校長雑感ブログ

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11月12日(火)「ゲーム」との付き合い方

〇校長面接などで、3年生に「受験勉強をしている時の気分転換の方法は?」と尋ねると、8~9割の生徒が「好きなゲームをしています」と答えます。そこでさらに「気分転換のつもりが、そのままハマってしまうことは?」と続けると、大抵の生徒が苦笑いし、「それが悩みです・・」のように打ち明けてくれます。

〇過去に担任していた生徒から、同じようなゲームに関する質問を投げかけられたことがあります。「どうしたらゲームをやめられますか?」と。私は答えました。「方法はただ一つしかないよ。それはそのゲームの攻略法を徹底的に友達から教わってからやってごらん。わかると思うけど、そんなのはつまらなくてすぐに止めてしまうでしょ」。

〇少し逆説的な言い方ですが、そのように何もかも教えてしまっては、人はまったく面白みを感じないのです。どうしてかと言うと、ゲームの中で「自分で選択する機会」が前もって奪われ、冒険心や挑戦心などのやる気のもとがなくなってしまうのです。

〇私が「ゲーム」と聞けば、今から40年前以上に流行したインベーダーゲームを思い出します。当時はまだ自宅で行うゲーム(ファミコンなど)は販売されていませんでしたので、高校生だった私はゲームセンターで夢中になりかけていました。ただ段々とゲーム以外のことが忙しくなりゲームセンターに行くのも億劫になったので、お小遣いを使い果たすようなところまではいきませんでした。

〇しかし今は自宅でゲームが当たり前ですので、生徒たちが自らの制御力でゲームをする時間をコントロールしなければならない状況です。自宅でできる便利さはありますが、逆にゲームとの程よい距離を保つことが難しくなっています。先ほども書きましたが、生徒がゲームの中で自分が主役となり、「主体性」をもって課題に挑戦していくことは、人間の本質にあったゲームのプラス面であり、否定されるべきではありません。

〇ただ先日、You-tubeの対談で、東大名誉教授の姜尚中(カン・サンジュン)氏が指摘していたことも気になります。姜氏は「人生(実社会)はゲームではない」とし、「(要約)現代は政治、経済、人間関係などのすべてが、ゲーム理論に基づいて処理されている。ありとあらゆる領域から集めた情報をアナリストが分析したりそこからシュミレーションしたりして、現場の様子はモニターでみるだけ。そこに強烈な違和感をもつ。しかし実際に目の間で起きていることはもっと複雑で、ゲーム理論だけでは到底説明しきれない」と鋭く述べています。

〇これを見ながら深く考えさせられました。ゲームの良さは認めつつ、そこから実際の生活にいかに戻ってくるか。冒頭の受験生の悩みは、決して子どもの問題ではなく、我々大人も直面している問題だと思います。

須藤昌英

 

11月11日(月)富勢地区文化展&三学年期末テスト

〇先週末の土・日曜日は、富勢地区ふるさと協議会主催の文化祭の中の展覧会が、布施近隣センターで行われ、本校の美術部員が書いた「富勢中の風景画」を出品しました。

〇ここには、富勢小、富勢東小、富勢西小、県立柏高校からの作品もあり、児童生徒の感性の豊かさを感じ取ることができました。絵の構図や色使いは、大人では描けない自由さがあり、素晴らしいと思いました。

〇私もそうでしたが、中学生くらいになると、「見たままを忠実に描くことを基本にした絵画(写実絵画)」を描きたくなるようです。 ただその作風は生徒個人によってさまざまであり、だからこそ同じような情景を描いても、表現されたものはそれぞれ全く違うものになります。

〇先日も放課後の校庭で、一人の女子生徒が本校の正面玄関あたりを描いていましたので、「出来栄えはどうですか?」と声をかけたところ、うれしそうに「まあまあです」と答えていました。

〇どの生徒も何度も何度もスケッチして彩色するという作業を繰り返していました。彼らの描く絵には、集中して一つの作品に取り組んだ「時間の痕跡」が感じられます。この時間の積み重ねこそ大切であり、描かれるものにはその瞬間しかない美しさと儚さがあり、その経験が作者にとって次の作品のベースになるのだとかんじます。

