校長雑感ブログ

校長雑感ブログ

5月6日(金)午後の教員研修のため3時間授業&給食で下校します

〇ゴールデンウイークも後半に入り、昨日は「子どもの日」に加えて、暦の上では「立夏」にあたり、強い日差しが降り注ぎ、一年の中で一番紫外線の強い頃だそうです。確かに日陰では爽やかですが、屋外での運動は暑さを感じました。

〇本日の午後は、教職員の研修が市内一斉で行われるため、生徒は3時間授業、給食で下校となります。今朝正門での私とある生徒の会話

「校長先生、今日は3時間でめっちゃ嬉しいです」

「そうですね。午後は先生方の勉強会があるので、午前中は君たちが頑張ってください」

〇そもそも法律で、教員には研修の義務があります。参考までに、

「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。(教育基本法9条)(研修)」

〇最新の教育に関する研修を積んで、人間としての素養を高めたり、指導力を向上させたりすることにより、生徒たちの学びの質が高まるようにしていきます。

須藤昌英

5月5日(木)子どもの日に思うこと

〇今日は国民の祝日の一つ、「子どもの日」です。5月5日は古来から「端午の節句」として、子どもの健やかな成長を願う行事が行われていたという歴史があり、日本人が子どもを大切な存在としてきた証でもあるそうです。

〇元東京都の公立中学校校長で、現在、横浜創英中学・高等学校の校長である工藤勇一氏は、著書の中で、次の指摘をされています。少し長いですが、引用させてもらいます。

「学校の最上位の目的が『子どもたちに社会で生きていく力を見につけてもらうこと』であり、3つの資質「自律」「尊重」「創造」を育てていくに当たって、もっとも重要なのが、Agency(当事者意識)である。当事者意識をもった子どもたちが社会で出ていくことで、幸福な社会が実現される。しかし、日本の子どもの当事者意識の低さ(これは大人も同様)は、極端な受け身の思考回路となり、『社会や国の未来も自分の幸せも、周囲の誰かがどうにかしてくれるはずだ』『問題が発生したり自分が不幸になったりしたら、それは周囲の大人のせいだ』となってしまう。教育を含め、日本の社会全体がサービス産業化し、大人は子どもに手をかけすぎている面がある。そのことで、子どもによる自己決定の機会がなく、自分で考えたり新しいことに挑戦したりする姿勢が育たない。サービスを過剰に与えられた子どもは、「より良いサービス」を求め、「サービスの質」に不満をもち、『あの先生の授業は教え方が悪い』『あの担任のせいでうちのクラスはまとまらない』と人に原因をなすりつけていく。最も心配なのは、自律できない→自分のことが嫌い(劣等感が強い)→他人を尊重できないの構図ができあがり、社会性どころか自己肯定感まで下げてしまう。」

〇いかかでしょうか?日本人がよかれと思い子どもへ教育してきた負の一面を厳しく指摘されています。学校の本当の役割や子どもの「自律・自立・自主性」を伸ばすためには、何が必要で何が不要なのか?これまでも考え続けてきましたが、校長として今日一日もう一度再考してみたいと思います。

須藤昌英

 

5月4日(水)脳に最もダメージを与える言葉と脳を躾ける言葉

〇北海道で笑華尊塾の代表をなさっている塩谷隆治さんという方は、もとは高校で十五年教師を勤めてから塾を開かれた方です。その塩谷さん自身が昔、とある講演会に出席した中で、「一番脳にダメージを与える言葉は何か?」というテーマに対し、講師からその答えとして、「疲れた」という言葉だと教えてもらったそうです。塩谷さんは、当時野球部の指導をなさっていたので、それを聞いて部の中で「疲れた」という言葉を生徒達が使うのを禁止にして、その代わりに「充実している」という言葉に置き換えるように指導したというのです。

〇そういえば私も自宅に帰った際、たまに「ああ疲れた」と言っている日があることを思い出しました。無意識で言っている場合が多いですが、言った日は言わない日に比べて、何となく寝るまでの時間を無駄にダラダラ過ごしている?気がします。

