校長雑感ブログ

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2月7日(水)防寒着あれこれと社会的マナー

【今朝の朝焼けと霧の校庭】

〇今朝はまるで冷凍庫にいるような気温ですが、東の空が明るくて晴天が戻ってくるようです。ただ霧が濃くなっていますので、路面の凍結もあり心配されます。自転車通学者の生徒は、登校の際は特に転倒などに気をつけてもらいたいです。

〇学校関係者の間では、3学期を「行く一月、逃げる二月、去る三月」とよく言います。3学期は気持ち的に多忙で、「あっという間に」4月の新年度を迎えるという気がします。そして2月になると、まさに来月の卒業式や年度を終える修了式が目の前に迫っているのだと落ち着かない気がしてきます。

〇昨日の朝、正門で雪かきを行っていると、いろいろな防寒着を着た生徒が登校してきました。マフラー、手袋、ネックウォーマーももちろんですが、この時期はマスクも一つの防寒着になっているようです。外着としては、部活用のウィンドブレーカー、市販のダウンウエアー、足もとまでのグランドコードなど、様々です。ただ今日の個人ロッカーが大きくないので、教室内での保管ができるものに限られています。

〇手にもった携帯用の使い捨てカイロも有効です。手がかじかんでいると、身体全体まで寒い気がしますので、もっと使ってもいいと思います。ただ生徒には、使用が終わって不要になったら、自宅へ持ち帰って捨てるように指導していますので、もしかしたらそれが面倒?なのかもしれません。以前に勤めた学校では、その使い捨てカイロが教室のゴミ箱に大量に捨てられ、処分に困った経験もありますので、そのような指導も致し方ないこともご理解ください。

〇またマナー面では、自宅に帰る以外は、「防寒着等は玄関で脱いで手にもって建物に入る」のが社会人の常識ですので、現在はそれを生徒に強いてはいませんが、知識として覚えておいても損はないと思います。「大人になって初めて聞いた」ではなく、知っておいて必要な場面(将来の会社訪問や就職面接など)になったら実行すればいいと思います。

〇防寒対策には重ね着が必須であると言われており、調べてみると今は、重ね着をレイヤリングとも言うそうで、「ベース、ミドル、アウター」と分かれており、それぞれ「〇〇レイヤー」ということを初めて知りました。ベースとは要するに、肌に密着する1番下に着る防寒インナー(アンダーウェア)のことで、最近は汗や水蒸気を熱に変えて発熱するものが主流になっていますね。

〇また寒さ対策には、暖かい空気をうまく体の近くでためることも重要で、その状態を羽毛を使った衣類(ダウンのコートやジャケット)が有効のようです。私も以前はジャケットや背広の下にベストを着用していましたが、近年は「インナーダウン」として、薄手のダウンを着始めましたら、暖かいので脱げなくなりました。そのようにアウターの中に着る防寒服のことを、ミドルと呼び、これにより防寒効果はぐーんと上昇し、暖かさを持続することができます。

〇生徒は制服やジャージの下に、カーディガンやセーターを着用しています。ただし色は、白、黒、グレー、ネイビーなどを基調としたものとしています。休日に私用で外へ出かけるのであれば、特別に規制はなくてもいいと思いますが、生徒にとって学校生活は、一応「公用的な場所」ですので、使い分けをすることも学びだと思います。

〇最後のアウターレイヤーは、保温性もそうですが、防水や防風に優れたものが理想ですね。ぴったりフィットするサイズ感よりも、少し余裕があり、空気をたくさん含めるサイズを選ぶことで、より保温力がアップします。

〇よく「フォーマル」と「インフォーマル」と区別しますが、それぞれの場面で服装を適切に切り替えることが、気持ちを切り替える一助にもなります。生徒には、「決まりだから守る」ではなく、「どうして使い分けるのか?」を、自分事として考えてもらいたいです。

須藤昌英

2月6日(火)千葉県立・柏市立公立高等学校入学者選抜にかかる出願

【今朝6時半の校庭の雪景色】

〇昨晩は予想を超える積雪で、歩道もグラウンドも白一色です。お知らせしたように、生徒のみなさんは足元に十分に気をつけて登校してください。

〇今日から3日間(8日は午前中のみ)、千葉県立及び柏市立高等学校の出願手続きがあります。基本的に公立高等学校へ出願できる条件は、「県の内外を問わず、他の公立高等学校を出願していないこと」ですので、入学願書にはそのことを校長が証明する欄があり、私がすべて捺印しています。出願方法は一部のWeb出願を除いては、郵送か直接持参になりますが、本校では生徒本人が受検する高等学校に出向くことにしています。出願をしない3年生については、1時間授業の後、下校となります。

〇出願する高等学校の所在地は、柏市9校、我孫子市2校、鎌ヶ谷市2校、流山市4校、野田市3校、松戸市6校、習志野市1校、千葉市1校と広域になります。朝から出願書類を受け取って、志願先の高等学校へ徒歩や公共交通機関等を使って行きます。雪による交通機関の乱れもありますが、慌てないで行ってもらいたいです。学力検査等の当日の下見を兼ねるねらいもありますので、身なりを整えて礼儀ある態度で行くように、学年職員で指導しています。

