R7_富勢中日記

2025年1月の記事一覧

1月30日(木)思考のアウトプットの「書く」とワーキングメモリ

〇学校のすべて授業では、生徒の学びを広げて深めるために、4つの言語活動(聞く、話す、読む、書く)を大切にしています。どれも日常的に無意識で行っていますが、よく考えるとそれぞれの良さや違った負担感があります。

 

〇このうち「書く」ことが一番生徒たちにとって負担が大きく、前の3つ(聞く、話す、読む)を十分に行っていないと、「自分の考え・思いを書きだす」ことや「自分を客観的にみてそれについて書く」ことは難しくなります。

〇「書く」ことでいうと、生徒たちは毎日、その日の予定やあったことを記録するノートをつけています。そのノートは「タイムくん」というかわいい名前です。担任はそれを読んで、コメントなどを書いたり心配なときは直接声をかけたりしています。

〇やはりこれも「継続は力なり」で、書き慣れている生徒は苦も無く出来事やそれに関する自分の思いなどをスラスラ書いています。またそれに比例?するように、授業で使うノートなども効率よくまとめているようです。

〇頭の中の考えや思いを書き出すことにより、その文字を再度自分の目で見ることになります。そうすると自然と心が安定したりその後の事の処理をスムーズにイメージできたりとメリットがあります。

〇「ワーキングメモリ」とは “脳のメモ帳” とも呼ばれる脳機能のことですが、実際の科学的な実験で、書くことでワーキングメモリと精神的な部分の改善が見られたそうです。ワーキングメモリの役割として会話や読書、計算など、仕事や日常生活におけるあらゆる作業や動作に必要な情報を一時的に記憶し処理します。

〇このワーキングメモリを鍛えると、頭のなかで常に整理整頓ができている状態になるそうです。これらをふまえると、いまの悩みや関心事について書き出すことがワーキングメモリにいい影響を与え、頭のなかの整理整頓を助けてくれると考えらえます。

〇ただたとえ普段は頭の整理ができている人でも、過度に忙しくなったり、ストレスが続いたりすると、頭のなかは徐々に混沌としてきます。いつもは正常に機能している脳が、うまく働いてくれない状況になることもあります。頭の整理整頓における情報のアウトプットは、誰の脳にとっても有益だと言えるでしょう。

〇私も毎日2種類の記録をつけています。一つは仕事に関することで「執務記録」です。その日に学校内であった報告事項や今後の方向性などを記録しながら様々なアイデアが頭に思い浮かびますでてきます。これも書くことで頭が整理できていると感じます。

〇特に最近、自分の記憶力に若い頃よりは自信がなくなってきているので、1カ月前の記録を見ると「そういえば、こんなことがあった」と思い出せます。過去を整理できれば、これからの先の展望ももちやすいので、定期的に確認するようにしています。

〇もう一つは私的な「日記」で、こちらは市販の「十年日記」を使用しています。例えば10年分の「1月30日」が1ページに縦に並んでいますので、書く時にはページをめくらなくても、昨年や一昨年の同じ日に何があったかを見ることができて便利です。

〇またそれによって、「次は~をしておいた方がいいかな」などを考えるきっかけになります。ただ書くスペースは小さいので、あったことや感じたことを3行程度にまとめて書いています。

〇日々成長を続ける生徒が「書く」活動をするのは、上述のような記録を残すためよりも、新しい知識や概念を獲得した際に、それに対する自分の考えをアウトプットすることで、それを整理したり他の知識とのつながりを考えたりすることが目的です。もちろんその考えは常に変化しているので、自分の考えの変遷を振り返ることもできます。

〇「良くノートなどをきれいに書くこと」は大切ですが、それ自体が目的ではありませんので、最終的には自分だけがわかるような字体で書くのでかまわないと思います。ただ書いたものを人に提出する場合には、読む人が見やすく書くのも大切でしょう。

〇実際に私も「執務記録」や「日記」は字体を整えることはせず、殴り書きがほとんどです。そのような視点で今度お子様のノートを見たときには、「自分なりによく書けてるね。書いて残すことはよいことがあるね。」のような話をしてみてください。

須藤昌英

 

1月29日(水)学校が行う教育旅行の持続性について

〇昨今の物価高騰、インバウンド(訪日外国人客)の増加、バスの運転手や旅行会社の人手不足などの問題は一般社会だけではなく、学校教育にも大きな影響を与えています。

〇先ほどのさまざまな原因が複雑に絡み合い、公立学校の教育旅行(修学旅行・林間学校・校外学習など)がこれまでにない窮地に追い込まれています。それらの校外で行う学習は、とうてい教員だけの力ではどうしようもなく、専門の旅行業者との連携は不可欠です。

