校長雑感ブログ

2月3日(金)節分と心に住む鬼

〇明日の立春の前日である今日は「節分」です。他にも立夏、立秋 立冬の前の日はすべて「節分」の日ですので本来「節分」は年4回あります。その中でも春は新年の始まりでもあることや希望をもつという意味合いから、一説によると室町時代以降、特に春の節分が重視されるようになり、一般的に「節分」というと立春の前日を指すようになったそうです。

〇「節分」とは「季節を分ける」という意味ですので、明日からは「新年(初春)」となりますので、今日は通常のカレンダーにおける大晦日と同じと言えます。中国では「春節」としてお祝いを盛大にするのをニュースで見かけます。

〇新年を迎えるにあたり、鬼を退治するために豆が使用されますが、一説によると、「魔(ま)を滅(めっ)する」という語呂合わせから「まめ」をまくようになったようです。また日常でも「まめによく動く」などで使われるように、「まめ」という言葉には「体が丈夫で気が利く」という意味もあり、節分に使われる豆は「福豆」と呼ばれ縁起が良いものとされています。千葉県などは特産の殻付きの落花生を使うところもあると聞いたことがあります。あすなろ学級では、昨日豆まきの練習をしていました。

〇ではその鬼とは何を象徴しているのでしょうか?よく言われるのが、自分の心の汚い部分や弱い部分です。自分だけが得をしようとしたり、相手を貶めたり意地悪をしたりする人は、あらためることも必要でしょう。ただそれに気が付いていない場合も多いので、少なくとも人に指摘されたら、「素直」に自分を振り返ってみることだと思います。これは子どもたちへの戒めとしてではなく、私たち大人の心に棲みつく鬼とどう向き合うかだと思います。

〇また先日も「心の弱さ」については、それと誠実に勇気をもって向き合い、気づいたことをためらわずに、これからの生き方に活かす「素直さ」について書きましたが、自分の行動面で、普段からだらだら過ごしたり、なまけ心に勝てなかったりすることなどが鬼と捉えられるかもしれません。いずれにせよ自分を制御(コントロール)できるか否か、生涯の課題とも言えます。

〇豆まきの時には一般的に、「鬼は外、福は内」と言いながら豆を投げますが、これは鬼(厄や邪気)は家の外へ、福(幸運や福の神)は家の中へどうぞ、という意味が込められています。私も子どもの頃は単純な構図でわかりやすかったですが、中学生くらいになると、「そんなに都合よく悪いものは遠ざけ、良いものだけ近くにもってくるなんて、横着でしかない」などの考えも出てきたり、さらに大人になると、ありのままの自分を受けとめて「ぼちぼち生きていこう」と思えるようになり年齢によって変化があるものです。今は自分の内面を観察した結果、ありのままの気持ちから「福は内!鬼も内!」の方がしっくりくるようになりました。

〇今日の給食には節分にちなんで、イワシと豆がメニューにあります。昔は家庭でも鰯の頭を焼いて柊の枝で刺した「柊鰯(ひいらぎいわし)」を家の玄関などに飾る風習があった記憶があります。鬼が家に入ろうとした時に、鰯を焼いた強烈な臭いで驚かせ、柊の棘で鬼を刺し追い払うための魔除けの儀式だと親から教わりました。また年齢の数だけ豆を食べることも、大豆は良質なたんぱく質ですから身体に良いとわかっていても、さすがに私は60個は食べられないです。

〇近年?は恵方巻(節分の日にその年の神様がいるとされている方角「恵方」を向いて食べる太巻き寿司)が主流になりました。我が家でも子どもたちが小さいときは、豆まきよりも恵方巻を食べて喜んでいました。時代は変わりますが、ともかく明るく立春を迎えたいものです。

須藤昌英