校長室より

校長のひとり言(令和元年度)

知識をアップデートするために学び続けよう!

Twitterでみつけたつぶやきです。

学生のときのテスト勉強で、教科書見ればわかる暗記モノって今の時代ネットですぐわかるのにわざわざ暗記する必要あります?と教授に聞くと「お前は教習所の教科書見ながら車を運転するつもりか。歩く速度なら問題ないが、変化が速い時代に知識がないなど論外だ」と言われたのを時々思い出す…。

テスト勉強は無駄ではありません。知識は武器になります。身につけて損はないのです。変化に対応するために必要なことは、知識をアップデートするために学び続けることです。

楽しそうにする

 楽しそうに聞いて
 楽しそうに話して
 楽しそうに遊んで
 楽しそうに仕事して
 楽しそうに生きて
 楽しいと思えば思うほど
 楽しくて仕方なくなり
 楽しいことを引き寄せる


 修学旅行の引率で奈良の薬師寺を訪れた時、お坊さんのお説教がとても面白く、腑に落ちたことを覚えています。「面倒くさい」は面(顔)が倒れるから光が顔に当たらずに暗くなる。だから面(顔)を上げて姿勢を正すと顔に光が当たって白く輝く。だから「面白く」なると…。なるほど、行動が気持ちを変えるきっかけになるということですね。これは脳科学からも証明されているようです。「楽しいから笑う」…「笑うと楽しくなる」…「面白いからやる」…「とりあえずやってみたら面白くなってきた」…前向きな行動で気持ちを上げていくのは一つのスキルかもしれません。

正しいということ


『言い負かして正しいことを言って満足しても一つもいいことはない』

『正論は相手の心を閉ざす「言葉の凶器」』


正しいという字は一つ止まると書きます。一つ立ち止まって、考えることが必要だということでしょう。また正論が相手を傷つけることもあるということは覚えておきたいですね。

活用するための力

 ヒンディー語に「Jugaad(ジュガール)」という言葉があります。日本語には該当する言葉がないので翻訳するのが難しいのですが、「最低限の道具や材料でどうにかして問題を解決すること」というような意味があります。
 フランス語にも「Bricolage(ブリコラージュ)」という言葉があって、「ありあわせの材料や持ち合わせた道具で現状を切り抜けること」というような意味です。もともとは「取り繕う」「誤魔化す」といったニュアンスがあったのですが、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースがブリコラージュには「創造性」や「機智」が必要で、それらは人類が古代から持っていた知の在り方であると紹介したことから、ポジティブな意味で使われるようになりました。
 この、自分が知っていることを活用する力こそ、「生きる力」の本質なのではないでしょうか。これはブルーム・タキソノミーの「適応」「分析」「総合」「評価」に対応します。もちろんベースとなりツールとなる知識や技術を習得していくことは基本なのですが、大事なのは、それを問題解決の手段にできること、それぞれの現場で活用できることのはずです。知らない・できないからあきらめる、というようなことがないようにするのがこれからの教育の中心課題だと言えます。


『先生、この「問題」教えられますか?教育改革時代の学びの教科書』石川一郎・矢萩邦彦 共著 より抜粋


「ありあわせの材料や持ち合わせた道具で現状を切り抜ける」ためには、持っている材料や道具は多いに越したことはないはずです。学校で学んだり経験したりすることは必ず役に立ちます。というより、自分が今現在持っている知識や経験をどう生かすのかということが重要になるわけです。つまり、一番よくない姿勢としていえることは「これはやっても意味がない」とか「受験に出ない」とか、今の価値観で学びを止めてしまうことだと思います。学び続けることで多くの材料や道具を手に入れることができるのだと思います。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

