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校長雑感ブログ
3月3日(火)雛祭りと自己承認欲求(「いいね!」の功罪)
〇本日の9時に、千葉県公立高等学校入学者選抜の結果が発表されます。ここまで目標に向かって精一杯準備してきた彼らの姿を身近に感じてきたので、「どうか全員に・・・良い結果を」と今朝は職員一同で祈っています。
〇昨日の1・2校時に、助産師の小路和子さんをお招きして、3年生を対象にした「いのちの授業(性教育)」を行いました。人間のライフサイクルの中の成長期・思春期、性のあり方の4要素、人権と他人との距離感、望まない妊娠や性感染症の予防、子宮頸がんワクチン、正しい情報の取り方等、すでに「新しい命を産みだすことができるようになっている中学生」に学んでもらいたいことばかりでした。
〇今日の給食はひな祭りをお祝いして、「五目ちらし寿司、高野豆腐の田舎煮、うずら卵入りすまし汁、黄桃缶、大豆小魚、牛乳」です。ひな祭りの起源は、平安時代の貴族の子女の遊びだった「ひいな遊び」と、その後災いを人形に移して川に流す「流し雛」という禊(みそぎ)の風習が合わさったものと言われています。本来は男女の区別なく、子どもの健やかな成長と幸せを願って伝わってきたものです。我が家でも24年前に購入した娘のひな人形を飾っています。
〇日本に中国から伝来した風習はたくさんあり、日本の文化や生活と混ざり合うなかで定着してきました。特に江戸幕府が重要な以下の節句を公式の祝日に制定したことが、現代に伝わる「五節句」のルーツといわれています。1月7日 人日の節句(七草の節句)
3月3日上巳の節句(桃の節句) 5月5日 端午の節句(菖蒲の節句) 7月7日七夕の節句(星まつり) 9月9日 重陽の節句(菊の節句)
〇七草の節句以外はすべてに「奇数が重なる日」になっています。これは陰陽五行説において「奇数=陽(発展)・偶数=陰(不安定)」ととらえるなかで、奇数同士を足して偶数になる日は、「陽から転じて陰になりやすい」とされていたことから邪気をはらうための行事を行ったことが主な理由のようです。とても数学的な背景があります。
〇人間が社会の中で生きていく際には、様々なことに葛藤したり悩んだりしながら、理想を求めて日々過ごしています。その背景の一つとして、アメリカの心理学者マズローが提案した「欲求5段階説」があります。これは、人間の欲求を5段階のピラミッドに分けて考える古典的心理学理論です。
〇その中でも上から2番目の欲求である「承認欲求」は、誰もが持つ本能的な欲求であるとされています。「自分を良く見せたい、周りからよく見られたい」という劣等感に近い感情(自己肯定感の低さ)は、自己承認欲求と位置付けらます。
〇前任校のHPにあった「校長ブログ」には、下欄に「いいね!」の機能がありました。私としては「なくてもいいかな?」と思い、本校ではその設定を解除しています。ただ実際に「いいね!」があった時は、全く気にしないわけにはいかないのが人情です。上述のように私たちは誰しも「誰かに認められたい、受け入れられたい」と思う気持ちを持っていますので、その心理が無意識に働くのだと思います。
〇その「いいね!」という機能について、功罪(長所と短所、メリットとデメリット)があるとも感じます。生徒たちも様々なSNSを使って情報発信をすることが当たり前になっている中で、一喜一憂しているという例も多く聞いています。
〇「功」の面からは、まず「人との共感性の見える化」があります。自分の意見や価値観に共感してくれた人数がわかれば、確かに悪い気はしません。しかもその相手が目の前にいなくてもいつでも「いいね!」がもらえ、満足感を得られるのが「いいね!」だとも言えます。
〇また前述の「承認欲求の充足」では、特に中学生など思春期の若者は、自分の意見や価値観に自信がなかったり他人との比較を重要視することが多かったりします。そこで「いいね!」は自分の考えを肯定してくれ、社会から認められているという感覚を与えてくれます。
