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校長雑感ブログ

2月25日(火)見方・考え方を身に付けることの重要性

〇1学年数学を担当していた宗形教諭が先週から産前休暇に入り、私が4クラスの数学の授業の一部を来月まで担当しています。ただし宗形教諭は授業で行う教科書の内容をすべて終えていますので、私は1学年の内容を復習や補強をするようなスタイルで授業を行っています。

〇最初の授業では、「算数と数学の違いは?」から入りました。小学校の算数は実生活を基盤とした具体的な数理(長さ、重さ、広さ・・・)、を対象としますが、数学はそこから余分な概念をあえて除きもっと抽象的な世界でイメージすることの違いがあります。

〇まず先週行われた「千葉県公立高等学校入学者選抜」の数学問題の最初を提示しました。これは1年の学習なので、配点は5点です。生徒は「え~」と驚いていました。この他に図形の問題でも1年生で解答できるものがありますので、「君たちも2年後には受検しますが、特に数学は学習内容を積み上げする特徴のある教科なので、コツコツと復習をして土台を固めることを心掛けてください」と話しました。

〇普段から人間は思い込みで生きています。「〇〇だから●●だ」と、自分の経験や人の意見を信じて物事を判断しています。ただ時々、「本当にそれでいいのか?他に考えはないのか?」を疑ってみることも大切です。数学は別の見方や考え方がないか・・と思考を広げることに楽しさがあるので、そのことも触れてみました。

〇また計算の決まりとして、乗除法は加減法よりも優先して計算をするという約束は知っていても、「どうしてそうしなければならないの?」と問われると、「どうしてだっけ?」になります。時々それも振り返ってみることで、計算の本質がつかめ、計算ミスも防げます。法則や規則の根底をつかめるようにしてもらいたいと思っています。

〇1時間を通して、「数学的な見方・考え方の重要性」にふれ、多角的・多面的な見方をするためには、「本当にこれは正しいのか?」「この他に方法はないのか・・・」などを常に自分に問いかけることを生徒達には伝えました。

〇数学だけでなく全ての教科にはそれぞれ特有の「見方・考え方」があり、授業の内容を学習することを通して、その「見方・考え方」を身に付けさせるようにすることが大切です。年月が経つと、やがて学習内容は剥がれ落ちていきますが、見方・考え方はいつまでも残り、その人の思考の基盤となります。

須藤昌英

2月21日(金)ヒトはなぜ、歩くのか?(その2)

〇昨日紹介した雑誌にもう一人、元陸上競技日本代表で現在は会社代表をしている為末大氏の「歩いていると、どんどん思考が深くなります」という記事も注目に値します。

〇為末氏は、男子400mハードルの日本記録保持者で、2001年世界選手権で日本人初の銅メダル、2005年ヘルシンキ世界選手権で銅メダルを獲得。 初めて日本人が世界大会トラック種目で2度メダルを獲得するという快挙を達成しています。このようなトップアスリートの考えは説得力があります。

〇また一部を引用させてもらいます。

「25年間のアスリート人生にピリオドを打ったのは、12年前。カラダを鈍らせないため、引退後はジムに通ったりランニングしたり。でも筋トレは性に合わず、ランでは現役時代に酷使した膝に痛みが生じがちでした。それで7.8年前くらいから歩き始めました。歩いているだけで思ったより太らないし楽しい。だったら歩きでいいかなと。ランとウォークでは体感的にエネルギー消費量gは数倍違うような感じがしますが、実際には30分走るのと1時間歩くのとではそんなに違わないんです。(略)現在のところ、一日の目標歩数は1万2千歩程度。都内なら目的地の2.3駅前で降り、散歩感覚で歩く。(略)僕は油断すると『そもそも○○とは何か?』と考えてしまうんです。その考えを巡らせている間はほとんど歩いています。歩いていると思考がどんどん深くなっていきますね。電車の中での移動中に本を読んで、そのまま電車を降りて歩きながら自分の頭で考えて、たどり着いたカフェで何かを書き始めるときれいなコンポ(組合せ)になります。思うに、脳内の接続みたいなものは脳の活動だけではつくりだすのは難しいんじゃないかと。基本的に人間は狩猟採集活動をすることで脳の接続を進化させてきました。だから身体活動で血流がよくなって異なる接続パターンが生まれたときに、ひらめきが得られると思うんです。

〇この記事を読む前から為末氏については、現役選手にもかかわらず知的なイメージがあり、引退後も身体に関する様々な本も書いたりYou-tubeでも多くの動画を投稿したりしていましたので、関心をもっていました。

〇特に上記の内容では、「思考と身体の関連性」について、特別な人だけの限られた感覚ではなく、誰でも身近に経験していることを書いているところに一番感心しました。これは昨日の青山学院大学の福岡教授と共通です。

〇2月5日のブログに、人間の脳は、「ボーッ」としている方が、何かを考えているときよりも多くのエネルギーを使っていて、そのデフォルト・モード・ネットワークが働いているときは、あらかじめ蓄えられた情報がそれぞれ結びつきやすくなり、新しいアイデアや発想が生まれやすくなる、つまり「創造性」に富む可能性があると書きました。これとも通じるものがあります。

〇私がこのブログで研究者などの話を引用する場合に、「人間の身体や宇宙の神秘みたいなことが多いのでは・・・?」と読んでお感じになっていられる方もいると思います。それはその通りで、私の一番の関心は常にそこにあります。

〇脳も含む人の身体はまだまだ不明瞭な部分が多く、これから解明されるだろうと思われるものもあります。例えば、「なんで手や足の指は5本なのか?」「どうして心臓の位置が少しだけ左寄りなのか?」など、まだまだあります。またそれは未知な宇宙を研究している方々のテーマと同じではないか?と思っています。

〇身体や宇宙の話からからいつも連想するのは、生徒たちの可能性の無限さです。自分が中学生くらいの頃、「将来自分はどんなことができるようになるのか・・」「でも今のままでは大したことはできないのではないか・・」などといつも期待と不安が入り混じっていました。

〇でも60年以上生きてきて今は生徒たちに、「大丈夫、あなたたちには自分でやろうと思ったことを実現するための力が、もうすでにその身体に潜んでいるからね」と自信をもって言ってあげられます。というか、そういうことを校長という立場ではなく、大人として伝えてあげなければいけない・・とさえ最近は感じます。

〇歩くこともその一つです。「歩くことなんてただの移動にすぎない・・」と私も若いころには割り切っていました。また思春期には時々部屋に閉じこもってあれこれと考えることも大切ですが、それに飽きたら思い切って外へ出て、自分の五感で感じたことを大切にしてもらいたいです。

須藤昌英

2月20日(木)ヒトはなぜ、歩くのか?(その1)

〇昨日までの千葉県公立高等学校入学者選抜で本校では、具合の悪い生徒などはおらず、全員無事に終えました。したがって追検査を受検する生徒もいません。結果は来月の4日です。良い結果を待ちます。

〇今日から来月の卒業式まで、20日間をきりました。3学年は来週から特別日課になります。生徒たちには3学年がそろって生活する残りの日々を大切にしてもらいたいです。

〇一年前のくらいの雑誌「Tarzan(ターザン)」に、生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一氏が、表題のテーマで随筆を投稿していました。その一部を引用させてもらいます。

〇まず副題が「誰に教えてもらわなくても、ヒトはあるとき歩き始める。実はそれは、生き物としてのとても希有で難しいアクト。大人になると我々は歩くことを億劫に感じてしまう。実はそれは、生き物としての在り方から遠ざかる行い。そもそも『歩く』という行為にどんな意味があるのか?」とあります。思わず内容に引きずり込まれてしまいました。

CHAPTER1(直立二足歩行の恩恵)

〇人間は生物の中でも非常に特殊な存在です。特殊性の一つは直立二足歩行をするということ。アライグマは立てますが一瞬ですし、鳥やかつて存在していた恐竜は二足歩行ですが体幹が前傾していて直立ではありません。重心が足の真上にあってすっくと立って歩けるのは人間だけなんです。

〇それ以前に比べて高いところから遠くを見渡せるようになり、獲物や敵をより早く見つけるようになりました。また手が使えるようになって、道具が扱えるようになり、同時に手をコミュニケーションの道具として使えるようになりました。肉親や友達などの手助けをし、これが他者と共存し共生する、利他的な行為になったと考えられます。

CHAPTER2(歩きこそ、動的平衡)

〇まず2本の脚で立つということが難しいんです。カラダの中を血液が循環していたり呼吸をすることで重心が常にゆらいでいるので、常にバランスを取り直さなければならないからです。この動きながらバランスを取ることが生きていることの本質、動的平衡です。

〇歩いて前に進むには一歩踏み出さなければならない。その結果、一本脚で立つ瞬間が生まれます。これは立つ以上に不安定な状況。でもあえて不安定な状態をつくり出すことによって、前に進む推進力を生み出す。そして不安定さを回収するために次の一歩を踏み出す。

CHAPTER3(生物の老いと、歩き)

〇「エントロピー増大」という宇宙の大原則があります。これは形あるものはいずれ必ず形がなくなる方向にしか動かない。(略)歩くという行為も同じです。元気なうちは脚を高く上げて大きな不安定さをつくり出せますが、歳を取ると筋力が衰えて、推進力も鈍くなります。

