校長雑感ブログ

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1月18日(水)私有地への立ち入り

〇年に数回程度ですが、学校に学区にお住いの方から、「中学生が私有地を横切っていく。学校では何を指導しているのか?」とのお叱りの電話があります。多くの場合に生徒の氏名は不明で、その特徴だけを教えてもらうので、場所をお聞きし、現場の様子を確認しに行きます。大抵は民家の敷地や駐車場です。そしてもしその可能性のある生徒がわかった場合には個別に事情を聞いたり注意を促したり、必要であれば学校全体で指導をしたりしています。

〇私が小・中学生のころはまだ柏の市街地のあちこちに「空地」が点在し、ボール遊びや缶蹴りなどをして楽しんでいました。もちろんゴミなどを散らかせばその場で叱られたりしますが、それ以外は「入ってはいけない」などの制限はあまりされなかった記憶があります。よくドラえもんなどのアニメにも大きなコンクリートの土管が置かれた空き地で遊ぶシーンがありますが、それと同じく決して管理された公園ではなく、ただの空き地でした。おそらく地主の方が好意的に地元へ開放してくださっていたのでしょう。

〇一番印象に残っているのは、今はもう宅地造成されてありませんが、江戸時代からあった「野間土手(徳川幕府が野生の馬を育てることを奨励していた反面で、その馬が田畑を荒らさないように農民などがつくった土手)」が残っている林が数か所ありました。その中で数人の友人たちと枝や葉を集めたり、使わなくなった板切れなどを自宅から持ち込んだりして、「秘密基地」をつくって休日の一日を過ごしていました。スマホやゲームがなくても十分に楽しかった思い出です。

〇決して「昔は良かった」という気はありません。その背景として今のような複雑なトラブルは無かった時代であり、すべてを法律等によって明確な基準で動いている現代とは違うのは十分承知しています。ただその頃の遊びは、今ならば「不法侵入」にあたるでしょう。おそらく今の生徒にそんな遊びをしていたと話しても想像できないことでしょう。

〇最近の傾向として、設置してある防犯カメラの画像を侵入した証拠として提示される方もいます。確かに常識として「私有地は立ち入り禁止」ということをきちんと生徒には理解させることは大切ですし、そういう画像もあることを場合によっては知らせる必要はあると思います。そしてますますこれからの時代は身近に防犯カメラは増えていくのだろうと感じます。

〇ただ生徒に、「防犯カメラがあるからあの場所は気をつけて通りなさい」などの主旨から注意を促すのは「どうかな?」と思います。法律や社会モラルの面から良くないことを考えさせるのはかまいませんが、犯罪の抑止力や証拠を残す目的で設置してあるカメラを意識させることを前面に出して話すことは、生徒本人を信じていないメッセージにもなりかねません。

〇逆に近年の防犯カメラは性能がよくなっていて、高画質映像の録画が可能になり、必要以上の情報が映り込む可能性があり、問題化していることは時々話を聞きます。防犯カメラに録画された映像で特定の個人が識別できるのであれば、その映像も「個人情報」に該当するようです。そして防犯カメラを設置・運用する人は、個人情報保護法で規定されている「個人情報を取り扱う個人情報取扱事業者」になるため、意識して手続きや対策を取らなければなりません。

〇生徒たちも将来大人になって、自分で防犯カメラを設置する立場になることもあるので、そういうことも教えてあげなければならない時代です。

須藤昌英

1月17日(火)朝の定点観測と個別最適な学び

〇毎朝数人の教員で、生徒が登校する時間に正門に立って交通安全指導とあいさつがけを行っています。朝の8時前後には、本校生徒や富勢小児童、地域の方々が頻繁に使用するため、目の前の押しボタン式信号機は定期的に横断者に向けて「青」になります。短い時間で横断歩道いっぱいに広がってやっと渡れることも多く、正門の前の信号機はとてもありがたいです。

〇毎日同じ時間に同じ場所で、生徒の顔をみているとその変化がすぐにわかります。これを私は勝手に自分で「定点観測」と呼んでいます。本来の定点観測は、天文学の中で「同じ場所で同じ方向を観測し続け、動いた天体の軌跡を追うこと」ですが、そこから派生して「人間社会の観測を通して、人々の生活や環境、感情などがどのように変化していくかを調べ、社会の動向や情勢によってどのように遷移するかを知る」ことの意味にも使われます。つまり同じ生徒でも「今日は昨日と違って顔をあげて登校しているな」とか「何となく今日は足取りが重そうだな、何かあったかな」という変化がわかりやすいのです。同じようなことはご家庭ならば、毎朝の起きた顔で、お子様の気持ちがだいたいわかるのではないでしょうか?