〇先日は、3D接続詞というのは、「でも」「だって」「どうせ」をやめて、SNS接続詞「そうですね」「なるほど」「その通りです」を使うことを書きましたが、同じようなことが、「疲れた」という言葉に自分の意識が引っ張られ、マイナスの効果があるということでしょう。その代わりに「充実している」という言葉で、たとえ身体は疲れていても、心はプラス方向に向いていくということかと感じます。

〇またアクティブブレイン認定講師の藤本肇さんという方の「脳を躾ける『あいうえお』」というのも「なるほど」と思います。それは、

「あ」まず朝起きたら、「あー、よく寝た」

「い」窓を開けて、雨であろうが雪であろうが「いい天気だ」

「う」朝ご飯を口に入れたら「うまい」

「え」本を読んだり話を聞いたら「ええ話やったなあ」

「お」感情を表す言葉の前に入れて「おー素敵」「おーすばらしい」

というように、言葉を前向きにしてゆくことで、心を明るくできるというお話です。

〇いろいろな方の話を聞くと、毎日の何気ない言葉の習慣が、身心共に大きな影響を与えることは、おそらくあるのだろうと思います。もしかしたら、大人よりも純粋な中学生の方が、この話をしたら納得してくれるかもしれません。

須藤昌英

5月3日(火)主体性をもつ

〇コロナ対策の一つとして、この2年以上のマスク着用生活が続いていますが、ここにきて専門家の見解も分かれているようです。「しばらくは外すべきではない」「屋外などでは自分から外すべき」「外したくでも人目が気になり難しいことも」など、三者三様の主張があり、それぞれもっともだなと思っています。

〇ウクライナ情勢についても、これまでどこにある国かもロシアとの歴史的背景もまったく知りませんでした。また紛争は終わって欲しいものの、正直どちらの国の言い分にどれだけの正当性があるかも、よくわからないことばかりです。多くのメディアが伝えていることが、どれだけの中立性が保たれているのか?どこかの国の思惑で事実が歪曲されているのではないか?疑問で頭の中がいっぱいです。

〇国民性を表す有名なジョークがあります。「沈み始めた船から、乗客を速やかに脱出させるため、船長が海に飛び込むよう指示する時の言い方が相手の出身国によって違う。米国人には『飛び込めば英雄です』、英国人には『飛び込めば紳士です』、ドイツ人には『飛び込むのが規則です』、イタリア人には『飛び込めば女性にもてます』、フランス人には『飛び込まないでください』、そして日本人には『みんな飛び込んでいますよ』だそうだ。」もちろんジョークですが、それぞれの国民性の特徴をよくあわらしていると思います。

〇「自ら主体性をもつ」ことに関しては、先月の1日に、このブログを始めるに際し、「人間は、例えると紙切れ一枚でも人から持たされて持っていると思うと重たく感じるものです。ところがこれが家族や好きな人の為に持つ荷物となると、どんなに重たい荷物でも軽々と持っていけるのではないでしょうか?そういう面から、この雑感ブログも、「やらされてやる」と苦痛になりがちですが、こちらが「主体性をもってやっていくこと」で、少なくとも苦痛にはならないことをのぞみながら、片意地はらずに続けていきます」と書きました。

〇「同調圧力で仕方なく」や「皆がそうしているから」だけで、マスクを外せない日本人や報道を鵜呑みにする日本人になっていないか?自分も含めた日本人の「奥ゆかしさ」は決して否定するつもりはありませんが、これからの時代を生きていく生徒たちには、自分で考え、他の人と意見を交わした上で、ある程度の根拠をもって判断していこうとする力を身に付けてほしいと願います。

須藤昌英

5月2日(月)連休のはざまでも生徒は学んでいます

〇ニュースなどをみると、世の中はまさにゴールデンウィークの真っ最中で、最大10連休などと報じていますが、生徒は今日も朝から真剣に授業へ参加しています。朝正門に立っていましたら、「連休なのに・・」という表情の生徒、「明日も休みだ」と嬉しそうな生徒、いつも通りの生徒の3パターンがいたように思います。

