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校長雑感ブログ

1月24日(金)1学年授業「家庭科の食」と「音楽科の箏」

〇1学年は各クラスごとに家庭科の時間に初めての調理実習を行っています。家庭科の目標には、「健康・安全で豊かな食生活に向けて考え、工夫する活動を通して、中学生に必要な栄養の特徴や健康によい食習慣、栄養素や食品の栄養的な特質、食品の種類と概量、献立作成、食品の選択と調理などに関する知識及び技能を身に付け、これからの生活を展望して、食生活の課題を解決する力を養い、生活を工夫し創造しようとする実践的な態度を育成すること」があります。

〇特に食事の役割と中学生の栄養の特徴については、生活の中で食事が果たす役割について理解すること、中学生に必要な栄養の特徴が分かり、健康によい食習慣について理解することがあります。また食品の不適切な扱いによっては、食中毒などにより健康を損ねたり、生命の危険にもつながったりすることから、健康で安全な食生活を営むためには、調理における食品の衛生的な扱いに関する知識及び技能を習得する必要があることにも気付くようにします。

〇今回は、スパゲティミートソースとフルーツポンチをつくりました。指導に当たっては、食生活調べや話合いなどの活動を通して、食事の役割について具体的に理解できるよう配慮しています。例えば、毎日の食事や様々な行事などでの食事場面を振り返り、その時の様子や気持ちを思い出して、生活の中で食事が果たす役割を考えたり、小学校家庭科や保健体育科等との関連を図り、食事と健康に関する調査結果等を活用して、食事が果たす役割を考えたりする活動などを行なったりしています。

〇生徒たちは班で協力し、時間内に準備、調理、飲食、片づけなどを手際よく行っていました。また並行してリンゴの皮むきテストも実施しました。私が小学生の頃とは違い、今の男子中学生は包丁の扱いや盛り付けの工夫などが手馴れている印象を受けました。生徒たちには、自分の食事について考える良い機会になったようです。

〇昨日は箏(13弦)の体験を1学年の1クラスごとに武道場で行ないました。2名ペアになり4名の講師の方々に指導してもらいました。琴の優雅な音色が武道場内に響き渡り、ふたたびお正月を迎えたような雰囲気を味わいました。

〇調べると箏は、奈良時代に中国(当時の唐)から日本に伝わり、雅楽の伴奏楽器として演奏されたのが始まりのようです。 平安時代には貴族の楽器として使われ、「源氏物語」の中にも箏が登場します。

〇私も滅多に琴を聴くことはありませんが、箏の音色といえば、「美しい音、凛とした音、おしとやかな音」のようなイメージではないでしょうか。実際、箏の音色は凛として美しいです。

〇箏は、西洋楽器と比べると音はそこまで大きくはありませんし、アンプに繋げるわけでもありません。どちらかというと一歩引いた奥ゆかしさを感じる楽器です。そういう意味でも、日本的な楽器だと思います。

〇現代では和楽器バンドをはじめ和ロックとしてのジャンルも確立され、若い層からの人気も高まっているようです。You Tubeにも多くの演奏画像があり、特にアニメでも箏が扱われるようになって、より時代に沿った箏曲になっています。

〇三味線などの和楽器同士だけのコラボではなく、ギターやベースなどとも一緒に演奏されることも増えているそうです。千年以上の時を越えて、箏は時代に沿ってジャンルは移り変わりながらも愛され続けています。生徒の中には、もっとやってみたいと感じた人もいることでしょう。

〇最後の講師の方々の模範演奏は、「さくら」と「やさしさに包まれたなら」でした。特に後者は現代的な歌ですが、聴いているとこれまでと違うイメージが広がりました。

〇生徒からは講師の方々に質問として、「いつから習い始めましたか?」「始めたきっかけは何ですか?」「爪の痛さは感じませんか?」「テンポのよい曲も演奏できるのですか?」等があり、丁寧に答えてもらいました。

〇生徒たちの演奏する「さくら」を聴きながら窓の外をみると、この時期ですからもちろん咲いていることのない桜の木が、まるで満開であるように感じました。楽しく優雅な時間でした。

須藤昌英

 

1月23日(木)学びの主体としての記憶の種類と授業研究

〇昨日は6つの授業において、市教委から指導主事を招き、授業検討会を行ないました。教職員には研修の義務があり、その項目の一丁目一番地は授業研究(いかに工夫して展開するか)です。以前は「生徒にとってわかりやすい授業」を目指していましたが、今は「生徒が学びの主体となり、自ら学びに向かう」ための工夫が焦点となっています。

〇教員はもちろん丁寧に基本事項などを生徒に教える技術も必要ですが、「生徒にとってわかりやすい授業」となると教員側の視点に重きがおかれ、どうしても生徒は「受け身」の立場になってしまいます。そうではなく「生徒はすでに自ら学ぶ力をもっており、その力を引き出しつつ授業の最後にはより深い学びに導く」ことを教員の一番大切な視点にしています。

〇高校入試が連日行われ、3年生の生徒たちは中学校3年間の授業内容を復習して試験問題に取り組んでいます。言うまでもなくすべての学習の基本は、「まず覚えられる範囲で基礎的な事項を覚えつつ、次に理解できた事項を確実にいつでも使える知識にする」ことです。

〇記憶をつかさどる人間の脳の海馬については前にも書きましたが、海馬の活躍に期待するのには、テスト準備の期間中もできるだけ睡眠を確保し、食事や運動を含め規則正しい生活をすることが重要です。

〇昔から「一夜漬け」つまり直前に詰め込むやり方の是非が議論されてきましたが、「一夜漬け」のようなものを「集中学習」と呼ぶに対し、逆に毎日コツコツ勉強することを「分散学習」といいます。ただし「分散」とは注意力が散漫で集中していないという意味ではなく、時間を区切って少しずつ行うことです。

〇また学習とは、「ものごとの関連性を習得すること」でもあり、今まで独立していた事実が頭の中でつながることです。簡単な例では、「GO」と「行く」のように、英語と日本語の意味の結び付けを行うことがあげられます。このつながりを強固にするには、繰り返し「学び続ける」しかありません。

〇「上手に覚える」ような成功を導き出すためには、それだけ多くの失敗が必要で、記憶とは「失敗」と「繰り返し」で形成・強化されます。何度も失敗すると、それでやる気がなくなっていきそうになりますが、その解決策の一つが、「得意な面を活かして学習する」ことです。苦手な教科は誰にでもあるもので、その苦手分野でクヨクヨせず、逆に得意を素直に活かすと、全体として成績が上昇することが知られており、教育心理学では「特恵効果」といいます。

〇これはテスト当日にもあてはまります。テストを受けている際中も、自分の得意な問題から手を付け、そこから自信がつくと、やる気や集中力が高まります。よく食事で、「美味しいものを最後に食べる」「美味しいものは最初に食べる」のような話がありますが、学習については圧倒的に後者が有利で、「得意なものは最初にとりかかる」です。

〇このような学び手の科学的な学習の仕組みを教える側の教職員も理解した上で、冒頭のような教材研究をしていかないといけません。授業後の検討会でも授業者、参観者、指導主事の中で活発な意見交換がありました。私もそうでしたが、このような話し合いでは目の前に生徒たちが学びに向かう姿を思い浮かべながら行っています。「次の時間ではこんな工夫をしてみよう?」これがまた教職員としてはとても楽しい時間なのです。

〇また今日も各クラスで行われている授業を参観していきます。

須藤昌英

1月22日(水)青年期における心の素直さ

〇昨日の午後は、学区にある県立柏高等学校の第3回学校評議委員会に出席しました。歴代の富勢中校長は、柏高等学校の学校評議員となっています。今回は今年度の柏高等学校の学校評価の分析と今後の取り組みの説明を受け、評議員として意見を述べるものでした。

〇評議員のメンバーは麗澤大学の先生を委員長に、学区の小中学校校長、近隣住民の代表、町会役員、柏高校PTA会長、柏高校同窓会長で、高校側からは、校長、教頭、事務長、各部会の部長の教諭が列席します。高等学校側からの報告を受け、各委員が質問したり意見を述べたりする場でした。

〇冒頭に柏高等学校長からは、先週の大学入学共通テストに、現役や浪人も含めて300名の生徒が受験したと聞きました。この時期の受験の緊張感が伝わってくるとともに、県内公立高等学校の中でも進学重点校として、日頃から授業、行事、生徒指導、進路指導、キャリア教育などに取り組んでいる様子がわかりました。

〇私もこの3年間で、1年に3回ずつ合計9回も柏高等学校を訪問し、数回授業も参観させてもらいましたので、だいぶ柏高等学校については詳しくなりました。ちょうど一年前には、柏高校の生徒会長が富勢中卒業生というつながりから、北柏駅やスーパーなどで「能登半島地震への募金活動」を本校生徒会役員と合同で実施しました。その時もどの高校生も素直な印象を受けました。

〇来月は本校からも多くの生徒が柏高等学校を受検しますので、今後も連携していくことになります。

〇昔から「素直な子はのびる」と言われます。本校生徒も素直ですが、高校生でも「素直さ」を継続することは、自分の経験から考えても難しいと感じてしまいます。ただ人によって「素直さとは?」と問われればその答えは変わってくるとも思います。広辞苑で「素直」を調べてみると、

「①飾り気なくありのままなこと。曲がったり癖があったりしないさま。質朴。淳朴。②心の正しいこと。正直。③おだやかで人にさからわないこと。従順。柔和。「忠告を―に聞く」④物事がすんなりゆくこと。とどこおりないさま。⑤技芸などで、癖がなく、すっきりしていること。」とあります。

〇まず親や教員からの視点で素直とは、「きちんと言われたことをやり、たとえ間違いを指摘されても反意を示さずになおそうとする」が一番強いイメージだと思います。乳幼児期は初めて挑戦することばかりで成功と失敗を繰り返しながら、コミュニケーションやその他のスキルを身につけていきます。その際は「~したらいいよ」と大人の意見をまずはそのまま受け入れる子がほとんどだと思います。しかし中学生になって、乳幼児と同じ質の「素直」であったならば、それはそれで心配になります。

