校長雑感ブログ

校長雑感ブログ

5月8日(日)富勢地区青少協定期総会

〇昨日、富勢西小学校体育館にて、令和4年度富勢地区青少年健全育成推進協議会定期総会が開かれ、昨年度の報告と今年度の活動予定が承認されました。

〇青少年健全育成推進協議会とは、地域の子どもを取り巻く大人の組織で、地域の青少年が健全で立派な社会の形成者として育つように、大人がみんなで援助する組織です。学校はあくまでも富勢地域のお子様をお預かりして、教育を行っている立ち位置にありますので、本協議会との連携は欠かせません。日頃からの学校への御理解と御支援に深く感謝いたします。

〇また本年度は、富勢中学校が事務局を務めます。よろしくお願いいたします。

須藤昌英

5月7日(土)時間泥棒(どろぼう)

〇1年半前くらいに心療内科医の海原純子氏が、毎日新聞の連載「新・心のサプリ」の中で、「時間どろぼう」という話をしていました。海原さんは医師でもあり歌手でもある異色の方です。

〇海原さんは毎日仕事や歌と忙しく活動する中で、「時間を大事にしたい」と書いています。それには「時間どろぼう」から身を守ることが必要だというのです。「時間どろぼう」とは何かというと、たとえば「とくに見たくもないテレビをだらだら見ている」「ネットサーフィン」など。更に「人のうわさ話や悪口」「後悔で自分を責める」なども入るそうです。極めつけは本当は嫌なのに、悪く思われたくなくて無理に出席する各種の会合なども「時間どろぼう」になると指摘します。「なるほどな」と思いました。こういうことが貴重な時間を無駄にしてしまうと新しい視点を知りました。私にもおおいに心当たりがありますし、特にコロナ禍以前は多かったと振り返ります。

〇また海原先生は、時間どろぼうの目安になるのが、「自分が主語になっているか否かだ」と続けます。それゆえたとえ同じように「だらだら過ごす」のでも、自分自身で「今日は一日ボーと過ごしたい」と思って過ごすのなら、時間どろぼうの被害にあっていない。受け身で過ごす時間は、「時間どろぼう」の被害にあうことが多く、「自分が主語になっていて、明確な気持ちで行動する時間は、時間どろぼうの被害を受けることはない」と書いていました。

〇また先日紹介した、横浜創英中学・高等学校の工藤校長もそれに関連しては、「自主性が育っていない生徒は、そもそも自分のタイムマネジメントができない。色々とやるべきことがある中で、優先順位をつけられない。人から指示されたことはできるが、自分でタイムスケジュールをたてようとはしない」と指摘しています。でもこれは大人も一緒だと感じます。

〇そうなると、時間に追われたり時間に使われたりしないように、つまり「時間どろぼう」の被害に遭わないようにするには、「自分が主人公となっているかどうか」「目の前のことに自主的な取り組んでいるか」に気をつけなければならないということでしょうか。

須藤昌英

 

5月6日(金)午後の教員研修のため3時間授業&給食で下校します

〇ゴールデンウイークも後半に入り、昨日は「子どもの日」に加えて、暦の上では「立夏」にあたり、強い日差しが降り注ぎ、一年の中で一番紫外線の強い頃だそうです。確かに日陰では爽やかですが、屋外での運動は暑さを感じました。

〇本日の午後は、教職員の研修が市内一斉で行われるため、生徒は3時間授業、給食で下校となります。今朝正門での私とある生徒の会話

「校長先生、今日は3時間でめっちゃ嬉しいです」

「そうですね。午後は先生方の勉強会があるので、午前中は君たちが頑張ってください」

〇そもそも法律で、教員には研修の義務があります。参考までに、

「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。(教育基本法9条)(研修)」

〇最新の教育に関する研修を積んで、人間としての素養を高めたり、指導力を向上させたりすることにより、生徒たちの学びの質が高まるようにしていきます。

須藤昌英

5月5日(木)子どもの日に思うこと

〇今日は国民の祝日の一つ、「子どもの日」です。5月5日は古来から「端午の節句」として、子どもの健やかな成長を願う行事が行われていたという歴史があり、日本人が子どもを大切な存在としてきた証でもあるそうです。