〇さらに「所属感の獲得」が挙げられます。「いいね!」は不特定多数の他人からの賞賛の声や同意の証として機能します。この「いいね!」をもらえる機会が増えると、それだけ社会集団の一員として帰属意識が芽生えます。要するに、自分にとっての居場所が確保できたと受け止めやすい状況が作れるのです 。
〇一方で、今度はSNSの「いいね!」が現代の人間心理に与えた「罪」については、段々と「もっと認めてほしい」などの依存性が出てくることがあります。これは心理学では「強化」と呼ばれています。依存性からさらに中毒性になると、治療が必要にもなるそうです。
〇厄介なのは、もっと「いいね!」がもらえるように発信の回数が極度に増えたり、内容も「受け」を狙うようになり真実や自分の本当の気持ちからも乖離したことを発信するようになったりします。つまり、心の中が「いいね!」に支配されてしまい、「いいね!」がないと不安になったり焦ったりします。
〇さらにSNSを確認する回数や時間が増えると、画面を注視して視力の低下や頭を少し前し続ける姿勢が続くなど身体への影響が免れません。時には心身の不調を覚え、日常生活を送ることにも支障が出る場合もあります。
〇また「喪失感や空虚感を抱きやすい」面が出てきても、自分では実感が湧きにくく気が付かないという特徴があります。最初は「いいね!」がもらえて単純に喜んでいたのに、次第にその嬉しさが減り、虚しさや悲しさを感じやすくなります。これは「いいね!」を追い求めた反動としてのネガティブな感情の生起で、注意が必要です。
〇これを書きながら「大人も同じような所は少なからずあるなあ・・・」と感じました。先日の「デフォルト・モード・ネットワーク(ぼんやりとした脳の状態)」とも関連しますが、自分の欲求を把握してある程度コントロールできるようになればいいな・・と感じます。
須藤昌英
3月2日(月)面倒くさいほど面白い
〇3月に入りました。1ヶ月後には3年生は進学先での新生活をスタートし、1・2年生はそれぞれ進級しています。3月は「お別れの月」で、学校の卒業や年度末の転勤・転職、お引越しなど、慣れ親しんだ人や環境との別れが重なる季節です。寂しさとともに成長や新たな門出への期待を感じる時期であり、この経験が人生を豊かにする節目とされています。
〇来週の卒業式の校長式辞の最終校正に入っています。ここまで約2ヶ間構想を立ててきましたが、私はこういう場合に、この1年間をじっくりと振り返りながらまず伝えたいキーワードを絞ります。そしてそれをつなげていくという手法をとります。
〇今回のキーワードは、「学び成長し続ける、自分で考える、失敗と成功、自立と自律、脳と身体・・」等々ですが、一番のパワーワードは、「面倒くさいほど面白い」です。「パワーワード」とは最近よく聞くようになった言葉で、一度聞いたら忘れられないほど、強烈なインパクトや影響力を持つ言葉のことのようです。SNSで広まったネットスラングですが、簡単な英語なので私もよく使います。
〇以前に「面白い」について書きました。逆説的になりますが、私は自分の経験からも、「面倒くさいほど面白い」という概念は、単なる苦労話ではなく、「手間暇をかけるプロセスそのものが楽しみや達成感に変わる」という心理的・実体験的なメカニズムが潜んでいるように思います。
〇「面倒」と「面白い」は同じ「面(おもて)」の字が入っています。どちらも「面(おもて/顔)」の様子が由来になっている面白い言葉の並びです。これに注目し調べると、
面倒(めんどう)➡顔(面)が倒れる、すなわち顔が下を向くほど手間がかかる、大変だという意味。
面白(おもしろ)い➡目の前が明るく(白く)なるような状態。視界が開けて楽しい、心地よい様子。
〇私で言えば、自宅で時々ですが、夕食後の食器洗いをします。やり始めは気が重く、特に「やらされ感」を持っていると、上手くはかどりません。何かの本で、「人間はやらされていると思うと紙一枚でも重く感じるが、あの人の為と思うと鉄の塊でも軽く持ち上げる」と書いてあるのを読んだことがありますが、その通りだと思います。
