校長雑感ブログ

2026年3月の記事一覧

3月10日(火)ヒトはなぜ、歩くのか?(その2)

〇昨日、「昔の【野球】と今の【Baseball】は、ルールは同じでも、「全く異なるスポーツだ」と思います」と書きましたが、そもそも今の日本の中心選手であるメジャーリーガーの大谷選手などは、長男と同じ年齢ですので、違って当たり前です。

〇しかしこれを質問形式にし、AIにあえて尋ねてみました。回答は、

「その感覚、非常に鋭いものだと思います。一見同じスポーツに見えても、その内実や哲学において、かつての【野球】と現代の【baseball】は確かに別物と言えるほどの変化を遂げています。」と褒められてしまいました。ただ褒められると人間はうれしいものです。

〇昔の「野球」が「男の子がスポーツをやるとすれば野球くらいしかなかった」ことや「大人と子どもの共通の楽しみだった」などであったのに対し、現代の「baseball」は「グローバルなエンターテインメント・ビジネス」へと変わったと言えるかもしれません。これ以上書くと、止まらなくなるので止めますが、今の子どもは自分の好きなスポーツを昔よりも広い選択肢から選べるので、幸せだと思います。

〇今日は卒業式の予行練習を行います。

卒業式の予行練習には、本番を円滑かつ厳かに行うための実務的な確認と、生徒の心の準備という目的があります。

〇まず式典を中断させることなく進行させるためのシミュレーションです。入場から卒業証書授与、退場までの一連の流れを当日と同じ時間配分で確認します。また卒業証書の受け取り方、礼のタイミング、歩く経路などを実際に行います。音響等の係が伴奏やマイクの音量、照明の調整など、裏方の動きも含めた最終点検を行います。

〇また厳粛な雰囲気を作り出し、卒業生としての自覚を高めます。本番と同じ環境で練習することで、当日の過度な緊張を防ぎます。さらに式の流れを体験することで、これまでの学校生活を振り返り、保護者や教職員への感謝を伝える心の準備を整えます。卒業式は「最後の授業」とも捉えられ、教育課程を修了するという節目を実感させ、卒業の自覚を促します。

〇特に参加する生徒が、自分の体調管理の確認を行えるようにします。長時間立ち続けたり座り続けたりすることが可能か確認し、当日の体調不良への配慮や対策を練ります。

〇昨日紹介した雑誌「Tarzan」にもう一人、元陸上競技日本代表で現在は会社代表をしている為末大氏の「歩いていると、どんどん思考が深くなります」という記事も注目に値します。

〇為末氏は、男子400mハードルの日本記録保持者で、2001年世界選手権で日本人初の銅メダル、2005年ヘルシンキ世界選手権で銅メダルを獲得。 初めて日本人が世界大会トラック種目で2度メダルを獲得するという快挙を達成しています。このようなトップアスリートの考えは説得力があります。また一部を引用させてもらいます。

「25年間のアスリート人生にピリオドを打ったのは、12年前。カラダを鈍らせないため、引退後はジムに通ったりランニングしたり。でも筋トレは性に合わず、ランでは現役時代に酷使した膝に痛みが生じがちでした。それで7.8年前くらいから歩き始めました。歩いているだけで思ったより太らないし楽しい。だったら歩きでいいかなと。ランとウォークでは体感的にエネルギー消費量gは数倍違うような感じがしますが、実際には30分走るのと1時間歩くのとではそんなに違わないんです。(略)現在のところ、一日の目標歩数は1万2千歩程度。都内なら目的地の2.3駅前で降り、散歩感覚で歩く。(略)僕は油断すると『そもそも○○とは何か?』と考えてしまうんです。その考えを巡らせている間はほとんど歩いています。歩いていると思考がどんどん深くなっていきますね。電車の中での移動中に本を読んで、そのまま電車を降りて歩きながら自分の頭で考えて、たどり着いたカフェで何かを書き始めるときれいなコンポ(組合せ)になります。思うに、脳内の接続みたいなものは脳の活動だけではつくりだすのは難しいんじゃないかと。基本的に人間は狩猟採集活動をすることで脳の接続を進化させてきました。だから身体活動で血流がよくなって異なる接続パターンが生まれたときに、ひらめきが得られると思うんです。