こんなに集中して読書したのは久しぶりだ。今まで語ってきた「多様性」がいかに浅いものだったかを思い知らされた。帯にあるように「一生モノの課題図書」だと思う。


「でも、多様性っていいことなんでしょ?学校でそう教わったけど」
「うん」
「じゃあどうして多様性があるとややこしくなるの」
「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃない方が楽よ」
「楽じゃないものが、どうしていいの?」
「楽ばっかりしてると、無知になるから」と私が答えると「また無知の問題か」と息子が言った。以前、息子がレイシズム的な罵倒を受けたときにも、そういうことをする人々は無知なのだと私が言ったからだ。
「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 フレディみかこ 著 より抜粋


整理整頓は心の掃除に通じる

 ドイツには「整理整頓は、人生の半分である」ということわざがある。日ごろから整理整頓を心がけていればそれが、生活や仕事に規律や秩序をもたらす。だから整理整頓は人生の半分と言えるくらい大切なんだ、という意味だ。このことわざに僕も賛成だ。試合に負けた日などは、何もしたくなくなって、部屋が散らかってしまうときがある。あの場面でああすれば良かったという未練や悔しさが消えず、自分の心の中が散らかってしまっているのかもしれない。そんな時こそ整理整頓を面倒くさがらなければ、同時に心の中も掃除されて、気分が晴れやかになる。


(中略)


朝起きたら簡単にベッドメイキングする。本は乱れていたら整理する。ダイニングテーブルの上には物が散らかっていないようにする。ただあまり整理に気を使いすぎると精神的に負担になるので、100点満点で言えば80点くらいの清潔感を保つようにしている。 きれいになった部屋を見たら、誰だって心が落ち着く。僕は心がモヤモヤしたときこそ、身体を動かして整理整頓をしている。心の掃除もかねて。


 『心を整える』 長谷部誠 著より 抜粋

仕事が重なって忙しくなるとデスク周りが乱れる。その結果、使いたい資料が見つからなかったり、イライラしてミスを繰り返してしまうことがある。忙しければ忙しい時ほど、デスクの整理整頓を心がけ、心を整えたいものだ。

2学期を終えて

 本日、令和元年度の第2学期終業式を無事に終えることができました。終業式では「メタ認知」について、子どもたちに話しました。「客観的な自分」「もう一人の自分」の視点を持つことで多様性を認められる力をつけてほしいこと。また、多様性を認めるということは、「何でもよい」という短絡的なことではなく、「立場や価値観が違う人ともしっかりと向き合い、対話し、合意形成することである」ということを伝えました。
 また夏休み前と同様に①自分と自分の周りの人の心と命を大切にすること。②今年1年をしっかり振り返ること③結果については自己責任が持てること(子どもだけで解決できないことは大人に相談すること)。④大切な人(家族、仲間、先生)たちを決して裏切らないこと。以上4点を伝えました。思春期を迎え、気持ちが不安定になる子もいます。また特に3年生は受験を前に不安を抱えています。「大丈夫。何とかなる」と声をかけてあげてください。14日間の冬休み、ご家庭でも子どもたちの見守りをお願いいたします。2学期も中原中学校の教育活動にご理解とご協力をいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

