生の声によって、素晴らしい合唱でした。女子生徒ももちろんですが、特に男子生徒の重低音が体育館に響き渡っていました。2年生も感動したようです。
〇昨日の夕方、すべての後片づけが終わった後に、校長室で卒業式を撮影したビデオを視聴していましたが、2つの「旅立ちの日に」を聞いている時間がとても幸せでした。卒業生の今後の活躍を祈念します。
須藤昌英
3月11日(火)令和6年度第78回卒業証書授与式
〇卒業式の朝を迎えました。雨も何とか降らずにすみそうなので安心しています。卒業生は3年前の入学式からその成長ぶりを目の当たりにしてきましたので、昨晩はいろいろと思い出がよみがえり、寝つきが悪く、今朝も3時に目が覚めてしまいました。
〇私でさえそうですから、担任や学年職員はもっと高揚した気持ちで朝を迎えただろうと思います。私も過去に丁度10回、担任として卒業生を送り出してきたので、その時の気持ちは忘れることはありません。昨日の準備をさらに確認し、開式の時間を迎えます。
〇式次第中での校長の役割は、「証書授与」「式辞」「記念品贈呈」「答辞」とありますが、特に「式辞」は昨年末から何度も書いては修正してきました。最終原稿となり、冒頭では3年前の入学式の式辞の一部を引用しました。
〇丁度3年前は、ロシアのウクライナ侵攻が始まったばかりでしたので、中学校1年生には少し難しいかなとも懸念しました。しかし生徒たちには世界へも目を向けてほしいとの願いから、あえて盛り込んだのでした。紹介します。
「今、毎日のように、ウクライナへのロシアによる軍事侵攻のニュースが流れ、平和な暮らしが一瞬して奪われたり、多くの人がお亡くなりになったりしています。確かに遠い国のことなのであり、実感としてその悲惨さはわかりにくいですが、過去にはもともと同じ国であり、しかも今は隣合わせの国が争っている状況を、決して私たちは『傍観者』でいてはいけないと思います。
私も含めた大人の多くも、この戦争の歴史的背景や現状について、分からないことが多いのです。『どうしてこうなってしまうのだろう』と毎日頭を抱えるほどです。ただ、大切なことは、この現実から目をそらさずに、情報を整理し、『自分ならどうするか?』といつも考え続けることだと思います。でもそれは『正解』ではありません。他の人は『異なる考え』をもっています。だから、お互いに話し合い、相手を理解し、一緒に何ができるかを模索していきましょう。ともかく同じ人間として、一日でもはやく紛争がおさまり、亡くなった人を弔い、生きている人が希望をもてるよう祈らずにはいられません。
毎日学校で友達と会えること、好きな学習やスポーツができること、おいしい給食が食べられること等なんでも『当たり前』ではなく、現在平和が保たれている日本という国に生まれたからなのです。そういう視点で物事を見て、できることに感謝して日々を過ごしていると、やがて『自分たちだけが幸せであればいい』ではなく、『世界の平和に自分として何ができるのか』を考えられる人になれます。」
〇年に二回(卒業式と入学式)しか着ない、モーニングコートにこれから着替えようと思います。
須藤昌英
3月10日(月)卒業式予行練習と前日準備
〇金曜日の午前中、卒業式当日に参列する2学年生徒と保護者席となるスペースに1学年生徒に座ってもらい、卒業式予行練習を行いました。全校生徒が一同にそろうのはこれが最後です。本来ですと1学年生徒も参列し、卒業生の晴れの姿をお祝いしたいのですが、体育館のスペースの問題があります。
〇コロナ禍以前のように、通路をなくし席をつめつめにすれば700名くらいの収容は何とか可能ではありますが、コロナを経験していますので、席の配置も余裕をもたせるのがスタンダードになっています。
〇1、2年生も一昨日の3年生を送る会の時とは違って、フォーマルな式の雰囲気を感じ、厳粛な顔つきで卒業生の一挙手一投足を見つめていました。先日の3年生を送る会もよい雰囲気でしたが、卒業式はまた一段高い行事であることを生徒たちは知っていますので、素晴らしいです。
〇式の中で一番時間の長い「卒業証書授与」の場面では、ステージに向かって左の壁にPTAから寄贈していただいたサブスクリーンに、「クラス別の卒業生名簿」をプロジェクターで映写します。予行練習ではあえて行いませんでしたが、当日は堂々と証書を受け取ってもらいたいです。
〇本日午後に、在校生と体育館と教室の会場準備を行いました。
〇会場は整いました。後は明日の天候がくずれないように願っています。
須藤昌英
3月7日(金)「薬物乱用防止&情報モラル教室」出前授業
〇昨日の4時間目、柏市少年補導センターから麻生指導主事をお招きし、「薬物乱用防止&情報モラル教室」を行いました。実施の主な目的としては、薬物やSNSを通じたトラブルや犯罪行為が急増化していることを受け、身体の健全や情報モラルについて考える機会とし、適切な対処方法を身につけることです。
〇講師で来校した麻生指導主事は本校の卒業生であり、冒頭で私からそのことを紹介しました。そのこともあり生徒たちは、先輩の話を熱心に聞いていました。特に来週に卒業式を控え、来月から高校生になる3年生には、危険が潜んでいることを理解してもらいました。
須藤昌英
3月6日(木)孤独のグルメ&教員のサラメシ&3年生最後の給食
〇「孤独のグルメ」という漫画がまずテレビ番組となり、この1月それが映画となって公開されました。私は映画は観ていませんが、テレビでは「食べるだけの演技も面白いな」と思って観ていました。
〇物語の設定は、輸入雑貨商を営む主人公・井之頭五郎(いのがしらごろう)が、各地の食堂などで一人で食事をする様子を淡々と描くものです。
〇登場する店は「グルメ」という言葉から一般的にイメージされる高級店や流行りの店ではなく、街に溶け込むように年月を重ねた大衆食堂や個人店がほとんどです。主人公が独りで食事を楽しむ様子が自身の独白と共に描かれるスタイルは、それまでのグルメ漫画には見られない内容で以後、多くのフォロワーを生んだようです。
〇実際に私の娘は、テレビと映画で演じている俳優が好きで、映画も観にいったようです。初老の男性が心でいろいろとつぶやきながら食事をするシーンばかりですが、その表情で演技するところなどは「さすが俳優だな・・・」と思います。
〇私も毎日、生徒の食べる30分前に、校長室で検食をしてその記録を検食簿に書いていますが、ある時「これも孤独なグルメかな・・」と思ったことがありました。
〇一人ですのでおしゃべりもせず、よくかんで味わって食べていると、自然と心の中で「これは美味しいな」とか「こういう味付けも面白いな」とかつぶやいています。
〇またNHKの木曜日の夜に放送されている「サラメシ」というドキュメンタリー番組は、昔から好きでよく観ています。番組の副題に「ランチをのぞけば 人生が見えてくる 働くオトナの昼ごはん それが『サラメシ』」とあり、私は食事の内容よりも、登場する働く人の姿やその仕事の苦労ややりがいなどを想像するのが楽しみです。
〇特に私と同じくらいの年齢の方々が何を好んで食べているのかをチェックしたり、若い新入社員などが仕事の緊張を昼食でほぐすのをみたりすると、「人間ってみんな同じだな」とホッとする時が多いです。
〇私たち教職員の「サラメシ」は、生徒と一緒に食べる給食です。ただし給食指導の一環ですので、サラリーマンの昼休みとは少し違います。配膳がスムーズかどうか目配りしたり食べ方によって生徒の心身の体調をチェックしたりしています。
〇確か数年前の「サラメシ」で、東京都の小学校の校長を取り上げた回がありました。先ほどの校長の仕事の検食は、「学校給食法」に明記されていて、生徒が給食を食べる前までに、学校の責任者が事前に喫食し、人体に有害となる異物の混入がないか、調理過程において加熱等が適切に行われているか、食品の異味・異臭等の異常がないか、一食分として量が適当か、味付け・香り・色彩等が適切かを検査するものです。
〇検食を行った時間、検食者の意見等検食の結果を記録しますが、先ほどのようにその日気づいたことなどを一言コメントで書いて栄養教諭に戻しています。
〇書く内容は、大抵は「ごはんとこの主菜、副菜の組み合わせがいいです。」といったようなことで、たまに味付けについての感想も書きますが、調理の素人ですから自分の好みが前面に出ないように気をつけています。
〇ここまで給食の委託業者の努力で、衛生管理の面では問題はありませんので、安心しています。調理員さんになかなか直接お礼を言う機会がないので、感謝の気持ちもこめています。
〇私以外の職員の多くも給食を楽しみにしており、先ほどのように食べることで緊張がほぐれ、また午後の授業を頑張ろうと思うようです。何よりも暖かい給食を食べられることが有難いと感じます。
〇私が教員となった昭和の終わりから数年間は、柏市の中学校で給食はまだ始まっておらず、職員も弁当持参でした。私が自分の弁当が食べ終わるのを見ると、生徒が寄ってきて「先生、これ食べる?」と自分の弁当を分けてくれることもありました。
〇それをきっかけにその弁当を作ってくれた家族の話を聞いたり、その生徒とお互いの食の好みについてよく話したりしたものでした。まだ20歳代の若さでしたので、当時はいくらでも食べられる頃でした。ただ時には食べ過ぎて午後の授業がきつかったこともありました。今思うと、懐かしい思い出です。
〇今日は3年生は中学校最後の給食です。楽しく食べてほしいです。また木曜日ですので、帰宅してから、ちょうど夕食の時間に「サラメシ」を観ようと思います。
須藤昌英
【卒業お祝いメニューと今日の検食簿】
3月5日(水)努力努力(ゆめゆめ)
〇昨日は、千葉県公立高等学校入学者選抜の結果発表がありました。入試には各校ごとの募集定員がありますので、嬉しい結果と残念な結果の生徒が出るのは致し方ありません。ただ言えることは、それぞれ「精一杯取り組み、努力した」という経験は今後、必ず本人にとってプラスにはたらきます。
〇この時期になると思い出す言葉があります。「努力努力」と書いて「ゆめゆめ」と読みます。何となくきれいな読み仮名です。そのことを初めて知った時から、強く印象に残っている漢字です。
〇古い言い回しとして、「ゆめゆめ怠ることなかれ(決して怠ってはいけない)」などは知っていました。後ろに禁止の言葉をつなげて、「決して~するな」の意味で使われていることもあります。しかし「努力努力」という字をあてるとは思っていませんでした。
〇「努力」とは「目の前のことを心を込めて行う」ことですが、この言葉から私の受ける印象は、どちらかというと親や先生から「努力しなさい」と言われてきたこともあり、とても窮屈で強制されるイメージです。教育論でよくテーマとなる「厳しくするか甘やかすか」の中では、大人が子どもを外的にコントロールするにイメージ近いです。
〇同様の意味で私などは「精進」という言葉の方が「自ら(内的コントロール)」のイメージがもてるので前から好んで使ってきました。「精」の字は、「こころ。たましい。気力」の意味がありますので、「1つの事柄に精神を集中する」という「努力」と似た意味と捉えています。
〇こちらは仏教に由来していますが、日本語には仏教から影響を受けた言葉が多く、例えば「挨拶」「玄関」「経営」など普段から生活の中でよく使用されているものは、すべて仏典からきています。
〇まさに学校は生徒たちが「努力(精進)するための場」であり、失敗をしてもその原因を明らかにしながら、次の成長へつなげていくところですので、生徒にはチャレンジする気持ちをもってもらいたいと常々思っています。
〇「努力」の言葉から、アメリカの発明家(蓄音機や白熱電球など)の「トーマス・エジソン」を連想します。幼い頃に伝記を読みましたが、彼は大変な努力家で、新聞を売りながら自分でコツコツと貯金し、自分の実験室を作ったそうです。そのエジソンが「努力」について、「天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である」という言葉を残しています。
〇また相対性理論でノーベル賞を受賞した理論物理学者の「アルベルト・アインシュタイン」にも多くの格言がありますが、その中に「天才とは努力する凡才のことである」というものがあります。天才のように思われがちなアインシュタインですが、実際は努力によって多くのアイデアや真理を見出した人でした。
〇平安時代初期の僧だった空海(真言宗の開祖:別名弘法大師)は、当時の日本におけるケタはずれの天才であり、書の達人、土木技術のエキスパートなどの複数の実績があります。
〇空海についての本を読むと、彼が若い頃に遣唐使として中国に渡り密教について学び、帰国する際に中国人の師匠から、「早く日本に帰って密教を伝えなさい・・・努力努力(ゆめ ゆめ)つとめよ」と言われたそうです。その後日本中で活躍されたことは有名であり、学区にある布施弁天東海寺にもその伝説があります。
〇今の生徒には前のように「努力しなさい」というよりも「自分の好きなことを究めなさい」と言った方がよいと最近は感じるようになりました。
〇好きなことはやっていれば楽しいし、楽しいから夢中になれるし、好きだからそれに熱中できて「努力」が継続できると思うからです。それが本来の「ゆめゆめ」の真意だと感じています。
須藤昌英
3月4日(火)生徒の可能性を最大限に引き出す方法
〇本日の9時に、千葉県公立高等学校入学者選抜の結果が発表されます。ここまで目標に向かって精一杯準備してきた彼らの姿を身近に感じてきたので、「どうか全員に・・・良い結果」と今朝は職員一同で祈っています。
〇グロースマインドセット(成長志向)という概念が、最近注目されています。もともとは企業などで人材を育成していくことを目的としていますが、要するに中学生も同様に、人間の成長を促進する思考パターンのことであり、自分の成長可能性を信じていれば、難しい問題や課題に積極的に取り組んでいけるという考え方です。
〇グロースマインドセットを提唱したキャロル・ドゥエック氏は、社会心理学、発達心理学を専門とするスタンフォード大学の心理学教授です。マインドセットとは、経験・教育・先入観から形成される、心理状態や思考パターンのことを言います。例えば、思い込みや価値観・信念がこれに該当します。思い込みのことを「パラダイム」とも言い、新たな情報や経験によって自身の思い込みに気づき、思い込みが変化することを「パラダイムシフト」と言います。
〇内容はそんなに新しいことではありませんが、わかっていても継続してできないのが現実でしょう。
1.褒め言葉を使って自尊心を高める。
2.失敗をポジティブに捉えるよう促す。
3.継続的な努力が必要であることを理解させる。
4.努力が成功につながることを示すため、適切なフィードバックを提供する。
〇教員となって38年間(小学校3年、中学校35年)、実に多くのそして多彩な児童生徒との出会いがありました。「教えることは教わること」と気づき始めたのは、教員生活をスタートして数年が経過したころでした。
〇「今の教え方で本当にいいのだろうか?」と壁にぶつかった時、目の前の児童生徒が「学ぼうとする姿」をつぶさに観察しました。すると自分の一方的な思いでは何も伝わらないことや、その生徒の姿が新たな手法を私に教えてくれていることを実感しました。
〇3年生はこの3年間を見守ってきましたので、その成長ぶりは常に実感していますが、昨日の3年生を送る会では特に1・2年生の成長ぶりに驚きを超え感動を覚えました。これからの学校はこれまで以上に「成長志向」がキーワードになっていくと思います。
須藤昌英
【昨日の3年生を送る会】
3月3日(月)3年生を送る会の準備とネタバレ?
〇久しぶりの雨の朝です。満開の梅の花もしっとりしています。花粉症の生徒には少し楽かもしれません。ただ午後は気温が下がり、雪もちらつくかもしれないとの予報です。気温の変化による体調変化が心配です。
〇1・2年生は先週までに、本日の午後に行う「3年生を送る会(3送会)」に向けて、それぞれの発表の練習を体育館や武道場で懸命に行ってきました。きっと心のこもったあたたかい会になると今朝から期待しています。
〇今年の3送会の3年生への招待状は、一人ひとりではなくクラスへ1枚ずつでした。ジグソーパズルのようにピースを組合せ、表面がメッセージ、裏面が3年の各担任の笑顔になっています。それに映っている担任のそれぞれの笑顔がとても印象的です。
〇少し細かいことを言えば、卒業式は学校主催行事であり、すべて校長の責任のもとに執り行います。それに対し3送会は生徒会主催行事で、企画から準備、本番まで生徒会が主体となって実施します。前者が例年ほぼ同様なプログラムなのに対して、後者は年によってバラエティーに富んでいます。
〇昔は「3年生を送る会」のことを「予餞会(よせんかい)」と言っていました。「予餞」とは「あらかじめに送る会」という意味で、何に対してあらかじめかというと、「卒業証書授与式」のことです。
〇卒業生にとっては、3年生を送る会で後輩の1・2年生とお別れをし、卒業式では保護者の方々にここまで育ててくれたことに感謝の心をもって参加する意義があります。
〇ここで、3送会で各学年が行う発表内容を紹介したいところですが、「ネタバレ」はしないでおきます。ダンスや劇、合唱などの心のこもった卒業生が喜んでくれること請け合いの発表とだけお伝えしておきます。
〇3.4校時に下級生が3年生を送る会の最終リハーサルと準備を行ないました。今日の給食はひな祭りをお祝いして、「ちらし寿司、ぶりの照り焼き、もやしのポン酢和え、菜の花のすまし汁、黒糖大豆、牛乳」でした。外は雨ですが、体育館は今月から新しくし使用できるようになった空調設備が稼働して、暖かくなっています。午後が楽しみです。
〇給食中から雨から大粒の雪に変わり、神秘的な風景となる中、5・6校時に3年生を送る会を行いました。卒業をお祝いする在校生、それに感謝する卒業生。学校はやっぱり素晴らしい場所です。
〇明日は9時から、千葉県公立高等学校入試の合格があります。どうか全員が希望が叶うように、職員全員で祈っています。
須藤昌英
2月28日(金)これからの人生でためになる授業(3学年性教育)
〇この3日間は春本番の陽気となり、寒さに対してはだいぶ楽になりましたが、その一方で花粉症などのアレルギーを持っている生徒は大変なようです。近年のコロナ禍によるマスク常用の影響であまり目立たなくなったこともありますが、この時期には花粉対象のマスクをしたりメガネでガードしていたりする生徒を以前はもっといた気がします。
〇屋外に出て体を動かすのがおっくうになったり、室内にいても学習や諸活動に集中できなかったりすることが、本人が一番つらいだろうと思います。少し調べたら、簡単な花粉症対策として、外出から戻ったら顔を洗う方法があるそうです。目の周りや鼻の周りには花粉がついていて、それを洗い流すと吸入する花粉の量が減るのでけっこう楽になるようです。
〇昨日の5校時、日本医科大学付属病院の産婦人科医師である小川淳先生をお招きし、体育館で3生生に性教育を行いました。冒頭に小川先生から「勤務している病院が最近のテレビドラマ『まどか26歳、研修医やっています』の撮影に使われています」と話があると、生徒たちがざわついていました。
〇卒業式を来週に控え、「いのちや性」について深く学ぶ機会を通し、生徒の将来に役立つ講話をしていただきました。主な内容は次の5点でした。
1 男女の身体の変化
2 望む妊娠と望まない妊娠
3 性感染症
4 子宮頸がんとHPVワクチン
5 LGBTQ+と性別違和
〇特に産婦人科医として強調されていたのは、4の内容です。子宮頸がんは「唯一予防のできるがん」であり、以前には副作用の関係で避けられていたHPVワクチンの接種が、小6~高1の女子に国が公費を出して受けられること、海外では男子も受けていることなどを紹介していました。私もこのワクチンが男子も対象であることを初めてしりました。
〇また5の内容に関しては、人を好きになる性(性的指向)は人様々で、どの性別が恋愛対象になるのかは多様であることから入り、性は生物学的な性別だけでなく、様々な要素の組み合わせで成り立っていることに触れていました。自分の性別をどのように感じるのかなど、最近はこころの性(性自認)とからだの性(生物学的な性) がバラバラであることはよくあることと認知されつつあります。
〇親や教員が伝えにくいことについても、現場の医師というプロならではの説明していただき、生徒は真剣に聞き入っていました。やはり専門家の言葉は自らの経験をもとにしていますので、彼らにとっても重みがあるのでしょう。講演会後に校長室で、日本の少子化で産婦人科も危機を感じていることや教員と同じく医師の働き方改革がすすんでいることなどを伺いました。
〇帰り際に小川医師は、「私の話の中で何か一つでも生徒さんたちの心に残ればありがたいです」とおっしゃっていました。思春期は心も身体も揺れ動くので、ちょっとしたことでも専門医に相談することで、安心感が得られることが大切だと感じました。
須藤昌英
2月27日(木)卒業式の練習(3学年)
〇今週から3学年は特別日課に入り、その中で次のような各クラスの実行委員を中心に、11日に行う卒業式練習が始まっています。クラスでの基本練習と学年全体で体育館での学年練習を並行して行っています。
(運営・企画) 学年委員
1組石黒さん、村越さん 2組伊藤さん、宮前さん
3組天瀬さん、中村さん 4組新野さん、松本さん
5組石塚さん、黒川さん
〇私はこれまでも義務教育9年間の最終年にあたる中学3年生には、「保護者や先生などから言われたからその通りにする」のではなく、いろいろな人の視点に立って(想像力)、自分はどうすべきかを考えること(創造力)を育んでもらいたいと願ってきました。練習を後ろからそっと見ていると、そういう力が一人ひとりに備わってきているなと感じました。
〇卒業式は学校行事の中で最大でかつ最重要であり、フォーマルな場です。そこで最初は礼法や作法の確認を行います。これもあくまでも基本を教えますが、あとは自分なりのその基本動作を応用し、堂々と参加してもらいたいです。生徒に指導した主な点として、
1 座る姿勢(頭をむやみに動かさない)
男子:足を自然に開き、拳は軽く握って膝と股関節の間に置く
女子:足を閉じ、手は重ねて膝と股関節の間に置く
2 座る→立つの動作 (「卒業生、起立」の号令)
背筋を伸ばす(立つ準備)をして、スッと立つ。
3 立つ姿勢(手は体側に)
踵をつけて、つま先は拳1つ分程度開き、視線はまっすぐ遠く。
4 座礼と立礼(若者らしく)
腰を基準にして、1・2・3で45°程度曲げる
5 歩き方(手は自然に振る)
「パタパタ」と音をたてるのはNG、まっすぐ遠くを見る。
〇「ずいぶんと細かい所まで教えるなあ~」と感じる方もいるかもしれませんが、卒業式は彼らにとっても小学校以来3年ぶりのことであり、知らないことや忘れていることも多いものです。最初は各所作の意味や社会人の常識みたいなものまで含めて説明し、だから「~しなさい」ではなく、教わったことを生徒自身が自分でかみ砕いて考えることが最も大切だと考えています。
〇当日に一番生徒が緊張するのが、卒業証書授与の場面です。最初ステージにあがると、ぎこちない動きでしたが、みんな一生懸命取り組んでいて、みていて清々しい気持ちになりました。来週の予行練習では、保護者席に在校生を座わらせて、本番の緊張感で最後の確認をしていく予定です。
須藤昌英
2月26日(水)楽しく学ぶ土台は「アハ体験」
〇昨日は1学年の3クラスにおいて、3学期期末テストの答案用紙返却を各担任と一緒に行いました。今回の出題範囲は、空間図形と資料の活用が主でしたので、生徒の図形認識の違いなどで好き嫌いやが出やすい内容でもありました。
〇半年前から柏市の中学校でも、定期試験の自動採点システムを導入しましたので、各教科担任は生徒の答案用紙をスキャンし、第一次採点をコンピュータで行います。その後それを確認するために、教員が目で2回目の採点を行います。
〇昨日の3クラスでは、一人のみ採点の修正を行いました。記号で答える問題でしたが、よく見ないといわゆる「くせ字」なので、コンピュータと人間のダブルチェックも認識できなかったようです。本人に私から事情を尋ねたところ、「自分は〇のつもりで書きました」と答えがあったので、誤答から正答に変更しました。
〇ところで今回の久しぶりの生徒たちとの直接的な授業のやりとりで、いつもと違う生活パターンで少し疲れます。しかしその一方で自宅に帰って食事後に「ボーッ」としたり入浴したりしている時に、「そうだ!明日は~をやってみよう」などの思い付きがあります。そういう時はワクワクするものですし、脳の働きはますます神秘的だなと思います。
〇同じく脳の不思議な能力として、昔一時期、テレビなどで話題になりましたが、「アハ体験(a-ha experience)」があります。簡単に言うと、「あ、そうか、わかったぞ」という心のつぶやきや体験を表す言葉で、やはり「ひらめき」や「創造性」に関する脳のはたらきのことです。
〇よく使われる例として、古典物理学者のニュートンが、木から落ちるリンゴをみて万有引力の法則を発見したことがありますが、もちろんあれも常に一つのことを考え続けた末、フッとした瞬間に知識どうしが結び付く一つの「アハ体験」だと言えます。
〇少し調べてみると、人間は「アハ体験」の最中の0.1秒ほどの短い時間に、脳の神経細胞がいっせいに活動して、世界の見え方が一瞬で変わってしまうそうです。
〇大げさに言うと、それまでわからないで悩んでいる時の不安感や焦燥感が、ひらめいた時の「ああ、そうか!」一気に消え去り、と同時に大きな喜びや解放感を感じることによって、今までとは違った自分になってしまうということです。
〇そのような感覚を体験することで、関係する脳の回路を強化され、その後は、わからないことが出てきてもじっくりと考え、ひらめきを育むことの大切さを、楽しみながら学ぶことができるでしょう。
〇ただし、アハ体験は、いつ起こるかなど予測は不能で、コントロールもできないという面があります。またそれに近い体験を実際にしても、いつのまにか見過ごしていることもあります。やはり今の自分が何を感じているのかを、常に意識しておく必要がある気がします。
〇生徒たちには、私とのやりとりの中で、何か一つでいいので、小さな「アハ体験をしてもらいたい・・」と思っています。「この計算はこういうときに使うのか!」とか「この数学の公式は確かにこの場合には便利だ!」など、自分で感じたことを書いたり、人に話したりするアウトプットを積み重ねると、普段の学習への意識が高まります。
〇脳科学者の茂木健一郎氏は、インタビューで次のように語ります。
「生きていくのは何が起こるか分からないこと。学校では答えの決まっていることは教えてくれますけど、人生をいかに生きるべきかという教科はありません。何が起こるか分からない人生をどう生きるかという時に、感情がフル回転するんです。脳にはうれしいことが起こった時に放出される『ドーパミン』と呼ばれるものがあります。何か行動してドーパミンが出ると、その回路が強化される。これを強化学習と呼びます。ですから、頭を良くしようと思ったら、何かを学んで喜ばなくてはいけないんです。アハ体験は気付くことに喜んでドーパミンを出してほしいというもの。気付くということに対して、トレーニングする機会はないんです。答えが決まっていることを素早くやることも大事ですけど、それだけでは今の世の中はやっていけない。何か新しいことに気付くことがすごく大切なんです。脳はオープンエンド、一生学び続けるものですから」
〇今日の授業も、生徒の「アハ体験」をどうのように引き出せるか?楽しみです。
須藤昌英
2月25日(火)見方・考え方を身に付けることの重要性
〇1学年数学を担当していた宗形教諭が先週から産前休暇に入り、私が4クラスの数学の授業の一部を来月まで担当しています。ただし宗形教諭は授業で行う教科書の内容をすべて終えていますので、私は1学年の内容を復習や補強をするようなスタイルで授業を行っています。
〇最初の授業では、「算数と数学の違いは?」から入りました。小学校の算数は実生活を基盤とした具体的な数理(長さ、重さ、広さ・・・)、を対象としますが、数学はそこから余分な概念をあえて除きもっと抽象的な世界でイメージすることの違いがあります。
〇まず先週行われた「千葉県公立高等学校入学者選抜」の数学問題の最初を提示しました。これは1年の学習なので、配点は5点です。生徒は「え~」と驚いていました。この他に図形の問題でも1年生で解答できるものがありますので、「君たちも2年後には受検しますが、特に数学は学習内容を積み上げする特徴のある教科なので、コツコツと復習をして土台を固めることを心掛けてください」と話しました。
〇普段から人間は思い込みで生きています。「〇〇だから●●だ」と、自分の経験や人の意見を信じて物事を判断しています。ただ時々、「本当にそれでいいのか?他に考えはないのか?」を疑ってみることも大切です。数学は別の見方や考え方がないか・・と思考を広げることに楽しさがあるので、そのことも触れてみました。
〇また計算の決まりとして、乗除法は加減法よりも優先して計算をするという約束は知っていても、「どうしてそうしなければならないの?」と問われると、「どうしてだっけ?」になります。時々それも振り返ってみることで、計算の本質がつかめ、計算ミスも防げます。法則や規則の根底をつかめるようにしてもらいたいと思っています。
〇1時間を通して、「数学的な見方・考え方の重要性」にふれ、多角的・多面的な見方をするためには、「本当にこれは正しいのか?」「この他に方法はないのか・・・」などを常に自分に問いかけることを生徒達には伝えました。
〇数学だけでなく全ての教科にはそれぞれ特有の「見方・考え方」があり、授業の内容を学習することを通して、その「見方・考え方」を身に付けさせるようにすることが大切です。年月が経つと、やがて学習内容は剥がれ落ちていきますが、見方・考え方はいつまでも残り、その人の思考の基盤となります。
須藤昌英
2月21日(金)ヒトはなぜ、歩くのか?(その2)
〇昨日紹介した雑誌にもう一人、元陸上競技日本代表で現在は会社代表をしている為末大氏の「歩いていると、どんどん思考が深くなります」という記事も注目に値します。
〇為末氏は、男子400mハードルの日本記録保持者で、2001年世界選手権で日本人初の銅メダル、2005年ヘルシンキ世界選手権で銅メダルを獲得。 初めて日本人が世界大会トラック種目で2度メダルを獲得するという快挙を達成しています。このようなトップアスリートの考えは説得力があります。
〇また一部を引用させてもらいます。
「25年間のアスリート人生にピリオドを打ったのは、12年前。カラダを鈍らせないため、引退後はジムに通ったりランニングしたり。でも筋トレは性に合わず、ランでは現役時代に酷使した膝に痛みが生じがちでした。それで7.8年前くらいから歩き始めました。歩いているだけで思ったより太らないし楽しい。だったら歩きでいいかなと。ランとウォークでは体感的にエネルギー消費量gは数倍違うような感じがしますが、実際には30分走るのと1時間歩くのとではそんなに違わないんです。(略)現在のところ、一日の目標歩数は1万2千歩程度。都内なら目的地の2.3駅前で降り、散歩感覚で歩く。(略)僕は油断すると『そもそも○○とは何か?』と考えてしまうんです。その考えを巡らせている間はほとんど歩いています。歩いていると思考がどんどん深くなっていきますね。電車の中での移動中に本を読んで、そのまま電車を降りて歩きながら自分の頭で考えて、たどり着いたカフェで何かを書き始めるときれいなコンポ(組合せ)になります。思うに、脳内の接続みたいなものは脳の活動だけではつくりだすのは難しいんじゃないかと。基本的に人間は狩猟採集活動をすることで脳の接続を進化させてきました。だから身体活動で血流がよくなって異なる接続パターンが生まれたときに、ひらめきが得られると思うんです。
〇この記事を読む前から為末氏については、現役選手にもかかわらず知的なイメージがあり、引退後も身体に関する様々な本も書いたりYou-tubeでも多くの動画を投稿したりしていましたので、関心をもっていました。
〇特に上記の内容では、「思考と身体の関連性」について、特別な人だけの限られた感覚ではなく、誰でも身近に経験していることを書いているところに一番感心しました。これは昨日の青山学院大学の福岡教授と共通です。
〇2月5日のブログに、人間の脳は、「ボーッ」としている方が、何かを考えているときよりも多くのエネルギーを使っていて、そのデフォルト・モード・ネットワークが働いているときは、あらかじめ蓄えられた情報がそれぞれ結びつきやすくなり、新しいアイデアや発想が生まれやすくなる、つまり「創造性」に富む可能性があると書きました。これとも通じるものがあります。
〇私がこのブログで研究者などの話を引用する場合に、「人間の身体や宇宙の神秘みたいなことが多いのでは・・・?」と読んでお感じになっていられる方もいると思います。それはその通りで、私の一番の関心は常にそこにあります。
〇脳も含む人の身体はまだまだ不明瞭な部分が多く、これから解明されるだろうと思われるものもあります。例えば、「なんで手や足の指は5本なのか?」「どうして心臓の位置が少しだけ左寄りなのか?」など、まだまだあります。またそれは未知な宇宙を研究している方々のテーマと同じではないか?と思っています。
〇身体や宇宙の話からからいつも連想するのは、生徒たちの可能性の無限さです。自分が中学生くらいの頃、「将来自分はどんなことができるようになるのか・・」「でも今のままでは大したことはできないのではないか・・」などといつも期待と不安が入り混じっていました。
〇でも60年以上生きてきて今は生徒たちに、「大丈夫、あなたたちには自分でやろうと思ったことを実現するための力が、もうすでにその身体に潜んでいるからね」と自信をもって言ってあげられます。というか、そういうことを校長という立場ではなく、大人として伝えてあげなければいけない・・とさえ最近は感じます。
〇歩くこともその一つです。「歩くことなんてただの移動にすぎない・・」と私も若いころには割り切っていました。また思春期には時々部屋に閉じこもってあれこれと考えることも大切ですが、それに飽きたら思い切って外へ出て、自分の五感で感じたことを大切にしてもらいたいです。
須藤昌英
2月20日(木)ヒトはなぜ、歩くのか?(その1)
〇昨日までの千葉県公立高等学校入学者選抜で本校では、具合の悪い生徒などはおらず、全員無事に終えました。したがって追検査を受検する生徒もいません。結果は来月の4日です。良い結果を待ちます。
〇今日から来月の卒業式まで、20日間をきりました。3学年は来週から特別日課になります。生徒たちには3学年がそろって生活する残りの日々を大切にしてもらいたいです。
〇一年前のくらいの雑誌「Tarzan(ターザン)」に、生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一氏が、表題のテーマで随筆を投稿していました。その一部を引用させてもらいます。
〇まず副題が「誰に教えてもらわなくても、ヒトはあるとき歩き始める。実はそれは、生き物としてのとても希有で難しいアクト。大人になると我々は歩くことを億劫に感じてしまう。実はそれは、生き物としての在り方から遠ざかる行い。そもそも『歩く』という行為にどんな意味があるのか?」とあります。思わず内容に引きずり込まれてしまいました。
CHAPTER1(直立二足歩行の恩恵)
〇人間は生物の中でも非常に特殊な存在です。特殊性の一つは直立二足歩行をするということ。アライグマは立てますが一瞬ですし、鳥やかつて存在していた恐竜は二足歩行ですが体幹が前傾していて直立ではありません。重心が足の真上にあってすっくと立って歩けるのは人間だけなんです。
〇それ以前に比べて高いところから遠くを見渡せるようになり、獲物や敵をより早く見つけるようになりました。また手が使えるようになって、道具が扱えるようになり、同時に手をコミュニケーションの道具として使えるようになりました。肉親や友達などの手助けをし、これが他者と共存し共生する、利他的な行為になったと考えられます。
CHAPTER2(歩きこそ、動的平衡)
〇まず2本の脚で立つということが難しいんです。カラダの中を血液が循環していたり呼吸をすることで重心が常にゆらいでいるので、常にバランスを取り直さなければならないからです。この動きながらバランスを取ることが生きていることの本質、動的平衡です。
〇歩いて前に進むには一歩踏み出さなければならない。その結果、一本脚で立つ瞬間が生まれます。これは立つ以上に不安定な状況。でもあえて不安定な状態をつくり出すことによって、前に進む推進力を生み出す。そして不安定さを回収するために次の一歩を踏み出す。
CHAPTER3(生物の老いと、歩き)
〇「エントロピー増大」という宇宙の大原則があります。これは形あるものはいずれ必ず形がなくなる方向にしか動かない。(略)歩くという行為も同じです。元気なうちは脚を高く上げて大きな不安定さをつくり出せますが、歳を取ると筋力が衰えて、推進力も鈍くなります。
〇動物は常に新しい環境を求めて動き回ります。(略)ところが今は、インターネットやAIが何でも教えてくれる。自分自身が移動して新しい者を探索するのではなく、寝転んでネットを世界に触れられるので動いているという錯覚に陥ります。でもこれでは、エネルギー代謝も鈍るので、動的平衡の行為を放棄することになってしまいます。
最後に・・
〇脳は五感からさまざまな外部情報を取り込んで、それを交通整理する器官。予測不能な自然の中で感覚器官を全方位的に開いているときこそ、新しい思考が浮かんできます。歩こう。水辺を、公園を、森の中を。
〇いかかでしょうか?歩くという当たり前のことも、人類史上では多くの経緯があってのことだがわかります。私も意識して月に数度は、徒歩で出退勤をしています。自宅から学校へはたった2㎞(往復4㎞)ですが、朝や夕方に歩いていると、見慣れた風景でも新しい発見があって楽しくなります。自動的に様々な思いや新しい考えが整理されているような感覚を覚えます。
〇3年生との校長面接では、「何かを覚えたりするときに歩いたり口に出したりすると記憶に残りますよ」と数人にアドバイスしました。まさに福岡教授が指摘しているとおり、手足などの感覚を研ぎ澄ますことは、良い面が多くあります。人口知能AIは、自分の興味や関心などに関係なく多くの知識を蓄えていますが、ヒトは好きなことや知りたいことを徹底的に探究すれば良いので、その為には歩くのも有効です。
須藤昌英
2月19日(水)3学期期末テスト(1・2学年)
〇昨日の3年生の千葉県公立高校入学者選抜は、公共交通機関の遅れから、すべての高校で開始1時間遅れのスケジュールに急遽変更されました。ここまで大きなトラブルは私も経験した記憶がありません。
〇その後は無事に終わったようですが、引き続き今日も実施されます。それに合わせて、1・2年生は今年度最後の定期テストを昨日から受けています。
〇朝の登校時間にも参考書などを手に抱えている生徒も多く、意気込みが感じられます。中学生期は一生の中で一番、知識や技能を脳に蓄えたり身につけたりすることの出来きやすいので、今の自分(物忘れが徐々に多くなって)を考えるとうらやましい気がします。
〇前にも書きましたが、東大薬学部教授の池谷裕二氏よると、そもそも勉強は「復習」に主眼をおくべきで、覚えられる範囲をストレスなく覚えること、これが記憶の性質に適した学習方法です。比でいうと、『予習:学習:復習=0.5:1:4』が理想的だそうです。
〇池谷氏は、「脳の海馬という部位に入ってきた情報が溜まっている期間は、情報の種類によって異なりますが、短いと1か月程度です。海馬は情報を1か月かけて整理整頓し、『何が本当に必要な情報なのか』を選定しています。もし入ってきた情報を際限なく記憶していくと、脳のキャパシティーはいっぱいになり、パンクしてしまうということでしょう。」と指摘しています。
〇また心理学者ビネーは、「脳はインプット(入力)よりもアウトプット(出力)を重要視している」と示しているところから、復習の中でも手で書いたり口で話したりすること(アウトプット)で、海馬に「この情報はこれほど使用する機会が多いのか、ならば覚えねば・・」と判断させ、「短期記憶」から「長期記憶」に格上げさせることが有効な方法です。
〇つまり「詰込み型(ガツガツと一方的に覚える)」よりも「知識活用型(余裕をもって双方的に身体を使ってみる)」の方が効率的だということです。そのようなことから教科書や参考書を何度も見直すよりも、問題集などを何度も解く復習法の方が良いと言われています。
〇当然毎回の定期テストも「1つのアウトプットの機会」と考えられます。テストへ向けて準備をしてきたことを一気に押し出すように解答用紙に吐き出すイメージでしょうか。ただし私もそうでしたが、学習したことを正確にアウトプットするのも結構大変で、「失敗(不正解)」することも多々あります。
〇しかしまたその失敗が脳に強い刺激を与え、「あのとき失敗したからこそ今ではそのことをきちんと覚え理解できている」ということもあります。生徒たちの奮闘を期待します。
須藤昌英
【武道場前の紅梅は6分咲き】
2月18日(火)千葉県公立高等学校入学者選抜
〇いよいよ本日と明日、千葉県立及び柏市立高等学校の学力検査が行われます。昨日の給食の時間は、いつもよりもどことなく大人しく緊張感をもっていることを感じました。無事に自分の力を出し切れるように祈っています。
〇合同帰りの会を事前指導として体育館で行い、確認事項(時間、持ち物や身だしなみなど)に加え、「トラブル対応」も話しました。
【受検票を忘れた】
・あわてずに受付に『学校名、氏名、受検番号等』を申し出て相談する
・受検票は合格発表の際も必要なので、受検後も大切に保管する
【電車やバスを乗り間違えた】
・できるだけ公共交通機関を利用する(ただし感染症対策で車の場合は保護者判断)
・もし待ち合わせの相手がいてもその場所に時間とおりに来なければ、自分一人で予定通りに高校へ向かう
・もし間に合いそうになかったら、直接志望校に公衆電話等や近くのコンビニにお願いして連絡する
【体調不良(感染の疑い)】
・前日までに判明した場合には、富勢中に連絡する
・当日の場合には、直接志望校に連絡し、その後富勢中にも連絡する
・追検査(27日)を受けることになった場合、はやい回復を目指してしっかりと休養する
〇千葉県の入学者選抜の歴史をさかのぼると、今から38年前までは、一部の専門学科を除きすべての普通科では、1回のみ(2日間で行う学力検査等)でした。その後当時の文部省の通知で「受験機会については、同じ高等学校においても定員の一部を留保して、入学者選抜を2回にわたって実施するなど、受験生に複数の機会を与える工夫をすることが望ましい」とあったのを受けて、昭和61年度から平成14年度までは、「推薦」と「一般」に分かれ、徐々に募集定員に対する推薦枠を拡大(普通科で最大40%)していきました。
〇さらに平成15年度から22年度は、「推薦」に変わり「特色ある入学選抜」が導入され、生徒の多様な能力・適性等を多元的に評価するようになりました。そしてその理念を継承しつつ、3年前までは、「前期選抜(2月中旬)」と「後期選抜(2月下旬)」の2回行っていました。確かに受験生にとっては2回受けられるという精神的な安堵感や受験パターンを戦略的に構築できるなどのメリットはありました。
〇上記のような入学者選抜の推移をみると、単純に言えば今の制度は40年前に戻っているということですが、中学校の校長としては、「いつまでこのような選抜を行うのか・・、志願者はすべて入学させるような制度はいつになったら構築されるのか・・、少なくともそうなるための選抜方法の議論を不断に継続してほしい・・」などの疑問や要望があります。
〇学力検査(国語・社会・数学・理科・英語:マークシート解答)以外の検査については、各高等学校が決めて実施しています、いくつかを紹介します。
・面接(複数の面接官と受検生の個人面接や集団討論など)
・適性検査(作文・小論文を書く、運動・音楽の技能の検査など)
・自己表現(当日にパフォーマンスや実技等を行うなど)
・思考力を問う問題(論理的思考力や表現力などを問う内容)
〇公立高等学校を受検しない3年生は、1時間だけ登校しその後下校します。私立高等学校へ内定をもらっている生徒がほとんどですが、かれらも仲間の健闘を心から願っています。
〇過去には2月は雪の影響などで、受検会場に行くことを心配したことがありましたが、今日と明日はそれはないので、防寒対策をしっかりして、全力を出してほしいです。ガンバレ!126名!!