〇しかし何も考えずにやり始めると「この順番で洗った方が効率がいいかも・・」とか「次回は~してやってみようかな・・」のように工夫をし始めます。すると不思議にやらされ感覚はまったく消え去り、自らやってみようの心境に変化しています。このように心理・脳科学的な背景も理解しておくと「やる気」のスイッチになります。
〇前にも「火事場の馬鹿力」について書きましたが、「面倒」は脳の防御反応ともいえます。脳はエネルギー消費を避けるため、新しいことや負荷がかかることを「面倒くさい」と判断します。しかし、その「面倒」な障害を乗り越えた時、脳はドーパミンを放出し、大きな面白さという達成感)を得られるのです。これが習慣化すれば面倒くさいことをやればやるほど幸せになれると思います。
〇「面倒くさいほど面白い」の例としては、先ほどの皿洗いや手間がかかる料理(スパイスからカレーを作る)、プラモデル、手間のかかるDIY、アナログな手書きの年賀状など、非効率的だがこだわりに喜びを見出すことなどがあります。
〇テレビコマーシャルで、タレントのタモリが昔ながらのレコード盤の埃を丁寧に取り去っているところへ、宮沢りえが「面倒くさくないですか?」と言葉をかけます。するとタモリが「この面倒くさいのがいいんだよ」と言い返す場面があります。これは自分の趣味へのこだわりを感じさせるやり取りですが、他人から見れば人の趣味なんて「面倒くさい」ことなのでしょう。
〇生徒たちでいえば、ゲーム・パズルなどは難易度が高いほど、それをクリアするまでに時間がかかりますが、このような「やりこみ要素」の多いゲームほど面白いのです。趣味の作業の仕組み化や面倒くさい仕事(タスク)を効率化するための「仕組み」自体を構築することも面白さの一つです。
〇「面倒」を「面白い」に変えるコツとしては、「とりあえず5分だけやる」ことにし、最初のハードルを極限まで下げます。また完璧を目指さず、60%の出来でも良いと割り切り、完了した後の「爽快感」や「メリット」に意識を集中させるなど結果のメリットを再確認するとよいでしょう。「面倒くさい」と感じた時、それは「面白いこと」に化けるチャンス、と捉えるのがこの考え方の本質です。
〇また同じく「面」がつく言葉に「真面目(まじめ)」があります。一般的にこれは良い意味で使われますが、一つ注意があると思います。真面目な性格の人は、責任感や誠実さが強みですが、抱え込みや完璧主義で心身を壊しやすいリスクがあります。特に周囲を頼りにする(相談する)や適度に手を抜く(断る)、完璧を求めず柔軟性を持つという点にを心がけると良いと思います。
〇私の経験でからも言葉は汚いすが、「くそ真面目」は自分を非常に窮屈にし、時には辛くなることもあり、「面白く」ありません。適当に肩の力を抜いて、やるべきことをやったら、「あとはお任せ」くらいの心境でちょうどよいバランスだと思います。
〇生徒にとって「面倒くさい」の筆頭は、学習かもしれません。先日、「ちば!教職たまごプロジェクト」で今年度週1回のインターンシップを行ってきた大学3年生が最終日とあって、1年生に数学のトピック授業をしてもらいました。
〇内容は数学の平面図形の探究になる「一刀切り」で、紙に書かれた三角形をまずは折って、その後ハサミで三角形を一回だけまっすぐ切って切り抜くというものです。ポイントは切り取るのではなく、ハサミで一太刀(ひとたち)するところです。
〇生徒たちは黙々と手を動かし始めましたが、なかなか上手くいきません。紙がグチャグチャになって途方にくれる生徒もいます。静かに紙を折る音だけが響いています。困った時には宙に透かしてみたり、ブツブツとつぶやいてみたりする生徒もいます。机の上にはいびつな形をした失敗作も見られるようになりました。
〇すると「出来た!」「もう少しだ!」と、成功に近づいた生徒が声を出しました。するとそれを聞いたクラスはまた「~こうかな?」「そうだ~してみよう!」と熱気が増してきました。
