校長雑感ブログ

2022年4月の記事一覧

4月12日(火)自転車交通教室(スケアード・ストレイト)

 

 

〇柏市役所交通施設課、柏市教育委員会、柏警察署、柏交通安全協会の皆さまとスタントマンの派遣会社のおかげで、自転車交通安全教室を開くことができました。

〇本校にも70名ほど自転車通学者がいます。また普段から多くの中学生が塾や買い物等で自転車を利用しています。自転車は道路交通法でも軽車両として扱われており、交通ルールを守らないと乗ってはいけません。ただし、自分だけで守っても交通事故に巻き込まれることがあります。

〇私も3年前にバイクに乗っていて、交差点を右折しようとしたとき、前の横断歩道に通行人がいたので、横断歩道の手前で停車して待っていました。そこへ後ろから車に衝突され、バイクは前に飛ばされ、私も道路に投げ出されました。幸い頭は打たなかったので、入院はしませんでしたが、その後3カ月間病院で診察とリハビリを行いました。

〇以前には「ながらスマホ」の大学生が自転車で老人に衝突、転倒させ、死亡させるという事件も報道されていました。それに伴う賠償金も何千万円になっているようです。

〇「生徒たちが被害者にも加害者にもなってほしくない」というのが、保護者・地域の皆さん・教職員の共通な願いです。全校生徒が、しっかりと話を聞いて、学んでいました。 

【千葉県自転車交通安全ルール】

〇自転車に乗る前のルール

・自転車保険に入ろう

・整備をしよう

・反射器材をつけよう

・ヘルメットをかぶろう

・飲酒運転はやめよう

〇自転車に乗る時のルール

・車道の左側を走ろう

・歩いている人を優先しよう

・ながら運転はやめよう

・交差点では安全確認しよう

・夕方からはライトをつけよう

 

4月12日(火)多様性について

〇「多様性」もしくは「ダイバーシティ」という言葉を最近よく耳にします。私自身も職員会議で、「生徒たちの多様性を尊重していき、可能な限りその生徒にあった『オーダーメイド』の教育を模索していきましょう」などと教職員に説明しています。

〇大切なのは、それを耳障りのよい「キャッチフレーズ」で終わらせてはいけないと思うのです。オックスフォード英語辞典によると、多様性(diversity)は、「互いに非常に異なる多くの人や物の集まり」と定義されています。

〇様々な立場や考えの違う人へ配慮や理解を示すことで、お互いを尊重しあい、調和のある場所や世界を一緒につくっていきたいのですが、特に日本は、「社会の多様性が見えにくい国」と言われています。

〇日常生活の中でも、自分とは意見の異なる人と出会うことはたくさんあり、そのたびに相手を拒否したり遠ざけたりしたのでは、自分も内向きになりますし、周囲にも良い影響を与えません。

〇まずは大人の私たちから、意識を変えていく必要があると感じます。ただ、難しいことではなく、以前にも書きましたが、「鎌研(かまと)ぎの名人が鎌研ぎの名人たるゆえんは、たとえどんな下手な人が研いだ鎌であっても、自分には及ばない点を一点見つけることができる」つまり、相手の欠点ではなく、相手には自分には及ばないところが必ずあり、それをみつけた時に、相手の良さがわかり、そう思って人に接していると、自然と相手を尊重(リスペクト)できるようになるのではないでしょうか。

〇最近読んだ本の中に、「多様性は社会的、経済的活力の源泉である」とありました。富勢中もそういう意味では、「多様性の宝庫」です。

〇すでに正門付近のソメイヨシノは葉桜になりましたが、校庭にはピンクの色が濃いおそらくカンヒザクラは、まもなく満開になろうとしています。このように身近な自然にも、多様性がしっかりと根付いていることに感動しました。

 

 

4月11日(月)給食開始

 

〇生徒たちが待ちに待った給食がはじまりました。

〇校長は、生徒が食べる30~40分くらい前に「検食(実際に食べて色や味などのチェック)」をします。少し大げさに言うと、「自分の身体を張って、生徒が安心して食べられる」ようにしています。今日ももちろん、「問題はありません」でした。

〇1学期は、7月15日(金)が給食最終日です。

須藤昌英

 

4月11日(月)清掃活動

〇富勢中学校の生徒が行う活動の中で、特に伝統として引き継がれている「挨拶・清掃・歌声」があります。始業式では、生徒たちにその中の「挨拶」について、話をしました。

〇その一つの「清掃」ですが、生徒全員が自分の分担範囲を担当しています。この清掃は、いわゆる「日本型教育」の一つになるそうで、他の国ではほとんど生徒が清掃することはないそうです。

〇ではなぜ、日本では昔から行っているのでしょうか?色々な理由があると思いますが、まず自分たちの学校は自分たちできれいにし、「感謝の気持ちをもたせること」が目的としてあると思います。ただ。感謝の気持ちは押し付けられて湧くものではありませんので、「やらされている」と感じた場合には難しいことも事実です。

〇次に実際に「体験活動」の一つとして、学校生活の中に位置づけられています。体験活動とは、大げさに言えば文字どおり、「自分の身体を通して実地に経験する活動のことであり、子どもたちがいわば身体全体で対象に働きかけ、かかわっていく活動」です。清掃であれば、「1つのゴミを拾えば1つだけきれいになる」という単純で当たり前のことを「身体で感じ、覚える」ことです。

