R7_富勢中日記

2025年2月の記事一覧

2月27日(木)卒業式の練習(3学年)

〇今週から3学年は特別日課に入り、その中で次のような各クラスの実行委員を中心に、11日に行う卒業式練習が始まっています。クラスでの基本練習と学年全体で体育館での学年練習を並行して行っています。

(運営・企画) 学年委員

1組石黒さん、村越さん  2組伊藤さん、宮前さん 

3組天瀬さん、中村さん  4組新野さん、松本さん 

5組石塚さん、黒川さん

〇私はこれまでも義務教育9年間の最終年にあたる中学3年生には、「保護者や先生などから言われたからその通りにする」のではなく、いろいろな人の視点に立って(想像力)、自分はどうすべきかを考えること(創造力)を育んでもらいたいと願ってきました。練習を後ろからそっと見ていると、そういう力が一人ひとりに備わってきているなと感じました。

〇卒業式は学校行事の中で最大でかつ最重要であり、フォーマルな場です。そこで最初は礼法や作法の確認を行います。これもあくまでも基本を教えますが、あとは自分なりのその基本動作を応用し、堂々と参加してもらいたいです。生徒に指導した主な点として、

1 座る姿勢(頭をむやみに動かさない)

男子:足を自然に開き、拳は軽く握って膝と股関節の間に置く

女子:足を閉じ、手は重ねて膝と股関節の間に置く

2 座る→立つの動作 (「卒業生、起立」の号令)

背筋を伸ばす(立つ準備)をして、スッと立つ。

3 立つ姿勢(手は体側に)

踵をつけて、つま先は拳1つ分程度開き、視線はまっすぐ遠く。

4 座礼と立礼(若者らしく)

腰を基準にして、1・2・3で45°程度曲げる

5 歩き方(手は自然に振る)

「パタパタ」と音をたてるのはNG、まっすぐ遠くを見る。

〇「ずいぶんと細かい所まで教えるなあ~」と感じる方もいるかもしれませんが、卒業式は彼らにとっても小学校以来3年ぶりのことであり、知らないことや忘れていることも多いものです。最初は各所作の意味や社会人の常識みたいなものまで含めて説明し、だから「~しなさい」ではなく、教わったことを生徒自身が自分でかみ砕いて考えることが最も大切だと考えています。

〇当日に一番生徒が緊張するのが、卒業証書授与の場面です。最初ステージにあがると、ぎこちない動きでしたが、みんな一生懸命取り組んでいて、みていて清々しい気持ちになりました。来週の予行練習では、保護者席に在校生を座わらせて、本番の緊張感で最後の確認をしていく予定です。

 須藤昌英

2月26日(水)楽しく学ぶ土台は「アハ体験」

〇昨日は1学年の3クラスにおいて、3学期期末テストの答案用紙返却を各担任と一緒に行いました。今回の出題範囲は、空間図形と資料の活用が主でしたので、生徒の図形認識の違いなどで好き嫌いやが出やすい内容でもありました。

〇半年前から柏市の中学校でも、定期試験の自動採点システムを導入しましたので、各教科担任は生徒の答案用紙をスキャンし、第一次採点をコンピュータで行います。その後それを確認するために、教員が目で2回目の採点を行います。

〇昨日の3クラスでは、一人のみ採点の修正を行いました。記号で答える問題でしたが、よく見ないといわゆる「くせ字」なので、コンピュータと人間のダブルチェックも認識できなかったようです。本人に私から事情を尋ねたところ、「自分は〇のつもりで書きました」と答えがあったので、誤答から正答に変更しました。

〇ところで今回の久しぶりの生徒たちとの直接的な授業のやりとりで、いつもと違う生活パターンで少し疲れます。しかしその一方で自宅に帰って食事後に「ボーッ」としたり入浴したりしている時に、「そうだ!明日は~をやってみよう」などの思い付きがあります。そういう時はワクワクするものですし、脳の働きはますます神秘的だなと思います。

〇同じく脳の不思議な能力として、昔一時期、テレビなどで話題になりましたが、「アハ体験(a-ha experience)」があります。簡単に言うと、「あ、そうか、わかったぞ」という心のつぶやきや体験を表す言葉で、やはり「ひらめき」や「創造性」に関する脳のはたらきのことです。

〇よく使われる例として、古典物理学者のニュートンが、木から落ちるリンゴをみて万有引力の法則を発見したことがありますが、もちろんあれも常に一つのことを考え続けた末、フッとした瞬間に知識どうしが結び付く一つの「アハ体験」だと言えます。