〇実は生徒には事前に、「任意の多角形は角の二等分線とその交点から辺に下ろす垂線で折ることで一刀切りが可能」となることは教えていません。なぜならその正解が重要ではなく、それに至るまでの移行錯誤が尊いのです。まさに「面倒くさいほど面白い」です。
〇今後もこの授業のように、課題と向き合い探究し、失敗と成功から粘り強く法則を見つけ出す力を身につけてほしいと思います。
須藤昌英
2月27日(金)約束しなくても会える最後の日&3年生を送る会
〇東側斜面の満開の河津花は、観る人に「生命の輝き」を教えてくれています。その河津桜にメジロやヒヨドリたちが群がっています。抹茶色の体をしたメジロがピンク色の花に頭を突っ込んで蜜を吸う姿は「桜メジロ」と呼ばれ、春の風物詩として人気があります。こちらは単体ですが、もう一方のヒヨドリは団体様でやってきて、その食欲旺盛さには優雅さよりもたくましさを感じます。
〇天候がすっきりしませんが、もし雨が降るとまたしっとりしてきます。初春から春にかけて降るシトシトとした長雨は「春霖(しゅんりん)」、または「春の長雨」と呼ばれます。朝夕と日中の気温の差による体調変化が引き続き心配です。
〇私は担任をしていた頃に生徒たちに、「卒業式は、約束しなくても会える最後の日だよ」と伝えてきました。これは中学校生活における日常の終わりを象徴的に表す切ない表現で、好きな言葉です。確か初めて3年生の担任をさせてもらった今から38年前、ふと感じたことを言葉にしたのだと思います。今ではその最初の卒業生たちも50歳を過ぎ、元気で活躍していることでしょう。
〇普段は登校すれば必ず会えた仲間や先生たちと、次に会うためには「約束」をして時間と場所を合わせなければならなくなる、その転換点となるのが卒業式という日です。毎日顔を合わせていたクラスメイトと教室や校庭で、自然と「おはよう」や「さようなら」が言えるのは、この日が最後です。次に会う時からは、意図的に約束したりスケジュール調整をしたりする必要があり、これまでとは異なる「特別な再会」となります。
〇来月12日の卒業式の正式名称は「第79回卒業証書授与式」です。生徒にとっては、9年間の義務教育の教育課程を修了したことの証である卒業証書を受け取る日です。この特別な日をかけがえのない時間として過ごすことを大切にしているという想いが込められたのが、「約束しなくても会える最後の日」です。
〇1・2年生は昨日までに、本日の午後に行う「3年生を送る会(3送会)」に向けて、それぞれの発表の練習を体育館や武道場で懸命に行ってきました。また会場や廊下の装飾として、1年生は招待状・体育館装飾物作り、2年生は廊下装飾物作りをしてくれたので、きっと心のこもったあたたかい会になると今朝から期待しています。
〇来週の卒業式は学校主催行事であり、すべて校長の責任のもとに執り行います。それに対し3送会は生徒会主催行事で、企画から準備、本番まで生徒会が主体となって実施します。前者が例年ほぼ同様なプログラムなのに対して、後者は年によって内容がバラエティーに富んでいます。その「フォーマル」と「カジュアル」の対称性を生徒たちも感じ取っていて、臨む姿勢や態度を考えられるようになっています。さすが中学生です。
〇昔は「3年生を送る会」のことを「予餞会(よせんかい)」と言っていました。「予餞」とは「予(あらかじ)め、餞(はなむけ)をする会」という意味で、何に対してあらかじめかというと、来月の「卒業証書授与式」です。また「餞(はなむけ)」とはきれいな日本語で、去りゆく人の未来の幸せ、健康、活躍を願い、感謝を伝える大切なメッセージのことです。
〇卒業生にとっては、今日の3年生を送る会で後輩の1・2年生とお別れをし、来月の卒業式では保護者の方々にここまで育ててくれたことに感謝の心をもって参加する意義があります。先日も書きましたが、本校にはこの79年間で、1万5百人の卒業生がいます。
