校長雑感ブログ

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2月16日(木)新聞の活用(読むと作る)

〇昨日に続いて新聞について書きます。林間学校や修学旅行などの校外学習では、事前学習や活動のまとめとして、個別や班別に新聞を作成しています。昨日の新聞記者と同じような経験をしたり友達の記事を読んで参考にしたりと、人に情報を伝えることの楽しさと難しさを学びます。しかし昨日も書きましたが、家庭での新聞購読率が低かったり、普段からじっくりと新聞を読んだことがないため、事前に新聞を書くための基本的な指導はしますが、どうしても見出しのインパクトがなかったり、伝えたい内容が絞り切れていなかったりする場合も散見されます。

〇現学習指導要領では、「新聞活用」が明記され、学校では教科などでもできるだけ新聞を使った授業に努めています。ただ全国学力テスト(中学校3年生対象)の結果では、「新聞をほとんどまたは全く読まない」という回答が中学3年生で約8割近くに及んでいます。そもそも新聞を読むという習慣は、ある意味「自分から必要な情報をとりにいく」という積極的行動であり、次のような「受け身の姿勢」とは異なるものです。

〇日本新聞博物館の尾高泉館長は、ある教育雑誌の中で、「ニュースや広告の方から自分を探して届けてくれる今の社会では、若い層はとっくに自分の関心のある情報が快適に届くようにスマホを最適化し、その傾向は生活全般者に広がりつつある」と指摘しています。確かにいつの間にか「レコメンド(表示)機能」と呼ばれるものがあり、最初は違和感がありましたが、日常化してしまうと「当たり前」となります。例えば通販サイトからは、「この商品を買った人はこんな商品も買っています。」みたいな通知がやたらときたり、ニュースについても見出し的な内容が示され「詳しくはこちらから」みたいなある意味「お節介」とも感じるサービス?があったります。

〇この機能は、ウェブサイトへのアクセス履歴などの膨大な情報を取集し、利用者と類似した商品やカテゴリに関心を持っている他の利用者を関連づけ、グループ化し、類似した利用者がよく見ているが、利用者がまだ見ていない商品を表示させる仕組みであり、データ活用という面では画期的だとは思います。

〇尾高館長はさらに、「各自が関心のある情報だけに接していけば、決して異論に出会うことはなく、対話や協働はバラバラになる。こうした問題は『エコーチャンバー(自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくる【反響室】のような狭いコミュニティで、同じような意見を見聞きし続けることによって、自分の意見が増幅・強化されること』や『アテンションエコノミー(人々の関心や注目の度合いが経済的価値を持ち、まるで貨幣のように交換材として機能する状況で、日本語では【関心経済】と訳される』と呼ばれ、社会の分断化、民主主義の劣化の要因ともなっている。研究者らは、『ニュースダイエット』を呼びかけ、「選択的ニュース回避」と呼ばれる人々のニュース疲れの傾向は、各国共通だと指摘する」と書かれています。

〇今のSNS社会の中で私たちは、新型コロナ感染症蔓延になってあらわになったように、真偽があやふやな大量の情報が一気に拡散し、それによって多くの人たちがその情報に振り回され、時にはいがみあったり傷つけあったりしたことを身近に経験してきました。昨日も書いた便利なネットニュースの情報源は、聞いたところによると、各新聞社とポータルサイト側が契約してWEB向けに文字数やタイトルを再編集したニュースの提供を受けているようですので、まだ信頼性はありますが、その他の個人サイトで書かれている情報が「本当に正しいのか」については、疑いの目をもっていくことも重要です。

〇冒頭の話に戻ります。生徒が新聞を書くということは、自分を当事者として自分が経験したことや考えたことをまとめるということから、これからの時代には欠かせない資質を養うことにつながります。そしてさらにそのことを通して、読んでいる記事の情報源や信ぴょう性を想像する力にもなると思います。

