創立78周年目 学び成長し続ける富勢中
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2024年9月の記事一覧
9月19日(木)無気力な寝太郎が使命感を抱いて世界へ挑戦し続ける
〇この夏に読んだ数冊の本の中で、「ユニクロ(杉本貴司著:日本経済新聞出版社:令和6年4月発行)」が印象に残っています。世界的に有名な衣料メイカーのユニクロは、柳井正氏(現在75歳)が昭和59年に仲間と創立し、現在は我々の身近な生活にも慣れ親しんでいる企業です。
〇ユニクロの目指す理念は、「ライフウェア(老若男女も国も人種も問わずに、誰もが着ることができて、環境や社会にも配慮した服)」をつくることであり、現代的な課題にも挑戦している感じがします。私もこれまでその気軽さからユニクロのいくつかの服を購入しており、上記の理念を目指していることもこの本を読んで少し理解できました。
〇私が注目したのは、創業者の柳井氏の若い頃のエピソードです。柳井氏は山口県宇部市で生まれ、父親が経営していた洋品店の跡継ぎ息子でした。父親は昔ながらの親分気質で気性が荒く、柳井氏は「何でもいいから一番になれ」と常に言われ続けていました。柳井氏は父親からの期待とも抑圧ともいえる重圧の中で、高校時代には好きなサッカー部も父親の意向で退部させられ、逃げ道を求めるように受験勉強に打ち込みました。
〇4人のきょうだい(柳井氏以外は姉1人と妹2人)で、3人の姉妹に対して父親は優しく、厳しく接したのは柳井氏だけでした。妹さんの一人は当時を振り返って、「私は男に生まれなくてよかったなと思いました」と述べています。当然、柳井氏と父親の間には溝ができ、ほとんど会話もなかったようです。
〇そこで進学した東京の大学では、当時は日米安保闘争などの学生運動が盛んで、ほとんど講義もなかったそうで、学生運動にも興味のなかった柳井氏は、下宿の部屋に閉じこもって過ごしました。下宿の大家さんからつけられたあだ名が「寝太郎」でした。好きなジャズを聴きながら、ただおもいつくままに本を読み、4年の日々を浪費しました。
〇その後の柳井氏の人生の転機や目覚ましい躍進のことについては、本を読んでみてください。一言でいえば、何度も転びながら這い上がってきた日々であることがわかります。若き日の青年柳井氏の葛藤を本人への取材を含めながら、著者の杉本氏は、新聞社の編集委員としての鋭い視点で、この本を書いています。
〇2年前に母校の早稲田大学で後輩の学生に向かって講演した柳井氏の言葉の一部を引用させてもらいます。
「私は人が生きていくうえで最も大切なことは、使命感を持つことだと思います。そのためにはまず、自分は何者なのか、そのことを深く考える必要があると思います。自分にとって何が最も大切なことなのか。絶対に譲ることができないものはなんなのか、そこを突き詰めて自らの強みを発見し、生かす。自分にしかできない、自分の人生を思いっきり生きてほしい。明確な意識があるのとないとでは、同じ人生を送っても成果は百倍、千倍あるいは一万倍も違うのではないかと思います。」
〇今、3年生と校長面接を行っていますが、思春期は不安と葛藤で心の中はいっぱいであることが伝わってきます。でもこの柳井氏のように、学生時代に何も成し遂げられずに苦しみながら過ごしたとしても、誰もがその将来に関してはそれぞれの無限の可能性をもっているのですから、彼らを応援し続けていきます。
【追記】
〇柳井氏は若い頃、教師になりたいと希望している時期があったようです。しかしそれを断念した理由が、生まれ持っての「どもり症」であったことも隠さずにあからさまにしています。会話している時にはまったく問題がないのに、原稿などを読み上げようとすると不思議にすぐに言葉に詰まってしまうようです。その為今でも、講演の依頼は極力断っているそうです。柳井氏がどんな教師になったかを見てみたかった気もしますが、それよりもそのハンディキャップを乗り越えて、代表取締役会長として活躍していることに勇気を覚えます。
須藤昌英
9月18日(水)応急手当講習会
〇9月の中旬になってもまだ猛暑のような厳しい日差しが多く、熱中症の心配が絶えません。熱中症は保健室などで応急処置をしても、もし意識がはっきりしない場合はすぐに救急車を要請します。しかし、救急車が到着するまで全国平均で8~9分程度の時間がかかりますので、応急処置をいかに的確にするかが、症状の悪化やその後の後遺症を防ぐことにつながります。