 

〇今日と明日は、三年生のみ2学期の期末テストを行います。今日は、社会、国語、英語の3教科、明日は数学と理科の2教科です。

〇「なぜ3学期の期末テスト三学年だけはやく行うのか?」は2つの理由があります。一つ目は、高校入試の際に中学校が高等学校へ提出する「調査書(生徒の3年間の生活及び学習の記録)」を作成するために、3学年の学習評定を確定することが必要になります。一及び二学年の学習評定はすでに確定していますが、三学年は1学期及び2学期の学習の様子を総合的に勘案します。そしてまず、そのもとになる「保護者連絡票」を作成し、本人及び保護者に内容を確認してもらった上で、正式な「調査書」を年開けまでに作成します。

〇もう一つの理由は、特に私立高校の場合、その学校独自の「推薦制度(第一志望または第二志望以下もある)」があり、その推薦制度の条件に志望した生徒の成績が見合っているかを、来月から中学校の教員が高等学校へ出向き、「入試相談」を行います。この際に、先ほどと同様に、一及び二学年の成績に加え、三学年の1学期及び2学期の評定が必要になってきます。もしこの「入試相談」」で、高等学校側がその生徒が基準を満たしていることを認めれば、その生徒は願書などを出す時に、「〇〇推薦」を利用した出願が認められます。一番早い出願は、12月から「茨城県私立高等学校」となり、その後、「千葉県」「東京都」「埼玉県」と続きます。

〇三年生の皆さんには、これまで努力した成果があらわれることを願っています。

須藤昌英

 

11月8日(金)「個性は可能性」について

〇3年生との校長面接では入試本番を想定し、生徒は制服を着て校長室に入室してきます。彼らは入学してからはフォーマルな服装として、制服を着ることに慣れていますので、よく似合っています。生徒たちとは着ている制服の話をする時間はほとんどありませんが、ふと思い出したことがありました。

〇今から20数年年前くらいに学級担任をしていたころ、生徒たちと当時の学校の制服について、何度か話し合いしたことがありました。生徒たちは、「決められた制服や頭髪の基準、またそれらの身だしなみなどの約束があるのは窮屈な気がする」と言っていました。

〇もちろん私自身が中学生の頃も同じでしたが、その時の柏中は全校生徒が二千人いて、「中学校の時だけの決まりだし、みんな同じだから・・」と感じるくらいで、当時の生徒のように「自由がない、窮屈」とまでは思いませんでした。

〇そこで当時、あるインタビュー記事で映画監督の大林宣彦さんが、「制服」について学生に語っている文を見つけ、学級通信に掲載しました。引用します。「確かに制服はみんな同じで変わらないかもしれないけれど、その人が読んだ本、聴いた音楽などによって、まずその人の目の輝きや語る言葉が変わってきます。そうするとその同じ制服を着ていても、『個性』が出てくるんです。制服はファッションではなく、【心のあらわれ】です。同じものを着て窮屈で嫌と感じるとすれば、君の言葉を磨きなさい。君の目の輝きを磨きなさい。そうすると君の着ている制服は、君だけに似合う『個性』になるよ、と言いたいですね」

〇映画監督は一つのテーマをいかに表現するかをいつも考えてそれを仕事としており、その「表現のプロ」が言っているので、言葉に重みがありました。私は学級通信に、自分の解釈として「つまり表面ばかりに目を奪われて本質を磨くことを忘れてはいけないということを教えてくれていると思います」と添えました。もちろん生徒達はすぐに納得していたわけではありませんが、生徒達の疑問に寄り添いつつで、教員として一緒に学んでいたことは忘れることはありません。

〇また大林さんはこうも言っていました。「制服というのは対話の手段なんです。人間どうしは対話をすることでお互いを理解しようとします。対話とはお互いの違いを知る作業で、君と僕はこれだけ考え方が違うんだね。だからお互いに価値がある。これが共存共栄の意味だと知るわけです。違いを知るためには、一つの同じ土壌にいなければダメなんです。そのルールが制服だと思えば、制服を着せられたからみんな同じだと思うのではなく、同じ制服を着ているけれど、僕はこういう言葉を語るし、君はこういう言葉を語る、そうするとその制服が違って見えるということからも、個性を鍛えることができると思いますね」

