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文集「土の子」発行しました

昭和8年に刊行されて以来脈々と続いていた文集「土の子」ですが、発行するための教員の負担が大きいことが近年課題となり、発行に関して反対意見が多くなってきていました。その意向を尊重し、昨年度は一時休刊という措置を行い、文集「土の子」発行の意義と発行の手続きを考え直し、今年度は、学校と増尾町会有志の方と協力印刷会社の3者の協力体制を整えた上で、持続可能な発行形式を確保し、学校文集という文化を継承していくこととしました。

 

2回の編集会議と手順の打ち合わせを行い、先生方の感想では今年の労力は以前の20%程度となり、次年度はさらに計画的に授業とタイアップした形で取組む予定になっています。

文集「土の子」の巻頭言をお読みいただき、その意義を共有したいと思います。

 

文集「土の子」再出発によせて

                     第四十三代校長   梅 津 健 志

 昭和八年に創刊された文集「土の子」、通巻第七十四号となる本誌は、新しい時代に向けて新たな意図を持って編集された、再出発の号となる。

 本誌発刊までに、十三回の休刊があったようだ。戦争や物資不足など様々な理由で発刊が見送られたと想像する。その一回が昨年度であった。文集「土の子」は、どの時代も教師たちの努力によって支えられ発刊されてきた歴史がある。時の教師たちは、子どもたちの作品を丁寧に評価し、編集し、発刊に向けて力を発揮してきたに違いない。しかし、時は流れ令和の時代に入る頃には、教師たちにその想いはあっても、そこに割く余力が無くなってきてしまった。今までの発刊方法では、廃刊するという選択肢しか学校には残されていなかった。

 令和四年度、創立百二十四年目の土小は、新たな学校経営システムである、学校運営協議会を設置したコミュニティ・スクールを取り入れ、地域と共に子どもたちの教育を行い、学校を核とした地域創生に向けて、新たなスタートをきった。

 文集「土の子」もこの新たなシステムに載せ、増尾町会とトーカイ印刷さんと教師が共同して編集し、発刊する仕組みを取り入れ、昨年度の休刊を越えて発刊にこぎ着けたのである。

 学校文集は、その時代を生きる子どもたちの視線・感性に溢れている。これは、学校の歴史を子どもたち自身が記録し伝えていくメディアでもある。昭和八年からの歴史を、この持続可能な新たなシステムを編集・発刊方法とし、子どもたちが紡ぐ「ことば」をもって、伝えつなげていって欲しいと願う。