チャイムの鳴らない14日間

【3年生へ】
 2学期が終わります。卒業式まで実質2ヶ月を切りました。休みを除けば45日で君たちは義務教育を終えます。義務教育とは,日本国憲法の26条に「すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする。」とあるように,君たちの保護者に課せられた義務を表わします。義務教育までは保護者や教師といった大人の保護を受けながら,嫌でも学校で勉強しなければならないわけです。では義務教育を終えるということはどういうことでしょうか。別に無理に進学する必要はなく,学校に行きたくなければ社会に出て働くことだって可能だということです。もちろん未成年である君たちにはさまざまな規制は残っています。しかし義務教育を修了するということは,「一人の社会人としての資質を身につけることが出来た」ということになるわけです。どうでしょう。一人の社会人としての資質は身についたでしょうか。君たちの大部分は自分で進学する道を選びました。もしかしたら,そんな難しいことを考えもせず,親の言うままに,あるいは周りにあわせて当たり前のように進学していく人がほとんどかもしれません。でも考えてください。これから少しずつではあるけれど君たちにも責任が要求されるということを…。
 冬休みは進路決定に向けた最後の追い込みの時期です。プレッシャーもあるでしょう。どうしたってイライラするし,投げ出したくなることもあるはずです。でも,大丈夫。何とかなります。大切なのは客観的に自分を見つめる目を持つことです。自分の行動を考えて,それが本当に正しいことか,そのときにすべきことかを考えてください。一時の誘惑に負けて,自分自身や大切な人たちを傷つけることがないようにしてください。
 2学期は,まだ酷暑厳しい中行われた体育祭で幕を開けました。3年生のリーダーシップを頼もしく,うれしく思いました。文化祭ではどのクラスの歌声もすばらしいものだったし,各学級の「思い」が伝わりました。当日の歌声はもちろん,それまでの取り組みは評価に値するものだと思います。毎日の積み重ねを大切にして,卒業の歌につなげてください。
 3学期に入ると,進路決定者が続々と出てきます。進路が決定していない仲間が不安に思うことなく,最後の一人が進路決定するまで,みんなで学びあう雰囲気を維持してください。この学年の仲間,先生方と一緒に生活できるのもあと45日です。みんなと共有できる残りの時間を大切にしながら,誇りを持って卒業していくために一日一日を大切にしてください。
 充実した冬休みになることを祈っています。良いお年を。


【1,2年生へ】
 2学期が終わります。1,2年生のみなさんが新しい学年に進級するまで実質2ヶ月を切りました。休みを除けば52日で令和元年度の修了式を迎えます。
2学期は,まだ酷暑厳しい中行われた体育祭で幕を開けました。3年生のリーダーシップを2年生が支え,1年生が追いかける形で中原中の伝統が受け継がれていく様子がわかりました。
 10月終わりに実施された文化祭では,どのクラスも素晴らしい歌声を披露し,各学級の「思い」が伝わりました。当日の歌声はもちろん,それまでの取り組みは評価に値するものだと思います。毎日の積み重ねを大切にして,卒業式の送別の歌につなげてください。そして文化祭の最後に行われた生徒会引継式では3年生から1,2年生に伝統の襷が渡されました。2年生が中心となり,1年生がそれを支え,次年度に向けた準備を進めてください。
 3学期には「3年生を送る会」があります。この行事は学級を越えて,学年全体が一つにならなければならない行事だと思います。一人一人が自分自身を成長させるチャンスだと思って取り組んでください。
 1,2年生のみなさんにとって2学期は充実した時間だったでしょうか。成長することができたでしょうか。これまで経験してきたことを自分自身の成長の糧にしてください。14日間の冬休みが始まります。2学期の終了と令和元年の終りを期に,この1年間をしっかりと振り返って,来るべき2020年に向けての準備をしましょう。充実した冬休みになることを祈っています。3学期の始業式で元気な姿を見せてください。良いお年を。
                       

 

友だちとはどういう人のことか


 なにをするにも誰かさんといっしょにやるのが好きなタイプの人は友だちができやすい。友だちができにくいという人は、基本的に一人でやるタイプの人です。友だちを作りたいと思うことそのことについても一人でやるのです。ひとりで考えるのですね。いっしょにやりたいタイプの人は、友だちを作るにもだれかといっしょにやるわけです。つまり作る前から友だちがいるというわけです。誰かといっしょにやっていると、気づいたら友だちになっていたなんてこと、よくあることです。友だちの自然発生です。友だちとは自然発生です。できないから作るといった代物ではありません。できてしまうようなものだと言ったほうがよいかもしれません。なぜなら友だちというものは、いるから楽しいし、いるから豊かだ、いるから寂しくないといった側面もありますが、同時にいるから苦労する、いるから頭にくる、いるからいらいらする、などということもあるのです。そんな奴らは友だちじゃないといっても友だちなのです。何しろ自然発生するものですから。友だちができない、友達がほしいと悩む人は、友だちというもののいい面だけを求めすぎている傾向があります。自分が好むような友だちが欲しいと無理な注文をしているキライがあります。そううまくはゆきません。苦労もいらいらも覚悟の上で誰かといっしょにしたいということが少しはっきりすると、友だちは自然発生します。そして苦労します。