〇人間は頭で物事を「理解」することが多いですが、それはあくまでも脳での作業であり、実際に手や足の身体を動かさないと、物事の本質を本当の意味での「理解」はできないのではないかと思います。お題目で「ゴミがあれば拾う」「汚れたら掃除する」といくら唱えてみても、実際にやってみなければその重要性はわかりません。

〇ただ一方で、「ゴミを落とさない」「汚れないように使う」という視点も大切ですので、たまには「清掃の無い日」をつくって、その日はいつもより汚さないように意識して生活させることもしていきたいと思います。

須藤昌英

 

4月11日(月)祝:小学校3校入学式

〇本日は、富勢小学校、富勢東小学校、富勢西小学校の入学式です。おめでとうございます。

〇コロナ禍の前には、中学校から校長、教頭、教務主任が分担し、それぞれの入学式に参列させてもらっていましたが、今回も「来賓はなし」ということで、残念ですがこのをかりて、お祝い申し上げます。

〇また先週の本校の入学式に際しては、朝の正門で、上記の3校の校長先生方(中谷光男校長、宮本健寿校長、伊藤嘉章校長)が、新入生を出迎え、言葉をかけていただきました。ありがとうございました。

〇本校も含めた富勢中学区の4校は、学区共通の目標として、「自ら学び、心豊かに、たくましく生きる、富勢の子の育成」を掲げ、教育課程の違いを超えて、連携していきます。

〇9日(土)も富勢小において、「富勢中学校区学校運営協議会」企画会議がありました。会長の涌井正幸様、副会長の吉田敬様からの協力的なお話を伺い、小中学校9年間の学びの連続を大切にし、そこで育った生徒が、来年3月の本校の卒業式で、胸をはって巣立っていけるようにしていきたいと思いました。

須藤昌英

(富勢小学校の鯉のぼり)

 (学校運営協議会企画会議)

4月10日(日)地域部活動への移行について

〇文部科学省は、休日の部活動を令和5年度以降段階的に地域へ移行していく方針を示しています。具体的には、休日の指導や大会への引率などで教員をサポートする方々を配置したり、拠点校に一つの学校だけでなく、複数の学校の生徒が集まり、野球やバスケット、吹奏楽などの活動を一緒に行ったりすることが想定されています。その背景には、学校(教員)の働き方改革の一環としての方策として位置づけられていますが、実現するためには、幾つかのハードルがあるのも事実です。

〇そもそも学校の部活動は、スポーツや音楽などに興味・関心のある同好の生徒が参加し、教師等の指導の下、学校教育の一環として行われ、我が国のスポーツや音楽などの振興を大きく支えてきました。また、体力や技能の向上を図る目的以外にも、異年齢との交流の中で、生徒同士や生徒と教師等との好ましい人間関係の構築を図ったり、学習意欲の向上や自己肯定感、責任感、連帯感の涵養に資するなど、生徒の多様な学びの場、そして活躍の場として、教育的意義を有したりしています。

〇しかしながら、今日においては、社会・経済の変化等により、教育等に関わる課題が複雑化・多様化し、学校や教師だけでは解決することができない課題が増えています。とりわけ、少子化が進展する中、部活動においては、従前と同様の運営体制では維持は難しくなってきており、学校や地域によっては存続の危機にあります。

〇将来においても、全国の生徒が生涯にわたって豊かにスポーツや音楽などを楽しむ資質・能力を育む基盤として、部活動を持続可能なものとするためには、各自のニーズに応じたスポーツ・音楽などを行うことができるように、抜本的な改革に取り組む必要があります。

〇柏市においても、教育委員会が昨年度からある中学校を指定し、その学校のいくつかの部活動に、NPO法人からコーチを派遣する試行的な取組を行っています。その成果を今年度中にまとめた上で、来年度から市内で段階的に、生徒にとって望ましいスポーツや音楽などの環境を構築するという観点に立って、部活動が地域、学校、競技種等に応じた多様な形で最適に実施されることを目指しています。

〇本校といたしましても、市の方針を受け、教育委員会と連携し、地域や保護者の意見を伺いつつ、今後の方向性を検討してまいります。

 須藤昌英

4月9日(土)「教えることの難しさ」について

〇平成4年に亡くなられた教育者(哲学者)の森信三先生が書かれた『修身教授録』という本があり、毎年この時期、取り出しては読み返しています。

〇その中で、「人を教えるということは実は教える者自身が常に学ぶ事である。」と明言されており、「教えることは学ぶこと」とあることが、若いころから私の頭にあります。

〇森先生は、「教科の内容を教えるだけでも、実に容易ならざらる準備と研究を要する」のですが、「教育の眼目である相手の魂に火を付けてその全人格を導くということになれば、私達は教師の道が、実に果てしないことに思い至らしめられるのであります」と書かれています。実に、「一人の人間の魂を目覚めさすと言うことは至難中の至難」なのだと思います。

〇では、この至難のことにどう対処したらよいのか、森先生は、「それに対処する道はただひとつあるのみであってそれは『人を教えようとするよりも自ら学ばねばならぬということであります』」と述べられており、「学び続ける富勢中」を今年のテーマにしようと提案した私自身が、襟を正していかねば・・と感じています。

須藤昌英