校長雑感ブログ

1月13日(火)人間(じんかん)と世間(せけん)

〇昨日は「成人の日」で、各地でお祝いの会が開かれました。私もかつて教育委員会事務局に勤務していた際、成人式は教育委員会が主催なので、成人者を迎える仕事をしていました。一時期は成人式で大暴れする若者がいましたが、参列者の中には5年前の卒業生もいたりして、再会を喜びその生徒の中学校からの成長に驚いたものでした。

〇隣の東京都では、成人者の6人に1人が外国の若者だとニュースが伝えていました。日本で学んだり働いたりしている人がいかに多いかがわかります。私も3連休中に車の定期点検をディラーで行いましたが、整備場で働く数人はすべて外国人でした。一生懸命に働いていました。丁寧に「ありがとう」と伝えました。

〇外国人の方がよく「日本語の難しさは世界でも類のないほどだ」と言います。その理由は日本語の曖昧な表現方法、敬語の使用方法など、覚えることが多いためです。また特に外国人からすると、ひらがな、カタカナ、漢字などが自由自在に使われており、それは日本語を母国語とする人であって(私も含めて)も、特に漢字を正しく理解していない人がいます。

〇また同じ漢字でも時代によって読み方が変化します。たとえば「人間」と書いた際、今は一般的に「にんげん」と読んでいますが、明治時代には「じんかん」と読んでいることを、昔、夏目漱石の作品をいくつか読んでいて知りました。この背景には、いくつかの原因や経緯があります。

〇元々、漢語としての「人間(じんかん)」は、「人の世」「世間」といった意味で使われており、特定の個人を指す言葉ではありませんでした。しかし明治時代以降、西洋の "human being"や "man"といった概念を翻訳する際、新しい意味を持たせるために「にんげん」という読みが一般化し、現代の意味での「人」を指す言葉として定着したようです。

〇私は「人間」という言葉を明治時代には「じんかん」と読まれていたというのは、とても興味深く感じます。それは漱石の高い漢語の素養を示すものですが、たとえば『草枕』では、「じんかん」と読むことで、俗世間から離れた境地や、漢詩的な世界観を表現しようと意図的に「じんかん」という読み方を用いていたと考えられます。

〇私は昔、人間には「人と人の間でしか生きられない」という意味があると教わりました。他の動物は、犬、猫、馬、熊、鹿、・・・など、漢字一文字で表すことが多いです。もちろん「人」は一文字ですが、「人」と書くと「人間」よりも冷たいイメージがあります。

〇「人間味がある」「人間らしい」と言う場合には、先ほどの人間(じんかん)の意味である「世の中」「世間」が強く意識されていると思います。つまり「人は人が寄り集まった【世間】の中で、お互いに切磋琢磨したり協力しあったりして生きる宿命がある」にもつながります。

〇また似た言葉で「世の中: 広範囲に世界全体や社会全体を指す」と「世間: 限定的に自分の身近な人間関係や地域を指す」があります。具体的な使用例は「生きづらい世の中だ」と「世間の目を気にする」では、自分と周囲の人たちとの距離感が違います。

〇さらにその2つと「社会」という言葉の使い分けをいつも悩んでいます。「社会」は、共通の文化や制度、ルールなどを共有する人々の集団を指し、国や世界といった広範囲を指すことが多いです。別視点では、「世の中」や「世間」は、自分に関係のある人たちで構成されるのに対し、「社会」は自分に関係のない人たちも含むという違いがあります。

〇学校も小さいですが一つの「世間(社会)」です。よく学校は社会とかけ離れており、昔から「学校の常識は世間の非常識」とも揶揄されてきました。しかし本来、学校と社会は、「社会の一員として生きる力を育む」と「将来の役割へ導く」という相互補完的な関係にあり、密接に連携していく必要があります。

〇要するに学校は知識伝達だけでなく、社会の縮図として協調性や課題解決能力を育む場であり、近年では「社会に開かれた学校」として「地域の中にある学校」という認識を深め、社会全体で子どもを育てる体制が重要視されています。まさに人間は「人と人の間でしか生きられない」ということです。

〇話を漢字に戻しますと、私も中学生の頃は漢字には苦しめられた思い出があります。それは比較的に部首などが明確なので、「漢字を書く」面よりも「漢字を読む」面に困惑していました。

〇漢字は大きく2つに分けると、音読み(おんよみ:中国から伝わった発音を元にした読み方で、意味が分かりにくいことが多い)と、訓読み(くんよみ:漢字の意味に合わせて日本で作られた固有の和語で、単独で意味がわかるのが特徴)があります。

〇2つの伝わってきた時代に相違があります。呉音が5〜6世紀頃の中国南方(六朝時代)の音(仏教用語に多い)であるのに対し、漢音は7〜8世紀(奈良・平安時代)に遣唐使がもたらした唐の長安音(一般的・学術的な漢字音)を指します。 

〇漢字の音読みと訓読みは、それぞれ異なる起源と特徴を持ち、日本語に豊かさをもたらす一方で、複雑さの原因ともなっています。それぞれの長所(メリット)と短所(デメリット)は以下があります。 

・音読みの長所

造語力の高さ: 複数の漢字を組み合わせた熟語(例: 帰国、帰社、帰宅)を容易に作ることができ、新しい概念や専門用語の表現に優れています。

簡潔性・普遍性: 発音が1〜2音節と短く、多くの熟語で共通の読み方として機能するため、文章の可読性を高めます。

表記の明確さ: 文書や公式な場面で広く使用され、意味を限定する役割を果たします。

・訓読みの長所

意味の直感的な理解: 発音を聞いただけで意味が理解できます。

表現の豊かさ: 日本語の感情やニュアンスを繊細に表現するのに適しており、話し言葉や文学的な表現に深みを与えます。

単独での使用: 漢字一文字で完結した言葉として使われることが多く、送り仮名とセットになる場合が多いです。

・音読みの短所

単独での意味の不明瞭さ: 一文字の発音だけでは意味が分かりにくいことが多いです。

複数の読み方の存在: 中国から伝わった時期や経路によって「呉音」「漢音」「唐音」などの複数の音読みが存在し、学習者にとって混乱の原因となることがあります。 

・訓読みの短所

熟語構成の難しさ: 音読みの熟語ほど自由な組み合わせが難しく、新しい熟語を作るのにはあまり使われません。

学習の複雑さ: 同じ漢字でも文脈によって読み方が異なる場合があり、習得に時間と労力がかかります。 

〇今では音読みと訓読みの両方があることで、日本語は豊富な語彙と多様な表現を可能にしていると感じますが、それが同時に冒頭の外国人の学習の難易度を高める要因ともなっています。 

須藤昌英