〇動物は常に新しい環境を求めて動き回ります。(略)ところが今は、インターネットやAIが何でも教えてくれる。自分自身が移動して新しい者を探索するのではなく、寝転んでネットを世界に触れられるので動いているという錯覚に陥ります。でもこれでは、エネルギー代謝も鈍るので、動的平衡の行為を放棄することになってしまいます。

最後に・・

〇脳は五感からさまざまな外部情報を取り込んで、それを交通整理する器官。予測不能な自然の中で感覚器官を全方位的に開いているときこそ、新しい思考が浮かんできます。歩こう。水辺を、公園を、森の中を。

〇いかかでしょうか?歩くという当たり前のことも、人類史上では多くの経緯があってのことだがわかります。私も意識して月に数度は、徒歩で出退勤をしています。自宅から学校へはたった2㎞(往復4㎞)ですが、朝や夕方に歩いていると、見慣れた風景でも新しい発見があって楽しくなります。自動的に様々な思いや新しい考えが整理されているような感覚を覚えます。

〇3年生との校長面接では、「何かを覚えたりするときに歩いたり口に出したりすると記憶に残りますよ」と数人にアドバイスしました。まさに福岡教授が指摘しているとおり、手足などの感覚を研ぎ澄ますことは、良い面が多くあります。人口知能AIは、自分の興味や関心などに関係なく多くの知識を蓄えていますが、ヒトは好きなことや知りたいことを徹底的に探究すれば良いので、その為には歩くのも有効です。

須藤昌英

2月19日(水)3学期期末テスト(1・2学年)

〇昨日の3年生の千葉県公立高校入学者選抜は、公共交通機関の遅れから、すべての高校で開始1時間遅れのスケジュールに急遽変更されました。ここまで大きなトラブルは私も経験した記憶がありません。

〇その後は無事に終わったようですが、引き続き今日も実施されます。それに合わせて、1・2年生は今年度最後の定期テストを昨日から受けています。

〇朝の登校時間にも参考書などを手に抱えている生徒も多く、意気込みが感じられます。中学生期は一生の中で一番、知識や技能を脳に蓄えたり身につけたりすることの出来きやすいので、今の自分(物忘れが徐々に多くなって)を考えるとうらやましい気がします。

〇前にも書きましたが、東大薬学部教授の池谷裕二氏よると、そもそも勉強は「復習」に主眼をおくべきで、覚えられる範囲をストレスなく覚えること、これが記憶の性質に適した学習方法です。比でいうと、『予習:学習:復習=0.5:1:4』が理想的だそうです。

〇池谷氏は、「脳の海馬という部位に入ってきた情報が溜まっている期間は、情報の種類によって異なりますが、短いと1か月程度です。海馬は情報を1か月かけて整理整頓し、『何が本当に必要な情報なのか』を選定しています。もし入ってきた情報を際限なく記憶していくと、脳のキャパシティーはいっぱいになり、パンクしてしまうということでしょう。」と指摘しています。

〇また心理学者ビネーは、「脳はインプット(入力)よりもアウトプット(出力)を重要視している」と示しているところから、復習の中でも手で書いたり口で話したりすること(アウトプット)で、海馬に「この情報はこれほど使用する機会が多いのか、ならば覚えねば・・」と判断させ、「短期記憶」から「長期記憶」に格上げさせることが有効な方法です。

〇つまり「詰込み型(ガツガツと一方的に覚える)」よりも「知識活用型(余裕をもって双方的に身体を使ってみる)」の方が効率的だということです。そのようなことから教科書や参考書を何度も見直すよりも、問題集などを何度も解く復習法の方が良いと言われています。

〇当然毎回の定期テストも「1つのアウトプットの機会」と考えられます。テストへ向けて準備をしてきたことを一気に押し出すように解答用紙に吐き出すイメージでしょうか。ただし私もそうでしたが、学習したことを正確にアウトプットするのも結構大変で、「失敗(不正解)」することも多々あります。

〇しかしまたその失敗が脳に強い刺激を与え、「あのとき失敗したからこそ今ではそのことをきちんと覚え理解できている」ということもあります。生徒たちの奮闘を期待します。

須藤昌英

【武道場前の紅梅は6分咲き】

2月18日(火)千葉県公立高等学校入学者選抜

〇いよいよ本日と明日、千葉県立及び柏市立高等学校の学力検査が行われます。昨日の給食の時間は、いつもよりもどことなく大人しく緊張感をもっていることを感じました。無事に自分の力を出し切れるように祈っています。

〇合同帰りの会を事前指導として体育館で行い、確認事項(時間、持ち物や身だしなみなど)に加え、「トラブル対応」も話しました。

【受検票を忘れた】

・あわてずに受付に『学校名、氏名、受検番号等』を申し出て相談する

・受検票は合格発表の際も必要なので、受検後も大切に保管する

【電車やバスを乗り間違えた】

・できるだけ公共交通機関を利用する(ただし感染症対策で車の場合は保護者判断)

・もし待ち合わせの相手がいてもその場所に時間とおりに来なければ、自分一人で予定通りに高校へ向かう

・もし間に合いそうになかったら、直接志望校に公衆電話等や近くのコンビニにお願いして連絡する

【体調不良(感染の疑い)】

・前日までに判明した場合には、富勢中に連絡する

・当日の場合には、直接志望校に連絡し、その後富勢中にも連絡する

・追検査(27日)を受けることになった場合、はやい回復を目指してしっかりと休養する

〇千葉県の入学者選抜の歴史をさかのぼると、今から38年前までは、一部の専門学科を除きすべての普通科では、1回のみ(2日間で行う学力検査等)でした。その後当時の文部省の通知で「受験機会については、同じ高等学校においても定員の一部を留保して、入学者選抜を2回にわたって実施するなど、受験生に複数の機会を与える工夫をすることが望ましい」とあったのを受けて、昭和61年度から平成14年度までは、「推薦」と「一般」に分かれ、徐々に募集定員に対する推薦枠を拡大(普通科で最大40%)していきました。

〇さらに平成15年度から22年度は、「推薦」に変わり「特色ある入学選抜」が導入され、生徒の多様な能力・適性等を多元的に評価するようになりました。そしてその理念を継承しつつ、3年前までは、「前期選抜(2月中旬)」と「後期選抜(2月下旬)」の2回行っていました。確かに受験生にとっては2回受けられるという精神的な安堵感や受験パターンを戦略的に構築できるなどのメリットはありました。

〇上記のような入学者選抜の推移をみると、単純に言えば今の制度は40年前に戻っているということですが、中学校の校長としては、「いつまでこのような選抜を行うのか・・、志願者はすべて入学させるような制度はいつになったら構築されるのか・・、少なくともそうなるための選抜方法の議論を不断に継続してほしい・・」などの疑問や要望があります。

〇学力検査(国語・社会・数学・理科・英語:マークシート解答)以外の検査については、各高等学校が決めて実施しています、いくつかを紹介します。

・面接(複数の面接官と受検生の個人面接や集団討論など)

・適性検査(作文・小論文を書く、運動・音楽の技能の検査など)

・自己表現(当日にパフォーマンスや実技等を行うなど)

・思考力を問う問題(論理的思考力や表現力などを問う内容)

〇公立高等学校を受検しない3年生は、1時間だけ登校しその後下校します。私立高等学校へ内定をもらっている生徒がほとんどですが、かれらも仲間の健闘を心から願っています。

〇過去には2月は雪の影響などで、受検会場に行くことを心配したことがありましたが、今日と明日はそれはないので、防寒対策をしっかりして、全力を出してほしいです。ガンバレ!126名!!

 須藤昌英

【朝から良い梅の香りがただよい3年生を応援しています】

2月17日(月)令和7年度学校教育活動年間計画の作成 

〇暖かい週末でした。あちこちで梅の花の香りがし、少し身体を動かすだけで、汗ばむようでした。1・2年生も定期試験前でしたので、自宅で準備をしていたようです。

〇ただまた今夜あたりから寒波がくるそうで、明日と明後日の公立高等学校の選抜試験に臨む3年生には、万全の体調を確保してもらいたいです。健闘を祈っています。

〇あと6週間あまりで、4月を迎えます。現時点で令和7年度当初の予定として、始業式は4月7日、入学式は4月10日(ただし中学校は午後)と決まっています。

〇これは柏市内の小中学校で統一です。同様に各学期の始業式・終業式、夏・冬・学年末の休業期間などはあらかじめ市教育委員会から通知されています。

〇その他の学校行事は、校長の責任の下に各学校で決定します。本校でも昨年末から検討を続け、来週の職員会議で最終的な案を決めていく予定です。

〇そもそも学校教育は、人間性豊かな生徒の育成をめざして、組織的・計画的に行われるものです。そのために、各学校では、適切な教育計画を作成し実施することが求められています。

〇教育計画の中でも、生徒の指導に直接かかわる「教育課程」は、教育活動の根幹をなすものです。その教育課程とは、「学校教育の目的や目標を達成するために必要な教育内容を、生徒の心身の発達に応じ、授業時数との関連において総合的に組織した学校の教育計画」です。