〇この記事を読む前から為末氏については、現役選手にもかかわらず知的なイメージがあり、引退後も身体に関する様々な本も書いたりYou-tubeでも多くの動画を投稿したりしていましたので、関心をもっていました。特に上記の内容では、「思考と身体の関連性」について、特別な人だけの限られた感覚ではなく、誰でも身近に経験していることを書いているところに一番感心しました。これは昨日の青山学院大学の福岡教授と共通です。

〇先日のブログに、人間の脳は、「ボーッ」としている方が、何かを考えているときよりも多くのエネルギーを使っていて、そのデフォルト・モード・ネットワークが働いているときは、あらかじめ蓄えられた情報がそれぞれ結びつきやすくなり、新しいアイデアや発想が生まれやすくなる、つまり「創造性」に富む可能性があると書きました。これとも通じるものがあります。

〇私がこのブログで研究者や専門家(見識者)などの話を引用する場合に、「人間の身体や宇宙の神秘みたいなことが多いのでは・・・?」と読んでお感じになっていられる方もいると思います。それはその通りで、私の一番の関心は常にそこにあります。

〇脳も含む人の身体はまだまだ不明瞭な部分が多く、これから解明されるだろうと思われるものもあります。例えば、「なんで手や足の指は5本なのか?」「どうして心臓の位置が少しだけ左寄りなのか?」など、まだまだあります。またそれは未知な宇宙を研究している方々のテーマと同じではないか?と思っています。

〇身体や宇宙の話からいつも連想するのは、生徒たちの可能性の無限さです。自分が中学生くらいの頃、「将来自分はどんなことができるようになるのか・・?」とか「でも今のままで大人になっても大したことはできないのではないか・・?」などといつも期待と不安が入り混じっていました。

〇でも60年以上生きてきて今は生徒たちに、「大丈夫、あなたたちには自分でやろうと思ったことを実現するための力が、もうすでにその身体に潜んでいるからね」と自信をもってアドバイスできます。ただ最近は、そういうことを校長という立場ではなく、ただの大人として伝えてあげなければいけない・・と感じます。

〇歩くこともその一つです。「歩くことなんてただの移動にすぎない・・」と私も若いころには割り切っていました。また思春期には時々部屋に閉じこもってあれこれと考えることも大切ですが、それに飽きたら思い切って外へ出て、自分の五感で感じたことを大切にしてもらいたいです。

須藤昌英

3月9日(月)ヒトはなぜ、歩くのか?(その1)

〇先週末から野球の世界大会「WBC(World Baseball Classic)」が始まり、日本が順調に勝ち進んでいます。私はそんなにスポーツ観戦に熱心ではありませんが、幼少期から高校時代まで熱中して取り組んだ野球だけは、どうしても他のスポーツとは違いシビアに観てしまいます。しかしこのことを書くと、止まらなくなるので詳細は触れませんが、一言で言えば、私がやってきた昔の「野球」と今の「Baseball」は、ルールは同じでも、「全く異なるスポーツだ」と思います。

〇今回の大会で気になるのは、地上波によるテレビでは放映されず、サブスクリプション(商品やサービスを、月額や年額などの一定の料金を支払うことで、期間内は自由に「利用(定期購読)」できるサービス)でしか観られないことです。我が家は二男が個人で契約していたので、自宅で一緒に観ることができましたが、これも今までになかったことで、やはりこちらも「時代が変わったのだ」と感じます。

〇先日の3年生を送る会で卒業生たちには私から、「卒業式の主役は皆さんはもちろんですが、もう一人は皆さんの保護者の方々です」と話をしました。「その理由は中学校を卒業することは同時に、義務教育9年間を修了することであり、その義務とは皆さんにあるわけではありません」と続けました。

〇義務教育の「義務」は、子どもを持つ保護者(親)に課せられたもので、憲法第26条第2項に基づき、「保護者は満6歳から9年間、子女に普通教育を受けさせる義務を負う」とあります。それに対し、子どもは「教育を受ける権利」を有しており、義務を負うのは親側であることが明確にされています。