〇今回の3送会のテーマは、「飛翔~紡ぐ未来図」です。お世話になった先輩に楽しんでもらおうと張り切っています。ここで、3送会で各学年が行う発表内容を紹介したいところですが、「ネタバレ」になるので詳しく紹介するのはやめておきます。
〇「劇やパフォーマンス、合唱」などの心のこもった発表で、卒業生が喜んでくれること請け合いですとだけお伝えしておきます。
1年生 発表内容:3年間の思い出を振り返るような発表
(合唱「ひらり」)
2年生 発表内容:旅立つ3年生へエールを送るような発表
(合唱「あなたへ」)
3年生 発表内容:メッセージなど(合唱「証(あかし)」)
〇本日は3.4校時に下級生が3年生を送る会の最終リハーサルと準備を行ないます。午後1時15分の「3年生入場」から会はスタートします。満開の河津桜も今日の送る会を祝福しています。
〇今年の3送会の3年生への招待状は、始まる前に3年生一人ひとりの席上に置かれています。「〇〇先輩へ、卒業おめでとうございます。今日は楽しんでください。」と手書きのメッセージが書かれています。
【3学年の発表】
〇午後からは日差しも出て、暖かい中で本番を迎えました。入場した3年生も笑顔が多く、後輩の発表に笑ったり泣いたりと楽しんでいました。
〇最後の校長の話では、「1・2年生の気持ち「憧れ」「感謝」「はなむけ」ですが、これらは3年生に十分に伝わったと思います。また先輩たちに新たな道で頑張ってほしいという激励は、来年、再来年の自分への決意にもなります。そしてこれからの土中をしっかりと引き継いでいくという決意が感じられました。3年生はその気持ちを受け止め、今日の1・2年生の発表の中にもありましたが、今まで学校生活や行事や部活動の中で、素晴らしい姿を見せてきてくれました。来年度の創立80周年に向けての土中の新たな伝統がここからうまれていくと思っています。最後になりましたが、今日の3年生を送る会のため生徒会役員や実行委員の皆さんご苦労様でした」と伝えました。
須藤昌英
2月26日(木)キャアリア教育と職業教育
〇我が家は先日まで、屋根と外装の塗装工事をしていました。知り合いの業者に依頼し、その業者と提携している塗装専門店から職人さんたちが派遣され、半月程度で終わりました。聞くとこの2月は比較的天気が安定し、乾燥しているので、作業はやりやすいそうです。
〇何度か会話しているうちに、一人のリーダー的存在の職人さんは、住まいが我が家に近く、息子や娘たちが通った小中学校の卒業生だということがわかりました。成人後はしばらく別の仕事をしていましたが、ひょんなことから塗装工業の世界に入り、ここまで十数年続けているそうです。
〇いわゆる職人の世界では、伝統的に「徒弟(とてい)制度」が残っていて、弟子は師匠(親方)の技術を背中で見て学び、生活を共にしながら厳しく鍛えられるのが常だったそうです。もっと言えば、職人と師匠の関係は、会社などの単なる雇用関係や教育・研修の枠を超え、技術継承と人間形成の場となる密接な師弟関係のようです。
〇また職人の世界において、弟子が師匠に認められるには、単に「技術を習得した」という段階を超え、その道のプロフェッショナルとして精神的に自立したり、師匠の領域に少しでも近づけたと思えたりした時だそうです。その話を聞き、「厳しい面もあるけど、身に付けた技術は一生ものだから真剣に親方から学ぶんだな」と感じました。
〇我が国において「キャリア教育」という言葉が登場し、その必要性が提唱されたのは、平成11年に、中央教育審議会が「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」という答申を出した時です。
〇この審議会は「キャリア教育を小学校段階から発達段階に応じて実施する必要がある」とし、さらに「キャリア教育の実施に当たっては家庭・地域と連携し、体験的な学習を重視するとともに、各学校ごとに目的を設定し、教育課程に位置付けて計画的に行う必要がある」と提言しています。
