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校長雑感ブログ

3月16日(月)「唯一残るのは【人柄】」と「白けずに生きる」

〇週末はあたたかく、太陽のぬくもりを感じました。休日は健康維持のために自転車に乗っていますが、手賀沼、利根川、印旛沼、江戸川などには、土手の上に歩行者・自転車専用の道があるので、自動車などに邪魔されずに乗れるので、快適で安全です。

〇今はどこも菜の花の黄色のジュータンと香りが漂っていて、休憩時間も楽しみです。

 〇先日の千葉日報に、倫理学者で千葉大学の立花幸司准教授のインタビューが掲載されていました。冒頭の質問が「人工知能(AI)の社会実装が一気に進み、人が行っていたさまざまな作業が取って代わられつつある。この中で【自分は何の役に立つのか】と自己存在に確信を持てず、不安を抱え込む人が増えていないか。AI時代を生きていく上で人はどういう思考を持てばいいのか。」であり、まさに私が知りたいことだったので、一部を紹介します。

Q1:AI領域が広がり、仕事や学習にやりがいを感じられなくなった人が少なくないと感じます。

A1:強調したいのは、当たり前ですが、私たちはAIではなく人だという大前提です。自分の人生を肯定する。充実感を得る。失敗しても立ち直る。人としてすべきことの優先順位をまっとうに付けられる。そういう力を備えていることがますます必要です。

Q2:手足は機械やロボットに、脳はAIに置き換わりました。

A2: 過去もそうであったように、労働力としての置き代わりはこれからも絶えず起きます。身体能力にしろ知的能力にしろ、社会の要員としては避けられない。でもそれは経済から見た話で、人間の本質と同視するのは間違いです。AIに仕事が取って代わられたから自分の価値がなくなったと考えるのは、自分を労働力、社会の歯車としか観ていないからです。

Q3:・・となると、人間には何が残るでしょうか。

A3:私は「人柄」だと考えています。AIは永遠に疲れないし、嫌がらないし、時間を問わず話し相手になってくれる。一方で友人やパートナーは疲れもするし、機嫌が悪かったり他にやりたいことがあったり、さまざまな感情を抑えてそれぞれの人柄でつきあってくれる。人生の有限な時間を自分に分けてくれる。優しくてありがたくて、かけがえのない存在です。そうした人柄だけは代替できません。(略)

人柄はお金にならないから目が向きにくい。日本では不幸なことに、毎年多くの若者が自ら命を落としています。心身のバランスを保つ上では、適切な自己肯定感が非常に大事です。収入や社会的地位、外見や知名度だけで肯定感を得ようとしてはダメです。人間の本質は代替可能な経済的機能とは別物と言いましたが、若者を失うことは教育投資を回収できず経済的にも損失です。

〇私も最近はほぼ同じ感覚で、生徒たちへのアプローチを行っています。先日の卒業式の式辞の中でも、「AIとの適度な距離感を保つこと」を訴えたくて、次のような話をしました。

・先月、今後の日本の方向性を決める衆議院選挙がありました。その選挙中に一つだけ気になったのは、「あなたが誰に投票するかと決めた一番大きな要因は何ですか?」と街頭インタビューで、若者が「投票する政党に迷ったので、AIに相談してAIが【あなたの考えは●●政党が近いと思います】と教えてくれたので、それに決めました」と答えていたことです。それを聞いて最初は驚きましたが、だんだんと「今はそうやって判断する人が多いのか」と不安になりました。

・それ以外でも最近の選挙は、SNSの影響が大きいと指摘され、立候補者の生の演説を聞いたりその党の政策を調べたりせずに、ネット上の評判を一番頼りにしている大人が多いそうです。SNSを批判するつもりはありませんが、「その情報は本当に正しいのか?」と常に批判的な考えも頭の片隅になければいけないと思います。

・皆さんが有権者となる三年後は、技術の進化や国際情勢の激変に伴い、これまで以上に多様な情報が氾濫し、選挙を取り巻く環境は複雑性を増していくと考えられています。今後は進学した学校の授業等でも今後ますます、正しい情報を得るには、情報の発信源を確認し、複数のソースを比較するなどの場面を増やしていくことが重要視されていくことでしょう。