〇権利とは法律上で認められた「利益を享受・請求できる自由な資格」であり、義務は「法律上果たさなければならない拘束や責任」です。この2つはセット(表裏一体)の関係にあり、例えば社会人が「企業から給与等をもらう権利」に対して、その報酬に見合う「労働を企業に提供する義務」があるなどがあります。

〇本校では、卒業式会場の配置が、卒業生の後ろに保護者席、後ろに在校生です。校長として私は3校目ですが、これは初めてです。卒業式の内容はすべて各学校に委ねられており、各校ともバラバラです。冒頭の理由から、本校の席の並びはとても良いと感じています。

〇中学3年社会科「公民」の主な狙いは、生徒が現代社会の仕組みや課題を理解し、平和で民主的な社会の形成者として主体的に生きるための資質・能力の基礎を養うことにあります。生徒は授業の中で人間としての在り方・生き方の自覚することの必要性や多様な価値観が存在する社会の中で、自己を深く理解し、広い視野に立って生きていく力をつけてきました。

〇今日から今週の卒業式まで、あと3日となりました。明日は予行練習、明後日は前日準備となります。3学年は特別日課で式練習や学級活動を行っています。生徒たちには3学年がそろって生活する残りの日々を大切にしてもらいたいです。「約束しなくても会える日」はあと3日です。

○二年前の雑誌「Tarzan」に、生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一氏が、表題のテーマで随筆を投稿しています。一部を引用させてもらいます。

○副題に「誰に教えてもらわなくても、ヒトはあるとき歩き始める。実はそれは、生き物としてのとても希有で難しいアクト。大人になると我々は歩くことを億劫に感じてしまう。実はそれは、生き物としての在り方から遠ざかる行い。そもそも『歩く』という行為にどんな意味があるのか?」とあります。その後3章で論じています。

➡CHAPTER1(直立二足歩行の恩恵)

○人間は生物の中でも非常に特殊な存在です。特殊性の一つは直立二足歩行をするということ。アライグマは立てますが一瞬ですし、鳥やかつて存在していた恐竜は二足歩行ですが体幹が前傾していて直立ではありません。重心が足の真上にあってすっくと立って歩けるのは人間だけなんです。

○それ以前に比べて高い所から遠くを見渡せるようになり、獲物や敵をより早く見つけるようになりました。また手が使えるようになって、道具が扱えるようになり、同時に手をコミュニケーションの道具として使えるようになりました。肉親や友達などの手助けをし、これが他者と共存し共生する、利他的な行為になったと考えられます。

➡CHAPTER2(歩きこそ、動的平衡)

まず2本の脚で立つということが難しいんです。カラダの中を血液が循環していたり呼吸をすることで重心が常にゆらいでいるので、常にバランスを取り直さなければならないからです。この動きながらバランスを取ることが生きていることの本質、動的平衡です。

歩いて前に進むには一歩踏み出さなければならない。その結果、一本脚で立つ瞬間が生まれます。これは立つ以上に不安定な状況。でもあえて不安定な状態をつくり出すことによって、前に進む推進力を生み出す。そして不安定さを回収するために次の一歩を踏み出す。

➡CHAPTER3(生物の老いと、歩き)

「エントロピー増大」という宇宙の大原則があります。これは形あるものはいずれ必ず形がなくなる方向にしか動かない。(略)歩くという行為も同じで、元気な時は脚を高く上げて大きな不安定さをつくり出せますが、歳を取ると筋力が衰えて、推進力も鈍くなります。

「動物は常に新しい環境を求めて動き回ります。(略)ところが今は、インターネットやAIが何でも教えてくれる。自分自身が移動して新しい者を探索するのではなく、寝転んでネット世界に触れられるので動いているという錯覚に陥ります。でもこれでは、エネルギー代謝も鈍るので、動的平衡の行為を放棄することになってしまいます。

最後に・・。脳は五感からさまざまな外部情報を取り込んで、それを交通整理する器官。予測不能な自然の中で感覚器官を全方位的に開いているときこそ、新しい思考が浮かんできます。歩こう。水辺を、公園を、森の中を。」