〇具体的には、各教科(9教科)、道徳科、外国語活動、総合的な学習(探究)の時間及び特別活動について、学年に応じて、その目標、内容、指導に充てる時間等を組織的に配列したものです。

〇教育課程の編成の基準である学習指導要領の総則(文部科学省発行)に、教育課程の編成の原則として、「各学校においては、学校の教育目標の具現化を図るために、さらなる創意工夫を加え、適切な教育課程を編成しなければならない」と記述があります。

〇視点を広げれば、よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を学校と社会とが共有し、それぞれの学校において、必要な教育内容をどのように学び、どのような資質・能力を身に付けられるようにするのかを明確にしながら、社会との連携・協働によりその実現を図っていくことが重要です。

〇学習指導要領では、教育課程全体を通して育成を目指す資質・能力を、ア「何を理解しているか、何ができるか(生きて働く「知識・技能」の習得)」、イ「理解していること・できることをどう使うか(未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力等」の育成)」、ウ「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性等」の涵養)」の三つの柱に整理するとともに、各教科等の目標や内容についても、この三つの柱で整理されています。

〇さらに、資質・能力の育成が実現されるよう、単元や題材など内容や時間のまとまりを見通しながら、生徒の主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を行うこと、その際、各教科等の「見方・考え方」を働かせ、各教科等の学習の過程を重視して充実を図ることが示されています。

〇先ほどの行事の実施日も大きな視点で 式行事(入学式、卒業式など)、学校行事(体育祭、合唱コンクール、定期試験、避難訓練、授業参観など)、旅行的行事(修学旅行、林間学校、校外学習)、生徒会行事(新入生歓迎会、3年生を送る会、生徒総会、生徒会選挙など)をバランスよく配置していきます。

〇ただし一度は決めたものでも、諸事情の変化から新年度がスタートしてからの予定の変更もこれまでありました。これはもちろんできるだけ少ない方がよいことは承知していますが、その場合にはできるだけ早めにお知らせをしていきますので、ご了承ください。

〇特に来年度の大きな変更点としては、これまで三学期制で実施してきたのを二学期制への変更を検討しています。前期と後期の入れ換えは10月初旬となる見込みですので、また正式に決まりましたらお知らせします。

須藤昌英

【作成中の令和7年度年間行事予定表:あくまでもイメージです】

2月14日(金)小惑星が地球に衝突する?と宇宙への憧れ(その2)

〇昨日の強風には閉口しました。乾燥しきった土埃がそこら中に舞い上がり、玄関や窓を閉めてもどこからか廊下や教室に入り込み、朝に清掃した意味がなくなるくらい汚れてしまいました。

〇また昨日は、窓拭き業者による清掃がありましたが、始まってすぐに業者の方が職員室に来て、「命の危険があるので、作業は後日に延期させてください」との申し出がありました。確かに4階まである校舎の窓を拭くのは、プロでも危険だと思います。

〇私も昨日は数回うがいをしたりいつもよりも入念に手洗いしたりしました。どこか喉がガラガラして目もいつもより乾燥気味でした。花粉症の生徒に声をかけると、「つらいです」と言っていました。受験生の体調が悪くならないように・・と願います。

〇その分今朝の校庭は穏やかで、いつもよりも多くの鳥の鳴き声が響いていました。春は近づいています。ただ今朝の清掃の時間は、いつもより生徒たちに頑張ってきれいにしてもらわないといけません。

【昨日の小惑星(隕石)については、まだ書きたいことがありますが、この先はやたら長いので、興味のない方は読み飛ばしてもらってけっこうです。】

〇45年前くらいの高校生くらいの時に、もう一つの興味深い学説を知りました。それは「地球の生命の起源は、隕石によってもたらされた」という仮説です。

〇その説によると「誕生してしばらく経った頃の地球に存在していたのは水、アンモニア、二酸化炭素などの無機化合物ばかりで、生命の元となるアミノ酸やDNA、RNAを構成する核酸塩基などの有機物は無かった。それが隕石が地球に衝突したことで、それらの元素がもたらされた」というから驚きです。

〇もしこの地球外の宇宙から我々生物の起源がもたらされた説が正しいのであれば、そもそも私たちは「地球人」というよりも「宇宙人」だということになります。高校生の私は常識を疑うことをこのことから教わりました。

〇その話とも関連しますが、宇宙を考える一つの材料として、「地球カレンダー」というのがよく知られています。簡単に言えば、地球の約四十六億年におよぶ歴史を一月一日から始まる一年(365日)に見立てたものです。

〇地球ができて一億年が経った頃、地球カレンダーでいうと一月十二日に月と地球が分かれたというのが宇宙学会では定説のようです。原因は大きな隕石が地球に衝突したからで、この時にまっすぐに垂直だった地軸が23.4度斜めにずれたそうです。そのおかげで今の春夏秋冬の四季が生まれたのです。

〇ここではなぜ地軸がずれると四季ができるのかを説明しませんが、丁寧にその理由をたどると、「なるほど!」と納得できます。

〇四十一億年前、地球カレンダーの二月九日に水ができたそうです。三十八億年前、地球カレンダーの二月二十五日、最初の生命(微生物)が生まれました。二十七億年前、五月三十一日で酸素ができました。

〇酸素というと体に必要なものと思いますが、もともとは有害な毒でした。シアノバクテリアという微生物が水を分解して酸素を出し、この酸素が大量に発生したことによって、シアノバクテリア自身も死んでしまったようです。

〇自分で出したものが、自分に降りかかってきたということは、ただいま人間がたくさんのプラスティックなど生み出して使っていますが、それによって環境や人体に悪い影響を与えているのと同じようだなと感じます。

〇二十四億年前、六月二十四日、マイナス五十度という氷河期だったのでそうです。二十一億年前にあたる七月十日に細胞に核を持つ真核生物が誕生し、これによって生命に多様性が生まれたそうです。

〇十一億年前にあたる九月二十七日、多細胞生物が生まれました。六億年前にあたる十一月十四日、オゾン層が形成されて、この厚さわずか3mmのオゾン層によって有毒な紫外線を遮ってくれるようになりました。

〇五億年前にあたる十一月二十日、生物が多様化して魚類が現われ、四億二千万年前、十一月二十八日頃、魚類から両生類に別れて陸にあがるようになりました。

〇受精卵が胎内に宿って一月ほどたつと、受精卵が魚類から両生類、は虫類、哺乳類へと進化を遂げてゆくので、出産前のつわりが起きる頃というのは、海から陸にあがるときだという話は知っていましたが、深い話です。

〇三億年前の十二月三日昆虫が現れ、二億五千年前の十二月十三日、恐竜の時代になりました。また最古の哺乳類はネズミのような小さいものだったそうです。恐竜に襲われないように、夜行性になっていたそうです。今も哺乳類の七十%は夜行性とか、人間にも夜行性があるのは、この頃の名残りなのでしょうか。

〇十二月二十六日に鳥類が出て、十二月二十七日あたりから哺乳類が繁栄しました。四百万年前、十二月三十一日午後四時になって、ようやくアウストラロピテクスが現われました。今の人、ホモサピエンスは午後十一時四十分頃なのだそうです。

〇午後十一時五十八分五十二秒から農耕牧畜が始まったそうです。五十九分三十秒になって世界の多くの宗教が始まりました。五十九分五十八秒で産業革命、地球カレンダーではたった二秒でこれだけの産業を発達させたといえます。

〇人生百年といっても地球の歴史では、たったの0.2秒なのだそうです。ただし地球誕生の前の宇宙創始は、今から百三十八億年前ですので、さらにその上をいく壮大さです。

〇強風がたった一日吹いただけでも右往左往している我々も、もう少し視点をあげていく必要がある?と感じます。

須藤昌英

【誕生から46億年経った地球】

2月13日(木)小惑星が地球に衝突する?と宇宙への憧れ(その1)

〇昨夜は満月が一晩中空で輝いていました。地球から見たとき、月と太陽が正反対の方向にあると満月になりますので、満月は夕方太陽が西に沈むのと入れ替わりに東の空に昇ります。一番身近に宇宙を感じる場合です。

〇最近ちょっと怖いですが、宇宙のイメージが一気に広がるニュースを聞きました。その見出しが「新発見の小惑星、地球衝突の可能性が『2.2%』に上昇と欧州宇宙機関が発表」でした。

〇去年末に発見された小惑星が、「現時点で7年後に2.2%の確率で地球に衝突するおそれがある」と推定され、今後も注意深く観測を続けるそうです。

〇この小惑星の直径は40メートルから90メートルとみられ、2032年12月22日に2.2%の確率で地球に衝突する可能性があるということです。

〇常に欧州宇宙機関では、地球に近づく可能性がある1700以上の小惑星を追跡しリストにしていて、今回の小惑星は、現時点で潜在的な衝突の可能性がもっとも高くなっているそうなのです。

〇この大きさの小惑星は数千年に1度の割合で地球に衝突していて、衝突した場合、地域に深刻な被害を与えるおそれがあるということです。想像すると恐ろしいです。

〇2022年に「NASA=アメリカ航空宇宙局」が小惑星などが仮に地球に衝突すれば大きな被害が出るおそれがあるため、小惑星に探査機を衝突させ、軌道を変える実験を行ったニュースの時も、私は「そんな時代になったのか」と衝撃を受けました。