〇後半の言葉は、当時大人であった私も深くうなずくものでした。同じ制服を着て面接をしていても、それぞれの生徒の個性はよくわかります。最近の私の結論は、「個性=可能性」ですので、逆に制服だけで個性(可能性)が無くなるなどは、空論に過ぎないと感じています。

〇来年度からは柏市標準服(ブレザータイプ)も本格的に導入されます。生徒や保護者にとっては、現行の制服か新しい制服かの選択肢が増えます。毎朝本校正門前を通学する幾人からの富勢小の6年生に、「制服は決まりましたか?」と尋ねると、大半が新制服と答えていましたが、中にはあえて今の制服(学ラン、セーラー服)を考えている児童もいました。

〇今の中学生は、制服についてどう思っているのか。何かの機会で、聞いてみたい気がしました。

須藤昌英

【柏市標準服:上着ブレザー&スラックス、スカート】

11月7日(木)「いじめ防止サミットKashiwa」

〇昨日、柏市内の中学校21校の代表生徒が2名ずつ集まり、「R6いじめ防止サミットKashiwa」がオンラインで開かれました。テーマは「SNSといじめ」で、NPO法人企業教育研究会代表の市野敬介さんがファシリテーターとなって、参加者がグループで話し合う形式の学習でした。

〇本校からは、生徒会役員の中村雅さん(2年3組)と佐藤莉杏さん(2年5組)さんが、富勢中を代表して参加しました。二人とも積極的に自分の意見を発表したり、他の中学校の生徒の話を真剣に聞いたりしていました。

〇サミットでは、二つの課題について話し合いました。一つ目は、アメリカのフロリダ州などでは、子どもがSNS上でネットいじめなどのやりたい放題が問題になり、その後子どもがSNSを利用することを規制する法律ができましたが、「もし柏市の条例で中学生以下のSNS使用禁止が決まった場合に、あなたは賛成しますか?反対しますか?」でした。

〇参加生徒は4人グループに分かれて、それぞれ自分の意見を根拠を交えて発表しあいました。いろいろな意見が出ましたが、「この時代に情報収集するのにSNSは欠かせない」「いじめ防止の意識を繰り返し高めていく必要がある」などの本質をついた理由がありました。

〇次に「このような禁止や制限を必要としないためには、学校でどんな取り組みが出来ますか?」の課題で、これもいじめ防止のポスターや呼びかけの便りを作成する、いじめについてだれでも相談できる場所をつくるなどの建設的な意見がありました。

〇大人の私でも考えさせられる内容でした。普段から仲が良いからといっても、一つのメールなどで相手を傷つけ、人間関係がこじれてしまうことはよくあります。むしろ正式にネットモラルの教育を受けていない我々大人の方が、生徒達よりもよほど気をつけていかなければならないと感じます。

〇このサミットを教材として、12月23日の終業式に、中村さんと佐藤さんには、全校生徒に向けて「いじめやSNSの使い方」について考える授業をしてもらうことを計画しています。事前に生徒や保護者にもアンケートをとるなどして、本校の実態に即した内容にリメイクします。ご期待ください。

須藤昌英

【積極的に参加し、メモを取りながら全校生徒向けの授業について考える中村さんと佐藤さん】

11月6日(水)「交通安全誓いの碑」

〇正門から入ってすぐ右脇に、「交通安全誓いの碑:交通違反をしない、させない、許さない」と書かれた石碑があります。これは今から38年前の昭和61年5月の日曜日、集団で部活動の練習試合の帰り(歩道を自転車で走行中)、猛スピードの車がその列に突っ込み、当時の本校女子生徒2名が命を落としたという大きな事故があり、「そのような交通事故が二度とないように」と願いを込めて当時の生徒・教職員・PTAが建立したものです。2年前に八街市で下校途中の小学生の列に、飲酒運転のトラックが突っ込み、2名の死傷者と3名の負傷者が出たことは記憶に新しいです。

〇私は当時大学4年生で、間もなく教員採用試験を受けようとしていました。住んでいる柏市内でそのような悲惨な事故があったことはテレビなどでも大きく報道されましたので、今でも記憶にはっきりと残っています。

