創立78周年目 学び成長し続ける富勢中
文字
背景
行間
2024年8月の記事一覧
8月22日(木)富勢中学校区4校合同教育ミニ集会
〇昨日の午前中は、富勢中学校区学校運営協議会(富学協)の吉田会長をはじめ、運営協議会委員、地域住民、PTA役員、4校教職員(富勢中、富勢小、富勢東小、富勢西小)と児童生徒(富勢中生8名を含む)が富勢小に集まって、グループワークを基本とした「塾議形式」の教育ミニ集会を行いました。
〇この研修会は、地域と学校がお互いのもっている情報を共有しあい、この学区の子ども達が将来、この富勢地区に誇りをもち、愛してくれるようになるために、これから何ができるか、何をすべきかについて、顔と顔を突き合わせて考えていこうという目的があります。
〇例年グループに分かれて、一つのテーマについてディスカッションしていますが、今年は、「義務教育9年間の最後『富勢中の卒業時』に身につけたい力、ありたい姿をイメージしてもらい、それを文章化する」をメインテーマとしました。この3年間の中では、一番難しい課題でした。
〇参加者130名が、富勢小の5つの教室に分かれて、円陣を組みながら3色の付箋紙を使って、活発な話し合いが行われました。3つのワークの内容を紹介します。
ワーク1 「中学までで成長を感じた授業の思い出 or もう一度中学生をするならこんな授業を企画したい、体験してみたい授業」
①個人作業2分
②グループ内共有 3分×4
ワーク2 「その授業には、どんな力の育成が含まれていたか?また、中学校時代までには、どんな力を身に着けておきたいか? (表参照しながら)」
①個人作業2分
②グループ内共有 3分×4
ワーク3 目指す力、子どもの姿の作成(ワーク1、2を身に着けたい力、目指す子どもの姿を作文する)
①各グループの話し合い 20分
②最終文章記入 2分
③アプリで全体共有 13分
〇日頃はあまり顔を合わせて話のすることのない地域の方々や小学校の先生方とも気軽に話ができ、この富勢地区の良さや小学校の様子がよくわかりました。生徒たちが中学校卒業時に、どんな力をつけて卒業していってもらいたいか?という大きなテーマでしたので、富勢中の教員が一番その実現に近い位置にいることもあり、誰もが真剣な表情でした。
〇参加してくれた児童生徒の感想の一部です。
・大人の中で話をすることは最初少し緊張したが、何も否定せずむしろ熱心に話を聞いてくれた
・自分たちのみえないところで、地域の方々が様々に支えてもらっているのがよくわかった
・先生方も私たちのために、少しでもよい教育をしようと考えてくれていることがうれしかった
・世代の違いによって、さまざまな考え方や意見があることがわかり、おもしろかった
〇今後は各グループが作成した目指す子ども像をもとに、2学期以降、富勢地区の各学校が連携し、子どもたちのためにできることは何かを絞っていくことになります。お忙しい中、ご参加いただいた地域住民の方々、ありがとうございました。
須藤昌英
8月20日(火)子どもの耳の健康と聴力について
〇昨日は、子どもの目の健康について書きましたが、「聴覚」は五感の中でも「視覚」とともに会話、言語発達、コミュニケーション学習に不可欠なものです。「見て聞いて(インプット)」、自分の頭で考えて、それを「話す書く(アウトプット)」ことの繰り返しが、学びの循環です。
〇特に子どもにとって、常に過大な音を聴かないということが重要だと言われます。もちろん普通のテレビの音や音楽などは問題ありませんが気を付けないといけないのは、ヘッドホンなどで過大な音を聴き続けますと、その時は問題なくても、残りの長い人生の中で問題が出てくることもあるため、大きな音はできるだけ避けられたほうが望ましいと思います。
〇よく指摘されますが、近年の子どもは、物心ついた時からタブレットやスマホ等に接しており、それらのメディアが身近にあることが当たり前の世代に入っています。そういった中で、どのようにメディアと接するべきか、接したほうが良いかと、いろいろと意見はあります。少なくとも今更それらのメディアを取り上げて「使っちゃいけないよ」ということは現実的には不可能だと思います。やはり1時間やったら少なくとも10分程度は休むなどと、上手く活用することが重要なのではないかと感じます。