〇最後に三度、尾高館長の言葉です。「哲学者の三浦雅士氏が、『考える身体』で言うように、身体と思考はつながっていて、新聞を読む(つくる)習慣づくりが身体の発達と不可分である」参考にしていきたいと思います。

須藤昌英

 

2月15日(水)新聞の役割と有効性

〇学校の玄関に毎朝届く新聞(全国紙:朝日新聞、地方紙:千葉の2紙)は、丁寧にビニールがかかっており、毎回そのビニールを破る際に、早朝にここに届くまでに、どれだけの人の手間と苦労があるのだろうと想像します。

〇私の若い頃の教え子で、その後記者となった生徒から、裏話を聞いたことがかつてありました。24時間を問わず事件や事故の現場に行き、人の話を聞いたり取材をしたりする(時にはそれが朝から晩まで続く)ことから始まり、その後その取材内容を記事にするための下書きをします。これがまた身体の苦労以上の気苦労があるようです。そして書いた記事に内容や誤字脱字などのミスがないかを責任者のチェックを受けるのだそうです。私などもこのブログで短い文章を書いていますが、多くの方が読むと思うと、言葉や内容に結構気を使いますので、そのプレッシャーは何となくわかります。OKになった記事と写真を見やすいようにレイアウトし、真夜中に印刷工場がフル回転で印刷したものが、各家庭に配達されます。

〇ただこの時代に新聞を家庭でとっている割合は、聞くところによると5割を大きく下回っているそうです。その主な理由としては、「ニュースはネットやテレビで見るから、新聞なんていらない」です。確かに今は、いろいろなポータルサイトにも、気になるニュースがランキング形式で随時更新されていたり、私などもスマホにニュースをまとめて読める便利なアプリを入れたりしており、「知らなくて困る」ということはありません。むしろスピード感があり、それで満足している気がします。しかしそれだけで、「新聞は不要」ということにはなりません。

〇少し調べますと一例として、日本よりもアメリカではいちはやく「新聞離れ」が起きたようです(アメリカでは全国紙より地方紙がメインとなっている)が、地方紙が経営難に陥り、廃刊が相次いだようです。原因の一つは、広告費がネットに流れてしまったこと。すると思いもよらない事態に発展しました。地元の選挙を報道する新聞がなくなったため、その影響で立候補者などの情報が有権者に伝わらなくなり、誰に投票していいのかわからなくなり、選挙の投票率が激減したようです。さらに地域のニュースが報じられないため、地元の政治への関心も失われ、最後は不正を監視し伝える記者がいないことで、不正が報道されることもなくなり、不正や汚職が横行したということです。

〇日本でも同じことが起こるかどうかはわかりませんが、社会の動きをいち早く伝え、事実の核心に迫るため、先ほどのように記者の方々は日々、取材に駆け回っています。常に目を凝らし小さな変化を見逃すまいとしています。記者がいることで、人々は政治などについての情報を得ることができ、権力者の不正に歯止めがかかっています。「ペンは剣よりも強し」ということわざの通り、新聞は民主主義を下支えしていると言えます。

〇一方で教育に新聞を活用することも行われています。NIE(Newspaper in Education)とは、学校などで新聞を教材として活用する活動です。アメリカで始まり、日本でも40年前くらいから取り組まれています。今では教育界と新聞界が協力し、社会性豊かな青少年の育成や活字文化と民主主義社会の発展などを目的に掲げて、全国で展開しています。

〇新聞の強みは、事件・事故はもちろん、政治、経済から文化、スポーツまであらゆる分野の情報が網羅され、その一つ一つの記事が複数の目による厳しいチェックを経て世に出ている、「信頼性の高いメディアである」ことです。新聞を学校や家庭での学習に活用することで、社会への関心を高め、自分ごととして考えを深めることにつながります。ネットニュースの長所ではありますが、ニュースをはやく知ることだけを重要視してしまうと、深くその背景や今後の影響について考える機会を失います。本校でも生徒の学びに、新聞をどのように生かしていこうかと思索しています。

