校長雑感ブログ

3月5日(木)内づら(内面)と外づら(外面)

〇先日の米国とイスラエルがイランへの軍事攻撃を開始し、最高指導者を殺害したニュースは、衝撃が大きく多方面に影響が及んでいます。攻撃の理由は我々が理解できないことなどいろいろあるのかもしれませんが、武力で問題を解決あるいは事態を自分の思いとおりにしようとする考え方に、世界全体が自国優先主義に傾き始めていることの前兆ともとれ、恐ろしさを感じます。

〇報道によると、イラン国内では意見が大きく分かれ、極端に国民を分断させているそうです。現体制支持派は米国とイスラエルを激しく批判し報復を叫ぶ一方、反体制派や生活苦に喘ぐ人々は政権崩壊の好機としてこの攻撃を歓迎する姿勢を見せていて、国内は不穏な情勢にあります。結局のところ最後に苦しみむのは庶民であり、政治は庶民を幸せにすることを優先させるべきでは・・と感じています。

〇世界に起こる紛争の話を聞くと、連想する詩があります。坂村真民(1909~2006)氏の「バスの中で」という詩です。坂村氏については先月、「節分」という短い詩を紹介しましたが、教員を終えた後に詩人になられた方で、詩情豊かな詩が多くあります。

「バスのなかで」

この地球は一万年後  

どうなるかわからない 

いや明日  

どうなるかわからない

そのような思いで  

こみあうバスに乗っていると

一人の少女が  

きれいな花を  

自分よりも大事そうに

高々とさしあげて  

乗り込んできた  

その時

わたしは思った  

ああこれでよいのだ  

たとえ明日

地球がどうなろうと  

このような愛こそ

人の世の美しさなのだ  

たとえ核戦争で

この地球が破壊されようと  

そのぎりぎりの時まで

こうした愛を  

失わずにゆこうと  

涙ぐましいまで

清められるものを感じた  

いい匂いを放つ

まっ白い花であった  

(『坂村真民全詩集第二巻』大東出版社より)

〇混み合うバスの中の描写ですので、多くの方がバスに乗っていて、そこへ少女が大事そうに花を持って乗ってきた場面です。それに気がつかなかった乗客も多くいたと思いますが、坂村氏はそれに目を釘付けにされます。バスの中の喧噪と少女の清楚さの対比が見事に目に浮かびます。

〇坂村氏は、バスに乗ってきた少女が誰か大切な人に渡すであろう花束を、自分はもみくちゃにされても、「高々とさしあげて」守っている様子から、大切にすべきものを教えてもらったのでししょう。

〇日本でも15年前に東日本大震災で、津波で多くの人のいのちが奪われ、さらに原発事故が重なり、これから一体どうなるのか、不安の中で過ごしていました。柏市でも放射能の影響がどのくらい出るのかも分からず、右往左往していました。

〇「明日どうなるかわかならない」中でも、この少女のように一輪の花を大切にする心を失ってはならないと坂村氏は思ったのでしょう。そこで「たとえ明日 地球がどうなろうと このような愛こそ 人の世の美しさなのだ」と詠ったと推測します。

 

〇先月は、「素面(すめん)と仮面(かめん)」に関して、思春期特有の葛藤について書きました。一方でそれよりも使用頻度が高い言葉で、「内づら(うちづら・内面)と外づら(そとづら・外面)」があります。「あの子は外づらはいいんだけど、家の中では内づらがわるい」などと、よく聞きます。

〇我が家の二男などはまさにそれで、知り合いや近所の方々から「息子さんは明るくあいさつしてくれますよ」と聞いても、家庭内ではほとんどしゃべらず「ああ」とか「わかった」くらいしか意思表示をしません。最近は外で気を使っているので、「それでよいか・・」と納得?しています。

〇調べると、「外づら」は他人や身内以外の人に対して見せる、態度や顔つきのことで、一般的に「外面が良い」は愛想がよく、世渡りが上手なことを指します。また「内づら」は家族や身内など、親しい人にだけ見せる本来の顔つきや態度で、時には「内づらが悪い(家では態度が悪い)」のように表現されます。

〇このように「内づらと外づら」は、人間が他人に接する際の二面性や態度における内側(身内への態度)と外側(社交的)の対比を表す言葉ですが、本来は建物・製品の「内側・外側」という単純に物理的な側面だったようです。

〇私は「内づらと外づらが悪い」ではなく、「内づらと外づらが良い」面に注目していくことが良い気がします。内面がいい(性格がいい)人は、感謝や反省の言葉を素直に伝え、周囲への思いやりや品格を持ち、何事にも一生懸命取り組む特徴があります。常にポジティブな言葉を使い、聞き上手で他人の幸せを喜べる心優しさがあり、信頼関係を築く力に優れています。

〇また外面がいいとは、家族や身内などの内輪には愛想が悪い一方、職場や友人など外の人に対しては、笑顔で愛想よく振る舞う様子を表しています。ただ逆に表向き“だけ”感じがいい、見せかけの良さといった否定的な意味合いで使われることが多いのが残念です。

〇本校に最近、昔の教え子の一人が訪ねてきて懐かしく話をしていました。私は初任校が隣のH中でしたが、私がまだ20歳代後半の頃に教えた生徒で、「先生は昔、怖かった記憶があるよ。僕も怒られたけど、何故あの時起こったの?」と急に言われましたが、こちらはあまり覚えていません。その生徒は間もなく50歳になりますが、中学生当時から「内づらと外づら」の区別のない子でした。この話を書いていて、「あの子は2つの区別をしない勇気をもっていたんだな」と、35年近く経ってから彼の素晴らしさを実感しました。

〇論語に「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」という言葉があります。

文(ぶん)は外見の美しさ、知識、教養、文明的な華やかさのこと、

質(しつ)は 内面的な実質、人柄、素朴さ、本質のこと、彬彬(ひんぴん)は美しく調和している様子で、意味は、「内面(素朴さ・本質)と外面(教養・洗練さ)が調和して美しいこと」を指します。外見的な美しさ(文)と内面的な実質・素朴さ(質)がほどよく調和し、見事に釣り合っている様子を表す四字熟語です。類語には、「文武両道」や「内外双修」などがあります。

〇国にも人間と同様に、「内づらと外づら」があります。日本は冒頭の世界紛争に今後どのように対応していくのか?日本政府の対外的な姿勢(外づら)と国内向けの方針(内づら)は、国際社会における地位維持と国内の安定・支持率という2つの異なる目的を達成することが求められています。世界に向けた「対外発信(護憲平和国家・被爆国の立場等)」を強調しつつ、国民に向けた「対内政策(少子高齢化・物価高対策)等」をすすめているのかを注視していきます。

須藤昌英