〇小惑星(隕石)と聞くと、中学生くらいの頃、過去に繁栄していた恐竜が絶命した最有力な原因として、「隕石衝突説」があるのを知りました。私は恐竜が大好きとまではいきませんでしたが、今繁栄している人間も、「もしかしたら恐竜と同じ運命に・・」と当時はけっこう真剣に考えたのを覚えています。

〇近年の学術誌によると、ティラノサウルスやトリケラトプスの恐竜、翼竜や海竜などの爬虫類を絶滅させた隕石は、6600万年前に木星の向こう側からやってきて、直径10キロを超える大きさだったとされています。

〇この巨大な岩の塊はもともと地球の近くを周回していたのではなく、太陽系をはるばると旅してきた後、地球に衝突したというからスケールの大きな話です。

〇その巨大クレーターは、現在のメキシコ沿岸の海底にあるそうで、衝撃時には大規模な灼熱の波が発生し、何千年も続く冷たい冬が訪れ、そのせいで恐竜を含む既知の生物の70%超が絶滅したことが判明しています。

〇ただし恐竜などはこの時にほとんどが絶滅しましたが、恐竜の一つのグループである鳥類は生き延びていること、そして今も繁栄を続けていることも注目すべき点だと私は思います。「その生死の違いを分けたものはなんだったのか?」を想像することも楽しいです。

〇地上で生活していると、この地球が宇宙にポカリと浮かんでいることはほとんど実感としてありませんが、隕石が衝突するということは、間違いなくそれが事実であるという裏付けになります。

〇また常に地球が太陽の周りを公転しつつ自転していることは知っていても、地球が実際に宇宙空間を時速11万キロメートルというものすごい速さで動いていることは容易に想像することは難しいです。

〇ただこ確かに宇宙に関する知識をもつことも大切ですが、それ以上に宇宙の雄大さ、美しさ、神秘性を感じることができれば、少なくとも日常の些細な出来事など気にしなくなります。

〇結局、宇宙や自然は決して人間のために存在しているわけではなく、人間がその空間を「間借り」して生きているだけなのでしょう。

〇ある方が興味深いことを教えてくれました。私たちが空を仰いで宇宙だと思って見えている星空というのは、宇宙の3%程度で、残りの97%はわかっていないそうです。

〇この97%と3%の割合は体内でも共通らしく、六十兆あると言われる細胞のことも97%とはくわしくわかっていないのだそうです。また脳も全能力の3%しか使っていないというのです。不思議です。

〇近くの筑波研究学園都市には、宇宙開発の最先端を学ぶにふさわしい宇宙航空研究開発機構(JAXA)筑波宇宙センターがあります。ホームページには臨時展示室の見学予約サイトもあり、1度行きたいと思ってきましたが、まだ実現していません。

〇また中学生の中には、宇宙が大好きで将来はロケットの開発や宇宙飛行士に憧れている子がいます。未知なることへの興味とそれを探究したいという意欲は応援したいものです。

須藤昌英

【筑波宇宙センター】

2月12日(水)社会に対して個人ができる小さな貢献

〇昨日の午後、柏献血センター(柏駅東口徒歩2分)で400mlの献血をしてきました。1回で400mlをすると、最低でも12週以上は間隔をあけないと次の献血はできませんので、多くても年間3回が限度です。終わってから次の予約は5月6日としました。

〇私は成人過ぎくらいから気が向いたら程度で献血をしていましたが、定期的にするようになったのは、今から17年くらい前、勤務していた小学校の児童がある病気で緊急で多くの献血が必要となり、学校職員や保護者に献血の協力依頼があったのがきっかけです。

〇当時私は残念ながら事前の血液検査で必要な血の条件が合わなかったので、献血できませんでしたが、多くの人が自ら申し出ていました。そのことであらためて世の中には血を必要としている人が身近にいることを再認識しました。

〇以前は予約していても忙しいと忘れてしまうこともありましたが、最近はスマホで献血日を予約したり丁寧に前日と当日に予約内容を教えてくれたりするので、忘れることはありません。ただあと1年で紙の献血手帳も発行されなり、その後はアプリだけになるそうです。デジタルは便利ですが、少しさびしい気もします。

〇日本赤十字社のHP をみてみると、

「国内には、輸血を必要とする人が年間約100万人いると言われ、集められた血液の80%以上は、がんや白血病、再生不良性貧血などの病気と闘う人のために使われています。血液は人間の生命を維持するために必要な成分であり、体から一定量が失われると命に関わります。また、血液の持つ機能が正常に働かなくなると病気になったりします。このような患者さんを救うために輸血が必要となるのです。しかし、科学が進歩した現代でも血液は人工的に造ることができません。また、血液は生きた細胞であるため、長期間保存することができませ。患者さんに安定的に血液を届けるために、健康な皆さんの献血へのご協力が毎日たくさん必要なのです。病気やけがで輸血が必要となってしまうことは、皆さんが思っている以上に身近におこることです。輸血によって命をつなぐ人がいます・・・輸血によって笑顔を取り戻す人がいます・・・このような病気やけがと闘う人たちを救えるのは、献血ができる健康な皆さんだけなのです。」とあります。

〇特に、「科学が進歩した現代でも血液は人工的に造ることができません。」というところがいつも心に残っています。ここまで科学が発達すると人間はなんでもできるというような錯覚に陥りがちですが、これを読むたびに「まだ不思議なことだらけだな・・」と感じます。

〇200ml献血は、男女ともに満16歳以上からできますので、中学校3年生もはやければ今年から可能になります。また血漿(けっしょう)や血小板だけを取り出す成分献血という選択肢もあります。最初は少し怖いかもしれませんが、チャンスがあったら一回チャレンジしてもらいたいです。

〇少し前までの新型コロナの影響で、以前よりも10代~20代前半の献血ご協力者が激減していました。その解消の手立てとして、「善意などの社会規範に頼るのではなく、献血者に何らかの報酬を支払うことはできないのか」という議論もかつてはあったと聞きます。確かにそうなると協力者は増えるかもしれませんが、「血を売る」のようなマイナスのイメージが広がったりする可能性も否めません。難しい判断です。

〇献血者には、一般企業(飲料物、製菓、製紙、洗剤、医療、電機などの会社)からの寄付による品物が献血後に配付されています。私も待合室で好きな飲み物や菓子を無料で飲食させてもらったり、帰る時にはウエットティッシュ、マスク、消毒液、歯磨材、食器用洗剤などの実用品をもらったりしています。これは企業が社会貢献として献血をバックアップしてくれているということです。

〇正月に「はたらく細胞」という映画を観て、あらためて血液の重要性が腑に落ちましたので、今回は今までよりも充実感?があった気がします。献血の年齢制限は69歳までとなっています。私のできる個人的な社会貢献として、年間3回としてもあと7年で20回程度しかできません。そのためにも健康を維持していこうと思います。

須藤昌英

【柏献血センターの待合室】

2月10日(月)新入生保護者説明会&第55回柏っ子造形展 

〇7日に来年度入学予定の保護者の皆様に向けての説明会を行いました。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。疑問点などがありましたら、学校にお問い合わせください。

〇4月からのお子様のご入学を職員一同、お待ちしています。

 

〇柏市教育委員会の主催で、市内の小中学校の児童生徒の作品を展示する3つの展示会があります。9月に科学展、11月に技術・家庭科作品展、そして先週末は美術科の作品(柏っ子造形展)がさわやかちば県民プラザの回廊ギャラリーでありました。

〇学年ごとに出品した作品が異なっています。どの作品も個性が豊かで、創作した生徒の気持ちがよく表現されていると思いました。

【3学年】

石黒音羽さん「私の自伝×ONE PIECE」 染谷倖心郎さん「かっとばせ!!おにぎりくん」 向井晴香さん「もしもの未来」 宮前唯花さん「弟と私」 浦尾心美さん「my teeth」 杉﨑遥衣さん「夢を叶えるまで」 畔田江菜さん「自伝!!私とピアノ」 平塚美笑さん「MY STORY」 千葉月乃さん「道」  當麻日琉さん「自伝」

 

【2学年】

周 冉さん「2人の私」 成田千咲さん「冬の空」 櫻井唯菜さん「春と秋のコーディネート」 筒井杏子さん「TTシャツ」 大峠舞奈さん「Sunpatience Outfit」 中村 雅さん「超きっと大丈夫になれるTシャツ」 岩屋ケ野響さん「努力は必ず報われる」 宮原萌奈さん「いつも笑顔で」 平林穂乃佳さん「自分自身」 宮下るかさん「叶った夢」

【1学年】

重松聖菜さん「音楽の世界」 清水咲希さん「氷の城壁」 菊地 奏さん「星のカービィ 鏡の大迷宮」 黒川蒼太さん「ワンピース ロロノア・ゾロ」 大須賀香穂さん「Paradox Live 犬飼 憂人」 笹嶋美亜さん「ONE PIECE ルフィ」 木本乃愛さん「初音ミク」 武藤大雅さん「#7 クリスティアーノ・ロナウド」

〇本校だけではなく、さすがにどの小中学校の作品も素晴らしかったです。ちょっとした美術館のようでした。

須藤昌英 

 

 

