校長雑感ブログ

8月15日(木)79回目の終戦の日に際して(自宅から投稿)

〇8月は79年前(昭和20年)の太平洋戦争の終戦や原爆・空襲などに関する特集やニュースがさまざまな形で放送されます。先日の6日と9日(広島と長崎)の「原爆の日」も、真夏の中に式典が行われ、世界で唯一原爆が投下された日本にとって、忘れてはいけない日の一つだと思います。

〇また今日は、先の大戦の全戦没者を追悼し平和を祈念する日で、「終戦記念日」または「終戦の日」とも言われます。正午前から東京の日本武道館で、政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われ、天皇皇后両陛下や内閣総理大臣、遺族の方々などが出席されます。

〇1学期に3年生の歴史の授業で、明治維新以降から現代までの日本史を扱っていましたが、79年前の戦争で日本がアメリカなどの連合軍に敗北し、その後復興するまでの流れを、我々大人ももう一度振り返る必要がある気がします。

〇私も終戦から18年経ってから生まれていますので、身近に戦争の傷跡を頻繁に感じることは少なかったです。ただ幼い頃、柏駅で手や足を失ったまま人が兵隊の格好で座っている情景を何度か見た記憶があります。その人の前には、古い鍋があり、通りかかる人の何人かは、その鍋に小銭を入れていました。

〇隣にいた父に「あの人はどうしたの?」と尋ねると、「戦争で大ケガをして帰国した人だよ」と教えてくれました。今から11年前に亡くなった私の父は、終戦の時にちょうど二十歳で、友達の何人かが戦争に行き、亡くなったとも聞きました。父も茨城の霞ケ浦予科練で兵隊としても訓練を受けたそうですが、兵隊に召集される前に終戦を迎えたようです。また「今の平和があるのは、戦争で犠牲になった方々のお陰なんだぞ」が口癖でした。

〇私も幼い頃は、その意味があまり理解できず、その後も成人するくらいまで、「人の犠牲の上にある平和とは一体なんだ?」と考えていたことを思い出します。ただ60歳を超えた今は、国にいる家族やもっと大きくは日本を守るという目的とは言え、決して喜んで戦場に向かった人はほとんどいなかっただろうと想像できます。ましてや命を落として、遺骨さえも自宅に戻らなかった方も大勢いるので、さぞ無念であったろうと慰霊の気持ちが自然と湧いてきます。

〇30年前くらいの終戦50年という年に勤務していたのが近くの松葉中学校で、その秋の文化祭の中で、担任をしていたクラスの発表で影絵をすることになりました。内容は、太平洋戦争末期の沖縄戦、当地ではガマと呼ばれる洞窟の中で、避難していた住民と日本兵がアメリカ軍から何とか逃げようとする話で、悲惨な場面では生徒によっては泣き出すこともありました。事前に生徒たちと多くの資料を読み、台本や人形をつくり、照明でスクリーンを照らし、生徒たちが一生懸命演技していました。

〇あの時13~14歳だった生徒も今はもう40歳台の半ばの中年になり、自分の子どもが中学生くらいになっています。今彼らが自分の子どもたちに、79年前の戦争について何を語っているのかはわかりませんが、きっと少しは中学生の頃に調べた戦争についての事実は、覚えてくれているのでは・・と期待しています。

〇今日は、「全国戦没者追悼式」に合わせて、正午から1分間の黙祷を捧げるようです。戦没者やその遺族の方々に対しての追悼と今後も戦争のない日本にしていく決意を表したいと思います。

須藤昌英