〇いかかでしょうか?歩くという当たり前のことも、人類史上では多くの経緯があってのことだとわかります。私も意識して月に数度は、徒歩・電車、自転車で出退勤をしています。自宅から学校へは7㎞ですが、朝や夕方に歩いたり自転車に乗ったりしていると、見慣れた風景でも新しい発見があって楽しくなります。自動的に様々な思いや新しい考えが整理されているような感覚を覚えます。

〇3年生との校長面接では、「何かを覚えたりするときに歩いたり口に出したりすると記憶に残りますよ」と数人にアドバイスしました。まさに福岡教授が指摘しているとおり、手足などの感覚を研ぎ澄ますことは、良い面が多くあります。人口知能AIは、自分の興味や関心などに関係なく多くの知識を蓄えていますが、ヒトは好きなことや知りたいことを徹底的に探究すれば良いので、その為には歩くのも有効です。

須藤昌英

3月6日(金)卒業の歌と「空気を読む」

〇卒業式で3年生が歌う『群青』は、作詞が福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生、作曲が小田美樹氏となっています。中学校教諭の小田美樹先生が、東日本大震災後、ふるさとが原発事故によって、いつ故郷に帰れるとも分からない中学生の心情に寄り添って作曲した合唱曲です。最近では卒業式の定番ソングとなっていて、いろいろな学校で歌われています。

〇小田先生は制作秘話として、「教育音楽ONLINE」というネットサイトのインタビューで、次のように語っています。一部を紹介します。

➡「詩をつくるときに心がけたのは、直接的な言葉を使わないこと。地震・津波・死……それから【会えない】などの否定的な表現です。【明日も会えるのかな】という歌詞も、実際には放課後に話し込んでいた子たちに私が『早く帰りなさい』と促したときの、彼女たちの『明日もう会えないかもしれないんだよ!』という言葉でした。」

➡「授業では、各地に避難していった仲間たちの写真を日本地図に貼って大きな作品をつくることに(今思えば酷なことだったかもしれません)なりました。友達の写真を貼りながら『こんな遠くにいるんだ』と泣き出した子もいました。すると、そこで鉄道好きの男の子が『この電車に乗れば、この道を通れば行ける』と説明してくれ、『それに、空はつながっているからね』と言ったのです。

➡「彼の言葉は私の心にずしんと響きました。【空はつながっている】と歌う曲を、私は何度となく聴いてきましたが、その子の言葉はそれらの歌詞とはまったく違う印象で、さらに言えば、それまでにその言葉を使って詩をつくってこられた方々の思いが、初めて本当に分かった気がしたんです。そんなふうに、私も被災者として精いっぱいの日々を送る中で、子どもたちから気づかされることや、慰められることがたくさんあって、それを記録しておきたいという気持ちは、自分のためでもあったのかもしれません。この彼の言葉は【君も同じ空 きっと見上げてるはず】という歌詞になりました。」

〇あの大震災から来週の11日で15年という月日が経過します。まさにその年度内に生まれた3年生が、ここまで成長した姿で練習に臨んでいるのを見ると、目頭が熱くなります。

〇「どんな思いでこの曲を歌えばいいのですか」という質問に、小田先生は次のようにアドバイスしています。「この曲を通して震災について知り、私たちの背景を汲んで歌ってくださるのはありがたいです。でも、卒業式の合唱として選曲してくださる方は、【またここで会おう】というメッセージや一緒に見た光景・一緒に感じた感情というところに共感してくださっているのでしょう。どの地域の中学生も思い悩みながら3年間を過ごしているだろうし、その気持ちをのせて歌っていただければうれしいです。」

〇次の卒業式実行委員を中心に、自主的な練習が素晴らしいです。

1組 池田皇羽さん 山田結心さん 米山 涼さん

2組 池田 遥さん 軍司漱磨さん 鈴木大遥さん 中條美琴さん

〇3年生は昨日、学年でレクリエーションをグラウンドで行いました。北風が吹いていましたが、青空の下で楽しそうでした。

〇昨日は内づら(内面)と外づら(外面)について書きましたが、特に外づらがいい場合に、気になるのが「その場の空気を読む」です。本来「その場の空気を読む」とは、周囲の状況や雰囲気を瞬時に察し、今自分が何をすべきか(あるいはすべきでないか)を判断して適切に振る舞うことを指します。

