校長雑感ブログ

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4月25日(月)ちょっとはやい五月病?

〇今朝のNHKニュースで気になる報道がありました。それに関連するサイトから引用させてもらいます。

〇「新年度が始まりまもなく1か月ですが、コロナ禍で迎える3年目のこの春、職場や大学ではリモートでの業務や授業を対面に切り替えるところも多く、日常が少しずつ戻ってきました。新たな出会いや刺激への期待に胸を躍らせるこの季節。ただSNSをのぞいてみると…「対面しんどい」「視線と話し声が気になる」との意見も多い状況があります。なぜこうした声が上がっているのか?取材してみると、4月なのにどうやらもう“五月病”が現れているようです。」

〇「例えば新大学3年生は、入学したときには、すでに新型コロナウイルスの感染は拡大していて、入学式は中止でした。1、2年生では体育の授業を除き、履修したすべての授業はオンラインで自宅で受けていました。対面授業の再開については、『当初思い描いていた学生生活を送れると楽しみでしたし、友人とも何か月ぶりに会えて本当にうれしかったです』と話していました。この4月は月曜日から金曜日まで毎日大学に通って、友人たちと肩を並べて授業を受け、サークル活動にも精を出しました。ただ、その週末は、朝からなにもやる気が出なくなってしまったと話します。『土曜日は午前中から勉強をしようと思っても、手が付きませんでした。気分転換をしようと散歩にもいったのですが、効果がありませんでした。日曜日も気分が晴れず、食べて、寝ることしかできなかったんです。』」

〇「『小中高のときはもちろん対面で授業を受けていたので、対面授業にすんなり戻れると思っていました。でもみんな同じ場所で授業を受けている間は無意識に気を遣っていたのではないかと感じます。対面授業のほうが、プライベートな空間で授業を受けるより疲れます。』つまり早送りも可能で何回も聞き直しができるオンライン授業が当たり前になっていて、対面授業の感覚を取り戻せないことも負担に感じているようでした。」

〇まさに私の長女もこの4月から大学3年生で、今のところ異変は見えませんが、もしかしたら内面では同様の不安や悩みがあるのかもしれません。この記事は主に大学生を扱っていましたが,「中学生ももしかしたら・・」と少し心配になりました。これからゴールデンウイークに入りますが、ご家庭でもお子様の様子を観察してみてください。

須藤昌英

 

 

4月24日(日)生徒たちのより良い成長のためのPTA活動

〇昨日、お忙しいところ新旧の役員の皆様にお集まりいただき、引継ぎ及び今年度の第1回の役員会等を開きました。

〇PTAは本来子どもの健やかな成長を願う保護者や教師が協力していく団体です。また保護者や教職員のPTAへの加入につきましては、個人の自由(任意加入)であり、強制ではありません。ただし、子供たちが安全で健やかに成長するためには、学校と保護者の連携は不可欠であり、PTAは子供たちに必要な組織と考えています。本校生徒のために、保護者と学校が自主的・協働的に進めているのがPTA活動であり、学校ごとに組織されている団体で、またそれをまとめる市内のPTA連絡協議会もあります。

〇昨今の状況から、これまでの活動内容を見直し時期にきていることは認識しており、今後よりよいPTA活動の在り方について、役員の皆様方と情報共有し、協議してまいります。

〇また、「地域とともにある学校」の理念のもと、コミュニティ・スクール(CS)運営協議会に参画する委員は、学校や地域の実情を踏まえた方にお願いしています。このPTA 及びCSは、頼もしい「学校の応援団」として考えており、本校の生徒の健やかな成長のために、一緒に伴走してくださると認識しております。

〇また保護者の皆様につきましては、PTA役員などの選出にとらわれることなく、学校を支援する保護者ボランティア視点からのお手伝いも想定しています。今後も、持続可能でお互いの顔が見える関係になるよう、御協力をお願い致します。

須藤昌英

 

4月23日(土)英語の目的は話せること?