須藤昌英
【朝から良い梅の香りがただよい3年生を応援しています】
2月17日(月)令和7年度学校教育活動年間計画の作成
〇暖かい週末でした。あちこちで梅の花の香りがし、少し身体を動かすだけで、汗ばむようでした。1・2年生も定期試験前でしたので、自宅で準備をしていたようです。
〇ただまた今夜あたりから寒波がくるそうで、明日と明後日の公立高等学校の選抜試験に臨む3年生には、万全の体調を確保してもらいたいです。健闘を祈っています。
〇あと6週間あまりで、4月を迎えます。現時点で令和7年度当初の予定として、始業式は4月7日、入学式は4月10日(ただし中学校は午後)と決まっています。
〇これは柏市内の小中学校で統一です。同様に各学期の始業式・終業式、夏・冬・学年末の休業期間などはあらかじめ市教育委員会から通知されています。
〇その他の学校行事は、校長の責任の下に各学校で決定します。本校でも昨年末から検討を続け、来週の職員会議で最終的な案を決めていく予定です。
〇そもそも学校教育は、人間性豊かな生徒の育成をめざして、組織的・計画的に行われるものです。そのために、各学校では、適切な教育計画を作成し実施することが求められています。
〇教育計画の中でも、生徒の指導に直接かかわる「教育課程」は、教育活動の根幹をなすものです。その教育課程とは、「学校教育の目的や目標を達成するために必要な教育内容を、生徒の心身の発達に応じ、授業時数との関連において総合的に組織した学校の教育計画」です。
〇具体的には、各教科(9教科)、道徳科、外国語活動、総合的な学習(探究)の時間及び特別活動について、学年に応じて、その目標、内容、指導に充てる時間等を組織的に配列したものです。
〇教育課程の編成の基準である学習指導要領の総則(文部科学省発行)に、教育課程の編成の原則として、「各学校においては、学校の教育目標の具現化を図るために、さらなる創意工夫を加え、適切な教育課程を編成しなければならない」と記述があります。
〇視点を広げれば、よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を学校と社会とが共有し、それぞれの学校において、必要な教育内容をどのように学び、どのような資質・能力を身に付けられるようにするのかを明確にしながら、社会との連携・協働によりその実現を図っていくことが重要です。
〇学習指導要領では、教育課程全体を通して育成を目指す資質・能力を、ア「何を理解しているか、何ができるか(生きて働く「知識・技能」の習得)」、イ「理解していること・できることをどう使うか(未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力等」の育成)」、ウ「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性等」の涵養)」の三つの柱に整理するとともに、各教科等の目標や内容についても、この三つの柱で整理されています。
〇さらに、資質・能力の育成が実現されるよう、単元や題材など内容や時間のまとまりを見通しながら、生徒の主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を行うこと、その際、各教科等の「見方・考え方」を働かせ、各教科等の学習の過程を重視して充実を図ることが示されています。
〇先ほどの行事の実施日も大きな視点で 式行事(入学式、卒業式など)、学校行事(体育祭、合唱コンクール、定期試験、避難訓練、授業参観など)、旅行的行事(修学旅行、林間学校、校外学習)、生徒会行事(新入生歓迎会、3年生を送る会、生徒総会、生徒会選挙など)をバランスよく配置していきます。
〇ただし一度は決めたものでも、諸事情の変化から新年度がスタートしてからの予定の変更もこれまでありました。これはもちろんできるだけ少ない方がよいことは承知していますが、その場合にはできるだけ早めにお知らせをしていきますので、ご了承ください。
〇特に来年度の大きな変更点としては、これまで三学期制で実施してきたのを二学期制への変更を検討しています。前期と後期の入れ換えは10月初旬となる見込みですので、また正式に決まりましたらお知らせします。
須藤昌英
【作成中の令和7年度年間行事予定表:あくまでもイメージです】
2月14日(金)小惑星が地球に衝突する?と宇宙への憧れ(その2)
〇昨日の強風には閉口しました。乾燥しきった土埃がそこら中に舞い上がり、玄関や窓を閉めてもどこからか廊下や教室に入り込み、朝に清掃した意味がなくなるくらい汚れてしまいました。
〇また昨日は、窓拭き業者による清掃がありましたが、始まってすぐに業者の方が職員室に来て、「命の危険があるので、作業は後日に延期させてください」との申し出がありました。確かに4階まである校舎の窓を拭くのは、プロでも危険だと思います。
〇私も昨日は数回うがいをしたりいつもよりも入念に手洗いしたりしました。どこか喉がガラガラして目もいつもより乾燥気味でした。花粉症の生徒に声をかけると、「つらいです」と言っていました。受験生の体調が悪くならないように・・と願います。
〇その分今朝の校庭は穏やかで、いつもよりも多くの鳥の鳴き声が響いていました。春は近づいています。ただ今朝の清掃の時間は、いつもより生徒たちに頑張ってきれいにしてもらわないといけません。
【昨日の小惑星(隕石)については、まだ書きたいことがありますが、この先はやたら長いので、興味のない方は読み飛ばしてもらってけっこうです。】
〇45年前くらいの高校生くらいの時に、もう一つの興味深い学説を知りました。それは「地球の生命の起源は、隕石によってもたらされた」という仮説です。
〇その説によると「誕生してしばらく経った頃の地球に存在していたのは水、アンモニア、二酸化炭素などの無機化合物ばかりで、生命の元となるアミノ酸やDNA、RNAを構成する核酸塩基などの有機物は無かった。それが隕石が地球に衝突したことで、それらの元素がもたらされた」というから驚きです。
〇もしこの地球外の宇宙から我々生物の起源がもたらされた説が正しいのであれば、そもそも私たちは「地球人」というよりも「宇宙人」だということになります。高校生の私は常識を疑うことをこのことから教わりました。
〇その話とも関連しますが、宇宙を考える一つの材料として、「地球カレンダー」というのがよく知られています。簡単に言えば、地球の約四十六億年におよぶ歴史を一月一日から始まる一年(365日)に見立てたものです。
〇地球ができて一億年が経った頃、地球カレンダーでいうと一月十二日に月と地球が分かれたというのが宇宙学会では定説のようです。原因は大きな隕石が地球に衝突したからで、この時にまっすぐに垂直だった地軸が23.4度斜めにずれたそうです。そのおかげで今の春夏秋冬の四季が生まれたのです。
〇ここではなぜ地軸がずれると四季ができるのかを説明しませんが、丁寧にその理由をたどると、「なるほど!」と納得できます。
〇四十一億年前、地球カレンダーの二月九日に水ができたそうです。三十八億年前、地球カレンダーの二月二十五日、最初の生命(微生物)が生まれました。二十七億年前、五月三十一日で酸素ができました。
〇酸素というと体に必要なものと思いますが、もともとは有害な毒でした。シアノバクテリアという微生物が水を分解して酸素を出し、この酸素が大量に発生したことによって、シアノバクテリア自身も死んでしまったようです。
〇自分で出したものが、自分に降りかかってきたということは、ただいま人間がたくさんのプラスティックなど生み出して使っていますが、それによって環境や人体に悪い影響を与えているのと同じようだなと感じます。
〇二十四億年前、六月二十四日、マイナス五十度という氷河期だったのでそうです。二十一億年前にあたる七月十日に細胞に核を持つ真核生物が誕生し、これによって生命に多様性が生まれたそうです。
〇十一億年前にあたる九月二十七日、多細胞生物が生まれました。六億年前にあたる十一月十四日、オゾン層が形成されて、この厚さわずか3mmのオゾン層によって有毒な紫外線を遮ってくれるようになりました。
〇五億年前にあたる十一月二十日、生物が多様化して魚類が現われ、四億二千万年前、十一月二十八日頃、魚類から両生類に別れて陸にあがるようになりました。
〇受精卵が胎内に宿って一月ほどたつと、受精卵が魚類から両生類、は虫類、哺乳類へと進化を遂げてゆくので、出産前のつわりが起きる頃というのは、海から陸にあがるときだという話は知っていましたが、深い話です。
〇三億年前の十二月三日昆虫が現れ、二億五千年前の十二月十三日、恐竜の時代になりました。また最古の哺乳類はネズミのような小さいものだったそうです。恐竜に襲われないように、夜行性になっていたそうです。今も哺乳類の七十%は夜行性とか、人間にも夜行性があるのは、この頃の名残りなのでしょうか。
〇十二月二十六日に鳥類が出て、十二月二十七日あたりから哺乳類が繁栄しました。四百万年前、十二月三十一日午後四時になって、ようやくアウストラロピテクスが現われました。今の人、ホモサピエンスは午後十一時四十分頃なのだそうです。
〇午後十一時五十八分五十二秒から農耕牧畜が始まったそうです。五十九分三十秒になって世界の多くの宗教が始まりました。五十九分五十八秒で産業革命、地球カレンダーではたった二秒でこれだけの産業を発達させたといえます。
〇人生百年といっても地球の歴史では、たったの0.2秒なのだそうです。ただし地球誕生の前の宇宙創始は、今から百三十八億年前ですので、さらにその上をいく壮大さです。
〇強風がたった一日吹いただけでも右往左往している我々も、もう少し視点をあげていく必要がある?と感じます。
須藤昌英
【誕生から46億年経った地球】
2月13日(木)小惑星が地球に衝突する?と宇宙への憧れ(その1)
〇昨夜は満月が一晩中空で輝いていました。地球から見たとき、月と太陽が正反対の方向にあると満月になりますので、満月は夕方太陽が西に沈むのと入れ替わりに東の空に昇ります。一番身近に宇宙を感じる場合です。
〇最近ちょっと怖いですが、宇宙のイメージが一気に広がるニュースを聞きました。その見出しが「新発見の小惑星、地球衝突の可能性が『2.2%』に上昇と欧州宇宙機関が発表」でした。
〇去年末に発見された小惑星が、「現時点で7年後に2.2%の確率で地球に衝突するおそれがある」と推定され、今後も注意深く観測を続けるそうです。
〇この小惑星の直径は40メートルから90メートルとみられ、2032年12月22日に2.2%の確率で地球に衝突する可能性があるということです。
〇常に欧州宇宙機関では、地球に近づく可能性がある1700以上の小惑星を追跡しリストにしていて、今回の小惑星は、現時点で潜在的な衝突の可能性がもっとも高くなっているそうなのです。
〇この大きさの小惑星は数千年に1度の割合で地球に衝突していて、衝突した場合、地域に深刻な被害を与えるおそれがあるということです。想像すると恐ろしいです。
〇2022年に「NASA=アメリカ航空宇宙局」が小惑星などが仮に地球に衝突すれば大きな被害が出るおそれがあるため、小惑星に探査機を衝突させ、軌道を変える実験を行ったニュースの時も、私は「そんな時代になったのか」と衝撃を受けました。
〇小惑星(隕石)と聞くと、中学生くらいの頃、過去に繁栄していた恐竜が絶命した最有力な原因として、「隕石衝突説」があるのを知りました。私は恐竜が大好きとまではいきませんでしたが、今繁栄している人間も、「もしかしたら恐竜と同じ運命に・・」と当時はけっこう真剣に考えたのを覚えています。
〇近年の学術誌によると、ティラノサウルスやトリケラトプスの恐竜、翼竜や海竜などの爬虫類を絶滅させた隕石は、6600万年前に木星の向こう側からやってきて、直径10キロを超える大きさだったとされています。
〇この巨大な岩の塊はもともと地球の近くを周回していたのではなく、太陽系をはるばると旅してきた後、地球に衝突したというからスケールの大きな話です。
〇その巨大クレーターは、現在のメキシコ沿岸の海底にあるそうで、衝撃時には大規模な灼熱の波が発生し、何千年も続く冷たい冬が訪れ、そのせいで恐竜を含む既知の生物の70%超が絶滅したことが判明しています。
〇ただし恐竜などはこの時にほとんどが絶滅しましたが、恐竜の一つのグループである鳥類は生き延びていること、そして今も繁栄を続けていることも注目すべき点だと私は思います。「その生死の違いを分けたものはなんだったのか?」を想像することも楽しいです。
〇地上で生活していると、この地球が宇宙にポカリと浮かんでいることはほとんど実感としてありませんが、隕石が衝突するということは、間違いなくそれが事実であるという裏付けになります。
〇また常に地球が太陽の周りを公転しつつ自転していることは知っていても、地球が実際に宇宙空間を時速11万キロメートルというものすごい速さで動いていることは容易に想像することは難しいです。
〇ただこ確かに宇宙に関する知識をもつことも大切ですが、それ以上に宇宙の雄大さ、美しさ、神秘性を感じることができれば、少なくとも日常の些細な出来事など気にしなくなります。
〇結局、宇宙や自然は決して人間のために存在しているわけではなく、人間がその空間を「間借り」して生きているだけなのでしょう。
〇ある方が興味深いことを教えてくれました。私たちが空を仰いで宇宙だと思って見えている星空というのは、宇宙の3%程度で、残りの97%はわかっていないそうです。
〇この97%と3%の割合は体内でも共通らしく、六十兆あると言われる細胞のことも97%とはくわしくわかっていないのだそうです。また脳も全能力の3%しか使っていないというのです。不思議です。
〇近くの筑波研究学園都市には、宇宙開発の最先端を学ぶにふさわしい宇宙航空研究開発機構(JAXA)筑波宇宙センターがあります。ホームページには臨時展示室の見学予約サイトもあり、1度行きたいと思ってきましたが、まだ実現していません。
〇また中学生の中には、宇宙が大好きで将来はロケットの開発や宇宙飛行士に憧れている子がいます。未知なることへの興味とそれを探究したいという意欲は応援したいものです。
須藤昌英
【筑波宇宙センター】
2月12日(水)社会に対して個人ができる小さな貢献
〇昨日の午後、柏献血センター(柏駅東口徒歩2分)で400mlの献血をしてきました。1回で400mlをすると、最低でも12週以上は間隔をあけないと次の献血はできませんので、多くても年間3回が限度です。終わってから次の予約は5月6日としました。
〇私は成人過ぎくらいから気が向いたら程度で献血をしていましたが、定期的にするようになったのは、今から17年くらい前、勤務していた小学校の児童がある病気で緊急で多くの献血が必要となり、学校職員や保護者に献血の協力依頼があったのがきっかけです。
〇当時私は残念ながら事前の血液検査で必要な血の条件が合わなかったので、献血できませんでしたが、多くの人が自ら申し出ていました。そのことであらためて世の中には血を必要としている人が身近にいることを再認識しました。
〇以前は予約していても忙しいと忘れてしまうこともありましたが、最近はスマホで献血日を予約したり丁寧に前日と当日に予約内容を教えてくれたりするので、忘れることはありません。ただあと1年で紙の献血手帳も発行されなり、その後はアプリだけになるそうです。デジタルは便利ですが、少しさびしい気もします。
〇日本赤十字社のHP をみてみると、
「国内には、輸血を必要とする人が年間約100万人いると言われ、集められた血液の80%以上は、がんや白血病、再生不良性貧血などの病気と闘う人のために使われています。血液は人間の生命を維持するために必要な成分であり、体から一定量が失われると命に関わります。また、血液の持つ機能が正常に働かなくなると病気になったりします。このような患者さんを救うために輸血が必要となるのです。しかし、科学が進歩した現代でも血液は人工的に造ることができません。また、血液は生きた細胞であるため、長期間保存することができませ。患者さんに安定的に血液を届けるために、健康な皆さんの献血へのご協力が毎日たくさん必要なのです。病気やけがで輸血が必要となってしまうことは、皆さんが思っている以上に身近におこることです。輸血によって命をつなぐ人がいます・・・輸血によって笑顔を取り戻す人がいます・・・このような病気やけがと闘う人たちを救えるのは、献血ができる健康な皆さんだけなのです。」とあります。
〇特に、「科学が進歩した現代でも血液は人工的に造ることができません。」というところがいつも心に残っています。ここまで科学が発達すると人間はなんでもできるというような錯覚に陥りがちですが、これを読むたびに「まだ不思議なことだらけだな・・」と感じます。
〇200ml献血は、男女ともに満16歳以上からできますので、中学校3年生もはやければ今年から可能になります。また血漿(けっしょう)や血小板だけを取り出す成分献血という選択肢もあります。最初は少し怖いかもしれませんが、チャンスがあったら一回チャレンジしてもらいたいです。
〇少し前までの新型コロナの影響で、以前よりも10代~20代前半の献血ご協力者が激減していました。その解消の手立てとして、「善意などの社会規範に頼るのではなく、献血者に何らかの報酬を支払うことはできないのか」という議論もかつてはあったと聞きます。確かにそうなると協力者は増えるかもしれませんが、「血を売る」のようなマイナスのイメージが広がったりする可能性も否めません。難しい判断です。
〇献血者には、一般企業(飲料物、製菓、製紙、洗剤、医療、電機などの会社)からの寄付による品物が献血後に配付されています。私も待合室で好きな飲み物や菓子を無料で飲食させてもらったり、帰る時にはウエットティッシュ、マスク、消毒液、歯磨材、食器用洗剤などの実用品をもらったりしています。これは企業が社会貢献として献血をバックアップしてくれているということです。
〇正月に「はたらく細胞」という映画を観て、あらためて血液の重要性が腑に落ちましたので、今回は今までよりも充実感?があった気がします。献血の年齢制限は69歳までとなっています。私のできる個人的な社会貢献として、年間3回としてもあと7年で20回程度しかできません。そのためにも健康を維持していこうと思います。
須藤昌英
【柏献血センターの待合室】
2月10日(月)新入生保護者説明会&第55回柏っ子造形展
〇7日に来年度入学予定の保護者の皆様に向けての説明会を行いました。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。疑問点などがありましたら、学校にお問い合わせください。
〇4月からのお子様のご入学を職員一同、お待ちしています。
〇柏市教育委員会の主催で、市内の小中学校の児童生徒の作品を展示する3つの展示会があります。9月に科学展、11月に技術・家庭科作品展、そして先週末は美術科の作品(柏っ子造形展)がさわやかちば県民プラザの回廊ギャラリーでありました。
〇学年ごとに出品した作品が異なっています。どの作品も個性が豊かで、創作した生徒の気持ちがよく表現されていると思いました。
【3学年】
石黒音羽さん「私の自伝×ONE PIECE」 染谷倖心郎さん「かっとばせ!!おにぎりくん」 向井晴香さん「もしもの未来」 宮前唯花さん「弟と私」 浦尾心美さん「my teeth」 杉﨑遥衣さん「夢を叶えるまで」 畔田江菜さん「自伝!!私とピアノ」 平塚美笑さん「MY STORY」 千葉月乃さん「道」 當麻日琉さん「自伝」
【2学年】
周 冉さん「2人の私」 成田千咲さん「冬の空」 櫻井唯菜さん「春と秋のコーディネート」 筒井杏子さん「TTシャツ」 大峠舞奈さん「Sunpatience Outfit」 中村 雅さん「超きっと大丈夫になれるTシャツ」 岩屋ケ野響さん「努力は必ず報われる」 宮原萌奈さん「いつも笑顔で」 平林穂乃佳さん「自分自身」 宮下るかさん「叶った夢」
【1学年】
重松聖菜さん「音楽の世界」 清水咲希さん「氷の城壁」 菊地 奏さん「星のカービィ 鏡の大迷宮」 黒川蒼太さん「ワンピース ロロノア・ゾロ」 大須賀香穂さん「Paradox Live 犬飼 憂人」 笹嶋美亜さん「ONE PIECE ルフィ」 木本乃愛さん「初音ミク」 武藤大雅さん「#7 クリスティアーノ・ロナウド」
〇本校だけではなく、さすがにどの小中学校の作品も素晴らしかったです。ちょっとした美術館のようでした。
須藤昌英
2月7日(金)梅の開花と合格祈願
〇昨夕、千葉県公立高等学校入学者選抜における各高等学校別の志願倍率が発表されました。これにより1回に限り、志願の変更(志望校を変える、同じ高校内の志願学科を変える)の手続きをすることができます。手続き日は、2月12日、13日(ただし午後4時まで)です。
〇今日から本人と家族の意向を受け、担任と3学年職員は志願変更の手続きの準備に入ります。前にも書きましたが、私の経験からもこれは無暗に行わず、慎重に考える必要があります、理由として志願変更は「チャンスとリスクの両面」があり、場合によっては本人に心の動揺が残ることも過去にはありました。
〇手続きは本人とご家庭にしてもらいますが、少し複雑なので注意が必要です。まずすでに出願している高等学校へ行き、書類を引き取ります。次にインターネットによって新たに出願する高等学校へアクセスし手続きします。最後に中学校が作成した書類を新たに出願する高等学校へ出向き、提出して完了です。
〇昨日の朝、保健室前の梅が一輪咲いているのを発見しました。ここ数日間、つぼみが膨らんでいたので観察していましたので、見つけた時の喜びが大きく感じられました。冷たい風の中、日差しをたっぷりと浴びてどこか誇らしく咲いています。
〇梅は桜とよく比べられますが、梅の方が開花時期がはやく、「寒さを耐え忍んで咲く」というイメージがあります。厳しい状況でも美しく咲くので、つつましくても昔から人々の思いが寄せられてきたのだと思います。事実、平安時代には梅に関する多くの和歌が詠まれました。
〇特に有名なのが、学問の神様と言われる菅原道真(845年~903年:平安時代の公卿・漢学者・文人)が詠んだ
「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)」です。この和歌は、菅原道真がいいがかりともいえる罪をきせられ、九州の太宰府へ左遷される際、大事にしていた梅の木を前にして心をよせるように詠んだ作品だと、中学校の国語の時間で習い、当時に暗唱して覚えたので、今でも強く印象に残っています。
〇おおよその意訳としては、「春風が吹いたら、お前の匂いを(京から太宰府まで)送っておくれよ、かわいい梅の花。私(主人の菅原道真)がいないからといって、春を忘れてはならないぞ」くらいでしょうか?「東風(こち)」がなぜ春風のことであるのかは、少し調べましたら中国の自然哲学「五行説」からきているそうです。春という季節は、東の方角と関係が深く、同様に「東南西北」が「春夏秋冬」にあたるそうです。
〇菅原道真は天才的な学問の大家で人柄もやさしく、多くの人々から尊敬されていましたが、当時の政権幹部からその名声を疎まれ、あらぬ罪で左遷されました。本人には政治的な意図はなかったとされますが、京の都で学問を究めるという本懐を果たせず、さぞ悔しい思いをしたことでしょう。
〇その大宰府での生活は大変きびしくみじめで、気候や風土が変わったためもあり、最後は体調をこわし、都に残した妻子にも会えず、一説によると西暦903年2月に59才で亡くなったそうです。今から1120年前の2月です。
〇その後、京都では雷が落ちて火災がしきりに起こったり、伝染病がはやったりとよくないことがつづいたので、人々は菅原道真の霊がこのようなたたりをしているのではないかといっておそれたという話はとても有名です。
〇昨年の修学旅行でも、何クラスかは3日目に、京都の北野天満宮(菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社)に受験祈願供養で参拝しています。個人の参拝ですとお守りが多いですが、団体での参拝でしたので、学業成就の札をいただいてきました。
〇学問の神様の菅原道真公と比べることはおこがましいですが、私も校長として生徒の「学び続ける姿」をかげながら応援しています。特に再来週の公立高校受検には、3年生全員が自分の力を出し切れるようにと願っています。
〇合格することをよく「桜咲く」と言いますが、梅は可憐な花が咲いてその香りに特徴がありますので、「梅香る」がぴったりだと思っています。そういうことで、今年の梅の花はいっそう奇麗に咲いてほしいです。
須藤昌英
【北野天満宮勧学守護札】
2月6日(木)自己承認欲求(「いいね!」の功罪)
〇人間が社会の中で生きていく際には、様々なことに葛藤したり悩んだりしながら、理想を求めて日々過ごしています。その背景の一つとして、アメリカの心理学者マズローが提案した「欲求5段階説」があります。これは、人間の欲求を5段階のピラミッドに分けて考える古典的心理学理論です。
〇その中でも上から2番目の欲求である「承認欲求」は、誰もが持つ本能的な欲求であるとされています。「自分を良く見せたい、周りからよく見られたい」という劣等感に近い感情(自己肯定感の低さ)は、自己承認欲求と位置付けらます。
〇この「校長雑感ブログ」にも下欄に「いいね」の機能がついています。私としては「なくてもいいかな?」と思っていますが、何となく設定を削除をせずにホームページのフォーマットをそのままにしています。
〇ただ実際に「いいね」があると、全く気にしないというわけにはいかないのが人情です。上述のように私たちは誰しも「誰かに認められたい、受け入れられたい」と思う気持ちを持っていますので、その心理が無意識に働くのだと思います。
〇その「いいね」という機能について、功罪(または長所と短所)があるとも感じます。生徒たちも様々なSNSを使って情報発信をすることが当たり前になっている中で、一喜一憂しているという例も多く聞いています。
〇功(長所)の面からは、まず「人との共感性の見える化」が挙げられます。自分の意見や価値観に共感してくれた人数がわかれば、確かに悪い気はしません。しかも、その相手が目の前にいなくてもいつでも「いいね」がもらえ、満足感などを得ることができるのが「いいね」だとも言えます。
〇また前述の「承認欲求の充足」が挙げられます。特に中学生など思春期の若者は、自分の意見や価値観に自信がなかったり他人との比較を重要視することが多かったりします。そこで「いいね」は自分の考えを肯定してくれ、社会から認められているという感覚を与えてくれます。
〇さらに「所属感の獲得」が挙げられます。「いいね」は不特定多数の他人からの賞賛の声や同意の証として機能します。この「いいね」をもらえる機会が増えると、それだけ社会集団の一員として帰属意識が芽生えます。要するに、自分にとっての居場所が確保できたと受け止めやすい状況が作れるのです 。
〇一方で、今度はSNSの「いいね」が現代の人間心理に与えた罪(短所)については、段々と「もっと認めてほしい」などの依存性が出てくることがあります。これは心理学では「強化」と呼ばれています。依存性からさらに中毒性にまですすんでしまうと、治療が必要にもなるそうです。
〇厄介なのは、もっと「いいね」がもらえるように発信の回数が極度に増えたり、内容も「受け」を狙うようになり真実や自分の本当の気持ちからも乖離したことを発信するようになったりします。つまり、心の中が「いいね」に支配されてしまい、「いいね」がないと不安になったり焦ったりします。
〇さらにSNSを確認する回数や時間が増えると、画面を注視して視力の低下や頭を少し前へ傾き続ける姿勢が続くなど身体への影響が免れません。時には心身の不調を覚え、日常生活を送ることにも支障が出る場合もあります。
〇また「喪失感や空虚感を抱きやすい」面が出てきても、自分では実感が湧きにくく気が付かないという特徴があります。最初が「いいね」がもらえて単純に喜んでいたのに、次第にその嬉しさや楽しさが減り、虚しさや悲しさを感じやすくなります。これは「いいね」を追い求めた反動・リスクとしてのネガティブな感情の生起で、注意が必要です。
〇これを書きながら「大人も同じようなところは少なからずあるなあ・・・」と感じました。昨日の「デフォルト・モード・ネットワーク(ぼんやりとした脳の状態)」とも関連しますが、自分の欲求を把握してある程度コントロールできるようになればいいな・・と感じます。
須藤昌英
2月5日(水)無駄な時間はない!?「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」
〇人は時として時間をもてあまし、何もしないで一日ボーッと過ごすということがあります。いわゆるコスパ・タイパ・スぺパなどの効率を優先する傾向の現代では、これを「時間の無駄」と切り捨てる風潮が強い気がします。
〇しかしその一方で、人が生涯にわたって学び続ける上には、この「無駄」と思われることが、脳科学の分野での研究がすすんだことにより、案外意味があるということがわかってきています。
〇それが「デフォルト・モード・ネットワーク(Default Mode Network)」という脳の状態で、端的にいうと、ぼんやりした状態の脳が行なっている神経活動のことです。
〇ある一つのことに集中したり注意が払われたりするのではなく、ただぼんやりとしてあれやこれやと雑念している時や睡眠中の脳が示す神経活動のパターンのようです。
〇これは車で例えられるとわかりやすいです。デフォルト・モード・ネットワークは、車のエンジンのスイッチはONになっていても実際には走行していない時の「アイドリング状態」です。車を運転しない方でも信号待ちの車のエンジンをイメージするとわかると思います。
〇日常生活の中で、人が何も考えずにボーッと散歩しているとき、一息つくために好きな飲み物を飲んでいるとき、身体がリラックスした状態で入浴をしているときなどに、デフォルト・モード・ネットワークは活発化しています。
〇脳神経外科医の奥村歩氏によると、脳は以下のプロセスで情報を処理しているのだそうです。
1 入力(インプット):五感を通して情報を収集する
2 整理:(DMN)入力した情報を取捨選択する
3 出力(アウトプット):言葉や行動として表す
〇デフォルト・モード・ネットワークが重要になるのは、2番目の「整理」段階で、この状態で自分の過去の経験や記憶を整理・統合したり、これから起きる出来事にどう対応したりするかを想定しています。
〇逆にデフォルト・モード・ネットワークの働きが弱いと、脳内で情報が整理されず、物が散乱した机上のような「脳過労」状態になり、インプットした情報が脳に定着しづらくなったり、脳の活動自体が低下してスムーズなアウトプットにつながらなかったりするといった恐れがあるそうです。
〇散らかった部屋を掃除すると自然と気分が爽快になります。同じく脳内にやたらにたまった情報をスッキリと片づけ、脳疲労を防ぐためにも、デフォルト・モード・ネットワークをオンにすることは重要です。
〇一番注目したいのは、デフォルト・モード・ネットワークの働きは「創造性」と関係しているらしいことです。これが活発になるとあらかじめ蓄えられた情報がそれぞれ結びつきやすくなり、新しいアイデアや発想が生まれやすくなります。
〇私も先ほどのように散歩や自転車に乗っているとリラックスして過ごす時間に、フッと「そうだ!あれをやってみよう!!」などの思い付きがあります。ただすぐにメモなどをしておかないと、後で容易に思い出せないこともあります。
〇早速このアイデアを実行に移してみるとどこか楽しく、たとえ予想通りの結果が得られなくても、「次はこうやってみようか」などのチャレンジする意欲につながっていることが多いです。
〇ただデフォルト・モード・ネットワークが活発化していると、脳内では通常時よりも数倍以上のエネルギーを必要としているそうです。つまり「ボーッ」としている方が、何かを考えているときよりもエネルギーを使っていることになり、意外な感じがします。
〇少し時間があると、大人も子どもスマホとにらめっこして、ボーッとする時間が少ないようです。残念ながら暇をしていてもスマホを操作している時には、脳内が整理されるのではなく、逆に情報が入ってきて散らかしていることになってしまいます。
〇もしご家庭でお子様が何もせずボーッとしていても、もしかしたら脳はその子に新しいアイデアを用意してくれているかもしれません。今度はぜひ「どう何か思いついた?」のような声掛けをしてみてください。
須藤昌英
2月4日(火)千葉県公立高等学校入学者選抜にかかる出願
〇本日から3日間(ただし6日は午前中のみ)、千葉県立及び柏市立柏高等学校の出願に係る手続き期間となります。今年から生徒本人が事前にWEB上の出願登録サイトでの受付を完了させ、それを中学校が確認した後、志望先の高等学校へ調査書等の必要書類を郵送するかたちに変わりました。
〇基本的に公立高等学校へ出願できる条件は、「県の内外を問わず、他の公立高等学校を出願していないこと」です。以前は入学願書にそのことを校長が証明する欄がありましたが、改定後は調査書の下欄に、「本書の記載に誤りのないこと及び貴校に応募する資格のあることを証明する」とあり、それに私がすべて校長印を捺印しています。
〇出願する高等学校の所在地は、柏市9校、我孫子市2校、鎌ヶ谷市1校、流山市4校、野田市2校、松戸市6校と広域になります。以前ですと本人が朝、学校で出願書類を受け取り、志願先の高等学校へ徒歩や公共交通機関等を使って行き、直接出願していました。それは学力検査等の当日の下見を兼ねるねらいもありましたが、今回は郵送ですので、本番までに再度経路を確認するように、学年職員が指導しています。
〇出願期間が終わる6日の夕方または7日金曜日に、ネットや新聞等で志願倍率が発表されます。その倍率を参考にし、1回に限り、志願の変更の手続きをすることができます(2月12日、13日)。ただしこれは無暗に行うと返って本人に心の動揺(変更することにはチャンスとリスクの両面がある)が残ることも過去にはありましたので、慎重に行わなければなりません。
〇この2つの手続きが終わったら、あとは18日と19日の学力検査等の当日になります。生徒のみなさんには、「最後は自分のやってきたことを信じて」と言ってあげたい気持ちです。不安を感じない人など一人もいませんので、自分だけが不安だと思わないでほしいと昨年の校長面接でも何人かには伝えました。
〇私も昔に受験した経験から思い出すことは、他の学校から出願した人見知らぬ人は皆、「自分よりも出来そうだ」とか「自信がありそうだ」などと思えます。しかしその人たちもすべて同じような気持ちでいます。できればたまたま同じ学校を受検した人は、「ライバル」というよりは「同志」だと思って、「お互い頑張ろう」くらいの気持ちでいる方が、気が楽になると今は思います。
〇本番直前にあえてこれまでの生活スタイルを変えるのはあまり好ましいことではありません。直前まで踏ん張って準備したい気持ちはわかりますが、最後の追い込みとして深夜まで勉強をしようとするのはやめた方が無難です。これも自分の経験ですが、そのことが果たして自分にあっているのか否かと思いあぐんだり、寝不足になったりと精神的・身体的負担がかかります。新しいことをする気持ちをあえて抑えて、今までの生活リズムを貫いていった方が良いと思います。
〇中学校の教員には、『十五(歳)の春は泣かせない』いう言葉が先輩の先生方から伝わってきています。義務教育9年間を終え、新たな進路先を自分で選ぼうとしている3年生。合否の結果は我々にはどうすることもできませんが、本人が努力してきた力を精一杯出し切れるように祈るしかありません。
〇学校(すべての在校生・教職員)をあげて3年生の健闘を祈っています。
須藤昌英
2月3日(月)節分と立春
〇昨日は「節分」で今日は「立春」です。昨日は雪が心配されましたが、この冬はここまで例年よりも暖かい気がします。ただ今週は寒さが予報されていますが、「立春」と聞くとますます春が近づく気がします。
