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2025年1月の記事一覧

1月16日(木)「ラン活」と「脱ランドセル」

〇近年では「ラン活」という言葉が聞かれるようになりました。「ラン活」とは、小学校新1年生になるわが子や孫のために、保護者や祖父母がランドセルを購入するための活動のことを示すようです。中学校3年間の倍の6年間を通して使い続けるランドセルですので、「子どものためにできるだけよいものを与えてやりたい」という大人の思いが「ラン活」という言葉を生み出したということでしょう。

〇ただ最近は高級感のあるランドセルも人気があり、値段も数万から十万円以上とバラエティーに富んでいます。昭和の時代の男子は「黒」、女子は「赤」と決まった色だった次は、性別に関係なく自分の好きな色を選ぶ時代になりました。我が家の子どもたちは確か長男と次男は黒っぽい色でしたが、3番目の娘はピンクでした。

〇余談ですが、明日は阪神淡路大震災から30年です。息子たちのランドセルは14年前の東日本大震災の後に、「被災地にランドセルを送ろう」というキャンペーンがあることを知り、拠出しました。ただ当時娘はまだ小学生でランドセルを使用していましたので、まだ自宅にあります。

〇そもそもランドセルは、学校指定の学用品ではありません。地方の学校によっては指定しているところもあるかもしれませんが、少なくとも柏市はそうではありません。それでもなぜほとんどの家庭が小学生にランドセルを買うかというと、学校が指定するうんぬんよりも先に、現代社会の中で長い間ランドセルの購入が不文律みたいな慣例となり、しかもそれを保護者などが自ら選んでいるからです。

〇その一方で「脱ランドセル」という動きもあります。ライフスタイルが変わり、多様性が求められるようになった時代に、伝統的で日本独自の文化であるランドセルではなく、リュック型のかばん(素材は革以外にいろいろ)を使用することも広がってきました。

〇これは4月から正式に導入される「柏市標準服(ブレザータイプ)」をこれまでの制服に加えて、新しい選択肢としていることと本質は同じです。もっと言えば、中学校を卒業後にどの進路(高等学校やその他も含めて)を選択するかも最後は生徒が自分で決めなければなりません。いずれにせよ自分で選ぶことは最後まで責任を負うことに直結することでもありますので、これからの時代を生きていく大切な資質・能力です。

〇話は戻りますが、例えば大手アウトドア用品メーカーが製作した通学用のリュックサックなどは、見た目はランドセルより大きいですが軽く、ランドセルとまではいかなくても耐久性もかなり優れているようです。もし万が一壊れて再び買うことになっても、ランドセルより断然安く抑えることは長所とも言えます。

〇もちろん大手メーカーもランドセルの軽量化はすすめており、どちらを選ぶかは本人と各家庭の判断に委ねられます。さて私も「3年後には孫娘にランドセルを・・」と何となく考えてきましたが、どうしましょうか?2つを見比べて、本人が納得して選択するのが一番良いとは思いますが・・。

須藤昌英

 

1月15日(水)自分で自分を認めることば「これで大丈夫、これでいいんだ」

〇今年初めての満月が昨晩東の空にありましたが、今朝の出勤時もまだその姿は西の空に見えていました。地球の衛星として月は常に一定の距離を保っています。またそのお互いの引力で潮の満ち引きが起きるのは有名ですが、その他に人体にも目には見えませんが大きな影響があります。まさに「おかげさま」でしょう。

〇教員となって38年間、実に多くのそして多彩な児童生徒との出会いがありました。「教えることは教わること」と気づき始めたのは、教員生活をスタートして数年が経過したころでした。「今の教え方で本当にいいのだろうか?」と壁にぶつかった時、目の前の生徒が「学ぼうとする姿」をつぶさに観察することで、自分の一方的な思いでは何も伝わらないことや、その生徒の姿が新たな手法を私に教えてくれていることを実感しました。

〇昨日、卒業生の活躍をうれしく感じていることを書きましたが、かつての教え子(自分のクラスでしかも担当していた野球部の副キャプテンだった生徒)に、コロナ禍になる直前でしたが彼の結婚式に招待されました。立派になったその姿に感動しました。