須藤昌英

あすなろ1・2・3組(生活)

3年1組(理科)3年2組(数学)3年3組(英語)

3年4組(社会)3年5組(社会)

 

2年1組(理科)2年2組(社会)2年3組(保健体育)

2年4組(保健体育)2年5組(家庭)

1学年は朝から全員を対象に、体育館で「心臓検診」を行いました。終わったクラスから授業へ戻りました。

1年1組(国語)1年2組(理科)1年3組(英語)

1年4組(社会)1年5組(数学)

5月1日(日)5月に入りました

〇このところの雨の多さと晴れれば強い日差しがあることで、学校敷地内のあちこちの雑草もその勢いを増しています。その雑草と争うように、3月頃から未だに、タンポポが群れをつくって咲いている場所もあります。

〇教育者でもありました詩人の坂村真民さんは、多くの詩を残しています。1909年(明治42年)1月6日生まれで、その後四国に移住して活動、2006年(平成18年)12月11日永眠(享年97才)。

〇四国の甲子園常連校で高校野球の監督だった上甲正典さんが、よく生徒に「念ずれば花ひらく」という言葉を口癖のように話していたことは昔から知っていましたが、その言葉はいったい誰の言葉なのかは十年前くらいまで知りませんでした。その言葉の出所が、坂村真民さんでした。

〇坂村真民さんの詩の中で、冒頭のタンポポに係る詩があります。2つ紹介します。

【タンポポ魂】

踏みにじられても

食いちぎられても

死にもしない

枯れもしない

その根強さ

そしてつねに

太陽に向かって咲く

その明るさ

わたしはそれを

わたしの魂とする

【たんぽぽのように】  

わたしはタンポポの根のように

強くなりたいと思いました

タンポポは

踏みにじられても

食いちぎられても

泣きごとや弱音や

ぐちはいいません

却ってグングン根を

大地におろしてゆくのです

わたしはタンポポのように

明るく生きたいと思いました

太陽の光をいっぱいに吸いとって

道べに咲いている

この野草の花をじっとみていると

どんな辛いことがあっても

どんなに苦しいことがあっても

リンリンとした勇気が

体の中にあふれてくるのです

わたしはタンポポ゚の種のように

どんな遠い処へも飛んでいって

その花ことばのように

幸せをまき散らしたいのです

この花の心をわたしの願いとして

一筋に生きてゆきたいのです

〇一つのタンポポからこれだけ多くの言葉を紡ぎ出すのは、さすが詩人だと思いますが、幾つかの言葉に自分と重ね合わせて、深い意味を考えることもあります。爽やかな時節ですが、コロナの収束とウクライナやミャンマーなどの紛争の終結について、一日でも見通しがもてるようになってもらいたいです。

須藤昌英

4月30日(土)女子バレーボール部準優勝

〇昨日と今日、東葛飾地方バレーボール選手権大会が行われ、女子バレーボール部が準優勝という見事な活躍でした。

〇決勝戦は、柏五中・風早中連合チームに0-2で惜敗しましたが、生徒たちは2日間で5試合を行い、ゲームを楽しんでいました。今後チームの課題をみんなで洗い出し、さらにステップアップしてください。

須藤昌英

4月30日(土)ビジョン&ハードワーク(VW)

〇先日始まった番組で、各界トップランナーが語る「NHKラーニング」の第1回は、ノーベル医学・生理学賞の生命科学者・山中伸弥さんでした。題は、「ゆるぎない知性との出会い」で、これまで「何を大切にして新たな価値を生み出してきたのか」、そして「これから何をしようと考えているのか」について30分で語っていました。

〇山中さんは、ほぼ私と同世代で、今から10年前にノーベル賞を受賞したニュースをみて、日本人として励みになったのを覚えています。

〇医学の道を歩み始めたきっかけ、「それは最愛のそして尊敬する父の病であり、元気だった父親が肝炎で入退院を繰り返すのをみたこと」らしいです。

〇ところが外科医としての自信をなくし、そこから研究者として「再出発」しましたが、3年半アメリカの研究所に勤めたときの指導者ロバートマーレ恩師から授けられた「ビジョン&ハードワーク(VW)」という言葉が人生を大きく変えたということです。

