校長室より

すべては「生まれて初めて」であり「最初で最後」

「育てる」ということを思い描くとき、ぼくたちはつい、自分をゴールの側に置いてしまう。1歩ずつこっちに向かってくる子どもをゴールで待ちかまえて、正しい道を進むように導くことが、「育てる」ことなのだ、と。

 でも、ほんとうはそうじゃないのかもしれない。おとなも子どもも、「育つ」側も「育てる」側も、みんな「生まれて初めて」の日々を生きている。おとなは自分自身の「育つ」を終えてから子どもを「育てる」ことを始めるのではない。おとなだって、育てながら育っている。人生の長い道のりの途上にいることは、おとなも子どもも同じなのだ。

 ならば、試行錯誤もあるだろう。失敗して悔やむことだってあるはずだ。かまわないじゃないか、そんなのあたりまえですよ・・・あえて、そう言っておきたい。子育ての「正解」を見つけられない自分を責めて、悩み苦しんでいる親がたくさんいる時代だからこそ。

 人生を何度でもやり直すことができるなら、「正解」の数は増えるだろう。でも、それができないから、すべては「生まれて初めて」であり「最初で最後」だから、生きることはちょっと哀しくて、すごく愛おしい。

 ぼくは今年「生まれて初めて」四十二歳になる。二人の娘たちも、それぞれ「生まれて初めて」の中学三年生と小学三年生になる。いまはまだまっさらな二○○五年のカレンダーに、わが家の「生まれて初めて」の日々は、どんなふうに刻まれていくだろう。ぶつかったり、すれ違ったり、悔やんだり…家族で笑い合える曰が一日でも多ければ、いいな。

 

「うちのパパが言うことには」(角川文庫) 
            重松 清 著より抜粋

2008年に出版された本からの抜粋です。ちょうど同じころ、小学生と中学生になる3人の子どもを持つ同じ年ごろの父親だったので、痛く共感したのを覚えています。今読み返してみても、なるほどと腑に落ちました。校長としてもすべては「生まれて初めて」であり「最初で最後」の意識で令和元年を生きたいと思います。