〇保健体育の授業では、「応急手当の意義と実際」の実習として、心肺蘇生法やAED(自動体外式除細動器)を使った救急救命法を行っています。生徒が学ぶのに合わせ、教職員も一緒に参加し、万が一の場合に備えるようにしています。
〇突然、心臓や呼吸が止まった人の命が助かる可能性は、10分間を過ぎると急激に少なくなるといわれています。心肺蘇生法とは、この止まってしまった心臓や呼吸の動きを助ける方法です。また、突然心臓が止まるのは、心臓がブルブルとけいれんする「心室細動」が原因となることが多く、この場合には出来るだけ早くAEDによる電気ショックをあたえ、心臓の動きを回復させることが有効です。
〇ともかく心肺蘇生法、AEDの処置ともに、心臓が止まってから実施するまでの時間が早ければ早いほど、救命の可能性が高くなることが知られています。生徒たちも真剣な表情で話を聞き、ダミー人形を使って実習していました。
〇指導者からは、「実際に道端で人が倒れていたのを見かけたら、勇気をもって行動することが大切です。自分一人では何もできければ、近くの人に助けを求めましょう。その勇気さえあれば、もしかしたらその人の命が助かるかもしれません。」と呼びかけました。
〇生徒にはそのスキルを身に付けるというよりも、救急救命が必要な場面に遭遇したときに、「何をしたら良いか?」と尻込みするのではなく、この実習を経験して、自分には何ができるかを想像できるようになってもらいたいです。
〇もちろん我々教職員も、500名の生徒の命を預かっている立場として、危険な場面を想定しつつそれを回避できる「リスクマネジメント」の意識を高めておくことも確認できました。
須藤昌英
9月17日(火)生徒会役員選挙運動
〇先週の木曜日から今日まで、20日(金)に予定されている新しい生徒会本部役員を決めるための選挙に向けて、候補者とその推薦者が、朝は各学年の生徒昇降口で立って投票の呼びかけを行ったり、昼休みの放送で演説活動を行っています。
〇生徒会活動は生徒による自治活動です。生徒自らが考え、協議し、目標を定め、目の前の問題に取り組んでいく経験は、人として大きな成長をもたらしてくれています。その中心にあるのが、生徒会や委員会活動です。
〇具体的には当事者として自分たちの学校生活を点検し改善していくためのものです。このような民主的な活動によって、将来社会に出ても、自分たちの代表を決める選挙などに「無関心」にならないようにするのが目的の一つです。
〇立候補している生徒がもちろん、その生徒を推薦している生徒も、真剣に取り組んでいます。またそういう姿を見て、他の生徒も自立することの大切さを学んでいると感じます。
〇特に今年は、本物の選挙ポスターのように、質の高い情報が各学年の生徒昇降口に掲示されています。選挙管理委員会の生徒たちは、自分たちのリーダーを決める大切なプロセスを管理しています。
須藤昌英
9月13日(金)少年の主張全国大会「わたしの主張」より その2
【昨日の続き:最後の主張のまとめと決意】
彼の言葉が無ければ、僕たちは一生不安を抱いて生きていくことになっていたと思います。共に話しづらかった自分の母国と友人の母国との戦争について正面から互いに向き合うことで、もやもやしていた感情が薄れ、また、僕らだけでなく、多くの同じ境遇の人達にも「戦争」についてしっかりと正面から向き合ってほしいなと思いました。真の友情とは、国際問題にも勝り、国境を超えるものであると心から確認しました。
今後も、戦争だけに関わらず、国を越えた関係である限り、母国の責任を背負って生きていくということを大切にし、多くの人々にこのことを伝えていけたらいいなと思います。(終わり)
〇作者の根本さんは、「この主張をどんな人に届けたいですか?」という質問に、「僕は『真の友情』というこの主張を、僕と中国人の親友と同じような国籍の違う友人を持つ多くの同じ境遇の人たちに、真の友情とは、国同士の問題にも打ち勝つものであるということと、その上で、お互いに母国の責任を背負って共に生きていくということを忘れずに大切にしてほしいということを届けたいです。また、政府の方々にも、真の友情は、国際問題に勝るものだということに変わりはありませんが、決して不安を抱かない訳ではないので、友好な外交関係を継続して築きあげてほしいということを届けたいです。」と答えています。
