校長雑感ブログ

2026年3月の記事一覧

3月6日(金)卒業の歌と「空気を読む」

〇卒業式で3年生が歌う『群青』は、作詞が福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生、作曲が小田美樹氏となっています。中学校教諭の小田美樹先生が、東日本大震災後、ふるさとが原発事故によって、いつ故郷に帰れるとも分からない中学生の心情に寄り添って作曲した合唱曲です。最近では卒業式の定番ソングとなっていて、いろいろな学校で歌われています。

〇小田先生は制作秘話として、「教育音楽ONLINE」というネットサイトのインタビューで、次のように語っています。一部を紹介します。

➡「詩をつくるときに心がけたのは、直接的な言葉を使わないこと。地震・津波・死……それから【会えない】などの否定的な表現です。【明日も会えるのかな】という歌詞も、実際には放課後に話し込んでいた子たちに私が『早く帰りなさい』と促したときの、彼女たちの『明日もう会えないかもしれないんだよ!』という言葉でした。」

➡「授業では、各地に避難していった仲間たちの写真を日本地図に貼って大きな作品をつくることに(今思えば酷なことだったかもしれません)なりました。友達の写真を貼りながら『こんな遠くにいるんだ』と泣き出した子もいました。すると、そこで鉄道好きの男の子が『この電車に乗れば、この道を通れば行ける』と説明してくれ、『それに、空はつながっているからね』と言ったのです。

➡「彼の言葉は私の心にずしんと響きました。【空はつながっている】と歌う曲を、私は何度となく聴いてきましたが、その子の言葉はそれらの歌詞とはまったく違う印象で、さらに言えば、それまでにその言葉を使って詩をつくってこられた方々の思いが、初めて本当に分かった気がしたんです。そんなふうに、私も被災者として精いっぱいの日々を送る中で、子どもたちから気づかされることや、慰められることがたくさんあって、それを記録しておきたいという気持ちは、自分のためでもあったのかもしれません。この彼の言葉は【君も同じ空 きっと見上げてるはず】という歌詞になりました。」

〇あの大震災から来週の11日で15年という月日が経過します。まさにその年度内に生まれた3年生が、ここまで成長した姿で練習に臨んでいるのを見ると、目頭が熱くなります。

〇「どんな思いでこの曲を歌えばいいのですか」という質問に、小田先生は次のようにアドバイスしています。「この曲を通して震災について知り、私たちの背景を汲んで歌ってくださるのはありがたいです。でも、卒業式の合唱として選曲してくださる方は、【またここで会おう】というメッセージや一緒に見た光景・一緒に感じた感情というところに共感してくださっているのでしょう。どの地域の中学生も思い悩みながら3年間を過ごしているだろうし、その気持ちをのせて歌っていただければうれしいです。」

〇次の卒業式実行委員を中心に、自主的な練習が素晴らしいです。

1組 池田皇羽さん 山田結心さん 米山 涼さん

2組 池田 遥さん 軍司漱磨さん 鈴木大遥さん 中條美琴さん

〇3年生は昨日、学年でレクリエーションをグラウンドで行いました。北風が吹いていましたが、青空の下で楽しそうでした。

〇昨日は内づら(内面)と外づら(外面)について書きましたが、特に外づらがいい場合に、気になるのが「その場の空気を読む」です。本来「その場の空気を読む」とは、周囲の状況や雰囲気を瞬時に察し、今自分が何をすべきか(あるいはすべきでないか)を判断して適切に振る舞うことを指します。

〇しかし「空気を読む」の誤った解釈は、自身の本音を押し殺して周囲に過剰同調(同調しすぎる)し、自己を見失うことです。また、憶測で相手の気持ちを決めつけること、沈黙して発言を放棄すること、全方位に配慮しすぎて意見を萎縮させることも「間違った空気を読む」事例です。

〇時々聞こえてくる「あいつは空気が読めない」という言い方の裏には、「読みたくても読めない」という脳の特性や、「あえて読まない」という個人の価値観、さらには「周囲が理解力の欠如と決めつけている」という観察者側の心理など、複数の要因が絡み合っています。