〇具体的には新幹線やバスなどの移動手段、宿泊先の予約や手配、見学場所の情報や調整をサポートしてくれる添乗員が必要で、それを含めて実施する旅行のほぼ1年前に学校としての基本計画を旅行業者に示し、旅行プランを立ててくれるように依頼していきます。

〇そこで従来ですと、大手旅行会社数社に見積もりをお願いすれば、各社が案を作成しその後学校で直接各担当者による提案(プレゼン)をしてもらって決めていました。ただ最近はそのプレゼンを辞退する会社も出てきました。

〇特にこの数年のコロナ禍で、教育旅行がピタリとなくなりましたので、旅行会社も人員を縮小したりしており、急にコロナ禍の前のように元に戻すのは困難なのは理解しています。前述の影響で明らかに費用も値上げされていますし、添乗員などの人手不足はどの業界も変わりありません。

〇先日、文部科学省から次のような内容の文書が各学校に通達されました。要約します。

「昨今の深刻な人手不足により、修学旅行等(修学旅行、遠足、社会科の見学、移動教室などの校外で行う活動をいう。以下同じ。)が集中する時期を中心に、貸切バスや宿泊施設の手配が困難な状況になってきております。こうした状況も踏まえ、修学旅行等を円滑に計画及び実施するため、地域の実情等にも鑑み、実施時期に係る柔軟な御検討をお願いします。なお、国土交通省及び観光庁において、修学旅行等の実施時期を御検討いただく際の参考としていただけるよう、都道府県ごとの貸切バス、宿泊施設の繁閑状況をまとめたリーフレットを作成したとのことで共有がありましたので、併せてお知らせします。 ついては、都道府県・指定都市教育委員会担当課におかれては、所管の学校及び域内の市区町村教育委員会に対して、本件を周知いただくよう、よろしくお願い申し上げます。なお、貸切バスや宿泊施設の繁閑状況について御質問等がある場合は、別紙記載の国土交通省及び観光庁へお問合せいただくようお願いします。(別紙)修学旅行等の実施時期の柔軟な検討のお願いについて(依頼)

〇要するに、「まずは旅行等の実施時期を適宜ズラすなどの検討をしなさい」ということですが、すでに来年度の予定については昨年から検討を重ねてきており、大枠は決まっているので、今のこの段階では微調整の段階です。実際に6月前半に2年生の林間学校(長野県方面)、後半に3年生の修学旅行(関西方面)がすでに予定されています。

〇教育旅行自体の目的としては、「体験学習」「団体生活」「名所観光」などがありますが、その効能として「気づき」「学び」「人間関係の構築」などがあります。昔から「可愛い子には旅をさせよ」とあるように、教育旅行というカテゴリー分けをせずとも、旅そのものに教育的効果があることは私の教員としての経験からも断言できます。

〇この教育旅行の継続の危機をなんとかして脱していく手段を模索していくしかありません。

須藤昌英

1月28日(火)ハンカチと爪の点検はなんのため?

〇毎週火曜日の朝の会ではクラスの生徒を対象に、保健委員が毎日「ハンカチを持参しているか」「爪を適度に切ってあるか」を点検しています。以前のコロナ禍ではこの他にマスク点検があったり、自主的に除菌用のウエットティッシュなどを持参している生徒も多かったのを覚えています。

〇時々あすなろ学級の朝の会に同席しますが、生徒たちの点検の際、私も一緒にその2つを点検します。昔から私はハンカチを2枚(ズボンの左右のポケットに)持ってきています(1枚は手洗い用、1枚は汗ふき用です)。それを生徒たちに見せると、「へえ~」と驚かれました。何の驚きだったかはわかりませんが、生徒の反応は面白いものです。

〇ふとハンカチの語源は何だっけ?と思い調べると、「ハンカチ」は「ハンカチーフ」の略のようです。 英語ではHANDKERCHIEF( HAND+KERCHIEF)で、KERCHIEFはそれ自体が頭に巻く正方形の布のカーチフ、ネッカチーフ、ハンカチ等を意味します。

〇ハンカチの必要性として、手を洗った後の自然乾燥は不衛生と言われています。丁寧にせっかく手を洗っても、ハンカチやペパータオルなどできちんと水分をふきとらないと不衛生だということをあまり生徒は知らないようです。よく「自然乾燥だ・・」と言いながら手を振っている生徒もいます。「少なくとも友達にかからないように・・」と注意したこともあります。

〇調べてみると雑菌のついた手を石鹸で洗うと菌の数は1/100程度に減少し、その後水分や汚れをきちんとふきとるとさらに1/10程度まで減少させることができるそうです。要するに手を清潔に保つためには、洗った後にきちんと水分をふきとることが不可欠です。