「じょうぶな頭とかしこい体になるために」 五味太郎 著 より抜粋


 4月に生徒たちに「人はそもそも仲良くすることが難しい」という話をしました。だから「自分と違う考えを認められるように努力してほしい、多様性を認められるようになってほしい」と伝えました。また最低限のルールとして「命と人権を大切にすること。差別をしてはいけないこと」を意識してほしいと伝えました。相手を嫌だなと思う心、差別をする心を完全に消し去ることはできないかもしれません。大人だってできないでしょう。でも意識をすれば差別をしないことは誰でもできるはずです。意識をすればいじめはなくせるのです。無理に仲良くする必要はないのです。相手に対する思いやりを持つのと同じくらい、自分自身も大切にしてほしいのです。お互いに尊重しあうこと、つまり多様性を認められるようになってほしいと願っています。そのためにはメタ認知が必要です。メタ認知については終業式に子どもたちに話をしたいと思います。

「寒青」

『寒青』とは漢詩の言葉で、風雪に耐えて青々と立つ「冬の松」を意味します。凍てつく風雪の中で、木も草も枯れ果てているのに松だけは青々と生きている。 一生のうち、どんな厳しい中にあっても、この松のように、青々と、そして活き活きとありたいものです。亡くなった俳優の高倉健さんも座右の銘にしているようです。

マナーは愛より強い 身だしなみについて考える

 五木寛之氏が『大河の一滴』(幻冬舎、1998年)のなかで、C・W・ニコルさんから聞いた、極地へ探検に行ったときの話というのを紹介しているのだが、それはこんな話である。

 南極などの極地では、長いあいだテントを張って、くる日もくる日も風と雪と氷のなかで、じっと我慢して待たなければいけないときがある。そういうときに、どういうタイプの連中がいちばん辛抱づよく、最後まで自分を失わずに耐えつづけたか。ニコルさんに言わせると、それは必ずしも頑健な体をもった、いわゆる男らしい男といわれるタイプの人ではなかったそうです。たとえば南極でテント生活をしていると、どうしても人間は無精になるし、そういうところでは体裁をかまう必要がないから、身だしなみなどということはほとんど考えなくてもいいわけです。にもかかわらず、なかには、きちんと朝起きると顔を洗ってひげを剃り、一応、服装をととのえて髪をなでつけ、顔をあわせると「おはよう」とあいさつし、物を食べるときには「いただきます」と言う人もいる。こういう社会的なマナーを身につけた人が意外にしぶとく強く、厳しい生活環境のなかで最後まで弱音を吐かなかった、というわけです。
極限状態でマナーを守れること。これが人間のサバイバルにとって単なる体力以上に重要な鍵になる、というのは非常に興味深い指摘である。ヴィクトリア時代のジェントルマンたちは、ものごころもつかない頃からマナーをきびしく体に叩きこまれてきた。文字どおり、スパルタ式で叩き込まれるのである。これは世 間 体(リスペクタビリティ)を保つため、というよりもむしろ、どんな過酷な条件下でも生き残り可能な人間としての底力を育てる知恵だったのかもしれない。
 
 マナーは体力より強いばかりでなく、おそらくマナーは愛よりも強い。
 熱烈な愛情表現の交換によって結婚したカップルが意外に早く破局(しかも泥沼の)を迎え、人として最低限のマナーを守りあって暮らしているカップルが結局末永く添い遂げていることが多い身近な事例を見ながら、そう思う。
                     「スーツの神話」中野香織 著 より

 頭髪や服装を整えよう。「人は見た目で判断される」のですよ。ONとOFFの切り替えをしっかりして、学校でのジャージや制服の着こなしからしっかり確認しよう。もちろん先生方もです。挨拶や言葉遣いも社会に出てからでは、なかなか身につかないものですよ。


 