〇式の始まる前の控え室で彼が突如、「自分で『これで大丈夫、これでいいんだ』と思えるようになったのはつい最近なんです。中学校の時は自分を否定ばかりして、今思うと『苦しかったな』くらいしか覚えていません」と話しました。さらに「今の中学生は僕らのころよりももっと繊細だから、先生も大変ですね」と励ましてくれました。

〇それを聞いて私は意外な気持ちがしばらくぬけませんでした。彼のクラスや部活におけるリーダー的な発言や行動しか記憶に残っていませんでしたので、本当は心中では大変だったのだと初めて知りました。私はおそらく当時、彼の力を最大限にのばしてやりたいという気持ちから彼を叱咤激励だけしていて、彼の「ありのままの姿を認めてあげる」ことがなかったのかもしれないと反省しました。

〇よく考えると私も中学生のころは、クヨクヨ悩む、いつも自分にダメ出しをしてしまう、どうしても自信が持てないことはありました。人間の発達段階ではそういう時期なのかもしれません。

〇昔から有名な漫画「天才バカボン」の主人公は、なにがあっても「これでいいのだ!」と言い放ちます。大人になって知りましたが、作者の赤塚不二夫さんは、あまりにも世間を気にしすぎている人が多く、自分で自分を認めていく大切さを「(わたしは)これでいいのだ」というセリフに込めたようです。

〇私も含め人は日々、後悔と不安に苛まれています。後悔は「あのときこうすればよかった」と過去に、不安は「このさきどうなるのだろう」と未来に自分の意識があります。英語の Present には「現在」と「贈り物」という二つの意味があるそうです。今生きていることが最高のプレゼントでもあり、そのときに自然と「(ぼくは、わたしは)これで大丈夫、これでいいんだ」という自己を認める気持ちが出てくるのでしょう。

〇そんなことを教え子から教わりましたので、今度は自分が生徒たちに伝えていきたいと思います。

須藤昌英

1月14日(火)成人への階段「長所で勝負すればいい」

〇昨日は「成人の日」で、全国では様々な式典が行われたようです。成人の日は満18歳または20歳(3年前までは20歳でしたが、引き下げられ18歳に)を迎えた青年男女を祝う国民の祝日です。日本の古い儀式である『元服(げんぷく)』に代わるものとして設けられ、その意義は「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」ことだとされています。

〇総務省は、2025年1月1日現在における新成人の人口推計を発表し、平成18年(2006年)生まれの18歳以上の新成人は、109万人で、史上最少を記録した今年と比べて3万人増える見込みだということです。このうち男性は56万人、女性は53万人の内訳です。

〇柏市では二十歳を祝い励まし、社会人としての自覚のかん養や郷土意識の高揚を図るため、二十歳による柏市成人式実行委員会を組織し企画・運営を行い、柏市成人式を開催しています。柏市のホームページには、「成年年齢が18歳に引き下げられることに伴い、柏市成人式の対象年齢を引き下げることも考えられましたが、18歳で開催した場合、受験や就職活動の時期と重複してしまい、式に参加しにくくなることや同様の理由により市民主体(実行委員会形式)で企画・運営を行うことが困難になること、また、上級学校への進学や新生活への準備にかかる費用と成人式の着物や写真代にかかる費用等が同時期に集中することが懸念されます。これらのことから、本市では、令和4年(2022年)4月1日以降も現行どおり、当該年度に20歳になられる方を対象として柏市成人式を開催いたします。」とあります。

〇またこれに伴い、式典の名称を従来の「柏市新成人のつどい」から、「柏市成人式~二十歳の集い~」へと変更しました。この行事は教育委員会が主催ですので、私もかつて教育委員会事務局に勤務していた頃は、会場の市民文化会館の誘導や警備を手伝っていました。かつては式会場の外で派手な衣装を着て大騒ぎをする成人たちが多くいて、彼らをなだめるのが大変なこともあったことも思い出します。

〇今の中学生も数年後には、それぞれ成人として扱われます。中学校時代はそのための準備期間でもあります。そんな中学生にはその心構えとして、樋口恵子さんの「私の青春ノート」から、次の部分を抜粋して紹介します。