〇今日の給食メニューは、節分にちなんで、「ご飯、鰯フライ、磯香和え、すまし汁、入り大豆」です。昔は家庭でも鰯の頭を焼いて柊の枝で刺した「柊鰯(ひいらぎいわし)」を家の玄関などに飾る風習があった記憶があります。
〇鬼が家に入ろうとした時に、鰯を焼いた強烈な臭いで驚かせ、柊の棘で鬼を刺し追い払うための魔除けの儀式だと親から教わりました。今は恵方巻と呼ばれる巻物などがスーパーで大量に陳列され、良い方角を向いて食べることが浸透しているようです。
〇また年齢の数だけ豆を食べることも風習としてあります。大豆は良質なたんぱく質ですから身体に良いとわかっていても、さすがに私も数え歳の63個は食べられませんでした。
【節分給食】
〇「節分」はその名の通り季節を分ける意味で、立春の他にも立夏、立秋、立冬の前の日はすべて「節分」の日です。つまり「節分」は年4回あります。その中でも特に春は新年の始まりでもあることや希望をもつという意味合いから、一説によると室町時代以降、特に春の節分が重視されるようになり、一般的に「節分」というと立春の前日を指すようになったそうです。
〇節分の日は太陽暦のカレンダーにおける大晦日にあたるそうです。この時期には中国などで、「春節」としてお祝いを盛大にするのをニュースでよく見かけます。私の自宅の近くにも中国の方がお住まいで、この時期は中国に帰っていることも多く、会うと楽しそうにその様子を話してくれます。
〇節分の日は新年を迎えるにあたり、鬼を退治するために豆が使用されます。昔はどの家庭でも豆まきを行っていました。一説によると、「魔(ま)を滅(めっ)する」という語呂合わせから「まめ」をまくようになったようです。
〇また日常でも「まめによく動く」などで使われるように、「まめ」という言葉には「体が丈夫で気が利く」という意味もあり、節分に使われる豆は「福豆」と呼ばれ縁起が良いものとされています。千葉県などは特産の殻付きの落花生を使うところもあると聞いたことがあります。
〇ではその鬼とは何を象徴しているのでしょうか?よく言われるのが、自分の心の汚い部分や弱い部分です。自分だけが得や楽をしようとしたり、相手を貶めたり意地悪をしたりする人は、少し反省することも必要でしょう。
〇誰しも「心の弱さ」はありますので、それから目をそらさずに、気づいたことはためらわずに、自分に取り入れていくことが「学び続ける」ことだと思います。自分の行動面で、普段からだらだら過ごしたり、なまけ心に勝てなかったりすることなども一つの鬼と捉えられるかもしれません。いずれにせよ自分を制御(コントロール)できるか否か、誰にとっても一生涯の課題とも言えます。
〇豆まきの時には一般的に「鬼は外、福は内」と言いながら豆を投げますが、これはご存じの通り、鬼(厄や邪気)は家の外へ、福(幸運や福の神)は家の中へどうぞ、という意味が込められています。鬼も「赤鬼は貪欲、欲望、渇望」の象徴で、「青鬼は瞋恚、悪意、憎しみ、怒り」を表しているそうです。自分自身の悪い心に豆をぶつけることで、福徳に恵まれることを信じて行われてきたのでしょう。
〇中学校では豆まきはしませんが、昨晩自宅で3歳の孫娘に「赤鬼さんやって!」と頼まれても、億劫がらずにやってあげられるのは、年齢を重ねたからかもしれません。
須藤昌英
1月31日(金)学校の長年の重い課題の一つ
〇最近もファストフード店や駅などの誰もが使用する施設で、刃物を使って人に切りつける事件が後をたちません。刺されて亡くなった中学生や大人も「まさか・・」という思いだったことだろうと思います。
〇今から24年前の平成13年6月8日(金)午前10時過ぎころ、大阪教育大学教育学部附属池田小学校に、出刃包丁を持った不審者が自動車専用門から校内に侵入し、校舎1階にある第2学年と第1学年の教室等において、児童や教員23名を殺傷した事件がありました。
〇犠牲者となった8名(1年男子児童1名、2年女子児童7名)と負傷者15名(児童13名【男子5名、女子8名】、教員2名)を知った時の衝撃は、今でも忘れることができません。犯罪史上、類を見ないこの痛ましい事件は社会全体に衝撃を与え、犯人は平成16年に極刑となりました。
〇私はその後、その犯人が公判で語った言葉を記録を読んで知り、身が引き締まる思いをしました。それは「もし門が閉まっていたら、乗り越えてまで入ろうとは思わなかった」でした。その言葉が犯人の本心だとすれば、各学校は常に複数ある門を閉ざしておかなければならず、そのためには門を常に監視したり警備員を配置したりしなければならなくなります。
〇文部科学省が作成した「学校の危機管理マニュアル」には、日頃からの不審者対策の要点がまとめられています。その冒頭には、
「学校には多くの方々が、様々な用事で訪れます。しかし、その中には非常に希ですが、正当な理由がなく校地や校舎に立ち入ったり、立ち入ろうとしたりする者があります。それらの者を不審者と呼びます。学校では、子どもを犯罪被害から守るため、施設設備の状況も踏まえ、まず必要な体制等を整備し、不審者かどうかを確実にチェックする必要があります」とあります。
〇さらに、「不審者かどうかのチェックをし、正当な理由のない者には、丁寧に校地・校舎内及び周辺からの退去を求めます。素直に応じた場合でも、再び侵入する恐れがないかを見届ける必要があります。また退去しない場合、再び侵入しそうになった場合には、速やかに持ち物や暴力的な言動の有無を確かめるなど次のチェックに移ります。」と続きます。
〇前に勤務した学校で1回だけですが、上記のような不審者に対応したことがあります。警察への通報や教育委員会に報告しつつ、近隣の学校に情報提供したり学区内のパトロールの強化をしたりしたことがあります。その後は事なきを得ましたが、生徒が自宅に無事に帰るまで、経験したことのない緊張感を職員全員でもった記憶があります。
〇私も一日の中で定期的に3つの門(正門、東門、西門)が閉まっているか点検したり、わざと目立つ蛍光色のビブス(防犯パトロールの方が着用している上着)を着たりして校内を回っています。もし不審者がこれを見たら、「それ以上の不法侵入を躊躇するのではないか・・」とのねらいがあります。
〇学校はすべての生徒にとって安全な場所でなければなりません。もちろん先ほどのように複数個所に防犯カメラを設置し、随時警備員が校内パトロールをすることが望ましいですが、現状はそこまでいっていません。今いる職員で可能な防犯体制を組みつつ生徒の危機意識の向上も図っていきます。
〇具体的には生徒が学校内に不審者の侵入や危険を察知した場合、速やかに教職員に知らせ,自他の危機を回避できるなど、安全な行動がとれる態度や能力を育成することが重要です。先ほどの「もし門が閉まっていたら、乗り越えてまで入ろうとは思わなかった」という不審者の心理を逆手にとり、学校は防犯意識が高いということをアピールしていくしかありません。
〇一時期は教員も不審者対策の研修として、さすまたや椅子、傘などを使って不審者の動きを止め取り押さえる演習も行っていました。しかし近年は行っていませんので、若手教員はその経験がありません。「忘れた頃に禍はやってくる・・」みたいなこともあるので、研修の計画も考えています。
須藤昌英
【学校の危機管理マニュアル:文部科学省より】
1月30日(木)思考のアウトプットの「書く」とワーキングメモリ
〇学校のすべて授業では、生徒の学びを広げて深めるために、4つの言語活動(聞く、話す、読む、書く)を大切にしています。どれも日常的に無意識で行っていますが、よく考えるとそれぞれの良さや違った負担感があります。
〇このうち「書く」ことが一番生徒たちにとって負担が大きく、前の3つ(聞く、話す、読む)を十分に行っていないと、「自分の考え・思いを書きだす」ことや「自分を客観的にみてそれについて書く」ことは難しくなります。
〇「書く」ことでいうと、生徒たちは毎日、その日の予定やあったことを記録するノートをつけています。そのノートは「タイムくん」というかわいい名前です。担任はそれを読んで、コメントなどを書いたり心配なときは直接声をかけたりしています。
〇やはりこれも「継続は力なり」で、書き慣れている生徒は苦も無く出来事やそれに関する自分の思いなどをスラスラ書いています。またそれに比例?するように、授業で使うノートなども効率よくまとめているようです。
〇頭の中の考えや思いを書き出すことにより、その文字を再度自分の目で見ることになります。そうすると自然と心が安定したりその後の事の処理をスムーズにイメージできたりとメリットがあります。
〇「ワーキングメモリ」とは “脳のメモ帳” とも呼ばれる脳機能のことですが、実際の科学的な実験で、書くことでワーキングメモリと精神的な部分の改善が見られたそうです。ワーキングメモリの役割として会話や読書、計算など、仕事や日常生活におけるあらゆる作業や動作に必要な情報を一時的に記憶し処理します。
〇このワーキングメモリを鍛えると、頭のなかで常に整理整頓ができている状態になるそうです。これらをふまえると、いまの悩みや関心事について書き出すことがワーキングメモリにいい影響を与え、頭のなかの整理整頓を助けてくれると考えらえます。
〇ただたとえ普段は頭の整理ができている人でも、過度に忙しくなったり、ストレスが続いたりすると、頭のなかは徐々に混沌としてきます。いつもは正常に機能している脳が、うまく働いてくれない状況になることもあります。頭の整理整頓における情報のアウトプットは、誰の脳にとっても有益だと言えるでしょう。
〇私も毎日2種類の記録をつけています。一つは仕事に関することで「執務記録」です。その日に学校内であった報告事項や今後の方向性などを記録しながら様々なアイデアが頭に思い浮かびますでてきます。これも書くことで頭が整理できていると感じます。
〇特に最近、自分の記憶力に若い頃よりは自信がなくなってきているので、1カ月前の記録を見ると「そういえば、こんなことがあった」と思い出せます。過去を整理できれば、これからの先の展望ももちやすいので、定期的に確認するようにしています。
〇もう一つは私的な「日記」で、こちらは市販の「十年日記」を使用しています。例えば10年分の「1月30日」が1ページに縦に並んでいますので、書く時にはページをめくらなくても、昨年や一昨年の同じ日に何があったかを見ることができて便利です。
〇またそれによって、「次は~をしておいた方がいいかな」などを考えるきっかけになります。ただ書くスペースは小さいので、あったことや感じたことを3行程度にまとめて書いています。
〇日々成長を続ける生徒が「書く」活動をするのは、上述のような記録を残すためよりも、新しい知識や概念を獲得した際に、それに対する自分の考えをアウトプットすることで、それを整理したり他の知識とのつながりを考えたりすることが目的です。もちろんその考えは常に変化しているので、自分の考えの変遷を振り返ることもできます。
〇「良くノートなどをきれいに書くこと」は大切ですが、それ自体が目的ではありませんので、最終的には自分だけがわかるような字体で書くのでかまわないと思います。ただ書いたものを人に提出する場合には、読む人が見やすく書くのも大切でしょう。
〇実際に私も「執務記録」や「日記」は字体を整えることはせず、殴り書きがほとんどです。そのような視点で今度お子様のノートを見たときには、「自分なりによく書けてるね。書いて残すことはよいことがあるね。」のような話をしてみてください。
須藤昌英
1月29日(水)学校が行う教育旅行の持続性について
〇昨今の物価高騰、インバウンド(訪日外国人客)の増加、バスの運転手や旅行会社の人手不足などの問題は一般社会だけではなく、学校教育にも大きな影響を与えています。
〇先ほどのさまざまな原因が複雑に絡み合い、公立学校の教育旅行(修学旅行・林間学校・校外学習など)がこれまでにない窮地に追い込まれています。それらの校外で行う学習は、とうてい教員だけの力ではどうしようもなく、専門の旅行業者との連携は不可欠です。
〇具体的には新幹線やバスなどの移動手段、宿泊先の予約や手配、見学場所の情報や調整をサポートしてくれる添乗員が必要で、それを含めて実施する旅行のほぼ1年前に学校としての基本計画を旅行業者に示し、旅行プランを立ててくれるように依頼していきます。
〇そこで従来ですと、大手旅行会社数社に見積もりをお願いすれば、各社が案を作成しその後学校で直接各担当者による提案(プレゼン)をしてもらって決めていました。ただ最近はそのプレゼンを辞退する会社も出てきました。
〇特にこの数年のコロナ禍で、教育旅行がピタリとなくなりましたので、旅行会社も人員を縮小したりしており、急にコロナ禍の前のように元に戻すのは困難なのは理解しています。前述の影響で明らかに費用も値上げされていますし、添乗員などの人手不足はどの業界も変わりありません。
〇先日、文部科学省から次のような内容の文書が各学校に通達されました。要約します。
「昨今の深刻な人手不足により、修学旅行等(修学旅行、遠足、社会科の見学、移動教室などの校外で行う活動をいう。以下同じ。)が集中する時期を中心に、貸切バスや宿泊施設の手配が困難な状況になってきております。こうした状況も踏まえ、修学旅行等を円滑に計画及び実施するため、地域の実情等にも鑑み、実施時期に係る柔軟な御検討をお願いします。なお、国土交通省及び観光庁において、修学旅行等の実施時期を御検討いただく際の参考としていただけるよう、都道府県ごとの貸切バス、宿泊施設の繁閑状況をまとめたリーフレットを作成したとのことで共有がありましたので、併せてお知らせします。 ついては、都道府県・指定都市教育委員会担当課におかれては、所管の学校及び域内の市区町村教育委員会に対して、本件を周知いただくよう、よろしくお願い申し上げます。なお、貸切バスや宿泊施設の繁閑状況について御質問等がある場合は、別紙記載の国土交通省及び観光庁へお問合せいただくようお願いします。(別紙)修学旅行等の実施時期の柔軟な検討のお願いについて(依頼)
〇要するに、「まずは旅行等の実施時期を適宜ズラすなどの検討をしなさい」ということですが、すでに来年度の予定については昨年から検討を重ねてきており、大枠は決まっているので、今のこの段階では微調整の段階です。実際に6月前半に2年生の林間学校(長野県方面)、後半に3年生の修学旅行(関西方面)がすでに予定されています。
〇教育旅行自体の目的としては、「体験学習」「団体生活」「名所観光」などがありますが、その効能として「気づき」「学び」「人間関係の構築」などがあります。昔から「可愛い子には旅をさせよ」とあるように、教育旅行というカテゴリー分けをせずとも、旅そのものに教育的効果があることは私の教員としての経験からも断言できます。
〇この教育旅行の継続の危機をなんとかして脱していく手段を模索していくしかありません。
須藤昌英
1月28日(火)ハンカチと爪の点検はなんのため?
〇毎週火曜日の朝の会ではクラスの生徒を対象に、保健委員が毎日「ハンカチを持参しているか」「爪を適度に切ってあるか」を点検しています。以前のコロナ禍ではこの他にマスク点検があったり、自主的に除菌用のウエットティッシュなどを持参している生徒も多かったのを覚えています。
〇時々あすなろ学級の朝の会に同席しますが、生徒たちの点検の際、私も一緒にその2つを点検します。昔から私はハンカチを2枚(ズボンの左右のポケットに)持ってきています(1枚は手洗い用、1枚は汗ふき用です)。それを生徒たちに見せると、「へえ~」と驚かれました。何の驚きだったかはわかりませんが、生徒の反応は面白いものです。
〇ふとハンカチの語源は何だっけ?と思い調べると、「ハンカチ」は「ハンカチーフ」の略のようです。 英語ではHANDKERCHIEF( HAND+KERCHIEF)で、KERCHIEFはそれ自体が頭に巻く正方形の布のカーチフ、ネッカチーフ、ハンカチ等を意味します。
〇ハンカチの必要性として、手を洗った後の自然乾燥は不衛生と言われています。丁寧にせっかく手を洗っても、ハンカチやペパータオルなどできちんと水分をふきとらないと不衛生だということをあまり生徒は知らないようです。よく「自然乾燥だ・・」と言いながら手を振っている生徒もいます。「少なくとも友達にかからないように・・」と注意したこともあります。
〇調べてみると雑菌のついた手を石鹸で洗うと菌の数は1/100程度に減少し、その後水分や汚れをきちんとふきとるとさらに1/10程度まで減少させることができるそうです。要するに手を清潔に保つためには、洗った後にきちんと水分をふきとることが不可欠です。
〇以前に担当していた生徒の中には、友達のハンカチを借りて手を拭いている生徒もいました。人が濡れた手をふいて湿ったハンカチには、雑菌がいる可能性があります。そのように他人のハンカチを使うことはリスクを伴うので、止めるように指導したこともありました。
〇一方で爪は何の役目を果たしているか、これも普段はあまり考えません。爪点検をしても「なぜ短くしておいた方が良いか」を理解していなければ、点検のために切るというただその場限りの単純な作業になってしまい、持続性はありません。
〇私は中学生の頃の一時期、爪を噛む癖がありました。野球をしていましたので、練習でボールが指に当たり突き指や爪をはがした経験があり、定期的に爪切りを使う前に噛んでちぎっていたのでした。今考えれば不衛生極まりないですが、その頃は短くなればいい・・としか考えませんでした。私の経験からも中学生年代は、自分なりの合理性や効率性を求めます(これは立派な成長でもあります)が、周囲からみると?の場合も多いものです。
〇そもそも爪は表皮の角質が変化・硬化して出来た皮膚の付属器官で、タンパク質の一種「ケラチン」でできています。哺乳類では種によって様々な形状をとり、ヒト以外の他の動物の爪は扁爪(ひらづめ)・鉤爪(かぎづめ)・蹄(ひづめ)と、それぞれに特化しています。
〇なぜ爪があるのかというと、人間の手や足の骨は指先まで達しておらず、指先には神経が集中しているため、爪が指先を保護しています。爪があることで指先に上手く力を入れることが出来たり、指で小さい物をつまむ細かい作業もできるようになっているのです。
〇また足を使った「立つ」「歩く」などのときも、指先に力を加えてうまくバランスを取れているのは爪があるからこそで、爪は動物にとって重要な役割を果たしています。
〇爪は定期的に長さや形を整える必要があります。主な理由は3つで、1つは「ケガの防止のため(自分に対しても他人に対しても)」、2つ目には「雑菌の侵入の防止(爪と指の隙間に汚れから)」、最後は「身だしなみ・マナー(これは人によって様々)」の観点です。意外に手や爪は他人から見られているものです。
〇先日契約している生命保険の外交員さんの担当が交代するということで自宅に来ましたが、新しい若い担当の方の爪はデコレーションされており、名刺を差し出す際には自然と爪に目がいきます。人によっては「きれいですね」と話しかけてその後の会話ももりあがるでしょうが、私などは嫌悪感こそはありませんが違和感は正直ありました。私が古い感覚なのでしょうが、難しい問題です。
〇とにかく生徒たちには、健康の面からハンカチを使ったり爪の手入れをしたりして清潔感を保ってほしいと思います。
須藤昌英
1月27日(月)「命は時間」
〇先日の給食時の放送で、シンガーソングライターの竹内まりやさんが歌う「いのちの歌」が流れていました。この曲は竹内さんが次の世代に伝える歌として作詞したもので、生徒たちも聞いたことがあるらしく聞き入っていました。最近では卒業式でもよく歌われるそうです。
〇昭和生まれの私の世代は、竹内まりやさんや夫の山下達郎さんは共になじみの深いアーティストで、思わず口ずさんでしまう歌も多くあります。才能のある夫婦として、多くのファンがいます。
〇この歌詞には竹内さんが「生かされていることへの感謝を歌で表現したかった」と本人が語っている特別番組が数年前に放送されました。誰しも生命に限りがある、だからこそ現在を懸命に生きたいとは誰もが心の奥で願っていることだと思います。
〇Youtube動画では、竹内さん本人が「いのちの歌」を心込めて歌っています。シンプルだけど強いメッセージが伝わってきます。歌詞を紹介します。
生きてゆくことの意味問いかけるそのたびに
胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ
この星の片隅でめぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりもたいせつな宝物
泣きたい日もある絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて寄り添うあなたの影
二人で歌えば懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの優しいあのぬくもり
本当にだいじなものは隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中にかけがえない喜びがある
いつかは誰でもこの星にさよならを
する時が来るけれど命は継がれてゆく
生まれてきたこと育ててもらえたこと
出会ったこと笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう
〇「いのち」と聞くと、10年前に105歳でお亡くなりになった聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏の言葉を思い出します。日野原氏は、「生活習慣病」という言葉をつくり、死ぬ直前まで医師として現役を続け、予防医療や終末期医療の普及に尽くした方です。
〇それは日野原氏が若者たちに送った「命とは君たちが持っている時間である」という言葉です。日野原氏は一貫して「命の尊さ」をテーマとしてあちこちで講演されました。日野原氏の言葉を続けて引用します。
「これは難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。でも『自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん』と言ったら、全員が挙げるんです。『では命はどこにあるの』って質問すると、心臓に手を当てて『ここにあります』と答える子がいます。僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、このように話を続けるんです。『心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。命とは感じるもので、目には見えないんだ。君たちね。目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの? でもその空気があるから僕たちは生きている。このように本当に大切なものは目には見えないんだよ』と。」
○さらに「それから僕が言うのは、『命はなぜ目に見えないか。それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい』ということです。」
〇医師としての仕事を全うしつつ、若い人たちへのわかりやすい説明は見事としか言いようがありません。何かの機会に本校生徒にもあげたいです。
須藤昌英
【日野原氏の著者】
1月24日(金)1学年授業「家庭科の食」と「音楽科の箏」
〇1学年は各クラスごとに家庭科の時間に初めての調理実習を行っています。家庭科の目標には、「健康・安全で豊かな食生活に向けて考え、工夫する活動を通して、中学生に必要な栄養の特徴や健康によい食習慣、栄養素や食品の栄養的な特質、食品の種類と概量、献立作成、食品の選択と調理などに関する知識及び技能を身に付け、これからの生活を展望して、食生活の課題を解決する力を養い、生活を工夫し創造しようとする実践的な態度を育成すること」があります。
〇特に食事の役割と中学生の栄養の特徴については、生活の中で食事が果たす役割について理解すること、中学生に必要な栄養の特徴が分かり、健康によい食習慣について理解することがあります。また食品の不適切な扱いによっては、食中毒などにより健康を損ねたり、生命の危険にもつながったりすることから、健康で安全な食生活を営むためには、調理における食品の衛生的な扱いに関する知識及び技能を習得する必要があることにも気付くようにします。
〇今回は、スパゲティミートソースとフルーツポンチをつくりました。指導に当たっては、食生活調べや話合いなどの活動を通して、食事の役割について具体的に理解できるよう配慮しています。例えば、毎日の食事や様々な行事などでの食事場面を振り返り、その時の様子や気持ちを思い出して、生活の中で食事が果たす役割を考えたり、小学校家庭科や保健体育科等との関連を図り、食事と健康に関する調査結果等を活用して、食事が果たす役割を考えたりする活動などを行なったりしています。
〇生徒たちは班で協力し、時間内に準備、調理、飲食、片づけなどを手際よく行っていました。また並行してリンゴの皮むきテストも実施しました。私が小学生の頃とは違い、今の男子中学生は包丁の扱いや盛り付けの工夫などが手馴れている印象を受けました。生徒たちには、自分の食事について考える良い機会になったようです。
〇昨日は箏(13弦)の体験を1学年の1クラスごとに武道場で行ないました。2名ペアになり4名の講師の方々に指導してもらいました。琴の優雅な音色が武道場内に響き渡り、ふたたびお正月を迎えたような雰囲気を味わいました。
〇調べると箏は、奈良時代に中国(当時の唐)から日本に伝わり、雅楽の伴奏楽器として演奏されたのが始まりのようです。 平安時代には貴族の楽器として使われ、「源氏物語」の中にも箏が登場します。
〇私も滅多に琴を聴くことはありませんが、箏の音色といえば、「美しい音、凛とした音、おしとやかな音」のようなイメージではないでしょうか。実際、箏の音色は凛として美しいです。
〇箏は、西洋楽器と比べると音はそこまで大きくはありませんし、アンプに繋げるわけでもありません。どちらかというと一歩引いた奥ゆかしさを感じる楽器です。そういう意味でも、日本的な楽器だと思います。
〇現代では和楽器バンドをはじめ和ロックとしてのジャンルも確立され、若い層からの人気も高まっているようです。You Tubeにも多くの演奏画像があり、特にアニメでも箏が扱われるようになって、より時代に沿った箏曲になっています。
〇三味線などの和楽器同士だけのコラボではなく、ギターやベースなどとも一緒に演奏されることも増えているそうです。千年以上の時を越えて、箏は時代に沿ってジャンルは移り変わりながらも愛され続けています。生徒の中には、もっとやってみたいと感じた人もいることでしょう。
〇最後の講師の方々の模範演奏は、「さくら」と「やさしさに包まれたなら」でした。特に後者は現代的な歌ですが、聴いているとこれまでと違うイメージが広がりました。
〇生徒からは講師の方々に質問として、「いつから習い始めましたか?」「始めたきっかけは何ですか?」「爪の痛さは感じませんか?」「テンポのよい曲も演奏できるのですか?」等があり、丁寧に答えてもらいました。
〇生徒たちの演奏する「さくら」を聴きながら窓の外をみると、この時期ですからもちろん咲いていることのない桜の木が、まるで満開であるように感じました。楽しく優雅な時間でした。
須藤昌英
1月23日(木)学びの主体としての記憶の種類と授業研究
〇昨日は6つの授業において、市教委から指導主事を招き、授業検討会を行ないました。教職員には研修の義務があり、その項目の一丁目一番地は授業研究(いかに工夫して展開するか)です。以前は「生徒にとってわかりやすい授業」を目指していましたが、今は「生徒が学びの主体となり、自ら学びに向かう」ための工夫が焦点となっています。
〇教員はもちろん丁寧に基本事項などを生徒に教える技術も必要ですが、「生徒にとってわかりやすい授業」となると教員側の視点に重きがおかれ、どうしても生徒は「受け身」の立場になってしまいます。そうではなく「生徒はすでに自ら学ぶ力をもっており、その力を引き出しつつ授業の最後にはより深い学びに導く」ことを教員の一番大切な視点にしています。
〇高校入試が連日行われ、3年生の生徒たちは中学校3年間の授業内容を復習して試験問題に取り組んでいます。言うまでもなくすべての学習の基本は、「まず覚えられる範囲で基礎的な事項を覚えつつ、次に理解できた事項を確実にいつでも使える知識にする」ことです。
〇記憶をつかさどる人間の脳の海馬については前にも書きましたが、海馬の活躍に期待するのには、テスト準備の期間中もできるだけ睡眠を確保し、食事や運動を含め規則正しい生活をすることが重要です。
〇昔から「一夜漬け」つまり直前に詰め込むやり方の是非が議論されてきましたが、「一夜漬け」のようなものを「集中学習」と呼ぶに対し、逆に毎日コツコツ勉強することを「分散学習」といいます。ただし「分散」とは注意力が散漫で集中していないという意味ではなく、時間を区切って少しずつ行うことです。
〇また学習とは、「ものごとの関連性を習得すること」でもあり、今まで独立していた事実が頭の中でつながることです。簡単な例では、「GO」と「行く」のように、英語と日本語の意味の結び付けを行うことがあげられます。このつながりを強固にするには、繰り返し「学び続ける」しかありません。
〇「上手に覚える」ような成功を導き出すためには、それだけ多くの失敗が必要で、記憶とは「失敗」と「繰り返し」で形成・強化されます。何度も失敗すると、それでやる気がなくなっていきそうになりますが、その解決策の一つが、「得意な面を活かして学習する」ことです。苦手な教科は誰にでもあるもので、その苦手分野でクヨクヨせず、逆に得意を素直に活かすと、全体として成績が上昇することが知られており、教育心理学では「特恵効果」といいます。
〇これはテスト当日にもあてはまります。テストを受けている際中も、自分の得意な問題から手を付け、そこから自信がつくと、やる気や集中力が高まります。よく食事で、「美味しいものを最後に食べる」「美味しいものは最初に食べる」のような話がありますが、学習については圧倒的に後者が有利で、「得意なものは最初にとりかかる」です。
〇このような学び手の科学的な学習の仕組みを教える側の教職員も理解した上で、冒頭のような教材研究をしていかないといけません。授業後の検討会でも授業者、参観者、指導主事の中で活発な意見交換がありました。私もそうでしたが、このような話し合いでは目の前に生徒たちが学びに向かう姿を思い浮かべながら行っています。「次の時間ではこんな工夫をしてみよう?」これがまた教職員としてはとても楽しい時間なのです。
〇また今日も各クラスで行われている授業を参観していきます。
須藤昌英
1月22日(水)青年期における心の素直さ
〇昨日の午後は、学区にある県立柏高等学校の第3回学校評議委員会に出席しました。歴代の富勢中校長は、柏高等学校の学校評議員となっています。今回は今年度の柏高等学校の学校評価の分析と今後の取り組みの説明を受け、評議員として意見を述べるものでした。
〇評議員のメンバーは麗澤大学の先生を委員長に、学区の小中学校校長、近隣住民の代表、町会役員、柏高校PTA会長、柏高校同窓会長で、高校側からは、校長、教頭、事務長、各部会の部長の教諭が列席します。高等学校側からの報告を受け、各委員が質問したり意見を述べたりする場でした。
〇冒頭に柏高等学校長からは、先週の大学入学共通テストに、現役や浪人も含めて300名の生徒が受験したと聞きました。この時期の受験の緊張感が伝わってくるとともに、県内公立高等学校の中でも進学重点校として、日頃から授業、行事、生徒指導、進路指導、キャリア教育などに取り組んでいる様子がわかりました。
〇私もこの3年間で、1年に3回ずつ合計9回も柏高等学校を訪問し、数回授業も参観させてもらいましたので、だいぶ柏高等学校については詳しくなりました。ちょうど一年前には、柏高校の生徒会長が富勢中卒業生というつながりから、北柏駅やスーパーなどで「能登半島地震への募金活動」を本校生徒会役員と合同で実施しました。その時もどの高校生も素直な印象を受けました。
〇来月は本校からも多くの生徒が柏高等学校を受検しますので、今後も連携していくことになります。
〇昔から「素直な子はのびる」と言われます。本校生徒も素直ですが、高校生でも「素直さ」を継続することは、自分の経験から考えても難しいと感じてしまいます。ただ人によって「素直さとは?」と問われればその答えは変わってくるとも思います。広辞苑で「素直」を調べてみると、
「①飾り気なくありのままなこと。曲がったり癖があったりしないさま。質朴。淳朴。②心の正しいこと。正直。③おだやかで人にさからわないこと。従順。柔和。「忠告を―に聞く」④物事がすんなりゆくこと。とどこおりないさま。⑤技芸などで、癖がなく、すっきりしていること。」とあります。
〇まず親や教員からの視点で素直とは、「きちんと言われたことをやり、たとえ間違いを指摘されても反意を示さずになおそうとする」が一番強いイメージだと思います。乳幼児期は初めて挑戦することばかりで成功と失敗を繰り返しながら、コミュニケーションやその他のスキルを身につけていきます。その際は「~したらいいよ」と大人の意見をまずはそのまま受け入れる子がほとんどだと思います。しかし中学生になって、乳幼児と同じ質の「素直」であったならば、それはそれで心配になります。
〇逆に「素直さが欠けている」となると、「自分の非を認められない、人の話を聞こうとしない、わからないことをそのままにしておく、自分のやり方に固執する、人に感謝ができない」など、大人からみると「厄介な子」となるのでしょう。私なども小学校高学年から中学生の頃は、「これではいけない」と思っていても、指摘された内容よりも「~しなさい」に対して理由もなく反感を抱いていました。
〇しかしだれもが成長過程で一時期にそうであったのではないでしょうか。素直になれない原因は、他人と自分の違いを意識したり、自分は自分で考えてやってみたいと思ったりすることが多くなったわけですので、ある意味「順調な成長」とも受け止められます。
〇では中学生以上の青年期の「素直」とはどんなことでしょうか?私は何より、だれもがもっている自分の「弱さ」と向きあえるかどうかだと思います。私たちは不完全な存在ですから、至らないことも間違うことも、すぐにはできないこともたくさんあります。それでも生きていく中で、小さな気づきとか発見をすることがあります。そこでそれがたとえささやかな気づきであっても、「あーなるほどそうだったのか」「これまで自分は間違っていたなぁ」と気づくことができます。
〇そしてその弱さや不完全さに誠実に向き合い、気づいたことをためらわずに、これからの生き方に反映できる、それが「素直」であり、そういう自分も大人でありながら「そうありたい」と常々思っています。ただしそのためには、自分の中に自己を認め肯定する気持ちが絶対に必要です。
〇私もクラス担任をしていた際には、生徒を注意するときに、やっていることは間違っているけれど、それをやっている生徒本人を否定すること(こちらがそう思っていなくても相手がそう思うことも含めて)が極力ないようにしてきました。
〇今の日本には様々な課題はありますが、少なくともだれもが「自分の人生に対して、自分で決めていける」環境は用意されています。自分で決めることで、何かうまくいかないことにぶつかっても、人のせいや条件のせいにして逃げることを踏みとどまることができます。
「素直」・・今の自分を大切にし(自己肯定感)、将来の自分に期待する(自己有用感)生徒 を育てていくことが、学校の使命だと思います。
須藤昌英
1月21日(火)大寒とトランプ氏アメリカ大統領就任
〇昨日、歴史的に日本の権力者(政治のリーダー)は、災害の後に大きく変化するという養老孟司氏の言葉を伝えましたが、折しも今朝未明にアメリカでは、第二次トランプ政権がスタートしました。
