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校長室より

夜についてのメモ

  夜明け前が一番暗い。これはイギリスの諺だが、人間は古来から夜明けに希望を感じる生き物のようだ。確かに朝が存在しなければ、あらゆる生命は誕生しなかっただろう。しかし、夜が存在しなければ、地球の外の世界に気づくこともできなかっただろう。夜がやってくるから、私たちは闇の向こうのとてつもない広がりを想像することができる。私はしばしば、このままずっと夜が続いて欲しい。永遠に夜空を眺めていたいと思う。暗闇と静寂が、私をこの世界につなぎとめている。どこか別の街で暮らす誰かが眠れぬ夜を過ごし、朝が来るのを待ち伸びているかもしれない。しかし、そんな人間たちの感情とは無関係に、この世界は動いている。地球が時速1700キロメートルで自転している限り、夜も朝も等しく巡ってくる。そして地球が時速110,000キロメートルで公転している限り、同じ夜や同じ朝は存在しえない。今、ここにしかない闇と光。全ては移り変わっていく。1つの科学的な真実。喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、地球が動き続ける限り必ず終わる。そして新しい夜明けがやってくる。

 

少し前に見た映画、「夜明けのすべて」の中のセリフです。上白石萌音さんが演じる主人公が、プラネタリウムの説明で読んだ一説です。すごく心に響いたので、紹介しました。誰の人生にも、毎日いろいろなことが起こり、悩みは尽きないかもしれませんが、必ず夜明けはきます。前を向いていきましょう。

勉強というものは、いいものだ。

「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは。君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。あっけないお別れだけど、男と男だ。あっさり行こう。最後に、君たちの御健康を祈ります。」すこし青い顔をして、ちっとも笑わず、先生のほうから僕たちにお辞儀をした。

 

                          『正義と微笑』  太宰治 著 青空文庫 より抜粋

 

「覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。」太宰が学ぶことの意義を伝えてくれています。「カルチベート(cultivate)」とは、主に「耕す」「養う」「磨く」などの意味で使われます。土地を耕すだけでなく、才能や品性を養ったり、知識や教養を深めたりする意味合いも含まれます。「農業」を表すアグリカルチャー(agriculture)に「文化」を表すカルチャー(culture)が含まれています。つまり、文化とは、私たちの生活を豊かに「耕し」、そして私たち自身の「心」を「耕す」ものという意味です。すべての産業の始まりである農業との結びつきに深い意味を感じます。AIやIoT、ビッグデータといったSociety 5.0(第5次産業革命)の時代だからこそ、学ぶことの意義をもう一度考えることが必要なのです。

 

読書ノススメ

本は与えられても、読書は与えられない。読書は限りなく能動的で、創造的な作業だからだ。自分で本を選び、ページを開き、文字を追って頭の中に世界を構築し、その世界に対する評価を自分で決めなければならない。それは、群れることに慣れた頭には少々つらい。しかし、読書が素晴らしいのはそこから先だ。独りで本と向き合い、自分が 何者か考え始めた時から、読者は世界と繋がることができる。孤独であるとい うことは、誰とでも出会えるということなのだ。

   

                          「小説以外」 恩田陸 著 新潮文庫 より抜粋

 

夏休みに、本を読むことをおすすめします。SNSから離れ、自分自身と向き合う時間を大切にしてください。孤独であるということは、新しい出会いがあるということなのです。

 

センス・オブ・ワンダー

 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・ オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。

  この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オ ブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたびに、さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気がつき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。私は、そこにいる鳥の名前すら知らないのに。」と嘆きの声をあげるのです。

 わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思う ようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。

          「センス・オブ・ワンダー」 レイチェル・カーソン 著 上遠恵子 訳 新潮文庫 より抜粋

 学生時代に読んだ本をたまたま読み返してみた。『「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。…美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思う ようになります。』というレイチェルの言葉に、答えを教えてもらったような気がした。『世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人』でありたいと思った。