校長室より

丑年になって思うこと

 明けましておめでとうございます。

 令和3年になりました。「令和」という呼び方にようやく慣れてきたと感じるのは私だけでしょうか。

 新型コロナウイルスが世界を脅かし始めたのは,ちょうど1年前です。マスク生活にようやく慣れてきました。*本当は慣れたくなどないのですが・・・。

 子どもたちには,マスクは必ず・・・,教室に入る前に必ず手洗い・・・,マメな換気を・・・,密にならぬよう・・・,などと口酸っぱく話をしていますが,子どもたちは私たち大人よりずっと順応性に優れていて,新しい生活様式にすぐに慣れてきた・・・というより楽しんでいるようにさえ感じます。

 学校ではいろいろなことができず,子どもたちに我慢をさせていることに心を痛めてきましたが,最近「辛抱する」ことも生きる上でとても大切で,昨年,今年はそれを学ぶ良い機会となったのではないかと思うようにもなりました。

今年「丑年」は,植物に例えると種から芽が出ようとする状態を表し,曲がっていたものが伸びるとか,始める,結ぶ,つかむと言った意味があるそうです。過去の丑年を振り返ると,人類初の宇宙飛行や,ハイブリッド車のデビュー,コンビニ1号店出店など革新的な出来事もありました。

「やれない」ことを悔やむより,まずは「慣れる」,「やれる」ことを始めてみる。昨年が「種」なら今年は「芽」です。そんな自分でありたい。学校でありたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。