〇立花氏へインタビューした記者は、最後に次のようにしめくくっています。「自分を労働力、社会の歯車としか見ていないのではないかとの指摘にハッとした。立花さんは「人柄の時代」と表現する。科学技術の進化が止まることはない。その中で白けずに生きていくために、人間の価値を経済的価値と混同しない思考をしっかり持ちたい。」

〇いかかでしょうか。「白けるとは心が動かなくなること」です。特に「白けずに生きる」とは、物事に対して冷めた態度(冷笑的な視点)を取らず、情熱や関心を失わずに、真摯に向き合って生きることだと思います。特に世の中や他人の努力に対して「どうせ無駄だ」「かっこ悪い」と斜に構えて冷笑するのではなく、青臭くても一生懸命になることを肯定する姿勢です。「どうせ」という諦めや冷笑を捨て、目の前のことに「熱」を持って取り組むことが、豊かに生きるための鍵であるという考え方です。

〇昨年の5月7日に「日常会話で避けたい【3D接続詞(でも、だって、どうせ)】」は、脳にダメージを与える言葉だと書きました。

・精神科医の西多昌規氏は日ごろから、言葉を前向きに「変換」することを提言されており、特に「3D接続詞というのを使わないようにする」と本で書かれています。

・3D接続詞というのは、「でも」「だって」「どうせ」の3つです。こういう言葉を使っていると、同じ言葉を使う者が集まってくるそうで、「ネガティブな口癖の人同士が集まって、不満ばかりの人生になる」と指摘されています。

・さらに西多氏は、「でも」「だって」「どうせ」の3D接続詞が出そうになったら、「そうですね」「なるほど」「その通りです」など、肯定的な接続詞を使うようにと指摘しています。こちらはその頭文字からSNS接続詞となります。

・日常の会話においてまずは相手を決して否定しないことから入り、相手の気持ちに寄り添いつつ共感していくということでしょう。そうすれば当然その後の会話もスムーズになり、良好な人間関係になっていくことは簡単に理解できます。

・私も人に言われないと自分の口癖を認識していないことが多く、この本を読んだ際、もう一度自分の言動を一日かけて振り返りました。するとやはり無意識にいくつかの言葉を発しており、「その言葉にあとから自分の気持ちが引きずられているのでないか?」と思いました。普段から言葉に気をつけていく方がよさそうです。

須藤昌英

3月13日(金)巨大な卒業証書をモチーフにした横断幕

〇曇り空のしっとりした朝で、出勤するとどことなく昨日の卒業式の余韻が学校の中に残っているのを感じました。校内の桜もまだ咲いていたり、玄関には昨日の卒業式会場を飾っていた色とりどりの鉢植えが飾られていたりと華やかで良い香りが漂っています。

〇昨日の令和7年度第79回卒業証書授与式は、予定通り1時間半で実施されました。天候にも恵まれ、学級でのお別れ終了後も、昼過ぎまで校庭などで友人や先生方との別れを惜しむ姿がありました。

〇今年からPTAサポーターから寄贈していただいた撮影スポット用の横断幕を校庭に張り出しました。卒業式の記念撮影用として、巨大な卒業証書をモチーフにした横断幕が大人気でした。

〇従来ですと校門前の立て看板に並ぶ長蛇の列ができていましたが、今年はゆっくりと特別な1枚を撮影できるスポットとして活用されています。横断幕は3×4メートルなどの大型サイズで、本物そっくりのレイアウト(証書の本文、日付、学校名、校章)です。まさに「映えるスポット」で、来年以降も使用させていただきます。

〇卒業証書授与の際には、私から一人ひとりに声をかけました。それぞれ三年間の一場面が想起され、嬉しそうに笑う生徒、恥ずかしそうに伏目がちな生徒など様々でした。しかし全員が、卒業証書を手に胸を張って壇上から降りていきました。感動しました。

