校長室より

2019年12月の記事一覧

2学期を終えて

 本日、令和元年度の第2学期終業式を無事に終えることができました。終業式では「メタ認知」について、子どもたちに話しました。「客観的な自分」「もう一人の自分」の視点を持つことで多様性を認められる力をつけてほしいこと。また、多様性を認めるということは、「何でもよい」という短絡的なことではなく、「立場や価値観が違う人ともしっかりと向き合い、対話し、合意形成することである」ということを伝えました。
 また夏休み前と同様に①自分と自分の周りの人の心と命を大切にすること。②今年1年をしっかり振り返ること③結果については自己責任が持てること(子どもだけで解決できないことは大人に相談すること)。④大切な人(家族、仲間、先生)たちを決して裏切らないこと。以上4点を伝えました。思春期を迎え、気持ちが不安定になる子もいます。また特に3年生は受験を前に不安を抱えています。「大丈夫。何とかなる」と声をかけてあげてください。14日間の冬休み、ご家庭でも子どもたちの見守りをお願いいたします。2学期も中原中学校の教育活動にご理解とご協力をいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

チャイムの鳴らない14日間

【3年生へ】
 2学期が終わります。卒業式まで実質2ヶ月を切りました。休みを除けば45日で君たちは義務教育を終えます。義務教育とは,日本国憲法の26条に「すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする。」とあるように,君たちの保護者に課せられた義務を表わします。義務教育までは保護者や教師といった大人の保護を受けながら,嫌でも学校で勉強しなければならないわけです。では義務教育を終えるということはどういうことでしょうか。別に無理に進学する必要はなく,学校に行きたくなければ社会に出て働くことだって可能だということです。もちろん未成年である君たちにはさまざまな規制は残っています。しかし義務教育を修了するということは,「一人の社会人としての資質を身につけることが出来た」ということになるわけです。どうでしょう。一人の社会人としての資質は身についたでしょうか。君たちの大部分は自分で進学する道を選びました。もしかしたら,そんな難しいことを考えもせず,親の言うままに,あるいは周りにあわせて当たり前のように進学していく人がほとんどかもしれません。でも考えてください。これから少しずつではあるけれど君たちにも責任が要求されるということを…。
 冬休みは進路決定に向けた最後の追い込みの時期です。プレッシャーもあるでしょう。どうしたってイライラするし,投げ出したくなることもあるはずです。でも,大丈夫。何とかなります。大切なのは客観的に自分を見つめる目を持つことです。自分の行動を考えて,それが本当に正しいことか,そのときにすべきことかを考えてください。一時の誘惑に負けて,自分自身や大切な人たちを傷つけることがないようにしてください。
 2学期は,まだ酷暑厳しい中行われた体育祭で幕を開けました。3年生のリーダーシップを頼もしく,うれしく思いました。文化祭ではどのクラスの歌声もすばらしいものだったし,各学級の「思い」が伝わりました。当日の歌声はもちろん,それまでの取り組みは評価に値するものだと思います。毎日の積み重ねを大切にして,卒業の歌につなげてください。
 3学期に入ると,進路決定者が続々と出てきます。進路が決定していない仲間が不安に思うことなく,最後の一人が進路決定するまで,みんなで学びあう雰囲気を維持してください。この学年の仲間,先生方と一緒に生活できるのもあと45日です。みんなと共有できる残りの時間を大切にしながら,誇りを持って卒業していくために一日一日を大切にしてください。
 充実した冬休みになることを祈っています。良いお年を。