〇ある調査によると、約1割の日本企業で「プラスの影響(株価の上昇や円高への転換を期待する声)」を見込んでいる一方で、「マイナスの影響(関税を上げて輸出がしにくくなるや防衛費の負担増による産業界への予算縮小など)」を見込む企業は4割を超え、「分からない」とみる企業も4割近くあるそうです。もちろん「就任後でなければ予測が付かない」「良い悪いどちらに転ぶか現時点では分からない」といった先行きに対する不確実性への警戒感を表す声も複数あります。いずれにせよ多くの企業で第2次トランプ政権に対して不透明感を持っていることがわかります。今後の日本政府の対応に注目していくことが必要です。
〇このように国レベルの影響もありますが、人レベルの影響も考えます。日本人の相手への気遣い(別の見方では忖度)はこの国の文化や風土の根底をつくっていますが、その対極にある個人及び自国第一主義のリーダーの発言は、大人の私でも「そんなことまで真顔で言うのか」「どこまでが本音だか見当がつかない」と啞然にとられることも多いです。
〇さて中学生にとって、トランプ氏はどう見えるのでしょうか?そもそも「アメリカの大統領なんか興味がない」という生徒もいるでしょうが、少なくとも卒業時くらいまでには、いろいろな社会情勢にも自分の意見をもってもらいたいです。
〇始業式の中で、「言動の一致(言っていることとやっていることに矛盾がない)ができている人は、社会の中で信頼されます」と生徒たちには話しましたが、決して昔の古臭いことではないと思っています。
〇トランプ氏のいろいろな発言もそれが「本気なのか?脅しなのか?」を見極めることは難しいかもしれませんが、少なくとも日本人があまり考えない発想を客観的にこちらが学ぶことはできると思います。一度ご家庭でも生徒と話題にしてみてください。
〇日本の二十四節気は、立春、立夏、立秋、立冬など4つの季節を表す言葉の他、春分、夏至、秋分、冬至などが良く知られています。1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたので、4×6の「節気(せっき)」があるようです。私も一昨年「還暦」を迎えるにあたり、日本にあるそのような数学的な規則性をいろいろと調べました。そのように身の回りには算数・数学に関わることが多くあります。
〇昨日はその二十四節気の一つである「大寒」で、一年でいちばん寒さが厳しくなるころとされます。私は普段は飲酒の習慣はありませんが、さすがにお正月はお客様などと一緒にお酒をいただくことが多かったです。特に日本酒に詳しい方から、日本酒は「寒仕込み」のものが美味しいということをよく聞きます。「寒造り」とも呼び、冬場の寒い時期に仕込むのが、日本酒伝統の製法らしいのです。
〇「なぜ、冬場に仕込むのか?」を少し調べてみると、まずは原料である新米が秋に収穫されることや寒い時期だと雑菌が繁殖しにくいことがあげられるそうです。また日本酒の仕込みは、温度管理がとても重要で、低温だと余計な雑菌の繁殖を抑え、お酒をつくる微生物が、よい働きをしてくれる(もろみをゆっくりと時間をかけて発酵させる)ことを初めて知りました。そういう知識があると、今度飲むときには、違った味わいになるかもしれません。
〇また「大寒」前後には、武道では「寒稽古」、神事では「寒中水泳」などをして自分の心身を鍛えることは昔からの風習のようです。あえて厳しい条件で自分を磨くことは、自分の可能性を伸ばすことになるということでしょう。
〇受験生は毎日、体調を整えつつ目前の入試に全力で取り組んでいます。確かにこの寒い時期にある受験は大変ですが、この経験は必ず後で役にたってきます。無事に実力を発揮することを願っています。
須藤昌英
1月20日(月)阪神淡路大震災から30年(自分事として捉えることから)
〇17日は阪神淡路大震災から30年が過ぎ、テレビの特集でもこの30年間で日本の防災対策が進んだ面と未だ遅れている面を伝える番組が多くありました。地質の専門家に言わせると、「日本地図を眺めると長年の傷跡(災害によって地形が変化)が手に取るようにわかります」となります。日本は災害大国であることは間違いありません。
〇私の長男は、阪神淡路大震災の次の日に生まれたので、先日ちょうど30歳になりました。当初の出産予定日がちょうど震災の日でしたが、なかなか生まれずに結局その晩は私も病院の待合室で朝まで過ごしました。生まれた1月18日の朝刊(今でも保管してあります)は、すべての新聞のトッブ記事は前日の震災を伝える大きな写真がありました。おそらく息子本人もそのことは今でも自覚していると思います。
〇震災当日に被災地で生まれた赤ちゃんも当時は大きく報道されました。確かそのお母さんは震災の午後に産気づき、一人で病院に何とかたどり着き、ものの15分で出産したというエピソードが記憶にあります。10年前にその男の赤ちゃんが成人式を迎えたニュースがありましたので、今は30歳になっているはずです。
〇あの震災の経験から学ぶことは重要であると誰もがわかっていますが、現実は目の前のことに忙しくあまり真剣に考えません。「もしかしたら自分の街でも今大きな地震が起きるかもしれない」と自分事に感じることは毎日は難しいかもしれません。
〇その後も日本各地で災害が起きるたび、そのことへの想定や準備の不足は指摘されます。しかし一気に「ここまで準備をしておけば大丈夫」というラインは明確ではないため、遅々としていると捉えられているのでしょう。
〇解剖学者で「バカの壁」などの多くの著書がある養老孟司氏は、たびたび日本という国の特徴を災害と結び付けて著書やYoutubeなどで発信しています。養老氏は「長い歴史を見ると、日本の社会を根本から動かしてきたものは、天災ではないか。最近、そう考えるようになりました。」と静かに断言しています。
〇養老氏の説を要約させてもらいます。
「日本では災害の後は必ず大きな変化が起こる(具体的には必ず法と秩序が表面に出てくる)。例えば「方丈記」に書かれているが、源平の争乱の時、1185年3月24日に平家が壇ノ浦で滅んだ4カ月後の7月9日に京都で大地震(M7.4)が起きている。その後、平安の貴族政治から鎌倉の武家政治へと変わっていく。近年では安政の時(1854年の安政東海・安政南海地震)には、安政の大獄(1859年)が起きている。災害時には極端に国論が分裂する可能性がある。その時に「暴力集団」がどっちにつくかで問題になる。やっぱり権力側になるでしょうから、どういう考え方の人をリーダーにするかで日本の未来が決まる。安政の地震の後は、安政の大獄から明治維新になっていく。・・・」
〇とても面白い視点だと思います。国の歴史がその国の地学と密接に関係していることがよくわかります。さらに氏は「今後起こるだろう社会を変えうるほどの大災害は南海トラフ地震でしょう。ある専門家は2038年と予測しています。もし安政のように、首都圏直下型地震も同時に起これば、あるいは富士山噴火も起これば、多くの人々の日常生活が変わらざるを得なくなります。もしそうなれば世の中はますます混乱し、それに日本という国は大きく変わっていくことでしょう。」
〇先日も「南海トラフ地震の今後30年間で発生する確率が80%に高まった」という報道がありました。身近なことから地震に備える行動につなげていくしかありません。
須藤昌英
【平成7年1月18日の朝刊トップ面】
1月17日(金)市内新人駅伝・ロードレース大会&防寒着あれこれ
〇今朝は阪神淡路大震災からちょうど30年でした。夜明け前の地震でもあり多くの方がお亡くなりになりました。ただ段々とその記憶が風化されていることが課題のようです。私もその教訓を生かすことを常に考えていますが、まずは「今もしここで地震が発生したら・・」と当事者意識を継続することだと思います。
〇昨日、県立柏の葉公園と総合競技場において、令和6年度柏市中学校新人駅伝大会が行われました。公園内の巡回コースを、一人が約2000m、女子は5人、男子は6人でタスキをつなぎました。結果は女子Aチームが18位、男子Aチームが9位、男子Bチームは参考記録(体調不良者が出たため)でした。風もなく太陽が出ると暖かさを感じましたが、普段の練習の成果を出しきりました。
〇午後はロードレースが行われましたが、2名の選手が駅伝と同じコースを走り、良い経験となりました。長い距離を走ることのためには、強靭な体力(健康的な体)さえあればいいものではありません。走っている間は、他の人を競うというよりも、自分自身と向き合い続けるメンタルが必要です。「こんなにつらいのになんのために走っているのか」「もうやめてしまおうか」などの自分自身の中にある『甘い』誘惑に打ち勝つことは、学習面やその他の面で役にたちます。
〇昨日の駅伝応援は、日差しがあるときは暖かく感じましたが、さすがにこの時期ですので立っているだけで底冷えしました。選手以外の人はダウンコートにマフラーや手袋などをしていないととても耐えられない感じでした。
〇朝、正門に立っていると、いろいろな防寒着を着た生徒が登校してきます。マフラー、手袋、ネックウォーマーももちろんですが、この時期はマスクも一つの防寒着になっているようです。外着としては、部活用のウィンドブレーカー、市販のダウンウエアー、足もとまでのグランドコードなど、様々です。ただ個人のロッカーが大きくないので、教室内での保管ができるものに限られています。
〇手にもった携帯用の使い捨てカイロも有効です。手がかじかんでいると、身体全体まで寒い気がしますので、もっと使ってもいいと思います。ただ生徒には、使用が終わって不要になったら、自宅へ持ち帰って捨てるように指導していますので、もしかしたらそれが面倒?なのかもしれません。以前に勤めた学校では、その使い捨てカイロが教室のゴミ箱に大量に捨てられ、処分に困った経験もありますので、致し方ないこともご理解ください。
〇防寒対策には重ね着が必須であると言われており、調べてみると今は、重ね着をレイヤリングとも言うそうで、「ベース、ミドル、アウター」と分かれており、それぞれ「〇〇レイヤー」ということを初めて知りました。ベースとは要するに、肌に密着する1番下に着る防寒インナー(アンダーウェア)のことで、最近は汗や水蒸気を熱に変えて発熱するものが主流になっていますね。
〇また寒さ対策には、暖かい空気をうまく体の近くでためることも重要で、その状態を羽毛を使った衣類(ダウンのコートやジャケット)が有効のようです。私も以前はジャケットや背広の下にベストを着用していましたが、近年は「インナーダウン」として、薄手のダウンを着始めましたら、暖かいので脱げなくなりました。そのようにアウターの中に着る防寒服のことを、ミドルと呼び、これにより防寒効果はぐーんと上昇し、暖かさを持続することができます。
〇生徒は制服やジャージの下に、カーディガンやセーターを着用しています。ただし色は、白、黒、グレー、ネイビーなどを基調としたものとしています。休日に私用で外へ出かけるのであれば、特別に規制はなくてもいいと思いますが、生徒にとって学校は、一応「公用的な場所」ですので、使い分けをすることも学びだと思います。
〇最後のアウターレイヤーは、保温性もそうですが、防水や防風に優れたものが理想ですね。ぴったりフィットするサイズ感よりも、少し余裕があり、空気をたくさん含めるサイズを選ぶことで、より保温力がアップします。
〇またマナー面では、自宅に帰る以外は、「防寒着等は玄関で脱いで手にもって建物に入る」のが社会人の常識ですので、現在はそれを生徒に強いてはいませんが、知識として覚えておいても損はないと思います。「大人になって初めて聞いた」ではなく、知っておいて必要な場面(将来の会社訪問や就職面接など)になったら実行すればいいと思います。
〇よく「フォーマル」と「インフォーマル」と区別しますが、それぞれの場面で服装を適切に切り替えることが、気持ちを切り替える一助にもなります。生徒には、「決まりごとやマナーだから守る」だけではなく、「どうして使い分けるのか?」を、自分事として考えてもらいたいです。
須藤昌英
1月16日(木)「ラン活」と「脱ランドセル」
〇近年では「ラン活」という言葉が聞かれるようになりました。「ラン活」とは、小学校新1年生になるわが子や孫のために、保護者や祖父母がランドセルを購入するための活動のことを示すようです。中学校3年間の倍の6年間を通して使い続けるランドセルですので、「子どものためにできるだけよいものを与えてやりたい」という大人の思いが「ラン活」という言葉を生み出したということでしょう。
〇ただ最近は高級感のあるランドセルも人気があり、値段も数万から十万円以上とバラエティーに富んでいます。昭和の時代の男子は「黒」、女子は「赤」と決まった色だった次は、性別に関係なく自分の好きな色を選ぶ時代になりました。我が家の子どもたちは確か長男と次男は黒っぽい色でしたが、3番目の娘はピンクでした。
〇余談ですが、明日は阪神淡路大震災から30年です。息子たちのランドセルは14年前の東日本大震災の後に、「被災地にランドセルを送ろう」というキャンペーンがあることを知り、拠出しました。ただ当時娘はまだ小学生でランドセルを使用していましたので、まだ自宅にあります。
〇そもそもランドセルは、学校指定の学用品ではありません。地方の学校によっては指定しているところもあるかもしれませんが、少なくとも柏市はそうではありません。それでもなぜほとんどの家庭が小学生にランドセルを買うかというと、学校が指定するうんぬんよりも先に、現代社会の中で長い間ランドセルの購入が不文律みたいな慣例となり、しかもそれを保護者などが自ら選んでいるからです。
〇その一方で「脱ランドセル」という動きもあります。ライフスタイルが変わり、多様性が求められるようになった時代に、伝統的で日本独自の文化であるランドセルではなく、リュック型のかばん(素材は革以外にいろいろ)を使用することも広がってきました。
〇これは4月から正式に導入される「柏市標準服(ブレザータイプ)」をこれまでの制服に加えて、新しい選択肢としていることと本質は同じです。もっと言えば、中学校を卒業後にどの進路(高等学校やその他も含めて)を選択するかも最後は生徒が自分で決めなければなりません。いずれにせよ自分で選ぶことは最後まで責任を負うことに直結することでもありますので、これからの時代を生きていく大切な資質・能力です。
〇話は戻りますが、例えば大手アウトドア用品メーカーが製作した通学用のリュックサックなどは、見た目はランドセルより大きいですが軽く、ランドセルとまではいかなくても耐久性もかなり優れているようです。もし万が一壊れて再び買うことになっても、ランドセルより断然安く抑えることは長所とも言えます。
〇もちろん大手メーカーもランドセルの軽量化はすすめており、どちらを選ぶかは本人と各家庭の判断に委ねられます。さて私も「3年後には孫娘にランドセルを・・」と何となく考えてきましたが、どうしましょうか?2つを見比べて、本人が納得して選択するのが一番良いとは思いますが・・。
須藤昌英
1月15日(水)自分で自分を認めることば「これで大丈夫、これでいいんだ」
〇今年初めての満月が昨晩東の空にありましたが、今朝の出勤時もまだその姿は西の空に見えていました。地球の衛星として月は常に一定の距離を保っています。またそのお互いの引力で潮の満ち引きが起きるのは有名ですが、その他に人体にも目には見えませんが大きな影響があります。まさに「おかげさま」でしょう。
〇教員となって38年間、実に多くのそして多彩な児童生徒との出会いがありました。「教えることは教わること」と気づき始めたのは、教員生活をスタートして数年が経過したころでした。「今の教え方で本当にいいのだろうか?」と壁にぶつかった時、目の前の生徒が「学ぼうとする姿」をつぶさに観察することで、自分の一方的な思いでは何も伝わらないことや、その生徒の姿が新たな手法を私に教えてくれていることを実感しました。
〇昨日、卒業生の活躍をうれしく感じていることを書きましたが、かつての教え子(自分のクラスでしかも担当していた野球部の副キャプテンだった生徒)に、コロナ禍になる直前でしたが彼の結婚式に招待されました。立派になったその姿に感動しました。
〇式の始まる前の控え室で彼が突如、「自分で『これで大丈夫、これでいいんだ』と思えるようになったのはつい最近なんです。中学校の時は自分を否定ばかりして、今思うと『苦しかったな』くらいしか覚えていません」と話しました。さらに「今の中学生は僕らのころよりももっと繊細だから、先生も大変ですね」と励ましてくれました。
〇それを聞いて私は意外な気持ちがしばらくぬけませんでした。彼のクラスや部活におけるリーダー的な発言や行動しか記憶に残っていませんでしたので、本当は心中では大変だったのだと初めて知りました。私はおそらく当時、彼の力を最大限にのばしてやりたいという気持ちから彼を叱咤激励だけしていて、彼の「ありのままの姿を認めてあげる」ことがなかったのかもしれないと反省しました。
〇よく考えると私も中学生のころは、クヨクヨ悩む、いつも自分にダメ出しをしてしまう、どうしても自信が持てないことはありました。人間の発達段階ではそういう時期なのかもしれません。
〇昔から有名な漫画「天才バカボン」の主人公は、なにがあっても「これでいいのだ!」と言い放ちます。大人になって知りましたが、作者の赤塚不二夫さんは、あまりにも世間を気にしすぎている人が多く、自分で自分を認めていく大切さを「(わたしは)これでいいのだ」というセリフに込めたようです。
〇私も含め人は日々、後悔と不安に苛まれています。後悔は「あのときこうすればよかった」と過去に、不安は「このさきどうなるのだろう」と未来に自分の意識があります。英語の Present には「現在」と「贈り物」という二つの意味があるそうです。今生きていることが最高のプレゼントでもあり、そのときに自然と「(ぼくは、わたしは)これで大丈夫、これでいいんだ」という自己を認める気持ちが出てくるのでしょう。
〇そんなことを教え子から教わりましたので、今度は自分が生徒たちに伝えていきたいと思います。
須藤昌英
1月14日(火)成人への階段「長所で勝負すればいい」
〇昨日は「成人の日」で、全国では様々な式典が行われたようです。成人の日は満18歳または20歳(3年前までは20歳でしたが、引き下げられ18歳に)を迎えた青年男女を祝う国民の祝日です。日本の古い儀式である『元服(げんぷく)』に代わるものとして設けられ、その意義は「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」ことだとされています。
〇総務省は、2025年1月1日現在における新成人の人口推計を発表し、平成18年(2006年)生まれの18歳以上の新成人は、109万人で、史上最少を記録した今年と比べて3万人増える見込みだということです。このうち男性は56万人、女性は53万人の内訳です。
〇柏市では二十歳を祝い励まし、社会人としての自覚のかん養や郷土意識の高揚を図るため、二十歳による柏市成人式実行委員会を組織し企画・運営を行い、柏市成人式を開催しています。柏市のホームページには、「成年年齢が18歳に引き下げられることに伴い、柏市成人式の対象年齢を引き下げることも考えられましたが、18歳で開催した場合、受験や就職活動の時期と重複してしまい、式に参加しにくくなることや同様の理由により市民主体(実行委員会形式)で企画・運営を行うことが困難になること、また、上級学校への進学や新生活への準備にかかる費用と成人式の着物や写真代にかかる費用等が同時期に集中することが懸念されます。これらのことから、本市では、令和4年(2022年)4月1日以降も現行どおり、当該年度に20歳になられる方を対象として柏市成人式を開催いたします。」とあります。
〇またこれに伴い、式典の名称を従来の「柏市新成人のつどい」から、「柏市成人式~二十歳の集い~」へと変更しました。この行事は教育委員会が主催ですので、私もかつて教育委員会事務局に勤務していた頃は、会場の市民文化会館の誘導や警備を手伝っていました。かつては式会場の外で派手な衣装を着て大騒ぎをする成人たちが多くいて、彼らをなだめるのが大変なこともあったことも思い出します。
〇今の中学生も数年後には、それぞれ成人として扱われます。中学校時代はそのための準備期間でもあります。そんな中学生にはその心構えとして、樋口恵子さんの「私の青春ノート」から、次の部分を抜粋して紹介します。
「長所は常に短所と裏腹である。勝ち気ということは、相手が自分である限り長所だが、むやみやたらに外に向かうとはなはだしい虚栄心になる。気が強いのもしっかりとしている点では長所だが、向っ気ばかり強くて相手の心を傷つけたりすることに無神経だったら、明らかに短所だ。反対に大人しく穏やかな性格は、寛容さ、安定した感情ということでは長所だが、自己主張できない弱い性格だったら短所でもある。(途中略)友達ができなかったり何かの加減で非難や中傷の対象となったりしたとき、中年の大人ともなれば「何言っているのさ!」と大きく構えることもできるが、内心動揺しないわけではない。まして中学時代はまだ自分の内心がかたまっていないし、他人の評価がとりわけ気になる年頃だ。動揺しないほうがどうかしている。動揺してうろたえ、いろいろとやってみることだ。あっちこっちの角にぶつかって、どこか自分の性格で邪魔になる部分がわかってくる。しかしそれは自分を殺してつくりかえることではない。性格であれ能力であれ、人はその人の長所が発揮されたときが一番、サマになっている。学科だってそうだろう。数学の得意な人は短期間の努力でますます力を発揮するだろうが、不得手の人は他人の何倍も努力しても、なかなか効果があがらない。当面は入学試験があったりするから、嫌なものでも努力しなければならないが、私は最終的に『人はただ一ヶ所の長所で勝負できればいい』と思っている。長所で勝負するとき、人は生き生きとして魅力的だ。英語のリーダーを読ませれば立往生のAさんが、バレーボールの試合のときには何と美しく躍動的であることか・・・。性格も同じことで、長所をのばしていこう。いや、自分らしさの性格にある長短両面の内、長所になるべき方向をのばす、といったほうが正確だろう。勝気な人は頑張る意思の強さ、自分に打ち勝つ心をのばそう。」
〇私も過去に中三の担任を10回務めましたが、特にその卒業生達が今あちこちで活躍していてくれることを誇りに感じています。「教員をしていて良かった」と思う瞬間です。
須藤昌英
【昨年の柏市成人式の様子から】
1月10日(金)してもらったことに目を向ける「恩返しと恩送り」
〇昨日は「人は時として自らの生きる意味を求める」について書きましたが、次の詩も私は若い時からよく学級通信に掲載したものです。紹介します。
「朝がくると」まどみちお
朝がくると とび起きて ぼくがつくったものでもない水道で
顔をあらうと ぼくがつくったものでもない洋服をきて
ぼくがつくったものでもないごはんをむしゃむしゃ食べる
それから ぼくがつくったものでもない本やノートを
ぼくがつくったものでもないかばんにつめて 背中にしょって
さて ぼくがつくったものでもない靴をはくと たったかたったか でかけていく
ぼくがつくったものでもない道路を ぼくがつくったものでもない学校へ ああ なんのために・・
今に大人になったら ぼくだって ぼくだって
何かをつくることができるようになるために・・・
〇「ぼくがつくったものでもない」の韻をふみながら、日常生活における何気ない様子と男の子の未来に対する期待と不安をよく表していると思います。こういう平易な言葉だけをならべている詩は、読みやすいですがなかなか自分で作ろうと思ってもできるものではありません。
〇民話にある「鶴の恩返し」やそれを題材にした木下順二の「夕鶴」は多くの人が知っている話ですが、人間に助けてもらった鶴が自分の羽を使って美しい布をおり恩を返すお話です。男は女に「機織りをしている部屋を決してのぞかないで・・」と言われたのに、男は鶴となった女が機織りをしている様子をのぞいてしまい、最後はその鶴が空へ帰ってしまう結末となっています。
〇私は幼いころからこの話を聞くたびにこの結末があまり好きではなく、雪空に鶴が飛び去っていく淋しい情景を思い浮かべていました。おそらくは寒い地方の民話で、雪雲におおわれたねずみ色が余計に物悲しくさせるのかもしれません。
〇「恩返し」という言葉は、お世話になった人に直接何かをしてあげることですが、50歳になった頃に「恩送り」という言葉を本で読んで初めて知りました。そしてその後段々と年齢があがるにつれてその意味を深く考えるようになりました。
〇これまでの人生の中で、多くの人にお世話をしていただきましたが、実際にその方々すべてに直接「恩返し」をすることはできませんでした。両親や兄弟はまだしも、友達や恩師、同僚や住んでいる地域の方々、私もその方々すべてと今でもつながっていたりきちんと感謝を伝えたりできていないことがほとんどです。
〇であるならば、「恩返し」ではなく「恩送り」をしていくしかない・・かと思ったのです。例えば私であれば、小・中・高・大と16年間で多くの授業や諸活動の中で、多くの先生や友達から様々なことを教わりました。その後教員となり、今度は多くの生徒や同僚に対して、自分としてできるだけのことをやらせてもらいました。
〇しかしそれは別の見方をすると、それまでしてもらったことに感謝しつつ、直接その方々に恩は返すことはできませんでしたが、その分あらたに出会った別の方々に「恩を送っている」とも考えられるようになりました。
〇冒頭の詩のように、世の中のほとんどがお互いの「恩送り」で成り立っているなかで、逆に「恩返し」をできることは稀なことなので、私の中では次の図のようなイメージになります(基本は「恩送り」しかできませんが、まれに幸運にも直接その人に「恩返し」ができたらよい・・・)。
〇これまでにたくさんの人達にいただいた様々な恩は、できるだけ多く返していくようにしたいものです。
須藤昌英
1月9日(木)忘れられない「深くて難しい質問」
〇今から30年以上前、若い頃に担任をしていたクラスの生徒の一人から、質問を受けました。その具体的な場面は忘れました(多分昼休みだった?)が、突然「先生、『生きる意味』って何ですかね?」と尋ねられ私は一瞬絶句しました。ただその生徒は決して思い詰めるような表情ではなく、教室の窓から校庭をぼんやりと眺めながらつぶやいたのです。
〇いずれにせよ唐突な質問であり、私もまだ20歳代でしたので人生経験も浅く、ただその場の勢いで「これまで生きてきて、そんなこと考えている時間は自分にはなかったなあ~」とだけ答えた記憶があります。しかし本当は当時はまだそんな直球的な質問を大人として正面から受け止め、自分の言葉で答える自信がなかったというのが本心でした。以来他の生徒に「もし同じ質問をされたらどう答えようか?」が私の長年の課題意識になってきました。
〇そういう私が50歳半ばを過ぎたくらいに読んだ本に、「人の生きることに意味はあるのか?」に関して、考えさせられるトピックがありました。ある哲学者の実体験ですが、内容を要約して紹介します。
「その哲学者にはその道を志すきっかけになった100年前くらいの大哲学者(故人)がいました。とにかく彼は若いころからその大哲学者に強い憧れを抱いており、『あなたは将来どんな学者になりたいか?』と人から尋ねられれば、必ずその方の名前を挙げて答えていました。ある日京都で定例の学会があり、その晩にホテル近くの行きつけの小さなバーでいつものように一人でお酒を飲んでいました。すると後からその店に感じのよい紳士が来て隣に座り、お互いにボツボツ話を交わすうちに、相手が医大の先生であることがわかってきました。そしてその学者が自ら『自分は哲学者をしています』と自己紹介すると、その紳士が即座に『それは奇縁ですね。実は亡くなった私の祖父も哲学者でしたよ』と言います。学者は『そうですか、おじいさまのお名前を聞いていいですか?』と言ったその相手の答えに、その哲学者は思わず自席から立ち上ってしばらく直立不動となり、その紳士に深く頭を下げ、握手を求めた」という話です。
〇その哲学者は、「人は時として、存在するだけで他者に恩恵を与えることがある。その紳士も私を元気づけようとわざわざ京都まで来たわけではない。何気なく店に入ってきて、たまたま私の隣に座っただけ。ただ私の方は、尊敬する方のお孫さんに思いもかけずお会いでき、至極の喜びを感じた。そのお孫さんの紳士的なたたずまいを通して、尊敬する方を身近に感じることができた」と振り返っています。
〇さらに続けて「人はいつも、生きる意味を求めてあれこれ悩むが、『自分が存在するだけで、誰かを助けている』と思えるなら、それは素敵な生きる意味ではないか」と結んでいました。私はこれを読んだ時、他人事ながら深く感動しました。そして「人生において目には見えない縁があるのかもしれない」「人の強い思いは会いたい人を引き付けるのではないか」などと思いました。
〇今の生徒たちももしかしたら30年前のその生徒と同じような疑問をもっているかもしれません。もし30年前に戻ることができたなら、あの生徒(おそらく50歳くらいになっているはず)にもこの話をわけてあげたいです。
須藤昌英
1月8日(水)自律神経を整える(2つの神経のバランス)
〇私は普段から移動する際には、徒歩の他に自転車、バイク、自動車などを利用しています。歩いていたり運転していたりする時に、最近よく気が付くことがあります。信号機のない横断歩道で待っている人に「一時停止」をして道を譲るドライバーが増えたなと思います。
〇そもそも法律で、「横断歩道は歩行者優先であり、運転者には横断歩道手前での減速義務や停止義務がある」と規定されています。昔は多くの人はこのことを知っていても、停車して横断歩道を歩行者が渡るまで待っている車はほとんどありませんでした。これからもこのような人が増えるといいなと感じます。
〇このことで思い出したことがあります。人間の自律神経に関して多くの研究を発表している順天堂大学医学部の小林博幸教授が何かの雑誌に「運転中に相手の車に道を譲るだけで、自律神経が整う」と書いていました。最初読んだ時は「まさか・・それだけで・・」と思いましたが、よく考えてみると確かに道を譲る時は自分の心や気持ちに余裕があり、さらに道を譲った相手がこちらに頭を下げてお礼をされると、もっと気分が良くなります。こんな小さなことでも人間の身体は微妙に反応していることが面白く感じます。
〇自律神経系とは、身体の血圧や呼吸数など、体内の特定のプロセスを調節している神経系です。そして自律神経は身体の働きをコントロールするにあたり「交感神経」と「副交感神経」の二種類に分かれます。車に例えると、交感神経はアクセル、副交感神経はブレーキです。
〇交感神経の働きが上がると気持ちは高揚し、仕事の能率はあがります。逆に副交感神経の働きが上がるとリラックスし、疲れがとれていきます。ただ大事なのはこの2つのバランスで、交感神経が優位に立つとイライラし、身体の免疫力が低下します。逆、副交感神経が優位に立つと注意力が散漫になり、作業などのミスが増えます。
〇子どもの含めた現代人は、自律神経が乱れがちで特に「交感神経と副交感神経のバランス」がとれていないとは以前から指摘されています。先ほどの小林教授の言葉を引用させてもらうと、「自律神経とは、自分の意思で動かせない臓器をコントロールしている神経です。例えば末梢神経でいうと、自律神経はその周りにある筋肉を動かし、血流をコントロールしています。健康でないと、いいパフォーマンスはできませんよね。」と言われています。
〇生徒たちは学校では主に交感神経を優位に働かせて、学習や活動をしています。なぜならば、ボーとしていると授業の内容が頭に入ってきませんし、体育や部活動などでも転んだりつまずいたりと危険なこともあります。朝自宅を出てから、登下校も含めて夕方帰宅するまでは、ほとんど交感神経を働かせていると言えます。
〇ですので自宅等では、副交感神経の出番になります。副交感神経は好きな音楽や動画を聴いたり観たり、家族とおしゃべりしたりするだけで活発になるそうです。また身近な自然を感じたりする、例えば登下校で朝陽や夕陽を「キレイだな~」と感動してながめたり、道端の草花や昆虫を見つけたりすることも有効だそうです。
〇気分転換としてスマホやテレビゲームも否定するつもりはまったくありませんが、それを適度に利用し、少なくともそれを追いかけるまたは追いかけられる時間(これは副交感神経ではなく交感神経が優位になっている)を少なくするようにしたいものです。
〇今朝もまだ車の運転に自信のない若い職員と話をしていると、「今朝、学校の正門前で右折して入る先輩に左折して入ろうとした私が『お先にどうぞ』と譲ってあげました」と話していました。先輩教員だから譲ったのかもしれませんが、少なくともその若い職員は今日一日、穏やかな気持ちで過ごせることでしょう。
須藤昌英
1月7日(火)第3学期始業式&私立高等学校入試開始
〇本日から3学期が始まりました。昨晩の雨のおかげで、しっとりとした朝で、少しはインフルエンザなどの感染症もおさまってもらいたいものです。2週間ぶりに正門で生徒が登校する様子を見ていましたが、お正月を過ごしてこれから学校生活にリズムを切りかえようとして、緊張感?浮遊感?が漂う生徒も多くいました。が大きな声で挨拶をしてくれました。
〇始業式では、次のようなスライドを使って話をしました。
〇最初は「なぞなぞ(とんちクイズ)」から始めました。学校は「これはなんだろう?どうして?」などを大切にし、大きな課題は解決を急がずに探究する場所であってほしいものです。「なぞなぞ」の語源は「なんぞ、なんぞ」で、学校は今まで分からないことが分かるようになる、出来なかったことができるようになる場です。
〇そして現代を生きていく生徒たちには、4つのC(挑戦、コミュニケーション、見通す力、自立・自律)に代表される資質・能力が欠かせません。そのベースとして特に「自分は何よりも~が好き」で「〇〇をしているときの自分がどんな自分よりも好き」という感覚を大切にしてもらいたいです。
〇ただ留意してほしいのは、「あの人は言うことと実際にやっていることがバラバラだね!?」では、人間関係上の信頼感をなくします。言っていることと行動が一致(言動の一致)するとは、発する言葉(口)と実際の行動(身)の矛盾がないことです。特に顔や口は正面にあるので見えやすいし伝わりやすいですが、行動は背中(見えにくい、伝わりにくい)に滲み出るので、「背中でも語れる人」が理想です。
〇最後に今から34年前の曲「どんなときも(槇原敬之:作詞作曲)を流しました。当時私は二十代後半で、クラスの生徒とよくこの曲を聞いたり歌ったりしていました。特に曲のサビの歌詞が今でも印象に残っています。
どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために 「好きなものは好き!」と 言えるきもち抱きしめてたい
どんなときも どんなときも 迷い探し続ける日々が 答えになること 僕は知ってるから
〇21世紀も四分の一が過ぎようとしています。生徒たちは22世紀にまたがって生きるのですから、残りの四分の三をいかに生活していくか・・。生徒たちに投げかけて終わりました。
〇明後日から高校入試が本格的にスタートします。都道府県によって私立高等学校の日程がほぼ決まっており、今週の茨城県から始まり、順次千葉県、東京都、埼玉県と続きます。私立高等学校はその学校独自の入試を行いますので、大別すると「一般入試」「推薦入試(単願・併願)」ですが、その他日程も「A日程」「B日程」などと、入試の機会をAとBに分けることで受ける回数が増えしている学校もあります。
〇また私立高等学校は公立高等学校と違い、発表している「募集定員」よりも多くの「合格者」を出します。理由としてはやはり学校を経営するという面がありますので、もしその後に入試のある公立高等学校へ多くの生徒が流れてしまうと、募集定員を下回る可能性があり、それを避けるためです。
