校長雑感ブログ

校長雑感ブログ

5月6日(金)午後の教員研修のため3時間授業&給食で下校します

〇ゴールデンウイークも後半に入り、昨日は「子どもの日」に加えて、暦の上では「立夏」にあたり、強い日差しが降り注ぎ、一年の中で一番紫外線の強い頃だそうです。確かに日陰では爽やかですが、屋外での運動は暑さを感じました。

〇本日の午後は、教職員の研修が市内一斉で行われるため、生徒は3時間授業、給食で下校となります。今朝正門での私とある生徒の会話

「校長先生、今日は3時間でめっちゃ嬉しいです」

「そうですね。午後は先生方の勉強会があるので、午前中は君たちが頑張ってください」

〇そもそも法律で、教員には研修の義務があります。参考までに、

「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。(教育基本法9条)(研修)」

〇最新の教育に関する研修を積んで、人間としての素養を高めたり、指導力を向上させたりすることにより、生徒たちの学びの質が高まるようにしていきます。

須藤昌英

5月5日(木)子どもの日に思うこと

〇今日は国民の祝日の一つ、「子どもの日」です。5月5日は古来から「端午の節句」として、子どもの健やかな成長を願う行事が行われていたという歴史があり、日本人が子どもを大切な存在としてきた証でもあるそうです。

〇元東京都の公立中学校校長で、現在、横浜創英中学・高等学校の校長である工藤勇一氏は、著書の中で、次の指摘をされています。少し長いですが、引用させてもらいます。

「学校の最上位の目的が『子どもたちに社会で生きていく力を見につけてもらうこと』であり、3つの資質「自律」「尊重」「創造」を育てていくに当たって、もっとも重要なのが、Agency(当事者意識)である。当事者意識をもった子どもたちが社会で出ていくことで、幸福な社会が実現される。しかし、日本の子どもの当事者意識の低さ(これは大人も同様)は、極端な受け身の思考回路となり、『社会や国の未来も自分の幸せも、周囲の誰かがどうにかしてくれるはずだ』『問題が発生したり自分が不幸になったりしたら、それは周囲の大人のせいだ』となってしまう。教育を含め、日本の社会全体がサービス産業化し、大人は子どもに手をかけすぎている面がある。そのことで、子どもによる自己決定の機会がなく、自分で考えたり新しいことに挑戦したりする姿勢が育たない。サービスを過剰に与えられた子どもは、「より良いサービス」を求め、「サービスの質」に不満をもち、『あの先生の授業は教え方が悪い』『あの担任のせいでうちのクラスはまとまらない』と人に原因をなすりつけていく。最も心配なのは、自律できない→自分のことが嫌い(劣等感が強い)→他人を尊重できないの構図ができあがり、社会性どころか自己肯定感まで下げてしまう。」

〇いかかでしょうか?日本人がよかれと思い子どもへ教育してきた負の一面を厳しく指摘されています。学校の本当の役割や子どもの「自律・自立・自主性」を伸ばすためには、何が必要で何が不要なのか?これまでも考え続けてきましたが、校長として今日一日もう一度再考してみたいと思います。

須藤昌英

 

5月4日(水)脳に最もダメージを与える言葉と脳を躾ける言葉

〇北海道で笑華尊塾の代表をなさっている塩谷隆治さんという方は、もとは高校で十五年教師を勤めてから塾を開かれた方です。その塩谷さん自身が昔、とある講演会に出席した中で、「一番脳にダメージを与える言葉は何か?」というテーマに対し、講師からその答えとして、「疲れた」という言葉だと教えてもらったそうです。塩谷さんは、当時野球部の指導をなさっていたので、それを聞いて部の中で「疲れた」という言葉を生徒達が使うのを禁止にして、その代わりに「充実している」という言葉に置き換えるように指導したというのです。

〇そういえば私も自宅に帰った際、たまに「ああ疲れた」と言っている日があることを思い出しました。無意識で言っている場合が多いですが、言った日は言わない日に比べて、何となく寝るまでの時間を無駄にダラダラ過ごしている?気がします。

〇先日は、3D接続詞というのは、「でも」「だって」「どうせ」をやめて、SNS接続詞「そうですね」「なるほど」「その通りです」を使うことを書きましたが、同じようなことが、「疲れた」という言葉に自分の意識が引っ張られ、マイナスの効果があるということでしょう。その代わりに「充実している」という言葉で、たとえ身体は疲れていても、心はプラス方向に向いていくということかと感じます。