〇国語や数学にそれぞれの世界観があるように、世界の共通語と言われる英語も、近年は小学校の外国語活動が活発になっているおかげで、少しずつ生徒達にはその特性などは理解されていると思います。

〇英語を含む外国語科の目標は、「簡単な情報や考えなどを理解したり表現したり伝えあったりするコミュニケーションを図る資質・能力を育成すること」となっています。よく「コミュニケーション能力」を考えるうえで最も大切なことは、「双方向のもの」であり、相手への伝達だけでなく、「相手からの情報をいかに上手に(正確に)受け取るか」という観点も持っていなければならないと言われます。

〇しかし世間では、高機能でコンパクトな翻訳機はたくさん出回っており、外国へ行くにもそれをもっていけば、困ることはない時代になっています。ではなぜ、英語を学習するのでしょうか?もちろんさきほどのコミュニケーションのツールとして、英語は日本語よりもある面は適していると思います。でもそれだけでしょうか?

〇これも私の私見にすぎませんが、中学校から英語を勉強し始めて、私はやはり英語の文法に馴染むのに時間がかかった記憶があります。よく「S主語、V動詞、O目的語、C補語」を組み合わせた5文型をひたすら覚えましたが、それまでどうしても日本語と違う違和感が頭から離れなかったのが、ある日突然その霧のようなものが晴れて、しっくりと英文が見えるようになったのは、今でも忘れられません。

〇そしてさらに、例えば日本語との一番大きな違いである、主語の次に動詞がくるのも、「これも悪くないな」と思うようになりました。と同時に、逆に日本語の奥ゆかしさなどの良い面も、両者の比較によってより明確になりました。実際に英語を日本語へ、日本語を英語に直す際、その感覚が一番役に立ちました。

〇生徒達には、互いにコミュニケーションをとりながら、英語と日本語のそれぞれの良さを自分なりに感じてほしいと思って、各学年の英語の授業を参観しています。

須藤昌英

 

4月22日(金)「数学嫌い」の原因として考えられること

〇国語の学習が全学年統一で、「詩」から始まっているのと同様に、数学では全学年が、「数と式」の領域から始めています。

〇数学の学習内容は、大きく「数と式」「図形」「関数」「データの活用」の4領域から成り立っています。最初の「数」と「式」は、数学全体の下支えをしていますので、当然最初に学習します。

〇まず「数」についてですが、数学では学年が進むほど「新しい数」を定義し、その世界をひろげていきます。中1ではまず、マイナス符号のついた数を含めて初めて学習します。でもこれはまだ身近に気温や成績などに使われているので、理解しやすいです。ところが中3になると、「2乗するとある数になる数のもとの数」いわゆる平方根(√)というあまり馴染みのない数が登場します。昔数学を教えていた際、よく生徒から「何でルートのついた数なんかでてくるの?」と尋ねられましたが、「数学の世界を広げ、応用範囲をひろげるためには、どうしても新しい数がないと数学は発展していかないのだよ」と答えてきました。

〇次に「式」ですが、これはいわゆる「文字を使った式」のことで、算数と数学の違いの究極はここにあります。小学校では□を使った式で、「□のなかにはいろいろな数が入ることができるよ」と説明していますが、その□の代わりに、文字という抽象性の高い記号を使うことにより、式を形式的(アルゴリズム)に扱うようにできるようになります。要するに式を計算する課程をより簡単し、「その結果として得られた最後の式から何がいえるのか?」に意識を集中させやすくすることをねらっています。

〇いずれにせよ、数学に苦手意識をもっている生徒は一定数いますが、原因の一つが、「数学の独特の世界に違和感がある」と私は経験上感じています。生徒には、「例えば旅行で、アメリカに行ったとしたら、その国の文化や風習にある程度合わせた上で、楽しむよね。数学もそれと同じで、数学の国の文化や風習にまずは慣れ、楽しむまでいかなくても、『まあ、こんなものか』くらいに思っていればいいよ」と話していました。

〇今の生徒に通じるかわかりませんが、「にいればにしたがえ」は、他の教科にも同じく言えるかもしれません。

須藤昌英

 

4月21日(木)詩の学習にちなんで

〇我孫子市に住んで20年以上になります。我孫子市は大正から昭和にかけての昔、「北の鎌倉」と呼ばれていたほどで、今でも自然が多く残っています。手賀沼と我が家の間には、田んぼと小さな山の林があり、春の田んぼからは蛙の声、夏の林からはうるさいほどの蝉の鳴き声が聞こえ、年間を通して四季を身近に感じます。