〇恩師は、「成功したいやえらくなりたいはビジョンではない」「何のためにアメリカに来ているのか」を繰り返し問いました。いろいろな葛藤の末、「研究者として、人の病気やけがを治したい」がビジョンであり、そのためには、「一心不乱に一つのことを追求していくこと」しかないと悟られたと語っていました。

〇また日本に戻ってきてからも、アメリカとの研究環境の違いに精神的にうつ状態になったことや一緒に研究してくれる学生たちが集まらずに困ったこと、日本では優れた基礎研究が沢山あるのに企業との連携が上手く進まず、多くのプロジェクトがいわゆる「死の谷」で苦戦していることなど、様々な困難があったことを私も初めて知りました。

〇2007年念願の「iPS細胞」の誕生の鍵となったのは、「失敗を失敗と捉えない」心のありようであり、2012年にノーベル賞受賞、「このPS細胞を社会に還元していきたい」気持ちは当初から変わっていないということです。

〇さらに最後は、「59歳のこの春、私は大きな決断をした。これまでのiPS細胞研究所の所長は他の研究を支援するという立場であったが、それを退任し、研究者に軸足を戻すことにした。それはなぜか。未だ手つかずの『NAT1遺伝子』の謎に残りの人生をかけて挑むと決めたからだ。」とこれからの決意がありました。

〇今も新たなことに挑み続ける姿勢は、「学び続ける富勢中」をテーマに掲げている本校の生徒にも、通じるものがあって欲しいと願います。インターネット上のNHKアーカイブでも視聴できますので、もしご興味があればどうぞご覧ください。 

須藤昌英

4月29日(金)礼を尽くす

〇「日経トップリーダー 『会う人がすべてが、幸之助の虜になった なぜ一見の相手にも深く頭を下げるのか』 」という本に、以下のような話があります。

〇とある中小企業を経営する五十代の方が、東京から大阪に仕事の帰りで新幹線に乗っていました。もともと松下電器(Panasonic)の創業者松下幸之助の大のファンであったらしいです。それがたまたま、通路を挟んで斜め前に松下幸之助さん本人が坐っていました。「何とか一言でも話しかけてみたい」と思うのですが、相手にもされないだろうと尻込みします。

〇「それでも千載一遇の好機を逃したくない」と思って、当時車内で売っていた冷凍ミカンを買っ松下松下幸之助さんに差し上げてみました。それがきっかけとなって、「一言でもお言葉を聞けたらいい」と思ったのでした。恐る恐る冷凍ミカンを「どうぞ」と差し上げると、松下幸之助さんは驚きながらも「ありがとうございます」と受け取られて、それから二十分も話ができたというのです。それだけでもその人は感動しました。

〇やがて京都駅に近づくと、松下幸之助さんは降りる準備を始めました。するとその方のところまで来て、「先ほどはありがとうございました。ミカンおいしかったです」と丁寧に御礼を言われたそうです。更に驚いた事に、ホームに降りた松下幸之助さんは、その方の席のところまで来て、お辞儀をされました。そして新幹線が動き出すまで、見送ってくれたというのです。

〇全くこれまで面識も無い人に対する松下幸之助さんの丁重なふるまいに感激したその人は、大阪に帰ってから、自分の会社と家にある電化製品をすべて松下電器の製品に替えたということでした。

〇なぜ初対面の人に対しても、こんなに丁重に応対されたのか、その文章の中には松下幸之助さんの深い思想が書かれていました。「人間は誰しもとても素晴らしい能力を与えられている、だから老いも若きも偉大な存在なのだと。会った人がお客であろうがなかろうが、顔見知りであろうがなかろうが、今自分は素晴らしい人と話しているのだから、失礼のないように礼を尽くさなければならないと」いう考えだったという話なのです。

〇本当のリーダーのあるべき姿を学んだ気がします。

須藤昌英

 