須藤昌英

2月14日(火)社会とのつながり(小さな貢献)

〇12日の日曜日、柏駅近くの献血センターで400mlの献血をしてきました。1回で400mlをすると、最低でも12週以上は間隔をあけないと次の献血はできませんので、多くても年間3回が限度です。終わってから次の予約は5月7日としました。

〇私は20歳くらいから不定期(気が向いたら程度)に献血をしていましたが、それが定期的にするようになったのは、今から15年くらい前、勤務していた小学校の児童がある病気で緊急で多くの献血が必要となり、職員や保護者に協力依頼があったのがきっかけです。私は残念ながら血の条件が合わなかったので、その時は献血できませんでしたが、世の中には血を必要としている人が身近にいることを再認識したわけです。

〇日本赤十字社のHP をみてみると、「国内には、輸血を必要とする人が年間約100万人いると言われ、集められた血液の80%以上は、がんや白血病、再生不良性貧血などの病気と闘う人のために使われています。血液は人間の生命を維持するために必要な成分であり、体から一定量が失われると命に関わります。また、血液の持つ機能が正常に働かなくなると病気になったりします。このような患者さんを救うために輸血が必要となるのです。しかし、科学が進歩した現代でも血液は人工的に造ることができません。また、血液は生きた細胞であるため、長期間保存することができませ。患者さんに安定的に血液を届けるために、健康な皆さんの献血へのご協力が毎日たくさん必要なのです。病気やけがで輸血が必要となってしまうことは、皆さんが思っている以上に身近におこることです。輸血によって命をつなぐ人がいます・・・輸血によって笑顔を取り戻す人がいます・・・このような病気やけがと闘う人たちを救えるのは、献血ができる健康な皆さんだけなのです。」とあります。

〇特に、「科学が進歩した現代でも血液は人工的に造ることができません。」というところがいつも心に残っています。ここまで科学が発達すると「人間はなんでもできるというような錯覚」に陥りがちですが、これを読むたびにとんでもない間違いだと感じます。

〇200ml献血は、男女ともに満16歳以上からできますので、中学校3年生も今年から可能になります。最初は少し怖いかもしれませんが、チャンスがあったらチャレンジしてもらいたいです。しかし今、新型コロナの影響で10代~20代前半の献血ご協力者が激減しているそうです。具体的には、東京都内の昨年の9月中だけで、必要な献血人数に対し、献血協力者が2300人も下回り、緊急事態になっているのだそうです。

〇ではその解消の手立てとして、「善意などの社会規範に頼るのではなく、献血者に何らかの報酬を支払うことはできないのか」という議論もかつてはあったと聞きます。確かにそうなると協力者は増えるかもしれませんが、「血を売る」のようなマイナスのイメージが広がったり、それで生計をたてたりする人が出てくる可能性も否めません。難しい判断です。

〇現在は献血者には、一般企業(飲料物、製菓、製紙、洗剤、医療、電機などの会社)からの寄付による品物が献血後に配付されています。私も待合室で好きな飲み物や菓子を無料で飲食させてもらったり、帰る時にはこれまでですと、ティッシュペーパー、ウエットティッシュ、マスク、消毒液、食器用洗剤などの実用品が多かったですが、最近では回数がある程度になると、モバイルバッテリーやらワイヤレスイヤホンなどもいただくこともあったりました。もちろんそれを目当てにはしていませんが、もらえるのはありがたいですし、それを社会貢献として各企業がバックアップしてくれていることも実感しています。

〇献血の年齢制限は69歳までとなっています。個人的な社会貢献として、年間3回としてもあと10年で30回しかできません。そのためにも健康を維持していこうと思います。

須藤昌英

2月13日(月)梅の開花が待ち遠しい

〇金曜日の雪とはうって変わり、一昨日と昨日は、過ごしやすい暖かい日でした。自宅近くを散歩していても、その姿よりも先に淡くて良い匂いが漂っているので周囲を見渡すと、あちこちの梅の花(赤、白、黄)が咲き誇るっているのを発見します。「春が足音もたてずに近づいている」と思います。