〇そもそも日本の「空気」は、独特な集団的な規範により支配されています。そこから外れる人を「理解力や配慮に欠ける人物」と機械的にみなし、攻撃や排除の対象とする集団心理が働きやすい傾向があります。

〇「忖度(そんたく)」とは、相手の意図や気持ちを推し量って、指示される前に先回りして行動する行為です。日本では元来「思いやり」というポジティブな意味合いもありましたが、数年前の国有地の売却問題以降、政治や仕事の場で権力や上司へ過剰に配慮する、否定的な「空気を読む」文化として注目されるようになりました。

〇また「同調圧力(どうちょうあつりょく)」とは集団の調和(「和」)を重視する文化背景から、周囲の意見や行動に合わせるよう暗黙の強制が働く現象です。空気を読むことや旧来の村社会的な名残から、日常(コロナ期のマスク等)で自分の意見を主張しづらく、集団から排除される恐怖心から発生しやすいとされています。

〇日頃から「空気を読む」は推測に過ぎず、相手の意図を正しく察知できず、独りよがりな解釈で行動してしまうことを意識していなければなりません。また自分の意見を言うと場が乱れると考え、常に「沈黙」を選んで組織の硬直化を招くこと、相手に「空気を読むこと」を要求し、言葉によるコミュニケーションを避けた、一方的な思いやりになってしまうことなどが、「間違った空気を読む」の影響です。

〇一番気がかりなのは、 空気を読むことへの過度な頑張りが、ストレスやメンタルヘルスの悪化(適応障害など)に繋がる可能性があることです。人間関係を築くことは社会で生きていくために必要なことですが、自分を押し殺したり傷つけたりして無理に行うことは、それ自体が「健康な人間関係」とは言えません。

〇「空気を読む」ということの本来の意味は、その場の雰囲気から状況を推察し、今自分は何をすべきだろうか、と考えてより良い行動ができることです。明治大学の齋藤孝教授は、その著書「友だちってなんだろう?」の中で、「協調性」について次のように書いています。

➡「協調性とは、まわりの人と同じように、同じことをすることではありません。自分が動くことで、全体がうまくいくかどうかを判断できる。考えるだけでなく、スッと行動できる。これが協調性の本質です。いまいる場所で自分が何をしたらいいのかがわかる。そして、個人的な感情、好き嫌いとか、苦手意識といったことを考えないで動ける。こういう人は社会性があるのです。」

〇3年生も4月からの進学先で「空気を読む」ことが出てくることでしょう。ただ自分らしさを失わず、出会った人たちと適度な距離感を保ちながら、自分も相手も楽しい生活を送ってほしいと思います。

須藤昌英

【3年生を見守る正面玄関前の桜】

 

3月5日(木)内づら(内面)と外づら(外面)

〇先日の米国とイスラエルがイランへの軍事攻撃を開始し、最高指導者を殺害したニュースは、衝撃が大きく多方面に影響が及んでいます。攻撃の理由は我々が理解できないことなどいろいろあるのかもしれませんが、武力で問題を解決あるいは事態を自分の思いとおりにしようとする考え方に、世界全体が自国優先主義に傾き始めていることの前兆ともとれ、恐ろしさを感じます。

〇報道によると、イラン国内では意見が大きく分かれ、極端に国民を分断させているそうです。現体制支持派は米国とイスラエルを激しく批判し報復を叫ぶ一方、反体制派や生活苦に喘ぐ人々は政権崩壊の好機としてこの攻撃を歓迎する姿勢を見せていて、国内は不穏な情勢にあります。結局のところ最後に苦しみむのは庶民であり、政治は庶民を幸せにすることを優先させるべきでは・・と感じています。

〇世界に起こる紛争の話を聞くと、連想する詩があります。坂村真民(1909~2006)氏の「バスの中で」という詩です。坂村氏については先月、「節分」という短い詩を紹介しましたが、教員を終えた後に詩人になられた方で、詩情豊かな詩が多くあります。