〇以前に担当していた生徒の中には、友達のハンカチを借りて手を拭いている生徒もいました。人が濡れた手をふいて湿ったハンカチには、雑菌がいる可能性があります。そのように他人のハンカチを使うことはリスクを伴うので、止めるように指導したこともありました。

〇一方で爪は何の役目を果たしているか、これも普段はあまり考えません。爪点検をしても「なぜ短くしておいた方が良いか」を理解していなければ、点検のために切るというただその場限りの単純な作業になってしまい、持続性はありません。

〇私は中学生の頃の一時期、爪を噛む癖がありました。野球をしていましたので、練習でボールが指に当たり突き指や爪をはがした経験があり、定期的に爪切りを使う前に噛んでちぎっていたのでした。今考えれば不衛生極まりないですが、その頃は短くなればいい・・としか考えませんでした。私の経験からも中学生年代は、自分なりの合理性や効率性を求めます(これは立派な成長でもあります)が、周囲からみると?の場合も多いものです。

〇そもそも爪は表皮の角質が変化・硬化して出来た皮膚の付属器官で、タンパク質の一種「ケラチン」でできています。哺乳類では種によって様々な形状をとり、ヒト以外の他の動物の爪は扁爪(ひらづめ)・鉤爪(かぎづめ)・蹄(ひづめ)と、それぞれに特化しています。

〇なぜ爪があるのかというと、人間の手や足の骨は指先まで達しておらず、指先には神経が集中しているため、爪が指先を保護しています。爪があることで指先に上手く力を入れることが出来たり、指で小さい物をつまむ細かい作業もできるようになっているのです。

〇また足を使った「立つ」「歩く」などのときも、指先に力を加えてうまくバランスを取れているのは爪があるからこそで、爪は動物にとって重要な役割を果たしています。

〇爪は定期的に長さや形を整える必要があります。主な理由は3つで、1つは「ケガの防止のため(自分に対しても他人に対しても)」、2つ目には「雑菌の侵入の防止(爪と指の隙間に汚れから)」、最後は「身だしなみ・マナー(これは人によって様々)」の観点です。意外に手や爪は他人から見られているものです。

〇先日契約している生命保険の外交員さんの担当が交代するということで自宅に来ましたが、新しい若い担当の方の爪はデコレーションされており、名刺を差し出す際には自然と爪に目がいきます。人によっては「きれいですね」と話しかけてその後の会話ももりあがるでしょうが、私などは嫌悪感こそはありませんが違和感は正直ありました。私が古い感覚なのでしょうが、難しい問題です。

〇とにかく生徒たちには、健康の面からハンカチを使ったり爪の手入れをしたりして清潔感を保ってほしいと思います。

須藤昌英

 

1月27日(月)「命は時間」

〇先日の給食時の放送で、シンガーソングライターの竹内まりやさんが歌う「いのちの歌」が流れていました。この曲は竹内さんが次の世代に伝える歌として作詞したもので、生徒たちも聞いたことがあるらしく聞き入っていました。最近では卒業式でもよく歌われるそうです。
〇昭和生まれの私の世代は、竹内まりやさんや夫の山下達郎さんは共になじみの深いアーティストで、思わず口ずさんでしまう歌も多くあります。才能のある夫婦として、多くのファンがいます。
〇この歌詞には竹内さんが「生かされていることへの感謝を歌で表現したかった」と本人が語っている特別番組が数年前に放送されました。誰しも生命に限りがある、だからこそ現在を懸命に生きたいとは誰もが心の奥で願っていることだと思います。
〇Youtube動画では、竹内さん本人が「いのちの歌」を心込めて歌っています。シンプルだけど強いメッセージが伝わってきます。歌詞を紹介します。
生きてゆくことの意味問いかけるそのたびに
胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ
この星の片隅でめぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりもたいせつな宝物
泣きたい日もある絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて寄り添うあなたの影
二人で歌えば懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの優しいあのぬくもり
本当にだいじなものは隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中にかけがえない喜びがある
いつかは誰でもこの星にさよならを
する時が来るけれど命は継がれてゆく
生まれてきたこと育ててもらえたこと
出会ったこと笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう
〇「いのち」と聞くと、10年前に105歳でお亡くなりになった聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏の言葉を思い出します。日野原氏は、「生活習慣病」という言葉をつくり、死ぬ直前まで医師として現役を続け、予防医療や終末期医療の普及に尽くした方です。
〇それは日野原氏が若者たちに送った「命とは君たちが持っている時間である」という言葉です。日野原氏は一貫して「命の尊さ」をテーマとしてあちこちで講演されました。日野原氏の言葉を続けて引用します。
「これは難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。でも『自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん』と言ったら、全員が挙げるんです。『では命はどこにあるの』って質問すると、心臓に手を当てて『ここにあります』と答える子がいます。僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、このように話を続けるんです。『心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。命とは感じるもので、目には見えないんだ。君たちね。目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの? でもその空気があるから僕たちは生きている。このように本当に大切なものは目には見えないんだよ』と。」
○さらに「それから僕が言うのは、『命はなぜ目に見えないか。それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい』ということです。」
〇医師としての仕事を全うしつつ、若い人たちへのわかりやすい説明は見事としか言いようがありません。何かの機会に本校生徒にもあげたいです。
須藤昌英                   