〇出願期間が終わる9日の金曜日に、志願倍率が発表されます。その倍率を参考にし、1回に限り、志願の変更の手続きをすることができます(2月14日、15日)。ただしこれは無暗に行うと返って生徒本人に心の動揺(変えることにはチャンスとリスクの両方がある)が残ることもありますので、慎重に行わなければなりません。

〇この2つの手続きが終わったら、あとは20日と21日の学力検査等の当日になります。生徒のみなさんには、「最後は自分のやってきたことを信じて」と言ってあげたい気持ちです。不安を感じない人など一人もいませんので、自分だけが不安だと思わないでほしいと校長面接でも伝えました。私の経験からは、他の学校から出願した人はみな「自分よりも出来そう」などに見えるので、たまたま同じ学校を受検した人は、ライバルというよりは「同志」だと思って、「お互い頑張ろう」くらいの気持ちでいる方が、気が楽になると思います。

〇本番直前にあえてこれまでの生活スタイルを変えるのは好ましいことではありません。気持ちはわかりますが、最後の追い込みとして深夜まで勉強をしようとする生徒が時々いますが、そのことが自分にあっているのか否かと思いあぐんだり、寝不足になったりと精神的・身体的負担がかかります。新しいことを取り入れようとする気持ちをあえて抑えて、今までの生活リズムを貫いていった方が良いと思います。

〇伝統的に中学校の教員には、『十五(歳)の春は泣かせない』いう言葉が伝わってきています。義務教育9年間を終え、新たな進路先を自分で選ぼうとしている3年生。合否の結果は我々にはどうすることもできませんが、本人が努力してきた力を精一杯出し切れるように祈るしかありません。

須藤昌英

2月5日(月)節分と立春

〇3日の節分と昨日の立春を過ぎて、いよいよ春が近づくと思いますが、今日の午後から雪の予報も出ています。

〇立春の他にも立夏、立秋、立冬の前の日はすべて「節分」の日ですので、本来「節分」は年4回あります。その中でも春は新年の始まりでもあることや希望をもつという意味合いから、一説によると室町時代以降、特に春の節分が重視されるようになり、一般的に「節分」というと立春の前日を指すようになったそうです。

〇「節分」とは「季節を分ける」という意味ですので、昨日からは「新年(初春)」となることから、3日は太陽暦のカレンダーにおける大晦日にあたるそうです。この時期には中国などで、「春節」としてお祝いを盛大にするのをニュースでよく見かけます。

〇新年を迎えるにあたり、鬼を退治するために豆が使用されますが、一説によると、「魔(ま)を滅(めっ)する」という語呂合わせから「まめ」をまくようになったようです。また日常でも「まめによく動く」などで使われるように、「まめ」という言葉には「体が丈夫で気が利く」という意味もあり、節分に使われる豆は「福豆」と呼ばれ縁起が良いものとされています。千葉県などは特産の殻付きの落花生を使うところもあると聞いたことがあります。

〇ではその鬼とは何を象徴しているのでしょうか?よく言われるのが、自分の心の汚い部分や弱い部分です。自分だけが得をしようとしたり、相手を貶めたり意地悪をしたりする人は、あらためることも必要でしょう。ただそれに自分でも気が付いていない場合も多いので、少なくとも人に指摘されたら、「素直」に自分を振り返ってみることだと思います。これは子どもたちへの戒めとしてではなく、私たち大人の心に棲みつく鬼ともどう向き合うかが問われています。

〇誰しも「心の弱さ」はありますので、それから目をそらさずに、気づいたことはためらわずに、自分に取り入れていくことが「学び続ける」ことだと思います。自分の行動面で、普段からだらだら過ごしたり、なまけ心に勝てなかったりすることなども一つの鬼と捉えられるかもしれません。いずれにせよ自分を制御(コントロール)できるか否か、生涯の課題とも言えます。

〇「豆まきの時には一般的に「鬼は外、福は内」と言いながら豆を投げますが、これはご存じの通り、鬼(厄や邪気)は家の外へ、福(幸運や福の神)は家の中へどうぞ、という意味が込められています。私も子どもの頃は単純な構図でわかりやすかったですが、中学生くらいになると、「そんなに都合よく悪いものは遠ざけ、良いものだけ近くにもってくるなんて、横着だ」などの考えも出てきたり、さらに大人になると、ありのままの自分を受けとめて「福は内!鬼も内!」の方がしっくりくるようになりました。年齢によって変化があるものです。

〇先週の給食には節分にちなんで、鰯のフライと入り大豆がメニューにありました。昔は家庭でも鰯の頭を焼いて柊の枝で刺した「柊鰯(ひいらぎいわし)」を家の玄関などに飾る風習があった記憶があります。鬼が家に入ろうとした時に、鰯を焼いた強烈な臭いで驚かせ、柊の棘で鬼を刺し追い払うための魔除けの儀式だと親から教わりました。また年齢の数だけ豆を食べることも、大豆は良質なたんぱく質ですから身体に良いとわかっていても、さすがに私も数え歳の62個は食べられませんでした。

