校長雑感ブログ

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4月30日(土)ビジョン&ハードワーク(VW)

〇先日始まった番組で、各界トップランナーが語る「NHKラーニング」の第1回は、ノーベル医学・生理学賞の生命科学者・山中伸弥さんでした。題は、「ゆるぎない知性との出会い」で、これまで「何を大切にして新たな価値を生み出してきたのか」、そして「これから何をしようと考えているのか」について30分で語っていました。

〇山中さんは、ほぼ私と同世代で、今から10年前にノーベル賞を受賞したニュースをみて、日本人として励みになったのを覚えています。

〇医学の道を歩み始めたきっかけ、「それは最愛のそして尊敬する父の病であり、元気だった父親が肝炎で入退院を繰り返すのをみたこと」らしいです。

〇ところが外科医としての自信をなくし、そこから研究者として「再出発」しましたが、3年半アメリカの研究所に勤めたときの指導者ロバートマーレ恩師から授けられた「ビジョン&ハードワーク(VW)」という言葉が人生を大きく変えたということです。

〇恩師は、「成功したいやえらくなりたいはビジョンではない」「何のためにアメリカに来ているのか」を繰り返し問いました。いろいろな葛藤の末、「研究者として、人の病気やけがを治したい」がビジョンであり、そのためには、「一心不乱に一つのことを追求していくこと」しかないと悟られたと語っていました。

〇また日本に戻ってきてからも、アメリカとの研究環境の違いに精神的にうつ状態になったことや一緒に研究してくれる学生たちが集まらずに困ったこと、日本では優れた基礎研究が沢山あるのに企業との連携が上手く進まず、多くのプロジェクトがいわゆる「死の谷」で苦戦していることなど、様々な困難があったことを私も初めて知りました。

〇2007年念願の「iPS細胞」の誕生の鍵となったのは、「失敗を失敗と捉えない」心のありようであり、2012年にノーベル賞受賞、「このPS細胞を社会に還元していきたい」気持ちは当初から変わっていないということです。

〇さらに最後は、「59歳のこの春、私は大きな決断をした。これまでのiPS細胞研究所の所長は他の研究を支援するという立場であったが、それを退任し、研究者に軸足を戻すことにした。それはなぜか。未だ手つかずの『NAT1遺伝子』の謎に残りの人生をかけて挑むと決めたからだ。」とこれからの決意がありました。

〇今も新たなことに挑み続ける姿勢は、「学び続ける富勢中」をテーマに掲げている本校の生徒にも、通じるものがあって欲しいと願います。インターネット上のNHKアーカイブでも視聴できますので、もしご興味があればどうぞご覧ください。 

須藤昌英

4月29日(金)礼を尽くす

〇「日経トップリーダー 『会う人がすべてが、幸之助の虜になった なぜ一見の相手にも深く頭を下げるのか』 」という本に、以下のような話があります。

〇とある中小企業を経営する五十代の方が、東京から大阪に仕事の帰りで新幹線に乗っていました。もともと松下電器(Panasonic)の創業者松下幸之助の大のファンであったらしいです。それがたまたま、通路を挟んで斜め前に松下幸之助さん本人が坐っていました。「何とか一言でも話しかけてみたい」と思うのですが、相手にもされないだろうと尻込みします。

〇「それでも千載一遇の好機を逃したくない」と思って、当時車内で売っていた冷凍ミカンを買っ松下松下幸之助さんに差し上げてみました。それがきっかけとなって、「一言でもお言葉を聞けたらいい」と思ったのでした。恐る恐る冷凍ミカンを「どうぞ」と差し上げると、松下幸之助さんは驚きながらも「ありがとうございます」と受け取られて、それから二十分も話ができたというのです。それだけでもその人は感動しました。

〇やがて京都駅に近づくと、松下幸之助さんは降りる準備を始めました。するとその方のところまで来て、「先ほどはありがとうございました。ミカンおいしかったです」と丁寧に御礼を言われたそうです。更に驚いた事に、ホームに降りた松下幸之助さんは、その方の席のところまで来て、お辞儀をされました。そして新幹線が動き出すまで、見送ってくれたというのです。

〇全くこれまで面識も無い人に対する松下幸之助さんの丁重なふるまいに感激したその人は、大阪に帰ってから、自分の会社と家にある電化製品をすべて松下電器の製品に替えたということでした。