2月7日(金)梅の開花と合格祈願

〇昨夕、千葉県公立高等学校入学者選抜における各高等学校別の志願倍率が発表されました。これにより1回に限り、志願の変更(志望校を変える、同じ高校内の志願学科を変える)の手続きをすることができます。手続き日は、2月12日、13日(ただし午後4時まで)です。

〇今日から本人と家族の意向を受け、担任と3学年職員は志願変更の手続きの準備に入ります。前にも書きましたが、私の経験からもこれは無暗に行わず、慎重に考える必要があります、理由として志願変更は「チャンスとリスクの両面」があり、場合によっては本人に心の動揺が残ることも過去にはありました。

〇手続きは本人とご家庭にしてもらいますが、少し複雑なので注意が必要です。まずすでに出願している高等学校へ行き、書類を引き取ります。次にインターネットによって新たに出願する高等学校へアクセスし手続きします。最後に中学校が作成した書類を新たに出願する高等学校へ出向き、提出して完了です。

〇昨日の朝、保健室前の梅が一輪咲いているのを発見しました。ここ数日間、つぼみが膨らんでいたので観察していましたので、見つけた時の喜びが大きく感じられました。冷たい風の中、日差しをたっぷりと浴びてどこか誇らしく咲いています。

〇梅は桜とよく比べられますが、梅の方が開花時期がはやく、「寒さを耐え忍んで咲く」というイメージがあります。厳しい状況でも美しく咲くので、つつましくても昔から人々の思いが寄せられてきたのだと思います。事実、平安時代には梅に関する多くの和歌が詠まれました。

〇特に有名なのが、学問の神様と言われる菅原道真(845年~903年:平安時代の公卿・漢学者・文人)が詠んだ

「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)」です。この和歌は、菅原道真がいいがかりともいえる罪をきせられ、九州の太宰府へ左遷される際、大事にしていた梅の木を前にして心をよせるように詠んだ作品だと、中学校の国語の時間で習い、当時に暗唱して覚えたので、今でも強く印象に残っています。

〇おおよその意訳としては、「春風が吹いたら、お前の匂いを(京から太宰府まで)送っておくれよ、かわいい梅の花。私(主人の菅原道真)がいないからといって、春を忘れてはならないぞ」くらいでしょうか?「東風(こち)」がなぜ春風のことであるのかは、少し調べましたら中国の自然哲学「五行説」からきているそうです。春という季節は、東の方角と関係が深く、同様に「東南西北」が「春夏秋冬」にあたるそうです。

〇菅原道真は天才的な学問の大家で人柄もやさしく、多くの人々から尊敬されていましたが、当時の政権幹部からその名声を疎まれ、あらぬ罪で左遷されました。本人には政治的な意図はなかったとされますが、京の都で学問を究めるという本懐を果たせず、さぞ悔しい思いをしたことでしょう。

〇その大宰府での生活は大変きびしくみじめで、気候や風土が変わったためもあり、最後は体調をこわし、都に残した妻子にも会えず、一説によると西暦903年2月に59才で亡くなったそうです。今から1120年前の2月です。

〇その後、京都では雷が落ちて火災がしきりに起こったり、伝染病がはやったりとよくないことがつづいたので、人々は菅原道真の霊がこのようなたたりをしているのではないかといっておそれたという話はとても有名です。

〇昨年の修学旅行でも、何クラスかは3日目に、京都の北野天満宮(菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社)に受験祈願供養で参拝しています。個人の参拝ですとお守りが多いですが、団体での参拝でしたので、学業成就の札をいただいてきました。

〇学問の神様の菅原道真公と比べることはおこがましいですが、私も校長として生徒の「学び続ける姿」をかげながら応援しています。特に再来週の公立高校受検には、3年生全員が自分の力を出し切れるようにと願っています。

〇合格することをよく「桜咲く」と言いますが、梅は可憐な花が咲いてその香りに特徴がありますので、「梅香る」がぴったりだと思っています。そういうことで、今年の梅の花はいっそう奇麗に咲いてほしいです。

須藤昌英

【北野天満宮勧学守護札】

2月6日(木)自己承認欲求(「いいね!」の功罪)

〇人間が社会の中で生きていく際には、様々なことに葛藤したり悩んだりしながら、理想を求めて日々過ごしています。その背景の一つとして、アメリカの心理学者マズローが提案した「欲求5段階説」があります。これは、人間の欲求を5段階のピラミッドに分けて考える古典的心理学理論です。

〇その中でも上から2番目の欲求である「承認欲求」は、誰もが持つ本能的な欲求であるとされています。「自分を良く見せたい、周りからよく見られたい」という劣等感に近い感情(自己肯定感の低さ)は、自己承認欲求と位置付けらます。

〇この「校長雑感ブログ」にも下欄に「いいね」の機能がついています。私としては「なくてもいいかな?」と思っていますが、何となく設定を削除をせずにホームページのフォーマットをそのままにしています。

〇ただ実際に「いいね」があると、全く気にしないというわけにはいかないのが人情です。上述のように私たちは誰しも「誰かに認められたい、受け入れられたい」と思う気持ちを持っていますので、その心理が無意識に働くのだと思います。

〇その「いいね」という機能について、功罪(または長所と短所)があるとも感じます。生徒たちも様々なSNSを使って情報発信をすることが当たり前になっている中で、一喜一憂しているという例も多く聞いています。

〇功(長所)の面からは、まず「人との共感性の見える化」が挙げられます。自分の意見や価値観に共感してくれた人数がわかれば、確かに悪い気はしません。しかも、その相手が目の前にいなくてもいつでも「いいね」がもらえ、満足感などを得ることができるのが「いいね」だとも言えます。

〇また前述の「承認欲求の充足」が挙げられます。特に中学生など思春期の若者は、自分の意見や価値観に自信がなかったり他人との比較を重要視することが多かったりします。そこで「いいね」は自分の考えを肯定してくれ、社会から認められているという感覚を与えてくれます。

〇さらに「所属感の獲得」が挙げられます。「いいね」は不特定多数の他人からの賞賛の声や同意の証として機能します。この「いいね」をもらえる機会が増えると、それだけ社会集団の一員として帰属意識が芽生えます。要するに、自分にとっての居場所が確保できたと受け止めやすい状況が作れるのです 。

〇一方で、今度はSNSの「いいね」が現代の人間心理に与えた罪(短所)については、段々と「もっと認めてほしい」などの依存性が出てくることがあります。これは心理学では「強化」と呼ばれています。依存性からさらに中毒性にまですすんでしまうと、治療が必要にもなるそうです。

〇厄介なのは、もっと「いいね」がもらえるように発信の回数が極度に増えたり、内容も「受け」を狙うようになり真実や自分の本当の気持ちからも乖離したことを発信するようになったりします。つまり、心の中が「いいね」に支配されてしまい、「いいね」がないと不安になったり焦ったりします。

〇さらにSNSを確認する回数や時間が増えると、画面を注視して視力の低下や頭を少し前へ傾き続ける姿勢が続くなど身体への影響が免れません。時には心身の不調を覚え、日常生活を送ることにも支障が出る場合もあります。 

〇また「喪失感や空虚感を抱きやすい」面が出てきても、自分では実感が湧きにくく気が付かないという特徴があります。最初が「いいね」がもらえて単純に喜んでいたのに、次第にその嬉しさや楽しさが減り、虚しさや悲しさを感じやすくなります。これは「いいね」を追い求めた反動・リスクとしてのネガティブな感情の生起で、注意が必要です。

〇これを書きながら「大人も同じようなところは少なからずあるなあ・・・」と感じました。昨日の「デフォルト・モード・ネットワーク(ぼんやりとした脳の状態)」とも関連しますが、自分の欲求を把握してある程度コントロールできるようになればいいな・・と感じます。

須藤昌英

 

2月5日(水)無駄な時間はない!?「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」

〇人は時として時間をもてあまし、何もしないで一日ボーッと過ごすということがあります。いわゆるコスパ・タイパ・スぺパなどの効率を優先する傾向の現代では、これを「時間の無駄」と切り捨てる風潮が強い気がします。

〇しかしその一方で、人が生涯にわたって学び続ける上には、この「無駄」と思われることが、脳科学の分野での研究がすすんだことにより、案外意味があるということがわかってきています。

〇それが「デフォルト・モード・ネットワーク(Default Mode Network)」という脳の状態で、端的にいうと、ぼんやりした状態の脳が行なっている神経活動のことです。

〇ある一つのことに集中したり注意が払われたりするのではなく、ただぼんやりとしてあれやこれやと雑念している時や睡眠中の脳が示す神経活動のパターンのようです。

〇これは車で例えられるとわかりやすいです。デフォルト・モード・ネットワークは、車のエンジンのスイッチはONになっていても実際には走行していない時の「アイドリング状態」です。車を運転しない方でも信号待ちの車のエンジンをイメージするとわかると思います。

〇日常生活の中で、人が何も考えずにボーッと散歩しているとき、一息つくために好きな飲み物を飲んでいるとき、身体がリラックスした状態で入浴をしているときなどに、デフォルト・モード・ネットワークは活発化しています。