〇目の視力も左右が異なる場合も多いですので、耳も聴力の差が左右であることは十分に考えられます。また子どもの年齢によっても違うらしいですが、右から聴いた場合と、左から喋りかけた場合で反応が違うということもどこかで読んだことがあります。
〇私も現在三歳の孫娘には、まだ一歳くらいの頃、右耳か左耳のどちらを前に出して話を聞いているかを少し観察したことがあります。この子は左利きなので、素人の観察ですが、何となく左耳を前に出していることが多いかもしれないと思いました。
〇私自身も幼少の頃、中耳炎(ちゅうじえん)で長い間通院していた経験があり、片耳が少し聴こえにくいことがありました。それはたまたまラジオを片耳イヤホンで聴いていたときに、「あれ?片方の耳が聴こえない」と自分で気が付いたのがきっかけで、受診した時に医師に付き添いの母と相談したことがありました。おかげさまで小学校入学後は、徐々に完治に向かい、今は何の支障もありません。
〇我々教員もその道のプロではありませんが、同じ年齢の児童生徒を多数、同じような状況下で、同じように話しかけることを何回も行うため、「この子は少し音に対する反応が悪いんじゃないか」という異常に気付くことがあります。私も担任時代に、そのことを保護者の方に相談し、受診してもらったことがありました。
〇「自分の身体を大切にする」と言うのは簡単ですが、目であれ耳であれ、普段はあまり気にかけていない身体の部分にも、たまには「有難い」と感謝していくことがあっても良いと思います。
須藤昌英
8月19日(月)子どもの目の健康を守るための啓発資料について
〇ちょうど1カ月前に1学期の終業式を行い、はやいもので夏季休業も残り2週間余りとなりました。少しずつ規則正しい生活のリズムを取り戻そうと考えている生徒も多いことでしょう。暑い中ですが、睡眠と栄養をしっかりと整え、少し汗ばむような適度な運動も心掛けましょう。
〇休み中は、いつもよりも多く本(漫画を含む)読んだり、タブレット端末(スマホを含む)の画面を見つめたりすることがあると思います。しかし私たち(大人も子どもも)は一日中、目を酷使して、普段からそのケアにはあまり関心を向けることがありません。
〇文部科学省の学校保健統計調査結果によると、児童生徒の裸眼視力 1.0 未満の者の割合は調査開始の昭和 54 年から一貫して増加傾向にあり、令和元年度には小学校・中学校・高等学校で過去最高を更新しました。
〇また、社会のデジタル化の進展に伴い、児童生徒が ICT 機器に接する機会は増加しており、GIGA スクールやデジタル教科書の使用などの取組も進む中で、ICT 機器の利用による視力への影響に対する関心が高まっているところです。
〇一方で世界に目を向けると、東アジアを中心に近視人口は爆発的に増加しており、オーストラリアの研究者らは 2050 年には世界の人口の半数が近視となると警鐘を鳴らしています。
〇このような中、お隣の台湾では、2001 年から児童生徒を対象とした大規模な視力の調査研究が開始されており、2010 年から近視の進行抑制を目的に学校教育活動における児童生徒の屋外活動を2時間確保した結果、視力0.8 以上の児童生徒の割合は増加に転じています。
〇ただ日本では、児童生徒等の健康診断によって毎学年児童生徒等の裸眼視力を把握しているものの、その詳細(近視か、遠視か等)が判明していないため、有効な対策を講じることができていない状況にあります。
〇特に近視は、メガネなどで矯正すれば視力がでるものとして、これまであまり問題視されてきませんでしたが、さまざまな疫学データの蓄積から、近視が将来の目の病気のリスクを高める可能性があることが分かってきています。近視について理解し、子供たちを近視のリスクから守っていく必要があります。
〇近視は、遺伝要因と環境要因の両方が関係すると言われていますが、近年の近視の増加は、環境による影響が大きいと考えられています。近視実態調査では、どちらか一方の親が近視である場合、両親とも近視ではない場合と比べ、近視の新規発症との関連が大きいことが示唆されました。一方、環境要因として屋外で過ごす時間の減少や近業(近い所を見る作業)の増加等が指摘されています。