〇この答申を受け、キャリア教育に関する調査研究が進められ、平成14年には、国立教育政策研究所生徒指導研究センターが「児童生徒の職業観・勤労観を育む教育の推進について(調査研究報告書)」を報告しました。この研究報告書は、子どもたちの進路・発達をめぐる環境の変化について、数々のデータを基に分析し、「職業観・勤労観の育成が不可欠な『時代』を迎えた」とし、さらに学校段階における職業的(進路)発達課題について解説し、「職業観・勤労観を育む学習プログラムの枠組み(例)」を示しました。
〇そのように今の中学生が生まれる15年以上前から、「キャリア教育の重要性」が叫ばれるようになった背景には、地球規模の情報技術革新による社会経済・産業的環境の国際化(グローバリゼーション)があります。そしてその影響は日本の産業・職業界に構造的変革をもたらしたことにとどまらず、私たちの日常生活にも大きな影響を及ぼしています。
〇キャリア教育導入の背景を考える上では、このような社会環境の変化が、子どもたちの成育環境を変化させたと同時に、子どもたちの将来にも多大な影響を与えたことを認識することが重要です。情報技術革新はただ「生活に便利で楽になった」だけでなく、子どもたちの成長・発達及び教育の目標や教育環境にも大きな影響を与え始めています。
〇文部科学省が示す「キャリア教育」の目的は2つです。
1 人が生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分との関係を見いだしていく連なりや積み重ねが、「キャリア」であるとされています。
2 一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育が「キャリア教育」です。
〇注意すべき点は、キャリア教育は「生き方」を育む広い概念で、その一部として職業教育があるということです。後者は「専門技術」を学んでスキルをアップするなどより実践的な能力育成に特化しているものです。職人を育てるのは職業教育ですが、キャリア教育は社会的・職業的自立に向けた「汎用的な力」を養うのがその主目的です。
〇また思いついたのでAIに、「昔ながらの徒弟制度と現代のキャリアアップとの共通点はないか?」と質問してみました。答えは簡潔で、「【実践的な現場での経験を通じてスキルを習得する】という点と【熟練者(メンター)からの指導】という点です」でした。また「なるほど!そこか!」と納得させられました。つまり「実際の現場で、人が人に教えて働きながら学ぶということだ」と理解しました。
〇働くと聞くと思い出すのが、次の2つの歌です。
「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ」
「働けど働けど なおわが生活楽にならざり ぢつと手を見る」
この2つはいずれも石川啄木(1886~1912)がつくったことは有名です。啄木の歌は国語の教科書にもよく掲載されています。
〇啄木は、繊細な感受性で「悲愁の歌人」とも評されました。しかしその一方で、私生活では多額の借金や家庭内外での人間関係トラブルなどが多く、とても人間臭かった(今で言えばトラブルメーカー)印象があります。父は僧侶でしたが、家庭状況が複雑で、紆余曲折した最後は26歳で結核で亡くなりました。
〇昨日の太宰治よりも20歳以上年齢が上ですが、東北地方(青森県と岩手県)の出身やダメ人間(人間失格?)とも見える矛盾した性格の持ち主という点では共通です。またどちらも独りよがりで寂しがり屋、しかし高い芸術的才能を持ち合わせていて、私も昔から「文学者(文豪・歌人)には変人が多い?」とのイメージが強いです。
〇1つ目の歌を表面的に読むと、自分の仕事があまり快く思っていないようですが、実は仕事をやり終えた満足感があるのでは・・と私は感じています。自分の仕事に対する自信があり、前向きな気持ちで仕事に取り組み、「し遂げた仕事に満足感が得られたら、死んでも悔いはない」というほどの気概が感じられます。