〇元東京都の公立中学校校長で、現在、横浜創英中学・高等学校の校長である工藤勇一氏は、著書の中で、次の指摘をされています。少し長いですが、引用させてもらいます。

「学校の最上位の目的が『子どもたちに社会で生きていく力を見につけてもらうこと』であり、3つの資質「自律」「尊重」「創造」を育てていくに当たって、もっとも重要なのが、Agency(当事者意識)である。当事者意識をもった子どもたちが社会で出ていくことで、幸福な社会が実現される。しかし、日本の子どもの当事者意識の低さ(これは大人も同様)は、極端な受け身の思考回路となり、『社会や国の未来も自分の幸せも、周囲の誰かがどうにかしてくれるはずだ』『問題が発生したり自分が不幸になったりしたら、それは周囲の大人のせいだ』となってしまう。教育を含め、日本の社会全体がサービス産業化し、大人は子どもに手をかけすぎている面がある。そのことで、子どもによる自己決定の機会がなく、自分で考えたり新しいことに挑戦したりする姿勢が育たない。サービスを過剰に与えられた子どもは、「より良いサービス」を求め、「サービスの質」に不満をもち、『あの先生の授業は教え方が悪い』『あの担任のせいでうちのクラスはまとまらない』と人に原因をなすりつけていく。最も心配なのは、自律できない→自分のことが嫌い(劣等感が強い)→他人を尊重できないの構図ができあがり、社会性どころか自己肯定感まで下げてしまう。」

〇いかかでしょうか?日本人がよかれと思い子どもへ教育してきた負の一面を厳しく指摘されています。学校の本当の役割や子どもの「自律・自立・自主性」を伸ばすためには、何が必要で何が不要なのか?これまでも考え続けてきましたが、校長として今日一日もう一度再考してみたいと思います。

須藤昌英

 

5月4日(水)脳に最もダメージを与える言葉と脳を躾ける言葉

〇北海道で笑華尊塾の代表をなさっている塩谷隆治さんという方は、もとは高校で十五年教師を勤めてから塾を開かれた方です。その塩谷さん自身が昔、とある講演会に出席した中で、「一番脳にダメージを与える言葉は何か?」というテーマに対し、講師からその答えとして、「疲れた」という言葉だと教えてもらったそうです。塩谷さんは、当時野球部の指導をなさっていたので、それを聞いて部の中で「疲れた」という言葉を生徒達が使うのを禁止にして、その代わりに「充実している」という言葉に置き換えるように指導したというのです。

〇そういえば私も自宅に帰った際、たまに「ああ疲れた」と言っている日があることを思い出しました。無意識で言っている場合が多いですが、言った日は言わない日に比べて、何となく寝るまでの時間を無駄にダラダラ過ごしている?気がします。

〇先日は、3D接続詞というのは、「でも」「だって」「どうせ」をやめて、SNS接続詞「そうですね」「なるほど」「その通りです」を使うことを書きましたが、同じようなことが、「疲れた」という言葉に自分の意識が引っ張られ、マイナスの効果があるということでしょう。その代わりに「充実している」という言葉で、たとえ身体は疲れていても、心はプラス方向に向いていくということかと感じます。

〇またアクティブブレイン認定講師の藤本肇さんという方の「脳を躾ける『あいうえお』」というのも「なるほど」と思います。それは、

「あ」まず朝起きたら、「あー、よく寝た」

「い」窓を開けて、雨であろうが雪であろうが「いい天気だ」

「う」朝ご飯を口に入れたら「うまい」

「え」本を読んだり話を聞いたら「ええ話やったなあ」

「お」感情を表す言葉の前に入れて「おー素敵」「おーすばらしい」

というように、言葉を前向きにしてゆくことで、心を明るくできるというお話です。

〇いろいろな方の話を聞くと、毎日の何気ない言葉の習慣が、身心共に大きな影響を与えることは、おそらくあるのだろうと思います。もしかしたら、大人よりも純粋な中学生の方が、この話をしたら納得してくれるかもしれません。

須藤昌英

5月3日(火)主体性をもつ

〇コロナ対策の一つとして、この2年以上のマスク着用生活が続いていますが、ここにきて専門家の見解も分かれているようです。「しばらくは外すべきではない」「屋外などでは自分から外すべき」「外したくでも人目が気になり難しいことも」など、三者三様の主張があり、それぞれもっともだなと思っています。