〇脳神経外科医の奥村歩氏によると、脳は以下のプロセスで情報を処理しているのだそうです。

1 入力(インプット):五感を通して情報を収集する

2 整理:(DMN)入力した情報を取捨選択する

3 出力(アウトプット):言葉や行動として表す

〇デフォルト・モード・ネットワークが重要になるのは、2番目の「整理」段階で、この状態で自分の過去の経験や記憶を整理・統合したり、これから起きる出来事にどう対応したりするかを想定しています。

〇逆にデフォルト・モード・ネットワークの働きが弱いと、脳内で情報が整理されず、物が散乱した机上のような「脳過労」状態になり、インプットした情報が脳に定着しづらくなったり、脳の活動自体が低下してスムーズなアウトプットにつながらなかったりするといった恐れがあるそうです。

〇散らかった部屋を掃除すると自然と気分が爽快になります。同じく脳内にやたらにたまった情報をスッキリと片づけ、脳疲労を防ぐためにも、デフォルト・モード・ネットワークをオンにすることは重要です。

〇一番注目したいのは、デフォルト・モード・ネットワークの働きは「創造性」と関係しているらしいことです。これが活発になるとあらかじめ蓄えられた情報がそれぞれ結びつきやすくなり、新しいアイデアや発想が生まれやすくなります。

〇私も先ほどのように散歩や自転車に乗っているとリラックスして過ごす時間に、フッと「そうだ!あれをやってみよう!!」などの思い付きがあります。ただすぐにメモなどをしておかないと、後で容易に思い出せないこともあります。

〇早速このアイデアを実行に移してみるとどこか楽しく、たとえ予想通りの結果が得られなくても、「次はこうやってみようか」などのチャレンジする意欲につながっていることが多いです。

〇ただデフォルト・モード・ネットワークが活発化していると、脳内では通常時よりも数倍以上のエネルギーを必要としているそうです。つまり「ボーッ」としている方が、何かを考えているときよりもエネルギーを使っていることになり、意外な感じがします。

〇少し時間があると、大人も子どもスマホとにらめっこして、ボーッとする時間が少ないようです。残念ながら暇をしていてもスマホを操作している時には、脳内が整理されるのではなく、逆に情報が入ってきて散らかしていることになってしまいます。

〇もしご家庭でお子様が何もせずボーッとしていても、もしかしたら脳はその子に新しいアイデアを用意してくれているかもしれません。今度はぜひ「どう何か思いついた?」のような声掛けをしてみてください。

須藤昌英

2月4日(火)千葉県公立高等学校入学者選抜にかかる出願

〇本日から3日間(ただし6日は午前中のみ)、千葉県立及び柏市立柏高等学校の出願に係る手続き期間となります。今年から生徒本人が事前にWEB上の出願登録サイトでの受付を完了させ、それを中学校が確認した後、志望先の高等学校へ調査書等の必要書類を郵送するかたちに変わりました。

〇基本的に公立高等学校へ出願できる条件は、「県の内外を問わず、他の公立高等学校を出願していないこと」です。以前は入学願書にそのことを校長が証明する欄がありましたが、改定後は調査書の下欄に、「本書の記載に誤りのないこと及び貴校に応募する資格のあることを証明する」とあり、それに私がすべて校長印を捺印しています。

〇出願する高等学校の所在地は、柏市9校、我孫子市2校、鎌ヶ谷市1校、流山市4校、野田市2校、松戸市6校と広域になります。以前ですと本人が朝、学校で出願書類を受け取り、志願先の高等学校へ徒歩や公共交通機関等を使って行き、直接出願していました。それは学力検査等の当日の下見を兼ねるねらいもありましたが、今回は郵送ですので、本番までに再度経路を確認するように、学年職員が指導しています。

〇出願期間が終わる6日の夕方または7日金曜日に、ネットや新聞等で志願倍率が発表されます。その倍率を参考にし、1回に限り、志願の変更の手続きをすることができます(2月12日、13日)。ただしこれは無暗に行うと返って本人に心の動揺(変更することにはチャンスとリスクの両面がある)が残ることも過去にはありましたので、慎重に行わなければなりません。

〇この2つの手続きが終わったら、あとは18日と19日の学力検査等の当日になります。生徒のみなさんには、「最後は自分のやってきたことを信じて」と言ってあげたい気持ちです。不安を感じない人など一人もいませんので、自分だけが不安だと思わないでほしいと昨年の校長面接でも何人かには伝えました。

〇私も昔に受験した経験から思い出すことは、他の学校から出願した人見知らぬ人は皆、「自分よりも出来そうだ」とか「自信がありそうだ」などと思えます。しかしその人たちもすべて同じような気持ちでいます。できればたまたま同じ学校を受検した人は、「ライバル」というよりは「同志」だと思って、「お互い頑張ろう」くらいの気持ちでいる方が、気が楽になると今は思います。

〇本番直前にあえてこれまでの生活スタイルを変えるのはあまり好ましいことではありません。直前まで踏ん張って準備したい気持ちはわかりますが、最後の追い込みとして深夜まで勉強をしようとするのはやめた方が無難です。これも自分の経験ですが、そのことが果たして自分にあっているのか否かと思いあぐんだり、寝不足になったりと精神的・身体的負担がかかります。新しいことをする気持ちをあえて抑えて、今までの生活リズムを貫いていった方が良いと思います。

〇中学校の教員には、『十五(歳)の春は泣かせない』いう言葉が先輩の先生方から伝わってきています。義務教育9年間を終え、新たな進路先を自分で選ぼうとしている3年生。合否の結果は我々にはどうすることもできませんが、本人が努力してきた力を精一杯出し切れるように祈るしかありません。

〇学校(すべての在校生・教職員)をあげて3年生の健闘を祈っています。

須藤昌英

 

2月3日(月)節分と立春

〇昨日は「節分」で今日は「立春」です。昨日は雪が心配されましたが、この冬はここまで例年よりも暖かい気がします。ただ今週は寒さが予報されていますが、「立春」と聞くとますます春が近づく気がします。

〇今日の給食メニューは、節分にちなんで、「ご飯、鰯フライ、磯香和え、すまし汁、入り大豆」です。昔は家庭でも鰯の頭を焼いて柊の枝で刺した「柊鰯(ひいらぎいわし)」を家の玄関などに飾る風習があった記憶があります。

〇鬼が家に入ろうとした時に、鰯を焼いた強烈な臭いで驚かせ、柊の棘で鬼を刺し追い払うための魔除けの儀式だと親から教わりました。今は恵方巻と呼ばれる巻物などがスーパーで大量に陳列され、良い方角を向いて食べることが浸透しているようです。

〇また年齢の数だけ豆を食べることも風習としてあります。大豆は良質なたんぱく質ですから身体に良いとわかっていても、さすがに私も数え歳の63個は食べられませんでした。

 【節分給食】

 〇「節分」はその名の通り季節を分ける意味で、立春の他にも立夏、立秋、立冬の前の日はすべて「節分」の日です。つまり「節分」は年4回あります。その中でも特に春は新年の始まりでもあることや希望をもつという意味合いから、一説によると室町時代以降、特に春の節分が重視されるようになり、一般的に「節分」というと立春の前日を指すようになったそうです。

〇節分の日は太陽暦のカレンダーにおける大晦日にあたるそうです。この時期には中国などで、「春節」としてお祝いを盛大にするのをニュースでよく見かけます。私の自宅の近くにも中国の方がお住まいで、この時期は中国に帰っていることも多く、会うと楽しそうにその様子を話してくれます。

〇節分の日は新年を迎えるにあたり、鬼を退治するために豆が使用されます。昔はどの家庭でも豆まきを行っていました。一説によると、「魔(ま)を滅(めっ)する」という語呂合わせから「まめ」をまくようになったようです。

〇また日常でも「まめによく動く」などで使われるように、「まめ」という言葉には「体が丈夫で気が利く」という意味もあり、節分に使われる豆は「福豆」と呼ばれ縁起が良いものとされています。千葉県などは特産の殻付きの落花生を使うところもあると聞いたことがあります。

〇ではその鬼とは何を象徴しているのでしょうか?よく言われるのが、自分の心の汚い部分や弱い部分です。自分だけが得や楽をしようとしたり、相手を貶めたり意地悪をしたりする人は、少し反省することも必要でしょう。

〇誰しも「心の弱さ」はありますので、それから目をそらさずに、気づいたことはためらわずに、自分に取り入れていくことが「学び続ける」ことだと思います。自分の行動面で、普段からだらだら過ごしたり、なまけ心に勝てなかったりすることなども一つの鬼と捉えられるかもしれません。いずれにせよ自分を制御(コントロール)できるか否か、誰にとっても一生涯の課題とも言えます。

〇豆まきの時には一般的に「鬼は外、福は内」と言いながら豆を投げますが、これはご存じの通り、鬼(厄や邪気)は家の外へ、福(幸運や福の神)は家の中へどうぞ、という意味が込められています。鬼も「赤鬼は貪欲、欲望、渇望」の象徴で、「青鬼は瞋恚、悪意、憎しみ、怒り」を表しているそうです。自分自身の悪い心に豆をぶつけることで、福徳に恵まれることを信じて行われてきたのでしょう。