〇その翌年4月に柏市の中学校教員となり、その事故現場がちょうど通勤途中だったので、行き帰りにその場所を通るたび、心の中でご冥福を祈りつつ、教員として生徒の命を預かる重い責任を実感していました。

〇その女子生徒さんたちもご存命であれば、今50歳台前半になっています。一昨年4月に本校に着任した際も、その38年前の事故については前校長や前PTA会長さんからも引継ぎとして説明を受けています。

〇500名以上の生徒の命を預かっている今、同じような事故が起きないように日々努めていかなければならないと、亡くなられた方への誓いとしてあらためて肝に銘じました。

〇先日は、柏市教育委員会を通じてから千葉県交通安全対策推進委員会より「自転車乗車用ヘルメット着用率向上に向けた取組について(通知)」が届きました。内容は以下の通りです。

1 自転車乗車用ヘルメットの着用について

令和5年4月より、自転車乗車用ヘルメットの着用は努力義務となりました。通学時の自転車利用に限らず、日常利用でもヘルメットの着用に努めていただきますよう御協力をお願いします。

【道路交通法第63条の11第1項】

自転車の運転者は,乗車用ヘルメットをかぶるよう努めなければならない。

2 通学時の安全運転について

自転車で通学の際に転倒し負傷する事案が発生しています。また、ヘルメットを着用して頭部は保護できたものの他の部位を負傷する事案も発生しており、安全運転についてより一層注意いただきますようお願いします。

〇この3年間正門脇で、ふるさと協議会と連携して16日に地域の御年輩の方々に配付する「ビオラ花鉢」を育成中です。その花鉢を生徒たちが「交通安全誓いの碑」の近くで育てているのも、何らかの供養になれば・・と感じています。

須藤昌英

11月5日(火)ちょっと良い話と想像力について

〇この三連休は、土曜日は秋雨前線で雨でしたが、文化の日と振替休日は秋晴れで気持ちの良い日でした。運動しようと自転車に数時間乗っても大汗をかくこともなく、ベンチで本を読んでいても紅葉しかけの木々や鳥の声で心が安らぎます。

〇ようやく暑さから逃れ、このような気候が長く続けばよい・・といつも思いますが、なかなかそういうわけにはいきません。気温や湿度が下がると、ウイルスの活動が活発化し、感染症の心配が出てきます。警戒を始めていきます。

〇先日学区にお住いの方から、うれしい連絡が入りました。道路で落とし物(財布)をして気付いて警察に連絡すると、近隣の交番に届いていたそうで、届けた人を尋ねるとどうやら富勢中の生徒であるとのことでした。

〇その生徒は交番へ名前や連絡先を知らせなかった?のでしょうか。結局直接お礼を言うことが出来なかったので、学校に連絡してくださったようです。職員の打ち合わせで周知し、クラスで伝えたいと思います。

〇こういう話を聞くと、最近よく報道されている通称「闇バイト」にかかわってしまった若者たちと比べてしまいます。もちろん一概には比べられませんが、手元のスマートフォンですべて(金銭欲しさも含め)を解決しようと、ネットサーフィンして見つけたサイトへアクセスし、短時間で高収入という「効率」に目がくらんでしまったのかもしれません。

〇そもそもこの犯罪を「闇バイト」などと呼んでしまうこと、これこそが今の世の中の負の部分だと思います。スマートフォンの情報は間違ったものや法律に触れることなどが多く含まれていること、実行役や見張り役などの細かい役割分担があるので、もし捕まっても一人の犯罪よりは罪は軽いだろう?などの思い込み・・。

〇一番の問題は「想像力」の欠如です。先ほどの落とし物を交番に届けた本校生徒は、「落とした人はどれだけ困っているだろうか?」とその人の気持ちを想像したからこそ行動できたのだと思います。一方で、犯罪に手を貸してしまった若者たちは、「自分さえよければ・・」と被害者の気持ちなどを考えることもなく、短絡的であると言わざるを得ません。