【日野原氏の著者】

  

1月24日(金)1学年授業「家庭科の食」と「音楽科の箏」

〇1学年は各クラスごとに家庭科の時間に初めての調理実習を行っています。家庭科の目標には、「健康・安全で豊かな食生活に向けて考え、工夫する活動を通して、中学生に必要な栄養の特徴や健康によい食習慣、栄養素や食品の栄養的な特質、食品の種類と概量、献立作成、食品の選択と調理などに関する知識及び技能を身に付け、これからの生活を展望して、食生活の課題を解決する力を養い、生活を工夫し創造しようとする実践的な態度を育成すること」があります。

〇特に食事の役割と中学生の栄養の特徴については、生活の中で食事が果たす役割について理解すること、中学生に必要な栄養の特徴が分かり、健康によい食習慣について理解することがあります。また食品の不適切な扱いによっては、食中毒などにより健康を損ねたり、生命の危険にもつながったりすることから、健康で安全な食生活を営むためには、調理における食品の衛生的な扱いに関する知識及び技能を習得する必要があることにも気付くようにします。

〇今回は、スパゲティミートソースとフルーツポンチをつくりました。指導に当たっては、食生活調べや話合いなどの活動を通して、食事の役割について具体的に理解できるよう配慮しています。例えば、毎日の食事や様々な行事などでの食事場面を振り返り、その時の様子や気持ちを思い出して、生活の中で食事が果たす役割を考えたり、小学校家庭科や保健体育科等との関連を図り、食事と健康に関する調査結果等を活用して、食事が果たす役割を考えたりする活動などを行なったりしています。

〇生徒たちは班で協力し、時間内に準備、調理、飲食、片づけなどを手際よく行っていました。また並行してリンゴの皮むきテストも実施しました。私が小学生の頃とは違い、今の男子中学生は包丁の扱いや盛り付けの工夫などが手馴れている印象を受けました。生徒たちには、自分の食事について考える良い機会になったようです。

〇昨日は箏(13弦)の体験を1学年の1クラスごとに武道場で行ないました。2名ペアになり4名の講師の方々に指導してもらいました。琴の優雅な音色が武道場内に響き渡り、ふたたびお正月を迎えたような雰囲気を味わいました。

〇調べると箏は、奈良時代に中国(当時の唐)から日本に伝わり、雅楽の伴奏楽器として演奏されたのが始まりのようです。 平安時代には貴族の楽器として使われ、「源氏物語」の中にも箏が登場します。

〇私も滅多に琴を聴くことはありませんが、箏の音色といえば、「美しい音、凛とした音、おしとやかな音」のようなイメージではないでしょうか。実際、箏の音色は凛として美しいです。

〇箏は、西洋楽器と比べると音はそこまで大きくはありませんし、アンプに繋げるわけでもありません。どちらかというと一歩引いた奥ゆかしさを感じる楽器です。そういう意味でも、日本的な楽器だと思います。

〇現代では和楽器バンドをはじめ和ロックとしてのジャンルも確立され、若い層からの人気も高まっているようです。You Tubeにも多くの演奏画像があり、特にアニメでも箏が扱われるようになって、より時代に沿った箏曲になっています。

〇三味線などの和楽器同士だけのコラボではなく、ギターやベースなどとも一緒に演奏されることも増えているそうです。千年以上の時を越えて、箏は時代に沿ってジャンルは移り変わりながらも愛され続けています。生徒の中には、もっとやってみたいと感じた人もいることでしょう。

〇最後の講師の方々の模範演奏は、「さくら」と「やさしさに包まれたなら」でした。特に後者は現代的な歌ですが、聴いているとこれまでと違うイメージが広がりました。

〇生徒からは講師の方々に質問として、「いつから習い始めましたか?」「始めたきっかけは何ですか?」「爪の痛さは感じませんか?」「テンポのよい曲も演奏できるのですか?」等があり、丁寧に答えてもらいました。

〇生徒たちの演奏する「さくら」を聴きながら窓の外をみると、この時期ですからもちろん咲いていることのない桜の木が、まるで満開であるように感じました。楽しく優雅な時間でした。

須藤昌英