「バスのなかで」

この地球は一万年後  

どうなるかわからない 

いや明日  

どうなるかわからない

そのような思いで  

こみあうバスに乗っていると

一人の少女が  

きれいな花を  

自分よりも大事そうに

高々とさしあげて  

乗り込んできた  

その時

わたしは思った  

ああこれでよいのだ  

たとえ明日

地球がどうなろうと  

このような愛こそ

人の世の美しさなのだ  

たとえ核戦争で

この地球が破壊されようと  

そのぎりぎりの時まで

こうした愛を  

失わずにゆこうと  

涙ぐましいまで

清められるものを感じた  

いい匂いを放つ

まっ白い花であった  

(『坂村真民全詩集第二巻』大東出版社より)

〇混み合うバスの中の描写ですので、多くの方がバスに乗っていて、そこへ少女が大事そうに花を持って乗ってきた場面です。それに気がつかなかった乗客も多くいたと思いますが、坂村氏はそれに目を釘付けにされます。バスの中の喧噪と少女の清楚さの対比が見事に目に浮かびます。

〇坂村氏は、バスに乗ってきた少女が誰か大切な人に渡すであろう花束を、自分はもみくちゃにされても、「高々とさしあげて」守っている様子から、大切にすべきものを教えてもらったのでししょう。

〇日本でも15年前に東日本大震災で、津波で多くの人のいのちが奪われ、さらに原発事故が重なり、これから一体どうなるのか、不安の中で過ごしていました。柏市でも放射能の影響がどのくらい出るのかも分からず、右往左往していました。

〇「明日どうなるかわかならない」中でも、この少女のように一輪の花を大切にする心を失ってはならないと坂村氏は思ったのでしょう。そこで「たとえ明日 地球がどうなろうと このような愛こそ 人の世の美しさなのだ」と詠ったと推測します。

 

〇先月は、「素面(すめん)と仮面(かめん)」に関して、思春期特有の葛藤について書きました。一方でそれよりも使用頻度が高い言葉で、「内づら(うちづら・内面)と外づら(そとづら・外面)」があります。「あの子は外づらはいいんだけど、家の中では内づらがわるい」などと、よく聞きます。

〇我が家の二男などはまさにそれで、知り合いや近所の方々から「息子さんは明るくあいさつしてくれますよ」と聞いても、家庭内ではほとんどしゃべらず「ああ」とか「わかった」くらいしか意思表示をしません。最近は外で気を使っているので、「それでよいか・・」と納得?しています。

〇調べると、「外づら」は他人や身内以外の人に対して見せる、態度や顔つきのことで、一般的に「外面が良い」は愛想がよく、世渡りが上手なことを指します。また「内づら」は家族や身内など、親しい人にだけ見せる本来の顔つきや態度で、時には「内づらが悪い(家では態度が悪い)」のように表現されます。

〇このように「内づらと外づら」は、人間が他人に接する際の二面性や態度における内側(身内への態度)と外側(社交的)の対比を表す言葉ですが、本来は建物・製品の「内側・外側」という単純に物理的な側面だったようです。

〇私は「内づらと外づらが悪い」ではなく、「内づらと外づらが良い」面に注目していくことが良い気がします。内面がいい(性格がいい)人は、感謝や反省の言葉を素直に伝え、周囲への思いやりや品格を持ち、何事にも一生懸命取り組む特徴があります。常にポジティブな言葉を使い、聞き上手で他人の幸せを喜べる心優しさがあり、信頼関係を築く力に優れています。

〇また外面がいいとは、家族や身内などの内輪には愛想が悪い一方、職場や友人など外の人に対しては、笑顔で愛想よく振る舞う様子を表しています。ただ逆に表向き“だけ”感じがいい、見せかけの良さといった否定的な意味合いで使われることが多いのが残念です。

〇本校に最近、昔の教え子の一人が訪ねてきて懐かしく話をしていました。私は初任校が隣のH中でしたが、私がまだ20歳代後半の頃に教えた生徒で、「先生は昔、怖かった記憶があるよ。僕も怒られたけど、何故あの時起こったの?」と急に言われましたが、こちらはあまり覚えていません。その生徒は間もなく50歳になりますが、中学生当時から「内づらと外づら」の区別のない子でした。この話を書いていて、「あの子は2つの区別をしない勇気をもっていたんだな」と、35年近く経ってから彼の素晴らしさを実感しました。

