校長雑感ブログ

12月9日(金)「いいね!」の功罪

〇この「校長雑感ブログ」にも「いいね」の機能がついています。私としては「なくてもいいかな?」と思いつつ、4月からホームページのフォーマットを初期設定からそのままにしています。ただ実際に「いいね」があると、全く気にしないというわけにはいかないのが人情です。私たちは誰しも、「誰かに認められたい、受け入れられたい」と思う気持ちを生まれつき持っていますので、その心理が働くのだと思います。

〇ただその「いいね」という機能について、功罪(または長所と短所)があるとも感じます。昨日もとりあげましたが、生徒たちも様々なSNSを使った情報発信をする中で、一喜一憂しているとも聞いています。功(長所)の面からは、まずに、「人との共感性の見える化」が挙げられます。自分の意見や価値観に共感してくれた人数がわかれば、確かに悪い気はしません。しかも、その相手が目の前にいなくてもいつでも「いいね」がもらえ、満足感などを得ることができるのが「いいね」だとも言えます。

〇また前述しましたが、「承認欲求の充足」が挙げられます。特に中学生など思春期の若者は、自分の意見や価値観に自信がなかったり他人との比較を重要視することが多かったりします。そこで、「いいね」は自分の考えを肯定してくれ、社会から認められているという感覚を与えてくれます。さらに、「所属感の獲得」が挙げられます。「いいね」は不特定多数の他人からの賞賛の声や同意の証として機能します。この「いいね」をもらえる機会が増えると、それだけ社会集団の一員として帰属意識が芽生えます。要するに、自分にとっての居場所が確保できたと受け止めやすい状況が作れるのです 。

〇一方で、今度はSNSの「いいね」が現代の人間心理に与えた罪(短所)については、段々と「もっと認めてほしい」などの依存性(中毒性)が出てくることだと思います。これは心理学では「強化」と呼ばれています。厄介なのは、もっともらえるよう発信の回数が増えたり、内容も「受け」を狙うようになりやすかったりします。つまり、心の中が「いいね」に支配されてしまい、「いいね」がないと不安になったり焦ったりします。さらにSNSを確認する回数や時間が増えると、画面を注視したり、姿勢が崩れたりして心身への影響が免れません。時には心身の不調を訴え、精神衛生上良くない方向に影響が出ることもあります。  

〇また「喪失感や空虚感を抱きやすい」面もあり、現実の賞賛や承認より抽象度が高く、統一性があるため実感が湧きにくいという特徴があります。最初が「いいね」が貰えて喜んでいたのに、次第にその嬉しさや楽しさが減り、虚しさや悲しさを感じやすくなります。これは「いいね」を追い求めた反動・リスクとしてのネガティブな感情の生起で、注意が必要です。

〇この記事をかきながら、「大人の私も同じようなところは少なからずあるなあ~」と感じました。

須藤昌英