〇逆に「素直さが欠けている」となると、「自分の非を認められない、人の話を聞こうとしない、わからないことをそのままにしておく、自分のやり方に固執する、人に感謝ができない」など、大人からみると「厄介な子」となるのでしょう。私なども小学校高学年から中学生の頃は、「これではいけない」と思っていても、指摘された内容よりも「~しなさい」に対して理由もなく反感を抱いていました。

〇しかしだれもが成長過程で一時期にそうであったのではないでしょうか。素直になれない原因は、他人と自分の違いを意識したり、自分は自分で考えてやってみたいと思ったりすることが多くなったわけですので、ある意味「順調な成長」とも受け止められます。

〇では中学生以上の青年期の「素直」とはどんなことでしょうか?私は何より、だれもがもっている自分の「弱さ」と向きあえるかどうかだと思います。私たちは不完全な存在ですから、至らないことも間違うことも、すぐにはできないこともたくさんあります。それでも生きていく中で、小さな気づきとか発見をすることがあります。そこでそれがたとえささやかな気づきであっても、「あーなるほどそうだったのか」「これまで自分は間違っていたなぁ」と気づくことができます。

〇そしてその弱さや不完全さに誠実に向き合い、気づいたことをためらわずに、これからの生き方に反映できる、それが「素直」であり、そういう自分も大人でありながら「そうありたい」と常々思っています。ただしそのためには、自分の中に自己を認め肯定する気持ちが絶対に必要です。

〇私もクラス担任をしていた際には、生徒を注意するときに、やっていることは間違っているけれど、それをやっている生徒本人を否定すること(こちらがそう思っていなくても相手がそう思うことも含めて)が極力ないようにしてきました。

〇今の日本には様々な課題はありますが、少なくともだれもが「自分の人生に対して、自分で決めていける」環境は用意されています。自分で決めることで、何かうまくいかないことにぶつかっても、人のせいや条件のせいにして逃げることを踏みとどまることができます。

「素直」・・今の自分を大切にし(自己肯定感)、将来の自分に期待する(自己有用感)生徒 を育てていくことが、学校の使命だと思います。

須藤昌英

 

1月21日(火)大寒とトランプ氏アメリカ大統領就任

〇昨日、歴史的に日本の権力者(政治のリーダー)は、災害の後に大きく変化するという養老孟司氏の言葉を伝えましたが、折しも今朝未明にアメリカでは、第二次トランプ政権がスタートしました。

〇ある調査によると、約1割の日本企業で「プラスの影響(株価の上昇や円高への転換を期待する声)」を見込んでいる一方で、「マイナスの影響(関税を上げて輸出がしにくくなるや防衛費の負担増による産業界への予算縮小など)」を見込む企業は4割を超え、「分からない」とみる企業も4割近くあるそうです。もちろん「就任後でなければ予測が付かない」「良い悪いどちらに転ぶか現時点では分からない」といった先行きに対する不確実性への警戒感を表す声も複数あります。いずれにせよ多くの企業で第2次トランプ政権に対して不透明感を持っていることがわかります。今後の日本政府の対応に注目していくことが必要です。

〇このように国レベルの影響もありますが、人レベルの影響も考えます。日本人の相手への気遣い(別の見方では忖度)はこの国の文化や風土の根底をつくっていますが、その対極にある個人及び自国第一主義のリーダーの発言は、大人の私でも「そんなことまで真顔で言うのか」「どこまでが本音だか見当がつかない」と啞然にとられることも多いです。

〇さて中学生にとって、トランプ氏はどう見えるのでしょうか?そもそも「アメリカの大統領なんか興味がない」という生徒もいるでしょうが、少なくとも卒業時くらいまでには、いろいろな社会情勢にも自分の意見をもってもらいたいです。

〇始業式の中で、「言動の一致(言っていることとやっていることに矛盾がない)ができている人は、社会の中で信頼されます」と生徒たちには話しましたが、決して昔の古臭いことではないと思っています。

〇トランプ氏のいろいろな発言もそれが「本気なのか?脅しなのか?」を見極めることは難しいかもしれませんが、少なくとも日本人があまり考えない発想を客観的にこちらが学ぶことはできると思います。一度ご家庭でも生徒と話題にしてみてください。

〇日本の二十四節気は、立春、立夏、立秋、立冬など4つの季節を表す言葉の他、春分、夏至、秋分、冬至などが良く知られています。1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたので、4×6の「節気(せっき)」があるようです。私も一昨年「還暦」を迎えるにあたり、日本にあるそのような数学的な規則性をいろいろと調べました。そのように身の回りには算数・数学に関わることが多くあります。

〇昨日はその二十四節気の一つである「大寒」で、一年でいちばん寒さが厳しくなるころとされます。私は普段は飲酒の習慣はありませんが、さすがにお正月はお客様などと一緒にお酒をいただくことが多かったです。特に日本酒に詳しい方から、日本酒は「寒仕込み」のものが美味しいということをよく聞きます。「寒造り」とも呼び、冬場の寒い時期に仕込むのが、日本酒伝統の製法らしいのです。

〇「なぜ、冬場に仕込むのか?」を少し調べてみると、まずは原料である新米が秋に収穫されることや寒い時期だと雑菌が繁殖しにくいことがあげられるそうです。また日本酒の仕込みは、温度管理がとても重要で、低温だと余計な雑菌の繁殖を抑え、お酒をつくる微生物が、よい働きをしてくれる(もろみをゆっくりと時間をかけて発酵させる)ことを初めて知りました。そういう知識があると、今度飲むときには、違った味わいになるかもしれません。

〇また「大寒」前後には、武道では「寒稽古」、神事では「寒中水泳」などをして自分の心身を鍛えることは昔からの風習のようです。あえて厳しい条件で自分を磨くことは、自分の可能性を伸ばすことになるということでしょう。

〇受験生は毎日、体調を整えつつ目前の入試に全力で取り組んでいます。確かにこの寒い時期にある受験は大変ですが、この経験は必ず後で役にたってきます。無事に実力を発揮することを願っています。

須藤昌英

1月20日(月)阪神淡路大震災から30年(自分事として捉えることから)

〇17日は阪神淡路大震災から30年が過ぎ、テレビの特集でもこの30年間で日本の防災対策が進んだ面と未だ遅れている面を伝える番組が多くありました。地質の専門家に言わせると、「日本地図を眺めると長年の傷跡(災害によって地形が変化)が手に取るようにわかります」となります。日本は災害大国であることは間違いありません。

〇私の長男は、阪神淡路大震災の次の日に生まれたので、先日ちょうど30歳になりました。当初の出産予定日がちょうど震災の日でしたが、なかなか生まれずに結局その晩は私も病院の待合室で朝まで過ごしました。生まれた1月18日の朝刊(今でも保管してあります)は、すべての新聞のトッブ記事は前日の震災を伝える大きな写真がありました。おそらく息子本人もそのことは今でも自覚していると思います。

〇震災当日に被災地で生まれた赤ちゃんも当時は大きく報道されました。確かそのお母さんは震災の午後に産気づき、一人で病院に何とかたどり着き、ものの15分で出産したというエピソードが記憶にあります。10年前にその男の赤ちゃんが成人式を迎えたニュースがありましたので、今は30歳になっているはずです。

〇あの震災の経験から学ぶことは重要であると誰もがわかっていますが、現実は目の前のことに忙しくあまり真剣に考えません。「もしかしたら自分の街でも今大きな地震が起きるかもしれない」と自分事に感じることは毎日は難しいかもしれません。

〇その後も日本各地で災害が起きるたび、そのことへの想定や準備の不足は指摘されます。しかし一気に「ここまで準備をしておけば大丈夫」というラインは明確ではないため、遅々としていると捉えられているのでしょう。

〇解剖学者で「バカの壁」などの多くの著書がある養老孟司氏は、たびたび日本という国の特徴を災害と結び付けて著書やYoutubeなどで発信しています。養老氏は「長い歴史を見ると、日本の社会を根本から動かしてきたものは、天災ではないか。最近、そう考えるようになりました。」と静かに断言しています。

〇養老氏の説を要約させてもらいます。

「日本では災害の後は必ず大きな変化が起こる(具体的には必ず法と秩序が表面に出てくる)。例えば「方丈記」に書かれているが、源平の争乱の時、1185年3月24日に平家が壇ノ浦で滅んだ4カ月後の7月9日に京都で大地震(M7.4)が起きている。その後、平安の貴族政治から鎌倉の武家政治へと変わっていく。近年では安政の時(1854年の安政東海・安政南海地震)には、安政の大獄(1859年)が起きている。災害時には極端に国論が分裂する可能性がある。その時に「暴力集団」がどっちにつくかで問題になる。やっぱり権力側になるでしょうから、どういう考え方の人をリーダーにするかで日本の未来が決まる。安政の地震の後は、安政の大獄から明治維新になっていく。・・・」

〇とても面白い視点だと思います。国の歴史がその国の地学と密接に関係していることがよくわかります。さらに氏は「今後起こるだろう社会を変えうるほどの大災害は南海トラフ地震でしょう。ある専門家は2038年と予測しています。もし安政のように、首都圏直下型地震も同時に起これば、あるいは富士山噴火も起これば、多くの人々の日常生活が変わらざるを得なくなります。もしそうなれば世の中はますます混乱し、それに日本という国は大きく変わっていくことでしょう。」

〇先日も「南海トラフ地震の今後30年間で発生する確率が80%に高まった」という報道がありました。身近なことから地震に備える行動につなげていくしかありません。

須藤昌英

【平成7年1月18日の朝刊トップ面】

1月17日(金)市内新人駅伝・ロードレース大会&防寒着あれこれ

〇今朝は阪神淡路大震災からちょうど30年でした。夜明け前の地震でもあり多くの方がお亡くなりになりました。ただ段々とその記憶が風化されていることが課題のようです。私もその教訓を生かすことを常に考えていますが、まずは「今もしここで地震が発生したら・・」と当事者意識を継続することだと思います。

〇昨日、県立柏の葉公園と総合競技場において、令和6年度柏市中学校新人駅伝大会が行われました。公園内の巡回コースを、一人が約2000m、女子は5人、男子は6人でタスキをつなぎました。結果は女子Aチームが18位、男子Aチームが9位、男子Bチームは参考記録(体調不良者が出たため)でした。風もなく太陽が出ると暖かさを感じましたが、普段の練習の成果を出しきりました。