〇論語に「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」という言葉があります。

文(ぶん)は外見の美しさ、知識、教養、文明的な華やかさのこと、

質(しつ)は 内面的な実質、人柄、素朴さ、本質のこと、彬彬(ひんぴん)は美しく調和している様子で、意味は、「内面(素朴さ・本質)と外面(教養・洗練さ)が調和して美しいこと」を指します。外見的な美しさ(文)と内面的な実質・素朴さ(質)がほどよく調和し、見事に釣り合っている様子を表す四字熟語です。類語には、「文武両道」や「内外双修」などがあります。

〇国にも人間と同様に、「内づらと外づら」があります。日本は冒頭の世界紛争に今後どのように対応していくのか?日本政府の対外的な姿勢(外づら)と国内向けの方針(内づら)は、国際社会における地位維持と国内の安定・支持率という2つの異なる目的を達成することが求められています。世界に向けた「対外発信(護憲平和国家・被爆国の立場等)」を強調しつつ、国民に向けた「対内政策(少子高齢化・物価高対策)等」をすすめているのかを注視していきます。

須藤昌英

 

3月4日(水)お赤飯と努力努力(ゆめゆめ)

〇昨日は、千葉県公立高等学校入学者選抜の結果発表がありました。入試には各高等学校ごとの募集定員がありますので、うれしい結果と残念な結果の生徒が出るのは致し方ありません。ただ言えることは、それぞれ「精一杯取り組み、努力した」という経験は今後、必ず本人にとってプラスにはたらきます。

〇文部科学省は現在、少子化や高校授業料の無償化に伴う「公立離れ」などの社会状況の変化を受け、公立高校入試への「併願制」導入や選抜方法の多角化について本格的な検討を進めています。特に千葉県を含む多くの自治体が、採用している「1校しか受験できない単願制」を見直し、複数の公立高校への出願を可能にする検討が始まっています。

〇これらの改革は、2027年度末に予定されている次期学習指導要領の改訂に向けた動きとも連動していて、今後数年で各地の入試制度が大きく変わる可能性があるそうです。ただ私としては、「改革のスピードが遅い。日本の総人口の減少が本格的に始まったのは、2009年からであり、その前からも少子化になることは言われていたのだから、もうそれから20年近くも経過しているのに・・」という本音があります。

〇とりあえずはこの時点で、来年と再来年の入試の大きな変更点は通知されていませんので、2年生や1年生は今の3年生が取り組んできた入試を参考にしてください。もちろん今後新しい情報が入りましたら、すぐにお知らせします。

〇3年生は今日が最後の給食です。高等学校などには給食が無いのが一般的ですので、多くの生徒は人生最後の給食になる可能性もあります。数人の3年生には、「給食を食べたかったら、将来は小中学校の教員になってください」と話しかけました。

メニューは、「赤飯、鶏肉のから揚げ、磯香和え、かぶのすり流し汁、アセロラゼリー、牛乳」です。

〇お赤飯がお祝いの席に出る理由は諸説ありますが、古来より赤色には「邪気を祓う(魔除け)」や「災いを避ける」という呪力があると信じられていたためです。神様への供物として赤米を炊く風習から、江戸時代以降は小豆で色づけた赤飯が定着し、縁起を担ぐ料理(厄除け・幸福・お祝い)として親しまれるようになりました。

〇特に赤い色には悪いことを避ける力があるとされ、お祝いの席での災いを防ぐ意味が込められています。またもともと高級品であった米を赤く染めて神様に捧げる風習があり、その「おさがり」を食べることで神聖な力を得ると考えられていました。

〇そしてお祝い事の節目に縁起を担ぎ(福を呼ぶ)、悪いことを避けて幸運を呼び込むための健康・長寿を願う料理とされています。現代でも入学、結婚、お食い初めなどの人生の節目に、災いを避けて幸福を願う日本の大切な食文化です。