〇この9カ月、「おはようございます」の声かけをして気になることがあります。特に数人で一緒に登校してくる生徒たちに、一言「おはよう」と声をかけても、その数人は何もなかったかのように通り過ぎる場合があります。むしろ一人ひとりにあいさつした場合には、ほとんどはあいさつを返してくれます。私も最初は「えっ」と思うこともありましたが、「私の声掛けが悪いのだろうか?」「コロナ禍で声を出してのあいさつが減ったからか?」とその原因をよく考えてみました。

〇すると段々わかってきたことは、グループ全体にこちらがあいさつしても、「校長先生は私にあいさつしているわけじゃない」と受け止めているのではないか?ということです。試しに例えば5人いたらその一人一人に目をあわせて「おはよう」を5回言ってみました。すると先ほどの無反応ではなく、それぞれあいさつが返ってきます。それからは、できるだけ「あなたにおはようを言っているよ」と意識して声をかけるようにしています。

〇これまでも学校では、授業を含むすべての教育活動で、「指導の個別化」と「学習の個性化」を目指してきましたが、今はそれを学習者視点から整理し「個別最適な学び」というキーワードが重要視されています。具体的には、ある学習課題に対し、個々の生徒に応じて異なる方法等で学習を進めたり、その中で生徒自身が自らの特徴やどのように学習を進めることが効果的であるかを学んでいったりすることを目指しています。その一つのツールが、タブレットなどのICT機器であり、様々な情報やデータを自分で収集・整理し、自分なりの考えをもつようにしています。昨日も書いていた「生徒の当事者意識を引き出す」ことにもつながります。

〇そのように一人ひとりを大切にしていく時代の流れがありますので、冒頭の「おはよう」のあいさつも、「十把一絡げ(じっぱひとからげ)」的にグループ全体にするのではなく、「個別対応」的にしていかなければ・・と考えています。

須藤昌英

1月16日(月)「君ならどうする?」

〇今年のNHK大河ドラマは「どうする家康?」で、昨日2回目が放映されました。人気アイドルグループ嵐の松本潤さんが主役を務めているので、注目を集めているようです。私は内容も面白そうですが、それ以上にまずそのタイトルに興味を持ちました。

〇2学期の保護者会の中でも話しましたが、学校での授業内容が、「いつでも使える知識」となるためには、知っているや分かっているだけでなく、「では自分ならその場合にどうするか?」と当事者意識をもつことが最大のポイントです。「江戸に幕府を開いたのは誰で、いつ?」から「家康が江戸に幕府を開いたのはなぜ?」へ、さらに「君が家康だとしたらどこに幕府を開くか?」へとその問いが段々と深くなっていくことで、生徒の当事者意識を引き出していく授業が理想です。

〇中学校3年間は、発達心理学からみると思春期前期にあたり、「自分はどういう人間か」と「周囲から自分はどのように見られているのか」の間で葛藤し、それを乗り越えて「アイデンデティー(自我同一性)」を獲得する大切な時間です。でもそのためには授業の中で、常に「自分はこう考えたが、友達はそう考えるのか」を繰り返し経験することが近道になります。ただ「教科書にそう書いてあるし、先生も同じことを言っているから・・」と受け身になっているのはもったいないと思います。

〇さらにこのドラマでは、最初は気弱で何も決断できなかった家康が、周囲の助けを受けながら少しずつ成長していく姿を描くようです。没後に「東照大権現」と神としてあがめられている家康ですので、さぞトップダウン型で家来たちをリードしていたかのようなイメージを持ちますが、ドラマでは優秀な家来からの進言を大切にし、結果として二百六十年も続いた幕府をつくったことを描くようです。このように適切に周囲に「ヘルプ」を出せることが、リーダーにとどまらずこれから「自立・自律」をする生徒には欠かすことのできない資質とも思います。

〇よく昔からそれぞれの人柄をたとえ話で、織田信長「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」、豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようほととぎす」、家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」は有名ですので、3人の中では一番我慢強いイメージはありますが、晩年の“狸親父(たぬきおやじ)”も強いイメージとしてあるので、“気弱なプリンス”像とのギャップを楽しみ?ながら観ていきたいと思います。

〇今の本校にはいませんが、昭和の終わりから平成にかけて、教員の指導などまったくきかず、授業エスケープなど勝手な振る舞いをする生徒も各校には数人ずつくらいいました。私も自分のクラスや生徒指導担当として他のクラスにいるそのような生徒と向き合ってきましたが、こちらから「~しなさい」と言ってもまったく耳をかしません。その時に必ず使った魔法の言葉があります。それが「君はいったいどうしたいの?」です。中学生ですから当然今やっていることは間違っていていることを生徒本人は心の片隅で自覚しています。しかし実際にはその反面、自分ではどうしようもない心の葛藤を抱えています。そのとき、自分の本心を言葉で発することで、自然と落ち着きを取り戻します。そしてその生徒が「実は~したい」と言うことをまずはこちらが受け止め、「では次は~したらどうかな?」と話を続けていくと、噓のようにその後はこちらの話も聞くようになったものでした。

