校長雑感ブログ

12月2日(火)「言葉の職人」のご逝去から1年

〇昨年の11月、現代の日本を代表する詩人の谷川俊太郎さん(当時92歳)が亡くなられました。それから1年が経ちましたが、いまだに多くの追悼の意が表せられています。谷川氏の影響は、詩の世界にとどまらず文学界、音楽界などにも広く及んでいます。

〇谷川氏は1931年に東京で生まれ、高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビューしました。鋭いけれども誰もがもっている感性を大切にし、テンポのよいことばを連ねるなど、半世紀以上にわたり数多くの作品を発表し続けてきました。

〇私は若い頃から谷川氏の詩を、自分が担当する林間学校のキャンプファイヤーや3年生を送る会などで生徒たちに朗読させていました。とても平易な言葉ばかりですので、読んでいるうちに生徒たちはその独特の世界に引き込まれ、普段は見せない表情をしていたことをよく覚えています。

〇代表作の「生きる」を紹介します。

生きる  

生きているということ  いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみすること  あなたと手をつなぐこと

生きているということ  いま生きているということ

それはミニスカート  それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス  それはピカソ

それはアルプス  すべての美しいものに出会うということ

そして  かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ  いま生きているということ

泣けるということ  笑えるということ  怒れるということ

自由ということ  

生きているということ  いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ  いま生きているということ

鳥ははばたくということ  海はとどろくということ

かたつむりははうということ  人は愛するということ

あなたの手のぬくみ  いのちということ

〇「生きているということ いま生きているということ」の韻を踏み、心地よいリズム感で、生き物などの有機質や生物以外の無機質なものまで引き合いに出して、生きていることの素晴らしさを見事に表しています。

〇自分の解釈ですが、この詩のテーマは、「普段の生活(日常)にこそ生きていくことのすべて(意義)がある。そのことを再確認することが幸せを身近に感じる唯一の方法である」ではないかと感じていました。

〇よく言われますが、十代の若者がこの詩に共鳴する部分ともっと年を重ねた大人が共鳴する部分は異なり、それが詩の素晴らしさではないかと思います。

〇谷川氏は数年前の生前のインタビューで、「詩というか言語というものは、われわれの世界を記述するのに、非常に不完全なもの。作品がうまくできれば満足だけど、それが真理を示しているとか、そんな気はまったくなくて、きれいで人が楽しんでくれればいい。芸術家というよりも『言葉の職人』っていうのかな。自分としては『職人』と言いたいんですよ」と答えています。

〇「言葉の職人」というあたりが谷川氏の人柄を表しています。生前を知っている多くの人がその人柄を「その作品と同様に気さくで親しみやすく、ユーモアがありながらも、物事を深く見つめる自由な精神を持った方」との印象があるそうです。

〇あえて自分を「専門家」と言わずに「職人」と呼ぶには、それなりのこだわりを感じます。「職人」は長年の経験や勘を磨くことを重視する一方で、「専門家」はその分野の高度な知識や技術で客観的な資格や実績を持つ人を指します。

〇つまり人からの評価などは二の次で、自分が好きなことをただ一心不乱にやるということで、結果として自分が納得できる仕事やそれによって他に貢献しているということだと思います。

〇谷川氏が「詩や言語は非常に不完全なもの」と言っているように、日本の教育も決して完全(正解)ではなく、常に現在に沿ったものに変化させていかねばなりません。

〇我々教員も一面に「専門家」としてのプライドをもたなければなりませんが、そういう面では「職人」のように完全なものを追い求めてく気概も必要かもしれません。

〇長年多くの詩によって勇気づけられたことに感謝しつつ、谷川俊太郎氏のご冥福を心よりお祈りいたします。

須藤昌英