〇この時期になると思い出す言葉があります。「努力努力(努努)」と書いて「ゆめゆめ」と読みます。何となくきれいな読み仮名です。数年前にこのことを初めて知った時から、強く印象に残っている漢字です。「夢夢」ではなく、「努力努力」つまり「努(つと)めよ」が強調されています。

〇私も古い言い回しとして、「ゆめゆめ おこたるること なかれ(決して怠ってはいけない)」などは知っていました。後ろに禁止の言葉をつなげて、「決して~するな」の意味で使われていることもあります。しかし「努力努力」という字をあてるとは思っていませんでした。

〇「努力」とは「目の前のことを心を込めて行う」ことですが、この言葉から私の受ける印象は、どちらかというと親や先生から「努力しなさい」と言われてきたこともあり、とても窮屈で強制されるイメージです。教育論でよくテーマとなる「厳しくするか甘やかすか」の中では、大人が子どもを外的にコントロールするイメージに近いです。

〇同様の意味で私などは「精進」という言葉の方が「自ら(内的コントロール)」のイメージがもてるので前から好んで使ってきました。「精」の字は、「こころ。たましい。気力」の意味がありますので、「1つの事柄に精神を集中する」という「努力」と似た意味と捉えています。

〇こちらは仏教に由来している語ですが、日本語には仏教から影響を受けた言葉が多く、例えば「挨拶」「玄関」「経営」など普段から生活の中でよく使用されているものは、すべて仏典からきています。

〇まさに学校は生徒たちが「努力(精進)するための場」であり、失敗をしてもその原因を明らかにしながら、次の成長へつなげていくところですので、生徒にはチャレンジする気持ちをもってもらいたいと常々思っています。

〇「努力」の言葉から、アメリカの発明家(蓄音機や白熱電球など)の「トーマス・エジソン」を連想します。幼い頃に伝記を読みましたが、彼は大変な努力家で、新聞を売りながら自分でコツコツと貯金し、自分の実験室を作ったそうです。そのエジソンが「努力」について、「天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である」という言葉を残しています。

〇また相対性理論でノーベル賞を受賞した理論物理学者の「アルベルト・アインシュタイン」にも多くの格言がありますが、その中に「天才とは努力する凡才のことである」というものがあります。天才のように思われがちなアインシュタインですが、実際は努力によって多くのアイデアや真理を見出した人でした。

〇平安時代初期の僧だった空海(真言宗の開祖:別名弘法大師)は、当時の日本におけるケタはずれの天才であり、書の達人、土木技術のエキスパートなどの複数の実績があります。

〇空海についての本を読むと、彼が若い頃に遣唐使として中国に渡り密教について学び、帰国する際に中国人の師匠から、「早く日本に帰って密教を伝えなさい・・・努力努力(ゆめ ゆめ)つとめよ」と言われたそうです。その後日本中で活躍されたことは有名であり、市内にある布施弁天東海寺にもその伝説があります。

〇今の生徒には前のように「努力しなさい」というよりも「自分の好きなことを究めなさい」と言った方がよいと最近は感じるようになりました。また「決してするな!」のように禁止の文脈で使われるよりも、好きなことに努める方が前向きです。好きなことはやっていれば楽しいし、楽しいから夢中になれるし、好きだからそれに熱中できて「努力」が継続できると思うからです。それが本来の「ゆめゆめ」の真意だと感じています。

〇「立つ鳥 跡を 濁さず」ということわざがあります。3年生は来週の卒業式に向けての練習や奉仕活動に取り組んでいます。ここまで努力を重ねてきて、4月からの新天地での飛躍に向け、今は飛び立つ羽を羽づくろい(プリ―ニング)している最中です。

須藤昌英

 

3月3日(火)雛祭りと自己承認欲求(「いいね!」の功罪)

〇本日の9時に、千葉県公立高等学校入学者選抜の結果が発表されます。ここまで目標に向かって精一杯準備してきた彼らの姿を身近に感じてきたので、「どうか全員に・・・良い結果を」と今朝は職員一同で祈っています。