〇逮捕された若者たちばかりを責めるのではなく、我々大人がつくってきたこの世界には、多くの矛盾や誤魔化しがはびこっており、その陰で苦しんでいる人がいることを再認識する必要があると思います。いくら経済的に豊かになっても、弱い立場にある人たちを切り捨てて成り立っている社会に、本当の安らぎはありません。天高い秋の空をみんなが楽しめるような世の中にならなければならないと感じます。

須藤昌英

 

10月31日(木)合唱コンクール前日

〇明日の合唱コンクールに向けて、今日は最後の練習を各クラスで行います。発表も頑張ってほしいですが、特に生徒たちは柏市民文化会館へ朝、直接徒歩で集合し、終了次第現地で解散ですので、行き帰りの交通安全にも気をつけてほしいです。職員も途中のポイント地点で安全指導を行います。

〇柏市民文化会館の最寄りの駅は北柏駅ですので、そこまで電車やバスを利用することは許可しています。また自転車通学の生徒は、学校に自転車を置いてから徒歩で行くように指導しています。

〇終了時刻が12:15ですので、例年の様子をみていると、行きよりも帰りの方が一斉に帰りはじめお腹もすいているので、小さなトラブルが生じています。

〇とにかく外部の施設を借用しての行事ですので、生徒たちにとっては校内で行うよりも普段と勝手が違うことから臨機応変に行動することや一般的なマナーなどを守るなどの意識をもつ機会になります。

〇地域や保護者の方々には学年毎に入れ替えで鑑賞していただきますが、外部施設とあって職員も校内で行う場合よりもあちこちに役割に応じて配置してありますので、ゆっくりとご案内したりお話ししたりする余裕がありません。ご了承いただき、鑑賞席ではお互いに譲り合ってお楽しみください。

〇私は以前から生徒たちに、「人の身体は最高の楽器」ということを言っています。楽器というとピアノやギターなどを連想しますが、最も原始的だけれども誰でももっているのが、声を出す役割を担っている声帯で、そこから発する音を身体全体で大きく響かせたのが合唱です。

〇1年生は初めてのステージで緊張しますが、スポットライトを浴びて歌えることを楽しんでほしいと思います。2・3年生はこれまでの経験をいかし、堂々と歌い上げてくれることでしょう。もちろん受賞するかしないかは気になるでしょうが、それよりもやり切った充実感を味わってほしいです。

須藤昌英

 

10月30日(水)「中学校教育に望むこと」

〇全日本中学校会が定期発行する冊子に、前WBC日本代表監督で、メジャーリーグに行く前の大谷翔平選手を育てた栗山秀樹氏にインタビューした記事がありました。一部を紹介します。
〇質問
今、日本の中学生は、他国の若者に比べて、「自己有用感」「自己肯定感」が低いと言われていますが、監督の目には今の中学生の姿がどのように映っているのでしょうか?
〇栗山監督
どこに生まれるかというのは自分で選べるわけではありません。例えば人に生まれるかもしれないし、虫に生まれるかもしれないことも含めて、神様が決めているという中で、ほかの民族がどうのこうのというのは一切関係なくて、そこに対しては中学生だけでなくて日本全体が言われていますよね。
日本人が優秀だと言われた時代があったものが、今これだけ経済的にも政治的にも遅れをとっている。ただ、先人の皆さんの功績とかやってきたことを見ると、僕はこの国に生まれて本当に良かったと思っています。そのことをWBCで表現したかったというのは正直あります。
日本が世界一になるという意味は、「さあ行くぞ、俺は世界をとってやる」と子ども心に感じてもらうためではないかと思っていましたし、そういう意味では、自己肯定感が低いという中学生たちの感じをみていて、ただ単純に「ぜいたく病なんだろうな」と思っているだけです。
昔は食べるのも大変だった。何もしなければ食べられないわけですよ。ところが今は、大人になっても守ってくれる人たちがいっぱいいるので、それはなかなか難しいだろうなと思っているところがある。変な言い方ですけど、それがダメとかそういうことではなくて、絶対能力はあるし頑張ったらできるところもある。スポーツの世界にいて何が人の分岐点なのかというと、能力じゃないですね。「できないよな」と思った瞬間にできないんです、すべてが。そうではなくて、これをやると決めてやり切った人がそこにいくというだけの話です。それは時間がかかるかもしれないですけど、そういうことなんだと十年間の監督生活で思ったんです。これは体験です。
(途中略)
要するにの能力じゃない、本当に自分がこうするんだという確固たる志、意思というんですかね、それが何らかのタイミングで得られれば、今の中学生たちも勝手に能力が伸びていくということなのかなと、そこは信じています。
そういう子どもたちが、今はそうみえるけれども、必ずそういうものをもっている。そこにどうやって火をつけるか、どうやって灯をともしてあげたらいいのか。僕は良く、「やる気の志には我々は火をつけられない」と言っています。本人しか火をつけられることはできないので、我々はそのお手伝いしかできないと思うんですよね。今その自己肯定感や自己有用感が育たない何かの要因があるというだけなのかなという感じで僕は捉えています。
〇栗山氏は国立の教員養成大学の出身で、教員免許ももっていた方なので、親近感があります。プロ野球選手という大人を育てる仕事ですが、基本的な考えは我々教員と同じだと感じました。