4月28日(木)身体的技能や芸術表現をする教科

〇高等学校の入試科目にある5教科(国・数・英・社・理)がある一方、音楽・美術・保健体育・技術・家庭などの教科を、通称「技能(表現)教科」などと呼んだりしますが、私は前者が「主に文字や数字を使っていろいろな概念の理解を深めること」に対し、後者は「手や足などの自分の身体を使って何かをかたちにしていくことだ」思っています。

〇有名な解剖学者の養老猛司先生は講演の中で、「本来の教育は、身体を使って表現することであった。もともとインプットの学習とアウトプットの表現は一緒だったのが、近代教育ではそれを分離してしまった。昔の『文武両道』は、その2つ(学習と表現)がもとは1つであることを示しており、それがサイクルを描いて回っていないといけない」とおっしゃっています。

〇まさに別表の各5教科は、それぞれのねらいをもって、生徒たちの感性を豊かにするために、日々の授業を行っています。生徒も他の人と比較するのではなく、自分なりの作品制作や表現活動を行っているので、表情が豊かに見えます。

須藤昌英

 

4月27日(水)「3D」から「SNS」へ

〇ある冊子に、精神科医の西多昌規先生の「言葉を前向きに「変換」してみよう!」という記事がありました。「3D接続詞というのを使わないように」と書かれています。

〇3D接続詞というのは、「でも」「だって」「どうせ」というのです。こういう言葉を使っていると、同じ言葉を使う者が集まってくるそうで、「ネガティブな口癖の人同士が集まって、不満ばかりの人生になる」と指摘されています。

〇西多先生は、「でも」「だって」「どうせ」の3D接続詞が出そうになったら、「そうですね」「なるほど」「その通りです」など、肯定的な接続詞を使うようにと指摘しています。こちらはその頭文字からSNS接続詞となります。まずは相手を決して否定しないことから入り、そうすればその後の会話がスムーズになるということでしょう。

〇私も人に言われないと自分の口癖を認識していないことが多く、この記事を読んだ際、もう一度自分の言動を一日かけて振り返りました。するとやはり無意識にいくつかの言葉を発し、「その言葉にあとから自分の気持ちが引きずられているのでないか?」と思いました。

〇はじめにある気持ちがあって、それによってあとから発する言葉はまだ自然でよいですが、先ほどのように言葉に気持ちが左右されるのは、「不合理な気がして、できるだけ避けよう」と思っています。

〇次回、全校生徒の前で話す場面で、「3DからSNSへ」を投げかけてみようと思います。

須藤昌英

 

4月27日(水)仮説を立ててそれを実証していく力(理科の学習)

〇理科については、先日の18日に「中学生のころの学習は一つのきっかけ」として、45年前の昔、私が中学生で理科の授業で習ったことで、「四季がどうして生まれるか」については、当時「なるほど何にでも根拠はあるのだな」と思ったことを書きましたが、それは第二分野(生命や地球に関する自然の事物・現物を対象)に入ります。もう一つは第1分野(物質やエネルギーに関する自然の事物・現物)があり、生徒も好き嫌いが分かれるようです。

〇理科のある先生に、「どのような気持ちで授業に臨んでいますか」と尋ねたところ、「自然の不思議さとか、面白さとか、そういうものを伝えたい。こういうことを知識として持っていたら、豊かな生活になるということを伝えたい。また、社会に出て、いろいろな人生を送っていく中で、未知の課題が出てきたときに、観察・実験を通して得てきた課題を解決していく能力というのは、そこできっと発揮されるのではないだろうかという期待も持ちながら、授業をしている。」とのことでした。

〇私も理科の学ぶ過程の中に、仮説や予想を立て、自分の問いを追求し、それをみんなに説明したいために、実験・観察をするというところが大切ではないかと思っています。この力は社会に出てからもよく使われるもので、成功しても失敗してもその原因を考え、そこからまた新しいアイデア(仮説)を立てていく・・この繰り返しは、どんな職業でも本質的に同じではないかと思います。

〇いずれにせよ、実験などには安全性の確保が欠かせませんので、特に年間を通して理科室での授業は、理科支援員さんのバックアップを受けて、安全面に最大の配慮をしていきます。