〇2つ目の歌はどうやら、当時の日露戦争後の慢性的な不況、高物価、低賃金という過酷な社会・経済状況などが背景にあるようです。二十歳代の若者が、自分を含めた労働者の苦悩を代弁していると考えると、同情も感じます。最後のおそらくマメだらけだった自分の手を見て、人生の空しさや自己嫌悪を感じていたのでしょうか。ただ実際は肉体労働よりも記者等の文章を書く仕事を点々としたようです。
〇冒頭の職人さんの親方を一度だけ見かけました。年齢は私くらい(60歳過ぎ)だったでしょうか。本当は直接話を聞いてみたかったのですが、一人前であるはずの弟子の仕事をチェックし、アドバイスをしていたようで、その機会を逃しました。私に弟子はいませんが、なぜか?「負けてはいられないな!」と思いました。
須藤昌英
2月25日(水)素面(すめん)と仮面(かめん)
〇久しぶりの本格的な雨です。乾燥しきっていますので、花粉が舞い上がりやすく、花粉症の人も大変なようですので、この雨で少し落ち着くとよいのですが・・。来週から3月ですので、年度末のまとめと年度始の準備を並行して行っています。
〇昔から教員の中では、「中二病(ちゅうにびょう)」という言い伝え?があります。思春期が本格的に始まる中学2年生頃に見られる典型的な成長過程の一部で、大人の我々も通過してきたはずですが、その頃の葛藤を今では忘れていることが多いものです
〇具体的には、身の丈に合わない背伸びしがちな言動が増え、「自分とは何か?」などの哲学的な問いと向かい合ったり、独特の空想・嗜好を持ったりする時期で、もちろん医学的な病気ではなく、大人への憧れや特異な自分を演じたい心理によると考えられます。
〇そして私もそうでしたがこの時期は、素面(すめん:心の奥の素直さ)と仮面(かめん:心の奥を隠す心理)の使い分けがまだ上手にできないことから、相手に本当の自分の気持ちが言えなかったり、逆にそういう自分を徹底的に自己否定したりします。
〇つまり中学校二年生前後は、その使いこなしを始める過渡期にあり、葛藤しながら身につけている最中といえます。大人から見ると未熟に思えるかもしれませんが、中学生は彼らなりに必死に「2つの自分」を使い分けています。その一つが今で言う「キャラ」という名の仮面です。場所による使い分けを意識し、「学校でのキャラ」「塾でのキャラ」「親に見せる顔」などを明確に分ける生徒は多いです。
〇また無意識に自分を守る防衛本能として、周囲に自分の存在が浮かないようあえて明るく振る舞ったり、逆にクールを装ったりします。これはいわば社会で生き抜くための「仮面の初期訓練」のようなものでしょう。
〇また特に昔の中学生と現代の中学生との違いは、リアルの自分とは別に、SNSごとにアカウントを分ける(裏アカ、趣アカなど)ことで、複数の仮面を器用に使い分けようとします。ただし「素面」は本当に信頼できる数人、または匿名の場所でしか見せないので、落ち込んでいてもSNSでは「充実している自分」を演出することもあります。ある意味、大人以上にデジタル上での仮面操作には長けています。
〇しかしその反面、その2つを「自由自在に操る」ことは大人でも難しいので、中学生にはまだ重荷である場合が多く、ストレスを抱え込んでしまいます。さらにいろいろな仮面をかぶりすぎて、どれが本当の自分(素面)か分からなくなり、アイデンティティ(自己同一性)の危機に陥ることもあるでしょう。一番こわいのは、大人なら仕事とプライベートをわけるなどと割り切れる仮面も、中学生にとっては「偽りの自分を演じている」という罪悪感や疲労感に直結しやすくなることです。
〇発達の面から心理学的には、この時期に「相手や状況によって自分を変える(社会的自己の形成)」を学ぶことは、成長の証でもあります。私も中学生を日々観察していると、中1くらいまではまだ素直さが残っていますが、徐々に周囲の目を気にし始め、中2から中3になると、複雑な人間関係の中で、意識的に仮面を使い分けようとする傾向が読み取れます。