〇千葉県公立高等学校は今年から全校でインターネット出願になりました。1月14日~2月3日までに志願者情報の登録及び入学検査の納付を行い、2月4日~6日で「郵送による出願」、2月12日~13日の「志願(希望)変更」、2月18日~19日の「学力検査等」、3月4日の「発表」と続きます。ただし私立高等学校と違うのは、先ほど書いたように「1回しか受けられない」「募集定員数通りしか合格者を出さない」ことです。
〇その為1回に限り、まず出願確定した後にネットや翌朝の新聞に掲載される「志願倍率」を見て、最初に志望した高等学校への願書を引き下げ、新たな高等学校へ出願することができます。ただしこれは無暗に行うと返って生徒本人に心の動揺が残ることもありますので、慎重に行わなければなりません。
〇上記の4つ「出願」以外の3つ(「変更」「学検」「発表」)は基本的には、生徒自身が志望校に行くことになりますので、担任からは必ず事前に行き方を調べたり、実際に足を運ぶように指導したりしています。ただ2月ですので、過去には入試日に雪が降り、交通手段がストップしたり開始時間が遅れたりしたこともありました。最悪の状態も想定し、どうやって入試会場までいくかは複数の案をもっていた方が良いと思います。
〇現在3年生は体調管理と試験準備の両方に気を使っていますので、学校としては無事に終わるようにサポートしていきます。
〇3学期は全校生徒で集うのは、3月3日の生徒会主催「3年生を送る会」のみで、3月11日の「第78回卒業証書授与式」で3年生は巣立っていきます。インフルエンザやコロナ等の感染症も大きく広がらないように祈っています。
須藤昌英
1月6日(月)「はたらく細胞」を観て
〇新年になり映画を一つ観ました。最初はあまり気乗りしませんでしたが、家族に勧められて行きました。「はたらく細胞」という題で、館内には親子連れも多く、随所に戦闘シーンもあるので、子どもはどういう感想をもったのか知りたいところです。学校ならば気軽に生徒に「どうだった?印象に残った場面は?」など矢継ぎ早に尋ねられますが映画館ではそういうわけにはいきません。
〇映画の公式ホームページから紹介文を引用させてもらいます。
「人間の体内の細胞たちを擬人化した斬新な設定で話題を集め、テレビアニメ化もされた同名漫画を実写映画化。原作漫画『はたらく細胞』とスピンオフ漫画『はたらく細胞 BLACK』の2作品をもとに、ある人間親子の体内世界ではたらく細胞たちの活躍と、その親子を中心とする人間世界のドラマを並行して描く。
人間の体内には37兆個もの細胞が存在し、酸素を運ぶ赤血球や細菌と戦う白血球など無数の細胞たちが、人間の健康を守るため日夜はたらいている。高校生の漆崎日胡は、父の茂と2人暮らし。健康的な生活習慣を送る日胡の体内の細胞たちはいつも楽しくはたらいているが、不規則・不摂生な茂の体内では、ブラックな労働環境に疲れ果てた細胞たちが不満を訴えている。そんな中、彼らの体内への侵入を狙う病原体が動き始め、細胞たちの戦いが幕を開ける。」
〇人間の主人公の体内にある細胞の方の主人公は、赤血球(肺から取り込んだ酸素を全身の組織に運ぶ役割)と白血球(細菌、ウイルス、カビといった外敵やがんから身体を守る働き)で、それぞれが自分の役目を果たそうとする中で、無意識でお互いに連携してはたらいていますが、そのことを身体の主人である人間はまったく知らないで生きています。
〇先日、初日の出を見て、太陽と我々生物の関係を書きましたが、あれはマクロ(大きい・巨大)的な関係ですが、細胞はミクロ(小さい・細かい)的な世界で対照的です。ただ「目に見えない・意識できない」という点で共通点も感じました。
〇私は学生の頃から、「遺伝子や細胞」といったことに興味があり、一時期は科学者としてその研究もしてみたいと思っていました。ただ自然とそれを断念し、数学の教員となりましたが、生物分野でも数学が活用されているので、教員になった後も生物系の本を見るのが好きです。
〇例えば、細胞は1つの細胞から順々と細胞分裂していきますが、1回目の分裂で1個が2つに分裂して2個、2回目の分裂で2個がそれぞれ2つに分裂して4個、3回目の分裂で4個がそれぞれ2つに分裂して8個・・となり、30回目の分裂でおよそ10億個になります。つまり2のカイ乗(n乗)計算は、予想をはるかに超えるスケールで増えていきます。
〇また3年生が理科で学んでいましたが、メンデルの法則(遺伝子に関する古典的な研究)では、詳細は避けますが、エンドウ豆の丸形としわ型を交配させ、交配によって一つが他よりも優れて現れるのを「優性遺伝」と呼びます。その結果分析にはマトリクス(縦軸・横軸の二次元で構成された表)を使い、統計的な数学の処理をしています。
〇数年後には生徒たちは、社会に出てそれぞれの職業を通して収入を得ると同時に、その仕事や役割を通して社会に貢献していきます。その貢献という目には見えないはたらきこそ継続していく要因となります。「自分も何かの役に立っている」が自己有用感となりますので、前述の細胞たちのはたらきと共通している面があります。働くとはよく「自分の行為によって傍(はた)を楽(らく)にする」ことと語呂合わせのように言われることがありますが、上手な解釈だと思います。
〇明日は2週間ぶりに生徒たちと再会します。私は始業式で話す内容を考えつつ、3月の卒業式の準備も始めましたし、職員も多くが出勤し、明日からに備えています。感染症も流行っていますが、元気に登校してくれることを願っています。
須藤昌英
1月4日(土)新年おめでとうございます
〇新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。1日はあの能登の震災からちょうど一年でした。お亡くなりになった方も大勢いらっしゃいました。お身内を亡くされた方もいらっしゃいます。なかなか復興が進まず未だに不自由な暮らしの方も多いと聞きます。お見舞いを申し上げます。
〇令和七年は巳年(みどし・へびどし)です。蛇は脱皮をすることから、「新生・成長・変化」のシンボルとも言われます。小学生くらいの時遊んでいる最中に、林の中で蛇の抜け殻を見つけたことがあります。初めて見たのでとても神秘的で、自宅まで持ち帰り母親に叱られた思い出があります。
〇確か布施弁財天(紅龍山東海寺)様にも白蛇が祀られています。白蛇は弁天さまの使いといわれ、以前に参拝したときに境内にかわいい白い蛇のキャラクター「はくじゃちゃん」があったのが印象に残っています。布施弁財天はまさに富勢中学区の守護をしてくださっていますので、いつも感謝しています。
〇1日は自宅近くの手賀沼からご来光を仰ぎました。ご来光を見ると、亡くなった父が言っていた言葉を思い出します。「太陽があるから人間は呼吸もできるし、心臓が動いて血が全身に流れているんだよ」と言われても幼い頃は実感がありませんでした。ただこの年齢になると少しはその意味がわかります。太陽とすべての命がつながりあって地球上の生物は存在していることは、目には見えませんが想像することはできます。
〇よく使う「おかげさまで・・」の言葉の由来もここにあるのでしょう。日光は見えますがその影響力は広大かつ深遠で、その一つとして植物の光合成によって大気が循環し、それによって動物は生きていられます。「目に見えない周囲の支えがあって人間は好きなことができる」ということは普段はあまり考えませんが、元日という節目には謙虚になってそのことに感謝しつつ、今年一年の目標に思いを巡らせました。
〇好きなことができるのに関して、中国の論語(孔子と弟子たちとの問答を集録した書)を思い起こします。それは、『子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者』で、読み方は「子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」です。意味は、「先生は言われた。物事をよく知っているという人は、そのことを好きな人にはかなわない。またそれがいくら好きであっても、それを楽しんでいる人にはかなわない、と」。
〇学校は様々な教科や活動があり、私もそうでしたがそのすべてが好きだという生徒はいません。ある面では仕方なく勉強していますが、もしその中に一つでも自分の好きなものがあれば、その人は幸運だと言えます。好きですから無理して努めなくでも必要な知識や技術は身につきますし、やればやるほど他人に言われるまでなくそのことを自ら探究していきます。
〇ただ好きなだけでなく、それを楽しむことができれば、さらにその学びの姿勢は自然と継続されます。日本でも「好きこそものの上手なれ」は有名なことわざです。子どもであれ大人であれ、どんなことでも上手な人は生き生きとしています。先日もおめでたい報道があったメジャーリーガーの大谷翔平選手も、持って生まれた才能に加え、野球が好きでたまらない気持ちから、生活のすべてを野球のためにつなげ、人の見えないところでとてつもない努力をしているのです。
〇新年にあたり富勢中のすべての生徒たちが、「この好きなことがあるから嫌なことも乗り越えられる」という秘かな自信をもって、今年一年を過ごしてほしいと願っています。
須藤昌英
12月31日(火)良いお年をお迎えください(自宅から投稿)
〇先週の火曜日から始まっている冬季休業(~1月6日)ですが、一週間が過ぎ、残り一週間となりました。お子様はどのように家庭で過ごしているでしょうか?日本海側は大きな寒波で大変な状況ですが、関東地方は寒さはあるものの毎日快晴に恵まれており、穏やかな年末のような気がします。
〇年末は家族が続々と発熱し、数回病院へ付き添いしました。幸いまだ今のところ私は元気ですが、もし今発熱すると発熱外来をしてくれる病院が少ないので、何とかこのまま乗り切れないか・・と考えています。
〇振り返ると今年は「辰年(たつ)年」でしたが、たつ(竜、龍)は十二支の中で唯一空想上の生き物で、権力や隆盛の象徴であることから、出世や権力に大きく関わる年といわれていました。であるからか今年は国内では政治的に大きな選挙があったり、世界的ではあらたな紛争が勃発(今までの戦争が継続)したりといろいろと考えさせられることがありました。
〇これらも生徒にとっては、「良い教材(自分たちの生きている社会を見つめ、自分たちの生活に直接結び付く)」ではないかと思っています。もちろん発達段階によって、興味の方向性や認知の精密性は異なり、個性もありますので一概に、「これとこれは中学生ならば必ず知っておかねばならない」と固定的には考えていません。
〇ただ気になるのが、情報化社会に浸かると、「フィルターバブル現象(自らの考えやし好にあった情報だけに囲まれ、その他の情報に関心を持たなくなる)」の危険性が高まるということです。手元のスマホなどを通して限られたネットワークからの情報に著しく依存することで、視野の狭さ、誤情報を信頼、社会的分断、判断能力の低下、興味の固定化、コミュニケーション能力の低下などが指摘されています。
〇自分とは異なる考えや意見にも耳を傾け、その考えや意見の背景や理由を想像してみることは、社会に出てからは欠かせない姿勢になります。学校はそのための練習として、授業やその他の活動を用意しており、話し合い活動や協働活動の中で「一人でいるよりも人間関係は大変だけれども、確かに大切でもある」ということを実感してもらいたいのです。この「大変」と「大切」が表裏一体であることがわかると、コミュニケーション能力もあがると思います。
〇もう一つ気になるのが、生徒自身よりも周囲の大人が、「子どもは教科書の内容さえをしっかり理解し、身につければよい」という声を時々耳にすること。ただそれは生徒のもっている力を過小評価していると感じます。教科書はあくまでも知識の入口に過ぎず、現実の世の中はもっと広範囲です。先ほどのように「そんな世界情勢などに関する議論のような難しいことを今の生徒がわかるはずがない」と思っている大人も多い気がしますが、実は生徒たちは「答えのない問いを考える力」をすでにもっています。この事実と向き合い続ける力こそこれからの未来を背負っていく彼らに必要な力であり、大人は彼らの意見ももっと尊重し、一緒に考えていくべきです。
〇ただそれを考える時間の確保が、学校の今の教育課程(授業時数)では難しいのが現実です。知識が体系的にまとめられている教科書はもちろん大切ですし、その内容はある意味「人類の英知、世の中の仕組みのエッセンス」ですので、「困ったときに戻って確かめる」のが本来の役割です。たた前述のように「教科書さえ学んでいれば・・」では、「生きて働く知識」にはならないと思います。
〇我々大人が、広くて深い思考をし、子どもたちの見本となっていくことや、現実には大人でもわからないことが多いので、子どもたちと一緒に考えていく姿勢を持ち続けることが大切だと思います。
〇今年の「校長雑感ブログ」も、本日で終了となります。自分の頭に思い浮かぶことをありのままに書きました(ただその分読まれる方は読みにくいことも承知しています)。保護者アンケートの中にも、「校長先生のブログで、学校の様子がわかり親としてはとてもうれしかったです」などのご意見もいただきましたので、励みになります。校内での出来事はすべて校長まで報告がありますが、もちろんすべての情報をブログに書くことはできません。ただできるだけ今後も「これは学校内だけで留めるのではなく、保護者や地域の方々にも知ってもらった方が良いだろう」の視点で書くことで、学校の様子を透明化(可視化)できたら・・と思います。
〇良いお年をお迎えください。生徒たちとは1月7日(火)に再開できることを楽しみにしています。
須藤昌英
12月23日(月)2学期終業式&いじめ防止集会
〇2学期(授業日数77日)が終わります。暑い9月から寒い12月と月日の流れとともに、生徒たちの成長を感じます。そしていつも学期末には、学校は果たして一人ひとりの生徒に精一杯「個別最適な支援」ができたかどうか・・と考えさせられます。2学期の表彰式に続き、終業式を体育館で行います。
〇戦国時代の武将の中で私が好きな一人が、毛利元就(もうりもとなり;1497-1571年)です。一般的には知略と謀略に長けた名将で、数々の経緯を経て、所領を増やしたことで評価されています。もちろん武士ですので、大勢の人々を支配し時には殺戮もしてきたでしょう。ただそんな彼でも人間くさい2つのエピソードがあります。
〇そのうち有名なのが、「三矢の訓え(みつやのおしえ)」で、元就が、三人の息子(隆元、元春、隆景)にあて、大きくなればなるほど身内の中での争いが生じることは世の常であるが、毛利家の将来のため、一家の頭領として三人の子どもに一致団結を説きました。その例えが、1本の矢なら簡単に折れるが、3本まとめて束にすれば折れない。それと同じように、3人が力を合わせれば、誰にも負けることはない」と諭したそうです。
〇もう一つがあまり知られていませんが、元就の部下や庶民に対し方のエピソードです。私はこれの方が「三矢の訓え」よりも好きなので紹介します。
「元就は自分の御屋敷にいる時には いつも餅や酒を切らさずにおいていた。元就は城下に住んでいる、とりたてて身分の高くない侍や 小間使いの者、あるいは庶民などまで親しく付き合った。そういう人たちは、農作物や山海の珍味などを持って、元就に面会した。そういう際に元就はわざわざ場を設けて歓待し、贈り物を喜んで受け取りつつ、必ず「君は上戸(酒が好きで飲める)か?それとも下戸(酒は飲めない)か?」と尋ねた。相手が「酒は飲める」と答えると、笑って酒を飲ませた。逆に「酒は少しも飲めません」と答えると、「君は下戸なのか。ならば餅を食べなさい」と餅を食べさせてあげた。このことから、身分の低い者たちまで元就のことを慕っていた」
〇作り話の可能性も否定できませんが、大将という立場になると人間は下の身分の者から遠い存在になってしまいますが、あえて相手に合わせて接待することで、戦時などの危機の場合にも家来から助けてもらえたということでしょう。特に「酒か餅」を相手に合わせて出すなどは、前述の個別最適な教育に通じるものがあります。終業式でも少しその話を生徒たちにしてみようかと思いつつ、自分としてはお正月に、お屠蘇(とそ)とお雑煮(ぞうに)をいただきながら、ゆっくりと振り返ってみます。
〇終業式に続いて、生徒会主催の「いじめ防止授業」を行います。これは先月に柏市教育委員会主催の「いじめ防止サミットKashiwa」に参加した2年生の中村さんと佐藤さんが、そこで学んだ内容をさらに本校の生徒アンケートの結果も含めてアレンジしたものです。全校生徒が話し合いをしやすいような工夫が満載されており、今からとても楽しみです。
〇まず事前に全校生徒に行ったアンケート結果を確認しました。スマホを持っていない生徒は7パーセント(持っている生徒は93%)、持っていない理由(家のルール、自分の意思、没収、その他)、持っていないメリット(トラブルなし、面倒くさい人間関係なし、見てしまう無駄な時間なし、依存症にならない・・)、持っていないデメリット(いざという時の連絡手段なし、みんなの話題がわからない、調べる時に不便・・)、持っていて今まで問題を起こした人12%、友達の使い方をみて問題だなと思った人22%。
〇次の2つのテーマを体育館内で話し合いました。
テーマ①『もし柏市で中学生以下の児童生徒のSNS使用が禁止になったらどうする??賛成?反対?』
テーマ②『中学生以下は禁止』という条例が出ないために、皆さんが学校生活や実生活でできることは何ですか???
それぞれの意見の代表として、事前にビデオ撮影した生徒たちが考えを発表しました。
〇最後に、山本PTA会長さんにアンケート結果を見ての感想と3つの気を付けることのメッセージをいただきました。「親が子どもにスマホを持たせる一番の理由は、安全を確認するためです。しかしその反面、SNSのトラブルや闇バイトなどの犯罪に巻き込まれる危険があります。冬休みに入るにあたって、使用時間を管理する(目の休養、運動量の確保、家族との団らん)、SNSのマナーを守る(言葉の使い方、相手への思いやり)、個人情報を漏らさない(氏名、住所、電話番号、家が特定できる写真)ように。相手と向き合っての年末年始の『良いお年を』や『あけましておめでとう』などは文字だけでは伝わらない表情や動きがあるので、誤解の少ないコミュニケーションです。楽しい冬休みを過ごしてください。」
〇山本会長さん、お忙しい中ありがとうございました。インフルエンザ警報も出ていますので、令和7年1月7日にまた元気で会えますように。
須藤昌英
12月20日(金)創立80周年に向けてのワーク&年末大掃除
〇富勢中は2年後に創立80周年を迎えます。市内では同じく昭和22年に新制中学校としてスタートした中学校があと3校(柏中、土中、田中中)あります。本校創立当時は生徒数199名(4学級)で、軍隊の旧兵舎を仮校舎としていた記録が残っています。
〇平成9年の創立50周年には、柏市長をはじめ多くの来賓に来ていただき、創立記念式典を盛大に行いました。その後の60周年、70周年は記念集会という形で、記念誌を発行したり講師を招聘して講演をしたりしました。大きな次の式典は創立100年になります。
〇過去の式典は、教員や地域の方々、PTA役員などの大人が企画・運営していました。これは入学式や卒業式と同様の学校行事であり、来賓をお招きしてみんなでお祝いするという目的がありますので、ある面では仕方ないと思います。
〇ただ私も過去の勤務校で何度か創立記念に関わってきましたが、どうしてもその創立記念の場に立ち会い、本来は主役である生徒たちがお客さまのようになってしまうことが気になっていました。生徒の心の中は「●●周年だからおめでたいことはわかるけど、これからこの学校の歴史をつくっていく私たちは何をしたらいいんだろう?」みたいな気持ちがきっとあったと思います。
〇そこで来る80周年はこれまでとは異なり、生徒会が中心となり自分たちが調べたり考えたりした富勢中や富勢地域の歴史や先輩方の思いを振り返り、これからの未来へのビジョンを共有する場に保護者や地域の方々を招く創立記念集会をしたいと考えています。
〇自分たちの言葉で発表する場に、日頃からお世話になっている保護者や地域の方々への感謝の意を表し、さらによりよい関係性を向上させることを目的としたて実施する「生徒主体の行事」にすることを目指します。
〇そのためのベースづくりとして、1・2学年の生徒会役員たちと校長室でワークショップをしています。主な課題は次の3つです。
●今の富勢中で保護者や地域の方々に自慢できる素晴らしい点やあまり目立たないがこれからも継続していきたいことは何か?
【主な意見】
・素直でフレンドリーな生徒が多い ・友情を大切にし笑顔が多い ・クラスの団結力や雰囲気がよい ・生活のきまりやルールを守っている人が多い ・気軽に挨拶を返してくれる ・昼休みに元気で遊ぶ生徒が多い ・下駄箱の靴がそろっている ・授業も真剣に受けている ・リーダーの声掛けがさかん ・元気で積極的 ・歌声きれい ・黙働清掃ができている ・富中大好きと言える ・委員会も部活動も全力で取り組む ・学校行事に積極的 ・先生方が生徒に寄り添ってくれる ・三大伝統(あいさつ、清掃、歌声)
●来る創立80周年に向けて、今後さらに理想とする富勢中になるために必要なことや取り組みたいことは何か?
【主な意見】
・校内の花を増やし華やかにする ・富勢中学区の小学校の児童に富勢中やその歴史をしってもらう ・80周年ポスター制作をする ・地域とのコラボレーション ・コミュニケーションの活発化 ・富勢中のキャラクター作成 ・周年プロジェクトチーム結成
●これを踏まえて、その狙いを達成するために来年と再来年の生徒会行事をどうするかを話し合いました。体育祭 合唱コンクール あけぼの祭 新規行事 など
【話し合い継続中】
〇今日の午後の職員会議で、生徒会役員が話し合いの進捗内容をプレゼンします。職員会議で生徒が提案するのは異例なことですが、学校の一番の当事者である生徒の声を聞くことも大切です。
〇今日は全校一斉の大掃除を行います。日本では年末に大掃除を行い、「心機一転して新年を迎える」という「しきたり」のようなものがあり、これに異を唱える人をあまり聞いたことがありません。確かに普段は見逃している(見えないふりも含む)場所もきれいにしますと、新しい発見があったり何より気分が明るくなったりします。
〇「仕来り(しきたり)」を辞書で調べますと、「昔からの習慣、ならわし、慣例」とあり、用法としては「~を守る」「~に縛られる」とありますが、この2つでは180度違う姿勢になります。
〇「~守る」は、正しいと信じていることを今まで通りにやることですが、さらに自主・自律的に自らやろうとする意志のもと、「どうせやるなら楽しく」なるように、創意工夫をしていくまでになると、たとえ誰かに「もうそんなことやめたほうがいいよ」と言われたとしても、全く意に介せず、続けていくことができると思います。
〇その一方で「~に縛られる」の方は、自分の気持ちに関係なく仕方なくやることになり、創造性・想像性は生まれません。むしろやる意義や意味、それをやることによる効果などを考えていないので、とにかく「はやく終わればいい」しかないと思います。
〇以前にサッカーワールドカップでは、日本人サポーターが客席のゴミ拾いを自主的にしたり、選手ロッカーが最後きれいに片づけられたりした写真がアップされ、世界から賞賛されていることが話題になりましたが、使用させてもらった場所に感謝していることを行動に示したとも言えます。
〇ただ一部には、「清掃をする人の仕事を奪っている」との見方や、もっと厳しい意見は「単なる売名行為?にすぎない」まであるようです。私などもさすがにそれには頭の中で疑問符がいっぱいになりましたが、しかし日本人的見方を超えた世界レベルではそういうこともあることは知っておくべきでしょう。
〇学校の清掃も多くの国では、雇われた清掃人が仕事として行っており、生徒自身が清掃をするのは稀だそうです。先ほどのワールドカップの話でも、我々は学校で清掃活動をしてきたので、違和感はありませんが、成長過程でボランティアベースの清掃を経験してこなかったならば、理解できなくても当然なのかもしれません。
〇しかしその日本型教育が注目され、アフリカでは生徒による清掃を取り入れた国もあるそうです。さて、「今日の大掃除をどんな気持ちでやっていますか?」「大掃除って必要だと思いますか?」などと、見かけた何人かの生徒に尋ねてみようかなと思います。
〇部屋の窓は開けっぱなし、しかも水道の水は冷たい状況でも、自分たちの分担をキレイにしようと、黙々と身体を動かす生徒たち。この経験により少なくとも、意図的にゴミを落としたり汚れている場所をさらに汚したりすることのない大人に成長してくれると信じています。
須藤昌英
12月19日(木)2学期保護者会&2学期給食最終日
〇昨日、2学期の保護者会を行いました。1学期末の7月には実施しなかったので、4月の当初保護者会から8カ月ぶりとなります。全体会で私からこの8カ月間の本校における学びや富勢中学校4区の児童生徒に身に付けさせたい力、来年度のクラス編成の方向性を説明しました。その後教務主任から保護者アンケートの結果報告、生徒指導主任からいじめアンケートの結果と冬休みの過ごし方などを話し、クラスや学年の懇談会となりました。
〇保護者会のあいさつでも言いましたが、以前よりも世の中の変化の割合が数倍で、あらゆる技術革新のスピードが加速しています。その様子を、犬の成長の1年がおよそヒトの7年に相当する(ヒトの7倍速く進む)ことから「ドッグイヤー」、または鼠の1年がおよそヒトの18年に相当する(ヒトの18倍速く進む)ことから「マウスイヤー」などに例えられることもあります。よく「不易と流行」と言われますが、世間の変化に対応しつつ、生徒の学びのはやさは従来と変わらずにある程度余裕をもたせた環境で、じっくりと考えたり話し合ったりする時間を確保していきたいです。
〇普段はシグフィーやホームページなどでのこちらからの一方的な情報発信が多いですが、年に数回でも顔を見ながらお互いに話をすることが大切であると思います。お越しいただき、ありがとうございました。私がお話しさせていただいたスライドを掲載します。
〇今日は2学期最後の給食となります。2年前の今頃はコロナの後の対応として、「あなたはこれからも黙食を続けたほうが良いと思いますか」と生徒アンケートを実施したのを覚えています。結果としては「継続した方が良い」が6割、「継続は必要ない」が4割でした。生徒の中ではまだ続けた方が良いと思う人が思わない人の約1.6倍であり、その後もしばらくは継続していくことにしたのでした。今は前と同様に楽しく喫食しています。
〇振り返るとコロナ禍で、生徒たちもいろいろな経験をし、「自分は~したらよいと思う」と考えるようになってきたと思います。ただ当然のことながら、同じような経験をしても人によって考えは異なります。一見すると意見が対立し、白か黒の2つに一つしかないように見えますが、この時こそ、「広くて深い思考」が必要で、そのためまずお互いに目的が一致していることを確認し、次に対話する姿勢(相手の真意を理解しようとする)を持ち続けることしかありません。
〇先週から今週にかけて、給食の残菜・残乳ゼロ週間に取りくみました。担当の鹿野栄養教諭からのメッセージです。
先日の白ご飯は、全校で110㎏炊きましたが、残ったのはたった460g(0.4%)でした。これは約2.4人分だけです。生徒と教員合わせて550人ですので、これだけしか残らないことがどれだけ凄いことか。チェック表でみると〇や×なので「×がついてしまった・・」と感じる時もあると思いますが、皆さんが残さないように頑張ってくれていることが給食室にも伝わっています。
栄養教諭という仕事をしていて常々思うのは、「給食は食べてもらってはじめて完成」ということです。どれだけ栄養価を整えても、みなさんに食べてもらえなければ意味がありません。この一週間はみなさんのおかげでとても完成度の高い給食でした。これからもたくさん食べて、学んで、遊んで、健康な体と豊かな心を育んでくださいね。
〇今朝は少し雪がちらつきました。だからというわけではありませんが、今日のメニューは、「キャロットライス、チキンクリームソース、ゆで野菜のごまサラダ、ブルーベリータルト、牛乳」で、来週のクリスマスをイメージしています。またお話し給食(生徒からのリクエスト)で、「赤毛のアン」にちなんでカナダ産のブルーベリーを使用しています。
須藤昌英
12月18日(水)「ほめて認める」から「学び成長する」へ
〇少し調べると昨日のアリとキリギリスの物語の結末や解釈以外にも、最近は興味深い2つの説(現代の日本版アリとキリギリス)があるようです。
【現代日本版アリとキリギリス その1】
酷暑の夏、毎日アリが一生懸命働いているとき、キリギリスは歌ってばかりいて遊んでいました。冬になり食べ物がなくなり困ったキリギリスがアリの家を訪ねるところまでは同じですが、ノックしてもアリの返事がありません。家の中でアリは死んでいました。いわゆる働き過ぎの「過労死」だったのです。
【現代日本版アリとキリギリス その2】
冬が近づき食べ物に困ったキリギリスは、自ら演奏会を開くことを考え、アリの家を訪ねてチケット代わりに食べ物をもらい、そのおかげで冬を過ごすことができました。夏の間は遊んでいたのではなく、しっかり音楽の勉強をして、キャリアを積んでいたのです。
〇前者は実際にこれまでも日本でも起きていることなので笑えないですが、後者は先日の本校一年生の生徒の授業中の発言と本質は同じです。だれでも得意な面をいかしていけばよい・・と明るい気持ちになります。
〇昨日に紹介した菊池省三氏の実践は、子どもや青年の成長発達に伴う心や行動の変化の過程を明らかにした教育心理学に沿ったもので、小学校はもちろん中学校のすべて教科の授業の基盤となるものでもあります。
〇菊池氏の著書「一人も見捨てない!菊池学級12カ月の言葉かけ(小学館)」の「はじめに」から抜粋させてもらいます。
初めて出会う子どもたちに授業を行う日々のなかで、私は「一時間の授業」をよりいっそう意識するようになりました。自分を開示し、友達と認め合う関係をたった一時間の授業でどのようにつくっているか。それは「私(教師)が子どもたちと一緒に成長していく」という思いを子どもたちと共有することでした。「どんな意見を言ってもいい」「間違っても大丈夫」「いろいろな意見があって当たり前」という安心感を持たせ、「自分の意見を話すことができた」「友達の新たな一面に気付いた」「みんなで考え合うって楽しい」と実感できる授業をつくりたいと思います。
言葉がけは「ほめて認める」視点が大切です。ほめて認めるというのは、プラス面に目を向けることであり、望ましい方向性を示すことでもあります。教師がほめて認める視点で子どもたちに言葉がけをすることで、子どもたちもまた同じ視点を持つようになっていきます。
(途中略)
教室はみんなで学び合うところです。そして、みんなが協力して一緒につくり上げていくものです。マイナスの場面があっても否定せずプラスに活かしていく言葉がけをすることが大切です。「主体的・対話的で深い学び」が現行の学習指導要領の大きな柱になっていますが、子どもの活発な学びは、自分に自信を持ち、お互いに認め合う信頼関係がある温かい学級が土台にあってこそ成り立つものです。
〇柏市は「第2次柏市教育振興画(令和3年度から令和7年度の5年間)」の中で4つの力(コンセプト、チャレンジ、コミュニケーション、コントロール)を4Cと銘打ち、バランスのとれた児童生徒の育成を目指しています。またそれとリンクするように先日も書いた富勢中学校区小中学校4校の共通の「児童生徒に身に付けさせたい力」を4つの柱を立てています。
〇富勢中の実態からもう一度その4つの力を整理します。
【本校の生徒の実態】
・コミュニケーション(関わり合う力)については、地域の行事やボランティアに参加する生徒は、以前よりも少なくなってきている。しかし、他人の話をしっかり聞く姿勢を持っている生徒が多い。自分の考えを説明することが、若干苦手な生徒が多い。今後の課題といえる。
⇒1 自分を大切にし、他者を尊重する力
自分の意見や感情を大切にしつつ、他の人の気持ちや考えも理解し尊重できる力。多様な社会の中で、お互いを尊重し合いながら成長するための基盤となる。
キーワード: 「まずは自分が大切、ならば皆も同じく大切にしよう!」
【本校の生徒の実態】
・コントロール(自律する力)については、どの学年も学習に意欲を持って取り組む生徒が多い。学校の決まりやクラスで決めたことを守ろうとする意識が高い。
⇒2 考えを伝え、協力する力
自分の考えや意見をしっかり表現し、他者と協働して物事を進める力。チームでの協力やコミュニケーションを大切にし、共に目標を達成できるようになる。
キーワード: 「親しくはない仲間の中でも、お互いに考えを伝え合おう!」
【本校の生徒の実態】
・チャレンジ(挑戦する力)については、物事に取り組むときに、あきらめずに粘り強く取り組み事ができる生徒が多い反面、失敗を恐れずに挑戦する意欲は、若干弱い。
⇒3 しなやかに挑戦し続ける力
困難に直面しても、失敗を恐れずに挑戦し、学び続ける力。未来に向かって、自分の道を切り開くために必要な自己肯定感や、柔軟な思考を身につける。
キーワード: 「失敗を失敗のままで終わりにせず、それを活かそう!」
【本校の生徒の実態】
・コンセプト(見通す力)については、分からないことは、そのままにせず、人に聞いたり、自分で調べたりすることができる生徒が多い。その反面、計画的に取り組むことは、若干弱い。
⇒4 社会で活かせる学びの力
基礎学力をもとに、実社会で必要な知識やスキルを使いこなす力。自分の興味を活かしながら、これからの社会で役立つ力を身につけていく。
キーワード: 「学んだことのエッセンスを、自分の将来のベースとしよう!」
〇特に朱字の4つのキーワードは、学校全体で合言葉のようにしていきたいです。本校にはアリやキリギリスだけでなく、それぞれ独自の個性をもった生徒がいます。それをほめて認め、自分から学び成長していく生徒たちを支援していきます。
須藤昌英
12月17日(火)「アリとキリギリス」の立場になって考えると
〇先週の金曜日の午後、1学年4クラスを対象に外部から講師を招聘した授業研修会を行いました。今回の講師は菊池省三氏で、全国各地で教員同士の学びの場「菊池道場」を主宰し、これまで文部科学省「『熟議』に基づく教育政策形成の在り方に関する懇談会」委員も務められています。
〇元小学校教員で、著書は多数あり、「ほめ言葉のシャワー」「成長ノート」「白い黒板」など、教員ならば一度は聞いたことがあるキーワードを自ら実践されてきた方です。お住まいは北九州市なので、先週一週間は柏駅のホテルに連泊し、連日柏市や周辺市の小中学校へ講師として出向き、その最後の研修が本校でした。
〇午前中は富勢東小で授業を行い、富勢東小の教員も午後3時からの本校での授業振り返りに参加していました。1学年4クラスの4組で菊池先生が飛び込み授業(これまで生徒とまったく人間関係のない指導者が生徒たちと心を通わせつつ、1時間の目標達成を目指して行う)を展開し、それをオンラインで他の1~3組までつなぎ、各担任が4組と同様の課題のワークに取り組みました。
〇題材はイソップ物語で有名な「アリとキリギリス」でした。少しあらすじを確認しますと、「夏の暑い盛りに、アリが汗水ながして餌を巣に運んでいるとき、近くの涼しい草むらでは、キリギリスが楽しく歌っていました。『アリさん、アリさん, どうしてそんなに働いているの。まだまだ冬はやって来ませんよ』とキリギリスが言うと、『やがて冬がくるんだよ。その時困らないためさ』とアリは言い、熱心に働き続けました。一方、キリギリスはすずしい夕方になるとバイオリンを弾き、毎晩舞踏会を楽しみ、暑い日中は昼寝ばかりしていました。いつしか季節は寒い冬になりました。野の草は枯れ、キリギリスは食べるも のがなくなってしまい、餌を求めてアリの所へやってきました。『アリさん、 何か食べるものを分けてもらえませんか』とキリギリスが言うと、『それは、 お困りでしょう。どうぞお入り下さい』とアリは言い、キリギリスを暖かい部屋へ招き入れ、食事を与えてやりました。」