須藤昌英

 

4月26日(火)富勢中の生徒会本部

〇中学校での生徒会活動は、生徒が自発的、自治的活動を行なう機会であり、また異学年との交流を深める場として位置づけられています。学校の全生徒を組織する生徒会で、生徒は一人ひとりの役割に活動意欲を持ち、創意工夫しながら社会生活の基盤を培っています。

〇中学校学習指導要領において生徒会活動は、集団の一員として協力し充実した学校生活に主体的に関わる能力育成を目標とする、「特別活動」のひとつとして設定されています。

〇生徒会は全校生徒が会員であり、生徒会本部役員は、会員の選挙によって選ばれた生徒が運営します。その本部が指揮を執り、各委員会と各学級が連携しながら、学校内での自分たちの生活の充実や学校生活の改善、向上を目指しています。

〇今は6月の生徒総会に向け、本部が作成した議案書を各学級で討議を行っています。

須藤昌英

 

4月26日(火)人々の営みがメインテーマの社会科

〇中学校の社会科は、3つの分野「地理」「歴史」「公民」があり、特に前の2つは1~2学年に、並行して学び進めます。

〇まず地理分野ですが、単に国名や産業を覚えるのではなく、世の中で起こっている現象について、様々な角度から体系的に学習する分野です。今存在している文化や産業が、地理的現象や空間的な配置をもとに、どのようにして形作られたのかを学びます。最近では、「地域の過疎化」などに焦点を当てた現代社会の諸問題について、地理分野でもよく取り扱います。ですので他の科目と比べて、「非常に実用性の高い科目といえる」と思います。地理的なことを理解することが、自分自身の生活に、あるいは地域社会の課題解決に直接役に立ちます。

〇次に、歴史分野は今ある政治体制や文化を正しく理解するために、まずは過去にさかのぼって背景を知る分野です。例えば今のウクライナとロシアの危機的状況を理解するには、それぞれの国民性やこれまでの経緯を学習することは必須でしょう。また用語の暗記にとどまらず、ものごとの流れにふれるなかで、物事の因果関係を学ぶことにもなります。そうすることで、先人たちの成功や失敗から、問題の原因の特定や解決策のヒントを学べます。よく昔から「未来を考えるには、歴史から学べ」とも言われています。

〇最後の公民分野は、「法律」「政治」「経済」などの現代社会のしくみや在り方について学びます。特に最近は、SDGsの理念から、持続可能な社会という視点から、環境問題や少子化問題における社会保障や財政の問題について考えさせる問題も取り上げています。学習指導要領には、「グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の形成者に必要な公民としての資質・能力を育成する」という大きな目標が掲げられており、これを読むと思わず私たち大人も「本当に自分はそこまで達しているか?」と振り返ってしまいます。

〇分野は違いますが、これらに共通するのは、「すべて人の生活や営みから派生している」のであり、最後は自分の生活にどのように活用していくかに戻していくことだと思います。自然科学と社会科学をつなぐ、重要な科目ですね。

須藤昌英

 

 

 

4月25日(月)北部Ⅱ地区校長会議を行いました

〇柏市には小・中・高等学校合わせて64校あり、2ヶ月に1回程度全校の校長が集まり、会議を開いています。

〇また、もっと距離的に近い学校の校長が集まることで、より具体的な課題や取り組みについて話し合う機会があります。本日、富勢西小学校で、中学校3校(富勢中、松葉中、柏の葉中)、小学校6校(富勢小、富勢東小、富勢西小、松葉第一小、松葉第二小、柏の葉小)による第1回目の会議を行いました。

〇前校長の髙橋柏の葉中校長も一緒でしたので、有意義な情報交換ができました。具体的には、1学期の宿泊を伴う行事について、松葉中は林間学校(6月初旬)と修学旅行(6月下旬)、柏の葉中は林間学校(6月初旬)と修学旅行(5月下旬)ですので、本校の林間学校(5月の下旬)と修学旅行(6月の中旬)と全く状況は違いますが、お互いに情報をやりとりして、お互いに無事に行けるような方策を立てていきます。

 須藤昌英

4月25日(月)ちょっとはやい五月病?