〇少し調べてみると、人間は「アハ体験」の最中の0.1秒ほどの短い時間に、脳の神経細胞がいっせいに活動して、世界の見え方が一瞬で変わってしまうそうです。

〇大げさに言うと、それまでわからないで悩んでいる時の不安感や焦燥感が、ひらめいた時の「ああ、そうか!」一気に消え去り、と同時に大きな喜びや解放感を感じることによって、今までとは違った自分になってしまうということです。

〇そのような感覚を体験することで、関係する脳の回路を強化され、その後は、わからないことが出てきてもじっくりと考え、ひらめきを育むことの大切さを、楽しみながら学ぶことができるでしょう。

〇ただし、アハ体験は、いつ起こるかなど予測は不能で、コントロールもできないという面があります。またそれに近い体験を実際にしても、いつのまにか見過ごしていることもあります。やはり今の自分が何を感じているのかを、常に意識しておく必要がある気がします。

〇生徒たちには、私とのやりとりの中で、何か一つでいいので、小さな「アハ体験をしてもらいたい・・」と思っています。「この計算はこういうときに使うのか!」とか「この数学の公式は確かにこの場合には便利だ!」など、自分で感じたことを書いたり、人に話したりするアウトプットを積み重ねると、普段の学習への意識が高まります。

〇脳科学者の茂木健一郎氏は、インタビューで次のように語ります。

「生きていくのは何が起こるか分からないこと。学校では答えの決まっていることは教えてくれますけど、人生をいかに生きるべきかという教科はありません。何が起こるか分からない人生をどう生きるかという時に、感情がフル回転するんです。脳にはうれしいことが起こった時に放出される『ドーパミン』と呼ばれるものがあります。何か行動してドーパミンが出ると、その回路が強化される。これを強化学習と呼びます。ですから、頭を良くしようと思ったら、何かを学んで喜ばなくてはいけないんです。アハ体験は気付くことに喜んでドーパミンを出してほしいというもの。気付くということに対して、トレーニングする機会はないんです。答えが決まっていることを素早くやることも大事ですけど、それだけでは今の世の中はやっていけない。何か新しいことに気付くことがすごく大切なんです。脳はオープンエンド、一生学び続けるものですから」

〇今日の授業も、生徒の「アハ体験」をどうのように引き出せるか?楽しみです。

須藤昌英

2月25日(火)見方・考え方を身に付けることの重要性

〇1学年数学を担当していた宗形教諭が先週から産前休暇に入り、私が4クラスの数学の授業の一部を来月まで担当しています。ただし宗形教諭は授業で行う教科書の内容をすべて終えていますので、私は1学年の内容を復習や補強をするようなスタイルで授業を行っています。

〇最初の授業では、「算数と数学の違いは?」から入りました。小学校の算数は実生活を基盤とした具体的な数理(長さ、重さ、広さ・・・)、を対象としますが、数学はそこから余分な概念をあえて除きもっと抽象的な世界でイメージすることの違いがあります。

〇まず先週行われた「千葉県公立高等学校入学者選抜」の数学問題の最初を提示しました。これは1年の学習なので、配点は5点です。生徒は「え~」と驚いていました。この他に図形の問題でも1年生で解答できるものがありますので、「君たちも2年後には受検しますが、特に数学は学習内容を積み上げする特徴のある教科なので、コツコツと復習をして土台を固めることを心掛けてください」と話しました。

〇普段から人間は思い込みで生きています。「〇〇だから●●だ」と、自分の経験や人の意見を信じて物事を判断しています。ただ時々、「本当にそれでいいのか?他に考えはないのか?」を疑ってみることも大切です。数学は別の見方や考え方がないか・・と思考を広げることに楽しさがあるので、そのことも触れてみました。

〇また計算の決まりとして、乗除法は加減法よりも優先して計算をするという約束は知っていても、「どうしてそうしなければならないの?」と問われると、「どうしてだっけ?」になります。時々それも振り返ってみることで、計算の本質がつかめ、計算ミスも防げます。法則や規則の根底をつかめるようにしてもらいたいと思っています。

〇1時間を通して、「数学的な見方・考え方の重要性」にふれ、多角的・多面的な見方をするためには、「本当にこれは正しいのか?」「この他に方法はないのか・・・」などを常に自分に問いかけることを生徒達には伝えました。