〇ウクライナ情勢についても、これまでどこにある国かもロシアとの歴史的背景もまったく知りませんでした。また紛争は終わって欲しいものの、正直どちらの国の言い分にどれだけの正当性があるかも、よくわからないことばかりです。多くのメディアが伝えていることが、どれだけの中立性が保たれているのか?どこかの国の思惑で事実が歪曲されているのではないか?疑問で頭の中がいっぱいです。

〇国民性を表す有名なジョークがあります。「沈み始めた船から、乗客を速やかに脱出させるため、船長が海に飛び込むよう指示する時の言い方が相手の出身国によって違う。米国人には『飛び込めば英雄です』、英国人には『飛び込めば紳士です』、ドイツ人には『飛び込むのが規則です』、イタリア人には『飛び込めば女性にもてます』、フランス人には『飛び込まないでください』、そして日本人には『みんな飛び込んでいますよ』だそうだ。」もちろんジョークですが、それぞれの国民性の特徴をよくあわらしていると思います。

〇「自ら主体性をもつ」ことに関しては、先月の1日に、このブログを始めるに際し、「人間は、例えると紙切れ一枚でも人から持たされて持っていると思うと重たく感じるものです。ところがこれが家族や好きな人の為に持つ荷物となると、どんなに重たい荷物でも軽々と持っていけるのではないでしょうか?そういう面から、この雑感ブログも、「やらされてやる」と苦痛になりがちですが、こちらが「主体性をもってやっていくこと」で、少なくとも苦痛にはならないことをのぞみながら、片意地はらずに続けていきます」と書きました。

〇「同調圧力で仕方なく」や「皆がそうしているから」だけで、マスクを外せない日本人や報道を鵜呑みにする日本人になっていないか?自分も含めた日本人の「奥ゆかしさ」は決して否定するつもりはありませんが、これからの時代を生きていく生徒たちには、自分で考え、他の人と意見を交わした上で、ある程度の根拠をもって判断していこうとする力を身に付けてほしいと願います。

須藤昌英

5月2日(月)連休のはざまでも生徒は学んでいます

〇ニュースなどをみると、世の中はまさにゴールデンウィークの真っ最中で、最大10連休などと報じていますが、生徒は今日も朝から真剣に授業へ参加しています。朝正門に立っていましたら、「連休なのに・・」という表情の生徒、「明日も休みだ」と嬉しそうな生徒、いつも通りの生徒の3パターンがいたように思います。

須藤昌英

あすなろ1・2・3組(生活)

3年1組(理科)3年2組(数学)3年3組(英語)

3年4組(社会)3年5組(社会)

 

2年1組(理科)2年2組(社会)2年3組(保健体育)

2年4組(保健体育)2年5組(家庭)

1学年は朝から全員を対象に、体育館で「心臓検診」を行いました。終わったクラスから授業へ戻りました。

1年1組(国語)1年2組(理科)1年3組(英語)

1年4組(社会)1年5組(数学)

5月1日(日)5月に入りました

〇このところの雨の多さと晴れれば強い日差しがあることで、学校敷地内のあちこちの雑草もその勢いを増しています。その雑草と争うように、3月頃から未だに、タンポポが群れをつくって咲いている場所もあります。

〇教育者でもありました詩人の坂村真民さんは、多くの詩を残しています。1909年(明治42年)1月6日生まれで、その後四国に移住して活動、2006年(平成18年)12月11日永眠(享年97才)。

〇四国の甲子園常連校で高校野球の監督だった上甲正典さんが、よく生徒に「念ずれば花ひらく」という言葉を口癖のように話していたことは昔から知っていましたが、その言葉はいったい誰の言葉なのかは十年前くらいまで知りませんでした。その言葉の出所が、坂村真民さんでした。