〇本校にも中庭に数本の梅の木がありますが、こちらは花のつぼみはパンパンに膨らんでいますが、残念ながらまだ1輪も開花していません。2月に入って毎日観察していますが、環境として午前中に日差しがあたりにくく、気温もやや低めなのかもしれません。

〇梅は桜とよく比べられますが、梅の方が開花時期がはやく、「寒さを耐え忍んで咲く」というイメージがあります。厳しい状況でも美しく咲くので、つつましくても昔から人々の思いが寄せられてきたのだと思います。事実、平安時代には梅に関する多くの和歌が詠まれました。

〇特に有名なのが、学問の神様と言われる菅原道真(845年~903年:平安時代の公卿・漢学者・文人)が詠んだ

「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)」です。この和歌は、菅原道真がいいがかりともいえる罪をきせられ、九州の太宰府へ左遷される際、大事にしていた梅の木を前にして心をよせるように詠んだ作品だと、中学校の国語の時間で習い、当時に暗唱して覚えたので、今でも強く印象に残っています。

〇おおよその意訳としては、「春風が吹いたら、お前の匂いを(京から太宰府まで)送っておくれよ、かわいい梅の花。私(主人の菅原道真)がいないからといって、春を忘れてはならないぞ」くらいでしょうか?「東風(こち)」がなぜ春風のことであるのかは、少し調べましたら中国の自然哲学「五行説」からきているそうです。春という季節は、東の方角と関係が深く、同様に「東南西北」が「春夏秋冬」にあたるそうです。

〇菅原道真は天才的な学問の大家で人柄もやさしく、多くの人々から尊敬されていましたが、当時の政権幹部からその名声を疎まれ、あらぬ罪で左遷されました。本人には政治的な意図はなかったとされますが、京の都で学問を究めるという本懐を果たせず、さぞ悔しい思いをしたことでしょう。その大宰府での生活は大変きびしくみじめで、気候や風土が変わったためもあり、最後は体調をこわし、都に残した妻子にも会えず、一説によると西暦903年2月に59才で亡くなったそうです。今から1120年前の2月です。その後、京都では雷が落ちて火災がしきりに起こったり、伝染病がはやったり、よくないことがつづいたので、人々は菅原道真の霊がこのようなたたりをしているのではないかといっておそれたという話も有名です。

〇昨年の修学旅行でも、何クラスかは3日目に、京都の北野天満宮(菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社)に受験祈願供養で参拝しています。個人の参拝ですとお守りが多いですが、団体での参拝でしたので、学業成就の札をいただいてきました。私も現在、菅原道真公が亡くなった年齢と同じで、もちろん比べることはおこがましいですが、生徒の「学び続ける姿」をかげながら応援しています。特に金曜日に志願倍率も発表された来週の公立高校受検には、3年生全員が自分の力を出し切れるようにと願っています。

〇合格することをよく「桜咲く」と言いますが、梅は可憐な花が咲いてその香りに特徴がありますので、「梅香る」がぴったりだと思っています。そういうことで、今年の梅の花はいっそう待ち遠しいのかもしれません。

須藤昌英

2月10日(金)英語の交流授業

〇昨日の5時間目に、富勢東小6年生と本校1年3組とをオンラインで結び、交流授業(英語)を行いました。小学生1名と中学生2名がグループになり、まず小学生が各自作成した「小学校の思い出のスライド(英語で作成)」を聞いて、その内容について中学生が質問をしました。それぞれ立派な説明態度で、準備はさぞ大変だったろうと思いました。

〇次に小学生から中学生に、中学校生活についての質問があり、中学生が「本音」も含めた答えを返していました。1年前は同じような小学生だった彼らが、中学校生活を経験し、後輩のみなさんに話ができるところまで成長したのだと感じました。