〇アリとキリギリスの話は、人間は勤勉であることが大切であり、怠けていてはその報いを受けるという教訓や「備えあれば憂いなし」などを考えさせる題材です。私が子どもの頃の昭和時代は、「子ども時代に必死で勉強しておけば、後から苦労しないで済む」、「将来のために、今を犠牲にしても頑張るのだ」などの考えが主流で、当時の日本人はこのおとぎ話の教訓を心の支えにして働き、日本は高度成長を遂げた歴史があります。
〇この物語は日本ではハッピー・エンドなお話になっていますが、あるイソップ研究者の調査では、世界を見渡すと日本と同じくハッピー・エンドになっているのは他の1国のみで、その他の国は「アリはキリギリスが飢えて死ぬのを待って、その死体を全部食べてしまいました」になっているそうです。欧米の社会では国境が地続きでこれまでも多くの戦争に明け暮れた歴史と風土があるので、幼い頃から人間社会の生存競争の厳しさを教えていることが背景にあるようです。
〇授業では3つのワークがありました。
1「ペアでアリとキリギリスのあらすじを説明しあう」
2「クラス全体でアリとキリギリスの2つに分かれ、どちらが偉いかを主張しあう」
3「もしキリギリスが人間だったら、あなたは助けるか助けないか」
〇ある男子生徒はキリギリスを助ける理由として、「キリギリスは音楽も演奏できるし体も大きいから、助けて仲間に入ってもらえば、何かの時に逆に助かるから」と堂々と発言しました。その瞬間にクラスはシーンとしました。「なるほど」と思って固唾を飲んだのです。菊池先生はもちろん参観していた私たち教職員もそんな見方をできるのかと目からうろこが落ちた気持ちでした。
〇私たち教職員は常に生徒と向きあっていますので、ともすると「こういう質問をすると~のような答えが返ってくるな」と自動的に予想しています。悪い言い方をすると先入観が働きます。ところがそのようなこちらが想定していなかった答えを生徒が発表したときには、指導者側が学べるのです。授業は新しい発見の連続です。
須藤昌英
12月16日(月)新着本展示会&味見読書
〇先日の市議会の話題の中でも教育予算の話をしましたが、毎年本校でも新しい本の購入費として85万円が市から支給されています。1学期に生徒や職員から読んでみたい本のアンケートをとり、予算内中で優先順位を決めて購入しています。今その「新着本」を図書室で展示しています。
〇また全クラスの国語の時間を使って、図書委員会の司会進行により、新着本を並べての「味見読書」を行いました。「味見読書」とは聞きなれない言葉ですが、あえていろいろな本を手に取り、興味のあるないも含め、今後読んでみたい本やその種類などを自分で確認する目的があります。
〇ちなみに「日本十進分類法」によると、本は次の10の類目に分けられます。
0 総記 1 哲学 2 歴史 3 社会科学 4 自然科学 5 技術 6 産業 7 芸術 8 言語 9 文学
さらにこの類目を細かくした網目があり、例えば最後の「9 文学」には、「日本文学、東洋文学、西洋文学、その他文学」と4つに分かれています。
〇最初に図書委員から説明があり、1テーブル5分ずつ6テーブルを班ごとにローテーションします。一つの本をじっくりと読むのではなく、料理を味見するように、気になる本をチェックしていく活動です。
〇生徒の感想の一部から抜粋します。
・見たこともない本や名前すら聞いたことのない本がたくさんあり、いろいろなジャンルの本に触れることができた。そのおかげで今までチャレンジしなかった本を借りてみようと思った。色々な本から新しい知識を身に付けたり理解を深めたいと思った。
・本を読んでいると自分がなんだか大人になった気分で気持ちがよくなる。できれば日向のテラスやハンモックで本が読んでみたい。
・私の場合は受験が終わってから卒業式まで約1カ月くらいあると思うので、今日見つけた本を読んでみたい。
・考えさせられる本だったり勉強になる本だったり、感動したりと本はいろいろな感情や想像ができるので、時間を忘れるくらい読んでいると楽しい。本にはテレビなどとは違う楽しさがあり、これからも興味をもっていきたい。
・自分で買いたかった本や読んで見たかった本があってよかったです。新着本の貸し出し日にはすぐに借りたいです。
・昨年よりも自分の読みたい本が多く見つかってよかった。もともと特に生物系の本や国の本が好きなので、これからは歴史や宇宙に関する本にも興味が出てきた。
・いろいろな本をいっぺんに見ることはないので楽しく、各本の特徴や情報を得ることができた。また小説でも限りなくいろんな種類があったので、ゆっくり考えながらたくさんの本と出合っていきたい。
・普段本を読むときは、あらかじめあたすじを見てから読むことが多いので、あらすじを見ないで読むことが新鮮でとても面白かった。
・最近ぜんぜん図書室に来ていなかったので、やはり図書室の雰囲気は良いと思った。
・高校受験や勉強法など、受験生にはとても大切なことがのっている本があったので、読んでみたい。
・久しぶりに絵本を読むと意外と面白いことに気が付いた。普段は小説ばかり読んでいるので、違うジャンルの本も楽しい。多くの本が歴史系で手が出しづらかったけど、考察系は自分と違う考えを知ることができて良かった。
・今は朝読書以外に本を読む時間がないので、読む機会を与えてもらってよかった。味見読書は初めの方だけ読むから、そのあとの内容が気になって今度借りようと思った。
・味見読書はすごく楽しみにしていて、今日も読めてうれししいです。自分から手にとらない本でも、味見読書だと読むことができるので、より本が好きになりました。
・まだ読んだことのない本など、たくさんの本を読んで、どの本もとても読みやすくて、ワクワクして面白かったです。
・久しぶりに自分が本当に読んでみたいという本を見つけられたのが良かったです。味見読書なので、短い時間でしたが、新しい発見がありました。
・こんど本屋で本を選ぶとき、いつも見ないジャンルの棚もみてみようと思いました。
・受験もあり朝読書以外に本を読めませんでしたが、この機会を通し読むことができてよかった。
・有名な本はだいたい知っていますが、あまり聞いたことのない本もとても面白そうで、読んでみようかなと思いました。
・毎回恒例の味見読書ですが、今年も新しい本を読むことができ、とても良い時間でした。
・新着本の中で、何冊も読みたい本があった。
・自分で今まで読んできた本とは違うジャンルも読みたくなりました。同じジャンルに限らず、もっと色々読もうと思いました。
・本それぞれに良い点があったり面白さがあったり、読んでいて苦ではなかったです。
・気になるような表紙とか挿絵を選ぶことが多いですが、本の出版社にとっても大事な視点かなと思いました。
・自分はあまり図書室に来たことがなく、本を読みたい気持ちはあったので、冬休み前に本を借りたいです。
・普段から読むような本とそうでない本まで、色々な本を手に取る機会になりました。すごく楽しかったです。
〇柏市では学校の図書室を「図書室」ではなく「学校図書館」と呼んでいます。そして学校図書館指導員という図書専門の方を市から配置していただき(これも教育予算に入っています)、日常の図書整理や各教科とのコラボ授業などのコーディネートを担当してもらっています。学校図書館が生徒たちにとって、知的で心地よい空間であるように・・・。
須藤昌英
12月13日(金)「2学期いじめの状況調査」より
〇先日、全校生徒を対象とした「いじめ」を把握するためのアンケートを行いました。通常学校がいじめを認知するのは、「本人からの相談、他の生徒からの情報、職員による観察、保護者や地域の方々からの情報」となっていますが、定期的にアンケートによる状況把握を行っています。
〇そもそも「いじめとは、日常的なトラブルでも、本人が『いじめられた』『不快な思いがした』などと感じるものをすべて」と定義されており、生徒も職員もそれを意識しています。いじめが発覚すると必ず複数の教員で、本人及び関係生徒から事情を聴きとり、今後の謝罪や人間関係の再構築ついての話し合いを行いました。
〇集計した2学期の認知件数は5件で、その内訳は「冷やかしやからかいを受けた」「無視された」「悪口・陰口を言われた」「勝手にシールを貼られた」となっており、最初の「冷やかしやからかい」が毎回の調査では一番多くなります。それぞれの案件で、職員がまず事実の確認を行います。
〇1学期の認知件数は8件でしたが、例年ですと1学期は進学や進級などで新しいクラスになったり、各学年とも旅行的行事があったりと、まだ人間関係が不安定な面があり、多くなる傾向にあります。ただ柏市では、「いじめが解消した」とする条件の1つが、「発生から3カ月以上当該生徒の関係の中で継続したいじめはない」となっていますので、先ほどの5件の場合も、これから3カ月間は経過観察を行います。安易に謝罪などをもって「解消」としないこととなっています。やはり人の心の中までは見えませんので、時間が必要です。
〇ひと昔前のように、二人で喧嘩しても「喧嘩両成敗」とはいかず、お互いがそれぞれ嫌な思いを抱くと、それはすべて「いじめ」とカウント(2件)しますので、簡単にその場で相手に謝って終わりとできないところが、正直難しいところです。ただ大人も含めて生きていく上で一番の悩みは「人間関係」ですので、「こうすればいじめはなくなる」のような究極の方法はなく、丁寧に対応していくしかありません。
〇いじめに対しての対応は、「柏市いじめ防止基本方針」にも示されているように、早期発見と早期対応、学校組織内の情報共有、必要な指導・措置ですが、いじめのアンケートはその一つの入り口になります。いじめの未然防止も重要なのは言うまでもありませんが、こちらは、道徳教育を充実させたり人権意識を高めたりする地道な取り組みしかありません。
〇要するに最後は生徒の想像力を引き出すしかありません。「〇〇をしてしまったけど、された方の気持ちはどうなんだろう?」「●●と言ってしまったけど言われた方の今の気持ちは?」など、だれもが意地悪をする側と意地悪をされた側の両方の経験をしているはずですので、「今の自分はどちらの立場が多いか?」と自分をメタ認知できるようになってほしいです。
〇いじめアンケートの中に「普段の生活で困ったことや悩んでいることはありますか」の項目を故意的に設けています。これはいじめではないけれど、その他の相談もしやすいようにとの配慮からです。その中に、「親子や兄弟姉妹関係について」 「クラスの雰囲気について」「受験する高校について」「塾での人間関係について」「自分自身の身体や性格について」などがあります。それらについても一つひとつ話を聞くなど丁寧に対応しています。
須藤昌英
【いじめ防止啓発カード(千葉県教育委員会)】
12月12日(木)地方自治への関心(柏市の教育施策と予算)
〇3年生が社会科(公民)で「三権分立」を学習していますが、日本国憲法は、国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことにより、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障する「三権分立」の原則を定めています。
〇国よりも我々にもっと身近な都道府県や市町村などの地方公共団体は、大きく2つの組織から成り立っています。一つは「議決機関(地方議会:条例の制定や予算の決定などを行う)」、もう一つは「執行機関(市長と市役所:予算に基づきそれぞれ担任する事務を行う)」です。簡単に言うと、前者は後者のやっていることをチェックする機能を果たしているということです。
〇現在令和6年度第4回柏市議会定例会(一般質問:12月5日~12日)が開会中です。その様子は市役所7階の議場に行かなくても、インターネットで視聴することができます。柏市には36名の市議会議員が市民からの負託を受けており、柏市議会定例会は年4回(3月、6月、9月、12月)開催しています。
〇その議員の中には、私の小学校時代のクラス担任や中学校のクラスメイトもいます。以前は関心が薄くその存在も遠くに感じていた市議会も、知り合いがいると柏市に関するいろいろな情報が入りますので身近に感じます。逆に今は本校の卒業生でもある上橋しほと議員には、学校行事や生徒のボランティア活動に積極的に参加していただいており、その様子を柏市の各担当部局に伝えてもらっています。
〇市議会の前に市役所の各部へは、事前に質問する各議員から質問事項が通告され、それに対して各担当が答弁書を作成します。私も教育委員会事務局に勤務している時は、いろいろな答弁書を作成していました。前述のように、市議会は市役所業務のチェックをするのが役割ですので、答弁書には誠実に、各業務の進捗状況や今後の方向性を盛り込みます。国会での答弁も同様ですが、質問が多い際には、期限日の夜中までかかって作成しています。
〇今回の定例会でも、多くの議員が、教育に関する質問をしています。その一部が、「柏市未来につなぐ魅力ある学校づくり基本方針と柏市教育大綱、小中一貫教育と義務教育学校、ICT教育とタブレット端末活用、学校での感染症対策、自転車のヘルメット着用と交通安全対策、子どもの権利条約と柏市子ども・若者総合支援センター、特別な支援を要する児童生徒、不登校児童生徒支援、学校施設開放と部活動地域移行、コミュニティースクール、子どものネット依存、子どもの運動能力、いじめ対策、学校給食と給食センター、給付制奨学金、教員不足と働き方改革、市立柏高校、公立夜間中学」など多様です。
〇いかがでしょうか?私たちがあまり意識していない裏で、これだけ教育に関する施策や予算などが議論され、その結果として学校の教育活動を下支えしてもらっているのです。先日終了した本校の体育館空調機設置工事などもすべて、昨年度までの市議会で予算案の承認を受けています。
〇大切なことはその建設費も含めてすべての教育予算は、もともと市民の税金があてられているということです。また毎日の電気・水道も市の予算があるからこそ使用できるのです。生徒たちにもその仕組みを教えていくことは大切であり、公民の授業でも扱っていると思いますが、再来週の終業式に私から話をしてみようかなと思います。
須藤昌英
12月11日(水)私たちのクリスMATHツリー(空間認知能力)
〇今1学年の数学では、空間図形を学習しています。小学校の算数では、まず1学年から身近な立体について観察したり分類したりして、ものの形を次第に抽象化して、図形として捉えられるようにしてきています。その後立体図形の点や線や面などの構成要素に着目したり、立方体・直方体・角柱・円柱・球などの多様なものを取り扱ったり、それらの見取図や展開図をかくことなどを通して立体図形についての理解を深めてきています。例えば家庭から身近な箱(お菓子やティシュペーパーなど)を持ち寄って、好きな形(タワーやロボットなど)をつくって空間意識を育てます。
〇それを踏まえ中学校数学科において1学年ではこれらの学習の上に立って、空間図形についての理解を一層深めていきます。特に数学では空間図形を空間における線や面の一部を組み合わせたものとして扱うという点に留意させます。また図形の性質や関係を直観的に捉え論理的に考察する力を養うために、立体の模型を作りながら考えたり目的に応じてその一部を平面上に表す工夫をしたり、平面上の表現からその立体の性質を読み取ったりするなど、観察や操作,実験などの活動を通して図形を考察することを基本にして学習を進めていきます。
〇展開図は平面図形ですが、それを組み立てることにより立体(空間図形)になります。問題を理解ためには例えば立方体を開いて展開図にしたり、展開図を組み立てて立方体に戻したりと、頭の中でイメージする必要があります。例えば立方体の展開図は全部で11種類あります。昔教えた時に、「へぇ意外と多いな~」と感じる生徒も多かったです。
〇数学担当の宗形教諭は、生徒たちに正多面体の展開図から立体を作成させ、それをクリスマスツリーの飾りとして廊下に展示しました。数学は英語で、Mathematics(略してMath)ですので、クリスMATHツリーとしてかけことばにしています。生徒たちの作成場面を見ていましたがとても楽しそうで、「昔はこんな授業はなかったなあ~」と思いました。
〇私が数学を担当していた時に、特に図形は生徒の好き嫌いが激しく、特に女子の苦手意識が高かったのを覚えています。その一つの要因として、幼少期から男児は積み木やブロックに熱中しやすいのに対し、女児はお絵描きやおままごとを好むことがあります。絵やおままごとセットは現実の生活に近い(具体的)のに対し、積み木やブロックは組み合わせによって何かの形をつくって(想像・創造)いくので、より抽象的な概念を必要とすることが考えられます。
〇根拠はわかりませんが、男性脳はデータなどの根拠を元に論理的に考えがちで、一方の女性脳はその場の感情や共感性を重視する…といったことを聞いたことがあります。身近では空間認知能力が高い男性の方が女性よりも地図を読める場合が多いです。最近の車はナビゲーションがありますが、昔は地図本を見て運転していましたので、男女の差があった気がします。
〇ただしこれはあくまでも一般的な話であり、近年では「理系女子(リケジョ)」も多くなっていますし、先日の1年校外学習で行った国立科学博物館に、いかにも研究者のようなオーラのある女性が多くいたことも印象に残っています。
〇ともかくこのクリスMATHツリーは、クリスマスという現実の生活と多面体という抽象物がコラボしています。年末が近づいていることを感じます。
須藤昌英
12月10日(火)自分のトリセツ(メタ認知)
〇ご存じの通り「取説(とりせつ)」は「取扱説明書」を短縮した言葉で、カタカナで「トリセツ」と書くことも多いようです。10年ほど前に、若い女性の歌手が歌っていた同名のヒット曲を聴いた際、私も初めて取扱説明書を略してトリセツと呼ぶことを知りました。
〇トリセツには普通、その製品の「スペック(性能)や特徴」「正しい操作方法」「上手な使い方」「使用上の注意」「故障の見分け方」「安全に関する注意事項」などが記載されていますが、冒頭からすべて読む人は皆無でしょう。必要な時に該当箇所を読んで対処することがトリセツの目的だと思います。
〇このように家電などの操作を書いたトリセツはなじみ深いですが、「『自分のトリセツ』とはいったい何のことだろう?」と疑問に思う方もいると思います。簡単に言えば、「自分を知る」ということであり、日頃から統計的に「自分はこういう時にはこう考えたり行動したりすることが多い」と自分を客観視することです。
〇そのように、自分の「心や内側」に関心をもち、徐々に自分の「輪郭や本質」を理解することは、大人になる過程では欠かせないものであると思います。ただし「どうせ自分は~のような人間だから」と開き直るのではなく、今の自分を出発点とし未来のなりたい自分をイメージしながら、やりたいことやるべきことに取り組めることが理想だと思います。
〇自分のトリセツのきっかけになり得る一つの方法として、日記も有効です。また最近は日記に似ていますが、ライフログという記録方法も広まっているようです。ライフログとは、LIFE(生活)とLOG(記録)を組み合わせた造語で、日々の生活体験、気づいた情報などを紙や手帳、スマホのアプリやブログ等にデジタルデータとして記録していくことを指すそうです。それにその時の気持ちや行動も一緒に記録することで後で振り返りやすくなったり、自分だけのオリジナリティに富んだライフログとなったりするのが利点でしょう。
〇私も昭和から平成に変わる時、何か新しいことを始めよう(それまで簡単な手帳に出来事を書いていましたが・・)と思い立ち、本格的な日記帳を使い始めました。当時は25歳でしたので、間もなく37年になり、自宅には数冊の日記帳(3年日記、5年日記、10年日記など)があります。
〇日記から転じて「自分のトリセツ(メモ)を書く」にはまず、自分の強みや弱みを把握することから始めるのがよいと思います。人にはそれぞれ物事の見方や感じ方の癖がありますが、それを癖ではなく自分軸と捉え、生きていく途中に迷ったりつまずいたりした時に参考に見るメモがあれば、安心感を得るなどの大きな要素になります。
〇昔から「己事究明」といって、「自己とは何かを究めて明らかにすること」を若者は求める傾向にあります。先月に「一つのことを考え抜くのは大人への一歩」と題して「哲学」について書きましたが、中学生くらいになると、やたらに理屈っぽくなり、世の中の出来事も批判的に見るようになります。この屁理屈こそ中学生には大切ではないか?と思います。ただ外ばかりでなく、自己に対してもも批判的になりますので、極端に自己否定にならないようにすることも重要です。
〇自分のことを見つめることをマインドフルネスでは「内観」とも言います。よく生徒の学習や大人の仕事でも予習よりも復習が肝心だと言われますが、私も含め想像するに自分自身について丁寧に復習している大人はあまりいないのではないでしょうか。忙しいことを理由に、SNSなどの外部の刺激には反応しても、自分自身の身体にだけ意識を通し続けることは避けているのが実情でしょう。
〇自分のことを客観視する「自己モニタリング」は、ストレス対処やパフォーマンスの向上に役立つといいます。その自己モニタリングに欠かせないのが、「メタ認知」で、「メタ認知」とは「自分自身の認知(考える・感じる・記憶する・判断する等)を第三者的な立場から冷静に客観視できる能力」のことです。この能力によって自分が行っていることが正しいのか、また間違っているのであればどのように修正すればよいのかを判断することができるようになります。もちろん中学生にもこの能力は十分にあります。
〇メタ認知が高くなれば、自分の得意・不得意なことを的確に認識し、「自分ができないことをするためにはどうしたらいいのか?」という問いに対して自分で答えを出そうとします。この客観的な視点から自身を認識することと他人から見た自分の姿を一致させていくことで、本当の自己肯定感が生まれます。「自分には●●という長所があるので、それをいかして〇〇を頑張っていきたい!」とすべての生徒が言えるようにしていきたいと願います。
須藤昌英
12月9日(月)「推し活」についての一考
〇最近よく耳にするようになった「推(お)し活」とは、アイドルやキャラクターなどの「推し」、いわゆるご贔屓(ひいき)を愛でたり応援したりする活動のことのようです。
〇この時期によく「新語・流行語大賞」が発表されて話題になりますが、「推し活」は3年前にノミネートされています。そもそも「推し」という言葉は 1980年代頃からアイドルオタクの世界で発祥した俗語のようで、「あなたが推しているモノは何ですか?」などと、好きなモノを聞く文脈で使われています。
〇誰でも好きなグッズを集めたりすることはありますが、少し調べるとその他広い範囲で次のような使われ方があります。
【推しに触れる】
推し活グッズを買う/推し活グッズをコレクションする/コラボカフェに行く/コラボイベントに参加する
【推しに逢う】
ライブや舞台を観に行く/推しのDVDや配信映像を鑑賞する/撮影スポット、ゆかりの地などの聖地巡礼をする/ファンレターを書く/推しにプレゼントを贈る
【推しに染まる】
推しと同じものを持つ/推しのイメージカラー(推し色)の服やコスメを集める
【推しを広める】
SNSで推しの魅力を語る/推しを他人に布教する
【推しを感じる】
一人静かに推しのことを想う/推しが生きて存在していることに今日も感謝する
〇23歳の社会人1年目の娘もご多分にもれずにこれまで様々な推しのアーティストのライブ等に行っていました。アルバイトで得たお金はほとんどそれに使われていたようです。ただ最近は先日も「昭和」について書きましたが、特に昭和時代の音楽が大好きなようで、わざわざ古いレコードやカセットテープを購入し、それに合わせてレコードプレーヤーやカセットデッキも揃えて楽しんでいます。時々「私も昭和に生まれたかった」と言っています。
〇推すという行為は「社会が多様化に向かっていることを象徴している」と指摘する人もいます。若者の間でも日本の従来からの終身雇用に固執することなく、自身のキャリアに積極的な転職を視野に入れておくことも普通になっています。また日常の消費に対しても、例えば大きな仕事が終わると少し高めのスイーツを買って自分へのご褒美などと言い、日々の活力や安息につなげています。
〇つまり「推し活をしている間はツライ日常を忘れることができる」「推し活のためにやりたくないことも頑張れる」というように、推しへの傾倒や消費そのものが自身を励ますことにつながることは理解できます。ただ一部で自身の経済力と見合わない推し活をし、昨今言われる「推し疲れ」のように「推す」ことをやめたいと感じることもあるようで、注意が必要です。
〇私は以前から「推しのもつ前向きで活動的な面を学校の活動にも活用できないか・・」と考えていました。例えば生徒が「この活動(委員会や部活動)は自分のモチベーションがあがる」「この教科をどこまでも深く突き詰めたい」など、それぞれの興味や関心を優先することももっと引き出してあげたいです。
〇そのためにも我々大人が自分のもっている興味や関心のレベルを保ちながら持ち続けつつ、一人ひとりの生徒が持っている興味・関心を伸ばすという視点を失わないようにしたいです。一見学校の授業とは関係ないように見えることでも、本人が興味を持ち集中して取り組んでいることをきっかけに学ぶことの面白さを体験することができます。そこから学びを深めていくことによる成長は目を見張るものがあると、これまでの教員生活で実感しています。
〇今年もあと3週間(2学期は2週間)と残り少なくなってきました。「今日も私は『●●という推し活』があるから学校に行きたい」と思ってくれる生徒が増えることを望んでいます。
須藤昌英
12月6日(金)1学年校外学習
〇本日の1学年校外学習は、公共交通機関の電車を利用し、上野恩賜公園にある博物館や美術館、動物園等の見学が主な行動です。
R6年度1学年校外学習スローガン「一意(いちい)専心(せんしん)~みんなでつくりあげよう~」
*スローガンのねらい
・他に心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中すること。
・この校外学習でクラスを1つに学年を1つに!
〇昨日は体育館で事前指導として、行程や注意事項の最終確認を行いました。
〇生徒用しおりに掲載した校長のメッセージです。
新しい発見と小さな感動の体験を! 校長 須藤昌英
1学年の皆さんを見ていると、4月の入学式の頃に比べて、中学校生活にも慣れ、充実した毎日を過ごしているようです。入学前に想像していた生活と大きな違いを感じる人もいるでしょうし、一方で段々と「中学校とはこういうところなんだ」と達観し始めている人もいることでしょう。
小学生だった頃までは、ある程度大人が計画したことを素直にやってみることを求められてきたと思います。しかし、中学生は自分で考え、実行していく力をつけていく必要があります。
今回の校外学習もあらかじめ決められたスケジュールはありますが、その一つ一つを「これは何のためにやるのか?」「どうやったら上手くいくだろうか?」と自分たちに問いかけてみましょう。人を頼りにするのではなく、自分で考え正しく判断し、自分でやり遂げていくことを「自立」といいます。
一人ひとりの自立した行動が、校外学習が成功するかしないかのカギとなります。そしてこの経験が、来年以降の林間学校や修学旅行につながる行事となることを願っています。
事前に調べたことを実際にその現地に行き、観察・実験・体験、さらには資料収集等をすることを「フィールドワーク」と言います。本やインターネットで見たり知ったりした知識は、実感が伴わないことが多いので、時間が経過すると忘れがちです。しかし、自分の目や耳、その他の感覚をフル稼働して体験したことは、それと関連した知識と結びつくことにより、「生きて働く知識」と昇華します。
この校外学習で皆さんにお願いしたいことは、現地でどれだけ多くの新しい発見ができるか、そしてそれらを心の底から素直に感動できるかを意識して、楽しんでほしいということです。きっとみなさんにとって、上野の地が「学びの場」となることでしょう。
各クラスの実行委員の皆さん、よろしくお願いします。校外学習を終えてから、さらに一回り大きくなった、中学生としての皆さんの姿を見られることを期待しています。さあ出発しましょう!
〇朝から生徒たちの様子を随時アップしていきます。
【予定】
7:45生徒集合JR北柏駅
8:09北柏駅出発
8:12柏駅到着乗り換え
8:34柏駅出発
9:03上野駅到着上野動物園へ移動
9:15上野動物園前開校式集合写真撮影
9:40班別行動開始
11:55上野動物園前広場 昼食
13:10上野動物園散策
14:05閉校式
14:42上野駅出発
15:09柏駅到着
15:24柏駅出発
15:27北柏駅到着 解散
【生徒たちの様子】朝の北柏駅集合はスムーズで、電車の中でもマナーを意識した行動でした。素晴らしいと思います。冬晴れの青空といちょうの黄色が見事なコントラストの上野恩賜公園。朝から各博物館等は行列が出来ています。同様の校外学習の他、外国人観光客の多さに驚きです。国立の博物館や美術館は展示が充実しているので、とても短い時間では見学しきれませんが、大人になってもリピーターとして訪れるきっかけになって欲しいです。私も国立科学博物館に午前中いましたが、以前になかった地球館は、地下三階地上三階の大きさで、とてもじっくりとは観られませでした。また来ようと思いました。時間通りに元の場所に集合し、昼食は大噴水の前で持参したお弁当を食べました。美味しそうでした。その隣で食べ物のフェスをやっていたので、いい匂いがしていました。余計に食欲が増したようです。午後は上野動物園です。生徒に「見たい動物は?」と尋ねると、「レッサーパンダ、キリン、ホッキョクグマ・・」など様々。残念ながらジャイアントパンダはいません。ゾウを見ると道徳の教科書にあるお話し(太平洋戦争中に、空襲などで動物が逃げ出すことを避けるため、上野動物園のゾウを殺処分した史実)を思い出しました。園内には多くの保育園児や幼稚園児がいましたが、彼らもほんの少し前はあのように幼さかったと思うと、よくここまで成長しているなと感動します。あすなろ一組は担任の作成した園内マップに見られた動物のシールを貼ってまわっていました。閉校式も実行委員会を中心によくできました。このままであれば、来年の林間学校も大丈夫だと感じました。帰りは始発電車でみんなが座れましたが、途中から乗る人がいるとあえて立ち席を譲る生徒もいました。シルバーシートの意味もお互いに話していました。柏で乗り換えて、北柏駅で解散です。夕方は少し寒くなってきました。週末は体調に留意し、また月曜日に会いましょう。自宅まで気をつけて。さようなら。
【校外学習を終えて】
朝の上野恩賜公園での開会式に、「この公園は江戸時代まではすべて寛永寺というお寺の境内でした。広大ですね。それが160年前の明治維新で国内戦争があり、この上野で多くの人が亡くなり、寛永寺も焼け野原になりました。その後いろいろと整備されて今のこの公園になっています「今駅から通ってきた時に見たと思いますが、西洋美術館はもう長蛇の列でしたね。私たちは電車で30分で来られますが、あの列の中には飛行機や新幹線で全国各地から来ている人も大勢います。それだけこの地にある国立の施設(博物館や美術館)は素晴らしいモノが集められているのです。」「それを考えると君たちは幸せですね。今日だけですべての見学はできませんので、今日はあくまでも興味のあることにふれるきっかけになればいいなと思います。ディズニーランドのリピーターもいいですが、上野のリピーターになるのも面白いかもしれません。」と話をしました。
学校に帰って引率職員で反省会をしました。今回は私も含めて10名の職員で160名の生徒を引率しました。ただし来年と再来年の林間学校や修学旅行は、同じ人数で宿泊を含めた2泊3日を引率します。十分に事前の入念な計画と安全に関する指導はしていきますが、ご家庭でもそのあたりの事情も含めて、今日の話を聞いてあげてください。ありがとうございました。
須藤昌英
12月5日(木)「やさしい心が一番だよ」人権に関する講演会
〇昨日の午後は体育館で、柏人権擁護委員協議会主催の講演会を開きました。講師は、「いじめ問題の解決に取り組むNPO法人ジェントルハートプロジェクト」の理事である小森美登里さんで、全校生徒を対象に「やさしい心が一番だよ」と題して話をしていただきました。
〇小森さんは今から27年前、当時高校一年生だった一人娘の香澄さんをなくしました。いじめを苦にした自死でした。「娘と同じように苦しみそれによって家族などが悲しい思いをこれからは決してしてほしくない」という願いから、ご夫婦でNPO法人を起ち上げ、全国の学校を講演してまわっていらっしゃいます。著書も数冊あります。
〇私は前任校でも講演していただいたので、数年ぶりにお会いしました。講演前の校長室でいろいろお話をさせていただきましたが、今月も新書「いじめに対する大人の誤解―スクール虐待の現実―(新日本出版社)」を出版されるので、出版記念のトークイベントがあるなど、お忙しいそうでした。「娘も存命ならば、42歳になっています。今日も心を込めて生徒さんたちにお話しさせていただきます」とおっしゃっていました。
〇生徒たちは真剣に話に耳を傾けていました。特に「被害者責任論」と言われるものは決して容認されてはならないというお話が印象的でした。もしいじめを受けた被害者からの相談を受けた際、「あなたの方にも原因があったのでは?」「あなたから止めてほしいって言ったの?」「もっとあなたも強くならないとね!」などは禁句です。やはり「つらかったでしょう。もう大丈夫だよ」の言葉がけが何よりも大切です。その他、お子様から心に残っている話を聞き出してみてください。
〇講演後、「世界に一つだけの花(作詞・作曲 槇原敬之)」の一番だけを歌詞の意味を考えながら全員で聴きました。
花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて
争うこともしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている
それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる
そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
〇最後に、小森さんの詩を山中教諭が朗読して終わりました。
「生まれてきてくれてありがとう~この詩を香澄へ、そしてすべての子どもたちへ贈ります~(小森美登里)」
ありがとう 生まれてきてくれて
ありがとう 病気をした時 いっぱいいっぱい心配させてくれて
ありがとう 多くの出逢いをプレゼントしてくれて
そして 楽しい思い出 一杯くれて
ありがとう 生きる意味を考えるチャンスをくれて
そして全ての命がいとおしいと感じさせてくれて
ありがとう お父さんとお母さんと出逢ったこと
間違いじゃないって気付かせてくれて
ありがとう こんな私に子育てさせてくれて
あなたをこんなに愛させてくれて
ありがとう 教室の中の子どもたちの苦しさ悲しさ
いっぱい教えてくれて
ありがとう 「やさしい心が一番大切だよ」の言葉を
残していってくれて
そして、この言葉を伝える人生をくれて
ありがとう 15年と7カ月私と生きてくれ
いつか逢える楽しみをくれて
お母さん、それまで頑張って生きるよ
ありがとう ありがとう ありがとう
言い尽くせない たくさんのありがとう
でもごめんね 守りきれなくて
ありがとう ありがとう ありがとう
全ての子どもたちへ
生まれてきてくれてありがとう!