〇午後はロードレースが行われましたが、2名の選手が駅伝と同じコースを走り、良い経験となりました。長い距離を走ることのためには、強靭な体力(健康的な体)さえあればいいものではありません。走っている間は、他の人を競うというよりも、自分自身と向き合い続けるメンタルが必要です。「こんなにつらいのになんのために走っているのか」「もうやめてしまおうか」などの自分自身の中にある『甘い』誘惑に打ち勝つことは、学習面やその他の面で役にたちます。

 

〇昨日の駅伝応援は、日差しがあるときは暖かく感じましたが、さすがにこの時期ですので立っているだけで底冷えしました。選手以外の人はダウンコートにマフラーや手袋などをしていないととても耐えられない感じでした。

〇朝、正門に立っていると、いろいろな防寒着を着た生徒が登校してきます。マフラー、手袋、ネックウォーマーももちろんですが、この時期はマスクも一つの防寒着になっているようです。外着としては、部活用のウィンドブレーカー、市販のダウンウエアー、足もとまでのグランドコードなど、様々です。ただ個人のロッカーが大きくないので、教室内での保管ができるものに限られています。

〇手にもった携帯用の使い捨てカイロも有効です。手がかじかんでいると、身体全体まで寒い気がしますので、もっと使ってもいいと思います。ただ生徒には、使用が終わって不要になったら、自宅へ持ち帰って捨てるように指導していますので、もしかしたらそれが面倒?なのかもしれません。以前に勤めた学校では、その使い捨てカイロが教室のゴミ箱に大量に捨てられ、処分に困った経験もありますので、致し方ないこともご理解ください。

〇防寒対策には重ね着が必須であると言われており、調べてみると今は、重ね着をレイヤリングとも言うそうで、「ベース、ミドル、アウター」と分かれており、それぞれ「〇〇レイヤー」ということを初めて知りました。ベースとは要するに、肌に密着する1番下に着る防寒インナー(アンダーウェア)のことで、最近は汗や水蒸気を熱に変えて発熱するものが主流になっていますね。

〇また寒さ対策には、暖かい空気をうまく体の近くでためることも重要で、その状態を羽毛を使った衣類(ダウンのコートやジャケット)が有効のようです。私も以前はジャケットや背広の下にベストを着用していましたが、近年は「インナーダウン」として、薄手のダウンを着始めましたら、暖かいので脱げなくなりました。そのようにアウターの中に着る防寒服のことを、ミドルと呼び、これにより防寒効果はぐーんと上昇し、暖かさを持続することができます。

〇生徒は制服やジャージの下に、カーディガンやセーターを着用しています。ただし色は、白、黒、グレー、ネイビーなどを基調としたものとしています。休日に私用で外へ出かけるのであれば、特別に規制はなくてもいいと思いますが、生徒にとって学校は、一応「公用的な場所」ですので、使い分けをすることも学びだと思います。

〇最後のアウターレイヤーは、保温性もそうですが、防水や防風に優れたものが理想ですね。ぴったりフィットするサイズ感よりも、少し余裕があり、空気をたくさん含めるサイズを選ぶことで、より保温力がアップします。

〇またマナー面では、自宅に帰る以外は、「防寒着等は玄関で脱いで手にもって建物に入る」のが社会人の常識ですので、現在はそれを生徒に強いてはいませんが、知識として覚えておいても損はないと思います。「大人になって初めて聞いた」ではなく、知っておいて必要な場面(将来の会社訪問や就職面接など)になったら実行すればいいと思います。

〇よく「フォーマル」と「インフォーマル」と区別しますが、それぞれの場面で服装を適切に切り替えることが、気持ちを切り替える一助にもなります。生徒には、「決まりごとやマナーだから守る」だけではなく、「どうして使い分けるのか?」を、自分事として考えてもらいたいです。

 須藤昌英

 

1月16日(木)「ラン活」と「脱ランドセル」

〇近年では「ラン活」という言葉が聞かれるようになりました。「ラン活」とは、小学校新1年生になるわが子や孫のために、保護者や祖父母がランドセルを購入するための活動のことを示すようです。中学校3年間の倍の6年間を通して使い続けるランドセルですので、「子どものためにできるだけよいものを与えてやりたい」という大人の思いが「ラン活」という言葉を生み出したということでしょう。

〇ただ最近は高級感のあるランドセルも人気があり、値段も数万から十万円以上とバラエティーに富んでいます。昭和の時代の男子は「黒」、女子は「赤」と決まった色だった次は、性別に関係なく自分の好きな色を選ぶ時代になりました。我が家の子どもたちは確か長男と次男は黒っぽい色でしたが、3番目の娘はピンクでした。

〇余談ですが、明日は阪神淡路大震災から30年です。息子たちのランドセルは14年前の東日本大震災の後に、「被災地にランドセルを送ろう」というキャンペーンがあることを知り、拠出しました。ただ当時娘はまだ小学生でランドセルを使用していましたので、まだ自宅にあります。

〇そもそもランドセルは、学校指定の学用品ではありません。地方の学校によっては指定しているところもあるかもしれませんが、少なくとも柏市はそうではありません。それでもなぜほとんどの家庭が小学生にランドセルを買うかというと、学校が指定するうんぬんよりも先に、現代社会の中で長い間ランドセルの購入が不文律みたいな慣例となり、しかもそれを保護者などが自ら選んでいるからです。

〇その一方で「脱ランドセル」という動きもあります。ライフスタイルが変わり、多様性が求められるようになった時代に、伝統的で日本独自の文化であるランドセルではなく、リュック型のかばん(素材は革以外にいろいろ)を使用することも広がってきました。

〇これは4月から正式に導入される「柏市標準服(ブレザータイプ)」をこれまでの制服に加えて、新しい選択肢としていることと本質は同じです。もっと言えば、中学校を卒業後にどの進路(高等学校やその他も含めて)を選択するかも最後は生徒が自分で決めなければなりません。いずれにせよ自分で選ぶことは最後まで責任を負うことに直結することでもありますので、これからの時代を生きていく大切な資質・能力です。

〇話は戻りますが、例えば大手アウトドア用品メーカーが製作した通学用のリュックサックなどは、見た目はランドセルより大きいですが軽く、ランドセルとまではいかなくても耐久性もかなり優れているようです。もし万が一壊れて再び買うことになっても、ランドセルより断然安く抑えることは長所とも言えます。

〇もちろん大手メーカーもランドセルの軽量化はすすめており、どちらを選ぶかは本人と各家庭の判断に委ねられます。さて私も「3年後には孫娘にランドセルを・・」と何となく考えてきましたが、どうしましょうか?2つを見比べて、本人が納得して選択するのが一番良いとは思いますが・・。

須藤昌英

 

1月15日(水)自分で自分を認めることば「これで大丈夫、これでいいんだ」

〇今年初めての満月が昨晩東の空にありましたが、今朝の出勤時もまだその姿は西の空に見えていました。地球の衛星として月は常に一定の距離を保っています。またそのお互いの引力で潮の満ち引きが起きるのは有名ですが、その他に人体にも目には見えませんが大きな影響があります。まさに「おかげさま」でしょう。

〇教員となって38年間、実に多くのそして多彩な児童生徒との出会いがありました。「教えることは教わること」と気づき始めたのは、教員生活をスタートして数年が経過したころでした。「今の教え方で本当にいいのだろうか?」と壁にぶつかった時、目の前の生徒が「学ぼうとする姿」をつぶさに観察することで、自分の一方的な思いでは何も伝わらないことや、その生徒の姿が新たな手法を私に教えてくれていることを実感しました。

〇昨日、卒業生の活躍をうれしく感じていることを書きましたが、かつての教え子(自分のクラスでしかも担当していた野球部の副キャプテンだった生徒)に、コロナ禍になる直前でしたが彼の結婚式に招待されました。立派になったその姿に感動しました。

〇式の始まる前の控え室で彼が突如、「自分で『これで大丈夫、これでいいんだ』と思えるようになったのはつい最近なんです。中学校の時は自分を否定ばかりして、今思うと『苦しかったな』くらいしか覚えていません」と話しました。さらに「今の中学生は僕らのころよりももっと繊細だから、先生も大変ですね」と励ましてくれました。

〇それを聞いて私は意外な気持ちがしばらくぬけませんでした。彼のクラスや部活におけるリーダー的な発言や行動しか記憶に残っていませんでしたので、本当は心中では大変だったのだと初めて知りました。私はおそらく当時、彼の力を最大限にのばしてやりたいという気持ちから彼を叱咤激励だけしていて、彼の「ありのままの姿を認めてあげる」ことがなかったのかもしれないと反省しました。

〇よく考えると私も中学生のころは、クヨクヨ悩む、いつも自分にダメ出しをしてしまう、どうしても自信が持てないことはありました。人間の発達段階ではそういう時期なのかもしれません。

〇昔から有名な漫画「天才バカボン」の主人公は、なにがあっても「これでいいのだ!」と言い放ちます。大人になって知りましたが、作者の赤塚不二夫さんは、あまりにも世間を気にしすぎている人が多く、自分で自分を認めていく大切さを「(わたしは)これでいいのだ」というセリフに込めたようです。

〇私も含め人は日々、後悔と不安に苛まれています。後悔は「あのときこうすればよかった」と過去に、不安は「このさきどうなるのだろう」と未来に自分の意識があります。英語の Present には「現在」と「贈り物」という二つの意味があるそうです。今生きていることが最高のプレゼントでもあり、そのときに自然と「(ぼくは、わたしは)これで大丈夫、これでいいんだ」という自己を認める気持ちが出てくるのでしょう。

〇そんなことを教え子から教わりましたので、今度は自分が生徒たちに伝えていきたいと思います。

須藤昌英

1月14日(火)成人への階段「長所で勝負すればいい」

〇昨日は「成人の日」で、全国では様々な式典が行われたようです。成人の日は満18歳または20歳(3年前までは20歳でしたが、引き下げられ18歳に)を迎えた青年男女を祝う国民の祝日です。日本の古い儀式である『元服(げんぷく)』に代わるものとして設けられ、その意義は「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」ことだとされています。

