校長室より

2019年8月の記事一覧

あなたの笑顔を守りたい。


チャイムの鳴らない44日間も残すところ4日となりました。終業式に生徒の皆さんにした約束は守れたでしょうか。守れなくてもいいんです。とにかく皆さんが元気に2学期を迎えてくれればそれだけでいいんです。充実した夏休みを過ごせた人、早く友達に会いたいと思っている人、宿題も完璧に終わっている人。そんな人ばかりでないですよね。宿題が終わらない、部活や学級の人間関係が不安。家族についても悩みがある。そんな人もいるはずです。でも大丈夫です。安心して学校に来てください。先生たちはみんなに会えることを楽しみにしています。9月2日の朝、私も正門で皆さんを迎えるのを楽しみにしています。もしも悩みがあるなら身近な大人に相談してください。校長室にきてくれてもかまいません。電話相談やSNS相談もあります。この動画をぜひ見てください。元メジャーリーガーの松井秀喜さんや車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾さんからのメッセージです。

動画URL https://youtu.be/Rq4S0J0V6nY  
#stsndbyyou 

学校に居場所がない子に言ってあげられることはありますか?

日本を代表するボーカリストの甲本ヒロトさん。THE BLUE HEARTSとして、「リンダリンダ」や「TRAIN-TRAIN」などのヒット曲はあまりにも有名ですね。現在もザ・クロマニヨンズとして活動を続けています。その甲本ヒロトさんの言葉です。ぜひ読んでください。

「学校に居場所がない子に言ってあげられることはありますか?」という質問に対して、

甲本ヒロトさん
「居場所あるよ。席あるじゃん。そこに黙って座ってりゃいいんだよ。友達なんていなくて当たり前なんだから。友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。」
 
「趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねぇよ。」
 
「ただ、友達じゃないけどさ、喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。だからいいよ、友達なんかいなくても。」

※喧嘩しないで平穏に暮らすために、多様性を認められるようになりましょう。
 Smile  Diversity  Update  Challenge   

【#しんどい君へ】ゴルゴ松本さん「逃げていい。落ち着いたら挑んで」


人は、命ある限り人生を楽しむために生まれてくるんだ。好きなことも興味があることも、命ある限りにしかできない。父ちゃんも母ちゃんも、じいちゃんもばあちゃんも、ご先祖様も、つらいことや悲しいことを乗り越えてきて、今の自分につながっている。その命は、無駄にしちゃいけない。

 「兆」という字がある。例えば学校でいじめに遭って今、君は、生きるか死ぬか、その両方の兆しの中にいるぐらい悩んでいる。そんな時は今の自分の状態がどうか、目偏を加えて、「眺」めてほしい。つらいな、嫌だな、死にたい。そこまで追い込まれているのなら、今度はしんにょうに変えて、「逃」げていい。
 逃げることは、自分に差し迫った危険から逃れるということだ。逃げるという選択肢は、生きているからできる。自分の命を守るためなら、学校も行かなくていい。逃げて逃げ切って、周りをもう一度、眺めてみよう。落ち着いたら、今度は自分が成長できるように、手偏に変えて、人生に「挑」んでいけばいいんだ。
 「桃栗三年柿八年」と言う。3年で実がなるものもあれば、8年先まで待たなきゃいけない育ち方だってある。学校の3年間や6年間で人生は決まらない。
 本当は自分の意思や思いを言葉で伝えられるといい。「意」という字は、「音」に「心」と書く。自分にしか分からない心の音があるはずなんだ。その音を見せよう。両親や先生、周りの大人たちに気づいてもらえるように、手紙やメールで文字にして伝える。でも、それもできない時は、涙を流す。生きたいと思って下を向いて涙を流していたら、誰かが気づいてくれるから。

【#しんどい君へ】ゴルゴ松本さん「逃げていい。落ち着いたら挑んで」
8月20日 読売新聞オンライン

漢字を使った独特の解釈で少年院や学校で講演を行うタレントのゴルゴ松本さんの記事です。柏市内では柏中学校で講演をされたこともあります。

 ※ツイッターで #しんどい君へ で検索するとほかにも著名人のメッセージを読む ことができます。

偏った勉強は可能性を狭める

「進路に不要な勉強は邪魔だ」とお考えの高校生へ。ご自分の志望と無関係な勉強を強制される状況に対する違和感はよく分かります。私も高1の時、「数学など人生に不要」と判断し、家では一切学校の勉強はやらないことにして、世界の文学作品を乱読したことがありました。

 そのため数学はまったく分からず、赤点すれすれとなり、国立大学を受験する時に大変苦労したのですが、これはむしろ表面的なことです。

 大学卒業後、業務文書などの翻訳(英和・和英)を生業とするようになって、私のところに回ってくる仕事は技術関係のものばかりだったのです。そこで一番役に立ったのは、高校時代に意味を感じられないままに勉強させられていた、数学や理科の知識だったのです。

 「英語による仕事」といいますが、私は「純粋に英語にしかかかわらない仕事」というのは、そうそうないむのだと思います。一線で働く通訳の方も、日本語の能力、通訳する話題に関する知識の重要性を述べています。志望と無関係な科目を切り捨ててしまうことで、可能性を狭めてしまうことなく進んでいかれることを祈っています。

 

千葉市在住の翻訳家の方が、「受験に不要な勉強は必要ないのでは」と悩む高校生に贈った新聞への投稿記事です。
 今の発展途上の価値観で、自分自身の可能性を狭めてしまうことはとてももったいないことだと思います。好き嫌いなく、なんでも食べて栄養をつければ体が成長していくように、さまざまな分野の勉強をすることが後々の君たちにとっての大きな財産になるはずです。美術も音楽も一生懸命取り組めば、必ずプラスになるのです。受験のための勉強ではなく、自分を成長させるための勉強をしてほしいものです。