〇本校にも外国籍の生徒が数人います。中学3年生でも身近な生活と国際的な動きの2つの視点をもっていることに、この若者の将来性を感じました。同時に一昨日から始まった校長面接の中でも本校の3年生は、今の自分を見つめて葛藤しつつも、未来の自分がどうなっていたいかを堂々と話すことができる生徒が多いことを実感しています。校長としては何よりもうれしい気持ちです。
〇今年の第46回少年の主張全国大会「わたしの主張」は、11月に行われるようです。場所は国立オリンピック記念青少年総合センターで、入場は無料ですが事前申し込みが必要です。私も初めてその大会に行き、生で中学生の主張を聞いてみようかなと考えています。
須藤昌英
9月12日(木)少年の主張全国大会「わたしの主張」より その1
〇国立青少年教育振興機構が毎年開催している「少年の主張全国大会」をご存じですか?昨年の第45回大会は全国の中学校から約38万人の中学生が応募し、その中から選ばれた12作品の作者が集まって行われました。この大会は皇族の方も出席する格式のあるもので、テレビなどでもその様子が報じられています。
〇先日その報告書に掲載されている作品を読みましたが、どれも中学生の視点で鋭く物事の本質を述べていて、引き込まれました。その中でも特に、奨励賞を受賞した「真の友情」(茨城県潮来市立日の出中学校3年の根本泰誠さん) は、今の中学生の素直な考え方がにじみ出ていて、若者に対する将来への希望を見出すことができる作品でした。少し長いですので、今日と明日と2回に分けて引用・紹介させてもらいます。
【前半】
「君は例え日本と中国が戦争をしたとしても、僕と友達で居続けてくれる?」中国人の僕の親友が転校する前に言った言葉です。僕は「当たり前だろ。」と返しました。その時の彼の微笑みは今でも忘れません。彼は僕と同じ空間で共に成長してきたのに、ただ国籍が違うというだけで、常に不安な気持ちを抱いていたのだと、そのときはじめて気が付きました。
昨年の二月二十四日、ロシアによる武力でのウクライナ侵攻が始まりました。僕は今でもあの日を鮮明に覚えています。誰もがこの悲惨な出来事を忘れはしないでしょう。
戦争が行われる中、僕はウクライナ出身のとあるユーチューバーの動画を見ました。ロシアへの怒りと悲しみであふれかえっていました。しかし、そのユーチューバーはこう言ったのです。「僕のロシア人の友達も戦争を望んでいない。ロシア人の友達が僕に謝る姿をもう見たくない。」僕はそのとき、胸が締めつけられました。なぜ国の問題のせいで友人が不安と申しわけない気持ちにならなくてはいけないのだろうと僕は怒りと疑問を抱きました。そのとき、僕の親友が転校する前に言った言葉の意味が分かった気がしました。彼はこのような状況を心配し、ずっと恐れて生きてきたのだなと。戦争をするということは、国の責任を自分の責任と考える必要があるのだと改めて感じました。
彼の転校からは一年と半年がたち、今ではお互いに受験生となりました。彼との連絡をとる頻度も日に日に減り、彼の言葉を忘れかけていました。そんな中、社会の単元が満州事変と日中戦争に入りました。過去の単元で起こった戦争とは違い、明らかに日本に非があると僕は感じました。だから僕は、親友はどんな気持ちでこの単元を学習しているのだろうと考え、彼の母国の中国が僕らの母国の日本に理不尽に攻められていることに対して僕は申し訳ない気持ちになりました。そのときに、戦争が例え過去の出来事であっても、いつまでも次世代へとその責任を受け継いでいかなくてはならないと感じました。
僕は久々に親友にメールを送ることにしました。内容は、日中戦争を学習していて申し訳ない気持ちになったということを送りました。送ってから二日後位に彼からの返信が届きました。「僕もこの単元を学習して君のことを考えていたよ。責任感の強い君ならきっとそう考えるんじゃないかと思った。だけど君が責任を感じて僕に謝る必要はないよ。僕と君の母国が戦争をしたという事実は変わらず、互いに責任を持って生きていくことは大切だけど、僕と君がケンカした訳じゃないんだから、謝るのはおかしいよ笑。」彼にしては珍しく返信が遅く、長文で返信が返ってきました。僕が傷つかないように時間をかけて考えてくれたことが伝わってきました。僕はそんな親友が大好きです。戦争犯罪という大きな問題を国籍の違う二人だからこそ別視点から考えることができ、意見を交換し合い納得を共に深められる「友」に出会えて本当に良かったです。
*後半に続く
須藤昌英