〇総務省は、2025年1月1日現在における新成人の人口推計を発表し、平成18年(2006年)生まれの18歳以上の新成人は、109万人で、史上最少を記録した今年と比べて3万人増える見込みだということです。このうち男性は56万人、女性は53万人の内訳です。

〇柏市では二十歳を祝い励まし、社会人としての自覚のかん養や郷土意識の高揚を図るため、二十歳による柏市成人式実行委員会を組織し企画・運営を行い、柏市成人式を開催しています。柏市のホームページには、「成年年齢が18歳に引き下げられることに伴い、柏市成人式の対象年齢を引き下げることも考えられましたが、18歳で開催した場合、受験や就職活動の時期と重複してしまい、式に参加しにくくなることや同様の理由により市民主体(実行委員会形式)で企画・運営を行うことが困難になること、また、上級学校への進学や新生活への準備にかかる費用と成人式の着物や写真代にかかる費用等が同時期に集中することが懸念されます。これらのことから、本市では、令和4年(2022年)4月1日以降も現行どおり、当該年度に20歳になられる方を対象として柏市成人式を開催いたします。」とあります。

〇またこれに伴い、式典の名称を従来の「柏市新成人のつどい」から、「柏市成人式~二十歳の集い~」へと変更しました。この行事は教育委員会が主催ですので、私もかつて教育委員会事務局に勤務していた頃は、会場の市民文化会館の誘導や警備を手伝っていました。かつては式会場の外で派手な衣装を着て大騒ぎをする成人たちが多くいて、彼らをなだめるのが大変なこともあったことも思い出します。

〇今の中学生も数年後には、それぞれ成人として扱われます。中学校時代はそのための準備期間でもあります。そんな中学生にはその心構えとして、樋口恵子さんの「私の青春ノート」から、次の部分を抜粋して紹介します。

「長所は常に短所と裏腹である。勝ち気ということは、相手が自分である限り長所だが、むやみやたらに外に向かうとはなはだしい虚栄心になる。気が強いのもしっかりとしている点では長所だが、向っ気ばかり強くて相手の心を傷つけたりすることに無神経だったら、明らかに短所だ。反対に大人しく穏やかな性格は、寛容さ、安定した感情ということでは長所だが、自己主張できない弱い性格だったら短所でもある。(途中略)友達ができなかったり何かの加減で非難や中傷の対象となったりしたとき、中年の大人ともなれば「何言っているのさ!」と大きく構えることもできるが、内心動揺しないわけではない。まして中学時代はまだ自分の内心がかたまっていないし、他人の評価がとりわけ気になる年頃だ。動揺しないほうがどうかしている。動揺してうろたえ、いろいろとやってみることだ。あっちこっちの角にぶつかって、どこか自分の性格で邪魔になる部分がわかってくる。しかしそれは自分を殺してつくりかえることではない。性格であれ能力であれ、人はその人の長所が発揮されたときが一番、サマになっている。学科だってそうだろう。数学の得意な人は短期間の努力でますます力を発揮するだろうが、不得手の人は他人の何倍も努力しても、なかなか効果があがらない。当面は入学試験があったりするから、嫌なものでも努力しなければならないが、私は最終的に『人はただ一ヶ所の長所で勝負できればいい』と思っている。長所で勝負するとき、人は生き生きとして魅力的だ。英語のリーダーを読ませれば立往生のAさんが、バレーボールの試合のときには何と美しく躍動的であることか・・・。性格も同じことで、長所をのばしていこう。いや、自分らしさの性格にある長短両面の内、長所になるべき方向をのばす、といったほうが正確だろう。勝気な人は頑張る意思の強さ、自分に打ち勝つ心をのばそう。」

〇私も過去に中三の担任を10回務めましたが、特にその卒業生達が今あちこちで活躍していてくれることを誇りに感じています。「教員をしていて良かった」と思う瞬間です。

須藤昌英

【昨年の柏市成人式の様子から】

1月10日(金)してもらったことに目を向ける「恩返しと恩送り」

〇昨日は「人は時として自らの生きる意味を求める」について書きましたが、次の詩も私は若い時からよく学級通信に掲載したものです。紹介します。

「朝がくると」まどみちお

朝がくると とび起きて ぼくがつくったものでもない水道で

顔をあらうと ぼくがつくったものでもない洋服をきて

ぼくがつくったものでもないごはんをむしゃむしゃ食べる

それから ぼくがつくったものでもない本やノートを

ぼくがつくったものでもないかばんにつめて 背中にしょって

さて ぼくがつくったものでもない靴をはくと たったかたったか でかけていく

ぼくがつくったものでもない道路を ぼくがつくったものでもない学校へ ああ なんのために・・

今に大人になったら ぼくだって ぼくだって

何かをつくることができるようになるために・・・

〇「ぼくがつくったものでもない」の韻をふみながら、日常生活における何気ない様子と男の子の未来に対する期待と不安をよく表していると思います。こういう平易な言葉だけをならべている詩は、読みやすいですがなかなか自分で作ろうと思ってもできるものではありません。

〇民話にある「鶴の恩返し」やそれを題材にした木下順二の「夕鶴」は多くの人が知っている話ですが、人間に助けてもらった鶴が自分の羽を使って美しい布をおり恩を返すお話です。男は女に「機織りをしている部屋を決してのぞかないで・・」と言われたのに、男は鶴となった女が機織りをしている様子をのぞいてしまい、最後はその鶴が空へ帰ってしまう結末となっています。

〇私は幼いころからこの話を聞くたびにこの結末があまり好きではなく、雪空に鶴が飛び去っていく淋しい情景を思い浮かべていました。おそらくは寒い地方の民話で、雪雲におおわれたねずみ色が余計に物悲しくさせるのかもしれません。

〇「恩返し」という言葉は、お世話になった人に直接何かをしてあげることですが、50歳になった頃に「恩送り」という言葉を本で読んで初めて知りました。そしてその後段々と年齢があがるにつれてその意味を深く考えるようになりました。

〇これまでの人生の中で、多くの人にお世話をしていただきましたが、実際にその方々すべてに直接「恩返し」をすることはできませんでした。両親や兄弟はまだしも、友達や恩師、同僚や住んでいる地域の方々、私もその方々すべてと今でもつながっていたりきちんと感謝を伝えたりできていないことがほとんどです。

〇であるならば、「恩返し」ではなく「恩送り」をしていくしかない・・かと思ったのです。例えば私であれば、小・中・高・大と16年間で多くの授業や諸活動の中で、多くの先生や友達から様々なことを教わりました。その後教員となり、今度は多くの生徒や同僚に対して、自分としてできるだけのことをやらせてもらいました。

〇しかしそれは別の見方をすると、それまでしてもらったことに感謝しつつ、直接その方々に恩は返すことはできませんでしたが、その分あらたに出会った別の方々に「恩を送っている」とも考えられるようになりました。

〇冒頭の詩のように、世の中のほとんどがお互いの「恩送り」で成り立っているなかで、逆に「恩返し」をできることは稀なことなので、私の中では次の図のようなイメージになります(基本は「恩送り」しかできませんが、まれに幸運にも直接その人に「恩返し」ができたらよい・・・)。

〇これまでにたくさんの人達にいただいた様々な恩は、できるだけ多く返していくようにしたいものです。

須藤昌英

1月9日(木)忘れられない「深くて難しい質問」

〇今から30年以上前、若い頃に担任をしていたクラスの生徒の一人から、質問を受けました。その具体的な場面は忘れました(多分昼休みだった?)が、突然「先生、『生きる意味』って何ですかね?」と尋ねられ私は一瞬絶句しました。ただその生徒は決して思い詰めるような表情ではなく、教室の窓から校庭をぼんやりと眺めながらつぶやいたのです。

〇いずれにせよ唐突な質問であり、私もまだ20歳代でしたので人生経験も浅く、ただその場の勢いで「これまで生きてきて、そんなこと考えている時間は自分にはなかったなあ~」とだけ答えた記憶があります。しかし本当は当時はまだそんな直球的な質問を大人として正面から受け止め、自分の言葉で答える自信がなかったというのが本心でした。以来他の生徒に「もし同じ質問をされたらどう答えようか?」が私の長年の課題意識になってきました。

〇そういう私が50歳半ばを過ぎたくらいに読んだ本に、「人の生きることに意味はあるのか?」に関して、考えさせられるトピックがありました。ある哲学者の実体験ですが、内容を要約して紹介します。

「その哲学者にはその道を志すきっかけになった100年前くらいの大哲学者(故人)がいました。とにかく彼は若いころからその大哲学者に強い憧れを抱いており、『あなたは将来どんな学者になりたいか?』と人から尋ねられれば、必ずその方の名前を挙げて答えていました。ある日京都で定例の学会があり、その晩にホテル近くの行きつけの小さなバーでいつものように一人でお酒を飲んでいました。すると後からその店に感じのよい紳士が来て隣に座り、お互いにボツボツ話を交わすうちに、相手が医大の先生であることがわかってきました。そしてその学者が自ら『自分は哲学者をしています』と自己紹介すると、その紳士が即座に『それは奇縁ですね。実は亡くなった私の祖父も哲学者でしたよ』と言います。学者は『そうですか、おじいさまのお名前を聞いていいですか?』と言ったその相手の答えに、その哲学者は思わず自席から立ち上ってしばらく直立不動となり、その紳士に深く頭を下げ、握手を求めた」という話です。

〇その哲学者は、「人は時として、存在するだけで他者に恩恵を与えることがある。その紳士も私を元気づけようとわざわざ京都まで来たわけではない。何気なく店に入ってきて、たまたま私の隣に座っただけ。ただ私の方は、尊敬する方のお孫さんに思いもかけずお会いでき、至極の喜びを感じた。そのお孫さんの紳士的なたたずまいを通して、尊敬する方を身近に感じることができた」と振り返っています。

〇さらに続けて「人はいつも、生きる意味を求めてあれこれ悩むが、『自分が存在するだけで、誰かを助けている』と思えるなら、それは素敵な生きる意味ではないか」と結んでいました。私はこれを読んだ時、他人事ながら深く感動しました。そして「人生において目には見えない縁があるのかもしれない」「人の強い思いは会いたい人を引き付けるのではないか」などと思いました。