〇校長式辞の一部を紹介します。

・皆さんは、新型コロナウィルスが感染爆発し、小学校では自宅待機を余儀なくされ、入学式も大きな制約の中で行われました。中学校生活が始まっても、感染防止が最優先され、授業をはじめ学校行事や部活動等も大きな影響を受けざるを得ませんでした。この状況は、皆さんの心理にも暗い影を落としたと想像しています。

・皆さんが生まれた十五年前の二0一0年(平成二十二年)・二0一一年(平成二十③年)には、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還、日本航空の経営破綻など、激動の出来事が多かった年です。政治の面でも当時の民主党が選挙で大敗し、国内が揺れていました。またご存じのとおり、十五年前の三月十一日に発生した「東日本大震災」と「福島第一原発事故」が想定外の影響を与え、日本中が未曾有の災害と停電、物流分断に見舞われた年でした。また国外的には、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で、日本と中国が対立し中国各地では激しい「反日運動」が起こりました。今も中国とは、台湾問題をめぐってマイナスな面が目立ちます。

・この十五年間だけでも、ウクライナとロシアの戦争をはじめ、世界中で対立や紛争が勃発しています。グローバル化の進展や技術革新の加速によって、我々は、社会、経済、環境など様々な分野において、前例のない変化に直面しています。

・「この地球は宇宙に浮かぶ一つの船である」という認識は、人類はその乗組員として協力し合い、限られた資源を共有する運命共同体であるという考え方です。現代において、地球環境問題、パンデミック、国際的な経済紛争などを通じて、この「運命共同体」としての認識は、かつてないほど必要とされています。(途中略)

・私が一番危惧して訴えたいことは、ズバリ「面倒くさいと言わない」と「窮屈さを楽しめ」いうことです。皆さんが日常生活の中で普段から「面倒くさい」が口癖になっていたり、人との人間関係が「窮屈でしかない」と思っていたりしないかを振り返ってみてください。学校に行くこと、学ぶこと、人とつきあうこと、つまり生きていくことは基本的には「面倒くさくて窮屈なこと」なのです。

・明治大学の斉藤孝教授は、「どうして友達が必要?」という問いに対し、「友達が必要かどうかは、人生の時期によって違うが、中学生から高校生にかけての時期は、友達は必要。どうしてか。【友達が必要】というよりも、【友達をつくろうとする行為、行動】が必要だから。自分以外の他の人とどうやって関係を結び、どうやって共存してくか、工夫や努力をする、そういう行動スタイルを学習することがどうしても必要だ」と指摘しています。(途中略)

・最近よく使われる言葉に「レジリエンス(精神的回復力)」があります。聞いたことはありますか?レジリエンスとは、困難からストレスが多い状況にもかかわらず、上手く適応する過程や能力のことです。そしてレジリエンスの高い人には、いくつかの特徴があります。その中でも「他人と自分を比較して、自分を卑下しない」や「自分の強みと弱みを客観的に理解している」「いざという時に信頼できる友人や家族がいる」ことは、成長段階の皆さんにはとても重要なことだと思います。

・特に本当に苦しくなったら、信頼できる人たちに、「ヘルプ」を出してください。私は真の「自立・自律」とは、「周囲の人に適度に依存ができること」だと思っています。自分の気持ちをありのまま聞いてくれる人がいれば、話しているうちに「そうだ!次はこうしてみよう」と見通しが持てるようになります。(途中略)

・私も六十年以上生きてきて一番実感しているのは、「失敗を成功で上書きする」ことが人生の醍醐味だということです。少し大袈裟かもしれませんが、失敗を失敗のまま終わりにせず、それを小さな成功つなげていけば最終的に「私は失敗しません。なぜなら失敗をそのままにせずに次にいかすから」と堂々と人前で言い切ることができます。