〇しかし「空気を読む」の誤った解釈は、自身の本音を押し殺して周囲に過剰同調(同調しすぎる)し、自己を見失うことです。また、憶測で相手の気持ちを決めつけること、沈黙して発言を放棄すること、全方位に配慮しすぎて意見を萎縮させることも「間違った空気を読む」事例です。

〇時々聞こえてくる「あいつは空気が読めない」という言い方の裏には、「読みたくても読めない」という脳の特性や、「あえて読まない」という個人の価値観、さらには「周囲が理解力の欠如と決めつけている」という観察者側の心理など、複数の要因が絡み合っています。

〇そもそも日本の「空気」は、独特な集団的な規範により支配されています。そこから外れる人を「理解力や配慮に欠ける人物」と機械的にみなし、攻撃や排除の対象とする集団心理が働きやすい傾向があります。

〇「忖度(そんたく)」とは、相手の意図や気持ちを推し量って、指示される前に先回りして行動する行為です。日本では元来「思いやり」というポジティブな意味合いもありましたが、数年前の国有地の売却問題以降、政治や仕事の場で権力や上司へ過剰に配慮する、否定的な「空気を読む」文化として注目されるようになりました。

〇また「同調圧力(どうちょうあつりょく)」とは集団の調和(「和」)を重視する文化背景から、周囲の意見や行動に合わせるよう暗黙の強制が働く現象です。空気を読むことや旧来の村社会的な名残から、日常(コロナ期のマスク等)で自分の意見を主張しづらく、集団から排除される恐怖心から発生しやすいとされています。

〇日頃から「空気を読む」は推測に過ぎず、相手の意図を正しく察知できず、独りよがりな解釈で行動してしまうことを意識していなければなりません。また自分の意見を言うと場が乱れると考え、常に「沈黙」を選んで組織の硬直化を招くこと、相手に「空気を読むこと」を要求し、言葉によるコミュニケーションを避けた、一方的な思いやりになってしまうことなどが、「間違った空気を読む」の影響です。

〇一番気がかりなのは、 空気を読むことへの過度な頑張りが、ストレスやメンタルヘルスの悪化(適応障害など)に繋がる可能性があることです。人間関係を築くことは社会で生きていくために必要なことですが、自分を押し殺したり傷つけたりして無理に行うことは、それ自体が「健康な人間関係」とは言えません。

〇「空気を読む」ということの本来の意味は、その場の雰囲気から状況を推察し、今自分は何をすべきだろうか、と考えてより良い行動ができることです。明治大学の齋藤孝教授は、その著書「友だちってなんだろう?」の中で、「協調性」について次のように書いています。

➡「協調性とは、まわりの人と同じように、同じことをすることではありません。自分が動くことで、全体がうまくいくかどうかを判断できる。考えるだけでなく、スッと行動できる。これが協調性の本質です。いまいる場所で自分が何をしたらいいのかがわかる。そして、個人的な感情、好き嫌いとか、苦手意識といったことを考えないで動ける。こういう人は社会性があるのです。」

〇3年生も4月からの進学先で「空気を読む」ことが出てくることでしょう。ただ自分らしさを失わず、出会った人たちと適度な距離感を保ちながら、自分も相手も楽しい生活を送ってほしいと思います。

須藤昌英

【3年生を見守る正面玄関前の桜】

 

3月5日(木)内づら(内面)と外づら(外面)

〇先日の米国とイスラエルがイランへの軍事攻撃を開始し、最高指導者を殺害したニュースは、衝撃が大きく多方面に影響が及んでいます。攻撃の理由は我々が理解できないことなどいろいろあるのかもしれませんが、武力で問題を解決あるいは事態を自分の思いとおりにしようとする考え方に、世界全体が自国優先主義に傾き始めていることの前兆ともとれ、恐ろしさを感じます。

〇報道によると、イラン国内では意見が大きく分かれ、極端に国民を分断させているそうです。現体制支持派は米国とイスラエルを激しく批判し報復を叫ぶ一方、反体制派や生活苦に喘ぐ人々は政権崩壊の好機としてこの攻撃を歓迎する姿勢を見せていて、国内は不穏な情勢にあります。結局のところ最後に苦しみむのは庶民であり、政治は庶民を幸せにすることを優先させるべきでは・・と感じています。

