校長ブログ

迷う(校長ブログ)

6年生の国語の教科書に「迷う」という、動物学者の日高敏隆氏の随筆があります。そこには、人や動物が、たくさんの場面で迷う様子が書かれています。その中に「迷いの中で(中略)何を根拠にある決断を下すのか、(略)」という文があります。

決断のためには根拠が必要です。
例えば、今日も暑い1日でした。1年生の今日の時間割には体育がある。しかし、活動ができるか。その根拠が例えば「子どもの健康観察票」であり「温度計」であり・・・。

換気をして、扇風機で空気もかき混ぜている、熱中症対策をした体育館。

根拠を元に担任が養護教諭へ相談して、養護教諭は管理職に報告して・・・。やっと体育です。

元気に安全に運動ができました。

午前中は雷注意報が出ていました。
安全な下校のための判断の根拠を求め、空を眺め,天気予報を眺め・・・。


下校直前まで、雷の音は聞こえませんでした。雨も降っていませんでした。そのため、帰りの会の時間に、「暑い上に、雷注意報が出ている。天気の急変の可能性もあるので寄り道をしないで真っ直ぐお家に帰ること。」を放送で流し、下校させる判断をしました。雨も雷も大丈夫でしたね。

こうやって考えると、人は朝から晩まで「何かの判断する」ということをしています。何かしらの根拠をもとに。
私も、個人的なことなら「何となく」「気分で」「勘で」を根拠として判断することもありますが、学校のことをそのように判断するわけにはいきません。できる限りの「根拠」となる情報を集めます。温度計の数字のようにはっきり見える根拠があるならば良いのですが、全ての根拠が目に見えるものとは限りません。そうなると「迷う」わけです。

子どもたちの活動を見ていても

ここは青で塗って良いのかな

僕の声はみんなに聞こえているかな

これで正しいのかな

だれが書けば良いのかな

わからないこと、先生に聞こうかな

これで合っているかな、と「迷っ」ている声が聞こえてきそうです。

きっとみんなも迷いの連続ですね。


日高氏はまとめの中で「(略)迷いのない人生なんて味気ないだろう。(以下略)」と書いています。それはそうかも知れない。迷うというのは我々にとって日常なのでしょうね。

それにしても、はっきりした根拠と言えるかわからないようなものに囲まれながら活動を進めている今年度。今日も、子どもたちと同じように、あれこれ迷いながら、それでも判断の連続。また明日がやってきます。


雷雲の様子を見るために、正門前の坂を上がりました。そのままあけぼの山農業公園の事務所で少しお話をしました。写真は、事務所前で綺麗に咲いている花たちです。