〇数学だけでなく全ての教科にはそれぞれ特有の「見方・考え方」があり、授業の内容を学習することを通して、その「見方・考え方」を身に付けさせるようにすることが大切です。年月が経つと、やがて学習内容は剥がれ落ちていきますが、見方・考え方はいつまでも残り、その人の思考の基盤となります。

須藤昌英

2月21日(金)ヒトはなぜ、歩くのか?(その2)

〇昨日紹介した雑誌にもう一人、元陸上競技日本代表で現在は会社代表をしている為末大氏の「歩いていると、どんどん思考が深くなります」という記事も注目に値します。

〇為末氏は、男子400mハードルの日本記録保持者で、2001年世界選手権で日本人初の銅メダル、2005年ヘルシンキ世界選手権で銅メダルを獲得。 初めて日本人が世界大会トラック種目で2度メダルを獲得するという快挙を達成しています。このようなトップアスリートの考えは説得力があります。

〇また一部を引用させてもらいます。

「25年間のアスリート人生にピリオドを打ったのは、12年前。カラダを鈍らせないため、引退後はジムに通ったりランニングしたり。でも筋トレは性に合わず、ランでは現役時代に酷使した膝に痛みが生じがちでした。それで7.8年前くらいから歩き始めました。歩いているだけで思ったより太らないし楽しい。だったら歩きでいいかなと。ランとウォークでは体感的にエネルギー消費量gは数倍違うような感じがしますが、実際には30分走るのと1時間歩くのとではそんなに違わないんです。(略)現在のところ、一日の目標歩数は1万2千歩程度。都内なら目的地の2.3駅前で降り、散歩感覚で歩く。(略)僕は油断すると『そもそも○○とは何か?』と考えてしまうんです。その考えを巡らせている間はほとんど歩いています。歩いていると思考がどんどん深くなっていきますね。電車の中での移動中に本を読んで、そのまま電車を降りて歩きながら自分の頭で考えて、たどり着いたカフェで何かを書き始めるときれいなコンポ(組合せ)になります。思うに、脳内の接続みたいなものは脳の活動だけではつくりだすのは難しいんじゃないかと。基本的に人間は狩猟採集活動をすることで脳の接続を進化させてきました。だから身体活動で血流がよくなって異なる接続パターンが生まれたときに、ひらめきが得られると思うんです。

〇この記事を読む前から為末氏については、現役選手にもかかわらず知的なイメージがあり、引退後も身体に関する様々な本も書いたりYou-tubeでも多くの動画を投稿したりしていましたので、関心をもっていました。

〇特に上記の内容では、「思考と身体の関連性」について、特別な人だけの限られた感覚ではなく、誰でも身近に経験していることを書いているところに一番感心しました。これは昨日の青山学院大学の福岡教授と共通です。

〇2月5日のブログに、人間の脳は、「ボーッ」としている方が、何かを考えているときよりも多くのエネルギーを使っていて、そのデフォルト・モード・ネットワークが働いているときは、あらかじめ蓄えられた情報がそれぞれ結びつきやすくなり、新しいアイデアや発想が生まれやすくなる、つまり「創造性」に富む可能性があると書きました。これとも通じるものがあります。

〇私がこのブログで研究者などの話を引用する場合に、「人間の身体や宇宙の神秘みたいなことが多いのでは・・・?」と読んでお感じになっていられる方もいると思います。それはその通りで、私の一番の関心は常にそこにあります。

〇脳も含む人の身体はまだまだ不明瞭な部分が多く、これから解明されるだろうと思われるものもあります。例えば、「なんで手や足の指は5本なのか?」「どうして心臓の位置が少しだけ左寄りなのか?」など、まだまだあります。またそれは未知な宇宙を研究している方々のテーマと同じではないか?と思っています。

〇身体や宇宙の話からからいつも連想するのは、生徒たちの可能性の無限さです。自分が中学生くらいの頃、「将来自分はどんなことができるようになるのか・・」「でも今のままでは大したことはできないのではないか・・」などといつも期待と不安が入り混じっていました。

〇でも60年以上生きてきて今は生徒たちに、「大丈夫、あなたたちには自分でやろうと思ったことを実現するための力が、もうすでにその身体に潜んでいるからね」と自信をもって言ってあげられます。というか、そういうことを校長という立場ではなく、大人として伝えてあげなければいけない・・とさえ最近は感じます。