・昔、ナイキというスポーツメーカーのCMに、マイケルジョーダンというバスケットボールのスーパースターが出演していました。バスケットボールに興味がなかった私も彼が私と同じ年齢ですので、その存在感には注目していました。その彼のCMの中でのセリフが今でも頭に残っています。紹介します。「キャリアで失敗したシュートは9000本。300試合で負けた。26回ウィニングショットを外してきた。今までミスしてきた。何度も何度も・・・。だから私は成功する」。皆さんは彼を知らないかもしれませんが、みんなからスーパースターと言われている人でも、数知れない失敗を経験してきていることは知っていてほしいと思います。(途中略)

・最後に、「主体的に」「失敗をおそれずに」生きていこうとする皆さんにとって、一番大切なのは健康です。「健康」という言葉を初めて使ったのは、江戸時代の臨済宗の白隠禅師です。今は、「健体康心(けんたいこうしん)」を略して、「健康」になっていますが、身体が健(すこ)やかで、心が康(やすらか)であれば、今できることを精一杯に実行し、自分だけでなく、周囲のみなさんも幸せになれるように貢献できる自分になれます。土中は今年度、「学び成長し続ける土中」を掲げてきました。私も今日の話の中に、数名の方の名前を紹介しましたが、日頃から本や新聞を読み、自分とは違う考えを持った人や素晴らしい実績を残している人から学ぶこともその一つです。

〇職員反省会では、「元気な学年でした。今日の答辞のパフォーマンスも自分たちで考えていました。」や「在校生が何人も泣いてくれて、それを見て後輩に泣いてもらえる卒業生になったことを嬉しく思います。」との報告がありました。卒業おめでとうございます!

須藤昌英

3月12日(木)令和7年度第79回卒業証書授与式

〇卒業式の朝を迎えました。朝は曇っていますが、雨は何とか降らずにすみそうなので安心しています。昨日の卒業生の最終練習の「群青」を聴かせてもらい、感動しました。その成長ぶりを目の当たりにしましたので、昨晩はいろいろと思い出がよみがえり、寝つきが悪く、今朝も3時に目が覚めてしまいました。

〇私でさえそうですから、担任や学年職員はもっと高揚した気持ちで朝を迎えただろうと思います。私も過去に丁度10回、担任として卒業生を送り出してきたので、その時の気持ちは忘れることはありません。正面玄関前の桜が満開で、卒業生を待っています。昨日の準備をさらに確認し、開式の時間を迎えます。

〇式次第中での校長の役割は、「卒業証書授与」「式辞」「祝辞」「記念品贈呈」「送辞」「答辞」とありますが、特に「式辞」は昨年末から何度も書いては修正してきました。しっかりと読ませていただきます。

〇年に二回(卒業式と入学式)しか着用しない、モーニングコートにこれから着替えようと思います。

須藤昌英

 

3月11日(水)あの日から15年と卒業式前日準備

〇2011年3月11日の東日本大震災から、今日でちょうど15年が経ちました。あの日を境に変わってしまったもの、一方で、長い年月をかけて少しずつ積み上げられてきた復興の歩みなど、今日はその両方に思いを馳せる、特別な節目の日です。

〇当時私は、教育委員会事務局に勤務しており、地震発生後に柏駅が閉鎖され、大勢の帰宅困難者が駅の周辺で路頭に迷っていました。そこで柏市が駅近くの小中学校の体育館等を臨時避難所に設定し、そこで避難してきた帰宅困難者の方々の受け入れをしていました。

〇まだ3月なので夜は冷え込み、暖かい飲み物や軽食、毛布やブランケットなどを配付しましたが、夜にも余震があり、眠れませんでした。ただ夜が明けると、現地での津波被害や福島原発事故の状況が明らかになり、そのまま今後の学校運営の方針を立てるために、市内の被害状況等の情報収集にあたりました。

〇警察庁の2026年3月1日時点のまとめによると、東日本大震災による死者数は1万5901人です。昨年から1人増えたのは、震災当時に行方不明となっていた女児の身元が新たに判明したことなどによるものだそうです。また、依然として2519人の方が行方不明となっています。心からご冥福をお祈りいたします。

〇今年の卒業生はまさにこの年度に生まれており、自分たちがそういう年に生まれたことは知ってはいるでしょう。ただ今後もその意味を考えながら、自分らしく生きていってほしいと思います。