〇中学校では豆まきはしませんが、昨晩自宅で3歳の孫娘に「赤鬼さんやって!」と頼まれても、億劫がらずにやってあげられるのは、年齢を重ねたからかもしれません。

須藤昌英

1月31日(金)学校の長年の重い課題の一つ

〇最近もファストフード店や駅などの誰もが使用する施設で、刃物を使って人に切りつける事件が後をたちません。刺されて亡くなった中学生や大人も「まさか・・」という思いだったことだろうと思います。

〇今から24年前の平成13年6月8日(金)午前10時過ぎころ、大阪教育大学教育学部附属池田小学校に、出刃包丁を持った不審者が自動車専用門から校内に侵入し、校舎1階にある第2学年と第1学年の教室等において、児童や教員23名を殺傷した事件がありました。

〇犠牲者となった8名(1年男子児童1名、2年女子児童7名)と負傷者15名(児童13名【男子5名、女子8名】、教員2名)を知った時の衝撃は、今でも忘れることができません。犯罪史上、類を見ないこの痛ましい事件は社会全体に衝撃を与え、犯人は平成16年に極刑となりました。

〇私はその後、その犯人が公判で語った言葉を記録を読んで知り、身が引き締まる思いをしました。それは「もし門が閉まっていたら、乗り越えてまで入ろうとは思わなかった」でした。その言葉が犯人の本心だとすれば、各学校は常に複数ある門を閉ざしておかなければならず、そのためには門を常に監視したり警備員を配置したりしなければならなくなります。

〇文部科学省が作成した「学校の危機管理マニュアル」には、日頃からの不審者対策の要点がまとめられています。その冒頭には、

「学校には多くの方々が、様々な用事で訪れます。しかし、その中には非常に希ですが、正当な理由がなく校地や校舎に立ち入ったり、立ち入ろうとしたりする者があります。それらの者を不審者と呼びます。学校では、子どもを犯罪被害から守るため、施設設備の状況も踏まえ、まず必要な体制等を整備し、不審者かどうかを確実にチェックする必要があります」とあります。

〇さらに、「不審者かどうかのチェックをし、正当な理由のない者には、丁寧に校地・校舎内及び周辺からの退去を求めます。素直に応じた場合でも、再び侵入する恐れがないかを見届ける必要があります。また退去しない場合、再び侵入しそうになった場合には、速やかに持ち物や暴力的な言動の有無を確かめるなど次のチェックに移ります。」と続きます。

〇前に勤務した学校で1回だけですが、上記のような不審者に対応したことがあります。警察への通報や教育委員会に報告しつつ、近隣の学校に情報提供したり学区内のパトロールの強化をしたりしたことがあります。その後は事なきを得ましたが、生徒が自宅に無事に帰るまで、経験したことのない緊張感を職員全員でもった記憶があります。

〇私も一日の中で定期的に3つの門(正門、東門、西門)が閉まっているか点検したり、わざと目立つ蛍光色のビブス(防犯パトロールの方が着用している上着)を着たりして校内を回っています。もし不審者がこれを見たら、「それ以上の不法侵入を躊躇するのではないか・・」とのねらいがあります。

〇学校はすべての生徒にとって安全な場所でなければなりません。もちろん先ほどのように複数個所に防犯カメラを設置し、随時警備員が校内パトロールをすることが望ましいですが、現状はそこまでいっていません。今いる職員で可能な防犯体制を組みつつ生徒の危機意識の向上も図っていきます。

〇具体的には生徒が学校内に不審者の侵入や危険を察知した場合、速やかに教職員に知らせ,自他の危機を回避できるなど、安全な行動がとれる態度や能力を育成することが重要です。先ほどの「もし門が閉まっていたら、乗り越えてまで入ろうとは思わなかった」という不審者の心理を逆手にとり、学校は防犯意識が高いということをアピールしていくしかありません。

〇一時期は教員も不審者対策の研修として、さすまたや椅子、傘などを使って不審者の動きを止め取り押さえる演習も行っていました。しかし近年は行っていませんので、若手教員はその経験がありません。「忘れた頃に禍はやってくる・・」みたいなこともあるので、研修の計画も考えています。

須藤昌英

【学校の危機管理マニュアル:文部科学省より】

 

1月30日(木)思考のアウトプットの「書く」とワーキングメモリ

〇学校のすべて授業では、生徒の学びを広げて深めるために、4つの言語活動(聞く、話す、読む、書く)を大切にしています。どれも日常的に無意識で行っていますが、よく考えるとそれぞれの良さや違った負担感があります。

 

〇このうち「書く」ことが一番生徒たちにとって負担が大きく、前の3つ(聞く、話す、読む)を十分に行っていないと、「自分の考え・思いを書きだす」ことや「自分を客観的にみてそれについて書く」ことは難しくなります。

〇「書く」ことでいうと、生徒たちは毎日、その日の予定やあったことを記録するノートをつけています。そのノートは「タイムくん」というかわいい名前です。担任はそれを読んで、コメントなどを書いたり心配なときは直接声をかけたりしています。

〇やはりこれも「継続は力なり」で、書き慣れている生徒は苦も無く出来事やそれに関する自分の思いなどをスラスラ書いています。またそれに比例?するように、授業で使うノートなども効率よくまとめているようです。

〇頭の中の考えや思いを書き出すことにより、その文字を再度自分の目で見ることになります。そうすると自然と心が安定したりその後の事の処理をスムーズにイメージできたりとメリットがあります。

〇「ワーキングメモリ」とは “脳のメモ帳” とも呼ばれる脳機能のことですが、実際の科学的な実験で、書くことでワーキングメモリと精神的な部分の改善が見られたそうです。ワーキングメモリの役割として会話や読書、計算など、仕事や日常生活におけるあらゆる作業や動作に必要な情報を一時的に記憶し処理します。

〇このワーキングメモリを鍛えると、頭のなかで常に整理整頓ができている状態になるそうです。これらをふまえると、いまの悩みや関心事について書き出すことがワーキングメモリにいい影響を与え、頭のなかの整理整頓を助けてくれると考えらえます。

〇ただたとえ普段は頭の整理ができている人でも、過度に忙しくなったり、ストレスが続いたりすると、頭のなかは徐々に混沌としてきます。いつもは正常に機能している脳が、うまく働いてくれない状況になることもあります。頭の整理整頓における情報のアウトプットは、誰の脳にとっても有益だと言えるでしょう。

〇私も毎日2種類の記録をつけています。一つは仕事に関することで「執務記録」です。その日に学校内であった報告事項や今後の方向性などを記録しながら様々なアイデアが頭に思い浮かびますでてきます。これも書くことで頭が整理できていると感じます。

〇特に最近、自分の記憶力に若い頃よりは自信がなくなってきているので、1カ月前の記録を見ると「そういえば、こんなことがあった」と思い出せます。過去を整理できれば、これからの先の展望ももちやすいので、定期的に確認するようにしています。

〇もう一つは私的な「日記」で、こちらは市販の「十年日記」を使用しています。例えば10年分の「1月30日」が1ページに縦に並んでいますので、書く時にはページをめくらなくても、昨年や一昨年の同じ日に何があったかを見ることができて便利です。

〇またそれによって、「次は~をしておいた方がいいかな」などを考えるきっかけになります。ただ書くスペースは小さいので、あったことや感じたことを3行程度にまとめて書いています。

〇日々成長を続ける生徒が「書く」活動をするのは、上述のような記録を残すためよりも、新しい知識や概念を獲得した際に、それに対する自分の考えをアウトプットすることで、それを整理したり他の知識とのつながりを考えたりすることが目的です。もちろんその考えは常に変化しているので、自分の考えの変遷を振り返ることもできます。

〇「良くノートなどをきれいに書くこと」は大切ですが、それ自体が目的ではありませんので、最終的には自分だけがわかるような字体で書くのでかまわないと思います。ただ書いたものを人に提出する場合には、読む人が見やすく書くのも大切でしょう。

〇実際に私も「執務記録」や「日記」は字体を整えることはせず、殴り書きがほとんどです。そのような視点で今度お子様のノートを見たときには、「自分なりによく書けてるね。書いて残すことはよいことがあるね。」のような話をしてみてください。

須藤昌英

 

1月29日(水)学校が行う教育旅行の持続性について

〇昨今の物価高騰、インバウンド(訪日外国人客)の増加、バスの運転手や旅行会社の人手不足などの問題は一般社会だけではなく、学校教育にも大きな影響を与えています。

〇先ほどのさまざまな原因が複雑に絡み合い、公立学校の教育旅行(修学旅行・林間学校・校外学習など)がこれまでにない窮地に追い込まれています。それらの校外で行う学習は、とうてい教員だけの力ではどうしようもなく、専門の旅行業者との連携は不可欠です。

〇具体的には新幹線やバスなどの移動手段、宿泊先の予約や手配、見学場所の情報や調整をサポートしてくれる添乗員が必要で、それを含めて実施する旅行のほぼ1年前に学校としての基本計画を旅行業者に示し、旅行プランを立ててくれるように依頼していきます。

〇そこで従来ですと、大手旅行会社数社に見積もりをお願いすれば、各社が案を作成しその後学校で直接各担当者による提案(プレゼン)をしてもらって決めていました。ただ最近はそのプレゼンを辞退する会社も出てきました。