【1,2年生へ】
 2学期が終わります。1,2年生のみなさんが新しい学年に進級するまで実質2ヶ月を切りました。休みを除けば52日で令和元年度の修了式を迎えます。
2学期は,まだ酷暑厳しい中行われた体育祭で幕を開けました。3年生のリーダーシップを2年生が支え,1年生が追いかける形で中原中の伝統が受け継がれていく様子がわかりました。
 10月終わりに実施された文化祭では,どのクラスも素晴らしい歌声を披露し,各学級の「思い」が伝わりました。当日の歌声はもちろん,それまでの取り組みは評価に値するものだと思います。毎日の積み重ねを大切にして,卒業式の送別の歌につなげてください。そして文化祭の最後に行われた生徒会引継式では3年生から1,2年生に伝統の襷が渡されました。2年生が中心となり,1年生がそれを支え,次年度に向けた準備を進めてください。
 3学期には「3年生を送る会」があります。この行事は学級を越えて,学年全体が一つにならなければならない行事だと思います。一人一人が自分自身を成長させるチャンスだと思って取り組んでください。
 1,2年生のみなさんにとって2学期は充実した時間だったでしょうか。成長することができたでしょうか。これまで経験してきたことを自分自身の成長の糧にしてください。14日間の冬休みが始まります。2学期の終了と令和元年の終りを期に,この1年間をしっかりと振り返って,来るべき2020年に向けての準備をしましょう。充実した冬休みになることを祈っています。3学期の始業式で元気な姿を見せてください。良いお年を。
                       

 

友だちとはどういう人のことか


 なにをするにも誰かさんといっしょにやるのが好きなタイプの人は友だちができやすい。友だちができにくいという人は、基本的に一人でやるタイプの人です。友だちを作りたいと思うことそのことについても一人でやるのです。ひとりで考えるのですね。いっしょにやりたいタイプの人は、友だちを作るにもだれかといっしょにやるわけです。つまり作る前から友だちがいるというわけです。誰かといっしょにやっていると、気づいたら友だちになっていたなんてこと、よくあることです。友だちの自然発生です。友だちとは自然発生です。できないから作るといった代物ではありません。できてしまうようなものだと言ったほうがよいかもしれません。なぜなら友だちというものは、いるから楽しいし、いるから豊かだ、いるから寂しくないといった側面もありますが、同時にいるから苦労する、いるから頭にくる、いるからいらいらする、などということもあるのです。そんな奴らは友だちじゃないといっても友だちなのです。何しろ自然発生するものですから。友だちができない、友達がほしいと悩む人は、友だちというもののいい面だけを求めすぎている傾向があります。自分が好むような友だちが欲しいと無理な注文をしているキライがあります。そううまくはゆきません。苦労もいらいらも覚悟の上で誰かといっしょにしたいということが少しはっきりすると、友だちは自然発生します。そして苦労します。


「じょうぶな頭とかしこい体になるために」 五味太郎 著 より抜粋


 4月に生徒たちに「人はそもそも仲良くすることが難しい」という話をしました。だから「自分と違う考えを認められるように努力してほしい、多様性を認められるようになってほしい」と伝えました。また最低限のルールとして「命と人権を大切にすること。差別をしてはいけないこと」を意識してほしいと伝えました。相手を嫌だなと思う心、差別をする心を完全に消し去ることはできないかもしれません。大人だってできないでしょう。でも意識をすれば差別をしないことは誰でもできるはずです。意識をすればいじめはなくせるのです。無理に仲良くする必要はないのです。相手に対する思いやりを持つのと同じくらい、自分自身も大切にしてほしいのです。お互いに尊重しあうこと、つまり多様性を認められるようになってほしいと願っています。そのためにはメタ認知が必要です。メタ認知については終業式に子どもたちに話をしたいと思います。

「寒青」

『寒青』とは漢詩の言葉で、風雪に耐えて青々と立つ「冬の松」を意味します。凍てつく風雪の中で、木も草も枯れ果てているのに松だけは青々と生きている。 一生のうち、どんな厳しい中にあっても、この松のように、青々と、そして活き活きとありたいものです。亡くなった俳優の高倉健さんも座右の銘にしているようです。

マナーは愛より強い 身だしなみについて考える

 五木寛之氏が『大河の一滴』(幻冬舎、1998年)のなかで、C・W・ニコルさんから聞いた、極地へ探検に行ったときの話というのを紹介しているのだが、それはこんな話である。