〇今朝のNHKニュースで気になる報道がありました。それに関連するサイトから引用させてもらいます。

〇「新年度が始まりまもなく1か月ですが、コロナ禍で迎える3年目のこの春、職場や大学ではリモートでの業務や授業を対面に切り替えるところも多く、日常が少しずつ戻ってきました。新たな出会いや刺激への期待に胸を躍らせるこの季節。ただSNSをのぞいてみると…「対面しんどい」「視線と話し声が気になる」との意見も多い状況があります。なぜこうした声が上がっているのか?取材してみると、4月なのにどうやらもう“五月病”が現れているようです。」

〇「例えば新大学3年生は、入学したときには、すでに新型コロナウイルスの感染は拡大していて、入学式は中止でした。1、2年生では体育の授業を除き、履修したすべての授業はオンラインで自宅で受けていました。対面授業の再開については、『当初思い描いていた学生生活を送れると楽しみでしたし、友人とも何か月ぶりに会えて本当にうれしかったです』と話していました。この4月は月曜日から金曜日まで毎日大学に通って、友人たちと肩を並べて授業を受け、サークル活動にも精を出しました。ただ、その週末は、朝からなにもやる気が出なくなってしまったと話します。『土曜日は午前中から勉強をしようと思っても、手が付きませんでした。気分転換をしようと散歩にもいったのですが、効果がありませんでした。日曜日も気分が晴れず、食べて、寝ることしかできなかったんです。』」

〇「『小中高のときはもちろん対面で授業を受けていたので、対面授業にすんなり戻れると思っていました。でもみんな同じ場所で授業を受けている間は無意識に気を遣っていたのではないかと感じます。対面授業のほうが、プライベートな空間で授業を受けるより疲れます。』つまり早送りも可能で何回も聞き直しができるオンライン授業が当たり前になっていて、対面授業の感覚を取り戻せないことも負担に感じているようでした。」

〇まさに私の長女もこの4月から大学3年生で、今のところ異変は見えませんが、もしかしたら内面では同様の不安や悩みがあるのかもしれません。この記事は主に大学生を扱っていましたが,「中学生ももしかしたら・・」と少し心配になりました。これからゴールデンウイークに入りますが、ご家庭でもお子様の様子を観察してみてください。

須藤昌英

 

 

4月24日(日)生徒たちのより良い成長のためのPTA活動

〇昨日、お忙しいところ新旧の役員の皆様にお集まりいただき、引継ぎ及び今年度の第1回の役員会等を開きました。

〇PTAは本来子どもの健やかな成長を願う保護者や教師が協力していく団体です。また保護者や教職員のPTAへの加入につきましては、個人の自由(任意加入)であり、強制ではありません。ただし、子供たちが安全で健やかに成長するためには、学校と保護者の連携は不可欠であり、PTAは子供たちに必要な組織と考えています。本校生徒のために、保護者と学校が自主的・協働的に進めているのがPTA活動であり、学校ごとに組織されている団体で、またそれをまとめる市内のPTA連絡協議会もあります。

〇昨今の状況から、これまでの活動内容を見直し時期にきていることは認識しており、今後よりよいPTA活動の在り方について、役員の皆様方と情報共有し、協議してまいります。

〇また、「地域とともにある学校」の理念のもと、コミュニティ・スクール(CS)運営協議会に参画する委員は、学校や地域の実情を踏まえた方にお願いしています。このPTA 及びCSは、頼もしい「学校の応援団」として考えており、本校の生徒の健やかな成長のために、一緒に伴走してくださると認識しております。

〇また保護者の皆様につきましては、PTA役員などの選出にとらわれることなく、学校を支援する保護者ボランティア視点からのお手伝いも想定しています。今後も、持続可能でお互いの顔が見える関係になるよう、御協力をお願い致します。

須藤昌英

 

4月23日(土)英語の目的は話せること?