〇特にこの数年のコロナ禍で、教育旅行がピタリとなくなりましたので、旅行会社も人員を縮小したりしており、急にコロナ禍の前のように元に戻すのは困難なのは理解しています。前述の影響で明らかに費用も値上げされていますし、添乗員などの人手不足はどの業界も変わりありません。

〇先日、文部科学省から次のような内容の文書が各学校に通達されました。要約します。

「昨今の深刻な人手不足により、修学旅行等(修学旅行、遠足、社会科の見学、移動教室などの校外で行う活動をいう。以下同じ。)が集中する時期を中心に、貸切バスや宿泊施設の手配が困難な状況になってきております。こうした状況も踏まえ、修学旅行等を円滑に計画及び実施するため、地域の実情等にも鑑み、実施時期に係る柔軟な御検討をお願いします。なお、国土交通省及び観光庁において、修学旅行等の実施時期を御検討いただく際の参考としていただけるよう、都道府県ごとの貸切バス、宿泊施設の繁閑状況をまとめたリーフレットを作成したとのことで共有がありましたので、併せてお知らせします。 ついては、都道府県・指定都市教育委員会担当課におかれては、所管の学校及び域内の市区町村教育委員会に対して、本件を周知いただくよう、よろしくお願い申し上げます。なお、貸切バスや宿泊施設の繁閑状況について御質問等がある場合は、別紙記載の国土交通省及び観光庁へお問合せいただくようお願いします。(別紙)修学旅行等の実施時期の柔軟な検討のお願いについて(依頼)

〇要するに、「まずは旅行等の実施時期を適宜ズラすなどの検討をしなさい」ということですが、すでに来年度の予定については昨年から検討を重ねてきており、大枠は決まっているので、今のこの段階では微調整の段階です。実際に6月前半に2年生の林間学校(長野県方面)、後半に3年生の修学旅行(関西方面)がすでに予定されています。

〇教育旅行自体の目的としては、「体験学習」「団体生活」「名所観光」などがありますが、その効能として「気づき」「学び」「人間関係の構築」などがあります。昔から「可愛い子には旅をさせよ」とあるように、教育旅行というカテゴリー分けをせずとも、旅そのものに教育的効果があることは私の教員としての経験からも断言できます。

〇この教育旅行の継続の危機をなんとかして脱していく手段を模索していくしかありません。

須藤昌英

1月28日(火)ハンカチと爪の点検はなんのため?

〇毎週火曜日の朝の会ではクラスの生徒を対象に、保健委員が毎日「ハンカチを持参しているか」「爪を適度に切ってあるか」を点検しています。以前のコロナ禍ではこの他にマスク点検があったり、自主的に除菌用のウエットティッシュなどを持参している生徒も多かったのを覚えています。

〇時々あすなろ学級の朝の会に同席しますが、生徒たちの点検の際、私も一緒にその2つを点検します。昔から私はハンカチを2枚(ズボンの左右のポケットに)持ってきています(1枚は手洗い用、1枚は汗ふき用です)。それを生徒たちに見せると、「へえ~」と驚かれました。何の驚きだったかはわかりませんが、生徒の反応は面白いものです。

〇ふとハンカチの語源は何だっけ?と思い調べると、「ハンカチ」は「ハンカチーフ」の略のようです。 英語ではHANDKERCHIEF( HAND+KERCHIEF)で、KERCHIEFはそれ自体が頭に巻く正方形の布のカーチフ、ネッカチーフ、ハンカチ等を意味します。

〇ハンカチの必要性として、手を洗った後の自然乾燥は不衛生と言われています。丁寧にせっかく手を洗っても、ハンカチやペパータオルなどできちんと水分をふきとらないと不衛生だということをあまり生徒は知らないようです。よく「自然乾燥だ・・」と言いながら手を振っている生徒もいます。「少なくとも友達にかからないように・・」と注意したこともあります。

〇調べてみると雑菌のついた手を石鹸で洗うと菌の数は1/100程度に減少し、その後水分や汚れをきちんとふきとるとさらに1/10程度まで減少させることができるそうです。要するに手を清潔に保つためには、洗った後にきちんと水分をふきとることが不可欠です。

〇以前に担当していた生徒の中には、友達のハンカチを借りて手を拭いている生徒もいました。人が濡れた手をふいて湿ったハンカチには、雑菌がいる可能性があります。そのように他人のハンカチを使うことはリスクを伴うので、止めるように指導したこともありました。

〇一方で爪は何の役目を果たしているか、これも普段はあまり考えません。爪点検をしても「なぜ短くしておいた方が良いか」を理解していなければ、点検のために切るというただその場限りの単純な作業になってしまい、持続性はありません。

〇私は中学生の頃の一時期、爪を噛む癖がありました。野球をしていましたので、練習でボールが指に当たり突き指や爪をはがした経験があり、定期的に爪切りを使う前に噛んでちぎっていたのでした。今考えれば不衛生極まりないですが、その頃は短くなればいい・・としか考えませんでした。私の経験からも中学生年代は、自分なりの合理性や効率性を求めます(これは立派な成長でもあります)が、周囲からみると?の場合も多いものです。

〇そもそも爪は表皮の角質が変化・硬化して出来た皮膚の付属器官で、タンパク質の一種「ケラチン」でできています。哺乳類では種によって様々な形状をとり、ヒト以外の他の動物の爪は扁爪(ひらづめ)・鉤爪(かぎづめ)・蹄(ひづめ)と、それぞれに特化しています。

〇なぜ爪があるのかというと、人間の手や足の骨は指先まで達しておらず、指先には神経が集中しているため、爪が指先を保護しています。爪があることで指先に上手く力を入れることが出来たり、指で小さい物をつまむ細かい作業もできるようになっているのです。

〇また足を使った「立つ」「歩く」などのときも、指先に力を加えてうまくバランスを取れているのは爪があるからこそで、爪は動物にとって重要な役割を果たしています。

〇爪は定期的に長さや形を整える必要があります。主な理由は3つで、1つは「ケガの防止のため(自分に対しても他人に対しても)」、2つ目には「雑菌の侵入の防止(爪と指の隙間に汚れから)」、最後は「身だしなみ・マナー(これは人によって様々)」の観点です。意外に手や爪は他人から見られているものです。

〇先日契約している生命保険の外交員さんの担当が交代するということで自宅に来ましたが、新しい若い担当の方の爪はデコレーションされており、名刺を差し出す際には自然と爪に目がいきます。人によっては「きれいですね」と話しかけてその後の会話ももりあがるでしょうが、私などは嫌悪感こそはありませんが違和感は正直ありました。私が古い感覚なのでしょうが、難しい問題です。

〇とにかく生徒たちには、健康の面からハンカチを使ったり爪の手入れをしたりして清潔感を保ってほしいと思います。

須藤昌英

 

1月27日(月)「命は時間」

〇先日の給食時の放送で、シンガーソングライターの竹内まりやさんが歌う「いのちの歌」が流れていました。この曲は竹内さんが次の世代に伝える歌として作詞したもので、生徒たちも聞いたことがあるらしく聞き入っていました。最近では卒業式でもよく歌われるそうです。
〇昭和生まれの私の世代は、竹内まりやさんや夫の山下達郎さんは共になじみの深いアーティストで、思わず口ずさんでしまう歌も多くあります。才能のある夫婦として、多くのファンがいます。
〇この歌詞には竹内さんが「生かされていることへの感謝を歌で表現したかった」と本人が語っている特別番組が数年前に放送されました。誰しも生命に限りがある、だからこそ現在を懸命に生きたいとは誰もが心の奥で願っていることだと思います。
〇Youtube動画では、竹内さん本人が「いのちの歌」を心込めて歌っています。シンプルだけど強いメッセージが伝わってきます。歌詞を紹介します。
生きてゆくことの意味問いかけるそのたびに
胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ
この星の片隅でめぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりもたいせつな宝物
泣きたい日もある絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて寄り添うあなたの影
二人で歌えば懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの優しいあのぬくもり
本当にだいじなものは隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中にかけがえない喜びがある
いつかは誰でもこの星にさよならを
する時が来るけれど命は継がれてゆく
生まれてきたこと育ててもらえたこと
出会ったこと笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう
〇「いのち」と聞くと、10年前に105歳でお亡くなりになった聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏の言葉を思い出します。日野原氏は、「生活習慣病」という言葉をつくり、死ぬ直前まで医師として現役を続け、予防医療や終末期医療の普及に尽くした方です。
〇それは日野原氏が若者たちに送った「命とは君たちが持っている時間である」という言葉です。日野原氏は一貫して「命の尊さ」をテーマとしてあちこちで講演されました。日野原氏の言葉を続けて引用します。
「これは難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。でも『自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん』と言ったら、全員が挙げるんです。『では命はどこにあるの』って質問すると、心臓に手を当てて『ここにあります』と答える子がいます。僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、このように話を続けるんです。『心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。命とは感じるもので、目には見えないんだ。君たちね。目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの? でもその空気があるから僕たちは生きている。このように本当に大切なものは目には見えないんだよ』と。」
○さらに「それから僕が言うのは、『命はなぜ目に見えないか。それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい』ということです。」
〇医師としての仕事を全うしつつ、若い人たちへのわかりやすい説明は見事としか言いようがありません。何かの機会に本校生徒にもあげたいです。
須藤昌英                   

【日野原氏の著者】