〇またアクティブブレイン認定講師の藤本肇さんという方の「脳を躾ける『あいうえお』」というのも「なるほど」と思います。それは、

「あ」まず朝起きたら、「あー、よく寝た」

「い」窓を開けて、雨であろうが雪であろうが「いい天気だ」

「う」朝ご飯を口に入れたら「うまい」

「え」本を読んだり話を聞いたら「ええ話やったなあ」

「お」感情を表す言葉の前に入れて「おー素敵」「おーすばらしい」

というように、言葉を前向きにしてゆくことで、心を明るくできるというお話です。

〇いろいろな方の話を聞くと、毎日の何気ない言葉の習慣が、身心共に大きな影響を与えることは、おそらくあるのだろうと思います。もしかしたら、大人よりも純粋な中学生の方が、この話をしたら納得してくれるかもしれません。

須藤昌英

5月3日(火)主体性をもつ

〇コロナ対策の一つとして、この2年以上のマスク着用生活が続いていますが、ここにきて専門家の見解も分かれているようです。「しばらくは外すべきではない」「屋外などでは自分から外すべき」「外したくでも人目が気になり難しいことも」など、三者三様の主張があり、それぞれもっともだなと思っています。

〇ウクライナ情勢についても、これまでどこにある国かもロシアとの歴史的背景もまったく知りませんでした。また紛争は終わって欲しいものの、正直どちらの国の言い分にどれだけの正当性があるかも、よくわからないことばかりです。多くのメディアが伝えていることが、どれだけの中立性が保たれているのか?どこかの国の思惑で事実が歪曲されているのではないか?疑問で頭の中がいっぱいです。

〇国民性を表す有名なジョークがあります。「沈み始めた船から、乗客を速やかに脱出させるため、船長が海に飛び込むよう指示する時の言い方が相手の出身国によって違う。米国人には『飛び込めば英雄です』、英国人には『飛び込めば紳士です』、ドイツ人には『飛び込むのが規則です』、イタリア人には『飛び込めば女性にもてます』、フランス人には『飛び込まないでください』、そして日本人には『みんな飛び込んでいますよ』だそうだ。」もちろんジョークですが、それぞれの国民性の特徴をよくあわらしていると思います。

〇「自ら主体性をもつ」ことに関しては、先月の1日に、このブログを始めるに際し、「人間は、例えると紙切れ一枚でも人から持たされて持っていると思うと重たく感じるものです。ところがこれが家族や好きな人の為に持つ荷物となると、どんなに重たい荷物でも軽々と持っていけるのではないでしょうか?そういう面から、この雑感ブログも、「やらされてやる」と苦痛になりがちですが、こちらが「主体性をもってやっていくこと」で、少なくとも苦痛にはならないことをのぞみながら、片意地はらずに続けていきます」と書きました。

〇「同調圧力で仕方なく」や「皆がそうしているから」だけで、マスクを外せない日本人や報道を鵜呑みにする日本人になっていないか?自分も含めた日本人の「奥ゆかしさ」は決して否定するつもりはありませんが、これからの時代を生きていく生徒たちには、自分で考え、他の人と意見を交わした上で、ある程度の根拠をもって判断していこうとする力を身に付けてほしいと願います。

須藤昌英

5月2日(月)連休のはざまでも生徒は学んでいます

〇ニュースなどをみると、世の中はまさにゴールデンウィークの真っ最中で、最大10連休などと報じていますが、生徒は今日も朝から真剣に授業へ参加しています。朝正門に立っていましたら、「連休なのに・・」という表情の生徒、「明日も休みだ」と嬉しそうな生徒、いつも通りの生徒の3パターンがいたように思います。

須藤昌英

あすなろ1・2・3組(生活)

3年1組(理科)3年2組(数学)3年3組(英語)

3年4組(社会)3年5組(社会)

 

2年1組(理科)2年2組(社会)2年3組(保健体育)

2年4組(保健体育)2年5組(家庭)

1学年は朝から全員を対象に、体育館で「心臓検診」を行いました。終わったクラスから授業へ戻りました。

1年1組(国語)1年2組(理科)1年3組(英語)

1年4組(社会)1年5組(数学)