〇世界に起こる紛争の話を聞くと、連想する詩があります。坂村真民(1909~2006)氏の「バスの中で」という詩です。坂村氏については先月、「節分」という短い詩を紹介しましたが、教員を終えた後に詩人になられた方で、詩情豊かな詩が多くあります。

「バスのなかで」

この地球は一万年後  

どうなるかわからない 

いや明日  

どうなるかわからない

そのような思いで  

こみあうバスに乗っていると

一人の少女が  

きれいな花を  

自分よりも大事そうに

高々とさしあげて  

乗り込んできた  

その時

わたしは思った  

ああこれでよいのだ  

たとえ明日

地球がどうなろうと  

このような愛こそ

人の世の美しさなのだ  

たとえ核戦争で

この地球が破壊されようと  

そのぎりぎりの時まで

こうした愛を  

失わずにゆこうと  

涙ぐましいまで

清められるものを感じた  

いい匂いを放つ

まっ白い花であった  

(『坂村真民全詩集第二巻』大東出版社より)

〇混み合うバスの中の描写ですので、多くの方がバスに乗っていて、そこへ少女が大事そうに花を持って乗ってきた場面です。それに気がつかなかった乗客も多くいたと思いますが、坂村氏はそれに目を釘付けにされます。バスの中の喧噪と少女の清楚さの対比が見事に目に浮かびます。

〇坂村氏は、バスに乗ってきた少女が誰か大切な人に渡すであろう花束を、自分はもみくちゃにされても、「高々とさしあげて」守っている様子から、大切にすべきものを教えてもらったのでししょう。

〇日本でも15年前に東日本大震災で、津波で多くの人のいのちが奪われ、さらに原発事故が重なり、これから一体どうなるのか、不安の中で過ごしていました。柏市でも放射能の影響がどのくらい出るのかも分からず、右往左往していました。

〇「明日どうなるかわかならない」中でも、この少女のように一輪の花を大切にする心を失ってはならないと坂村氏は思ったのでしょう。そこで「たとえ明日 地球がどうなろうと このような愛こそ 人の世の美しさなのだ」と詠ったと推測します。

 

〇先月は、「素面(すめん)と仮面(かめん)」に関して、思春期特有の葛藤について書きました。一方でそれよりも使用頻度が高い言葉で、「内づら(うちづら・内面)と外づら(そとづら・外面)」があります。「あの子は外づらはいいんだけど、家の中では内づらがわるい」などと、よく聞きます。

〇我が家の二男などはまさにそれで、知り合いや近所の方々から「息子さんは明るくあいさつしてくれますよ」と聞いても、家庭内ではほとんどしゃべらず「ああ」とか「わかった」くらいしか意思表示をしません。最近は外で気を使っているので、「それでよいか・・」と納得?しています。

〇調べると、「外づら」は他人や身内以外の人に対して見せる、態度や顔つきのことで、一般的に「外面が良い」は愛想がよく、世渡りが上手なことを指します。また「内づら」は家族や身内など、親しい人にだけ見せる本来の顔つきや態度で、時には「内づらが悪い(家では態度が悪い)」のように表現されます。

〇このように「内づらと外づら」は、人間が他人に接する際の二面性や態度における内側(身内への態度)と外側(社交的)の対比を表す言葉ですが、本来は建物・製品の「内側・外側」という単純に物理的な側面だったようです。

〇私は「内づらと外づらが悪い」ではなく、「内づらと外づらが良い」面に注目していくことが良い気がします。内面がいい(性格がいい)人は、感謝や反省の言葉を素直に伝え、周囲への思いやりや品格を持ち、何事にも一生懸命取り組む特徴があります。常にポジティブな言葉を使い、聞き上手で他人の幸せを喜べる心優しさがあり、信頼関係を築く力に優れています。