〇演題の「やさしい心が一番だよ」は、生前の娘さんが小森さんに何度かつぶやいた言葉だそうです。子どもも大人もかみしめていきたいものです。
須藤昌英
12月4日(水)職業人から学ぶ「企業来校型交流授業」(2学年)
〇昨日の5.6時間目に、一般企業7社の方々に来校していただき、「働くこと」への理解を深める交流授業を行いました。一つの授業(30分程度)を3ローテーションして行い、司会・運営・企業の方への挨拶等は全て生徒に行わせました。
〇ご協力をいただいた企業は、
1.みどり産業株式会社 様
2.東部重工業株式会社 様
3.ロマン産業株式会社 様
4.日新火災海上保険株式会社 様
5.(株)富士エコー 様
6.JAL Agriport株式会社 様
7.社会医療法人社団蛍水会名戸ヶ谷病院 様
〇激しく変化を続ける現代社会で、4~6年後に2学年の生徒たちは成人(18歳または20歳)となります。その時にはどんな職業で社会に貢献していくかのイメージをもっていることが不可欠です。自己の生き方を考えるようにするために、職業や自己の将来について考えるともに、その前提となる自己肯定感・自己有用感を育てることを、学校はすべての教育活動で目指しています。
〇学校で実施するキャリア教育は、あらゆることを他人事ではなく自分との関わりとして大切にする自我関与や物事を多角的・多面的にみる力を養うことなどをねらいとし、家庭、学校、及び地域における学習や生活の見通しを立て、学んだことを振り返りながら、新たな学習や生活への意欲につなげたり、将来の生き方を考えたりする活動です。
〇ただ社会環境の変化に加え、産業・経済の構造的変化、雇用の多様化・流動化等は、生徒たち自らの将来のとらえ方にも大きな変化をもたらしています。特に生徒たちは自分の将来を考えるのに役立つ理想とする大人のモデルが見付けにくく、自らの将来に向けて希望ある夢を描くことも容易ではなくなってきています。さらに彼らの心身の発達も以前から変化し、例えば一般的に身体的には早熟傾向にありますが、精神的・社会的側面の発達はそれに伴っておらず遅れがちであるなど、全人的発達がバランス良く促進されにくくなっています。
〇そこへコロナの影響もあり、具体的には人間関係をうまく築くことができない、自分で意思決定できない、自己肯定感をもてない、将来に希望をもつことができないといった生徒の増加などが指摘されています。とどまることなく変化する社会の中で,生徒たちが希望をもち、自立的に自分の未来を切り拓ひらいて生きていくためには、変化や失敗を恐れず、変化に柔軟に対応していく力と態度を育てることが求められています。
〇昨日の交流授業では、私自身も環境や農業、製造や運送、保険や医療等の専門家のプレゼンを聞き、とても参考になったことが多くメモをたくさんとりました。やはり学び続けることは大切だと感じました。そして何よりも一緒に参加した生徒たちが疑問に思ったことを質問したり学んだことの感想を発表したりする姿が、通常の授業よりも立派であり、「いつもみているようでも、それ以上に成長しているな」と感心を通り越して感動しました。企業の方々からも「素直で熱心な生徒さんたちですね」と帰りがけに声をかけてもらいました。
〇私もそうでしたがよく中学生には「今何のために学んでいるのかわからない」という気持ちが絶えずあります。企業の方々も自分の経験談の中で、「自分が中学生の時には●●を勉強する意味がわからなかったけれど、今はそれがよくわかります。まずは興味をもつことを大切に授業を受けてください」とアドバイスがありました。今後の生徒たちの変化が楽しみです。
須藤昌英
12月3日(火)合格祈願マンホールカード
〇先日の広報かしわの掲示板に「合格祈願のマンホールカードをプレゼント」と題し、「丸いから『落ちない』、表面の凹凸で『滑らない』というマンホールの特徴にあやかり、マンホールカードで受験生や資格試験などを控える方を応援します」とありました。一人1枚先着500名とあったので、早速朝の9時にかしわインフォメーションセンターに行き、もらってきました。
〇全国には様々な合格祈願グッズがあります。神社のお守りや絵馬、お寺の達磨や破魔矢などは定番でしょう。語呂合わせで五角形の物が「五角形(合格)」を連想させるので、五角形の鉛筆やはし、私も大学受験の際に使っていましたが五角形のマグカップなどがあります。昨年の卒業生の時には、広島県の「宮島の合格しゃもじ」を校長室に飾っていましたが、今でもあります。
〇静岡県の大井川鐵道には「合格駅」があります。受験生にとって縁起の良いこの駅は、1927年に大井川鐵道が初めて部分開業した日に営業を開始した歴史ある駅ですが、元の駅名は確か「五和(ごか)駅」でした。私も昔3年生担任だった際に、現地に行き何だか忘れましたが何かのグッズを購入した記憶があります。
〇調べるとこの願掛け(お守り)の起源は縄文時代にさかのぼるようで、当時の人々が魔除けとして勾玉を身につけていたのが始まりだそうです。その後日本に仏教が伝播し寺で呪符が配られるようになり、さらに平安時代後期の懸守(かけまもり)には、仏像が彫られた木製の円柱が納められていたようです。いつの時代にも人間は、祈りと共に生きていたということでしょう。
〇今回はマンホールですが、世の中では珍しいマンホールを撮影して歩く人がいたり、「マンホール女子」という言葉もあったりします。各地ではマンホールにスポットを当てたイベント等も開催されており、予想外といっては失礼ですが、マンホールがひそかなブームとなっています。
〇東京の湯島天神は学問の神様で有名ですが、「合格守」というお守りはないそうで、そもそも普段からの勉学の成果が合格に結びつくものであるという考え方から、「学業成就」「学業守」となっているのだそうです。私もこれが本当ではないかと思います。合格祈願・学業成就は本人の努力が一番肝要で、それを精神的にサポートしてくれるのがお守りであり、たとえ受験の結果がどうであれその努力した経験こそ次にいきてくるのだと思います。
〇今年の修学旅行でも何クラスかは、学問の神様と言われる菅原道真を祀る京都の北野天満宮に団体参拝し、祈祷を受けてお札を授かりましたが、これも確か「学業成就」と書いてあったと思います。今は高校や大学の受験の際に祈願する人がほとんどでしたが、昔はもっと幅広く職人ならばその技能を、武士ならばその武芸の上達を願っていたのでしょう。
〇昨日の午後は本校の進路検討委員会を開き、現時点での3年生全員の進路希望先を確認しました。以前にも書きましたが、進路指導は窓口である担任が生徒や保護者とやりとりをし、その経過はすべてこの委員会に報告されます。この委員会の委員長は校長ですので、先月まで行ってきた生徒との校長面接の中で本人が述べていたこと(やりたいことや将来の夢)を思い出しながら参加しました。
〇きっとこの「柏市版マンホールカード」が、学び成長し続ける本校の3年生たちの奮闘を後押ししてくれると思います。
須藤昌英
12月2日(月)生徒の人権「子どもの権利」
〇12月に入り朝晩の冷え込みは冬を思わせますが、まだ日中の暖かさにはホッとします。先日のシグフィーでお知らせした「セクシュアルハラスメント等及び体罰に関する実態調査(学校生活アンケート)の実施について」は、12月が全国人権週間であることも踏まえ、毎年実施しているものです。
〇そもそも教職員によるセクシュアルハラスメント(性暴力を含む)を防止するには、正しい人権意識が不可欠です。1989年に国連総会において採択された「子どもの権利条約(18歳未満の人)」は、子どもが守られる対象であるだけでなく、権利をもつ主体であることを明確にしました。子どもが大人と同じように、ひとりの人間としてもつ様々な権利を認めるとともに、成長の過程にあって保護や配慮が必要な子どもならではの権利も定めています。
〇具体的には、「生きる権利」「成長する権利」「暴力から守られる権利」「教育を受ける権利」「遊ぶ権利」「参加する権利」など、世界のどこで生まれても子どもたちがもっている様々な権利が定められました。この条約が採択されてから、世界中で多くの子どもたちの状況の改善につながってきており、日本も例外ではありません。1989年はちょうど平成元年ですので、私が教員としてスタートして3年目にあたり、学校現場でもその話題が多くなってきたことを思い出します。
〇すべての教職員は日頃から生徒に対し、1対1で閉鎖的な状況で指導や対応をしない、不必要な身体接触はしない、管理職の許可のないメッセージ等の送信はしないことを認識しています。問題行動が発覚しても必ず複数の教員で、事実や原因の聞き取り等を決めつけや押し付けをしないで時間をかけても丁寧に行っています。確かに昭和の時代までは、該当生徒の言い分を十分に聞かずに状況を判断し、その後も「今回のことを自分で保護者に伝えるように」のような指導がありました。
〇しかし現在は、たとえ時間がかかっても生徒本人が自分のしてしまったことと正面から向き合い(多くはこれに時間を要します)、その時の心境や周囲との人間関係、その後の気持ちの変化などを浮き彫りにし、それを管理職も含めた職員の中で共有し、その詳細を保護者に伝えています。単純に比べることはできませんが、昭和の時代の指導よりも数倍の時間をかけています。これも「子どもの人権」を第一にした意識の変化です。
〇学校教育法第11条は、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。 但し、体罰を加えることはできない」と規定されています。この懲戒とは、生徒に問題行動等があった場合に、これを正すために指導や助言、時には一定の行動制限を加えることをいいます。要約すれば、体罰(生徒の身体に対する侵害)は論外であり、前述のような生徒の人権を尊重した指導をしなければならないということです。
〇また生徒に肉体的苦痛を与えるようなもの(指導中に生徒がトイレに行きたいと訴えても認めない、課題などを忘れた生徒に対して自席ではなく教室の後方で授業を受けさせるなど)も体罰の範疇になります。一方で懲戒権の範囲内と判断されると考えられる指導として、放課後等に残して話を聞く(指導する)、未提出の学習課題を課す、立ち歩きの多い生徒を叱って席につかせる等は認められています。いずれもそのことを通して生徒本人に振り返りの時間をつくったり、クラスなどへの影響を考慮したりしたものです。
〇冒頭の実態調査においては、生徒の記述があった場合には事実確認をしたり、調査結果を教育委員会への報告をしたりしていきます。お子様に回答内容を確認していただき、もし相談等があれば担任や職員に連絡をしてください。
須藤昌英
11月29日(金)第2回授業参観
〇昨日はとても暖かく、穏やかな一日でした。午前中は多くの保護者の方々にご来校いただき、生徒たちの学びの姿をみてもらいました。私もいつもように各教室を回っていましたが、生徒たちは授業参観だからといって「よそゆき」な素振りもなく、普段通りの学びの姿でした。
〇富勢中学校区小中学校4校の共通教育目標は、「自ら学び 心豊かに たくましく生きる富勢の子の育成」です。またこの夏季休業中に富勢中学校区小中学校4校の教職員と各校PTA役員、学校運営協議会委員、富勢中代表生徒で行ったワークショップ(熟議)を受けて、「本学区での義務教育9年間の学びを通して、富勢中を卒業する時に身につけさせたい力や目指す児童・生徒像」をまとめました。
〇特に熟議の最後に、いろいろな身に付けさせたい力や目指す児童生徒像を実現する前提としての「児童生徒にとって一番大切なのは健康と体力であり、その上に社会性やコミュニケーション能力、チームワークを大切にする心、自立心等々が養われていくだろう」を仮説として、変化が激しく多様性が求められる時代を生き抜くために必要な力を次の4つに絞りました。
1 自分を大切にし、他者を尊重する力
自分の意見や感情を大切にしつつ、他の人の気持ちや考えも理解し尊重できる力。多様な社会の中で、お互いを尊重し合いながら成長するための基盤となる。
キーワード: 「まずは自分が大切、ならば皆も同じく大切にしよう!」
2 考えを伝え、協力する力
自分の考えや意見をしっかり表現し、他者と協働して物事を進める力。チームでの協力やコミュニケーションを大切にし、共に目標を達成できるようになる。
キーワード: 「親しくはない仲間の中でも、お互いに考えを伝え合おう!」
3 しなやかに挑戦し続ける力
困難に直面しても、失敗を恐れずに挑戦し、学び続ける力。未来に向かって、自分の道を切り開くために必要な自己肯定感や、柔軟な思考を身につける。
キーワード: 「失敗を失敗のままで終わりにせず、それを活かそう!」
4 社会で活かせる学びの力
基礎学力をもとに、実社会で必要な知識やスキルを使いこなす力。自分の興味を活かしながら、これからの社会で役立つ力を身につけていく。
キーワード: 「学んだことのエッセンスを、自分の将来のベースとしよう!」
〇昨日の授業もその視点からみると、学年や教科の違いはありますが、上記の4つのどれかを目標として展開されていることがわかります。例えば国語や社会で単元の内容を自分で調べてクラスで発表することは、「考えを伝え、協力する力(キーワード:親しくはない仲間の中でも、お互いに考えを伝え合おう!)」に合致し、数学や理科で紙の立体や前線の模型を作成することは、「しなやかに挑戦し続ける力(キーワード: 失敗を失敗のままで終わりにせず、それを活かそう!)」に沿った活動になります。
〇参観していただいた感想を全職員で分析し、今後も質の高い授業(生徒が主役となり、時間内に学んだ知識をいつでも使える知識に昇華していく)を目指してまいります。
須藤昌英
11月28日(木)昭和百年への思い
〇今年も残りほぼ1カ月で終わります。来年は令和7年ですが、平成で言えば37年、昭和で言えばちょうど100年にあたります。また「昭和の日(4月29日)」は、国民の休日に関する法律の一部改正で、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ことを目的に制定されています。
〇確かに昭和時代には大きな戦争(太平洋戦争)もあり、その死者は310万人と言われています。私は昭和38年生まれですので、終戦から18年しかたっていませんでしたが、幼児期に東京オリンピックや大阪万博があり、今思うとそれらが復興の象徴だったのだと感じます。
〇昭和の終わりは1989年1月7日の昭和天皇崩御でした。私は教員になって2年目でしたので、連日報道された昭和天皇のご容態の変化のニュースを見た当時の生徒たちと教室で、「これから日本はどういう時代になるのか?」などと話していたことを思い出します。実際にしばらくは明るい街中の看板のネオンやテレビのバラエティ番組が止まり、自粛ムードが日本全体を包んでいました。
〇翌1月8日は「平成」という改元の発表がありました。当時の小渕官房長官が「平成」という文字を掲げて発表したので、小渕さんは「平成おじさん」と呼ばれていました。しかしみんな見慣れない「平成」という元号が果たして受け入れられるのか?と思っていました。実際にその年の卒業式は「昭和64年度」ではなく、「平成元年度」となり、出席した生徒や保護者、教職員も少し戸惑いがあったことを覚えています。
〇元号が変わるという初めての経験でしたので、何かすべてが新鮮なイメージでした。平成から令和への改元はまだ数年前であり、天皇陛下が亡くなられる前に譲位する「生前退位」でしたので、37年前の昭和から平成の時よりはその直後のコロナ禍の影響もあり、淡々としていました。
〇詳細はわかりませんが、西暦200年になるときに言われた「2000年問題(コンピュータシステムの誤作動が起こる可能性が懸念された)」と同様の心配が「昭和100年問題」と言われているそうです。24年前の当時も学校では色々なデータをコンピュータで一括管理する体制に移行していたので、成績等が消失してしまうのではないか?とあれこれ心配していました。今回も大きな混乱がないことを願います。
〇12年前に亡くなった父が、1925年生まれなので来年で生誕100年になることを家族では前から意識していました。今は「人生100年」と言われるようになったので、これからますます百歳の方々が増えることでしょう。また今の天皇陛下と私はほぼ同年代なので、「次の改元まで生きていられるか?」なども考えるようになりました。
〇生徒たちは平成に生まれ令和で成人し、これからの時代を自分の好きなことに精一杯取り組んでもらいたいと思っています。そのためには昭和時代のむごい戦争や平成時代の社会衰退から学び、令和を持続可能で誰もが希望を胸に生ける時代にみんなでしていかねば・・と思います。
須藤昌英
【平成の元号を発表する当時の小渕官房長官】
11月27日(水)災害(防災)用井戸掘削工事
〇本校にはこれまで災害用井戸はありませんでした。そのことは先日に本校体育館で実施した富勢地区の避難所開設訓練でも課題として挙げられていました。そこで昨日から災害用井戸の掘削工事が始まりました。正門を入ってすぐ左のスペースに業務用の掘削機が入り、地下約70mまで掘るそうです。
〇災害用井戸は地震や台風などの災害時に、水道が断水した場合に不足する水を確保する手段の一つであり、井戸の設置目的や管理状況等により、消防用水、飲料水、生活用水などに用いることを想定しています。害時には多くの生活用水が必要ですが、本校の井戸は飲めませんので、非常用トイレなどに活用します。
〇では防災井戸とはいったい何をもってして防災井戸と呼べるのかというと、昔から一般家庭で使用されている井戸の唯一の弱点ともいえるのが、「電動ポンプ」を使っていることであり、電力の供給が止まってしまえば、水を汲み上げることができません。外から見てもはいつもと変わらない状態でも、停電によって井戸が使えなくなってしまうのです。
〇そこで防災井戸に欠かせないのが「手押しポンプ」です。今はその手押しポンプ自体の性能も向上しているので、高齢者や子どもでも簡単に水を汲み上げることができます。私は自宅近くで借りている畑で野菜を栽培していますが、その近くに昔ながらの手押しポンプの井戸があります。夏は何回もくみ上げるので重労働ですが、スポーツジムのトレーニングだと思うと楽しくなります。3歳の孫娘はこの井戸が大好きで、まだ上手く汲み上げられませんが、私が手伝おうとすると、「手出しするな」と怒ります。彼女にとっては家庭の水道との違いが面白いらしくいつまでもやっています。
〇大切なのは防災井戸として安定的な水量を確保するため、豊富な水量があると想定される場所であることです。掘削業者によると、本校は少し台地になっていますが、その下は多くの水脈があり、その心配はないそうです。私たちは通常、トイレやお風呂、洗濯などの生活用水として人当たり1日186リットル以上使っていると言われています。手押しポンプは1時間あたり最大で2,640Lの性能があるようで、実際の災害時には通常のように水は使えませんので、中学生などが交代で井戸の稼働をすれば、避難所や地域住民が使用しても大丈夫です。
〇過去の大規模な災害の発生によりライフラインが寸断され、深刻な水不足に陥った地域も少なくありませんでした。特に生活用水が不足し、トイレに行くのを我慢するために水を飲まない人が多くいて、それが脱水症状からエコノミー症候群や心筋梗塞などにもつながりますので、水の確保は命に直結する重大な課題です。
〇完成までに約二週間かかります。正門付近には交通整理員が立っていますが、工事車両が出入りしますので、登下校時の生徒の安全を最優先します。また明日の授業参観も正門ではなく、体育館脇の東門をご利用ください。
須藤昌英
11月26日(火)一つのことを考え抜くのは大人への一歩
〇先週の朝日中高生新聞に、「実は楽しい、哲学」という特集記事がありました。「古代ギリシャのソクラテスをはじめ、先人たちの『愛』は脈々と今日まで受け継がれ、現代人の頭にも『インストール』されています。哲学の入口に立ってみませんか?」とリード文があります。
〇一般の人が「哲学」と聞くとどのような印象を持つでしょうか。おそらくは難しそうに思えたり、敷居が高くて自分には無関係と感じたりしてしまうかもしれません。ただ中学生くらいになると、やたらに理屈っぽくなり、世の中の出来事も批判的に見るようになります。私もその頃にはよく両親に、「屁理屈(へりくつ)ばかり言っていないで・・」と言われたのを思い出します。
〇ただこの屁理屈こそ中学生には大切ではないか?と思います。それまでは大人の言っていたことを素直に聞いているだけだった子が、自分なりの見方や考え方を持つようになる。もちろんすべてを拒絶するのではなく、少しは相手の言葉にも耳を傾けて欲しいですが、この変化も立派な成長だと思います。
〇「哲学(philosophy)は、『知を愛する』というギリシャ語に由来します。哲学者はこの世界の本質を数千年の間、論理や思考を通して解き明かそうとしてきました。中学生も「自分ってなんだろう?」「生きる意味ってなんだろう?」とか、「時間ってなんだろう?」「言葉ってなんだろう?」などのいかにも「哲学的な問い」を持ち始めますが、答えが出ないことが多く、効率の面から考えるとあまり役に立つ気がしません。
〇そもそも小中高校で習う学校の教科の中には「哲学」という科目はありません。ただすべての科目のベースに「哲学」は潜んでおり、「哲学とは何か」という問いにひと言で答えるなら、「その様々な物事の本質をとらえる営み」と言えます。さらに過去の哲学者の多くは、自分の人生についてとことん考え、悩み、生き抜いた人たちであり、一般人である私たちも同様な壁に何度もぶつかって生きているのであり、その入り口が中学生時代です。
〇冒頭の中高生新聞に、哲学に関していくつかのQ&Aがありました。紹介します。
Q 哲学の道を究める人には、どんな人が向いていますか?
A あまのじゃくな人です。強大な力に迎合したくない人、みんなが良いというものに乗っかりたくない人には特におすすめです。哲学の本質は、「抵抗する姿勢」です。ひと味違うものの見方は、新しい思考に結び付きます。哲学は西洋でしかできないという人もいますが、最近は見直されています。
Q 哲学者ってどんな人だと思いますか?
A 「いろいろと難しい人たち」という認識がありますが、哲学者のエピソードはとても人間くさいです。例えばドイツのショーぺンハウアーは、出した思想本は凄くでも、彼の大学の講義は学生に不人気で誰も出席しなかったとか、中国の朱憙は自分の学問を広めるためにウソを平気でついたなど。あくまでも我々の生活の延長線上にある人だとわかります。
Q 哲学はどんな風に学ぶものなのでしょう?
A 誰かの考えたことを知るには、その先人たちまで追いかける必要があります。哲学者の多くは超がつくほどの読書家。それぞれが「哲学史」の研究者で、歴史の全体像をつかみ、自分なりの哲学を築いています。
〇何か新しいことにチャレンジする時に、「とりあえずやってみよう」というタイプの人と「まずは計画を立てよう」というタイプ人がいます。前者の人は経験主義タイプ、後者の人は合理主義タイプと言えます。私もそうですが時には、同じ人でもどちらの進め方が良いか分からず迷ってしまうこともあるでしょう。哲学を学ぶことで、このような迷いに対して、ひとつの結論を出すことができるかもしれません。
〇19世紀にフランスのロダンが制作した「考える人(The Thinker)」はとても有名です。このブロンズ像は、「死すべき者=人間の悲劇的な運命について永遠の思考を続ける普遍的存在」を表現し、そこには内的な苦悩と思索の激しさが形象化されています。授業中の中学生も深く考えている場面をみると、私はまさに「考える人だな~」と思っています。
須藤昌英
11月25日(月)挑戦をやめない生き物を人類と呼ぶ(超進化論)
〇野口聡一(元・JAXA宇宙飛行士)氏は、これまで3度(2005,2009,2020)も宇宙船に乗船した日本の英雄です。世界初三種類の宇宙帰還を達成し、ギネス世界記録(2部門)を持っています。彼が言った言葉に「進化とは自分の性能を上げるのではなく、自分を環境に合わせることだ」があります。
〇「成長と進化」は似ているようですが、成長とは、生物でいえば育って大きくなること。人間でいえば、いろいろな学びを通し、身体や心のスペック(性能)があがることであることです。一方で進化とは、生物では遺伝子レベルで変化を起こし、環境の変化に適合した生命体をつくりあげることであり、「成長」よりもより長いスパン(時間)での変化を「進化」と呼ぶのだと思います。
〇これは19世紀の自然科学者ダーウィンがその著書「種の起源」で、「唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」と指摘しています。進化は生物が生き残るために必要なことで、進化しない生物は滅んでいくという法則です。ただこの論理は、「すべての生き物は自分の種の保存だけを目的に争って生きている」という解釈になります。冷たい感覚が残ります。
〇2年前に放送されたNHKスペシャルの「超・進化論」は、それまで見ることができなかった生き物たちの驚くべき世界を、映像化していました。植物がまるでおしゃべりするかのようにコミュニケーションをしている様子や、幼虫からまるで違う成虫の姿へと大変身するサナギの中の透視映像は、世界で初めて撮影されたものでした。
〇私が印象に残っているのは、生き物たちは、厳しい生存競争を繰り広げる一方で、種を超えて複雑につながり合い、助け合って生きているという点でした。「人間は最も進化した生き物だ」という思いこみをやめて、今後はますます地球を支える「生物多様性の本当の姿」が今後明らかになってくると感じました。
〇具体例として2つありました。まず植物は人間が持つ目や耳のような感覚器官を持っているわけではないため、私たちは彼らを「ただ黙って立っているだけの、鈍感な存在」とも思ってしまいがちです。しかし、目も耳もなく動くこともない彼らは、しかし最先端の研究者たちからすると、むしろ逆で、植物は動けないがゆえに、周囲のあらゆる環境の変化を、時に動物以上に敏感に感じ取って対応している可能性があるというのです。
〇もう一つが、森の地下には、木と木をつなぐ巨大な菌のネットワークが存在していて、この目に見えない地下でのつながりは、遺伝子解析技術によって明らかになってきており、数十メートル離れた植物どうしが、同じ菌糸(細い糸状の菌)のネットワークでつながっていること。加えて植物が光合成で得た養分が、その菌糸のネットワークを介して、他の植物へと送られているという研究結果が発表されていました。
〇「生きるか・死ぬか」「食う・食われる」だけではない、このような植物の「支え合いの世界」のように、お互いに助け合って生きていることが「超・進化論」であるならば、我々人間も争うのではなく、一緒に生きていくことをもっと意識すべきだと視聴し終わった後に感じました。
〇冒頭の野口聡一氏の格言をもう一つ、「挑戦をやめない生き物を人類と呼ぶ」。いかにも宇宙飛行士らしい直球的な言葉です。「進化は自分を環境に合わせようとすること」と合わせると、真の挑戦とは、失敗を繰り返しながらも、決して自分のためだけでなく自分も含めた環境(家族、学校、地域、国家、地球など)を守り、自分の成長を通して他に貢献していく変化だと思います。
須藤昌英
11月22日(金)令和7年度修学旅行・林間学校予察
〇来年度は3学年修学旅行と2学年林間学校ともに6月実施を予定しています。毎年のように2学期の期末テスト期間中に、来年度の宿泊を伴う学校行事の現地視察を、担当職員が旅行業者と行っています。
〇修学旅行の予察の主な目的は、生徒の安全確保や、保護者が安心してお子様を送り出せるようにトラブルの原因を事前に排除することです。
〇なぜテスト期間に行うのかというと、まず担当職員はあらかじめテストを作成しておけば授業を振り替えなくても済むということがあります。ただテスト前にテスト範囲の授業を完了しておかねばなりませんが、授業そのものをつぶしたり変更したりする必要がないのが利点です。
〇また旅行業者は今年の1学期に、複数の業者に入札させた上で決めています。2学期になり担当職員と旅行業者の打ち合わせを続けていますが、来る3学期にいよいよ主役の生徒たちの準備が始まります。となるとこの時期に現地や宿泊先を視察しておかなければ、時間的に間に合わないことになるからです。
〇大阪・京都方面の修学旅行は鉄道を使っての移動になりますので、視察のポイントとしては、乗降する駅のホームや通路の確認、特に新幹線内の座席配置、現地でのバスや地下鉄の交通状況、万博や有名な寺社等の見学先です。
〇特に修学旅行の2日目は、事前に決めた班別の自由行動の旅行プランで、学習テーマに沿って現地での取材をし、修学旅行後にまとめる学習活動を行います。ハプニングも含めて、生徒たちの良い経験になります。
〇長野・白樺湖方面の林間学校は貸し切りバスでの移動ですので、視察のポイントとしては、高速道路のサービスエリア(トイレの場所)、 ハイキングコースの危険個所、2日目3日目の農業体験等の受け入れ先団体との打ち合わせや施設の安全状況の確認です。
〇こちらも2日目に班ごとに茅野市周辺の農家に行き、朝から午後まで農業体験をするプログラムがあります。昨年も農家の人達との交流が深まり、お別れする際に涙ぐむ生徒もいました。一緒に身体を使った作業をしたり現地の暮らしの様子を教えてもらったりと、普段はなかなか出来ない体験があります。
〇共通して特に重要なのは、宿泊先近隣の病院の確認です。急病やケガで緊急搬送することもあります。長野は宿泊地が山の上なので、もしもの時は山を下って茅野市の病院に搬送します。一方で京都は大都会ですので病院も多いですが、意外に受け入れ先が限定されているので、事前の確認が必要です。
〇幸いなのは、修学旅行の旅館は昨年の3年生(現高校1年生)、林間学校のホテルは今年の2年生と同じことです。これにより、今までのデータ(部屋数と大きさ、トイレ数や浴場の大きさ、緊急避難経路など)がそのまま活用できますので、担当者もそれによってチェックできます。
〇細かいことですが、トイレならば個室や便器の数、浴場ならば脱衣場のロッカーやシャワーヘッドの数まで確認します。私も過去に何十回と修学旅行や林間学校の担当をしてきましたが、そういう配慮があって、当日はスムーズで快適に過ごせるのだということは、生徒たちや保護者の方々にも少し知っておいて欲しいと感じます。
〇過去には別の学校で、はしゃぎすぎてホテルの備品を壊し、その該当生徒とホテルの支配人に謝罪をしたこともありますが、今の富勢中にはそういう生徒はいないと思います。
須藤昌英
【3学年宿泊】
【2学年宿泊】
11月21日(木)2学期期末テスト(1・2学年)
〇今日と明日は、1学年及び2学年の期末テストが行われます。すべての学習の基本と目的は、「まず覚えられる範囲で基礎的な事項を覚えつつ、次に理解できた事項を確実にいつでも使える知識にする」ことです。
〇ホームページのトップに、各学年の出題範囲表を掲載していますが、生徒は授業の中で、各教科担任から出題範囲に関するもっと細かい説明を聞いていると思います。そして各自、教科書やノート、ワークや問題集などを使い、これまで準備を行ってきています。
〇脳の海馬については以前にも書きましたが、テスト準備の期間中もしっかりと睡眠を確保し、海馬の活躍に期待するのが鉄則です。昔から「一夜漬け」つまり直前に詰め込むやり方の是非が議論されてきましたが、「一夜漬け」のようなものを「集中学習」と呼ぶに対し、逆に毎日コツコツ勉強することを「分散学習」といいます。ただし「分散」とは注意力が散漫で集中していないという意味ではなく、時間を区切って少しずつ行うことです。
〇また学習とは、「ものごとの関連性を習得すること」でもあり、今まで独立していた事実が頭の中でつながることです。簡単な例では、「GO」と「行く」のように、英語と日本語の意味の結び付けを行うことがあげられます。このつながりを強固にするには、繰り返し「学び続ける」しかありません。
〇「上手に覚える」ような成功を導き出すためには、それだけ多くの失敗が必要で、記憶とは「失敗」と「繰り返し」で形成・強化されます。何度も失敗すると、それでやる気がなくなっていきそうになりますが、その解決策の一つが、「得意な面を活かして学習する」ことです。苦手な教科は誰にでもあるもので、その苦手分野でクヨクヨせず、逆に得意を素直に活かすと、全体として成績が上昇することが知られており、教育心理学では「特恵効果」といいます。
〇これはテスト当日にもあてはまります。テストを受けている際中、自分の得意な問題から手を付け、そこから自信がつくと、やる気や集中力が高まります。よく食事で、「美味しいものを最後に食べる」「美味しいものは最初に食べる」のような話がありますが、学習については圧倒的に後者が有利で、「得意なものは最初にとりかかる」です。
〇テストは通常、採点する側の便宜を図ることから、すべて100点を満点として作成していますが、当然生徒一人ひとりの学びの現状は異なります。であるならば満点を取ることが大切ではなく、各教科の理解度を自分で把握することが本来のテストの意義です。もっと言えば「テストはゴールではなく、スタート」です。
〇先日のリフレーミングで言うと、例えば結果として65点だった教科に対し、「あれだけ準備したのに、満点まであと35点も足りないもういいや・・」ではなく、「とりあえず6割強は理解できているので、まだ完全に理解できていない内容のどこから手をつけようか・・」のように思えることが重要ではないでしょうか。
〇3年生は同じ日程で実力テスト(基本的に詳細な出題範囲表はなく1・2年生の内容も含んだ総合的な問題)を行っています。生徒たちの健闘を校長室で祈っています。
須藤昌英
11月20日(水)「言葉の職人」のご逝去
〇現代を代表する詩人の谷川俊太郎さんが、今月92歳でお亡くなりました。谷川氏は1931年に東京で生まれ、高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビューしました。鋭いけれども誰もがもっている感性を大切にし、テンポのよいことばを連ねるなど、半世紀以上にわたり数多くの作品を発表し続けてきました。
〇私は若い頃から谷川氏の詩を、林間学校のキャンプファイヤーや3年生を送る会などで生徒に朗読させていました。とても平易な言葉ばかりですので、読んでいるうちに生徒たちはその独特の世界に引き込まれ、普段は見せない表情をしていたことをよく覚えています。
〇代表作の「生きる」の全文を紹介します。*下線は私がつけました。
生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
〇以前より自分の解釈ですが、この詩のテーマは、「普段の生活(日常)にこそ生きていくことのすべて(意義)がある。そのことを再確認することが幸せを身近に感じる唯一の方法である」ではないかと感じていました。よく言われますが、十代の若者がこの詩に共鳴する部分ともっと年を重ねた大人が共鳴する部分は異なり、それが詩の素晴らしさではないかと思います。
〇谷川氏は十数年前のインタビューで、「詩というか言語というものは、われわれの世界を記述するのに、非常に不完全なもの。作品がうまくできれば満足だけど、それが真理を示しているとか、そんな気はまったくなくて、きれいで人が楽しんでくれればいい。芸術家というよりも言葉の職人っていうのかな。自分としては『職人』と言いたいんですよ」と答えています。
〇長年多くの詩によって勇気づけられたことに感謝しつつ、谷川俊太郎氏のご冥福を心よりお祈りいたします。
須藤昌英
11月19日(火)ネットの偏りとディープフェイク(騙し技)
〇先日の兵庫県知事選挙で、議会から不信任決議を受け失職した前知事が再選されたニュースがありました。選挙戦の終盤にSNS上での前知事への支持の呼びかけに応じた人たちが急速に増えて投票したことが勝因の一つと言われています。
〇私たちは毎日インターネットで公開されている情報を得ることが容易となり、ありとあらゆる分野のさまざまな内容の情報が「洪水」のようにあふれています。それは現代病ともいえる「ゆっくりと集中できない心理状態」を生み出し、いつも情報に追いかけられている感覚もあります。
〇前述の選挙に関しても、一昔前ならば他の県の知事選などはほとんど関心も情報もなく終わっていました。しかし失職する前からの報道や選挙中の前知事の街頭演説の動画が拡散し、別に詳しく知りたいとは思わなくても知り得る状況です。またそうしたことからSNSに慣れている若年層の関心を招き、支持を集めたようです。もちろん投票率が上がるのは好ましいことですが、SNSの情報の中には、真偽の判断が難しいものも含まれていたと、選挙戦後にあらためて指摘されています。
〇ネットの情報が、既存の大手メディアである新聞やテレビによる情報よりも影響が大きくなる時代です。それは新聞やテレビは基本的に「公平性」を重視しますので、いろいろな視点から報道しますが、一方でSNSは一度閲覧すると同じような情報が自動的にアップされ、読者はどうしても偏った情報になりやすい面も忘れてはなりません。そういう状況は「フィルターバブル(多様な情報がブロックされて一つの情報に偏る)」と呼ぶそうです。
〇またSNSが手軽で便利なツールとなったことで、「自分に注目してほしい(承認欲求)」と思う大人や子どもが増えています。これが強すぎると承認欲求モンスターとなり、過激な写真や動画、嘘情報を何の疑いもなく投稿してしまうことまで発展する可能性があります。
〇これまでの偽画像や偽情報は、関係ない画像の無断使用、画像の一部を切り抜く、事実と異なる内容をあたかも真実のように書くという程度がほとんどでしたが、最近はAIによる画像の生成や「ディープフェィク(深いウソ)」が増えているそうです。
〇具体的には複数の異なる動画や画像、音声を人工的に合成して作られるもので、例えば顔を入れ替える、音声に合わせて写真や動画の口を動かすなどです。これらが簡単に出来るのと出来たものは本物との見分けが難しいと聞くので、どうしたものか?と感じます。悪意をもって別な人との顔と合成し、事実と異なる言葉を喋らすことも可能で、それが流行するとなると、個人の人権だけでなく国家レベルの問題にもなりかねません。
〇実際にその現地に行き、ある現象を観察・実験・体験、さらには資料収集等をすることを「フィールドワーク」と言います。本やインターネットで見たり知ったりした知識は、実際と異なる場合も多々あり、自分の目や耳、その他の感覚をフル稼働して体験したことこそ正しいことに近づけます。学校ではSNSの有効性は認めつつ、最後は自分の目で確かめる力を生徒たちに身に付けさせていきます。
〇冒頭の知事選でも若い世代は、「新聞やテレビは信用できない」「多くのネットの情報を比較して選ぶ」という感覚が強いそうです。現在兵庫県芦屋市に在住している中学校時代の野球部の旧友が、来月柏に里帰りするので当時の数人の仲間と忘年会をしようと約束しました。その際には、兵庫県民は実際にどのような感想をもったり反応したりしていることを聴いたみたいと思います。これも一つのフィールドワークだといえるでしょう。
須藤昌英
11月18日(月)「人生、遅すぎることはない」
〇9月から始めた3年生との校長面接が先週一通り終わりました。一人ひとりの話を聞いて、先日のゲームの話とも共通していますが、自分が主役となり、「主体性」をもってやりたいことに挑戦していくために、志望した上級学校で学ぶということは、とても大切であり応援していきたいと感じています。
〇ただ時々「自分自身に自信をなくしているのでは・・」と感じる生徒がいます。面接時間は一人10分間ですので、その原因を詳しく聞いたり、アドバイスをしたりすることはなかなか難しいのですが、そんなときいつも私の頭の中をよぎるのが「人生、遅すぎることはない」という言葉です。
〇この言葉は、野球漫画で有名な水島新司(1939年~2022年)作「あぶさん:84巻第3話」の題名です。この「あぶさん」もプロ野球を題材にした超大作の漫画で、41年間で全107巻、今から12年前の平成24年に幕を下ろしました。
〇私も全て読破したわけではなく、たまに見かけると読んだくらいですが、プロ野球選手の主人公が野球だけでなく、身近な人達との人情的なやりとりがクローズアップされた作品で、読むと深くその物語に入り込んでしまいます。
〇この「人生、遅すぎることはない」との出会いもひょんなことからです。まだ私が三十歳代後半で仕事で何かの壁にぶつかって悩んでいた時、たまたま家族と行っていた入浴施設のソファー横の本棚にあったコミック雑誌をパラパラとめくっていました。するとその中に、主人公が成績不振にあえぎながらもある人の言葉からまた立ち上がろうとする物語が目にとまり、その場で何度か読み返したのを今でもはっきりと覚えています。
〇帰り際には、「やってもみないことをくよくよ悩んでも仕方ない、とりあえずやってみて、もしうまくいかなかったら、またそこで考えよう」と思え、明るい気持ちで自宅に着きました。私はそれまでは「漫画やアニメは・・」と勝手に遠ざけていましたが、それをきっかけに、メッセージ性やストーリーが優れているものがけっこうあることを再発見し、注目するようになりました。
〇前振りが長くなりましたが、話をもとに戻します。冒頭の生徒達には、次のような言葉がけをしてあげたいと思っています。
今まで何度かやろうとしたけれど出来なかったこと、今の自分では到底出来そうもないとあきらめてきたことなどは、誰にでも1つや2つはあります。しかしそれらは多くの場合、『本気』で取り組もうとする前に、尻込みしてしまったことがほとんどではありませんか?「あの人だからあんなことが出来るんだ」とか「自分には到底そんな能力はない」と思い込んでいませんか?生きているかぎり、何でも「手遅れ」ということはありません。周りからは簡単そうにやっているようにみえることでも、その人は他人が見ていないところで必ず努力しています。その表面だけの姿で判断せず、まずは自分の出来ることから始めてみること。そしてそれを工夫しながら続けてみること。そのきっかけが一番重要であり、まさに今、新たなチャレンジをする勇気をもってほしい。
〇「人生、遅すぎることはない」、これは本校のテーマである「学び成長し続ける富勢中」ともリンクしています。
須藤昌英
11月17日(日)避難所開設運営訓練
〇昨日の午後は、富勢地区として初めて本校体育館を避難所とした開設・運営訓練を行いました。富勢地区(小学校3校、中学校1校、高等学校1校)は、布施近隣センター長が災害本部長となり、柏市職員25名が割り当てられています。そこへ各地区の防災担当者の方が加わり、受付、駐車場設定、パーテンション設営、臨時トイレ設置、ペット受け入れなどの役割分担で行ないました。