〇次の文部科学省の啓発資料を参考に、自分の目の健康を守り、2学期からの学習に備えるようにしてください。
須藤昌英
8月17日(土)台風7号の通過後に(学校施設を安全確認)
〇昨日の台風7号は、予想よりも右のコースを辿り、想定された被害よりも小さくてすみました。本校も避難所になることはなく、朝一番に強風等の被害がないか、校内を点検しました。
〇今朝から部活動も再開しますが、また猛暑に十分に気をつけています。この一週間はまったく運動をしていない生徒もいるでしょうから、練習メニューもそれを考慮し、軽い内容から徐々に身体を慣らしていきます。
〇ご家庭でもお子様が少し体調がすぐれない場合は、部活動に行くことを止めてください。無理して練習に参加しても逆に具合がますます悪化し、これまでもご家庭に連絡して迎えにきてもらうことが多数ありました。十分な睡眠や食事を摂ったとの前提で顧問やコーチは練習内容を考えています。少しキツイ言い方をすれば、その条件が満たされない場合には、練習等に参加する資格はないと言えます。ご理解とご協力をお願いします。
〇昨日、学校で台風に備えて待機をしているとき、訃報が入りました。私の恩師ともいえる方で、今年99歳で来年百歳のお祝いをしようと予定していました。昨年から介護施設に入居し、私も先月その施設に訪問し、コロナ禍以来久しぶりにお会いできたばかりでした。「暑いので気をつけてください。また涼しくなったら来ます。」と声をかけたのが最後の会話でした。
〇恩師といっても直接私が学校で教わった先生ではありません。40年前に教員を目指して大学で学んでいた頃、教授法や心理学などは講義で身に付けられましたが、教員がどのような志で生徒たちに接していけば良いかは、大学では教えてくれません。そこで「人間教育」をテーマにした教員の研究会にたまたま誘われて参加したところに、偶然いらっしゃったのが初めての出会いでした。
〇当時その恩師は、現役教員として最後の頃で、これから教員になろうとする若い我々に、自分の経験を通した子どもの見方や触れ合い方を熱心に話してくれました。先日私がこのブログで書いた「みんな一番」や「クラスは網の目」なども、その研究会で教わり大切にしてきたことの一つです。
〇その恩師からは、「教員は確かに教える立場ですが、教えることは逆に生徒たちから教わることも多い」ということも何度も聞きましたが、実際に自分が教員になってから実感したことは今でも忘れません。また「教える教員側が常に学び続けなければ、生徒たちの前に立つ資格はないです」とも教わり、今でもそのことを実践し続けているのも、その恩師のおかげだと感謝しています。
〇その恩師は、教員を退職後、野田・我孫子・流山・柏の各市の公民館などで、若い母親向けの家庭教育の講師を長年務められていました。私も自分の子どもが誕生してからは、父親としての役割も具体的に教わりました。今でもよく思い出すのが、書家や詩人でもあった相田みつを氏の言葉「育てたように子は育つ」を題材にした話です。
〇相田みつを氏の本(育てたように子は育つ・いのちのことば)から少し引用します。「親や教員や大人たちが、自分たちの思い通りに子どもを育てれば、子どもは他者の思い通りにしか行動できない人間になる。自主性、主体性、創造性といったものは当然育つはずがない。(中略) 結局は、子どもたちは、育てられたように育っていく、育っていってくれる。そう信じられる親になりたい、大人になりたいと思う。親が子どもの心を知っているよりも、子どもは親の気持ちをずっとよく知っている。」恩師のご冥福をお祈りいたします。
〇ここまで38年間、教員を続けてこられたのも、その恩師をはじめとしていろいろな先輩・同僚教員の皆さんや当時関わった多くの児童生徒たちのおかげだと昨晩あらためて思い直しました。その人たち全員に直接、「恩返し」はできませんが、その分今接している生徒たちに、「恩送り」のつもりで残りの教員生活を送っていきます。
須藤昌英
8月16日(金)台風7号の接近に備えて(校長室で待機)