〇昨日の1・2校時に、助産師の小路和子さんをお招きして、3年生を対象にした「いのちの授業(性教育)」を行いました。人間のライフサイクルの中の成長期・思春期、性のあり方の4要素、人権と他人との距離感、望まない妊娠や性感染症の予防、子宮頸がんワクチン、正しい情報の取り方等、すでに「新しい命を産みだすことができるようになっている中学生」に学んでもらいたいことばかりでした。

〇今日の給食はひな祭りをお祝いして、「五目ちらし寿司、高野豆腐の田舎煮、うずら卵入りすまし汁、黄桃缶、大豆小魚、牛乳」です。ひな祭りの起源は、平安時代の貴族の子女の遊びだった「ひいな遊び」と、その後災いを人形に移して川に流す「流し雛」という禊(みそぎ)の風習が合わさったものと言われています。本来は男女の区別なく、子どもの健やかな成長と幸せを願って伝わってきたものです。我が家でも24年前に購入した娘のひな人形を飾っています。

〇日本に中国から伝来した風習はたくさんあり、日本の文化や生活と混ざり合うなかで定着してきました。特に江戸幕府が重要な以下の節句を公式の祝日に制定したことが、現代に伝わる「五節句」のルーツといわれています。1月7日 人日の節句(七草の節句) 

3月3日上巳の節句(桃の節句) 5月5日 端午の節句(菖蒲の節句) 7月7日七夕の節句(星まつり) 9月9日 重陽の節句(菊の節句)

〇七草の節句以外はすべてに「奇数が重なる日」になっています。これは陰陽五行説において「奇数=陽(発展)・偶数=陰(不安定)」ととらえるなかで、奇数同士を足して偶数になる日は、「陽から転じて陰になりやすい」とされていたことから邪気をはらうための行事を行ったことが主な理由のようです。とても数学的な背景があります。

〇人間が社会の中で生きていく際には、様々なことに葛藤したり悩んだりしながら、理想を求めて日々過ごしています。その背景の一つとして、アメリカの心理学者マズローが提案した「欲求5段階説」があります。これは、人間の欲求を5段階のピラミッドに分けて考える古典的心理学理論です。

〇その中でも上から2番目の欲求である「承認欲求」は、誰もが持つ本能的な欲求であるとされています。「自分を良く見せたい、周りからよく見られたい」という劣等感に近い感情(自己肯定感の低さ)は、自己承認欲求と位置付けらます。

〇前任校のHPにあった「校長ブログ」には、下欄に「いいね!」の機能がありました。私としては「なくてもいいかな?」と思い、本校ではその設定を解除しています。ただ実際に「いいね!」があった時は、全く気にしないわけにはいかないのが人情です。上述のように私たちは誰しも「誰かに認められたい、受け入れられたい」と思う気持ちを持っていますので、その心理が無意識に働くのだと思います。

〇その「いいね!」という機能について、功罪(長所と短所、メリットとデメリット)があるとも感じます。生徒たちも様々なSNSを使って情報発信をすることが当たり前になっている中で、一喜一憂しているという例も多く聞いています。

〇「功」の面からは、まず「人との共感性の見える化」があります。自分の意見や価値観に共感してくれた人数がわかれば、確かに悪い気はしません。しかもその相手が目の前にいなくてもいつでも「いいね!」がもらえ、満足感を得られるのが「いいね!」だとも言えます。

〇また前述の「承認欲求の充足」では、特に中学生など思春期の若者は、自分の意見や価値観に自信がなかったり他人との比較を重要視することが多かったりします。そこで「いいね!」は自分の考えを肯定してくれ、社会から認められているという感覚を与えてくれます。

〇さらに「所属感の獲得」が挙げられます。「いいね!」は不特定多数の他人からの賞賛の声や同意の証として機能します。この「いいね!」をもらえる機会が増えると、それだけ社会集団の一員として帰属意識が芽生えます。要するに、自分にとっての居場所が確保できたと受け止めやすい状況が作れるのです 。

〇一方で、今度はSNSの「いいね!」が現代の人間心理に与えた「罪」については、段々と「もっと認めてほしい」などの依存性が出てくることがあります。これは心理学では「強化」と呼ばれています。依存性からさらに中毒性になると、治療が必要にもなるそうです。