新しい体操服


次年度から体操服のデザインを一新します。かねてから「重く乾きが悪い」「男女別の首元の色の違いによるリサイクル・リユースしにくい」などとご意見をいただいておりましたので、無地で速乾性があり透けない素材のものに一新します。肩口にハーフパンツと同様のロゴが入ります。値段もこれまでのものより安い1,800円(税別)となる予定です。もちろんこれまでのものをそのままご使用いただいてもかまいません。合わせて上履きについても新しいものに変わります。こちらは製造工場の閉鎖に伴うもので学年の色分け等はそのままになります。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

初心忘るべからず

「初心忘るべからず」というと「新人のころの、あるいは初めのころの感動や純粋な気持ちを忘れずに、ひたむきに物事に取り組め」という意味でとらえている人が多いのではないでしょうか。しかし本当の意味はそうではありません。この言葉は 世阿弥の書「花鏡」で述べられた芸術論であり、 「しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。①是非とも初心忘るべからず。②時々の初心忘るべからず。③老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし」という一節からのものです。世阿弥は、人生の中にいくつもの初心があると言っています。若い時の初心、人生の時々の初心、そして老後の初心。その時々のダメな自分を忘れるなと戒めているのです。初心とは「段階ごとに経験する芸の未熟さ」のことなのです。未熟な時代の経験、無様な失敗やその時の屈辱感を忘れないように、常に自らを戒めれば、上達しようとする姿を保ち続けることができると教えてくれています。初心とは決して良いものではないのです。学び続けることの大切さ、常にアップデートする姿勢の大切さを改めて教えられる言葉です。校長として未熟な自分を戒め、精進しようと思います。

祝 20万アクセス突破


中原中学校ホームページの閲覧数が延べ20万を突破しました。いつもアクセスいただきありがとうございます。これからも積極的に学校の様子を配信してまいります。記事をご覧になりましたら、どうぞ【投票する】のアイコンを押していただけると励みになります。よろしくお願いいたします。                          

勉強することの意義2 積極的な受動性


本を読むということも、同じく聴く構えを要求される。著者に対して100%同意するのではないまでも、耳を傾け虚心坦懐に、つまり心をすっきりさせて、読むわけだ。もちろん反発もあるかも知れないが、まずは相手の言っていることを受け入れてみようという、「積極的に受動的な構え」を勉強・読書を通じて作り上げる。これが学ぶ構えの基本なのだ。
 学ぶ構えの基本は、受動的であることに積極的な「積極的受動性」である。自己表現の欲求があるのはかまわない。表現するためにいろいろなものを読んで、自分のものにしてそれで表現するのが、筋道なのだ。モーツァルトが音楽の技法・文法を習得して表現したように、である。
 知識や技術を吸収するときには、人の言っていることに耳を傾けるという素直な態度が必要である。素直であるということが、学ぶという活動そのものの持っている本質なのだ。
 もちろん反発しながら、ぶつかり合いながら学ぶというやり方もないわけではないが、基本的には学ぶという活動は「素直さ」を育てるものである。だから勉強すればするほど意固地になっているとしたら、これは学び方がどこか狂っているのではないか。偏狭な考え方になっていくようでは、学んでいる甲斐がないことになってしまう。
 そういうわけで、勉強すると素直に吸収する構えが技となる。これがすなわち頭自体が良くなるということだ。だから「頭がいいから勉強ができる」とか「頭が悪いから勉強ができない」などとよく言うが、そういう考えはあまり発展性のある考え方ではない。実際、「頭のよさ」はトレーニングによって明白に向上する。「頭」と私達が思っているのは、もちろん情報の高速処理もあるが、おもに文脈をつける力を指していることが多い。その文脈をつけて理解する力というのは、やればやるほど伸びていくものなのだ。
 勉強というものはそういう意味で、まず頭を良くするし、ある程度自制心をもって心をコントロールするということに大変役に立つ。もちろん、その上に知識そのものの価値ということが乗っかってくる。


                      「教育力」斉藤 孝 著より抜粋

 