〇なぜ初対面の人に対しても、こんなに丁重に応対されたのか、その文章の中には松下幸之助さんの深い思想が書かれていました。「人間は誰しもとても素晴らしい能力を与えられている、だから老いも若きも偉大な存在なのだと。会った人がお客であろうがなかろうが、顔見知りであろうがなかろうが、今自分は素晴らしい人と話しているのだから、失礼のないように礼を尽くさなければならないと」いう考えだったという話なのです。

〇本当のリーダーのあるべき姿を学んだ気がします。

須藤昌英

 

4月28日(木)身体的技能や芸術表現をする教科

〇高等学校の入試科目にある5教科(国・数・英・社・理)がある一方、音楽・美術・保健体育・技術・家庭などの教科を、通称「技能(表現)教科」などと呼んだりしますが、私は前者が「主に文字や数字を使っていろいろな概念の理解を深めること」に対し、後者は「手や足などの自分の身体を使って何かをかたちにしていくことだ」思っています。

〇有名な解剖学者の養老猛司先生は講演の中で、「本来の教育は、身体を使って表現することであった。もともとインプットの学習とアウトプットの表現は一緒だったのが、近代教育ではそれを分離してしまった。昔の『文武両道』は、その2つ(学習と表現)がもとは1つであることを示しており、それがサイクルを描いて回っていないといけない」とおっしゃっています。

〇まさに別表の各5教科は、それぞれのねらいをもって、生徒たちの感性を豊かにするために、日々の授業を行っています。生徒も他の人と比較するのではなく、自分なりの作品制作や表現活動を行っているので、表情が豊かに見えます。

須藤昌英

 

4月27日(水)「3D」から「SNS」へ

〇ある冊子に、精神科医の西多昌規先生の「言葉を前向きに「変換」してみよう!」という記事がありました。「3D接続詞というのを使わないように」と書かれています。

〇3D接続詞というのは、「でも」「だって」「どうせ」というのです。こういう言葉を使っていると、同じ言葉を使う者が集まってくるそうで、「ネガティブな口癖の人同士が集まって、不満ばかりの人生になる」と指摘されています。

〇西多先生は、「でも」「だって」「どうせ」の3D接続詞が出そうになったら、「そうですね」「なるほど」「その通りです」など、肯定的な接続詞を使うようにと指摘しています。こちらはその頭文字からSNS接続詞となります。まずは相手を決して否定しないことから入り、そうすればその後の会話がスムーズになるということでしょう。

〇私も人に言われないと自分の口癖を認識していないことが多く、この記事を読んだ際、もう一度自分の言動を一日かけて振り返りました。するとやはり無意識にいくつかの言葉を発し、「その言葉にあとから自分の気持ちが引きずられているのでないか?」と思いました。

〇はじめにある気持ちがあって、それによってあとから発する言葉はまだ自然でよいですが、先ほどのように言葉に気持ちが左右されるのは、「不合理な気がして、できるだけ避けよう」と思っています。

〇次回、全校生徒の前で話す場面で、「3DからSNSへ」を投げかけてみようと思います。

須藤昌英

 

4月27日(水)仮説を立ててそれを実証していく力(理科の学習)

〇理科については、先日の18日に「中学生のころの学習は一つのきっかけ」として、45年前の昔、私が中学生で理科の授業で習ったことで、「四季がどうして生まれるか」については、当時「なるほど何にでも根拠はあるのだな」と思ったことを書きましたが、それは第二分野(生命や地球に関する自然の事物・現物を対象)に入ります。もう一つは第1分野(物質やエネルギーに関する自然の事物・現物)があり、生徒も好き嫌いが分かれるようです。

〇理科のある先生に、「どのような気持ちで授業に臨んでいますか」と尋ねたところ、「自然の不思議さとか、面白さとか、そういうものを伝えたい。こういうことを知識として持っていたら、豊かな生活になるということを伝えたい。また、社会に出て、いろいろな人生を送っていく中で、未知の課題が出てきたときに、観察・実験を通して得てきた課題を解決していく能力というのは、そこできっと発揮されるのではないだろうかという期待も持ちながら、授業をしている。」とのことでした。

〇私も理科の学ぶ過程の中に、仮説や予想を立て、自分の問いを追求し、それをみんなに説明したいために、実験・観察をするというところが大切ではないかと思っています。この力は社会に出てからもよく使われるもので、成功しても失敗してもその原因を考え、そこからまた新しいアイデア(仮説)を立てていく・・この繰り返しは、どんな職業でも本質的に同じではないかと思います。

〇いずれにせよ、実験などには安全性の確保が欠かせませんので、特に年間を通して理科室での授業は、理科支援員さんのバックアップを受けて、安全面に最大の配慮をしていきます。

須藤昌英