〇学校では朝から、亡くなった方々への深い哀悼の意(弔意)を表すための半旗をかかげます。ただ発生時刻の午後2時46分は、卒業生は下校していますので、午前の最後の卒業式練習の中で、1分間の黙とうをしました。また午後は卒業式の準備中で、在校生も少し早い時間でしたが、全員で黙とうはしました。お互いがこの日を忘れないようにしたいものです。

〇昨日の午前中、卒業式当日に参列する卒業生と1・2学年生徒がそろって、卒業式の予行練習を行いました。他の多くの学校では、体育館のスペースの問題があるので、1年生などは参列していません。本校は生徒数の割に体育館が広いので、それだけでも有難いです。

〇1、2年生も一昨日の3年生を送る会の時とは違って、フォーマルな式の雰囲気を感じ、厳粛な顔つきで卒業生の一挙手一投足を見つめていました。先日の3年生を送る会もよい雰囲気でしたが、卒業式はまた一段高い行事であることを生徒たちは知っていますので、素晴らしいです。当日は堂々と証書を受け取ってもらいたいです。

〇式では、ステージに向かって左の壁にPTAから寄贈していただいたサブスクリーンに、「式次第」や「卒業生名簿」、「校長式辞」「送別・卒業の歌」をプロジェクターで映写します。

〇本日午後に、在校生と体育館の会場準備を行います。

須藤昌英

 

3月10日(火)ヒトはなぜ、歩くのか?(その2)

〇昨日、「昔の【野球】と今の【Baseball】は、ルールは同じでも、「全く異なるスポーツだ」と思います」と書きましたが、そもそも今の日本の中心選手であるメジャーリーガーの大谷選手などは、長男と同じ年齢ですので、違って当たり前です。

〇しかしこれを質問形式にし、AIにあえて尋ねてみました。回答は、

「その感覚、非常に鋭いものだと思います。一見同じスポーツに見えても、その内実や哲学において、かつての【野球】と現代の【baseball】は確かに別物と言えるほどの変化を遂げています。」と褒められてしまいました。ただ褒められると人間はうれしいものです。

〇昔の「野球」が「男の子がスポーツをやるとすれば野球くらいしかなかった」ことや「大人と子どもの共通の楽しみだった」などであったのに対し、現代の「baseball」は「グローバルなエンターテインメント・ビジネス」へと変わったと言えるかもしれません。これ以上書くと、止まらなくなるので止めますが、今の子どもは自分の好きなスポーツを昔よりも広い選択肢から選べるので、幸せだと思います。

〇今日は卒業式の予行練習を行います。

卒業式の予行練習には、本番を円滑かつ厳かに行うための実務的な確認と、生徒の心の準備という目的があります。

〇まず式典を中断させることなく進行させるためのシミュレーションです。入場から卒業証書授与、退場までの一連の流れを当日と同じ時間配分で確認します。また卒業証書の受け取り方、礼のタイミング、歩く経路などを実際に行います。音響等の係が伴奏やマイクの音量、照明の調整など、裏方の動きも含めた最終点検を行います。

〇また厳粛な雰囲気を作り出し、卒業生としての自覚を高めます。本番と同じ環境で練習することで、当日の過度な緊張を防ぎます。さらに式の流れを体験することで、これまでの学校生活を振り返り、保護者や教職員への感謝を伝える心の準備を整えます。卒業式は「最後の授業」とも捉えられ、教育課程を修了するという節目を実感させ、卒業の自覚を促します。

〇特に参加する生徒が、自分の体調管理の確認を行えるようにします。長時間立ち続けたり座り続けたりすることが可能か確認し、当日の体調不良への配慮や対策を練ります。

〇昨日紹介した雑誌「Tarzan」にもう一人、元陸上競技日本代表で現在は会社代表をしている為末大氏の「歩いていると、どんどん思考が深くなります」という記事も注目に値します。