「長所は常に短所と裏腹である。勝ち気ということは、相手が自分である限り長所だが、むやみやたらに外に向かうとはなはだしい虚栄心になる。気が強いのもしっかりとしている点では長所だが、向っ気ばかり強くて相手の心を傷つけたりすることに無神経だったら、明らかに短所だ。反対に大人しく穏やかな性格は、寛容さ、安定した感情ということでは長所だが、自己主張できない弱い性格だったら短所でもある。(途中略)友達ができなかったり何かの加減で非難や中傷の対象となったりしたとき、中年の大人ともなれば「何言っているのさ!」と大きく構えることもできるが、内心動揺しないわけではない。まして中学時代はまだ自分の内心がかたまっていないし、他人の評価がとりわけ気になる年頃だ。動揺しないほうがどうかしている。動揺してうろたえ、いろいろとやってみることだ。あっちこっちの角にぶつかって、どこか自分の性格で邪魔になる部分がわかってくる。しかしそれは自分を殺してつくりかえることではない。性格であれ能力であれ、人はその人の長所が発揮されたときが一番、サマになっている。学科だってそうだろう。数学の得意な人は短期間の努力でますます力を発揮するだろうが、不得手の人は他人の何倍も努力しても、なかなか効果があがらない。当面は入学試験があったりするから、嫌なものでも努力しなければならないが、私は最終的に『人はただ一ヶ所の長所で勝負できればいい』と思っている。長所で勝負するとき、人は生き生きとして魅力的だ。英語のリーダーを読ませれば立往生のAさんが、バレーボールの試合のときには何と美しく躍動的であることか・・・。性格も同じことで、長所をのばしていこう。いや、自分らしさの性格にある長短両面の内、長所になるべき方向をのばす、といったほうが正確だろう。勝気な人は頑張る意思の強さ、自分に打ち勝つ心をのばそう。」

〇私も過去に中三の担任を10回務めましたが、特にその卒業生達が今あちこちで活躍していてくれることを誇りに感じています。「教員をしていて良かった」と思う瞬間です。

須藤昌英

【昨年の柏市成人式の様子から】

1月10日(金)してもらったことに目を向ける「恩返しと恩送り」

〇昨日は「人は時として自らの生きる意味を求める」について書きましたが、次の詩も私は若い時からよく学級通信に掲載したものです。紹介します。

「朝がくると」まどみちお

朝がくると とび起きて ぼくがつくったものでもない水道で

顔をあらうと ぼくがつくったものでもない洋服をきて

ぼくがつくったものでもないごはんをむしゃむしゃ食べる

それから ぼくがつくったものでもない本やノートを

ぼくがつくったものでもないかばんにつめて 背中にしょって

さて ぼくがつくったものでもない靴をはくと たったかたったか でかけていく

ぼくがつくったものでもない道路を ぼくがつくったものでもない学校へ ああ なんのために・・

今に大人になったら ぼくだって ぼくだって

何かをつくることができるようになるために・・・

〇「ぼくがつくったものでもない」の韻をふみながら、日常生活における何気ない様子と男の子の未来に対する期待と不安をよく表していると思います。こういう平易な言葉だけをならべている詩は、読みやすいですがなかなか自分で作ろうと思ってもできるものではありません。

〇民話にある「鶴の恩返し」やそれを題材にした木下順二の「夕鶴」は多くの人が知っている話ですが、人間に助けてもらった鶴が自分の羽を使って美しい布をおり恩を返すお話です。男は女に「機織りをしている部屋を決してのぞかないで・・」と言われたのに、男は鶴となった女が機織りをしている様子をのぞいてしまい、最後はその鶴が空へ帰ってしまう結末となっています。

〇私は幼いころからこの話を聞くたびにこの結末があまり好きではなく、雪空に鶴が飛び去っていく淋しい情景を思い浮かべていました。おそらくは寒い地方の民話で、雪雲におおわれたねずみ色が余計に物悲しくさせるのかもしれません。

〇「恩返し」という言葉は、お世話になった人に直接何かをしてあげることですが、50歳になった頃に「恩送り」という言葉を本で読んで初めて知りました。そしてその後段々と年齢があがるにつれてその意味を深く考えるようになりました。

〇これまでの人生の中で、多くの人にお世話をしていただきましたが、実際にその方々すべてに直接「恩返し」をすることはできませんでした。両親や兄弟はまだしも、友達や恩師、同僚や住んでいる地域の方々、私もその方々すべてと今でもつながっていたりきちんと感謝を伝えたりできていないことがほとんどです。