〇今の生徒たちももしかしたら30年前のその生徒と同じような疑問をもっているかもしれません。もし30年前に戻ることができたなら、あの生徒(おそらく50歳くらいになっているはず)にもこの話をわけてあげたいです。

須藤昌英

 

1月8日(水)自律神経を整える(2つの神経のバランス)

〇私は普段から移動する際には、徒歩の他に自転車、バイク、自動車などを利用しています。歩いていたり運転していたりする時に、最近よく気が付くことがあります。信号機のない横断歩道で待っている人に「一時停止」をして道を譲るドライバーが増えたなと思います。

〇そもそも法律で、「横断歩道は歩行者優先であり、運転者には横断歩道手前での減速義務や停止義務がある」と規定されています。昔は多くの人はこのことを知っていても、停車して横断歩道を歩行者が渡るまで待っている車はほとんどありませんでした。これからもこのような人が増えるといいなと感じます。

〇このことで思い出したことがあります。人間の自律神経に関して多くの研究を発表している順天堂大学医学部の小林博幸教授が何かの雑誌に「運転中に相手の車に道を譲るだけで、自律神経が整う」と書いていました。最初読んだ時は「まさか・・それだけで・・」と思いましたが、よく考えてみると確かに道を譲る時は自分の心や気持ちに余裕があり、さらに道を譲った相手がこちらに頭を下げてお礼をされると、もっと気分が良くなります。こんな小さなことでも人間の身体は微妙に反応していることが面白く感じます。

〇自律神経系とは、身体の血圧や呼吸数など、体内の特定のプロセスを調節している神経系です。そして自律神経は身体の働きをコントロールするにあたり「交感神経」と「副交感神経」の二種類に分かれます。車に例えると、交感神経はアクセル、副交感神経はブレーキです。

〇交感神経の働きが上がると気持ちは高揚し、仕事の能率はあがります。逆に副交感神経の働きが上がるとリラックスし、疲れがとれていきます。ただ大事なのはこの2つのバランスで、交感神経が優位に立つとイライラし、身体の免疫力が低下します。逆、副交感神経が優位に立つと注意力が散漫になり、作業などのミスが増えます。

〇子どもの含めた現代人は、自律神経が乱れがちで特に「交感神経と副交感神経のバランス」がとれていないとは以前から指摘されています。先ほどの小林教授の言葉を引用させてもらうと、「自律神経とは、自分の意思で動かせない臓器をコントロールしている神経です。例えば末梢神経でいうと、自律神経はその周りにある筋肉を動かし、血流をコントロールしています。健康でないと、いいパフォーマンスはできませんよね。」と言われています。

〇生徒たちは学校では主に交感神経を優位に働かせて、学習や活動をしています。なぜならば、ボーとしていると授業の内容が頭に入ってきませんし、体育や部活動などでも転んだりつまずいたりと危険なこともあります。朝自宅を出てから、登下校も含めて夕方帰宅するまでは、ほとんど交感神経を働かせていると言えます。

〇ですので自宅等では、副交感神経の出番になります。副交感神経は好きな音楽や動画を聴いたり観たり、家族とおしゃべりしたりするだけで活発になるそうです。また身近な自然を感じたりする、例えば登下校で朝陽や夕陽を「キレイだな~」と感動してながめたり、道端の草花や昆虫を見つけたりすることも有効だそうです。

〇気分転換としてスマホやテレビゲームも否定するつもりはまったくありませんが、それを適度に利用し、少なくともそれを追いかけるまたは追いかけられる時間(これは副交感神経ではなく交感神経が優位になっている)を少なくするようにしたいものです。

〇今朝もまだ車の運転に自信のない若い職員と話をしていると、「今朝、学校の正門前で右折して入る先輩に左折して入ろうとした私が『お先にどうぞ』と譲ってあげました」と話していました。先輩教員だから譲ったのかもしれませんが、少なくともその若い職員は今日一日、穏やかな気持ちで過ごせることでしょう。

須藤昌英

 

 

1月7日(火)第3学期始業式&私立高等学校入試開始

〇本日から3学期が始まりました。昨晩の雨のおかげで、しっとりとした朝で、少しはインフルエンザなどの感染症もおさまってもらいたいものです。2週間ぶりに正門で生徒が登校する様子を見ていましたが、お正月を過ごしてこれから学校生活にリズムを切りかえようとして、緊張感?浮遊感?が漂う生徒も多くいました。が大きな声で挨拶をしてくれました。

〇始業式では、次のようなスライドを使って話をしました。

 

〇最初は「なぞなぞ(とんちクイズ)」から始めました。学校は「これはなんだろう?どうして?」などを大切にし、大きな課題は解決を急がずに探究する場所であってほしいものです。「なぞなぞ」の語源は「なんぞ、なんぞ」で、学校は今まで分からないことが分かるようになる、出来なかったことができるようになる場です。

〇そして現代を生きていく生徒たちには、4つのC(挑戦、コミュニケーション、見通す力、自立・自律)に代表される資質・能力が欠かせません。そのベースとして特に「自分は何よりも~が好き」で「〇〇をしているときの自分がどんな自分よりも好き」という感覚を大切にしてもらいたいです。

〇ただ留意してほしいのは、「あの人は言うことと実際にやっていることがバラバラだね!?」では、人間関係上の信頼感をなくします。言っていることと行動が一致(言動の一致)するとは、発する言葉(口)と実際の行動(身)の矛盾がないことです。特に顔や口は正面にあるので見えやすいし伝わりやすいですが、行動は背中(見えにくい、伝わりにくい)に滲み出るので、「背中でも語れる人」が理想です。

〇最後に今から34年前の曲「どんなときも(槇原敬之:作詞作曲)を流しました。当時私は二十代後半で、クラスの生徒とよくこの曲を聞いたり歌ったりしていました。特に曲のサビの歌詞が今でも印象に残っています。

どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために 「好きなものは好き!」と 言えるきもち抱きしめてたい  

どんなときも どんなときも 迷い探し続ける日々が 答えになること 僕は知ってるから

〇21世紀も四分の一が過ぎようとしています。生徒たちは22世紀にまたがって生きるのですから、残りの四分の三をいかに生活していくか・・。生徒たちに投げかけて終わりました。

 

〇明後日から高校入試が本格的にスタートします。都道府県によって私立高等学校の日程がほぼ決まっており、今週の茨城県から始まり、順次千葉県、東京都、埼玉県と続きます。私立高等学校はその学校独自の入試を行いますので、大別すると「一般入試」「推薦入試(単願・併願)」ですが、その他日程も「A日程」「B日程」などと、入試の機会をAとBに分けることで受ける回数が増えしている学校もあります。

〇また私立高等学校は公立高等学校と違い、発表している「募集定員」よりも多くの「合格者」を出します。理由としてはやはり学校を経営するという面がありますので、もしその後に入試のある公立高等学校へ多くの生徒が流れてしまうと、募集定員を下回る可能性があり、それを避けるためです。

〇千葉県公立高等学校は今年から全校でインターネット出願になりました。1月14日~2月3日までに志願者情報の登録及び入学検査の納付を行い、2月4日~6日で「郵送による出願」、2月12日~13日の「志願(希望)変更」、2月18日~19日の「学力検査等」、3月4日の「発表」と続きます。ただし私立高等学校と違うのは、先ほど書いたように「1回しか受けられない」「募集定員数通りしか合格者を出さない」ことです。

〇その為1回に限り、まず出願確定した後にネットや翌朝の新聞に掲載される「志願倍率」を見て、最初に志望した高等学校への願書を引き下げ、新たな高等学校へ出願することができます。ただしこれは無暗に行うと返って生徒本人に心の動揺が残ることもありますので、慎重に行わなければなりません。

〇上記の4つ「出願」以外の3つ(「変更」「学検」「発表」)は基本的には、生徒自身が志望校に行くことになりますので、担任からは必ず事前に行き方を調べたり、実際に足を運ぶように指導したりしています。ただ2月ですので、過去には入試日に雪が降り、交通手段がストップしたり開始時間が遅れたりしたこともありました。最悪の状態も想定し、どうやって入試会場までいくかは複数の案をもっていた方が良いと思います。

〇現在3年生は体調管理と試験準備の両方に気を使っていますので、学校としては無事に終わるようにサポートしていきます。

〇3学期は全校生徒で集うのは、3月3日の生徒会主催「3年生を送る会」のみで、3月11日の「第78回卒業証書授与式」で3年生は巣立っていきます。インフルエンザやコロナ等の感染症も大きく広がらないように祈っています。

須藤昌英

1月6日(月)「はたらく細胞」を観て

〇新年になり映画を一つ観ました。最初はあまり気乗りしませんでしたが、家族に勧められて行きました。「はたらく細胞」という題で、館内には親子連れも多く、随所に戦闘シーンもあるので、子どもはどういう感想をもったのか知りたいところです。学校ならば気軽に生徒に「どうだった?印象に残った場面は?」など矢継ぎ早に尋ねられますが映画館ではそういうわけにはいきません。

〇映画の公式ホームページから紹介文を引用させてもらいます。

「人間の体内の細胞たちを擬人化した斬新な設定で話題を集め、テレビアニメ化もされた同名漫画を実写映画化。原作漫画『はたらく細胞』とスピンオフ漫画『はたらく細胞 BLACK』の2作品をもとに、ある人間親子の体内世界ではたらく細胞たちの活躍と、その親子を中心とする人間世界のドラマを並行して描く。

人間の体内には37兆個もの細胞が存在し、酸素を運ぶ赤血球や細菌と戦う白血球など無数の細胞たちが、人間の健康を守るため日夜はたらいている。高校生の漆崎日胡は、父の茂と2人暮らし。健康的な生活習慣を送る日胡の体内の細胞たちはいつも楽しくはたらいているが、不規則・不摂生な茂の体内では、ブラックな労働環境に疲れ果てた細胞たちが不満を訴えている。そんな中、彼らの体内への侵入を狙う病原体が動き始め、細胞たちの戦いが幕を開ける。」