〇小学生の主な感想としては、

「中学生と話すのは最初緊張しましたが、相手の2人の中学生は優しく話を聞いたり、質問に面白く答えたりしてくれたので、うれしかったです」

「私は英語はあまり得意ではありませんが、私の発表を中学生がよく聞いてくれたので、自分としてはよくできました」

「ほとんど中学生と話をすることはありませんが、今日の授業を終えて、自分もはやく中学生になりたいと思いました。部活動は●●を希望しています」

〇中学生の感想の振り返りでは、

「小学生が作成したスライドやそれを英語で説明することにびっくりしました。私たちももっと英語を話せるようにならないといけないと思いました」

「小学生の言葉遣いも丁寧で、自分たちの日常生活でも気をつけていきたいと思いました」

〇4月からは同じ学校で学ぶことになります。この交流を通して、「先輩になるという自覚」をもつことを期待します。

須藤昌英

2月9日(木)鳩の巣作り

〇今週の月曜日、校長室脇の生徒玄関の入口のひさしに、小型の鳩のつがいが一生懸命巣をつくっているのを発見しました。きっかけはやたらに下に小枝が落ちているので、見上げてよく観察すると、2羽の鳩が入れ替わりたちかわりに枝を運んでは、一か所に集めている姿をみたことからでした。これまで燕の巣などは見たことがありましたが、鳩は初めてです。

〇私の中では、鳩は古くから平和の象徴とされてきたという知識が先立ちます。例えば広島や長崎の平和記念式典では、平和を祈っての鳩の放鳩(ほうきゅう)が行われる場面をよくみます。また手品師がハンカチから鳩を出すマジックを昔はよく見ましたが、私も結構好きで見入ったものです。手品も平和の象徴の一つともいえます。ただ一説によると今は動物虐待になるので行わないようです。

〇調べてみると、鳩は雨風のあたらない高所で、かつ狭いところに巣を作る傾向にあるそうです。このような場所は天敵が来づらく身も隠せるため、よく巣を作るのでしょう。ただし鳩はいきなり巣を作るわけではなく、最初は安全そうな場所を慎重に見つけ、しばらくして慣れてくるとエサや仲間を待つ待機場所として使うようになり、最終的にはねぐらとして利用するようになります。なお本来の鳩は、木や岩陰などに巣を作っていましたが、街中にすむ鳩は建物を代わりにして巣を作っているということです。

〇ただ良いことばかりはないようで、鳩が巣作りをした後の対策は厄介なことがあると書かれていることも多いです。鳩には「強い帰巣本能があること」と「鳩が鳥獣保護法によって保護されていること」の2点が原因のようです。最近はあまり見ませんが、個人で自分の庭に「鳩小屋」を作っている人もいます。そして伝書鳩のレースに出場することを目指している人もいました。それはこの強い帰巣本能を人間が利用しているからです。ですから一旦、巣を作ると鳩を追い出そうが、巣を撤去しようが、伝書鳩と同じように戻ってくるそうです。

〇また鳩は鳥獣保護法によって保護されているので、許可なく捕まえたり、傷つけたりするのは違法となります。鳩は春先に巣を作ることが多く、基本的に鳩は年中繁殖できる高い繁殖力を持っていますが、暖かくエサも豊富な、子育てしやすいこの時期に巣を作りひなを育てようとしているのでしょうか?

〇平和というと、いまだにウクライナ紛争も終わりが見えませんが、自然災害の大地震でトルコやシリアですでに1万人以上の死者が出ているようです。人が歩いているすぐそばのビルが目のまえで崩壊していく映像をみると、もし数メートル先のそのビルの中にいたら・・と思うと、人の命があるか失われるかなどは、ほんの少しの違いなのだと感じます。富勢中に巣をつくっている鳩が、「平和の使者」であるように・・と思います。

須藤昌英

 