 須藤昌英

10月29日(火)長文を諦める(新聞を読むことで身につく力)

〇昨日の朝刊は、衆議院選挙の記事が大きく取り上げられていました。テレビでも同様に報道されていましたが、細かい情報などはテレビの方が詳細をつかめるので良いですが、全体の結果を大まかに把握したい時には、新聞の方がテレビなどよりも圧倒的にわかりやすいと感じます。

〇やはりそれは記者やデスクなどにより、限られた時数でいかに事実を伝えるかの視点で校正が繰り返されているからでしょう。繰り返しますが、新聞の最大の利点は各面の見出しをサッと見渡すだけでも、社会で起こっていることが大まかにつかめるという点です。

〇毎年行われる文科省の全国学力テストの分析から、本校を含む全国の生徒の国語の長文読解の正解率は低下しており、長い文をみるとすぐに「諦める生徒」も多いことがわかっています。これはSNSの影響が大きく、短文や絵文字でのやりとりが広がり、生徒が日ごろから活字と向き合う環境を整える必要があると結論づけています。

〇3年生との校長面接をしていても、国語に苦手意識をもつ生徒のほぼ9割が、問題文が長文であることでそれを読み切れていない(読みはじめても途中でやめてしまう)ことがわかります。長文といってもさすがに問題として掲載するので、400~600字(原稿用紙1枚半程度)が多いので、ゆっくり読んでも2分あれば読み切れます。

〇現行の学習指導要領でも、「新聞を活用した学習」が明記され、国語の授業の一部では、新聞の記事を使った教材も使用しています。本校では全国紙(朝日新聞)と地方紙(千葉日報)の朝刊に加え、中高生新聞(読売新聞&小学館)を定期購読しています。全国紙と中高生新聞は、図書室でいつでも生徒は閲覧できます。

〇特に中高生新聞は、週に一度の発行ではありますが、今の社会問題を写真や図を入れたり、難しい用語をできるだけ使わずに説明したりと、大人の私が読んでも「なるほど」を思うときがあります。例えば先週の中高生新聞の第一~三面は、「ノーモア・ヒバクシャ 次世代へ」と銘打ち、ノーベル平和賞に日本被団協が選ばれたことを特集しています。これを読むと、「我々大人でもわかっているつもりで知らないことが多いなあ」とつくづく感じます。

〇また新聞は読めば読むほど、世の中や人間は複雑で簡単には理解できないことに気づきます。しかしそのモヤモヤした気持ちが重要ではないでしょうか?新聞を読むという一見非効率に見える時間も、少しずつ自分の引き出しを増やしじっくりと深く考えてみる機会になると思います。

〇このように「新聞を読む力」を育てることは、単に長文に馴染むだけではなく、社会の出来事に感心を持ち、生徒の情操や課題解決力を伸ばしつつ、最後は「自分ならどうするか?」という主体的な生徒に導くことにもなります。

〇「長文を諦める」生徒への対策として、授業中だけでなくあらゆる場面で、書かれていることを理解するために、注目する内容を決めて要約する練習を積みかねていきます。

須藤昌英

【10月20日付 朝日中高生新聞】