〇人間の主人公の体内にある細胞の方の主人公は、赤血球(肺から取り込んだ酸素を全身の組織に運ぶ役割)と白血球(細菌、ウイルス、カビといった外敵やがんから身体を守る働き)で、それぞれが自分の役目を果たそうとする中で、無意識でお互いに連携してはたらいていますが、そのことを身体の主人である人間はまったく知らないで生きています。

〇先日、初日の出を見て、太陽と我々生物の関係を書きましたが、あれはマクロ(大きい・巨大)的な関係ですが、細胞はミクロ(小さい・細かい)的な世界で対照的です。ただ「目に見えない・意識できない」という点で共通点も感じました。

〇私は学生の頃から、「遺伝子や細胞」といったことに興味があり、一時期は科学者としてその研究もしてみたいと思っていました。ただ自然とそれを断念し、数学の教員となりましたが、生物分野でも数学が活用されているので、教員になった後も生物系の本を見るのが好きです。

〇例えば、細胞は1つの細胞から順々と細胞分裂していきますが、1回目の分裂で1個が2つに分裂して2個、2回目の分裂で2個がそれぞれ2つに分裂して4個、3回目の分裂で4個がそれぞれ2つに分裂して8個・・となり、30回目の分裂でおよそ10億個になります。つまり2のカイ乗(n乗)計算は、予想をはるかに超えるスケールで増えていきます。

〇また3年生が理科で学んでいましたが、メンデルの法則(遺伝子に関する古典的な研究)では、詳細は避けますが、エンドウ豆の丸形としわ型を交配させ、交配によって一つが他よりも優れて現れるのを「優性遺伝」と呼びます。その結果分析にはマトリクス(縦軸・横軸の二次元で構成された表)を使い、統計的な数学の処理をしています。

〇数年後には生徒たちは、社会に出てそれぞれの職業を通して収入を得ると同時に、その仕事や役割を通して社会に貢献していきます。その貢献という目には見えないはたらきこそ継続していく要因となります。「自分も何かの役に立っている」が自己有用感となりますので、前述の細胞たちのはたらきと共通している面があります。働くとはよく「自分の行為によって傍(はた)を楽(らく)にする」ことと語呂合わせのように言われることがありますが、上手な解釈だと思います。

〇明日は2週間ぶりに生徒たちと再会します。私は始業式で話す内容を考えつつ、3月の卒業式の準備も始めましたし、職員も多くが出勤し、明日からに備えています。感染症も流行っていますが、元気に登校してくれることを願っています。

須藤昌英

1月4日(土)新年おめでとうございます

〇新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。1日はあの能登の震災からちょうど一年でした。お亡くなりになった方も大勢いらっしゃいました。お身内を亡くされた方もいらっしゃいます。なかなか復興が進まず未だに不自由な暮らしの方も多いと聞きます。お見舞いを申し上げます。

〇令和七年は巳年(みどし・へびどし)です。蛇は脱皮をすることから、「新生・成長・変化」のシンボルとも言われます。小学生くらいの時遊んでいる最中に、林の中で蛇の抜け殻を見つけたことがあります。初めて見たのでとても神秘的で、自宅まで持ち帰り母親に叱られた思い出があります。

〇確か布施弁財天(紅龍山東海寺)様にも白蛇が祀られています。白蛇は弁天さまの使いといわれ、以前に参拝したときに境内にかわいい白い蛇のキャラクター「はくじゃちゃん」があったのが印象に残っています。布施弁財天はまさに富勢中学区の守護をしてくださっていますので、いつも感謝しています。

〇1日は自宅近くの手賀沼からご来光を仰ぎました。ご来光を見ると、亡くなった父が言っていた言葉を思い出します。「太陽があるから人間は呼吸もできるし、心臓が動いて血が全身に流れているんだよ」と言われても幼い頃は実感がありませんでした。ただこの年齢になると少しはその意味がわかります。太陽とすべての命がつながりあって地球上の生物は存在していることは、目には見えませんが想像することはできます。

〇よく使う「おかげさまで・・」の言葉の由来もここにあるのでしょう。日光は見えますがその影響力は広大かつ深遠で、その一つとして植物の光合成によって大気が循環し、それによって動物は生きていられます。「目に見えない周囲の支えがあって人間は好きなことができる」ということは普段はあまり考えませんが、元日という節目には謙虚になってそのことに感謝しつつ、今年一年の目標に思いを巡らせました。

〇好きなことができるのに関して、中国の論語(孔子と弟子たちとの問答を集録した書)を思い起こします。それは、『子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者』で、読み方は「子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」です。意味は、「先生は言われた。物事をよく知っているという人は、そのことを好きな人にはかなわない。またそれがいくら好きであっても、それを楽しんでいる人にはかなわない、と」。

〇学校は様々な教科や活動があり、私もそうでしたがそのすべてが好きだという生徒はいません。ある面では仕方なく勉強していますが、もしその中に一つでも自分の好きなものがあれば、その人は幸運だと言えます。好きですから無理して努めなくでも必要な知識や技術は身につきますし、やればやるほど他人に言われるまでなくそのことを自ら探究していきます。

〇ただ好きなだけでなく、それを楽しむことができれば、さらにその学びの姿勢は自然と継続されます。日本でも「好きこそものの上手なれ」は有名なことわざです。子どもであれ大人であれ、どんなことでも上手な人は生き生きとしています。先日もおめでたい報道があったメジャーリーガーの大谷翔平選手も、持って生まれた才能に加え、野球が好きでたまらない気持ちから、生活のすべてを野球のためにつなげ、人の見えないところでとてつもない努力をしているのです。

〇新年にあたり富勢中のすべての生徒たちが、「この好きなことがあるから嫌なことも乗り越えられる」という秘かな自信をもって、今年一年を過ごしてほしいと願っています。

須藤昌英

12月31日(火)良いお年をお迎えください(自宅から投稿)

〇先週の火曜日から始まっている冬季休業(~1月6日)ですが、一週間が過ぎ、残り一週間となりました。お子様はどのように家庭で過ごしているでしょうか?日本海側は大きな寒波で大変な状況ですが、関東地方は寒さはあるものの毎日快晴に恵まれており、穏やかな年末のような気がします。

〇年末は家族が続々と発熱し、数回病院へ付き添いしました。幸いまだ今のところ私は元気ですが、もし今発熱すると発熱外来をしてくれる病院が少ないので、何とかこのまま乗り切れないか・・と考えています。

〇振り返ると今年は「辰年(たつ)年」でしたが、たつ(竜、龍)は十二支の中で唯一空想上の生き物で、権力や隆盛の象徴であることから、出世や権力に大きく関わる年といわれていました。であるからか今年は国内では政治的に大きな選挙があったり、世界的ではあらたな紛争が勃発(今までの戦争が継続)したりといろいろと考えさせられることがありました。

〇これらも生徒にとっては、「良い教材(自分たちの生きている社会を見つめ、自分たちの生活に直接結び付く)」ではないかと思っています。もちろん発達段階によって、興味の方向性や認知の精密性は異なり、個性もありますので一概に、「これとこれは中学生ならば必ず知っておかねばならない」と固定的には考えていません。

〇ただ気になるのが、情報化社会に浸かると、「フィルターバブル現象(自らの考えやし好にあった情報だけに囲まれ、その他の情報に関心を持たなくなる)」の危険性が高まるということです。手元のスマホなどを通して限られたネットワークからの情報に著しく依存することで、視野の狭さ、誤情報を信頼、社会的分断、判断能力の低下、興味の固定化、コミュニケーション能力の低下などが指摘されています。

〇自分とは異なる考えや意見にも耳を傾け、その考えや意見の背景や理由を想像してみることは、社会に出てからは欠かせない姿勢になります。学校はそのための練習として、授業やその他の活動を用意しており、話し合い活動や協働活動の中で「一人でいるよりも人間関係は大変だけれども、確かに大切でもある」ということを実感してもらいたいのです。この「大変」と「大切」が表裏一体であることがわかると、コミュニケーション能力もあがると思います。

〇もう一つ気になるのが、生徒自身よりも周囲の大人が、「子どもは教科書の内容さえをしっかり理解し、身につければよい」という声を時々耳にすること。ただそれは生徒のもっている力を過小評価していると感じます。教科書はあくまでも知識の入口に過ぎず、現実の世の中はもっと広範囲です。先ほどのように「そんな世界情勢などに関する議論のような難しいことを今の生徒がわかるはずがない」と思っている大人も多い気がしますが、実は生徒たちは「答えのない問いを考える力」をすでにもっています。この事実と向き合い続ける力こそこれからの未来を背負っていく彼らに必要な力であり、大人は彼らの意見ももっと尊重し、一緒に考えていくべきです。

〇ただそれを考える時間の確保が、学校の今の教育課程(授業時数)では難しいのが現実です。知識が体系的にまとめられている教科書はもちろん大切ですし、その内容はある意味「人類の英知、世の中の仕組みのエッセンス」ですので、「困ったときに戻って確かめる」のが本来の役割です。たた前述のように「教科書さえ学んでいれば・・」では、「生きて働く知識」にはならないと思います。

〇我々大人が、広くて深い思考をし、子どもたちの見本となっていくことや、現実には大人でもわからないことが多いので、子どもたちと一緒に考えていく姿勢を持ち続けることが大切だと思います。

〇今年の「校長雑感ブログ」も、本日で終了となります。自分の頭に思い浮かぶことをありのままに書きました(ただその分読まれる方は読みにくいことも承知しています)。保護者アンケートの中にも、「校長先生のブログで、学校の様子がわかり親としてはとてもうれしかったです」などのご意見もいただきましたので、励みになります。校内での出来事はすべて校長まで報告がありますが、もちろんすべての情報をブログに書くことはできません。ただできるだけ今後も「これは学校内だけで留めるのではなく、保護者や地域の方々にも知ってもらった方が良いだろう」の視点で書くことで、学校の様子を透明化(可視化)できたら・・と思います。

〇良いお年をお迎えください。生徒たちとは1月7日(火)に再開できることを楽しみにしています。

須藤昌英

 

 

12月23日(月)2学期終業式&いじめ防止集会

〇2学期(授業日数77日)が終わります。暑い9月から寒い12月と月日の流れとともに、生徒たちの成長を感じます。そしていつも学期末には、学校は果たして一人ひとりの生徒に精一杯「個別最適な支援」ができたかどうか・・と考えさせられます。2学期の表彰式に続き、終業式を体育館で行います。