2月8日(水)千葉県公立高等学校入学者選抜にかかる出願

〇今日から3日間(10日は午前中のみ)、千葉県立及び柏市立高等学校の出願手続きがあります。基本的に公立高等学校へ出願できる条件は、「県の内外を問わず、他の公立高等学校を出願していないこと」ですので、入学願書にはそのことを校長が証明する欄があり、私がすべて捺印しています。出願方法は一部のWeb出願を除いては、郵送か直接持参になりますが、本校では生徒本人が受検する高等学校に出向くことにしています。出願をしない3年生については、2時間授業の後、下校となります。

〇出願する高等学校の所在地は、柏市9校、我孫子市2校、鎌ヶ谷市1校、流山市4校、野田市2校、松戸市6校、千葉市2校と広域になります。朝いったん登校し、担任などから出願書類を受け取って、志願先の高等学校へ徒歩や公共交通機関等を使って行きます。学力検査等の当日の下見を兼ねるねらいもありますので、身なりを整えて礼儀ある態度で行くように、学年職員で指導しています。

〇出願期間が終わる10日の金曜日に、志願倍率が発表されます。その倍率を参考にし、1回に限り、志願の変更の手続きをすることができます(2月15日、16日)。ただしこれは無暗に行うと返って生徒本人に心の動揺(変えることにはチャンスとリスクの両方がある)が残ることもありますので、慎重に行わなければなりません。

〇この2つの手続きが終わったら、あとは21日と22日の学力検査等の当日になります。生徒のみなさんには、「最後は自分のやってきたことを信じて」と言ってあげたい気持ちです。不安を感じない人など一人もいませんので、自分だけが不安だと思わないでほしいのと、私の経験からは、他の学校から出願した人はみな「自分よりも出来そう」などに見えるので、たまたま同じ学校を受検した人は、ライバルというよりは「同志」だと思って、「お互い頑張ろう」くらいの気持ちでいる方が、気が楽になると思います。

〇本番直前にあえてこれまでの生活スタイルを変えるのは好ましいことではありません。気持ちはわかりますが、最後の追い込みとして深夜まで勉強をしようとする生徒が時々いますが、そのことが自分にあっているのか否かと思いあぐんだり、寝不足になったりと精神的・身体的負担がかかります。新しいことを取り入れようとする気持ちをあえて抑えて、今までの生活リズムを貫いていった方が良いと思います。

〇伝統的に中学校の教員には、『十五(歳)の春は泣かせない』いう言葉が伝わってきています。義務教育9年間を終え、新たな進路先を自分で選ぼうとしている3年生。合否の結果は我々にはどうすることもできませんが、本人が努力してきた力を精一杯出し切れるように祈るしかありません。

須藤昌英

 

 

2月7日(火)SNSの悪用の背景

〇インターネットは多方面で私たちの生活を豊かにしてくれていますが、世の中はますますその便利さを追求し、何時でも欲しいものがあれば注文して自宅まで届けてくれたり、わからないことは手元のスマホで検索すれば、それなりの情報(情報元の信用性は別にして)が得られるようになったりしています。

〇連日報道されている「広域強盗殺人事件」の指示役が、外国からSNSで遠隔操作をして、日本全国で白昼堂々の強盗が金品だけでなく、人の命も奪う悲惨な事件に心が痛みます。自分の手は汚さずに、インターネットで「裏バイト」などと称して若者を募集する手口は、ひと昔前では考えられなかった事件です。犯罪に優劣はありませんが、やむにやまれぬ事情から犯してしまったものと、このようにギャンブル的に社会への影響を深く考えもせずに行ったものでは、同じ犯罪でも質の違いを感じます。

〇また若者による飲食店での悪質ないたずら(いたずらの領域を超えた威力営業妨害)をアップしている動画も10年以上前くらいから途絶えません。学校でも過去の同様の事件がいかに社会全体にわたって迷惑をかけ、何より自分自身が後の人生を台無しにすることを繰り返し「情報モラル授業」の中で教えています。しかし彼らもそれらが違法と「知識」としてはわかっていても、その場の雰囲気や安易な楽しさを求める気質によってのみ行動をしてしまい、少し時間が経過してから反省をするのでしょう。しかし今回は被害を受けた大手回転すしチェーンは、本人たちの謝罪を一切受け付けず、刑事告訴をするようです。「ダメなものはダメ」ですから彼らを可哀そうと思う気はありませんが、どうしたら事前に自分にブレーキをかけられるような教育ができるのだろう?と考えてしまいます。