〇厄介なのは、もっと「いいね!」がもらえるように発信の回数が極度に増えたり、内容も「受け」を狙うようになり真実や自分の本当の気持ちからも乖離したことを発信するようになったりします。つまり、心の中が「いいね!」に支配されてしまい、「いいね!」がないと不安になったり焦ったりします。

〇さらにSNSを確認する回数や時間が増えると、画面を注視して視力の低下や頭を少し前し続ける姿勢が続くなど身体への影響が免れません。時には心身の不調を覚え、日常生活を送ることにも支障が出る場合もあります。

〇また「喪失感や空虚感を抱きやすい」面が出てきても、自分では実感が湧きにくく気が付かないという特徴があります。最初は「いいね!」がもらえて単純に喜んでいたのに、次第にその嬉しさが減り、虚しさや悲しさを感じやすくなります。これは「いいね!」を追い求めた反動としてのネガティブな感情の生起で、注意が必要です。

〇これを書きながら「大人も同じような所は少なからずあるなあ・・・」と感じました。先日の「デフォルト・モード・ネットワーク(ぼんやりとした脳の状態)」とも関連しますが、自分の欲求を把握してある程度コントロールできるようになればいいな・・と感じます。

須藤昌英

 

3月2日(月)面倒くさいほど面白い

〇3月に入りました。1ヶ月後には3年生は進学先での新生活をスタートし、1・2年生はそれぞれ進級しています。3月は「お別れの月」で、学校の卒業や年度末の転勤・転職、お引越しなど、慣れ親しんだ人や環境との別れが重なる季節です。寂しさとともに成長や新たな門出への期待を感じる時期であり、この経験が人生を豊かにする節目とされています。

〇来週の卒業式の校長式辞の最終校正に入っています。ここまで約2ヶ間構想を立ててきましたが、私はこういう場合に、この1年間をじっくりと振り返りながらまず伝えたいキーワードを絞ります。そしてそれをつなげていくという手法をとります。

〇今回のキーワードは、「学び成長し続ける、自分で考える、失敗と成功、自立と自律、脳と身体・・」等々ですが、一番のパワーワードは、「面倒くさいほど面白い」です。「パワーワード」とは最近よく聞くようになった言葉で、一度聞いたら忘れられないほど、強烈なインパクトや影響力を持つ言葉のことのようです。SNSで広まったネットスラングですが、簡単な英語なので私もよく使います。

〇以前に「面白い」について書きました。逆説的になりますが、私は自分の経験からも、「面倒くさいほど面白い」という概念は、単なる苦労話ではなく、「手間暇をかけるプロセスそのものが楽しみや達成感に変わる」という心理的・実体験的なメカニズムが潜んでいるように思います。

〇「面倒」と「面白い」は同じ「面(おもて)」の字が入っています。どちらも「面(おもて/顔)」の様子が由来になっている面白い言葉の並びです。これに注目し調べると、

面倒(めんどう)➡顔(面)が倒れる、すなわち顔が下を向くほど手間がかかる、大変だという意味。

面白(おもしろ)い➡目の前が明るく(白く)なるような状態。視界が開けて楽しい、心地よい様子。

〇私で言えば、自宅で時々ですが、夕食後の食器洗いをします。やり始めは気が重く、特に「やらされ感」を持っていると、上手くはかどりません。何かの本で、「人間はやらされていると思うと紙一枚でも重く感じるが、あの人の為と思うと鉄の塊でも軽く持ち上げる」と書いてあるのを読んだことがありますが、その通りだと思います。

〇しかし何も考えずにやり始めると「この順番で洗った方が効率がいいかも・・」とか「次回は~してやってみようかな・・」のように工夫をし始めます。すると不思議にやらされ感覚はまったく消え去り、自らやってみようの心境に変化しています。このように心理・脳科学的な背景も理解しておくと「やる気」のスイッチになります。