〇振り返ってのワークショップは、私がファシリテーターとなり、
① 実施する意義や成果点
② 実施した課題・改善点
③ 次回へのアイデア
について話し合いました。今回は本校で行ないましたが、次は各校でも実施したいとの意見が出ました。
〇市役所職員、ふるさと協議会会長、富学協会長、本校職員、本校生徒6名で宿泊体験しました。夕食後、体育館の大スクリーンで「すずめの戸締り」という映画を鑑賞しました。日本各地の廃墟を舞台に、ミミズという大地震を起こす怪物を止めるために、主人公のすずめが旅をしながら成長していくストーリーでした。
〇日本では大昔から大地が揺れるのは、ナマズなどが暴れるということが信じられてきましたが、今は科学的日本列島は「地震の巣」であることが判明しています。少しでも避難所が地域の方々の安心できる場所になってほしいと願っています。
〇中学生は来週の期末試験に向けて、体育館で勉強もしました。たださほど寒くなく助かりましたが、広い体育館で寝るのは、慣れないと難しいと感じました。
須藤昌英
11月16日(土)花鉢配付ボランティア活動&避難所開設体験
〇本日、富勢地域ふるさと協議会及び各町会・自治会の皆さまとボランティア生徒70名が一緒に、これまで育ててきたビオラの花鉢をお手紙と一緒にご高齢の方のお宅に伺って、配付してきました。
〇受け取っていただいたご高齢の方々からは、中学生が届けてくれたことに、感謝の言葉がありました。中には、「孫が富勢中にお世話になっています。」と話がありました。同じ地域に住んでいるからこその「こぼれ話」です。
〇生徒は大人になるにつれて徐々に人間関係を広げていきますが、彼らにとって親や教師は「縦の関係」、兄弟姉妹や雄人は「横の関係」なのに対し、地域の方等は「斜めの関係」だとよく言われます。「縦でも横でもない斜め」であることで、気軽にしかもあたたかく見守ってくれる存在であることが、彼らの心理状態を安定させます。
〇さらに「有難う」「頑張ってね」と声をかけてもらうことで、「自分も役にたっている」「良いことをすると気持ちいいな」と、自分の存在を見つめなおしたり自己の有用感を高めたりできます。
〇11月としては暖かく小春日和で、参加した生徒たちも「最初は緊張しましたが、あたたかく迎えていただき、良い経験ができました」と感想を言っていました。これからこの地域を支えてくれる生徒たちに、地域への愛着心が芽生えてくれると、このボランティア活動の目的にも沿ったことになります。
須藤昌英
11月15日(金)秋の収穫
〇一昨日は、柏市制施行70周年を記念して、市内小中学校及び公立保育園にて柏市産の食材を使用した特別給食でした。メンチカツやかぶのすり流し汁、ヒジキと彩野菜の和え物は、どれも美味しく、まだまだ柏市は農業が盛んだということを実感しました。
〇昨日は、校内の畑で栽培しているカブとサツマイモの収穫をあすなろ学級の1年生が行いました。特に9月に畑を耕し、種をまいてもう収穫できるのですから、かぶの成長はすごいものです。
〇かぶは、一般的には肥大した根の部分を食用としますが、葉にも栄養素が多く含まれています。また、春の七草の「すずな」はかぶのことです。かぶの原産地は、アフガニスタンあたりか地中海沿岸の南ヨーロッパを加えた地域とされています。ヨーロッパでは紀元前から栽培され、日本には弥生時代に大陸から伝わったと言われています。初めて知りました。
〇サツマイモの原産地は中央アメリカで,15世紀末頃スペイン・ポルトガルに伝わり,さらに東南アジア,中国,琉球へと伝わったと推定されています。 日本への伝来ルートの主流は沖縄(琉球)からと考えられているそうです。サツマは薩摩(鹿児島県地方)のことですので、こちらは何となく知っていた気がします。
〇昨晩は獲れたてのかぶ(白い実と緑の葉)の味噌汁を自宅で食べました。意外なことに実よりも葉のほうがシャキシャキして美味しかったです。
〇また本校の中庭には、ゆずの木があります。こちらは果実ですので、木から上手に用務員さんが収穫してくれました。ゆずは独特の香りと、果皮の黄色が鮮やかです。数個いただきましたが、それだけで帰りの車内は良い香りにつつまれました。この特徴を生かして、昔からお吸い物などに広く利用されています。
〇ゆずの故郷は、中国の揚子江上流が原産といわれています。日本には唐の時代に北京地方から朝鮮半島を経て渡来したようで、日本にも古くから山口・徳島県に野生のゆずがあります。奈良時代にはすでに、薬用や食酢としての利用を目的として、栽培されていたことが記録に残っています。
〇特筆すべき点は、ゆずは種子をまいてから結実するまで、長期間を要するため、俗に「桃栗3年、柿8年、柚は9年で成りかかり、梨の大馬鹿18年」といわれています。9年間は人間でいえば丁度小中学校合わせての義務教育期間と同じですので、3年生で希望者する生徒には受験勉強の励み(香りを楽しんで気分転換)になるように、特別に分けてあげようかと思いました。
須藤昌英
11月14日(木)「リフレーミング」の訓練
〇リフレーミングという言葉は、「認識の枠(フレーム:frame)を改める(re)」ことを意味します。リフレーミングとは、物事を別の角度から解釈し直すことで、簡単に言えば、一つの視点ではなく、いろいろな角度からの見方をすることにより、嫌なことや苦手なことをポジティブ変換する「思考テクニック」です。
〇よく使われる例えとして、目の前に水の半分入ったコップがあったとして、これを「な~んだ半分しかない ⤵」と思うか、それとも「よしまだ半分もある ⤴」と思うか。水の量という事実を変えることはできなくても、その事実をどう解釈するかで、感じ方は大きく変わります。これはだれもが日常生活で経験すみだと思います。
〇リフレーミングには、いくつかの効果が期待できます。モチベーションアップや自分に自信がつく、ものごとへの苦手意識が弱まったり人間関係が良くなったりすることが心理学の面から報告されています。3年生の校長面接では何人かの生徒に、「確かに苦手なことに取り組むのは気がひけますが、『何でも初めから完璧にできる人はいない!』『自分の可能性をのばす絶好のチャンスかも!』ととらえると、『まずはやってみよう!』となりますね。」とアドバイスしました。
〇リフレーミングは主に2種類あり、一つは「今の自分の状況・事実」をリフレーミングしてみること。例えば、病気でしばらく休んでいなければならない時、最初は「あれもやらないと、これも遅れてしまう」ばかり思っていまがちですが、「休んでいる間、自分自身や仕事についてゆっくり考えられる」と気持ちが変わると、「休んでいる間にできることをやろう」と思いなおせます。
〇また「自分の性格や行動の傾向」をリフレーミングすることも多いです。例えば、いつもいろいろなことに「心配性な人」も、「想像力があり慎重にものごとをすすめることができる」と切り換えると、また違ってきます。ただこれは、なかなか自分では気が付きにくく、他人からのアドバイスが大きなポイントをしめると思います。
〇ネットなどで調べると、「リフレーミング辞典」というものがあり、私も時々参考になるので、眺めています。冒頭に書きましたが、これは思考テクニックですので、ある意味訓練する必要があります。最初は「こんな言い換えは不自然で違和感がある」と思いがちですが、そういう感情を抑えて、無理やりでも受け入れてしまうことが大切です。
〇先日の3年生は、「自分の短所は『面倒くさがり』のところです」と言っていたので、私からは「それはおおらかなことまたは細かいことにこだわらないという良い面とも言えますね」と返しました。私も「少し強引すぎたかな?」と思いましたし、本人はキョトンとしていました。ただこちらも訓練して何とか相手に前向きなってほしいとの気持ちがありますし、本人も後から少しでもその言葉が頭に残って、「そういう見方もあるかな?」のように受けて止めくれるといいのですが・・・と願っています。
須藤昌英
【リフレーミング辞典の一部】
11月13日(水)自分の身体と向き合うこと
〇2年前の11月に自宅で発熱、その晩にコロナの陽性が発覚、次の日から7日間自宅で療養するという経験をしました。当初は家族の中で最初に、同居している母が喉の痛みを訴え、咳をし始めたので、家の中で生活する動線をわけるなどの警戒をしていました。
〇ところがその母はその後発熱はせず、回復に向かいました。それと入れ替わるように、私も含めた家族が喉に違和感を覚え、咳が始まったのちに発熱しました。その夜は発熱外来は受け付けしてもらえず、薬局で抗原検査キッドを購入して、すぐに「陽性」が判明しました。
〇コロナそのものに対する薬は手に入りませんでしたので、喉、咳、鼻水への処方箋を服用しつつ、ひたすら自宅に引きこもりました。幸い食欲はありましたので、お粥を中心とした食事をとり、徐々に身体に力がみなぎってくる感覚を今でも覚えています。
〇この夏あたりから少しずつ中学生にもマイコプラズマ感染症が流行しているという話を聞いています。少し調べると、風邪のような咳・鼻汁から始まり、咳や発熱が長く続くのが特徴で、特にマイコプラズマによる肺炎になると、頑固な咳をともない、一部の人は重症化したりするようです。また、一度かかっても何度でもかかりうる感染症のようです。
〇専門家は「命を奪うほどの肺炎ではないので、過度に恐れる必要はないが、子どもがごはんを食べず、ぐったりしている状況は普通ではないので、病院を受診して水分を補給したり、栄養をとったりすることが必要になってくる」と話しています。
〇またその上で、感染対策について、「コロナ禍のころを思い出してもらい、飛まつ感染を予防するためには、マスクを着けることやこまめに手を洗うことがいい方法だと思う」とアドバイスがあります。
〇肺炎となると呼吸がしにくくなるのはよく聞きますが、私の場合に2年前のコロナ感染で、呼吸の困難さを感じました。健康な時には気づきにくいですが、生きる上でいかに「呼吸」が大切かということを考えさせられました。
〇高熱や咳が出ているときも、無意識に呼吸はしていますが、そういうときこそ少し呼吸に意識を向けて、まずはゆっくりと身体中の息を吐き出しますと、その反動で新しい空気が自然と入ってきます。呼吸が深くなると精神的な不安も少し和らぎます。
〇よく病院の診察時などでも、まずは「吸って」、次に「吐いて」の順で医師から指示されますが、本当は順番が逆で、しっかりと「吐く」と、自然と「吸える」のか?と思いました。咳止めなどの処方箋も確かに有効ですが、局所的ではなく、身体全体をケアし、本来もっている「自然治癒力」を最大限に引き出すには、呼吸を整えることが一番簡単にできることだ!と感じました。
〇コロナの時には、若者が後遺症に悩んでいるという話をよく聞きました。一定の期間が過ぎても、嗅覚・味覚障害や強い倦怠感が多く、中には発熱や呼吸困難など日常生活に支障をきたしているという相談事例も多かったようです。今回のマイコプラズマ感染症に関しての後遺症も心配になります。
〇風邪やインフルエンザ等に感染した際には、発熱や咳などの症状が出ますが、それらはしっかりと体を守ろうとしている「身体からのサイン」だそうです。発熱などの原因のほとんどは、身体が病原体と戦い、体を守るための生体防御反応なのです。そのサインに素直に耳を傾け、休養することが何よりも大切であり、たとえ受験生と言えども決して無理をしないようにしてほしいです。
須藤昌英
11月12日(火)「ゲーム」との付き合い方
〇校長面接などで、3年生に「受験勉強をしている時の気分転換の方法は?」と尋ねると、8~9割の生徒が「好きなゲームをしています」と答えます。そこでさらに「気分転換のつもりが、そのままハマってしまうことは?」と続けると、大抵の生徒が苦笑いし、「それが悩みです・・」のように打ち明けてくれます。
〇過去に担任していた生徒から、同じようなゲームに関する質問を投げかけられたことがあります。「どうしたらゲームをやめられますか?」と。私は答えました。「方法はただ一つしかないよ。それはそのゲームの攻略法を徹底的に友達から教わってからやってごらん。わかると思うけど、そんなのはつまらなくてすぐに止めてしまうでしょ」。
〇少し逆説的な言い方ですが、そのように何もかも教えてしまっては、人はまったく面白みを感じないのです。どうしてかと言うと、ゲームの中で「自分で選択する機会」が前もって奪われ、冒険心や挑戦心などのやる気のもとがなくなってしまうのです。
〇私が「ゲーム」と聞けば、今から40年前以上に流行したインベーダーゲームを思い出します。当時はまだ自宅で行うゲーム(ファミコンなど)は販売されていませんでしたので、高校生だった私はゲームセンターで夢中になりかけていました。ただ段々とゲーム以外のことが忙しくなりゲームセンターに行くのも億劫になったので、お小遣いを使い果たすようなところまではいきませんでした。
〇しかし今は自宅でゲームが当たり前ですので、生徒たちが自らの制御力でゲームをする時間をコントロールしなければならない状況です。自宅でできる便利さはありますが、逆にゲームとの程よい距離を保つことが難しくなっています。先ほども書きましたが、生徒がゲームの中で自分が主役となり、「主体性」をもって課題に挑戦していくことは、人間の本質にあったゲームのプラス面であり、否定されるべきではありません。
〇ただ先日、You-tubeの対談で、東大名誉教授の姜尚中(カン・サンジュン)氏が指摘していたことも気になります。姜氏は「人生(実社会)はゲームではない」とし、「(要約)現代は政治、経済、人間関係などのすべてが、ゲーム理論に基づいて処理されている。ありとあらゆる領域から集めた情報をアナリストが分析したりそこからシュミレーションしたりして、現場の様子はモニターでみるだけ。そこに強烈な違和感をもつ。しかし実際に目の間で起きていることはもっと複雑で、ゲーム理論だけでは到底説明しきれない」と鋭く述べています。
〇これを見ながら深く考えさせられました。ゲームの良さは認めつつ、そこから実際の生活にいかに戻ってくるか。冒頭の受験生の悩みは、決して子どもの問題ではなく、我々大人も直面している問題だと思います。
須藤昌英
11月11日(月)富勢地区文化展&三学年期末テスト
〇先週末の土・日曜日は、富勢地区ふるさと協議会主催の文化祭の中の展覧会が、布施近隣センターで行われ、本校の美術部員が書いた「富勢中の風景画」を出品しました。
〇ここには、富勢小、富勢東小、富勢西小、県立柏高校からの作品もあり、児童生徒の感性の豊かさを感じ取ることができました。絵の構図や色使いは、大人では描けない自由さがあり、素晴らしいと思いました。
〇私もそうでしたが、中学生くらいになると、「見たままを忠実に描くことを基本にした絵画(写実絵画)」を描きたくなるようです。 ただその作風は生徒個人によってさまざまであり、だからこそ同じような情景を描いても、表現されたものはそれぞれ全く違うものになります。
〇先日も放課後の校庭で、一人の女子生徒が本校の正面玄関あたりを描いていましたので、「出来栄えはどうですか?」と声をかけたところ、うれしそうに「まあまあです」と答えていました。
〇どの生徒も何度も何度もスケッチして彩色するという作業を繰り返していました。彼らの描く絵には、集中して一つの作品に取り組んだ「時間の痕跡」が感じられます。この時間の積み重ねこそ大切であり、描かれるものにはその瞬間しかない美しさと儚さがあり、その経験が作者にとって次の作品のベースになるのだとかんじます。
〇今日と明日は、三年生のみ2学期の期末テストを行います。今日は、社会、国語、英語の3教科、明日は数学と理科の2教科です。
〇「なぜ3学期の期末テスト三学年だけはやく行うのか?」は2つの理由があります。一つ目は、高校入試の際に中学校が高等学校へ提出する「調査書(生徒の3年間の生活及び学習の記録)」を作成するために、3学年の学習評定を確定することが必要になります。一及び二学年の学習評定はすでに確定していますが、三学年は1学期及び2学期の学習の様子を総合的に勘案します。そしてまず、そのもとになる「保護者連絡票」を作成し、本人及び保護者に内容を確認してもらった上で、正式な「調査書」を年開けまでに作成します。
〇もう一つの理由は、特に私立高校の場合、その学校独自の「推薦制度(第一志望または第二志望以下もある)」があり、その推薦制度の条件に志望した生徒の成績が見合っているかを、来月から中学校の教員が高等学校へ出向き、「入試相談」を行います。この際に、先ほどと同様に、一及び二学年の成績に加え、三学年の1学期及び2学期の評定が必要になってきます。もしこの「入試相談」」で、高等学校側がその生徒が基準を満たしていることを認めれば、その生徒は願書などを出す時に、「〇〇推薦」を利用した出願が認められます。一番早い出願は、12月から「茨城県私立高等学校」となり、その後、「千葉県」「東京都」「埼玉県」と続きます。
〇三年生の皆さんには、これまで努力した成果があらわれることを願っています。
須藤昌英
11月8日(金)「個性は可能性」について
〇3年生との校長面接では入試本番を想定し、生徒は制服を着て校長室に入室してきます。彼らは入学してからはフォーマルな服装として、制服を着ることに慣れていますので、よく似合っています。生徒たちとは着ている制服の話をする時間はほとんどありませんが、ふと思い出したことがありました。
〇今から20数年年前くらいに学級担任をしていたころ、生徒たちと当時の学校の制服について、何度か話し合いしたことがありました。生徒たちは、「決められた制服や頭髪の基準、またそれらの身だしなみなどの約束があるのは窮屈な気がする」と言っていました。
〇もちろん私自身が中学生の頃も同じでしたが、その時の柏中は全校生徒が二千人いて、「中学校の時だけの決まりだし、みんな同じだから・・」と感じるくらいで、当時の生徒のように「自由がない、窮屈」とまでは思いませんでした。
〇そこで当時、あるインタビュー記事で映画監督の大林宣彦さんが、「制服」について学生に語っている文を見つけ、学級通信に掲載しました。引用します。「確かに制服はみんな同じで変わらないかもしれないけれど、その人が読んだ本、聴いた音楽などによって、まずその人の目の輝きや語る言葉が変わってきます。そうするとその同じ制服を着ていても、『個性』が出てくるんです。制服はファッションではなく、【心のあらわれ】です。同じものを着て窮屈で嫌と感じるとすれば、君の言葉を磨きなさい。君の目の輝きを磨きなさい。そうすると君の着ている制服は、君だけに似合う『個性』になるよ、と言いたいですね」
〇映画監督は一つのテーマをいかに表現するかをいつも考えてそれを仕事としており、その「表現のプロ」が言っているので、言葉に重みがありました。私は学級通信に、自分の解釈として「つまり表面ばかりに目を奪われて本質を磨くことを忘れてはいけないということを教えてくれていると思います」と添えました。もちろん生徒達はすぐに納得していたわけではありませんが、生徒達の疑問に寄り添いつつで、教員として一緒に学んでいたことは忘れることはありません。
〇また大林さんはこうも言っていました。「制服というのは対話の手段なんです。人間どうしは対話をすることでお互いを理解しようとします。対話とはお互いの違いを知る作業で、君と僕はこれだけ考え方が違うんだね。だからお互いに価値がある。これが共存共栄の意味だと知るわけです。違いを知るためには、一つの同じ土壌にいなければダメなんです。そのルールが制服だと思えば、制服を着せられたからみんな同じだと思うのではなく、同じ制服を着ているけれど、僕はこういう言葉を語るし、君はこういう言葉を語る、そうするとその制服が違って見えるということからも、個性を鍛えることができると思いますね」
〇後半の言葉は、当時大人であった私も深くうなずくものでした。同じ制服を着て面接をしていても、それぞれの生徒の個性はよくわかります。最近の私の結論は、「個性=可能性」ですので、逆に制服だけで個性(可能性)が無くなるなどは、空論に過ぎないと感じています。
〇来年度からは柏市標準服(ブレザータイプ)も本格的に導入されます。生徒や保護者にとっては、現行の制服か新しい制服かの選択肢が増えます。毎朝本校正門前を通学する幾人からの富勢小の6年生に、「制服は決まりましたか?」と尋ねると、大半が新制服と答えていましたが、中にはあえて今の制服(学ラン、セーラー服)を考えている児童もいました。
〇今の中学生は、制服についてどう思っているのか。何かの機会で、聞いてみたい気がしました。
須藤昌英
【柏市標準服:上着ブレザー&スラックス、スカート】
11月7日(木)「いじめ防止サミットKashiwa」
〇昨日、柏市内の中学校21校の代表生徒が2名ずつ集まり、「R6いじめ防止サミットKashiwa」がオンラインで開かれました。テーマは「SNSといじめ」で、NPO法人企業教育研究会代表の市野敬介さんがファシリテーターとなって、参加者がグループで話し合う形式の学習でした。
〇本校からは、生徒会役員の中村雅さん(2年3組)と佐藤莉杏さん(2年5組)さんが、富勢中を代表して参加しました。二人とも積極的に自分の意見を発表したり、他の中学校の生徒の話を真剣に聞いたりしていました。
〇サミットでは、二つの課題について話し合いました。一つ目は、アメリカのフロリダ州などでは、子どもがSNS上でネットいじめなどのやりたい放題が問題になり、その後子どもがSNSを利用することを規制する法律ができましたが、「もし柏市の条例で中学生以下のSNS使用禁止が決まった場合に、あなたは賛成しますか?反対しますか?」でした。
〇参加生徒は4人グループに分かれて、それぞれ自分の意見を根拠を交えて発表しあいました。いろいろな意見が出ましたが、「この時代に情報収集するのにSNSは欠かせない」「いじめ防止の意識を繰り返し高めていく必要がある」などの本質をついた理由がありました。
〇次に「このような禁止や制限を必要としないためには、学校でどんな取り組みが出来ますか?」の課題で、これもいじめ防止のポスターや呼びかけの便りを作成する、いじめについてだれでも相談できる場所をつくるなどの建設的な意見がありました。
〇大人の私でも考えさせられる内容でした。普段から仲が良いからといっても、一つのメールなどで相手を傷つけ、人間関係がこじれてしまうことはよくあります。むしろ正式にネットモラルの教育を受けていない我々大人の方が、生徒達よりもよほど気をつけていかなければならないと感じます。
〇このサミットを教材として、12月23日の終業式に、中村さんと佐藤さんには、全校生徒に向けて「いじめやSNSの使い方」について考える授業をしてもらうことを計画しています。事前に生徒や保護者にもアンケートをとるなどして、本校の実態に即した内容にリメイクします。ご期待ください。
須藤昌英
【積極的に参加し、メモを取りながら全校生徒向けの授業について考える中村さんと佐藤さん】
11月6日(水)「交通安全誓いの碑」
〇正門から入ってすぐ右脇に、「交通安全誓いの碑:交通違反をしない、させない、許さない」と書かれた石碑があります。これは今から38年前の昭和61年5月の日曜日、集団で部活動の練習試合の帰り(歩道を自転車で走行中)、猛スピードの車がその列に突っ込み、当時の本校女子生徒2名が命を落としたという大きな事故があり、「そのような交通事故が二度とないように」と願いを込めて当時の生徒・教職員・PTAが建立したものです。2年前に八街市で下校途中の小学生の列に、飲酒運転のトラックが突っ込み、2名の死傷者と3名の負傷者が出たことは記憶に新しいです。
〇私は当時大学4年生で、間もなく教員採用試験を受けようとしていました。住んでいる柏市内でそのような悲惨な事故があったことはテレビなどでも大きく報道されましたので、今でも記憶にはっきりと残っています。
〇その翌年4月に柏市の中学校教員となり、その事故現場がちょうど通勤途中だったので、行き帰りにその場所を通るたび、心の中でご冥福を祈りつつ、教員として生徒の命を預かる重い責任を実感していました。
〇その女子生徒さんたちもご存命であれば、今50歳台前半になっています。一昨年4月に本校に着任した際も、その38年前の事故については前校長や前PTA会長さんからも引継ぎとして説明を受けています。
〇500名以上の生徒の命を預かっている今、同じような事故が起きないように日々努めていかなければならないと、亡くなられた方への誓いとしてあらためて肝に銘じました。
〇先日は、柏市教育委員会を通じてから千葉県交通安全対策推進委員会より「自転車乗車用ヘルメット着用率向上に向けた取組について(通知)」が届きました。内容は以下の通りです。
1 自転車乗車用ヘルメットの着用について
令和5年4月より、自転車乗車用ヘルメットの着用は努力義務となりました。通学時の自転車利用に限らず、日常利用でもヘルメットの着用に努めていただきますよう御協力をお願いします。
【道路交通法第63条の11第1項】
自転車の運転者は,乗車用ヘルメットをかぶるよう努めなければならない。
2 通学時の安全運転について
自転車で通学の際に転倒し負傷する事案が発生しています。また、ヘルメットを着用して頭部は保護できたものの他の部位を負傷する事案も発生しており、安全運転についてより一層注意いただきますようお願いします。
〇この3年間正門脇で、ふるさと協議会と連携して16日に地域の御年輩の方々に配付する「ビオラ花鉢」を育成中です。その花鉢を生徒たちが「交通安全誓いの碑」の近くで育てているのも、何らかの供養になれば・・と感じています。
須藤昌英
11月5日(火)ちょっと良い話と想像力について
〇この三連休は、土曜日は秋雨前線で雨でしたが、文化の日と振替休日は秋晴れで気持ちの良い日でした。運動しようと自転車に数時間乗っても大汗をかくこともなく、ベンチで本を読んでいても紅葉しかけの木々や鳥の声で心が安らぎます。
〇ようやく暑さから逃れ、このような気候が長く続けばよい・・といつも思いますが、なかなかそういうわけにはいきません。気温や湿度が下がると、ウイルスの活動が活発化し、感染症の心配が出てきます。警戒を始めていきます。
〇先日学区にお住いの方から、うれしい連絡が入りました。道路で落とし物(財布)をして気付いて警察に連絡すると、近隣の交番に届いていたそうで、届けた人を尋ねるとどうやら富勢中の生徒であるとのことでした。
〇その生徒は交番へ名前や連絡先を知らせなかった?のでしょうか。結局直接お礼を言うことが出来なかったので、学校に連絡してくださったようです。職員の打ち合わせで周知し、クラスで伝えたいと思います。
〇こういう話を聞くと、最近よく報道されている通称「闇バイト」にかかわってしまった若者たちと比べてしまいます。もちろん一概には比べられませんが、手元のスマートフォンですべて(金銭欲しさも含め)を解決しようと、ネットサーフィンして見つけたサイトへアクセスし、短時間で高収入という「効率」に目がくらんでしまったのかもしれません。
〇そもそもこの犯罪を「闇バイト」などと呼んでしまうこと、これこそが今の世の中の負の部分だと思います。スマートフォンの情報は間違ったものや法律に触れることなどが多く含まれていること、実行役や見張り役などの細かい役割分担があるので、もし捕まっても一人の犯罪よりは罪は軽いだろう?などの思い込み・・。
〇一番の問題は「想像力」の欠如です。先ほどの落とし物を交番に届けた本校生徒は、「落とした人はどれだけ困っているだろうか?」とその人の気持ちを想像したからこそ行動できたのだと思います。一方で、犯罪に手を貸してしまった若者たちは、「自分さえよければ・・」と被害者の気持ちなどを考えることもなく、短絡的であると言わざるを得ません。
〇逮捕された若者たちばかりを責めるのではなく、我々大人がつくってきたこの世界には、多くの矛盾や誤魔化しがはびこっており、その陰で苦しんでいる人がいることを再認識する必要があると思います。いくら経済的に豊かになっても、弱い立場にある人たちを切り捨てて成り立っている社会に、本当の安らぎはありません。天高い秋の空をみんなが楽しめるような世の中にならなければならないと感じます。
須藤昌英
11月1日(金)令和6年度合唱コンクール
〇本日の午前中、本年度の合唱コンクールが、柏市民文化会館大ホールで行われます。生徒たちは現地に9時までに集合します。途中経過を少しずつお知らせしていきます。
10月31日(木)合唱コンクール前日
〇明日の合唱コンクールに向けて、今日は最後の練習を各クラスで行います。発表も頑張ってほしいですが、特に生徒たちは柏市民文化会館へ朝、直接徒歩で集合し、終了次第現地で解散ですので、行き帰りの交通安全にも気をつけてほしいです。職員も途中のポイント地点で安全指導を行います。
〇柏市民文化会館の最寄りの駅は北柏駅ですので、そこまで電車やバスを利用することは許可しています。また自転車通学の生徒は、学校に自転車を置いてから徒歩で行くように指導しています。
〇終了時刻が12:15ですので、例年の様子をみていると、行きよりも帰りの方が一斉に帰りはじめお腹もすいているので、小さなトラブルが生じています。
〇とにかく外部の施設を借用しての行事ですので、生徒たちにとっては校内で行うよりも普段と勝手が違うことから臨機応変に行動することや一般的なマナーなどを守るなどの意識をもつ機会になります。
〇地域や保護者の方々には学年毎に入れ替えで鑑賞していただきますが、外部施設とあって職員も校内で行う場合よりもあちこちに役割に応じて配置してありますので、ゆっくりとご案内したりお話ししたりする余裕がありません。ご了承いただき、鑑賞席ではお互いに譲り合ってお楽しみください。
〇私は以前から生徒たちに、「人の身体は最高の楽器」ということを言っています。楽器というとピアノやギターなどを連想しますが、最も原始的だけれども誰でももっているのが、声を出す役割を担っている声帯で、そこから発する音を身体全体で大きく響かせたのが合唱です。
〇1年生は初めてのステージで緊張しますが、スポットライトを浴びて歌えることを楽しんでほしいと思います。2・3年生はこれまでの経験をいかし、堂々と歌い上げてくれることでしょう。もちろん受賞するかしないかは気になるでしょうが、それよりもやり切った充実感を味わってほしいです。
須藤昌英
10月30日(水)「中学校教育に望むこと」
〇全日本中学校会が定期発行する冊子に、前WBC日本代表監督で、メジャーリーグに行く前の大谷翔平選手を育てた栗山秀樹氏にインタビューした記事がありました。一部を紹介します。
〇質問
今、日本の中学生は、他国の若者に比べて、「自己有用感」「自己肯定感」が低いと言われていますが、監督の目には今の中学生の姿がどのように映っているのでしょうか?
〇栗山監督
どこに生まれるかというのは自分で選べるわけではありません。例えば人に生まれるかもしれないし、虫に生まれるかもしれないことも含めて、神様が決めているという中で、ほかの民族がどうのこうのというのは一切関係なくて、そこに対しては中学生だけでなくて日本全体が言われていますよね。
日本人が優秀だと言われた時代があったものが、今これだけ経済的にも政治的にも遅れをとっている。ただ、先人の皆さんの功績とかやってきたことを見ると、僕はこの国に生まれて本当に良かったと思っています。そのことをWBCで表現したかったというのは正直あります。
日本が世界一になるという意味は、「さあ行くぞ、俺は世界をとってやる」と子ども心に感じてもらうためではないかと思っていましたし、そういう意味では、自己肯定感が低いという中学生たちの感じをみていて、ただ単純に「ぜいたく病なんだろうな」と思っているだけです。
昔は食べるのも大変だった。何もしなければ食べられないわけですよ。ところが今は、大人になっても守ってくれる人たちがいっぱいいるので、それはなかなか難しいだろうなと思っているところがある。変な言い方ですけど、それがダメとかそういうことではなくて、絶対能力はあるし頑張ったらできるところもある。スポーツの世界にいて何が人の分岐点なのかというと、能力じゃないですね。「できないよな」と思った瞬間にできないんです、すべてが。そうではなくて、これをやると決めてやり切った人がそこにいくというだけの話です。それは時間がかかるかもしれないですけど、そういうことなんだと十年間の監督生活で思ったんです。これは体験です。
(途中略)
要するにの能力じゃない、本当に自分がこうするんだという確固たる志、意思というんですかね、それが何らかのタイミングで得られれば、今の中学生たちも勝手に能力が伸びていくということなのかなと、そこは信じています。
そういう子どもたちが、今はそうみえるけれども、必ずそういうものをもっている。そこにどうやって火をつけるか、どうやって灯をともしてあげたらいいのか。僕は良く、「やる気の志には我々は火をつけられない」と言っています。本人しか火をつけられることはできないので、我々はそのお手伝いしかできないと思うんですよね。今その自己肯定感や自己有用感が育たない何かの要因があるというだけなのかなという感じで僕は捉えています。
〇栗山氏は国立の教員養成大学の出身で、教員免許ももっていた方なので、親近感があります。プロ野球選手という大人を育てる仕事ですが、基本的な考えは我々教員と同じだと感じました。
須藤昌英
10月29日(火)長文を諦める(新聞を読むことで身につく力)
〇昨日の朝刊は、衆議院選挙の記事が大きく取り上げられていました。テレビでも同様に報道されていましたが、細かい情報などはテレビの方が詳細をつかめるので良いですが、全体の結果を大まかに把握したい時には、新聞の方がテレビなどよりも圧倒的にわかりやすいと感じます。
〇やはりそれは記者やデスクなどにより、限られた時数でいかに事実を伝えるかの視点で校正が繰り返されているからでしょう。繰り返しますが、新聞の最大の利点は各面の見出しをサッと見渡すだけでも、社会で起こっていることが大まかにつかめるという点です。
〇毎年行われる文科省の全国学力テストの分析から、本校を含む全国の生徒の国語の長文読解の正解率は低下しており、長い文をみるとすぐに「諦める生徒」も多いことがわかっています。これはSNSの影響が大きく、短文や絵文字でのやりとりが広がり、生徒が日ごろから活字と向き合う環境を整える必要があると結論づけています。
〇3年生との校長面接をしていても、国語に苦手意識をもつ生徒のほぼ9割が、問題文が長文であることでそれを読み切れていない(読みはじめても途中でやめてしまう)ことがわかります。長文といってもさすがに問題として掲載するので、400~600字(原稿用紙1枚半程度)が多いので、ゆっくり読んでも2分あれば読み切れます。
〇現行の学習指導要領でも、「新聞を活用した学習」が明記され、国語の授業の一部では、新聞の記事を使った教材も使用しています。本校では全国紙(朝日新聞)と地方紙(千葉日報)の朝刊に加え、中高生新聞(読売新聞&小学館)を定期購読しています。全国紙と中高生新聞は、図書室でいつでも生徒は閲覧できます。
〇特に中高生新聞は、週に一度の発行ではありますが、今の社会問題を写真や図を入れたり、難しい用語をできるだけ使わずに説明したりと、大人の私が読んでも「なるほど」を思うときがあります。例えば先週の中高生新聞の第一~三面は、「ノーモア・ヒバクシャ 次世代へ」と銘打ち、ノーベル平和賞に日本被団協が選ばれたことを特集しています。これを読むと、「我々大人でもわかっているつもりで知らないことが多いなあ」とつくづく感じます。
〇また新聞は読めば読むほど、世の中や人間は複雑で簡単には理解できないことに気づきます。しかしそのモヤモヤした気持ちが重要ではないでしょうか?新聞を読むという一見非効率に見える時間も、少しずつ自分の引き出しを増やしじっくりと深く考えてみる機会になると思います。
〇このように「新聞を読む力」を育てることは、単に長文に馴染むだけではなく、社会の出来事に感心を持ち、生徒の情操や課題解決力を伸ばしつつ、最後は「自分ならどうするか?」という主体的な生徒に導くことにもなります。
〇「長文を諦める」生徒への対策として、授業中だけでなくあらゆる場面で、書かれていることを理解するために、注目する内容を決めて要約する練習を積みかねていきます。
須藤昌英
【10月20日付 朝日中高生新聞】
10月28日(月)柏市技術・家庭科作品展&音楽発表会
〇技術科と家庭科の授業で作成した中で、優秀な作品を出品しました。週末のさわやかちば県民プラザの回廊ギャラリーには、他校の素晴らしい作品も展示されていました。
〇本校の出品者です。
技術科作品
1年 コーナーラック 椎橋美月
棚付き本立て 塩川隼人 廣瀬有里桜 宮原結菜
キッチンペーパーホルダ 東 健斗
3年 ウッディラジオ 壁下翔志郎 松本小暖
家庭科作品
1年 緑のコーヒー(刺し子) 松本悠希
刺し子 近村 蓮 村上収都
2年 ハーフパンツ 中村 雅
Mabon 千葉翔平
3年 いつもの 石黒音羽
これ、なぁに? 井野流楓
ねずみちゃんとえのぐさんたち 栗林瑞綺
これ な~んだ? 向井晴香
なんでないてるの? 平塚美笑
〇26日(土)には、富勢ふるさと協議会主催の音楽発表会が富勢小体育館で行われ、本校の吹奏楽部がトップバッターで出演しました。
〇次の富勢小の児童による演奏も、日頃の練習の成果を発揮し、堂々とした演奏でした。来年に入学してくる児童もいますので、4月からは一緒に演奏できることでしょう。
〇最後は、市内で活躍するチアリーダーチームの「PRIDE DANCE CITY」によるダンスとその間に、児童生徒と一緒に踊るダンス教室がありました。身体を動かして、楽しそうでした。
〇地域の行事で、児童生徒の活躍をみてもらうことは、大きな意義があると思います。
須藤昌英
10月25日(金)「やればできる」と「できるからやる」
〇教員として38年間、目の前の生徒の可能性を引き出し伸ばすことを最大の目標として取り組んできましたが、いつも迷うのは、「やればできる」と「できるからやる」の2つのどちらが正しいか?です。「鶏が先か、卵が先か」みたいな話ですが、自分としては最大の課題です。
〇「やればできる」は、昔から言われている「努力を美徳として、楽な方を選ぶことを嫌う」が根底にあります。コスパの面から考えると、苦労せず楽に成果が得られるのであれば、最適最良です。
〇しかしその一方で、教育的側面からは、努力を通じてスキルや知識を習得することで定着が強固になるという従来の考えにも、妥当性はあると思いますし、昭和から平成へと教育の主流はこの「努力の継続」でした。
〇前にオレンジの服が印象的だった芸人さんがテレビなどで、そのポジティブな性格を前面に出し「やればできる!」というフレーズを連呼していたことを覚えています。確かに明るい笑顔で言われると、その気になってきます。
〇その芸人さんは、「僕の『やればできる』っていうのは『やれば成功する』ではなくて『やれば成長できる』よねっていう思いを込めています」と説明していました。それを聞いて私もそれにはまったく同感しました。
〇若い時に担任をしている時も、「やろうと思わないから出来ないんだよ」みたいなことをよくクラスの生徒に言っていた記憶があります。叱咤激励のつもりでしたが、言われた生徒はどう思っていたのだろう?と今さらに思います。
〇しかし最近は少し違ってきました。むしろ人は「できるからやる」という見方の方も、正しいのではないかと思っています。努力し挑戦すること(やればできる)によって生徒たちは日々成長していますが、その前提として可能性という「成長の種子」を生まれつき自分の中にすでにもっていて、その種子を開花させている(できるからやる)に過ぎないのではないでしょうか?
〇「やればできる」の陥りやすい点は、今出来ていることはあまり重視せずに、次はコレをするその次はコレをする・・と果てしない無限ループになりやすいことだと思います。精神的に疲労します。
〇一方で「できるからやる」については、失敗を極端に恐れるという今の若者の特徴がその意識を薄めていると感じます。人は誰でも失敗し、その失敗を次にいかして前へ進んでいくのであり、一つの失敗で「すべてがダメ」と自分を否定してしまうことがとてももったいないと生徒たちを見て思います。
〇その原因の一つは、大人(保護者や教員など)が生徒たちに今取り組んでいることの結果を性急に求めすぎることがあると思います。私も含めて「信じて待つ」という大人の姿勢が正直足りないと思います。
〇「失敗を成功で上書きする」という言葉があります。「失敗を失敗のまま終わりにせず、それを小さな成功つなげる」ということを、生徒たちには折に触れて伝えていきたいと思います。
〇最後に昔、ナイキというスポーツメーカーのCMに、マイケルジョーダンというバスケットボールのスーパースターが出演していました。彼は私と同じ年齢ですので、バスケットボールに興味がなかった私もその存在感には注目していました。
〇その彼のCMの中でのセリフが今でも頭に残っています。紹介します。「キャリアで失敗したシュートは9000本。300試合に負けた。26回ウィニングショットを外してきた。今までミスしてきた。何度も何度も・・・。だから私は成功する」
〇今の生徒は彼のことは知らないかもしれませんが、みんなからスーパースターと言われている人でも、数知れない失敗を経験してきていることは伝えたいなと思います。
須藤昌英
10月24日(木)市内教職員の授業研修を行いました
〇昨日は午前中で生徒を下校させて、午後は田中中学校で、近隣の中学校の教職員が集まり、授業についての研修を行いました。
〇田中中は、本校と同じく創立78周年目で、柏市で最も古い中学校の一つです。ですから本校と同様に校舎も基本的には古く、使い込まれている感じがします。
〇しかし本校との違いは、その敷地内に新校舎を建設しており、大きなクレーン車が動いています。学区の田中小と田中北小は、柏たなか駅が近いことから児童数が急増し、どちらも千人前後います。
〇今後は田中中へその二校から毎年卒業生が入学してきますので、年々生徒数が増加し、数年後にはやはり全校生徒数が千人を超える勢いです。田中中の校長も、「校舎建設でも生徒の安全を守りつつ、着々と生徒数増加の準備をしている」と言っていました。
〇本校を含めた他の中学校の教員が田中中の授業を参観し、その後各教科に分かれて、授業のねらいや生徒たちの学びの様子について、話し合いをしました。
〇教職員にとって自分の学校だけでなく、今日のように他校の授業を題材に研修していくことが、明日からの自分の授業に役立つので、有意義な時間でした。
〇来月の28日には、2回目の授業参観(午前中1~4校時)がありますので、是非ご来校ください。
須藤昌英