〇最後はもっと身近な市内中学校でも実際に様々なトラブルが多い現状です。一例として、女子生徒へ「裸の画像を送ってほしい」とLINEを送った男子生徒は、もともと友人にそそのかされてやったことでしたが、送られた女子生徒がその内容を周囲の生徒たちに暴露したところ、送った男子生徒はそのことがきかっけで、今学校に行けなくなっている事案があります。またこちらは警察が入った案件ですが、友達のTwitterを乗っ取り、持ち主になりすましてクラスの女子生徒にわいせつ画像を送り付けた事案が報告されています。これはいたずらを超えた犯罪行為です。どちらの案件も、要求されたり送られたりした相手の気持ちなど微塵も考えずに、面白がって「相手の反応をみたい」という短絡な動機が共通点です。

〇冒頭に書いた便利さでいうと、我々がもはや「当たり前」と感じているスマホなどの便利なツールは、知らないうちに「何かにすぐにパッと飛びつく習性を嫌でも身に付けてしまうこと」に直結しています。そして便利さの裏返しとして、自分はその場から動かずにスマホやパソコンで「何でもできてしまう」という錯覚に陥りやすいのでしょう。そうなるとその先を想像してから行うことがなく、気づいたら取り返しのつかないことになってしまうのだと思います。生徒たちに、「便利さ」の影の部分をどう伝えていくか・・。日々考えています。

須藤昌英

2月6日(月)物価高騰の影響

〇学校は教育活動を円滑にするために、常に様々な出入りする業者と綿密に連絡を取り合い、教材や備品の購入や施設管理に関する依頼などを行っています。先日、旅行業者の担当の方と今年の6月に実施する予定の林間学校(2学年:長野県方面)と修学旅行(3学年:奈良・京都方面)についての見通しを話し合いました。

〇コロナの感染については、5月以降に季節性インフルエンザと同等の扱いになる予定なので、少し明るい兆しですが、一方で一番懸念されるのが、物価高騰の様々な影響です。先日は電気料金の値上げの影響について書きましたが、もっと幅広い影響があります。

〇まず交通費では修学旅行で使用する東海道新幹線は、団体料金で決まっていますので、しばらくはそのままだろうと思います。一方で大型バスの使用料金ですが、これは国の規定で使用する日数や行先の距離によって決まっています。林間学校は2泊3日、修学旅行は3日目に京都市内を半日、その後東京駅に着いてから学校までの間(約1時間)に使う予定です。担当者から聞くところによると、バス業界も燃料費や人件費があがっている現状から、今後国に値上げの申請をしていく可能性もあるということです。しかし申請してもすぐには認められないので、今年中には直接の影響はないという見通しですが、その先は不透明だそうです。

〇宿舎(ホテル・旅館)については、すでに昨年度中に一定の条件のもとで契約を交わし予約済ですので、料金は変わらないと思いますが、もしかしてそのサービスの内容に影響があるかもしれません。私から業者を通じて、宿舎側には食事やその他に質の低下がないように、申し入れていきますが、そのような心配をしなければならない状況です。

〇その他では林間学校では利用しませんが、修学旅行では事前に学校から宿舎へ、また宿舎から自宅に各自の荷物を送ったりするので、宅配業者に依頼します。これも先日大手の宅配業者が値上げを発表していましたので、その影響を注視し、必要に応じて対処していきます。

〇いずにせよ5クラス160名前後の生徒を学校外で、2泊3日の体験をさせるには、それなりの費用と配慮が欠かせません。旅行業者の担当者も、「コロナになってもう学校の教育旅行(旅行業界ではこう呼んでいます)はなくなってしまうかもしれないと思っていました」と正直に話していましたが、昨年から元にもどりつつあります。旅行業者は旅行のプロですので、任せるところは任せつつ、今後もよく連絡をとりあって、生徒たちの思い出づくりの準備をしていきます。

