校長室より

通知票(校長室より)

この時期、各クラスから通知票があがってきます。

1人1人の通知票に目を通して、校長印を押します。

終業式の日に担任がお子さんに渡します。

この通知票には、1学期に子どもたちが担任に見せた姿に対する評価が載っています。夏休みに入ってすぐに個人面談がありますので、生活ぶりや学習についての文章(所見)はありません。直接お話しします。

そういうわけで1学期の通知票は学習・行動の評価が中心となっています。

4年に1回のオリンピックでは獲得したメダルの数に目が行くような報道が少なくありません。金がいくつ、銀がいくつというような感じです。

担任をしていたとき、子どもに通知票を渡すと、真っ先に「よくできる」の○の数を数える子たちが何人かいました。そして、「あー、下がった」とか「やった、あがった」と落胆したり、喜んだりするわけです。

学習内容が学期ごとに変わるわけですから、単純に○の数だけで、上がった、下がったということではないのですが、実際にそういう光景をよく目にしました。

自分の弱点を知り、その弱点を克服することが勉強ですから。例えば日々のテストでは「90点」とか「60点」とか点数がついたところからが勉強のスタートです。何が足りなかったか、何を学んでいくのか、がわかるわけですから。「あー60点だった」で終わりではなく、「よし、40点分がんばるぞ」となって続いていくのが正しい形です。

学びにつなげていくことを考えると通知票はテストより活用が難しい資料ではありますが、やはり通知票もゴールではありません。

勉強で言うと、ゴールってどこになるでしょう。ゴールは永遠に来ない気がしますが、節目はありそうです。受験とか就職とかが1つの節目とはなります。目標の点をとれないと、目指した学校に入れなかったりするわけですから。となれば、節目での失敗はダメージが大きいことになりますが、その節目までの失敗は、くよくよ気にせずに向き合って直していけばよい。自分の失敗や弱点に向き合わずにそのまま放置したまま節目の日を迎えるなんて想像するだけでおそろしい。長い目で見て、今の失敗、弱点の1つ1つを正していく、そんな風に考えて取り組んでいってほしいなあ、と、この時期必ず思います。

もちろん、花丸をもらえるだけで次への意欲につながることもあるのが子どもたちの日常ですから、上に書いた理屈より、たった一言「よくがんばったじゃない」という前向きな言葉の方が効き目がある子もたくさんいると思います。