〇また外面がいいとは、家族や身内などの内輪には愛想が悪い一方、職場や友人など外の人に対しては、笑顔で愛想よく振る舞う様子を表しています。ただ逆に表向き“だけ”感じがいい、見せかけの良さといった否定的な意味合いで使われることが多いのが残念です。

〇本校に最近、昔の教え子の一人が訪ねてきて懐かしく話をしていました。私は初任校が隣のH中でしたが、私がまだ20歳代後半の頃に教えた生徒で、「先生は昔、怖かった記憶があるよ。僕も怒られたけど、何故あの時起こったの?」と急に言われましたが、こちらはあまり覚えていません。その生徒は間もなく50歳になりますが、中学生当時から「内づらと外づら」の区別のない子でした。この話を書いていて、「あの子は2つの区別をしない勇気をもっていたんだな」と、35年近く経ってから彼の素晴らしさを実感しました。

〇論語に「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」という言葉があります。

文(ぶん)は外見の美しさ、知識、教養、文明的な華やかさのこと、

質(しつ)は 内面的な実質、人柄、素朴さ、本質のこと、彬彬(ひんぴん)は美しく調和している様子で、意味は、「内面(素朴さ・本質)と外面(教養・洗練さ)が調和して美しいこと」を指します。外見的な美しさ(文)と内面的な実質・素朴さ(質)がほどよく調和し、見事に釣り合っている様子を表す四字熟語です。類語には、「文武両道」や「内外双修」などがあります。

〇国にも人間と同様に、「内づらと外づら」があります。日本は冒頭の世界紛争に今後どのように対応していくのか?日本政府の対外的な姿勢(外づら)と国内向けの方針(内づら)は、国際社会における地位維持と国内の安定・支持率という2つの異なる目的を達成することが求められています。世界に向けた「対外発信(護憲平和国家・被爆国の立場等)」を強調しつつ、国民に向けた「対内政策(少子高齢化・物価高対策)等」をすすめているのかを注視していきます。

須藤昌英

 

3月4日(水)お赤飯と努力努力(ゆめゆめ)

〇昨日は、千葉県公立高等学校入学者選抜の結果発表がありました。入試には各高等学校ごとの募集定員がありますので、うれしい結果と残念な結果の生徒が出るのは致し方ありません。ただ言えることは、それぞれ「精一杯取り組み、努力した」という経験は今後、必ず本人にとってプラスにはたらきます。

〇文部科学省は現在、少子化や高校授業料の無償化に伴う「公立離れ」などの社会状況の変化を受け、公立高校入試への「併願制」導入や選抜方法の多角化について本格的な検討を進めています。特に千葉県を含む多くの自治体が、採用している「1校しか受験できない単願制」を見直し、複数の公立高校への出願を可能にする検討が始まっています。

〇これらの改革は、2027年度末に予定されている次期学習指導要領の改訂に向けた動きとも連動していて、今後数年で各地の入試制度が大きく変わる可能性があるそうです。ただ私としては、「改革のスピードが遅い。日本の総人口の減少が本格的に始まったのは、2009年からであり、その前からも少子化になることは言われていたのだから、もうそれから20年近くも経過しているのに・・」という本音があります。

〇とりあえずはこの時点で、来年と再来年の入試の大きな変更点は通知されていませんので、2年生や1年生は今の3年生が取り組んできた入試を参考にしてください。もちろん今後新しい情報が入りましたら、すぐにお知らせします。

〇3年生は今日が最後の給食です。高等学校などには給食が無いのが一般的ですので、多くの生徒は人生最後の給食になる可能性もあります。数人の3年生には、「給食を食べたかったら、将来は小中学校の教員になってください」と話しかけました。

メニューは、「赤飯、鶏肉のから揚げ、磯香和え、かぶのすり流し汁、アセロラゼリー、牛乳」です。

〇お赤飯がお祝いの席に出る理由は諸説ありますが、古来より赤色には「邪気を祓う(魔除け)」や「災いを避ける」という呪力があると信じられていたためです。神様への供物として赤米を炊く風習から、江戸時代以降は小豆で色づけた赤飯が定着し、縁起を担ぐ料理(厄除け・幸福・お祝い)として親しまれるようになりました。