須藤昌英

2月3日(金)節分と心に住む鬼

〇明日の立春の前日である今日は「節分」です。他にも立夏、立秋 立冬の前の日はすべて「節分」の日ですので本来「節分」は年4回あります。その中でも春は新年の始まりでもあることや希望をもつという意味合いから、一説によると室町時代以降、特に春の節分が重視されるようになり、一般的に「節分」というと立春の前日を指すようになったそうです。

〇「節分」とは「季節を分ける」という意味ですので、明日からは「新年(初春)」となりますので、今日は通常のカレンダーにおける大晦日と同じと言えます。中国では「春節」としてお祝いを盛大にするのをニュースで見かけます。

〇新年を迎えるにあたり、鬼を退治するために豆が使用されますが、一説によると、「魔(ま)を滅(めっ)する」という語呂合わせから「まめ」をまくようになったようです。また日常でも「まめによく動く」などで使われるように、「まめ」という言葉には「体が丈夫で気が利く」という意味もあり、節分に使われる豆は「福豆」と呼ばれ縁起が良いものとされています。千葉県などは特産の殻付きの落花生を使うところもあると聞いたことがあります。あすなろ学級では、昨日豆まきの練習をしていました。

〇ではその鬼とは何を象徴しているのでしょうか?よく言われるのが、自分の心の汚い部分や弱い部分です。自分だけが得をしようとしたり、相手を貶めたり意地悪をしたりする人は、あらためることも必要でしょう。ただそれに気が付いていない場合も多いので、少なくとも人に指摘されたら、「素直」に自分を振り返ってみることだと思います。これは子どもたちへの戒めとしてではなく、私たち大人の心に棲みつく鬼とどう向き合うかだと思います。

〇また先日も「心の弱さ」については、それと誠実に勇気をもって向き合い、気づいたことをためらわずに、これからの生き方に活かす「素直さ」について書きましたが、自分の行動面で、普段からだらだら過ごしたり、なまけ心に勝てなかったりすることなどが鬼と捉えられるかもしれません。いずれにせよ自分を制御(コントロール)できるか否か、生涯の課題とも言えます。

〇豆まきの時には一般的に、「鬼は外、福は内」と言いながら豆を投げますが、これは鬼(厄や邪気)は家の外へ、福(幸運や福の神)は家の中へどうぞ、という意味が込められています。私も子どもの頃は単純な構図でわかりやすかったですが、中学生くらいになると、「そんなに都合よく悪いものは遠ざけ、良いものだけ近くにもってくるなんて、横着でしかない」などの考えも出てきたり、さらに大人になると、ありのままの自分を受けとめて「ぼちぼち生きていこう」と思えるようになり年齢によって変化があるものです。今は自分の内面を観察した結果、ありのままの気持ちから「福は内!鬼も内!」の方がしっくりくるようになりました。

〇今日の給食には節分にちなんで、イワシと豆がメニューにあります。昔は家庭でも鰯の頭を焼いて柊の枝で刺した「柊鰯(ひいらぎいわし)」を家の玄関などに飾る風習があった記憶があります。鬼が家に入ろうとした時に、鰯を焼いた強烈な臭いで驚かせ、柊の棘で鬼を刺し追い払うための魔除けの儀式だと親から教わりました。また年齢の数だけ豆を食べることも、大豆は良質なたんぱく質ですから身体に良いとわかっていても、さすがに私は60個は食べられないです。

〇近年?は恵方巻(節分の日にその年の神様がいるとされている方角「恵方」を向いて食べる太巻き寿司)が主流になりました。我が家でも子どもたちが小さいときは、豆まきよりも恵方巻を食べて喜んでいました。時代は変わりますが、ともかく明るく立春を迎えたいものです。

須藤昌英