〇為末氏は、男子400mハードルの日本記録保持者で、2001年世界選手権で日本人初の銅メダル、2005年ヘルシンキ世界選手権で銅メダルを獲得。 初めて日本人が世界大会トラック種目で2度メダルを獲得するという快挙を達成しています。このようなトップアスリートの考えは説得力があります。また一部を引用させてもらいます。

「25年間のアスリート人生にピリオドを打ったのは、12年前。カラダを鈍らせないため、引退後はジムに通ったりランニングしたり。でも筋トレは性に合わず、ランでは現役時代に酷使した膝に痛みが生じがちでした。それで7.8年前くらいから歩き始めました。歩いているだけで思ったより太らないし楽しい。だったら歩きでいいかなと。ランとウォークでは体感的にエネルギー消費量gは数倍違うような感じがしますが、実際には30分走るのと1時間歩くのとではそんなに違わないんです。(略)現在のところ、一日の目標歩数は1万2千歩程度。都内なら目的地の2.3駅前で降り、散歩感覚で歩く。(略)僕は油断すると『そもそも○○とは何か?』と考えてしまうんです。その考えを巡らせている間はほとんど歩いています。歩いていると思考がどんどん深くなっていきますね。電車の中での移動中に本を読んで、そのまま電車を降りて歩きながら自分の頭で考えて、たどり着いたカフェで何かを書き始めるときれいなコンポ(組合せ)になります。思うに、脳内の接続みたいなものは脳の活動だけではつくりだすのは難しいんじゃないかと。基本的に人間は狩猟採集活動をすることで脳の接続を進化させてきました。だから身体活動で血流がよくなって異なる接続パターンが生まれたときに、ひらめきが得られると思うんです。

〇この記事を読む前から為末氏については、現役選手にもかかわらず知的なイメージがあり、引退後も身体に関する様々な本も書いたりYou-tubeでも多くの動画を投稿したりしていましたので、関心をもっていました。特に上記の内容では、「思考と身体の関連性」について、特別な人だけの限られた感覚ではなく、誰でも身近に経験していることを書いているところに一番感心しました。これは昨日の青山学院大学の福岡教授と共通です。

〇先日のブログに、人間の脳は、「ボーッ」としている方が、何かを考えているときよりも多くのエネルギーを使っていて、そのデフォルト・モード・ネットワークが働いているときは、あらかじめ蓄えられた情報がそれぞれ結びつきやすくなり、新しいアイデアや発想が生まれやすくなる、つまり「創造性」に富む可能性があると書きました。これとも通じるものがあります。

〇私がこのブログで研究者や専門家(見識者)などの話を引用する場合に、「人間の身体や宇宙の神秘みたいなことが多いのでは・・・?」と読んでお感じになっていられる方もいると思います。それはその通りで、私の一番の関心は常にそこにあります。

〇脳も含む人の身体はまだまだ不明瞭な部分が多く、これから解明されるだろうと思われるものもあります。例えば、「なんで手や足の指は5本なのか?」「どうして心臓の位置が少しだけ左寄りなのか?」など、まだまだあります。またそれは未知な宇宙を研究している方々のテーマと同じではないか?と思っています。

〇身体や宇宙の話からいつも連想するのは、生徒たちの可能性の無限さです。自分が中学生くらいの頃、「将来自分はどんなことができるようになるのか・・?」とか「でも今のままで大人になっても大したことはできないのではないか・・?」などといつも期待と不安が入り混じっていました。

〇でも60年以上生きてきて今は生徒たちに、「大丈夫、あなたたちには自分でやろうと思ったことを実現するための力が、もうすでにその身体に潜んでいるからね」と自信をもってアドバイスできます。ただ最近は、そういうことを校長という立場ではなく、ただの大人として伝えてあげなければいけない・・と感じます。

〇歩くこともその一つです。「歩くことなんてただの移動にすぎない・・」と私も若いころには割り切っていました。また思春期には時々部屋に閉じこもってあれこれと考えることも大切ですが、それに飽きたら思い切って外へ出て、自分の五感で感じたことを大切にしてもらいたいです。

須藤昌英