〇特に赤い色には悪いことを避ける力があるとされ、お祝いの席での災いを防ぐ意味が込められています。またもともと高級品であった米を赤く染めて神様に捧げる風習があり、その「おさがり」を食べることで神聖な力を得ると考えられていました。

〇そしてお祝い事の節目に縁起を担ぎ(福を呼ぶ)、悪いことを避けて幸運を呼び込むための健康・長寿を願う料理とされています。現代でも入学、結婚、お食い初めなどの人生の節目に、災いを避けて幸福を願う日本の大切な食文化です。

〇この時期になると思い出す言葉があります。「努力努力(努努)」と書いて「ゆめゆめ」と読みます。何となくきれいな読み仮名です。数年前にこのことを初めて知った時から、強く印象に残っている漢字です。「夢夢」ではなく、「努力努力」つまり「努(つと)めよ」が強調されています。

〇私も古い言い回しとして、「ゆめゆめ おこたるること なかれ(決して怠ってはいけない)」などは知っていました。後ろに禁止の言葉をつなげて、「決して~するな」の意味で使われていることもあります。しかし「努力努力」という字をあてるとは思っていませんでした。

〇「努力」とは「目の前のことを心を込めて行う」ことですが、この言葉から私の受ける印象は、どちらかというと親や先生から「努力しなさい」と言われてきたこともあり、とても窮屈で強制されるイメージです。教育論でよくテーマとなる「厳しくするか甘やかすか」の中では、大人が子どもを外的にコントロールするイメージに近いです。

〇同様の意味で私などは「精進」という言葉の方が「自ら(内的コントロール)」のイメージがもてるので前から好んで使ってきました。「精」の字は、「こころ。たましい。気力」の意味がありますので、「1つの事柄に精神を集中する」という「努力」と似た意味と捉えています。

〇こちらは仏教に由来している語ですが、日本語には仏教から影響を受けた言葉が多く、例えば「挨拶」「玄関」「経営」など普段から生活の中でよく使用されているものは、すべて仏典からきています。

〇まさに学校は生徒たちが「努力(精進)するための場」であり、失敗をしてもその原因を明らかにしながら、次の成長へつなげていくところですので、生徒にはチャレンジする気持ちをもってもらいたいと常々思っています。

〇「努力」の言葉から、アメリカの発明家(蓄音機や白熱電球など)の「トーマス・エジソン」を連想します。幼い頃に伝記を読みましたが、彼は大変な努力家で、新聞を売りながら自分でコツコツと貯金し、自分の実験室を作ったそうです。そのエジソンが「努力」について、「天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である」という言葉を残しています。

〇また相対性理論でノーベル賞を受賞した理論物理学者の「アルベルト・アインシュタイン」にも多くの格言がありますが、その中に「天才とは努力する凡才のことである」というものがあります。天才のように思われがちなアインシュタインですが、実際は努力によって多くのアイデアや真理を見出した人でした。

〇平安時代初期の僧だった空海(真言宗の開祖:別名弘法大師)は、当時の日本におけるケタはずれの天才であり、書の達人、土木技術のエキスパートなどの複数の実績があります。

〇空海についての本を読むと、彼が若い頃に遣唐使として中国に渡り密教について学び、帰国する際に中国人の師匠から、「早く日本に帰って密教を伝えなさい・・・努力努力(ゆめ ゆめ)つとめよ」と言われたそうです。その後日本中で活躍されたことは有名であり、市内にある布施弁天東海寺にもその伝説があります。

〇今の生徒には前のように「努力しなさい」というよりも「自分の好きなことを究めなさい」と言った方がよいと最近は感じるようになりました。また「決してするな!」のように禁止の文脈で使われるよりも、好きなことに努める方が前向きです。好きなことはやっていれば楽しいし、楽しいから夢中になれるし、好きだからそれに熱中できて「努力」が継続できると思うからです。それが本来の「ゆめゆめ」の真意だと感じています。

〇「立つ鳥 跡を 濁さず」ということわざがあります。3年生は来週の卒業式に向けての練習や奉仕活動に取り組んでいます。ここまで努力を重ねてきて、4月からの新天地での飛躍に向け、今は飛び立つ羽を羽づくろい(プリ―ニング)している最中です。

須藤昌英