〇戦国時代の武将の中で私が好きな一人が、毛利元就(もうりもとなり;1497-1571年)です。一般的には知略と謀略に長けた名将で、数々の経緯を経て、所領を増やしたことで評価されています。もちろん武士ですので、大勢の人々を支配し時には殺戮もしてきたでしょう。ただそんな彼でも人間くさい2つのエピソードがあります。

〇そのうち有名なのが、「三矢の訓え(みつやのおしえ)」で、元就が、三人の息子(隆元、元春、隆景)にあて、大きくなればなるほど身内の中での争いが生じることは世の常であるが、毛利家の将来のため、一家の頭領として三人の子どもに一致団結を説きました。その例えが、1本の矢なら簡単に折れるが、3本まとめて束にすれば折れない。それと同じように、3人が力を合わせれば、誰にも負けることはない」と諭したそうです。

〇もう一つがあまり知られていませんが、元就の部下や庶民に対し方のエピソードです。私はこれの方が「三矢の訓え」よりも好きなので紹介します。

「元就は自分の御屋敷にいる時には いつも餅や酒を切らさずにおいていた。元就は城下に住んでいる、とりたてて身分の高くない侍や 小間使いの者、あるいは庶民などまで親しく付き合った。そういう人たちは、農作物や山海の珍味などを持って、元就に面会した。そういう際に元就はわざわざ場を設けて歓待し、贈り物を喜んで受け取りつつ、必ず「君は上戸(酒が好きで飲める)か?それとも下戸(酒は飲めない)か?」と尋ねた。相手が「酒は飲める」と答えると、笑って酒を飲ませた。逆に「酒は少しも飲めません」と答えると、「君は下戸なのか。ならば餅を食べなさい」と餅を食べさせてあげた。このことから、身分の低い者たちまで元就のことを慕っていた」

〇作り話の可能性も否定できませんが、大将という立場になると人間は下の身分の者から遠い存在になってしまいますが、あえて相手に合わせて接待することで、戦時などの危機の場合にも家来から助けてもらえたということでしょう。特に「酒か餅」を相手に合わせて出すなどは、前述の個別最適な教育に通じるものがあります。終業式でも少しその話を生徒たちにしてみようかと思いつつ、自分としてはお正月に、お屠蘇(とそ)とお雑煮(ぞうに)をいただきながら、ゆっくりと振り返ってみます。

〇終業式に続いて、生徒会主催の「いじめ防止授業」を行います。これは先月に柏市教育委員会主催の「いじめ防止サミットKashiwa」に参加した2年生の中村さんと佐藤さんが、そこで学んだ内容をさらに本校の生徒アンケートの結果も含めてアレンジしたものです。全校生徒が話し合いをしやすいような工夫が満載されており、今からとても楽しみです。

 〇まず事前に全校生徒に行ったアンケート結果を確認しました。スマホを持っていない生徒は7パーセント(持っている生徒は93%)、持っていない理由(家のルール、自分の意思、没収、その他)、持っていないメリット(トラブルなし、面倒くさい人間関係なし、見てしまう無駄な時間なし、依存症にならない・・)、持っていないデメリット(いざという時の連絡手段なし、みんなの話題がわからない、調べる時に不便・・)、持っていて今まで問題を起こした人12%、友達の使い方をみて問題だなと思った人22%。

〇次の2つのテーマを体育館内で話し合いました。

テーマ①『もし柏市で中学生以下の児童生徒のSNS使用が禁止になったらどうする??賛成?反対?』

テーマ②『中学生以下は禁止』という条例が出ないために、皆さんが学校生活や実生活でできることは何ですか???

それぞれの意見の代表として、事前にビデオ撮影した生徒たちが考えを発表しました。

〇最後に、山本PTA会長さんにアンケート結果を見ての感想と3つの気を付けることのメッセージをいただきました。「親が子どもにスマホを持たせる一番の理由は、安全を確認するためです。しかしその反面、SNSのトラブルや闇バイトなどの犯罪に巻き込まれる危険があります。冬休みに入るにあたって、使用時間を管理する(目の休養、運動量の確保、家族との団らん)、SNSのマナーを守る(言葉の使い方、相手への思いやり)、個人情報を漏らさない(氏名、住所、電話番号、家が特定できる写真)ように。相手と向き合っての年末年始の『良いお年を』や『あけましておめでとう』などは文字だけでは伝わらない表情や動きがあるので、誤解の少ないコミュニケーションです。楽しい冬休みを過ごしてください。」

〇山本会長さん、お忙しい中ありがとうございました。インフルエンザ警報も出ていますので、令和7年1月7日にまた元気で会えますように。

須藤昌英

 

12月20日(金)創立80周年に向けてのワーク&年末大掃除

〇富勢中は2年後に創立80周年を迎えます。市内では同じく昭和22年に新制中学校としてスタートした中学校があと3校(柏中、土中、田中中)あります。本校創立当時は生徒数199名(4学級)で、軍隊の旧兵舎を仮校舎としていた記録が残っています。

〇平成9年の創立50周年には、柏市長をはじめ多くの来賓に来ていただき、創立記念式典を盛大に行いました。その後の60周年、70周年は記念集会という形で、記念誌を発行したり講師を招聘して講演をしたりしました。大きな次の式典は創立100年になります。

〇過去の式典は、教員や地域の方々、PTA役員などの大人が企画・運営していました。これは入学式や卒業式と同様の学校行事であり、来賓をお招きしてみんなでお祝いするという目的がありますので、ある面では仕方ないと思います。

〇ただ私も過去の勤務校で何度か創立記念に関わってきましたが、どうしてもその創立記念の場に立ち会い、本来は主役である生徒たちがお客さまのようになってしまうことが気になっていました。生徒の心の中は「●●周年だからおめでたいことはわかるけど、これからこの学校の歴史をつくっていく私たちは何をしたらいいんだろう?」みたいな気持ちがきっとあったと思います。

〇そこで来る80周年はこれまでとは異なり、生徒会が中心となり自分たちが調べたり考えたりした富勢中や富勢地域の歴史や先輩方の思いを振り返り、これからの未来へのビジョンを共有する場に保護者や地域の方々を招く創立記念集会をしたいと考えています。

〇自分たちの言葉で発表する場に、日頃からお世話になっている保護者や地域の方々への感謝の意を表し、さらによりよい関係性を向上させることを目的としたて実施する「生徒主体の行事」にすることを目指します。

〇そのためのベースづくりとして、1・2学年の生徒会役員たちと校長室でワークショップをしています。主な課題は次の3つです。

●今の富勢中で保護者や地域の方々に自慢できる素晴らしい点やあまり目立たないがこれからも継続していきたいことは何か?

【主な意見】

・素直でフレンドリーな生徒が多い ・友情を大切にし笑顔が多い ・クラスの団結力や雰囲気がよい ・生活のきまりやルールを守っている人が多い ・気軽に挨拶を返してくれる ・昼休みに元気で遊ぶ生徒が多い ・下駄箱の靴がそろっている ・授業も真剣に受けている ・リーダーの声掛けがさかん ・元気で積極的 ・歌声きれい ・黙働清掃ができている ・富中大好きと言える ・委員会も部活動も全力で取り組む ・学校行事に積極的 ・先生方が生徒に寄り添ってくれる ・三大伝統(あいさつ、清掃、歌声)

●来る創立80周年に向けて、今後さらに理想とする富勢中になるために必要なことや取り組みたいことは何か?

【主な意見】

・校内の花を増やし華やかにする ・富勢中学区の小学校の児童に富勢中やその歴史をしってもらう ・80周年ポスター制作をする ・地域とのコラボレーション ・コミュニケーションの活発化 ・富勢中のキャラクター作成 ・周年プロジェクトチーム結成

●これを踏まえて、その狙いを達成するために来年と再来年の生徒会行事をどうするかを話し合いました。体育祭 合唱コンクール あけぼの祭 新規行事 など

【話し合い継続中】

〇今日の午後の職員会議で、生徒会役員が話し合いの進捗内容をプレゼンします。職員会議で生徒が提案するのは異例なことですが、学校の一番の当事者である生徒の声を聞くことも大切です。

〇今日は全校一斉の大掃除を行います。日本では年末に大掃除を行い、「心機一転して新年を迎える」という「しきたり」のようなものがあり、これに異を唱える人をあまり聞いたことがありません。確かに普段は見逃している(見えないふりも含む)場所もきれいにしますと、新しい発見があったり何より気分が明るくなったりします。

〇「仕来り(しきたり)」を辞書で調べますと、「昔からの習慣、ならわし、慣例」とあり、用法としては「~を守る」「~に縛られる」とありますが、この2つでは180度違う姿勢になります。

〇「~守る」は、正しいと信じていることを今まで通りにやることですが、さらに自主・自律的に自らやろうとする意志のもと、「どうせやるなら楽しく」なるように、創意工夫をしていくまでになると、たとえ誰かに「もうそんなことやめたほうがいいよ」と言われたとしても、全く意に介せず、続けていくことができると思います。

〇その一方で「~に縛られる」の方は、自分の気持ちに関係なく仕方なくやることになり、創造性・想像性は生まれません。むしろやる意義や意味、それをやることによる効果などを考えていないので、とにかく「はやく終わればいい」しかないと思います。

〇以前にサッカーワールドカップでは、日本人サポーターが客席のゴミ拾いを自主的にしたり、選手ロッカーが最後きれいに片づけられたりした写真がアップされ、世界から賞賛されていることが話題になりましたが、使用させてもらった場所に感謝していることを行動に示したとも言えます。

〇ただ一部には、「清掃をする人の仕事を奪っている」との見方や、もっと厳しい意見は「単なる売名行為?にすぎない」まであるようです。私などもさすがにそれには頭の中で疑問符がいっぱいになりましたが、しかし日本人的見方を超えた世界レベルではそういうこともあることは知っておくべきでしょう。

〇学校の清掃も多くの国では、雇われた清掃人が仕事として行っており、生徒自身が清掃をするのは稀だそうです。先ほどのワールドカップの話でも、我々は学校で清掃活動をしてきたので、違和感はありませんが、成長過程でボランティアベースの清掃を経験してこなかったならば、理解できなくても当然なのかもしれません。