〇であるならば、「恩返し」ではなく「恩送り」をしていくしかない・・かと思ったのです。例えば私であれば、小・中・高・大と16年間で多くの授業や諸活動の中で、多くの先生や友達から様々なことを教わりました。その後教員となり、今度は多くの生徒や同僚に対して、自分としてできるだけのことをやらせてもらいました。

〇しかしそれは別の見方をすると、それまでしてもらったことに感謝しつつ、直接その方々に恩は返すことはできませんでしたが、その分あらたに出会った別の方々に「恩を送っている」とも考えられるようになりました。

〇冒頭の詩のように、世の中のほとんどがお互いの「恩送り」で成り立っているなかで、逆に「恩返し」をできることは稀なことなので、私の中では次の図のようなイメージになります(基本は「恩送り」しかできませんが、まれに幸運にも直接その人に「恩返し」ができたらよい・・・)。

〇これまでにたくさんの人達にいただいた様々な恩は、できるだけ多く返していくようにしたいものです。

須藤昌英

1月9日(木)忘れられない「深くて難しい質問」

〇今から30年以上前、若い頃に担任をしていたクラスの生徒の一人から、質問を受けました。その具体的な場面は忘れました(多分昼休みだった?)が、突然「先生、『生きる意味』って何ですかね?」と尋ねられ私は一瞬絶句しました。ただその生徒は決して思い詰めるような表情ではなく、教室の窓から校庭をぼんやりと眺めながらつぶやいたのです。

〇いずれにせよ唐突な質問であり、私もまだ20歳代でしたので人生経験も浅く、ただその場の勢いで「これまで生きてきて、そんなこと考えている時間は自分にはなかったなあ~」とだけ答えた記憶があります。しかし本当は当時はまだそんな直球的な質問を大人として正面から受け止め、自分の言葉で答える自信がなかったというのが本心でした。以来他の生徒に「もし同じ質問をされたらどう答えようか?」が私の長年の課題意識になってきました。

〇そういう私が50歳半ばを過ぎたくらいに読んだ本に、「人の生きることに意味はあるのか?」に関して、考えさせられるトピックがありました。ある哲学者の実体験ですが、内容を要約して紹介します。

「その哲学者にはその道を志すきっかけになった100年前くらいの大哲学者(故人)がいました。とにかく彼は若いころからその大哲学者に強い憧れを抱いており、『あなたは将来どんな学者になりたいか?』と人から尋ねられれば、必ずその方の名前を挙げて答えていました。ある日京都で定例の学会があり、その晩にホテル近くの行きつけの小さなバーでいつものように一人でお酒を飲んでいました。すると後からその店に感じのよい紳士が来て隣に座り、お互いにボツボツ話を交わすうちに、相手が医大の先生であることがわかってきました。そしてその学者が自ら『自分は哲学者をしています』と自己紹介すると、その紳士が即座に『それは奇縁ですね。実は亡くなった私の祖父も哲学者でしたよ』と言います。学者は『そうですか、おじいさまのお名前を聞いていいですか?』と言ったその相手の答えに、その哲学者は思わず自席から立ち上ってしばらく直立不動となり、その紳士に深く頭を下げ、握手を求めた」という話です。

〇その哲学者は、「人は時として、存在するだけで他者に恩恵を与えることがある。その紳士も私を元気づけようとわざわざ京都まで来たわけではない。何気なく店に入ってきて、たまたま私の隣に座っただけ。ただ私の方は、尊敬する方のお孫さんに思いもかけずお会いでき、至極の喜びを感じた。そのお孫さんの紳士的なたたずまいを通して、尊敬する方を身近に感じることができた」と振り返っています。

〇さらに続けて「人はいつも、生きる意味を求めてあれこれ悩むが、『自分が存在するだけで、誰かを助けている』と思えるなら、それは素敵な生きる意味ではないか」と結んでいました。私はこれを読んだ時、他人事ながら深く感動しました。そして「人生において目には見えない縁があるのかもしれない」「人の強い思いは会いたい人を引き付けるのではないか」などと思いました。

〇今の生徒たちももしかしたら30年前のその生徒と同じような疑問をもっているかもしれません。もし30年前に戻ることができたなら、あの生徒(おそらく50歳くらいになっているはず)にもこの話をわけてあげたいです。

須藤昌英