〇歩くこともその一つです。「歩くことなんてただの移動にすぎない・・」と私も若いころには割り切っていました。また思春期には時々部屋に閉じこもってあれこれと考えることも大切ですが、それに飽きたら思い切って外へ出て、自分の五感で感じたことを大切にしてもらいたいです。

須藤昌英

2月20日(木)ヒトはなぜ、歩くのか?(その1)

〇昨日までの千葉県公立高等学校入学者選抜で本校では、具合の悪い生徒などはおらず、全員無事に終えました。したがって追検査を受検する生徒もいません。結果は来月の4日です。良い結果を待ちます。

〇今日から来月の卒業式まで、20日間をきりました。3学年は来週から特別日課になります。生徒たちには3学年がそろって生活する残りの日々を大切にしてもらいたいです。

〇一年前のくらいの雑誌「Tarzan(ターザン)」に、生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一氏が、表題のテーマで随筆を投稿していました。その一部を引用させてもらいます。

〇まず副題が「誰に教えてもらわなくても、ヒトはあるとき歩き始める。実はそれは、生き物としてのとても希有で難しいアクト。大人になると我々は歩くことを億劫に感じてしまう。実はそれは、生き物としての在り方から遠ざかる行い。そもそも『歩く』という行為にどんな意味があるのか?」とあります。思わず内容に引きずり込まれてしまいました。

CHAPTER1(直立二足歩行の恩恵)

〇人間は生物の中でも非常に特殊な存在です。特殊性の一つは直立二足歩行をするということ。アライグマは立てますが一瞬ですし、鳥やかつて存在していた恐竜は二足歩行ですが体幹が前傾していて直立ではありません。重心が足の真上にあってすっくと立って歩けるのは人間だけなんです。

〇それ以前に比べて高いところから遠くを見渡せるようになり、獲物や敵をより早く見つけるようになりました。また手が使えるようになって、道具が扱えるようになり、同時に手をコミュニケーションの道具として使えるようになりました。肉親や友達などの手助けをし、これが他者と共存し共生する、利他的な行為になったと考えられます。

CHAPTER2(歩きこそ、動的平衡)

〇まず2本の脚で立つということが難しいんです。カラダの中を血液が循環していたり呼吸をすることで重心が常にゆらいでいるので、常にバランスを取り直さなければならないからです。この動きながらバランスを取ることが生きていることの本質、動的平衡です。

〇歩いて前に進むには一歩踏み出さなければならない。その結果、一本脚で立つ瞬間が生まれます。これは立つ以上に不安定な状況。でもあえて不安定な状態をつくり出すことによって、前に進む推進力を生み出す。そして不安定さを回収するために次の一歩を踏み出す。

CHAPTER3(生物の老いと、歩き)

〇「エントロピー増大」という宇宙の大原則があります。これは形あるものはいずれ必ず形がなくなる方向にしか動かない。(略)歩くという行為も同じです。元気なうちは脚を高く上げて大きな不安定さをつくり出せますが、歳を取ると筋力が衰えて、推進力も鈍くなります。

〇動物は常に新しい環境を求めて動き回ります。(略)ところが今は、インターネットやAIが何でも教えてくれる。自分自身が移動して新しい者を探索するのではなく、寝転んでネットを世界に触れられるので動いているという錯覚に陥ります。でもこれでは、エネルギー代謝も鈍るので、動的平衡の行為を放棄することになってしまいます。

最後に・・

〇脳は五感からさまざまな外部情報を取り込んで、それを交通整理する器官。予測不能な自然の中で感覚器官を全方位的に開いているときこそ、新しい思考が浮かんできます。歩こう。水辺を、公園を、森の中を。

〇いかかでしょうか?歩くという当たり前のことも、人類史上では多くの経緯があってのことだがわかります。私も意識して月に数度は、徒歩で出退勤をしています。自宅から学校へはたった2㎞(往復4㎞)ですが、朝や夕方に歩いていると、見慣れた風景でも新しい発見があって楽しくなります。自動的に様々な思いや新しい考えが整理されているような感覚を覚えます。

〇3年生との校長面接では、「何かを覚えたりするときに歩いたり口に出したりすると記憶に残りますよ」と数人にアドバイスしました。まさに福岡教授が指摘しているとおり、手足などの感覚を研ぎ澄ますことは、良い面が多くあります。人口知能AIは、自分の興味や関心などに関係なく多くの知識を蓄えていますが、ヒトは好きなことや知りたいことを徹底的に探究すれば良いので、その為には歩くのも有効です。

須藤昌英