勉強することの意義 自制心


 勉強するといいことがあるのだが、それがなんだかおわかりだろうか。勉強すると一番いいことは知識が増えること以上に、頭がよくなるということだ。「勉強すると頭が良くなる」ということは意外に見落とされているが、「なぜ勉強をするのか」とうい問いへの一つの端的な答えである。運動すると運動神経が良くなる。運動部に入って何年かやっていると、元はそんなに動きが鋭くなかった人でも、ある程度、体が動くようになる。それと似ている。勉強すると頭が良くなる。頭が良くなると同時に心のコントロールもうまくいくようになる、というのが大方の筋道だ。勉強しすぎてものすごくキレやすくなったという人の率よりも、ぜんぜん勉強しないでブチキレている人の率のほうが圧倒的に高い。勉強すると頭がおかしくなるかのような言説を撒き散らす人がいるが、基本的にそういうことはない。
 勉強というものをすることによって、ある種の自制心というメンタルコントロール(心の制御)の技術を学ぶことができる。そういう心の技がセットでついてくるわけである。これは、言ってみると人類長年の知恵である。考えてみれば当たり前のことに過ぎない。勉強することの基本は、人の言うことを聴くことである。耳を傾けて我慢して聞くという心の構えが求められる。「おれが、おれが」という自己中心的・独善的な態度を一度捨てる必要がある。「自分に理解できないことは全部価値がない」という、自分の好きか嫌いかが世界をすべて決めるという態度では何も学べないのだ。
 先人たちの発見したことに対して耳を傾け、しっかりと聴くということが、学ぶということの基本だ。そうした学ぶ構えができている人は、他の人に対しての意識を持つこともできやすい。人の言葉を聴いている間は自己中心的な態度をやめているということだからだ。

                       「教育力」斉藤孝 著より抜粋


学ぶ構えを身につけよう。勉強することで心のコントロールと相手の立場を尊重できる人になろう。勉強すれば価値観が変わり新しい自分が見えてくる…。

 

 

校長面接を終えて


3年生一人ひとりとの校長面接が一通り終わった。(欠席等でまだ実施できていない人も若干残っている)生徒たちと1対1で話ができたことはとても意味があったと感じている。一人ひとり自分の考えをしっかりと持っていて、それを表現することができる生徒がとても多かった。もちろん、緊張したり、自分をうまく表現できなかったりする子もいたが、何より生徒と直接話ができたことがうれしかった。一つ感じたことは、彼らが受験に対してとても大きな不安を抱えているということだ。進路保護者会でもお話をさせていただいたが、進路選択は彼らにとって初めての試練であり、それを乗り越えることは大人になるための一つの通過儀礼としての意味があると思う。悩みや不安を乗り越えることも一つの経験と言える。しかし悩みや不安を乗り越えるためには、周囲の支えが絶対的に必要である。家族や教師の一言がどれだけ彼らを支えることができるのか。私たち大人は彼らを追い詰めるのではなく支えなければならない。目標とする学校の偏差値や合否だけで彼らを追い詰めることはしたくない。「目標」は最後にその結果を自分では決められない。でも「目的」は違う。進路選択という試練を理解し自分自身を成長させることが目的であり、そういう意味では不合格から学ぶこともあるはずだ。三者面談も終わり、私立の入試相談の準備が始まる。私たち大人がもう一度、「目標」と「目的」をしっかりと理解して、子どもたちを支えていかなければならないと思う。

ライ・シャラドさん

5月に中原中に来てくれて、国際理解の講演をしてくださったライ・シャラドさんを覚えていますか。ネパールの子どもたちの未来のために、自らの手で学校を作るプロジェクトを進めているライさん。ライさんとソフトバンクによる「愛のランドセルプロジェクト」がTBSニュースで取り上げられました。下記のリンクから視聴できます。

https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3822489.html

※視聴期間終了したため上記リンクでは現在視聴できません。

ライさんがネパールに作った学校を紹介する映像です。ライさんのプロジェクトは確実に進んでいます。ぜひご覧ください。