〇今日まで、柏市の全小中学校は、警備会社による機械警備期間中で、原則的に職員は不在です。ただ今日は非常に強い台風7号が暴風域を伴って関東地方に接近する見込みで、柏市の防災計画で富勢中は、震度5強以上の地震や台風などにより土砂災害警戒情報発表があった場合に、体育館を自主避難所として開設することになっています。今のところその段階にはありませんが、校舎周りの飛ばされやすいものの撤去をするために、しばらくは学校に待機しています。
〇またこの夏は、昨日一応解除されましたが、「南海トラフ地震臨時情報」が初めて出され、帰省する人たちやお盆のレジャーを計画していた人たちに大きな影響がありました。喫緊では神奈川県で地震が多く発生しており、これまでの猛暑に加えて、いろいろな災害に備えることが例年よりも多い気がします。ただ現在のところ、災害級のことが起きていないので良かったと思いますが、気を抜けないのも実情です。
〇昨日は、「終戦の日」ということで、ニュースや特集番組が太平洋戦争のことを取り上げていました。今さらながら知ることも多く、当時300万人以上の方々が命を落とされたということは、数字として頭では理解できでも、戦争を経験していない我々が実感することは不可能なのだろうと感じます。
〇半年くらい前に公開された「あの花の咲く丘で君とまた会えたら」という映画を観たときは、やはり戦争の悲惨さを考えさせられました。この映画は、1945年、第二次大戦末期の日本にタイムスリップした現代の女子高生と特攻隊員の大学生青年との時空を超えた切ない恋愛の物語です。
〇私もこれまで、同様の戦争や特攻隊の映画は他にいくつか観たことがあったので、映画の終盤までは「こんなものか」と思っていました。ところが、最後に主人公の青年は本来教師を志望していて、その台詞に「平和な時代に生まれ、生徒達の夢を支える仕事がしたかった」と残して、特攻作戦で戦死します。
〇そして現代に戻ったヒロインの女子高生が、78年後の鹿児島の知覧特攻資料館に行ってその青年の資料を読んだり、青年の意思を継いで、教員になるために大学進学を決意したりするという結末でした。主人公の二人が教員志望というシナリオにとてもびっくりし、その時は戦争の残酷さよりも、その物語の展開に若者の希望を感じることができて、「観て良かった」と思いました。
〇でも後から原作者の汐見夏衛(しおみなつえ)さんのことを知り、納得しました。汐見さんは、鹿児島県出身で、高校国語教師としての経験をもとに、悩み疲れた心を解きほぐす作品を目指して、日々執筆活動をしているそうです。特攻基地のあった鹿児島や自分の教員としての経験から、このストーリーが生まれたのでしょう。
〇今、教員を志望する若者が減っています。私も3人の子どもがいますが、長男は小学校の教員として働いています。しかし次男と長女は民間企業に務めています。それぞれが考えて選んだ職業なので、親として何も言うことはありませんが、12年前に長男が教員になりたいと相談してきた時の言葉が今でも心に残っています。
〇「俺は絶対に中学校の先生にはなりたくない」。それを聞いた時には「えっ?」と思いましたが、その理由を聞くと、「そうだよな」と納得せざるを得ませんでした。3人がまだ幼少の頃、私は中学校の野球部の顧問をしており、当時は今のように部活動のガイドラインもなく、土・日曜日も朝から夕方まで試合や練習を指導していました。
〇当然、子どもたちをどこかに連れていってやることも少なく、唯一雨が降ってグラウンド状態が不良な場合だけが例外でした。しかしこちらもたまの休みということもあり、いつもの疲れがその時ばかりと出てきて、親子で楽しく外出したのは稀だった気がします。今では「申し訳なかった」と思います。また人間はあらかじめ計画をしていた時には、それを実行しようとあれこれ努力しますが、急に何も計画していないところで何かしようとしても、あまり工夫ができないこともその時に感じました。
〇富勢中にも、まだ小さいお子さんを育てながら仕事をしている教員も多く、これから結婚して家族をもつ若い教員もいます。彼らにはワークライフバランスを保ちながら、家庭では父親や母親として、学校では担任や顧問として、自分の子どもや生徒たちと一緒に自分を成長させていく姿勢をいつまでも持ち続けてもらいたいと思っています。
〇午後から雨や風が強くなるようですが、無事に台風が通り過ぎるように祈っています。
須藤昌英