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校長室より

どうして「ことばの暴力」が生まれるのか

「…………でもさ、正直ぼく、作文が上手になりたいわけじゃないんだ。べつにコンクール で賞状をもらいたいとか、思ってないんだ。そりゃ、おじさんの言ってることはわかるけど僕には関係なくない?」

「 もちろんおじさんだって、作文を上手に書いてほしいわけじゃない。でも、ことばを 決めるのが早すぎると、たくさんのトラブルを呼び込んでしまうんだ。これは書くこと にかぎらず、日常生活のいろんな場面でね」

「トラブルって、どんな?」

「そうだな、たとえば『ことばの暴力』ってあるだろ?」

「ことばの暴力?」

「ああ。相手の存在、尊厳、自尊感情を根こそぎ否定するような、心をえぐり取るよう なことばさ。ことばの暴力を受けたとき、ぼくたちは殴られるより もずっと深い心の傷を負う。殴られた痛みはせいぜい数日も経てば 消えるけれど、ことばの暴力は一生引きずることもある」

「・・・・・・うん」

中学に上がってからぼくは、たくさんのことばでいじめられた。

「バカ」とか「アホ」とかは、いやだけどそこまで傷つかない。でも「ゆでダコ」はとてもいやだし、「キモイ」はもっといやだ。そしてトビオくんたちは、すぐに「キモイ」とか「ゆでダコ」とか、ぼくがいちばん傷つくことばを使ってくる。

「残念なことに、おとなたちもことばの暴力を使う。手で殴ること はしなくても、ことばの刃でグサグサと刺してくる。じゃあ、どうしてことばの暴力が生まれるのか。おそらく理由はふたつある

「なに?」 

「ひとつ目の理由は、ことばの『効き目』を知っているからだ。きっとみんな、ことば に傷つけられた経験があるんだろうね。こんなふうに言えば、こんなふうに効くと知っている。そのことばを使えば、一発で黙らせることができると知っ ている。だから自分が傷ついたのと同じようなことばを使うし、大声で怒鳴ったりする。」

「・・・・・・うん」

「じゃあ、どうして1発で黙らせたいのか。それがふたつ目の理由、『面倒くさい』だ」

「面倒くさい?」

「そうだ。ことばの暴力ってさ、話し合いの場面で使われることがほとんどなんだよ。口論だって話し合いのひとつだしね。そして話 し合いであれば、ほんとうは自分の思いをていねいに説明して、相 手に納得してもらわないといけない」

「うん、そう思う」

「ところが、ていねいに説明するのが面倒くさい。論理的に説明するのも面倒くさい。反論されたら面倒くさい。自分の気持ちをことばにすること自体、 面倒くさい。そこに時間や手間をかけることも面倒くさい――。そういうさまざまな面倒くささにぶつかったとき、『暴力』という一発逆転の手段が浮かんでくる。暴力に訴えてしまえば、それだけで相手を屈服させることができるからね」

「・・・・・・なにそれ」 「ことばにして説明する手間を省いているのさ。それに、自分の形勢が不利になったと きだって、大声で怒鳴ってしまえばごまかしが効くしね」

「いきなり殴っちゃうってこと?」

「おじさんが子どものころは、そういうおとなも多かった。でも、いまはことばの暴力が中心じゃないかな。手を出すような暴力も、ことばによる暴力も、大声で怒鳴って相手を黙らせるのも、彼らにとってはそれが『コスパがいい』やりかたなんだよ。ひどい話だけどね」

「コスパがいい?」

「言葉にして説明する手間を省いているのさ。それに自分の形勢が不利になったときだって、大声で怒鳴ってしまえばごまかしが効くしね」

「・・・・・・なにそれ」

「もちろんひどい話だ。とくに、やられる側からすれば、とんでもない話だ。でもね、タコジローくんだって暴力を振るう側にまわる可能性はあるんだよ? 面倒くささに負けて、コスパのいい道を選んで。ほら、さっき『口が滑る』って話をしただろ?」

そうだ。ぼくはふたたび、お母さんに言ったひと言を思い出した。あれは口が滑っただけじゃない。あのときぼくは、なにもかもが面倒くさくなって、ことばにできない自分にむしゃくしゃして、あんなことを言ってしまったんだ。あれで終わりにさせようとしたんだ。

『さみしい夜にはペンを持て』 古賀史健 著 ポプラ社 より抜粋

 

丁寧に、言葉を尽くして対話する。手間を省かずに言葉を尽くして相手に伝える。聞いている方も、相手の立場に立って慎重に真意を探る。コミュニケーションとはそういうものだと思う。匿名による誹謗中傷が溢れているSNSの世界から少し距離をとって、本を読むことをお勧めしたい。