〇最近は朝の五時から、鶯の「ホーホケキョ」の鳴き声が聞こえ、気分良く起床しています。耳を澄ましていると、その他に「ケキョ」とか「ホヶキョ」とか「グチュグチュ」のように鳴くことがあり、それがある一定のリズムをもっているような気がします。

〇リズムと言えば、昨日から正規日課の授業が始まり、各学年の国語は、ぞれぞれ「詩」の学習から入っています。1学年は金子みすゞの「ふしぎ」、2学年は吉野弘の「虹の足」、3学年は谷川俊太郎の「春に」と有名な詩人ばかりの作品を味わっています。また詩の暗唱を通して、表現方法や作者の気持ちの変化などを自分や友達の考えを出し合い、読み取っていく過程を全学年共通で行っています。

〇詩を読み慣れることで、国語に必要不可欠な力が養われます。その力は、一説によると「映像化力」と呼ばれ、目の前に詩の情景をイメージしていく力だそうです。詩を難しいと感じる人が多いのは、少しの言葉で表された世界を、十分につかみとれないのが一つの原因らしく、生徒たちは繰り返し自分のイメージづくりに懸命です。

〇今はコロナ対策で、大きな声での暗唱はできませんが、生徒のつぶやく声と、鶯の鳴き声が重なっています。

須藤昌英

 

 

4月20日(水)今日から正規日課になります

〇昨日までは臨時日課でしたが、今日より正規日課となりました。生徒たちは、6時間目の終了時刻(午後3時25分)まで、自分の学びを深めようと取り組んでいました。彼らをみていると、50分授業6コマを受けるのは、「知力」よりもある意味「身体力」が必要ではないか・・と感じます。

 

〇小児科医師及び発達脳科学者で、文教大学教授でもある成田奈緒子さんは、多くの著書がありますが、それを一貫しているのは、「子育て=脳育て」ということです。

〇子どもの脳(特に前頭葉)を「順序良く、バランスよく」育てる作業が大切で、脳を育てるとは、「神経細胞(シナプス)を増やすこと」だそうです。

〇「脳育て」を家づくりに例えると、2階建ての家をイメージし、その1階は、「からだの脳(朝起き、就寝、睡眠、食べる、排せつ、呼吸、体温維持等)」で、2階が「おりこうさん脳(会話、読書、学習、運動等)」と表現されています。

〇と同様に2階をつくるにはまずはしっかりとした1階部分をつくることだそうです。その上で、あとから2階部分はゆっくりとつくればいいとなれば、やはり規則的な生活を優先させること、よく言われ使い古された言葉ですが、「早寝・早起き・朝ごはん」ということでした。

〇中学校時代は、論理的で人間的な思考ができるようになり、さらに抽象的な概念・言語を使って表現したりするようになります。もしご家庭で、お子さまの言っていることが、今までよりも「屁理屈」のように聞こえたとしても、それが成長の過程だと理解してあげてください。

 

 

4月20日(水)ネットモラル授業(1学年)

〇世の中はますます便利さを追求し、コンビニでは何時でも欲しいものがすぐに手に入り、わからないことは手元のスマホで検索すれば、何でもそれなりの情報が得られるようになっています。もっと言えば、我々が「当たり前」と感じているこれらの「便利さ」は、「何かにすぐにパッと飛びつく習性を嫌でも身に付けてしまうこと」に直結しています。

〇我々のような昭和生まれの人間には、そのような時代の変化が自分の生きてきた時代とリンクしているので、これからもっと便利さを追い求める世間の風潮に、少しの不安を覚えますが、中学生たちは生まれながらに今の状態が「当たり前」なので、ちょっと違った感覚なのでしょう。

〇もちろん時代は後戻りできませんので、大切なのは生徒たちに、そういう環境中で、気をつけなければならないことや周囲への配慮などを教えていくことだと思います。

〇昨日、講師を招いて、新入生にネットモラル授業を行いました。

須藤昌

4月19日(火)全国学力・学習状況調査(3学年)

〇この4月に毎年、全国の中学校3年生を対象に行っていますが、本日午前中に、3教科のテストと学習や生活に関するアンケート調査を行いました。

〇夏以降に結果を分析し、授業改善の取り組みや教職員の校内研修の充実、放課後等の補充学習の実施などに役立てていきます。

須藤昌英