〇雪が積もって、生徒たちの登下校に影響が出ないことを祈っています。

須藤昌英

2月2日(金)能登半島地震の支援のための募金活動

〇昨日で能登半島地震から一カ月となりました。あらためてお亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。また今も避難していらっしゃる方にお見舞い申し上げます。そして一日も早く復興されるために自分たちになにが支援できるかを考え続けていく必要があると思います。

〇先日、学区内にある千葉県立柏高等学校の生徒会の皆さんより、被災者への支援のため、本校の生徒会と一緒に、街頭募金をしたいとの提案がありました。本校としてもこの取り組みに賛同し、昨日、県柏高の生徒会の皆さんが本校に来てくれて、本校生徒会と話し合いを行いました。実は県柏高の生徒会長さんが、富勢中の卒業生であり、後輩の中学生にも声をかけてくれたのがきっかけでした。

〇私も若い頃、当時勤務していた中学校の生徒たちを引率し、年末にJR柏駅でユニセフ募金を行った経験があります。生徒たちははじめ恥ずかしそうに「ご協力をお願いします」と小さな声で呼びかけていましたが、募金して下さる方々に「がんばってね」「すごいね」などと声をかけてもらううちに、段々と自信をもって声を張り上げていたのを今でも思い出します。

〇大切なことは集まった金額ではなく、今回は支援をされる側ではなく支援をする側であることや当日は自分たちで考えた方法で、募金の目的等についても誠意をもって説明する経験ができることです。もし関東地方に同様な地震が発生すれば、今度は支援を受ける側になる可能性があるわけです。

〇昨日の話し合いでは、中学生よりも高校生の方が人数が多く、高校生の物怖じしない発言や行動に、最初は少し緊張していた中学生も段々と打ち解けて、活発な意見交換となりました。

〇実施する日時や場所の候補日を確認し、道路使用許可書なども警察署に申請した上で、今月や来月に実施することになりました。また募金箱や募金パネルなどの用意も、お互いに分担し、当日は中学生と高校生がいくつかのグループに分かれて行うことになりました。

〇募金活動を通して、被災地の方々の苦労を当事者意識で想像しながら、小さくても自分たちのできることを考えて行動する経験は、今後に必ずいかされると思います。そして打ち上げ花火のような活動ではなく、息の長い支援を彼らには考えてもらいたいです。

須藤昌英

2月1日(木)授業を研究する

〇2月になりました。水仙の花や梅の花も開花しています。今日の日中は春の陽気であたたかいようですが、夜から寒気が入り急に寒くなる予報が出ています。近隣の小中学校でも、インフルエンザや新型コロナによる欠席が増加しているようです。用心していきたいと思います。

〇一昨日の授業参観の前後には、5つの教科・領域で、7つの研究授業を行いました。研究とは一般的に、「物事を深く考えたり、詳しく調べたりして、真理、理論、事実などを明らかにすること」です。私なども長年授業を行ってきましたが、「授業は生き物」という感覚があります。要するに、授業は物ではなく、目の前の子どもたちを相手にしているので、計画通りに進まないことがあったり、逆に意図しない部分で生徒の理解が進んだりするような経験を何度となくしてきました。

〇教員としての研修は多方面にわたりますが、その中で「一丁目一番地」は、やはり授業の進め方&生徒の学びの支援です。著名な教育者の斉藤喜博氏の「授業は真剣勝負である」や「教員は授業で勝負する」というフレーズは、教員であれば一度は聞いたことがあり、それを毎日実感している本校の教員も多いと思います。

〇伝統的に日本の教員は、より良い授業を目指し、各学校やグループ、地域などでの自主的な授業研究の取組を続けてきています。私も日々の教材研究(授業内容をどの視点でどのアプローチで生徒に学ばせるか)する時間は、若い頃から楽しい時間でした。何よりも教える教員がその教科の本質的な楽しさや実社会とのかかわり(有用性)をわかっていることが、たとえ思い通りに授業が進まなくても、生徒達には伝わるもの(この先生は本当にこの教科が好きなんだなど)が多かった気がします。

〇国の中央教育審議会答申でも、「日本の教員の自己研鑽の意欲は高いものがあり、日本の授業研究の伝統は諸外国からも注目され、こうした自主的な資質能力向上の取組がこれまで日本の教育の発展を支えてきた」と評価されています。

〇特にその授業のねらいである「学習問題(課題)」は、生徒の学びのゴールを言葉であらわしたものであり、研究授業後の振り返りの会でもその大切さを学んでいます。本校にも若い教員が多いですが、彼らは日々生徒から学び、着実に授業力をつけていることを校長として嬉しく思いつつ、今後もサポートを続けていきます。

須藤昌英