校長雑感ブログ

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2月16日(木)新聞の活用(読むと作る)

〇昨日に続いて新聞について書きます。林間学校や修学旅行などの校外学習では、事前学習や活動のまとめとして、個別や班別に新聞を作成しています。昨日の新聞記者と同じような経験をしたり友達の記事を読んで参考にしたりと、人に情報を伝えることの楽しさと難しさを学びます。しかし昨日も書きましたが、家庭での新聞購読率が低かったり、普段からじっくりと新聞を読んだことがないため、事前に新聞を書くための基本的な指導はしますが、どうしても見出しのインパクトがなかったり、伝えたい内容が絞り切れていなかったりする場合も散見されます。

〇現学習指導要領では、「新聞活用」が明記され、学校では教科などでもできるだけ新聞を使った授業に努めています。ただ全国学力テスト(中学校3年生対象)の結果では、「新聞をほとんどまたは全く読まない」という回答が中学3年生で約8割近くに及んでいます。そもそも新聞を読むという習慣は、ある意味「自分から必要な情報をとりにいく」という積極的行動であり、次のような「受け身の姿勢」とは異なるものです。

〇日本新聞博物館の尾高泉館長は、ある教育雑誌の中で、「ニュースや広告の方から自分を探して届けてくれる今の社会では、若い層はとっくに自分の関心のある情報が快適に届くようにスマホを最適化し、その傾向は生活全般者に広がりつつある」と指摘しています。確かにいつの間にか「レコメンド(表示)機能」と呼ばれるものがあり、最初は違和感がありましたが、日常化してしまうと「当たり前」となります。例えば通販サイトからは、「この商品を買った人はこんな商品も買っています。」みたいな通知がやたらときたり、ニュースについても見出し的な内容が示され「詳しくはこちらから」みたいなある意味「お節介」とも感じるサービス?があったります。

〇この機能は、ウェブサイトへのアクセス履歴などの膨大な情報を取集し、利用者と類似した商品やカテゴリに関心を持っている他の利用者を関連づけ、グループ化し、類似した利用者がよく見ているが、利用者がまだ見ていない商品を表示させる仕組みであり、データ活用という面では画期的だとは思います。

〇尾高館長はさらに、「各自が関心のある情報だけに接していけば、決して異論に出会うことはなく、対話や協働はバラバラになる。こうした問題は『エコーチャンバー(自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくる【反響室】のような狭いコミュニティで、同じような意見を見聞きし続けることによって、自分の意見が増幅・強化されること』や『アテンションエコノミー(人々の関心や注目の度合いが経済的価値を持ち、まるで貨幣のように交換材として機能する状況で、日本語では【関心経済】と訳される』と呼ばれ、社会の分断化、民主主義の劣化の要因ともなっている。研究者らは、『ニュースダイエット』を呼びかけ、「選択的ニュース回避」と呼ばれる人々のニュース疲れの傾向は、各国共通だと指摘する」と書かれています。

〇今のSNS社会の中で私たちは、新型コロナ感染症蔓延になってあらわになったように、真偽があやふやな大量の情報が一気に拡散し、それによって多くの人たちがその情報に振り回され、時にはいがみあったり傷つけあったりしたことを身近に経験してきました。昨日も書いた便利なネットニュースの情報源は、聞いたところによると、各新聞社とポータルサイト側が契約してWEB向けに文字数やタイトルを再編集したニュースの提供を受けているようですので、まだ信頼性はありますが、その他の個人サイトで書かれている情報が「本当に正しいのか」については、疑いの目をもっていくことも重要です。

〇冒頭の話に戻ります。生徒が新聞を書くということは、自分を当事者として自分が経験したことや考えたことをまとめるということから、これからの時代には欠かせない資質を養うことにつながります。そしてさらにそのことを通して、読んでいる記事の情報源や信ぴょう性を想像する力にもなると思います。

〇最後に三度、尾高館長の言葉です。「哲学者の三浦雅士氏が、『考える身体』で言うように、身体と思考はつながっていて、新聞を読む(つくる)習慣づくりが身体の発達と不可分である」参考にしていきたいと思います。

須藤昌英