〇前にも「火事場の馬鹿力」について書きましたが、「面倒」は脳の防御反応ともいえます。脳はエネルギー消費を避けるため、新しいことや負荷がかかることを「面倒くさい」と判断します。しかし、その「面倒」な障害を乗り越えた時、脳はドーパミンを放出し、大きな面白さという達成感)を得られるのです。これが習慣化すれば面倒くさいことをやればやるほど幸せになれると思います。

〇「面倒くさいほど面白い」の例としては、先ほどの皿洗いや手間がかかる料理(スパイスからカレーを作る)、プラモデル、手間のかかるDIY、アナログな手書きの年賀状など、非効率的だがこだわりに喜びを見出すことなどがあります。

〇テレビコマーシャルで、タレントのタモリが昔ながらのレコード盤の埃を丁寧に取り去っているところへ、宮沢りえが「面倒くさくないですか?」と言葉をかけます。するとタモリが「この面倒くさいのがいいんだよ」と言い返す場面があります。これは自分の趣味へのこだわりを感じさせるやり取りですが、他人から見れば人の趣味なんて「面倒くさい」ことなのでしょう。

〇生徒たちでいえば、ゲーム・パズルなどは難易度が高いほど、それをクリアするまでに時間がかかりますが、このような「やりこみ要素」の多いゲームほど面白いのです。趣味の作業の仕組み化や面倒くさい仕事(タスク)を効率化するための「仕組み」自体を構築することも面白さの一つです。

〇「面倒」を「面白い」に変えるコツとしては、「とりあえず5分だけやる」ことにし、最初のハードルを極限まで下げます。また完璧を目指さず、60%の出来でも良いと割り切り、完了した後の「爽快感」や「メリット」に意識を集中させるなど結果のメリットを再確認するとよいでしょう。「面倒くさい」と感じた時、それは「面白いこと」に化けるチャンス、と捉えるのがこの考え方の本質です。

〇また同じく「面」がつく言葉に「真面目(まじめ)」があります。一般的にこれは良い意味で使われますが、一つ注意があると思います。真面目な性格の人は、責任感や誠実さが強みですが、抱え込みや完璧主義で心身を壊しやすいリスクがあります。特に周囲を頼りにする(相談する)や適度に手を抜く(断る)、完璧を求めず柔軟性を持つという点にを心がけると良いと思います。

〇私の経験でからも言葉は汚いすが、「くそ真面目」は自分を非常に窮屈にし、時には辛くなることもあり、「面白く」ありません。適当に肩の力を抜いて、やるべきことをやったら、「あとはお任せ」くらいの心境でちょうどよいバランスだと思います。

〇生徒にとって「面倒くさい」の筆頭は、学習かもしれません。先日、「ちば!教職たまごプロジェクト」で今年度週1回のインターンシップを行ってきた大学3年生が最終日とあって、1年生に数学のトピック授業をしてもらいました。

〇内容は数学の平面図形の探究になる「一刀切り」で、紙に書かれた三角形をまずは折って、その後ハサミで三角形を一回だけまっすぐ切って切り抜くというものです。ポイントは切り取るのではなく、ハサミで一太刀(ひとたち)するところです。

〇生徒たちは黙々と手を動かし始めましたが、なかなか上手くいきません。紙がグチャグチャになって途方にくれる生徒もいます。静かに紙を折る音だけが響いています。困った時には宙に透かしてみたり、ブツブツとつぶやいてみたりする生徒もいます。机の上にはいびつな形をした失敗作も見られるようになりました。

〇すると「出来た!」「もう少しだ!」と、成功に近づいた生徒が声を出しました。するとそれを聞いたクラスはまた「~こうかな?」「そうだ~してみよう!」と熱気が増してきました。

〇実は生徒には事前に、「任意の多角形は角の二等分線とその交点から辺に下ろす垂線で折ることで一刀切りが可能」となることは教えていません。なぜならその正解が重要ではなく、それに至るまでの移行錯誤が尊いのです。まさに「面倒くさいほど面白い」です。

〇今後もこの授業のように、課題と向き合い探究し、失敗と成功から粘り強く法則を見つけ出す力を身につけてほしいと思います。

 

須藤昌英