〇ご家庭でも生徒本人に判断を任せるよう機会をみつけ、「〇〇ならどうする?」と問いかけてみてください。すぐに答えなくてもあまりせかさずに見守ってください。その問いかけをされると、「自分は信頼されているから尋ねられているのだ!」とわかる時が来ます。

須藤昌英

1月13日(金)乾燥注意(雨がほしい・・・)

〇朝から快晴なのは気分が良いのですが、その反面毎日空気がカラカラで、東京近郊は3週間以上連続で降水なしの状況です。こうなると空気が潤うのはいつになるのか・・と不安になります。例年日本は冬型の気圧配置となり、太平洋側は晴れている所が多く、空気が乾燥していますが、特に関東や東海で湿度が低く、最小湿度は10パーセント台になる所も複数あり、少し異常なレベルです。

〇現在関東から九州にかけては所々に乾燥注意報が発表されています。そのため火災の発生が多くなっているようです。先日は風も強く、もしこの状況で火災が発生したら、あっという間に広がってしまう気象条件となっています。火の取り扱いにいっそう注意が必要です。

〇また教室のエアコン暖房により、さらに空気が乾燥してしまいます。少し調べてみると、冬に暖房器具を使うと多くの場合に空気が乾燥しますが、空気中の水分量が減少するわけではないようです。部屋の温度が上がることで、相対湿度が低くなり「部屋が乾燥している」と感じるようになるのだそうです。そして湿度が低いと体感温度も低くなるのが理論的には正しいようです。

〇暖房使用時にはタオルを濡らして室内にかけるなど乾燥対策をすることで、少し改善することができますが、8m×8mの広さで天井も高い教室で、その効果を期待するには、タオルが何十枚も必要となります。また私も校長室でやってみましたが、半日もたたないうちにタオルはすぐに乾いてしまいます。

〇もっと心配なのは、口呼吸による口やのどの乾燥です。のどや口、鼻などの空気が通るところは水分を含む粘膜でおおわれており、平常時は常に潤っています。しかし、上記のような要因があるとのどが乾燥しやすい状態となり、ウィルスへの対応が弱くなってしまいます。また最近はマスク着用が当たり前になったことにより、日中も息のしづらさから口呼吸になったり、寝ている間も無意識に口で息を吸ったりすることで乾燥します。また今後は花粉症などによる鼻づまりの影響で口呼吸になる人もいるようです。

〇夏ではなく冬でも乾燥からか、喉が渇くことが多いです。登校時に数人は水筒を持参しているのをみかけますが、できるだけ水筒で水分補給をしたり、水道でうがいだけでもした方がよいと思います。3年生は受験もあり精神的な面と身体的な面の双方に気を使って、大変なことと思います。もちろん1・2年生も日常生活の中で対策をしていることと思いますが、引き続き工夫をお願いします。週末は少し雨が降る予報がでていますので、期待しています。

須藤昌英

 

1月12日(木)「交通安全誓いの碑」

〇昨日の午後、正門から入ってすぐ左の縁石に、タクシーが衝突する事故がありました。幸い付近に生徒はおらず、怪我等はありませんでしたが、私は市内で行われた校長会議で不在であり、会議後教頭より電話で報告を受けました。運転手はすぐに通報し、警察も現場検証していますが、どうやらタクシーはUターンをしようとして、敷地内に入ったようです。タクシー会社には今後二度と同じことがないように、厳重に注意しますが、「もしものことがあったら・・」と思うとゾッとしました。

〇その現場の丁度反対側(正門に入ってすぐ右)に、「交通安全誓いの碑」と書かれた石碑があります。これは昭和61年5月に当時の本校女子生徒2名が、部活動の練習試合の帰りに、歩道を自転車で走行中、そこへ猛スピードの車が突っ込んできて、残念なことに命を落としたという大きな事故があり、「そのような交通事故がないように」と願いを込めて造られたものです。

〇私も当時は大学4年生で、柏市内で悲惨な事故があったことは大きく報道されましたので、記憶にはっきりと残っています。その翌年4月に柏市の教員となりましたので、教員として生徒の命を預かる重い責任を実感し始めるとともに、当時その事故現場を車で通るたびに、心の中でご冥福を祈っていました。その女子生徒さんたちもご存命であれば、今50歳台前半になっています。

〇昨年4月に本校に着任した際も、その38年前の事故については前校長や前PTA会長さんからも引継ぎとして説明を受けています。500名以上の生徒の命を預かっている今、同じような事故が起きないように日々努めていかなければならないと、亡くなられた方への誓いとしてあらためて肝に銘じました。

須藤昌英

交通安全誓いの碑 交通違反をしない、させない、ゆるさない

この日は昭和61年度に在校する生徒職員及びPTAが交通安全を誓い合い建立したものです 昭和62年3月吉日」