校長雑感ブログ

2月25日(水)素面(すめん)と仮面(かめん)

〇久しぶりの本格的な雨です。乾燥しきっていますので、花粉が舞い上がりやすく、花粉症の人も大変なようですので、この雨で少し落ち着くとよいのですが・・。来週から3月ですので、年度末のまとめと年度始の準備を並行して行っています。

〇昔から教員の中では、「中二病(ちゅうにびょう)」という言い伝え?があります。思春期が本格的に始まる中学2年生頃に見られる典型的な成長過程の一部で、大人の我々も通過してきたはずですが、その頃の葛藤を今では忘れていることが多いものです

〇具体的には、身の丈に合わない背伸びしがちな言動が増え、「自分とは何か?」などの哲学的な問いと向かい合ったり、独特の空想・嗜好を持ったりする時期で、もちろん医学的な病気ではなく、大人への憧れや特異な自分を演じたい心理によると考えられます。

〇そして私もそうでしたがこの時期は、素面(すめん:心の奥の素直さ)と仮面(かめん:心の奥を隠す心理)の使い分けがまだ上手にできないことから、相手に本当の自分の気持ちが言えなかったり、逆にそういう自分を徹底的に自己否定したりします。

〇つまり中学校二年生前後は、その使いこなしを始める過渡期にあり、葛藤しながら身につけている最中といえます。大人から見ると未熟に思えるかもしれませんが、中学生は彼らなりに必死に「2つの自分」を使い分けています。その一つが今で言う「キャラ」という名の仮面です。場所による使い分けを意識し、「学校でのキャラ」「塾でのキャラ」「親に見せる顔」などを明確に分ける生徒は多いです。

〇また無意識に自分を守る防衛本能として、周囲に自分の存在が浮かないようあえて明るく振る舞ったり、逆にクールを装ったりします。これはいわば社会で生き抜くための「仮面の初期訓練」のようなものでしょう。

〇また特に昔の中学生と現代の中学生との違いは、リアルの自分とは別に、SNSごとにアカウントを分ける(裏アカ、趣アカなど)ことで、複数の仮面を器用に使い分けようとします。ただし「素面」は本当に信頼できる数人、または匿名の場所でしか見せないので、落ち込んでいてもSNSでは「充実している自分」を演出することもあります。ある意味、大人以上にデジタル上での仮面操作には長けています。

〇しかしその反面、その2つを「自由自在に操る」ことは大人でも難しいので、中学生にはまだ重荷である場合が多く、ストレスを抱え込んでしまいます。さらにいろいろな仮面をかぶりすぎて、どれが本当の自分(素面)か分からなくなり、アイデンティティ(自己同一性)の危機に陥ることもあるでしょう。一番こわいのは、大人なら仕事とプライベートをわけるなどと割り切れる仮面も、中学生にとっては「偽りの自分を演じている」という罪悪感や疲労感に直結しやすくなることです。

〇発達の面から心理学的には、この時期に「相手や状況によって自分を変える(社会的自己の形成)」を学ぶことは、成長の証でもあります。私も中学生を日々観察していると、中1くらいまではまだ素直さが残っていますが、徐々に周囲の目を気にし始め、中2から中3になると、複雑な人間関係の中で、意識的に仮面を使い分けようとする傾向が読み取れます。

〇思い返せば私が中学生の頃、最初に太宰治(1909~1948)の作品を読んだきっかけは、当時の国語の先生の影響です。授業中にその先生が、「太宰は【人間失格】を書き上げた後に自死した」と言った言葉が頭に残り、すぐに図書室で借りて読み始めました。ところが大人の気持ちがさっぱりと理解できず、落胆したのが第一印象でした。

〇ただその反面で、自己の内面と向き合うことから、初めて葛藤を感じたり投げやりな生き方にも少し興味を覚えたりしました。おそらくそれまでに抱いていた大人のイメージがまったく変わる衝撃を受けたのでしょう。私は読み終えると、「昔も今も人間の心は同じ部分があるんだな」と感じました。

〇「人間失格(1948年)」は、全体的な暗いイメージとともに、読者に「そう感じるのは、自分だけじゃなかった!」という強い共鳴を感じさせます。中学生という思春期特有の周囲に馴染めない感覚や、「道化(ピエロ)」を演じてしまう自分に対して、太宰の描く主人公の「自意識の過剰さ」が深く印象に残るのかもしれません。ただ全体を通して、「孤独・恐怖・破滅」をテーマにした自滅的・内省的な主人公を描いた陰鬱な作風は賛否両論あります。

〇現代の中学生でも読めば、主人公が感じる人間関係への恐怖や偽善への嫌悪感が共感を与えることでしょう。そして自分の中にもあるドロドロした感情を、著名な文豪が文章化してくれていることに、一種の安心感を覚えるかもしれません。

〇太宰といえば、国語の教科書に必ず取り上げられている「走れメロス(1940年)」も有名です。こちらは「友情・信頼・希望」をテーマに、苦難を乗り越える前向きな主人公を描いた作品です。どんなに立派で強い意志を持つように見える人でも、一時期は投げやりになったり弱音を吐いたりするというストーリーに、中学生は「弱さへの共感」を抱きます。

〇普通の感覚では、「走れメロス」と「人間失格」をとても同じ作者が書いたとは思えませんが、前者は「人間の強さと可能性」、後者は「人間の弱さと脆さ」を徹底的に追求しており、光と影のような対比を感じます。この対比は、「素面」と「仮面」にも通じると感じます。

〇「人間失格」の主人公が、学校でおどけてばかりいて、自分の本心を決して友だちに見せようとはしなかったことが、「道化を演じる」つまり「仮面をかぶる」ことです。また中学生は、「素面」と「仮面」で試行錯誤していますが、その裏には「本当の自分を受け入れてほしい」という本心が隠れていることも大人として理解しつつ、見守ってあげたいです。

〇ただ今の中学生がもし太宰の作品を読もうと思っても、なかなか本のような紙媒体では読破するのは難しいと感じ、尻込みしてしまうかもしれません。そこで最近は、聴く読書「オーディオブック」がそのハードルを少し下げてくれる可能性をもっています。これはプロが本の朗読をしてくれるサービスで、徐々に広まっています。

〇私も若いころは、ラジオを聴く方が、テレビを観るよりも楽しかったことがあったことを思い出しました。映像はなくても音声によって自分なりのイメージが広がり、聴きながら他のことができるのも大きな利点です。

〇先日、Youtubeでも「人間失格」の朗読動画を見つけました。全部で4時間半です。少し聴いてみましたが、自分で読むよりはリラックスして聴けますので、楽ですが少しあらすじが頭に残りづらい気もしました。ただ文学作品への導入の手段としては、「これもありかな?」と思いました。

〇またこれは「学びなおし」や「学び続ける」などの生涯学習にもつながると思います。すでに中学生も小学校ではボランティアさんによる「本の読み聞かせ」の経験があるので、共感しやすいでしょう。

〇大人になっても、「自分は【人間失格か】それとも【人間適格か】」と日々葛藤しています。確実に言えるのは、中学生の頃よりも「仮面」をかぶることが少なくなっていることでしょうか。

須藤昌英