〇しかしその日本型教育が注目され、アフリカでは生徒による清掃を取り入れた国もあるそうです。さて、「今日の大掃除をどんな気持ちでやっていますか?」「大掃除って必要だと思いますか?」などと、見かけた何人かの生徒に尋ねてみようかなと思います。

 〇部屋の窓は開けっぱなし、しかも水道の水は冷たい状況でも、自分たちの分担をキレイにしようと、黙々と身体を動かす生徒たち。この経験により少なくとも、意図的にゴミを落としたり汚れている場所をさらに汚したりすることのない大人に成長してくれると信じています。

須藤昌英

 

 

 

 

12月19日(木)2学期保護者会&2学期給食最終日

〇昨日、2学期の保護者会を行いました。1学期末の7月には実施しなかったので、4月の当初保護者会から8カ月ぶりとなります。全体会で私からこの8カ月間の本校における学びや富勢中学校4区の児童生徒に身に付けさせたい力、来年度のクラス編成の方向性を説明しました。その後教務主任から保護者アンケートの結果報告、生徒指導主任からいじめアンケートの結果と冬休みの過ごし方などを話し、クラスや学年の懇談会となりました。

〇保護者会のあいさつでも言いましたが、以前よりも世の中の変化の割合が数倍で、あらゆる技術革新のスピードが加速しています。その様子を、犬の成長の1年がおよそヒトの7年に相当する(ヒトの7倍速く進む)ことから「ドッグイヤー」、または鼠の1年がおよそヒトの18年に相当する(ヒトの18倍速く進む)ことから「マウスイヤー」などに例えられることもあります。よく「不易と流行」と言われますが、世間の変化に対応しつつ、生徒の学びのはやさは従来と変わらずにある程度余裕をもたせた環境で、じっくりと考えたり話し合ったりする時間を確保していきたいです。

〇普段はシグフィーやホームページなどでのこちらからの一方的な情報発信が多いですが、年に数回でも顔を見ながらお互いに話をすることが大切であると思います。お越しいただき、ありがとうございました。私がお話しさせていただいたスライドを掲載します。

〇今日は2学期最後の給食となります。2年前の今頃はコロナの後の対応として、「あなたはこれからも黙食を続けたほうが良いと思いますか」と生徒アンケートを実施したのを覚えています。結果としては「継続した方が良い」が6割、「継続は必要ない」が4割でした。生徒の中ではまだ続けた方が良いと思う人が思わない人の約1.6倍であり、その後もしばらくは継続していくことにしたのでした。今は前と同様に楽しく喫食しています。

〇振り返るとコロナ禍で、生徒たちもいろいろな経験をし、「自分は~したらよいと思う」と考えるようになってきたと思います。ただ当然のことながら、同じような経験をしても人によって考えは異なります。一見すると意見が対立し、白か黒の2つに一つしかないように見えますが、この時こそ、「広くて深い思考」が必要で、そのためまずお互いに目的が一致していることを確認し、次に対話する姿勢(相手の真意を理解しようとする)を持ち続けることしかありません。

〇先週から今週にかけて、給食の残菜・残乳ゼロ週間に取りくみました。担当の鹿野栄養教諭からのメッセージです。

先日の白ご飯は、全校で110㎏炊きましたが、残ったのはたった460g(0.4%)でした。これは約2.4人分だけです。生徒と教員合わせて550人ですので、これだけしか残らないことがどれだけ凄いことか。チェック表でみると〇や×なので「×がついてしまった・・」と感じる時もあると思いますが、皆さんが残さないように頑張ってくれていることが給食室にも伝わっています。

栄養教諭という仕事をしていて常々思うのは、「給食は食べてもらってはじめて完成」ということです。どれだけ栄養価を整えても、みなさんに食べてもらえなければ意味がありません。この一週間はみなさんのおかげでとても完成度の高い給食でした。これからもたくさん食べて、学んで、遊んで、健康な体と豊かな心を育んでくださいね。

〇今朝は少し雪がちらつきました。だからというわけではありませんが、今日のメニューは、「キャロットライス、チキンクリームソース、ゆで野菜のごまサラダ、ブルーベリータルト、牛乳」で、来週のクリスマスをイメージしています。またお話し給食(生徒からのリクエスト)で、「赤毛のアン」にちなんでカナダ産のブルーベリーを使用しています。

 須藤昌英

 

 

12月18日(水)「ほめて認める」から「学び成長する」へ

〇少し調べると昨日のアリとキリギリスの物語の結末や解釈以外にも、最近は興味深い2つの説(現代の日本版アリとキリギリス)があるようです。

【現代日本版アリとキリギリス その1】

酷暑の夏、毎日アリが一生懸命働いているとき、キリギリスは歌ってばかりいて遊んでいました。冬になり食べ物がなくなり困ったキリギリスがアリの家を訪ねるところまでは同じですが、ノックしてもアリの返事がありません。家の中でアリは死んでいました。いわゆる働き過ぎの「過労死」だったのです。

【現代日本版アリとキリギリス その2】

冬が近づき食べ物に困ったキリギリスは、自ら演奏会を開くことを考え、アリの家を訪ねてチケット代わりに食べ物をもらい、そのおかげで冬を過ごすことができました。夏の間は遊んでいたのではなく、しっかり音楽の勉強をして、キャリアを積んでいたのです。

〇前者は実際にこれまでも日本でも起きていることなので笑えないですが、後者は先日の本校一年生の生徒の授業中の発言と本質は同じです。だれでも得意な面をいかしていけばよい・・と明るい気持ちになります。

〇昨日に紹介した菊池省三氏の実践は、子どもや青年の成長発達に伴う心や行動の変化の過程を明らかにした教育心理学に沿ったもので、小学校はもちろん中学校のすべて教科の授業の基盤となるものでもあります。

〇菊池氏の著書「一人も見捨てない!菊池学級12カ月の言葉かけ(小学館)」の「はじめに」から抜粋させてもらいます。

初めて出会う子どもたちに授業を行う日々のなかで、私は「一時間の授業」をよりいっそう意識するようになりました。自分を開示し、友達と認め合う関係をたった一時間の授業でどのようにつくっているか。それは「私(教師)が子どもたちと一緒に成長していく」という思いを子どもたちと共有することでした。「どんな意見を言ってもいい」「間違っても大丈夫」「いろいろな意見があって当たり前」という安心感を持たせ、「自分の意見を話すことができた」「友達の新たな一面に気付いた」「みんなで考え合うって楽しい」と実感できる授業をつくりたいと思います。

言葉がけは「ほめて認める」視点が大切です。ほめて認めるというのは、プラス面に目を向けることであり、望ましい方向性を示すことでもあります。教師がほめて認める視点で子どもたちに言葉がけをすることで、子どもたちもまた同じ視点を持つようになっていきます。

(途中略)

教室はみんなで学び合うところです。そして、みんなが協力して一緒につくり上げていくものです。マイナスの場面があっても否定せずプラスに活かしていく言葉がけをすることが大切です。「主体的・対話的で深い学び」が現行の学習指導要領の大きな柱になっていますが、子どもの活発な学びは、自分に自信を持ち、お互いに認め合う信頼関係がある温かい学級が土台にあってこそ成り立つものです。

〇柏市は「第2次柏市教育振興画(令和3年度から令和7年度の5年間)」の中で4つの力(コンセプト、チャレンジ、コミュニケーション、コントロール)を4Cと銘打ち、バランスのとれた児童生徒の育成を目指しています。またそれとリンクするように先日も書いた富勢中学校区小中学校4校の共通の「児童生徒に身に付けさせたい力」を4つの柱を立てています。

                  

〇富勢中の実態からもう一度その4つの力を整理します。

【本校の生徒の実態】

・コミュニケーション(関わり合う力)については、地域の行事やボランティアに参加する生徒は、以前よりも少なくなってきている。しかし、他人の話をしっかり聞く姿勢を持っている生徒が多い。自分の考えを説明することが、若干苦手な生徒が多い。今後の課題といえる。

⇒1 自分を大切にし、他者を尊重する力

自分の意見や感情を大切にしつつ、他の人の気持ちや考えも理解し尊重できる力。多様な社会の中で、お互いを尊重し合いながら成長するための基盤となる。

キーワード: 「まずは自分が大切、ならば皆も同じく大切にしよう!」

【本校の生徒の実態】

・コントロール(自律する力)については、どの学年も学習に意欲を持って取り組む生徒が多い。学校の決まりやクラスで決めたことを守ろうとする意識が高い。

⇒2 考えを伝え、協力する力

自分の考えや意見をしっかり表現し、他者と協働して物事を進める力。チームでの協力やコミュニケーションを大切にし、共に目標を達成できるようになる。

キーワード: 「親しくはない仲間の中でも、お互いに考えを伝え合おう!」

【本校の生徒の実態】

・チャレンジ(挑戦する力)については、物事に取り組むときに、あきらめずに粘り強く取り組み事ができる生徒が多い反面、失敗を恐れずに挑戦する意欲は、若干弱い。

⇒3 しなやかに挑戦し続ける力

困難に直面しても、失敗を恐れずに挑戦し、学び続ける力。未来に向かって、自分の道を切り開くために必要な自己肯定感や、柔軟な思考を身につける。

キーワード: 「失敗を失敗のままで終わりにせず、それを活かそう!」

【本校の生徒の実態】

・コンセプト(見通す力)については、分からないことは、そのままにせず、人に聞いたり、自分で調べたりすることができる生徒が多い。その反面、計画的に取り組むことは、若干弱い。

⇒4 社会で活かせる学びの力

基礎学力をもとに、実社会で必要な知識やスキルを使いこなす力。自分の興味を活かしながら、これからの社会で役立つ力を身につけていく。

キーワード: 「学んだことのエッセンスを、自分の将来のベースとしよう!」

〇特に朱字の4つのキーワードは、学校全体で合言葉のようにしていきたいです。本校にはアリやキリギリスだけでなく、それぞれ独自の個性をもった生徒がいます。それをほめて認め、自分から学び成長していく生徒たちを支援していきます。

須藤昌英