 南極などの極地では、長いあいだテントを張って、くる日もくる日も風と雪と氷のなかで、じっと我慢して待たなければいけないときがある。そういうときに、どういうタイプの連中がいちばん辛抱づよく、最後まで自分を失わずに耐えつづけたか。ニコルさんに言わせると、それは必ずしも頑健な体をもった、いわゆる男らしい男といわれるタイプの人ではなかったそうです。たとえば南極でテント生活をしていると、どうしても人間は無精になるし、そういうところでは体裁をかまう必要がないから、身だしなみなどということはほとんど考えなくてもいいわけです。にもかかわらず、なかには、きちんと朝起きると顔を洗ってひげを剃り、一応、服装をととのえて髪をなでつけ、顔をあわせると「おはよう」とあいさつし、物を食べるときには「いただきます」と言う人もいる。こういう社会的なマナーを身につけた人が意外にしぶとく強く、厳しい生活環境のなかで最後まで弱音を吐かなかった、というわけです。
極限状態でマナーを守れること。これが人間のサバイバルにとって単なる体力以上に重要な鍵になる、というのは非常に興味深い指摘である。ヴィクトリア時代のジェントルマンたちは、ものごころもつかない頃からマナーをきびしく体に叩きこまれてきた。文字どおり、スパルタ式で叩き込まれるのである。これは世 間 体(リスペクタビリティ)を保つため、というよりもむしろ、どんな過酷な条件下でも生き残り可能な人間としての底力を育てる知恵だったのかもしれない。
 
 マナーは体力より強いばかりでなく、おそらくマナーは愛よりも強い。
 熱烈な愛情表現の交換によって結婚したカップルが意外に早く破局(しかも泥沼の)を迎え、人として最低限のマナーを守りあって暮らしているカップルが結局末永く添い遂げていることが多い身近な事例を見ながら、そう思う。
                     「スーツの神話」中野香織 著 より

 頭髪や服装を整えよう。「人は見た目で判断される」のですよ。ONとOFFの切り替えをしっかりして、学校でのジャージや制服の着こなしからしっかり確認しよう。もちろん先生方もです。挨拶や言葉遣いも社会に出てからでは、なかなか身につかないものですよ。


 

新しい体操服


次年度から体操服のデザインを一新します。かねてから「重く乾きが悪い」「男女別の首元の色の違いによるリサイクル・リユースしにくい」などとご意見をいただいておりましたので、無地で速乾性があり透けない素材のものに一新します。肩口にハーフパンツと同様のロゴが入ります。値段もこれまでのものより安い1,800円(税別)となる予定です。もちろんこれまでのものをそのままご使用いただいてもかまいません。合わせて上履きについても新しいものに変わります。こちらは製造工場の閉鎖に伴うもので学年の色分け等はそのままになります。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

初心忘るべからず

「初心忘るべからず」というと「新人のころの、あるいは初めのころの感動や純粋な気持ちを忘れずに、ひたむきに物事に取り組め」という意味でとらえている人が多いのではないでしょうか。しかし本当の意味はそうではありません。この言葉は 世阿弥の書「花鏡」で述べられた芸術論であり、 「しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。①是非とも初心忘るべからず。②時々の初心忘るべからず。③老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし」という一節からのものです。世阿弥は、人生の中にいくつもの初心があると言っています。若い時の初心、人生の時々の初心、そして老後の初心。その時々のダメな自分を忘れるなと戒めているのです。初心とは「段階ごとに経験する芸の未熟さ」のことなのです。未熟な時代の経験、無様な失敗やその時の屈辱感を忘れないように、常に自らを戒めれば、上達しようとする姿を保ち続けることができると教えてくれています。初心とは決して良いものではないのです。学び続けることの大切さ、常にアップデートする姿勢の大切さを改めて教えられる言葉です。校長として未熟な自分を戒め、精進しようと思います。