〇思い返せば私が中学生の頃、最初に太宰治(1909~1948)の作品を読んだきっかけは、当時の国語の先生の影響です。授業中にその先生が、「太宰は【人間失格】を書き上げた後に自死した」と言った言葉が頭に残り、すぐに図書室で借りて読み始めました。ところが大人の気持ちがさっぱりと理解できず、落胆したのが第一印象でした。
〇ただその反面で、自己の内面と向き合うことから、初めて葛藤を感じたり投げやりな生き方にも少し興味を覚えたりしました。おそらくそれまでに抱いていた大人のイメージがまったく変わる衝撃を受けたのでしょう。私は読み終えると、「昔も今も人間の心は同じ部分があるんだな」と感じました。
〇「人間失格(1948年)」は、全体的な暗いイメージとともに、読者に「そう感じるのは、自分だけじゃなかった!」という強い共鳴を感じさせます。中学生という思春期特有の周囲に馴染めない感覚や、「道化(ピエロ)」を演じてしまう自分に対して、太宰の描く主人公の「自意識の過剰さ」が深く印象に残るのかもしれません。ただ全体を通して、「孤独・恐怖・破滅」をテーマにした自滅的・内省的な主人公を描いた陰鬱な作風は賛否両論あります。
〇現代の中学生でも読めば、主人公が感じる人間関係への恐怖や偽善への嫌悪感が共感を与えることでしょう。そして自分の中にもあるドロドロした感情を、著名な文豪が文章化してくれていることに、一種の安心感を覚えるかもしれません。
〇太宰といえば、国語の教科書に必ず取り上げられている「走れメロス(1940年)」も有名です。こちらは「友情・信頼・希望」をテーマに、苦難を乗り越える前向きな主人公を描いた作品です。どんなに立派で強い意志を持つように見える人でも、一時期は投げやりになったり弱音を吐いたりするというストーリーに、中学生は「弱さへの共感」を抱きます。
〇普通の感覚では、「走れメロス」と「人間失格」をとても同じ作者が書いたとは思えませんが、前者は「人間の強さと可能性」、後者は「人間の弱さと脆さ」を徹底的に追求しており、光と影のような対比を感じます。この対比は、「素面」と「仮面」にも通じると感じます。
〇「人間失格」の主人公が、学校でおどけてばかりいて、自分の本心を決して友だちに見せようとはしなかったことが、「道化を演じる」つまり「仮面をかぶる」ことです。また中学生は、「素面」と「仮面」で試行錯誤していますが、その裏には「本当の自分を受け入れてほしい」という本心が隠れていることも大人として理解しつつ、見守ってあげたいです。
〇ただ今の中学生がもし太宰の作品を読もうと思っても、なかなか本のような紙媒体では読破するのは難しいと感じ、尻込みしてしまうかもしれません。そこで最近は、聴く読書「オーディオブック」がそのハードルを少し下げてくれる可能性をもっています。これはプロが本の朗読をしてくれるサービスで、徐々に広まっています。
〇私も若いころは、ラジオを聴く方が、テレビを観るよりも楽しかったことがあったことを思い出しました。映像はなくても音声によって自分なりのイメージが広がり、聴きながら他のことができるのも大きな利点です。
〇先日、Youtubeでも「人間失格」の朗読動画を見つけました。全部で4時間半です。少し聴いてみましたが、自分で読むよりはリラックスして聴けますので、楽ですが少しあらすじが頭に残りづらい気もしました。ただ文学作品への導入の手段としては、「これもありかな?」と思いました。
〇またこれは「学びなおし」や「学び続ける」などの生涯学習にもつながると思います。すでに中学生も小学校ではボランティアさんによる「本の読み聞かせ」の経験があるので、共感しやすいでしょう。
〇大人になっても、「自分は【人間失格か】それとも【人間適格か】」と日々葛藤しています。確実に言えるのは、中学生の頃よりも「仮面」をかぶることが少なくなっていることでしょうか。
須藤昌英
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