〇坂村真民さんの詩の中で、冒頭のタンポポに係る詩があります。2つ紹介します。

【タンポポ魂】

踏みにじられても

食いちぎられても

死にもしない

枯れもしない

その根強さ

そしてつねに

太陽に向かって咲く

その明るさ

わたしはそれを

わたしの魂とする

【たんぽぽのように】  

わたしはタンポポの根のように

強くなりたいと思いました

タンポポは

踏みにじられても

食いちぎられても

泣きごとや弱音や

ぐちはいいません

却ってグングン根を

大地におろしてゆくのです

わたしはタンポポのように

明るく生きたいと思いました

太陽の光をいっぱいに吸いとって

道べに咲いている

この野草の花をじっとみていると

どんな辛いことがあっても

どんなに苦しいことがあっても

リンリンとした勇気が

体の中にあふれてくるのです

わたしはタンポポ゚の種のように

どんな遠い処へも飛んでいって

その花ことばのように

幸せをまき散らしたいのです

この花の心をわたしの願いとして

一筋に生きてゆきたいのです

〇一つのタンポポからこれだけ多くの言葉を紡ぎ出すのは、さすが詩人だと思いますが、幾つかの言葉に自分と重ね合わせて、深い意味を考えることもあります。爽やかな時節ですが、コロナの収束とウクライナやミャンマーなどの紛争の終結について、一日でも見通しがもてるようになってもらいたいです。

須藤昌英

4月30日(土)女子バレーボール部準優勝

〇昨日と今日、東葛飾地方バレーボール選手権大会が行われ、女子バレーボール部が準優勝という見事な活躍でした。

〇決勝戦は、柏五中・風早中連合チームに0-2で惜敗しましたが、生徒たちは2日間で5試合を行い、ゲームを楽しんでいました。今後チームの課題をみんなで洗い出し、さらにステップアップしてください。

須藤昌英

4月30日(土)ビジョン&ハードワーク(VW)

〇先日始まった番組で、各界トップランナーが語る「NHKラーニング」の第1回は、ノーベル医学・生理学賞の生命科学者・山中伸弥さんでした。題は、「ゆるぎない知性との出会い」で、これまで「何を大切にして新たな価値を生み出してきたのか」、そして「これから何をしようと考えているのか」について30分で語っていました。

〇山中さんは、ほぼ私と同世代で、今から10年前にノーベル賞を受賞したニュースをみて、日本人として励みになったのを覚えています。

〇医学の道を歩み始めたきっかけ、「それは最愛のそして尊敬する父の病であり、元気だった父親が肝炎で入退院を繰り返すのをみたこと」らしいです。

〇ところが外科医としての自信をなくし、そこから研究者として「再出発」しましたが、3年半アメリカの研究所に勤めたときの指導者ロバートマーレ恩師から授けられた「ビジョン&ハードワーク(VW)」という言葉が人生を大きく変えたということです。

〇恩師は、「成功したいやえらくなりたいはビジョンではない」「何のためにアメリカに来ているのか」を繰り返し問いました。いろいろな葛藤の末、「研究者として、人の病気やけがを治したい」がビジョンであり、そのためには、「一心不乱に一つのことを追求していくこと」しかないと悟られたと語っていました。

〇また日本に戻ってきてからも、アメリカとの研究環境の違いに精神的にうつ状態になったことや一緒に研究してくれる学生たちが集まらずに困ったこと、日本では優れた基礎研究が沢山あるのに企業との連携が上手く進まず、多くのプロジェクトがいわゆる「死の谷」で苦戦していることなど、様々な困難があったことを私も初めて知りました。

〇2007年念願の「iPS細胞」の誕生の鍵となったのは、「失敗を失敗と捉えない」心のありようであり、2012年にノーベル賞受賞、「このPS細胞を社会に還元していきたい」気持ちは当初から変わっていないということです。

〇さらに最後は、「59歳のこの春、私は大きな決断をした。これまでのiPS細胞研究所の所長は他の研究を支援するという立場であったが、それを退任し、研究者に軸足を戻すことにした。それはなぜか。未だ手つかずの『NAT1遺伝子』の謎に残りの人生をかけて挑むと決めたからだ。」とこれからの決意がありました。

〇今も新たなことに挑み続ける姿勢は、「学び続ける富勢中」をテーマに掲げている本校の生徒にも、通じるものがあって欲しいと願います。インターネット上のNHKアーカイブでも視聴できますので、もしご興味があればどうぞご覧ください。 

須藤昌英