〇国語や数学にそれぞれの世界観があるように、世界の共通語と言われる英語も、近年は小学校の外国語活動が活発になっているおかげで、少しずつ生徒達にはその特性などは理解されていると思います。

〇英語を含む外国語科の目標は、「簡単な情報や考えなどを理解したり表現したり伝えあったりするコミュニケーションを図る資質・能力を育成すること」となっています。よく「コミュニケーション能力」を考えるうえで最も大切なことは、「双方向のもの」であり、相手への伝達だけでなく、「相手からの情報をいかに上手に(正確に)受け取るか」という観点も持っていなければならないと言われます。

〇しかし世間では、高機能でコンパクトな翻訳機はたくさん出回っており、外国へ行くにもそれをもっていけば、困ることはない時代になっています。ではなぜ、英語を学習するのでしょうか?もちろんさきほどのコミュニケーションのツールとして、英語は日本語よりもある面は適していると思います。でもそれだけでしょうか?

〇これも私の私見にすぎませんが、中学校から英語を勉強し始めて、私はやはり英語の文法に馴染むのに時間がかかった記憶があります。よく「S主語、V動詞、O目的語、C補語」を組み合わせた5文型をひたすら覚えましたが、それまでどうしても日本語と違う違和感が頭から離れなかったのが、ある日突然その霧のようなものが晴れて、しっくりと英文が見えるようになったのは、今でも忘れられません。

〇そしてさらに、例えば日本語との一番大きな違いである、主語の次に動詞がくるのも、「これも悪くないな」と思うようになりました。と同時に、逆に日本語の奥ゆかしさなどの良い面も、両者の比較によってより明確になりました。実際に英語を日本語へ、日本語を英語に直す際、その感覚が一番役に立ちました。

〇生徒達には、互いにコミュニケーションをとりながら、英語と日本語のそれぞれの良さを自分なりに感じてほしいと思って、各学年の英語の授業を参観しています。

須藤昌英

 

4月22日(金)「数学嫌い」の原因として考えられること

〇国語の学習が全学年統一で、「詩」から始まっているのと同様に、数学では全学年が、「数と式」の領域から始めています。

〇数学の学習内容は、大きく「数と式」「図形」「関数」「データの活用」の4領域から成り立っています。最初の「数」と「式」は、数学全体の下支えをしていますので、当然最初に学習します。

〇まず「数」についてですが、数学では学年が進むほど「新しい数」を定義し、その世界をひろげていきます。中1ではまず、マイナス符号のついた数を含めて初めて学習します。でもこれはまだ身近に気温や成績などに使われているので、理解しやすいです。ところが中3になると、「2乗するとある数になる数のもとの数」いわゆる平方根(√)というあまり馴染みのない数が登場します。昔数学を教えていた際、よく生徒から「何でルートのついた数なんかでてくるの?」と尋ねられましたが、「数学の世界を広げ、応用範囲をひろげるためには、どうしても新しい数がないと数学は発展していかないのだよ」と答えてきました。

〇次に「式」ですが、これはいわゆる「文字を使った式」のことで、算数と数学の違いの究極はここにあります。小学校では□を使った式で、「□のなかにはいろいろな数が入ることができるよ」と説明していますが、その□の代わりに、文字という抽象性の高い記号を使うことにより、式を形式的(アルゴリズム)に扱うようにできるようになります。要するに式を計算する課程をより簡単し、「その結果として得られた最後の式から何がいえるのか?」に意識を集中させやすくすることをねらっています。

〇いずれにせよ、数学に苦手意識をもっている生徒は一定数いますが、原因の一つが、「数学の独特の世界に違和感がある」と私は経験上感じています。生徒には、「例えば旅行で、アメリカに行ったとしたら、その国の文化や風習にある程度合わせた上で、楽しむよね。数学もそれと同じで、数学の国の文化や風習にまずは慣れ、楽しむまでいかなくても、『まあ、こんなものか』くらいに思っていればいいよ」と話していました。

〇今の生徒に通じるかわかりませんが、「にいればにしたがえ」は、他の教科にも同じく言えるかもしれません。

須藤昌英